二話「願い」
縦長の別館は、本館と10メートルほど距離を置いて、本館と同じ向きに建っている。
これら二つの校舎の間には渡り廊下があって、中庭と駐輪場を二分している。その渡り廊下を渡って、僕は別館に入る。
二階、三階と上るにつれて、人の気配が薄くなっていく。
二階と三階の間にある踊り場に、果たして目的のものが落ちていた。しかも二枚。
四つ折りか、二つ折りに閉じられた紙切れ。
恐らく、佐藤が言っていたそのものだろう。
その場で、僕はその紙切れのうちの一つを開ける。
すると、そこにはこう記してあった。
『私ヲ見ツケテ』
「……」
思わず、拾っていた紙が手から離れてしまう。
おい、おいおい、ちょっと待て。
佐藤もこう言っていた。自分の名前と自分の願いを書いた紙切れを落とせば、その願いが叶うって。
ところが、今開いた紙には宛名さえない。そして、その紙切れの中央には、なにやら意味深な文字列が羅列されている。
私を見つけて、だって?
不穏だ。夜に近づいても電気が付けられず、どんどん薄暗くなっていく踊り場が、その不穏さを加速させている。
「……」
もう一方の閉じられた紙切れに目を移す。もしかしたら……。
もしかしたら、その紙切れに、名前が書いてあるのかもしれない。
だったとしても、一枚目に書いてあった願いの内容が意味不明すぎて、怖いのは怖いままかもしれないけど。
一旦、その可能性に賭けてみよう。
賭けに負けた場合は……場合は……。ううん。
一回神様を信じてみて、その神様に許しを請うまである。
そう決意して、僕はその紙を開く。
「見つけた」
「うわぁ!」
誰かに肩をそっと触れられて、反射的に僕は飛び上がった。
振り返ると、黒髪を腰まで伸ばした生徒が、薄く笑っている。
「こんばんは、楠見くん」
またもや、学校で聞きなれない挨拶の言葉を耳にする。
挨拶の返事を待たずして、僕に触れた手を伸ばした。
「私の願いを叶えて欲しいの」
『楠見くん 私と漫才のコンビを組みなさい 渡会涼香』
珍しい、命令形の願い事が記された紙が、僕と渡会が挟む机の上に置かれている。
言うまでもなく、二枚目の紙に記されていた内容だ。
漫才のコンビを組んで欲しい……らしい。
立ち話もなんだし、という渡会の一言で、僕はまた自分の教室に戻ってきている。
最終下校時刻が迫ってきている。
「と、言う訳だから」
「うん」
「明日からよろしくね、楠見くん」
「よろしくしない、勝手に話を進め……ちょ、席も立たないで」
僕の一つ前の席に後ろを向いて座ったのに、さっさと立ち上がろうとする渡会を慌てて制す。
渡会涼香。
佐藤と同じ、僕のクラスメイト。
クラスの中では、ある意味佐藤とは対照的な位置にいると言える。
いわゆる、孤高の存在だ。
渡会が、クラスメイトの誰かと喋っているところを見たことがない。
だから僕は、そんな渡会が流暢に喋ってみせる姿に、少々面食らっていた。
「何よ。煮え切らないわね」
ジト目で僕を睨みつける渡会。
いやいや、渡会。
僕たちはまだほとんど何も言葉を交わしていない。
煮始めもいいところだぞ、渡会。
「とりあえず、説明が欲しい」
「わかったわ」
「そうしてくれ」
一呼吸置いて、渡会は喋り始める。
「『す』の発音を『th』と発音してしまう癖がある。最近までは授業中ずっと垂れ流しだったんだけど、生徒の間でネタにされていることに気づいたのか、最近はその数を減らしている」
「おい、渡会。誰も数学の広瀬先生の口癖に関する説明を求めてない」
ああ、とか、うん、とか、曖昧な返事をする渡会。
「私は漫才のコンビを組みたい。でも、そんなことを聞いてくれる親しい友人はいない。だから、怪談にかこつけて、明らかに暇そうな貴方を私の相方として勧誘している」
あからさまに余計な一言が混じっているが……。
ようやく、渡会は自身の願いを告白してくれたようだ。
暇か。まぁ、暇なんだけど。
突っ込み所が多すぎる……何から聞いてみようか。
一旦、何故渡会が漫才コンビを組みたいのかという疑問は置いておこう。質問をして、「漫才が好きだからよ」と返されてしまったところで、何も嬉しくない。
僕は少し考えた後、渡会に尋ねる。
「一旦、渡会が漫才をしたいという前提は飲み込むよ。でも、どうして僕なんだ?」
「だって貴方」
「うん」
「芸人の雰囲気を醸し出しているじゃない」
「……」
芸人の雰囲気。
芸人の雰囲気か。
……これは、ギリ、褒められているやつか……?
