五話「精神攻撃」
授業の合間の10分休憩に読んでみたライトノベルがあり得ないほど面白くて、放課後になった後も読みふけってしまった。物音がしたので、その本から視線を切ると、いつのまにか教室が真っ赤に染まっていた。
物音がした方に顔を向けると、クラスメイトの佐藤廻が教室の扉を開けて入ってきたところだった。「こんばんは」と、あまり教室では耳にしない挨拶をしながら、佐藤は教室に入ってくる。
「なるかみ?」
まさに、僕が読んでいた青春ラブコメ系のライトノベル「ナルシストと赤髪はぶっちゃけ小宇宙」の略称を、佐藤は言い当てる。
二日前と同じくだりだ。やっぱり今回も、佐藤のいる位置からライトノベルのタイトルを当てられる訳はないんだけど……また、10分休憩の時にでも見られていたのだろう。
「よく、わかったね」
また休憩中に盗み見たの?と聞くこともできたけど、二日前のくだりを再生してみる。
少しだけ、佐藤の一言に期待しながら。
「ほら、この台詞」僕に近づきながら、佐藤は言う。「『やらない後悔よりやる後悔とちゃう?』ここの台詞、すごく印象的だったから」
「なるかみに関西弁キャラはいない……」
そんな、言われた時はハッとするけど、よくよく考えたら「言うほどそうか?」と悩んでしまうような、胡散臭い台詞を喋るような関西弁キャラは、いない。
そして、佐藤は小さく笑うだろうと思っていたのだけど、
「ううん、いるよ」僕の予想に反して、佐藤は首を横に振る。「新キャラ。184ページ目」
「……え?」
僕は訝しがりながら、そのページに達するまでパラパラとめくる。
……。
いた。
胡散臭い台詞を吐いている新キャラが、すげーしれっと登場していた。
「ふふ。ごめんね?ネタバレしちゃって」
「い、いやいや」うろたえながらも、なんとか言葉を返す。「大丈夫」
「でも、楠見くんも悪いんだからね? 私を試すようなことをしたんだから」
「すみません……」
気づかれていた。
今度はどんな台詞が印象的だと言ってくるのだろう……という、僕の淡い悪戯心が。
これ以上突っ込まれるのもバツが悪いので、話題を変えてみようか。
「このラノベは、読んだことあるんだ」
「うん?」
「ああ、えっと。えーと、『きみのちょ』は……読んだことがなかったみたいだから」
「ああ! うん、そうだね。『なるかみ』は私、結構ファンで」
言って、佐藤は笑いながら、こちらの様子を窺うように目を細める。
「結構、小宇宙だよね」
「うん」僕は頷く。「結構、小宇宙」
笑いが広がる。
やっぱり、内輪ネタって一番楽しい。
楽しい、けど。
「……」
普通にさっきから緊張して手汗がすごい。
いくら優等生で、皆から親しまれているとは言っても。
やっぱり、カースト最高位のお方なのだ。御仁なのだ。
低レベルのパーティーで、高レベルのジムリーダーに挑んでいるときのような緊張感と。
真っ暗な部屋のような、対象の底知れなさに対する恐怖を感じる。
今回も二日前のように、うまくいい感じに会話できている気がするので、もうさっさと会話を終えてしまいたい。
そんな弱気が頭をもたげてくる。そういう意味で言うと、渡会って話しやすくていいヤツだよなー。
と、頭の中では凄まじいスピードの現実逃避が繰り広げられたいるのだけど、意外と佐藤が帰る様子がない。
なんとなく気まずいので、何か適当に話題を振ってみようか。
「……え、えーと。結構、佐藤さんってオタク趣味があるんだね」
「めぐるでいいよ?」
「め、めぐ……」
「ほら、結構佐藤って没個性的な苗字じゃない? 隣のクラスの健太くんや千佳ちゃんとも同姓だし……だから、メグかめぐるって呼んで欲しいな」
「……」
大変な無理難題を押し付けながら、佐藤が迫ってくる。
厳しい。
女性に名前呼びは大変厳しい。流石に。
『きみのちょ』でも、主人公とヒロインが付き合って、これから何て呼び合おっか的な甘酸っぱいイベントを経て、ようやく名前呼びするようになったんだから。
佐藤達のような、クラスのイケてる人達の中では、お互いを名前で呼び合う文化があることは知っている。普段、耳にしているから。
ただ、その習慣に慣れることができない文化圏の人たちは、やっぱり、照れてしまうのだ。
「ほら、楠見くん。お願い?」
言う前からちょっと照れてしまっている僕を、佐藤はまっすぐ見つめてくる。
どんな気持ちで僕のことを見つめているのかは、もはや察せない。本当にめぐると呼んで欲しいのか。それとも僕で遊んで楽しんでいるのか。
ダメだ……このままでは……。
恥ずか死してしまう……!
