十七話「レスバ」
「長かったな」
「佐藤もね」
「アホか。……あたしのサマージュース、気持ち減ってねぇか?」
「気のせいじゃないか?」
渡会を帰らせた後、ややあって佐藤がお手洗いから戻ってくる。
ドカッと音を立てながら対面に座る。
「時間、戻した方がいいか?」
「いや、必要ないよ」僕は首を振る。「佐藤と一緒にいることを、渡会は知らないようだったし。明らかに2人で来ている雰囲気なことは、ちょっと揶揄われたけどね……でも、渡会が来たのは本当に別件だった。佐藤とは何も関係ない」
「本当か?」
「うん」
「……ならいい」
言って、佐藤は先ほど渡会が口をつけていたストローで、サマージュースを少し啜った。サマージュース、モテモテだな。
……。
「雑談、しねぇのか?」
「……あ、うん。しよう、是非」
意外と乗り気だったらしい。
佐藤にとっては失言だったようで、耳を赤く染めている。
時間を戻されるかなと思いきや、何も変化が起きる感じはしない。佐藤の耳がゆっくり肌色に戻っていくだけだ。
素を見せているから、失言一つくらい別にいいか、と判断したのかもしれない。
ええと……。
「因みに、スイーツとジョギングとファッション雑誌と『きみのちょ』の話はなしな」
「え、なんで」
今日の服装の話を投げかけようとしていたのに、いきなり出鼻を挫かれる。
「時間を戻す前、お前に聞かれたんだ」
「そんなことを言われても。今の僕は知らないし……」
「一回聞かれたものは、二度と教えない」
「後輩に厳しい先輩の考え方だ」
どうして雑談で縛りプレイをしなくちゃいけないんだ。
まぁいい。佐藤に聞きたいこと、聞かなくちゃいけないことは他にも山ほどある。
渡会と大変な約束をしてしまった後だし……。
話題……例えば、趣味とか。それで言うと、佐藤が意外とアニメ好きで驚いたことは記憶に新しい。
「佐藤がラノベに詳しいのって意外だった。誰かの影響なのか?」
「中学の頃、ちょっとな。一番仲が良かった友人がアニメが好きだったから、多分そいつの影響だ」
「そうなんだ……、あ」思い出して、僕は頷く。「もしかして、佐藤に高校デビューをさせた人?」
「そうだ」
佐藤がクラスのトップカーストに君臨するきっかけを作った人。
佐藤は、毎日のように運命を捻じ曲げているらしいけど。佐藤の運命を変えたのは、その中学生の頃の友人だと言えるのかもしれない。
ともあれ、今では全然、彼女がオタク談義に花を咲かせているところは見かけないが……。
クラスメイトの中に、今期のアニメについて語っている女子生徒を見かけたことがある。でも、その輪の中に佐藤がいたことはなかったはずだ。
佐藤は何故、その輪に交わろうとしないのか。
……。
「佐藤の演技は……高校から、なのか?」
「なんだよ、いきなり」
佐藤は鼻を鳴らす。
あまり聞いてほしくないことだったのかもしれない。もしくは、別の話題を振って欲しかったか。
演技をしている佐藤のような聞き上手さには、中々届かない。
「ああ、えっと」努めて言葉を探しながら喋る僕。「今では全然、仲良くしてる人が違うようだから」
「まぁ、なぁ」
「佐々木はどうなんだ?」
「言ったら、『オタクきもいし!』といじられるだろうな」
口元にだけ笑みを作りながら佐藤は言う。
まことに残念なことに、佐々木はオタクに優しいギャルではないらしい。
「佐藤の周りに、オタクに優しいギャルはいないのか?」
「オタクによる」
「身も蓋もなさすぎる……」
「まぁ」少し言葉を切ってから、佐藤は言う。「そうだ。私が演技を始めたのは、高校からだ」
「……いきなりのそれで、その完成度の高さなのか?」
「そりゃ、どうも」
またつまらなさそうに、そっけなく返す佐藤。
「すごいな。どうして急にそんなことができるのか、僕には分からないよ」
褒め続けて、少し間を空ける。
佐藤の目を見る。
目を見て、その演技に関する言葉を待ってみる。
「……」
「……」
でも、何か言葉が返ってくることはなかった。
僕と佐藤の関係性的な意味でまだ、質問としては早すぎたのかもしれない。とりあえず、食い下がってみよう。
「演技のコツとか、ある?」
「ねぇよ。雰囲気でやってるだけだ」
「ふむ」では、質問の趣向を変えてみよう。「じゃあ、今からその演技ってできる?」
「やりたくない」
そう言われると思った。それなら。
「僕に、君が佐藤だと信じさせるという意味でも、やっておいた方がいいと思う」