「『じゃない方』の」
褒められてなかった!
「喋り始めて早々、失礼な奴だな」
「……あ、ごめんなさい」
率直で、且つ正確な感想を述べたつもりだったんだけど。
渡会は、我に返ったように、普通に落ち込んだ様子を見せる。
結構振り切れているキャラをしているのかと思ったけど、繊細なところもあるらしい。
「私、人と話すことが久しぶりで、なんだか、変な方向に興奮してて。……その、ごめんなさい」
そうだ。
渡会は、人と喋っていることを見たことがない。
近くの人に軽く話題を振られた時なんかは、ちょっと振った人のことが可哀想になるくらい、相手のことを無視していた。
佐藤がクラスカーストのトップだけれど。
誰とも関わりのない渡会は、そのカーストから外れた場所にいる。
それほど、人と関わることを避けているように見える渡会に、僕がこれほどまでに迫られていることは。
正直、すごく興味深くはある。
でも。
しゅんとした表情を見せる渡会に、僕は向き直る。
「ごめん、悪いけど、いきなり漫才をしろって言われてもよく分からないよ。それに、僕も渡会さんも、お互いがお互いのことをよく知らないと思う。それなのに漫才のコンビを組むなんて、いきなりすぎるんじゃないかな」
だから、遠慮させてもらうね。という意味合いも含めて、僕は席を立とうとする。
今度は、渡会がそんな僕を制して。
「楠見くん。貴方、紙を拾って何をしようとしていたの?」
痛いとこを突いてくる。
ダメか。
逃げきれない。
渡会の視点だと、僕の行動は不自然すぎる。
一旦、誤魔化してみよう。
「……ゴミが落ちてるから、拾おうと思ったんだ」
「三日前も?先週の金曜日も?」
「っ、渡会」
どうしてそんなことまで知っているんだ。
たまたま、紙を置いた直後だから、その場に居合わせた訳じゃないのか。
渡会は、実に面白くない無表情を貫いている。
そんな渡会から見た僕は、面白いように焦った表情をしていることだろう。
「貴方が、学校の怪談の正体なんでしょう? 楠見くん」
考える時間も与えず、渡会はそんな核心的なことを言う。
「あなたが願い事の紙を拾って叶えているから、踊り場の噂が広まる。噂が広まるから、また紙が置かれる。楠見くんがそれを拾って願いを叶える。この変なサイクルを回していることは、知られたら貴方にとって都合が悪いだろうから、皆には黙っておくわ。その代わり、私の願いも叶えて。私と漫才コンビを組んで」
「……」
「組んで、一緒にNSCに入りましょう」
「しっかりと養成所に入って経験を積もうとしている……」
ちょっと気まずいところを目撃されただけで、なんて一蓮托生だ。
「いや、やっぱりそこまではしなくてもいいわ。コンビを組んでもらうだけでいい」
「取ってつけたように心理のテクニックを使うな」
本命の要求を通すために、一回大きな要求を提示するやつだ……。
渡会は、踊り場での時のように、僕に手を差し出す。
差し伸べられた手を、僕はじっと見る。
「私がツッコミで、貴方はボケ担当よ」
「嘘つけ」
それくらい瞬発力があれば十分よ、と渡会は言う。
乗せられている気がする。乗せられている気がする、が。
僕は、普段全く人と関わらない渡会が、こんなに流暢に喋っていることに対して、純粋に興味がある。
それに――、
『私の願いを叶えて欲しいの』
「……わかったよ」
僕は、その手を取ることにした。