突然の精神攻撃を受けて瀕死に陥っている、そんな時。
ガラガラと教室の扉が開かれた。
藁にも縋るような思いで、僕はその音がした方を向く。
そこには。
「楠見くん。遅いわ」
頬を空気でパンパンに膨らませた渡会が立っていた。
「今日も集まるって私、言ったよね。……あれ、言ってない? まぁ、言った言ってないは置いておくとして、ちゃんと漫才をこれからやっていこうとしているのだから、しっかりしないと。ほら、漫才は一日にして成らずって言うでしょう? 楠見くん、この『○○は一日にして成らず』構文に入る○○、あらゆる全ての単語を当てはめてもそれっぽく聞こえるからオススメよ」
ずけずけと、あの佐藤のことを無視してプリプリ怒っている渡会。なんかもう後半から話がちょっと引いちゃうくらい脱線しているし。
そんな渡会を横目に、佐藤を見ると。
自分をないがしろにされたことがよっぽど衝撃だったのか、佐藤は雷に打たれたような表情をしている。
「私……」佐藤がゆっくりと、口を開く。「渡会さんが喋っているの、初めて見た……」
「……」
そっちか。
確かに、渡会が放課後以外で、こんなに饒舌に喋っていることを見たことがない。
まぁ、そんな反応になるかと一人納得する僕だった。
「渡会さんが、喋った……」という言葉を残した佐藤と別れた後、渡会によって、速やかに例の空き教室に連行される。
一緒に廊下を歩いている際も、渡会は依然とプリプリしていたが、空き教室についた頃には、その頬も平常のサイズに戻っていた。
「今日もやっていくわよ」
元気にそう言って、腰に手を当てて胸を張る渡会。
「お、おう」
「……?」渡会は首を傾げる。「何よ、今日も今日とて煮え切らないわね」
「あ、いや」僕はとりあえず否定する。「うん。今日もやっていこう」
そんな渡会の態度に、少し違和感を覚える。
今日の約束をすっぽかしてしまった理由としては、『なるかみ』が面白すぎたというのももちろんある。
でも、昨日の夜、ちょっと渡会と気まずかったから、この空き教室に足を運ぶのがちょっと億劫だったのだ。渡会が、昨日の気まずさを宵越しているだろうなと思っていたから。
だから、今こうやって、よく言えば切り替えて、悪く言えばケロッとして喋っている渡会の雰囲気が気にかかった。
ちょっと、繊細な部分がある奴だなと思っていたんだけど。
実は図太かったりする……のか……?
「……まぁ、いいわ」
僕の訝しんでいる様に何か言いたげな様子だったが、よほど文化祭漫才計画を進めたいのか、話を進める渡会。
「昨日はどこまで進んだか覚えてる?」
「えっと。自分たちのツカミを考えようとして、他愛ない雑談をしようとしてたな」
「ツカミ?」渡会は言う。「まぁ……ツカミも大事だけど……」
何かゴニョゴニョと、僕に聞こえない声量で独り言を喋る渡会。
少しあった後に、渡会は顔を上げる。
「楠見くん」
「は、はい」
「漫才のコピーをしましょう。昨日、とても面白い漫才をテレビで観たの。録画して、夜なべして、既に文字起こしも済ませてある」
「すごい行動力」
渡会の右手に持っている紙は、確かに漫才の台詞らしき文字列が記されている。
「いや、でも渡会。文化祭ではオリジナルを披露するんでしょ。好きな漫才をコピーするのも……まぁ、いい練習になるかもしれないけど、ちょっと遠回りじゃないか?」
前回と言っていることが違うから、当然問いただしたくなる。
「オリジナル?」渡会は言う。「まぁ……ゆくゆくはオリジナルを披露したいけど……」
また、僕に聞こえない声量で独り言を喋る渡会。
「オリジナルをやれと言われても、私が高校に入って初めて作った『古典』というネタしか、現状は披露できるものがないわ」
「あ、そう……。因みに、どういうネタなんだ」
僕が質問を振ると、待ってましたとばかりに笑顔を浮かべる渡会。
どうやら、突っ込んで聞いてほしかったらしい。
「いわゆるしゃべくり漫才ね。『古典を勉強する必要って全くないわよね』と私が主張するから、あなたは必要だと古典をフォローするの。そういう対立で、口喧嘩に近いしゃべくりが進行する。オチはまだ考えてないけど……古典の浦先生が可愛いから……その授業が聞けなくなるのは悲しいから、私が矛を収める……といったところでいいんじゃないかしら」
「こら。先生達とかの前でできないよ、そんな思想が強いネタ」
国語担当の浦先生が泣いてしまう。
どんなに強く突っ込んだとしても、めちゃくちゃ気まずいし、絶対に角が立ってしまう。
「この際だから言わせてもらうけど、貴方、ツッコミが弱いわ。大変弱い。もっと私に強く突っ込んで欲しい。その練習も必要ね……」
ブツブツと、今度は僕に聞こえる程度の声で呟く渡会だった。




