十六話「転」
土曜日、僕と佐藤は駅前のコメダ珈琲に集まることになった。理由はもちろん、例の匂わせ写真を撮影するため。
店に入って周りを見渡して、二往復くらいで佐藤を見つける。僕はその対面に座る。
「フェミニンな服装は着ないんだね、あんまり」
「……何が言いたい」
「ああ、えっと」
クラスの皆に囲まれている時とは違う、佐藤のローな感じにまだ戸惑いながらも、僕は言葉を考える。
「普段の佐藤だったら、もっと女性らしい服装を着ているのかなって思ってた」
「そういうのも持ってる。佐々木達と出かけたりすることもあるからな。でも、趣味じゃねぇ。こっちの方が好きだな」
「なるほど」
そこ口ぶりからして、結構お洒落好きらしい。
今佐藤が着ているのは、メンズ用として店で売り出されていてもおかしくないトップスとボトムスだった。普段より整えられていないロング髪の乱れ具合がむしろ、今の雰囲気に妙に似合っている。
その差異に、素の佐藤を知らない人から見たら、佐藤だって分からないんじゃないか、とさえ思える。
「その変な容器に入ってるソレって……ミックスジュース?」
「いや、サマージュースだ」
「サマー……」
秋なのにサマーなんだ。横にはミニシロノワールが添えられている。
僕の分の冷たい水と豆菓子を持ってきてくれた店員さんに、注文を伝える。アイスコーヒーを頼む。
ややあって運ばれてきたコーヒーをあおろうとしたところ、佐藤に手で制されて手元撮影会が始まる。
……。
「ハンドモデルの気持ちがちょっと分かった気がする」
「言ってみろ」
「意外と、何も感じない」
「うるせえよ」
「……」
「……」
「ハンドモデルって、この世で一番楽な職業だよな」
「……そんなことない!」
ちょっと失礼な間を埋めるために、少し声大きめにツッコむ。
空いている右手でスマホを操作して、「ハンドモデル 1案件あたり どれくらい」と調べる。
「ほら、一回で5万くらいらしいよ。結構大変な職業なんだろう」
「マジかよ」スマホで写真を撮りながら、佐藤は言う。「じゃあ、レンタル彼氏を呼んだ方が安上がりじゃねぇか」
「どうして相場を知ってるんだ?」
「……佐々木が言ってたんだよ」
言いながら、舌打ちする佐藤。どうやら図星らしい。
一応、彼氏役のアウトソーシングを検討したことはあったようだ。
『彼氏がいる』という嘘を貫き通すために、嘘の彼氏をレンタルすること。
そんな時に僕の提案なのだから、佐藤にとってはやはり、渡りに船だったのだろうか。
「ん、終わったぞ」
佐藤がスマホをポケットの中に収める。撮影会は終わったようだ。ちびちびとアイスコーヒーを飲み始める。
僕は、服装に指摘がなかったことに、とりあえず胸をなでおろす。昨日一日中悩んだ甲斐があったわー。尊厳が保たれたわー。
会話がなくて、かなり気まずい。こういう微妙な距離感の人と共有する沈黙ほど、気まずいものはない。いくら秘密を共有した仲とは言え、お互いのことをよく知らなさすぎる。
気まずいままなのはもったいない。本当にもったいない。僕は今、あの佐藤とデートをしているのだ。
……本当にこれはデートか?
ただ、ボランティアのハンドモデルとしてタダ働きさせられているという見方もできてしまうだろうか……?
いや、余計なことは考えないようにしよう。デートを『男女がプライベートで会ったりすること』と定義すれば、これは間違いなくデートなのだ。うむ。
佐藤に協力している匂わせ写真撮影も順調にこなせているのだから、少しは色気を出してもバチは当たらないはずだ。
「ねえ、佐藤」
「なんだよ」
「僕たちはお互いのことをほとんど何も知らないよね」
「……まぁ、そうだな」
「だから、仲良くなるためには、お互いのことを理解する必要があると思う」
いつか渡会が言っていたことを重ねて言ってみる。
佐藤に言うのは、釈迦に説法感も否めないけど……仲良くなるために、まずは相互理解だ。
「別に、仲良くなる必要はないだろ」
「けんもほろろだ……」
「冗談だ。居心地が悪いのも嫌だしな」
分かりづらい冗談だった。
渡会と喋っている時みたいに、いつも身構えている訳じゃないから、真顔でサラッと冗談を言われても真に受けてしまう。
ともあれ。佐藤の同意をもらったので、まずは無難なところから攻めてみようか。
「雑談はおしまいだ」
「まだ何も喋ってないけど……!?」
「あ? そうなのか?」
急に惚ける佐藤。
すかさず反応した僕だったが、その反応に対する佐藤の感触が悪い。
まるで、本当に知らない風だ。
「今から」スマホの画面を一瞥しながら、佐藤は言う。「5分後に渡会が来る」
「え?」
渡会が?
この、コメダ珈琲に?
「なんで?」
「そんなもん、あたしが知るか。お前が誘ったんじゃないのか?」
「いやいや。そんなことしないよ」
「でも、お前がここにいることは知った風だったぞ」
「……」
何が起こっているんだ?
