十三話「屋上」
佐藤と放課後で喋ってから、一週間が経った。
あれ以来、彼女と言葉を交わしていない。より誤解のないように記すと、交わせていない。
理由は二つある。まず、放課後に教室でラノベを読んで佐藤を待つ作戦が使えなくなってしまった。渡会に「今日も漫才の稽古やめとくよ」と言うと、あからさまにヘソを曲げられてしまう。プリプリさせてしまうのは気の毒なので、あの日以降は毎日空き教室に足を運んでいる。
そして、僕はどうやら佐藤に避けられてしまっている。待つ作戦が使えなくなったので、休憩中に佐藤と喋る機会を窺ってみる。でも、授業の合間の10分休憩中、佐藤は佐々木達と喋っていることが多くて、基本的にフリーな時間がない。
それに加えて、朝の時間や昼休憩中も中々捕まらない。一度、早めに登校して待ち伏せてみたのだけど、僕が待ち構えていたポイントに対して迂回するように、教室に向かわれてしまうこともあった。
どれだけ佐藤に会話を仕掛けても、躱されてしまう。
佐藤に躱されてしまって、佐藤と会話を交わせない。
「うまいこと言ったな、とでも言いたげなニマニマした顔ね」
図星を突いた声に反応して顔をあげると、一つ手前の机に腰を降ろした渡会が、不機嫌そうに肩を揺らしている。
「やあ」ひとまず、挨拶を済ませる僕。「今日はどっちの渡会?」
「昨日A世界にいた方の渡会よ」
「なるほど。……いや、その説明だと全然特定できてないな」
「貴方と二郎系ラーメンを食べていない方の渡会よ」
「なるほど」
なら、特定できる。
二郎系ラーメンは食べていないけど、漫才の稽古を断った方の渡会だ。
ふと、今の渡会とのやり取りの中で、「一目見ただけで、どちらかの渡会か当てられるようになったら、渡会は嬉しいのかな」とか、そんなことを思う。
……。
「どうしたの? そんなに私をじっと見て。何かついてる?」
「いや」僕は首を振る。「なんでも」
正直、全然違いが分からん。
まぁ、ToDoリストを管理しながら、意識的に同じことをしている双子のような存在なのだ。平行世界にいる自分という意味では、ある意味同一の存在だと言うから、ホクロの位置などの細かい身体的特徴で見分けることさえ難しい可能性も考えられる。
まぁ、そのあたりはおいおいクリアしていこう。
「ん……?」
ガラガラと、音がした方を向くと、誰かが扉を開けて教室から出ていく。
「佐藤……?」
だと思う。彼女がいつも座っている席を見ても、佐々木達はいるのに彼女はいない。
「ごめん、ちょっとお手洗い行ってくる」
「え? え、えぇ」
渡会に断りを入れてから、小走りで佐藤の後を追いかける。
「結構限界だったのね」という渡会の声が後ろから飛んでくるが、気にしない。
教室を出て、お手洗いのある右を見ると、佐藤がちょうど階段へ通じる曲がり角から消えたところだった。
「……ん? 曲がり角?」
突き当たりにあるお手洗いにも、別の教室にも用はないらしい。
小走りのまま角を曲がる。すると、タンタンと階段の上る足音が聞こえて、段々と小さくなっていく。佐藤の足音かもしれない。
気持ち自分の足音を抑えながら3階へ。
上級生のいる廊下に出て、佐藤を探す。
「……うーん」
佐藤を見失う。近くの教室に入ったのだろうか。佐藤のことだから、上級生と交流があってもおかしくはないか。
ともあれ、佐藤はこの階段を下りてくるはずだ。変に深追いする必要もないだろう。
戻ってきた時にどんな話題で佐藤を引き留めようか、と考えを巡らせていると。
「え?」
バタン、と。
上から、扉が閉まるような音が聞こえた。
最上階である3階から、より上へと続いている階段に目を向ける。
恐らく、屋上へ続く扉が閉まる音だろう。
佐藤はそこにいるのだろうか。
「……」
少し考えた後。
意を決して、更に階段を上ることにした。
踊り場に到着すると、急に周りが暗くなった感じがする。埃っぽさがあって、この場所に割り当てられた掃除当番はサボっていることが分かる。普段目につかない場所だから、見過ごされているのだろう。
折り返して、屋上の扉へ。ドアノブを捻って押す。あっさりとその扉は開かれる。
隙間から青空が見える。涼やかな風を感じる。どれも普段経験しているものなのに、何故か背徳的な気分にさせられる。
緊張していることを自覚しながら、屋上に出る。
「おい」
「え?」
屋上に出た瞬間に。
誰かに手を掴まれて、引っ張られる。
力が与えられた方によろめく。
「なに後をつけてんだ、お前」
顔を上げると、僕の手を引っ張った人の顔が至近距離にあった。
佐藤だった。
「……佐藤?」
佐藤が、知らない声色で、知らない表情をしていた。
あっけにとられて、目と鼻の先にいる佐藤を見上げたまま、立ち尽くす。
何も言葉を返せずに、「佐藤って僕より背が高いんだな」とか、そんな馬鹿みたいな感想しか思い浮かばない。
思考がショートしたままでいると、佐藤の顔が険しい表情のまま、みるみる赤くなっていく。
「お、お前……いい加減離れろよ」