「なんだよ、それ」
「ちょっとだけでいいから」
「……」
仕方ないな、としぶしぶ了承したらしい佐藤は、顔を両手で覆う。
佐藤は、鼻から長い息を吐いた。演技に意識を集中させているのかもしれない。
茶々を入れたくなる気持ちが少し沸いたけど、野暮なことだろうからやめておこう。プリキュアが変身するのを律儀に待つ怪物は、今のような「空気を読まなきゃいけないんだろうな」という雰囲気に呑まれていたのかもしれない。
そんな意味のないことを考えていると、佐藤の顔から手が離される。
「楠見くんって、結構強引なところがある……よね」
「おぉ……」
す、すごい。
本当だ。
あの『佐藤』だ。
責め立てる口調ながら、どこか優しい雰囲気を纏った表情と口調は、まさしく僕が毎日教室で見聞きしていた彼女だった。
「もう、いいかな?」
「……う、いや、ちょっと待って。まだギリ分かんないかも」
たじろぎつつも、サッサと終わらせようとする佐藤を手で止める僕。
大慌てでスマホのメモアプリに文字を打つ。
入力し終えた後、そのスマホを佐藤に差し出す。訝しがりながらも、佐藤はそのスマホを受け取る。
「この文章、上から読んでみて」
「こ、これ……!? どうして?」
「頼む」
僕の鬼気迫る表情に気圧されたのか、佐藤からスマホを突き返されずに済んだ。
コーヒーを飲みながら、佐藤の準備が整うのを待つ。
佐藤の表情が曇っていく。彼女は言葉を慎重に選ぶようにしながら、静かに口を開いた。
「ごめんなさい、私……楠見くんを異性として見ることはできない。あなたの気持ちに応えられなくて、本当にごめんなさい」
「ぐぐ……苦しい……」
人が良くて誰に対しても優しいクラスメイトから言われる、直接的な拒絶の言葉。
これほど苦しい言葉はない。グサリと刺さった言葉は、確かに本物だ。
「君は……佐藤廻だ」
「どういう識別の仕方なんだよ……」
当の佐藤が冷めた目でこちらに目を向けているし、なんなら口調も戻ってしまっているが、気にしない。
「じゃあ、次は今のとは逆の言葉を」
「言わねぇよ」
スマホを突き返される。
確かにこれ以上次のステップに進めてしまうと、よくない領域の扉を開けてしまいそうだ。このあたりで引き返しておこう。
すっかり機嫌を損ねた佐藤は、またスマホの海にダイブしてしまったようだった。先ほど言わせてた言葉とは別種だけど、やはり明白な拒絶の意志を感じて、少したじろぐ。
気を強く持たないと。
「……スマホで何見てるの?」
「炎上してる投稿とそのリプ欄を見てる」
「めっちゃくちゃ野次馬してる……」
渋い顔して、何やってんだよ。
「何か、見ちゃうんだよな。刺激というかさ。幸せになったことはねぇんだけど、気づいたら指が情報を求めてるというかさ」
「まぁ、ちょっと気になっちゃう気持ちは分かるけど」
「だろ。それに、このリプ欄で知らねぇ人とさ」
「うん?」
「レスバ……口喧嘩したら楽しいのかなって、考えたことはあるか?」
「ある訳ないよ」
「だと思った」
そういう意味で、お前とあたしは違うんだ。と呟く佐藤。
その寂しそうな表情と口調が、少し気にかかる。
「レスバ、やったことあるの?」
「いや、ねぇ」
「ないことはないんだ」
「戻れなくなる気がするんだ」
「なるほど……?」
かなり、ニュアンスで喋られているから、佐藤が言いたいことの全てを理解することが難しい。
佐藤が『レスバ』なるものをやってみたいという気持ちはあるらしいが……。
「どうして佐藤はレスバをしたいんだ?」
「そりゃ、誰かを言い負かして優越感に浸りたいんだ。他人を下に見て、気持ちよくなりたい」
「自尊心……」
それは。
「佐藤には、一番縁がないものだと思ってた」
「何?」
「だって、佐藤は既にクラスの皆の注目を集めてるじゃないか。それに、色んな人から告白もされてる。クラスメイトで佐藤が一番、ええと……自分に対して、肯定的な気持ちになれてるって、思ってた」
皆に頼りにされて。
皆から好かれて。
誰もが佐藤廻を知っていて。
そんな環境の中で卑屈になれる人なんているだろうか。
それこそ、レスバする必要がなんて、あるはずがない。
「俺TUEEE系のラノベ、読んだことあるだろ」
「え? うん」首を傾げながらも答える。「それが?」
「それ読んで、自己肯定感が上がるか?」
「自己肯定感、は別に……だって、自己じゃないし。気持ちよくは、なるけどさ」