何故渡会は、僕、あるいは僕たちを訪ねてコメダ珈琲に来ているのか。現在進行形で。
「確かに先週、休日にコメダ珈琲に行く予定があるって話題に出したけど……」
「そらみろ」
「でも! 別に、来いって言ってない。話題に出しただけだ」
全く心当たりがないのに、変に手汗が滲んでくる。それをこっそりズボンで拭う。
「どうだかな」言って、佐藤は鼻を鳴らす。「まぁいい。とりあえずお前は、渡会を説得して早々に帰らせろ」
「佐藤はどうするんだ?」
「そりゃ、トイレに籠るくらいしかできないだろ」
果たして本当にそうだろうか。
色々協力してやれることはある気がする。例えば……。
「『佐藤』の演技をして誤魔化すっていうのは?」
とりあえず、思いつきを口にしてみる。
でもすぐに、佐藤は首を横に振ってしまう。
「ダメだ。その『佐藤』のイメージと、今の服装が合わなさすぎる。あたしと楠見が2人でコメダ珈琲にいるのも不自然だ」
「うーん……じゃあ、『佐藤』の双子の妹として振る舞うのは?」
「よくそんなポンポンと案が出てくるな。面白い、が……ただ、成功する確率は低いだろ。あたしは別に、カメレオン女優じゃない」
「別に、今の素のままでいいと思うけど」
「そうかもしれねぇけどよ」佐藤は言う。「でもまぁ、安心しろ。あたしは失敗しないんだ。楠見の説得でどうしてもダメだったら、また考えるさ」
そういえば、佐藤は時間が戻せるのだった。
うまく行くかどうか分からない場面での、その佐藤の能力は、当たり前だけどめちゃくちゃ強力だ。
「じゃあな。上手くやれよ」
言って、佐藤は席を立ち、お手洗いの方へ向かってしまった。
渡会が来るまでの間、この対面に置かれたサマージュースとミニシロノワールを誤魔化すための言い訳を考える。
果たして5分後、本当に渡会はコメダ珈琲にやって来た。
速やかに、僕の対面に座る。
「こんにちは楠見くん」
「どうして来たんだよ、渡会」
「ご挨拶ね。そういうあなたは……」机を眺めながら、渡会は言う。「『ちょっとお手洗いに行くね』と言われて、そのままトンズラこかれた直後かしら」
「そんなことねぇ……よ」
「少し疑ったわね。メロスなら、セリヌンティウスにぶたれてるわよ。セリヌンティウスでも、メロスにぶたれてるわよ」
言いながら、組んだ腕を机に乗せて、少し身を乗り出した格好になる渡会。
休日でも元気なやつだな、と半ば呆れる僕。
「でも、本当にどうしたんだよ、渡会」
「あ、ええと……その。緊急事態なの。だから、直接会って話したくて」
その緊急事態のことを思い出したのか、途端に静かになる渡会。
「それならLINE電話をくれればよかったのに」
「あ。確かに……そうね」
ハッとした表情を浮かべる渡会。
えぇ?
そんな、電話が思いつかないなんてこと、あるのか?
それほど気が動転していたのだろうか……あるいは、電話をした経験がほとんどないか。後者の可能性を考慮して、コメントは控えておこう。
僕はそう納得することにして、話を進める。
「それで、どうしたんだ?」
「A世界とB世界がほとんど変わらない世界って話は、覚えているわよね」
「うん」僕は頷く。「英語のスペルがちょっと違ったりとか、それくらいなんだよな」
「えぇ。A世界でクラスメイトの誰かが風邪で学校を休んでいたら、必ずB世界のその子も休んでる」
「うん」
その話を持ち出すということは……つまり。
「つまり昨日の金曜、A世界の誰かが休んでいたのか?」
こっちは、誰も休んでいなかったはずだ。
だから、差異があった。
そんなことは滅多に起こらないから、渡会は緊急事態だと感じている。
そういう経緯だろうか。
「えぇ、そうよ。佐藤さんが休んでいたの」
「……そ、そっか」
急に佐藤の名前を持ち出されて、言葉に窮する僕。
そんな反応の悪さに疑問を持つことはなく、渡会は眉間に皺を寄せたままだ。
そして。
「そして……休学してしまったの」
「休学?」
「そう」渡会は言った。「休学」
すごい眉間に皺を寄せている。
「すごい眉間に皺が寄ってるよ」
「今、全身の皺という皺を眉間の一点に集める活動をしているの。多分私、今眉間以外の皺ゼロよ。全部ツルツルよ。全ツルよ」
「全ツル」
「確認してみる?」
「……せ、せんわ」
「楠見くんにしては瞬発力のないツッコミね。もっと鍛練しなさい」
何故瞬発力がなかったのかに注目しないところに、仄かな渡会らしさを感じる。
「大丈夫か?」
「な訳ないわよ。クラスの中心人物がいるのといないのとでは、それは全く別のクラスと言ってもいいもの。楠見くんがいるのといないのとでは訳が違う」
「う、うん」
「訳が違いすぎるの」
「強調するな」
悪意はないのかもしれないと思って、一度見過ごしてあげたのに、コイツは本当に……。
とりあえず、冗談さえ飛ばせないくらい悪い精神状態という訳ではないらしい。
渡会が冗談を言わなくなったら、流石に戦慄してしまう。
「楠見くん」
「うん?」
「この世界の佐藤さんも、なんとか休学させられないかしら」
「渡会、それは――」
面白くない冗談だよ、と言おうとして、口を噤んだ。
渡会が冗談を言っているか、本音を漏らしているかを、僕はなんとなくで分かるようになったらしい。
渡会の目が座っている。
「……それが、渡会がここに来た理由?」
「そうよ。私が頼れるのは、貴方しかいないから」
「……」
「何でも叶えてくれるんでしょう? 都市伝説さん」
言って、渡会はサマージュースをストローで啜る。
人のものを勝手に飲むな。