この状態にしたのは他でもない彼女なはずだけど、それが不服だったらしい佐藤は手を放して僕から一歩ほど距離を取る。
「一週間、ずっとあたしと喋ろうとしてたよな。何度か待ち伏せされたしよ……」
ガシガシと、佐藤は右手で頭を掻く。頭を掻いたことで、丁寧に手入れされたストレートヘアーが乱れる。
その様子も、普段より大分猫背なところも、何もかもが普段の佐藤とは異なる。
佐藤は……。
佐藤は、演技をしていたのか。
ずっと。クラスメイトの前で。
性格を偽って。素を隠して。
完璧な優等生を、演じていたのか。
「どうして分かったんだ」
「……あ、ええと」佐藤に問われて、ようやく声が出せる。「一週間前、佐藤の字を見て」
「見て?」
「それが……えー……っと……」
「おい」
適当に誤魔化そうと考えを巡らせる僕に近づいて、佐藤に腕を掴まれる。
その勢いに気圧されて、一歩後ずさる。
「お前の立場、分かってるよな」
「た、立場?」
「お前は今、これからクラスで除け者にされるかどうかの瀬戸際にいるんだ」
「ひ……」
それは、これ以上ないほどの脅しだった。
観念して、僕はありのままを佐藤に伝える。
別館の踊り場で、紙を拾ったこと。そこに『私ヲ見ツケテ』と書かれていたこと。その筆跡が、佐藤が書いた板書と酷似していたこと。
「お前……あの紙を拾ったのか」
頷くと、へなへなと佐藤の足から力が抜けていく。
見事なヤンキー座りを見せた佐藤を見て、咄嗟に僕は目を逸らす。これ以上罪を重ねられない。
しばらく佐藤が動かなくなってしまったので、僕は空を眺めるしかない。生憎雲一つない快晴だったので、見る甲斐はそんなにない。
全然戻ってこない僕に、「楠見くんって、便秘なの?」と渡会に揶揄われてしまいそうだと嫌な気持ちになっていると、消え入りそうな声で佐藤が呟いた。
「言うな」
「え?」
「あたしが演技してること、みんなに喋んな。皆にバラしたら、ぶっ殺す」
「ぶ……」ぶっ殺って。「それは、嫌だな」
「じゃあやっぱり、全力でお前の教室での居心地を悪くしてやる」
「すごいものを担保にされている……」
教室の居心地か。
そんなの、高校生生活の大体じゃないか。
「あたし達にそっぽを向かれたら、学校全体からそっぽを向かれると思った方がいい」
誰に対しても効きそうな脅しだ。
カーストトップの集団に目の敵にされると、僕に喋りかけてくる人はほとんどいなくなってしまうだろう。あのような小さな集団の中では、危うきに近寄らないことは鉄則だ。君子でも、君子じゃなくても。
僕と喋ってくれる人なんて――渡会しか残らないだろう。
……。
まぁ……。
そう考えると、別にいい気もしてきたけど。
「分かったか」
「は、はい」
「ふん」佐藤は鼻を鳴らす。「じゃあな」
言って、佐藤は僕の横を通り過ぎて、扉の方へ向かっていく。ドアノブに手を掛けたのか、鉄が擦れた鈍い音がする。
このままでいいのだろうか?
そんな訳はなかった。
振り返って、佐藤に一歩歩み寄る。
「なにか、僕に手伝えることはない?」
「はぁ? 手伝うって、何をだよ」
ドアノブに手を掛けながら、佐藤は言う。
「あの紙に書かれたことって、願い事なんでしょ。『私ヲ見ツケテ』って」
「……チッ」
その舌打ちは、図星だと思いたい。
佐藤は私ヲ見ツケテ欲しかった。
その真意が何なのかが知らないままだ。
僕は畳みかける。
「真意は分からないけど……でも、誰かに知って欲しかったんじゃないか。今の佐藤を、素の君を、見つけて欲しかったんじゃないのか」
佐藤は何も答えない。
ただ、黙って僕を睨みつけるだけだ。
「どうして見つけて欲しいのかは……その、分からないけどさ……でも、僕は佐藤の願い事を叶える手助けをしたいんだ。佐藤の秘密を知ってる僕だからこそ、手伝えることもあると思う。もし、僕が使えないって思ったら……その、ええと。切ってもらっても構わない。それって、佐藤にとって、悪い条件じゃないと思う」
「……お前」
「一回僕に話してみないか? できることなら、何でもするから」
「どうしてそんなにお前は……!」
佐藤はまた僕に近づいて、腕を掴んでくる。
でも、今度は引かなかった。彼女と相対して、じっと佐藤を見据える。
突然、佐藤がハッとした表情を浮かべた。
「お前……」佐藤は言う。「お前が、都市伝説の正体なのか」
今度は僕が何も答えない番だった。
その沈黙で察したらしく、佐藤は大きなため息をつく。
「しょうもねぇ」
都市伝説の正体って大体、しょうもねぇのかもしれない。佐藤の言葉を受けて、そんなことを思う。
佐藤の顔は険しいままだ。でも、今までひしひしと感じていた敵意は消えている。
「あたしの演技がバレない理由を、教えてやる」
「え?」
え?
何、いきなり急に――、
「あたしはな、時間を巻き戻せるんだ」
「……はぁ!?」
今回はあっけにとられずにちゃんと驚くことができたなと。
自身の適応能力の高さにも少しだけ驚く僕だった。