「それと一緒だったんだ」佐藤は言う。「あたしも、お前と同じ考えだった。だから、演技をして、何回もやり直して、皆からの注目を浴びた。でも、全然満たされなかった。すぐに理由は分かった。あたしと、皆の知ってる佐藤廻は別人だったんだ。自分事じゃなかった。全部他人事で、皆に好かれている佐藤を後ろからじっと見ているあたしは、誰からも認められてなかった。誰からも知られてなかったんだ」
「……!」
佐藤の告白に、身震いする。
頭の中で、処理できずにずっと残っていた情報が、整理されていく。
他人。
自分と、あの『佐藤』は別人。
だから、どれだけ佐藤が評価されても、自尊心が満たされない。
ずっと苦しかった。
『私ヲ見ツケテ』欲しかった。文字通りの意味で。
でも、誰も見つけて、認めてくれなかった。
佐藤は……。
「だからずっと、学校を休みたいって思ってるのか?」
「な……」佐藤が固まる。スマホを机に置いて、口元を隠す。「何、言ってんだよ」
「それこそ、都市伝説に頼りたくなってしまうくらいに」
「……」
一つ、佐藤は大きなため息をつく。
「喋りすぎたな」
「時間を戻しちゃダメだ」
僕は佐藤の手を掴んだ。虚ろな瞳が、僕を見ることなく宙を彷徨っている。
どのように時間を巻き戻すのか、その方法さえ分からない。ただ、僕を置いて、過去に逃げて欲しくないと思った。
「それは、佐藤さんの本当の望みとは違うはずだ。君は誰かに素の自分を見てほしかった。誰でもよかったから、『匂わせ写真が欲しい』なんて理由をつけて、僕に近づいてきたんじゃないのか」
「なにを、意味わかんねぇことを」
「僕が今、佐藤の素を見てる。佐藤が演技をするのを辞めないのなら、ずっと佐藤に協力するつもりだ。だから、なかったことになんてしないで欲しい」
佐藤の瞳をまっすぐに見て、僕は言葉を紡ぐ。
全て本心だった。手を掴んだまま、佐藤からの返答を静かに待つ。
「お前、キモいよ」
「キ……」
でも、佐藤の虚ろな目の雰囲気が変わることはなかった。
「あたしもな、お前に言いたいことがある」
「な、なんだよ」
「誰かを助けたって、別に、お前は救われてねぇよ。誰かに受けた恩を、別の人に返した気になって、何の意味があんだよ。そんなお前自身の下心で、あたしに関わろうとしてくるなよな。気持ちわりぃ」
掴んでいた僕の手が払いのけられる。
顔が赤くなるのを感じる。両手を机につきながら、立ち上がる。
そっちこそ……!
「……そ、そっちこそ、打算で僕に近づいてきたんじゃないか。自分のことを棚に上げて、僕を批判するのは違うだろう」
「黙れ」佐藤の語気が荒くなる。「今は、お前の話だろ」
「そうじゃない! 同じ穴の狢なんじゃないかって言ってるんだ」
思ったより自分の口から大きな声が出る。
ハッとして周りを見渡す。厨房の入り口の近くにいる店員さんが迷惑そうにこちらを見ている。僕たちより先に入っていたカップル一組も下を向いている。
途端に恥ずかしくなって、しずしずと席につく。
「レスバって、こんな感じなのかな」
「……」
佐藤も佐藤で気まずさを感じているのか、言葉が返ってこない。
空気は最悪だった。今、佐藤に黙って店を出ていかれても、何も言えない。
でも……。
でも、このままだと、渡会との約束を裏切ることになってしまう。
それはダメだ。
何か、この状況を打開できる提案はないか。
「……あ」
「なんだよ」
佐藤の顔は上がらない。
一か八かだけど、言ってみよう。
「僕たちの関係ってさ」
「最悪だな」
「う……み、見方によってはそうかもしれない、けど」佐藤の指摘にもめげずに、言葉を重ねる。「でも、利害が一致していると思わないか?」
「利害?」
「僕は、佐藤に協力して、恩を返した気になれる。佐藤は、素で喋ることができるクラスメイトができる」
「……お前、本気で言ってんのか?」
言って、佐藤は呆れたような顔を浮かべる。
僕は努めて真剣な表情で、佐藤を見る。
まじかよ、と小さく呟いて、しかし佐藤は口に手を当てて考え始める。
10秒ほど経ったかもしれない。佐藤の顔が上がる。顔の下半分は手で覆われたままだったけど、それでも不敵な笑みを浮かべていることは分かった。
「試してみるか」
と、佐藤は言う。
「もし、失敗したら?」
「言っただろ」佐藤は笑う。「あたしは失敗しねぇんだ」
「はは……」
くれぐれも気を付けよう、と思う僕だった。




