十二話「忘れ物」
佐藤が『私ヲ見ツケテ』という願い事を紙に書いて残した。
そんな可能性が、浮上している。
その紙を拾る前、僕は佐藤に話しかけられた。
『別館三階の踊り場に、名前と願い事を記した紙を閉じて置いておくとね』
『うん』
『その人の願い事が叶うんだって。知ってた?』
『うーん』
『じゃあ、こういう都市伝説的なものって、信じる?』
唐突に都市伝説の話題を出したのは、佐藤があの紙を書いて別館に置いた後だったからじゃないのか。
その直後だったから、その話題が自身の一番近いところにあった。その手元にあった話題を、仲のあまり良くないクラスメイトにとりあえず投げてみた。
そうは考えられないだろうか。
「……」
仮にそうだったとしても、何故彼女がそのようなことをしたのか、皆目見当もつかないけど。
例えば。
例えば、佐藤は実はミュージシャン志望だったら。
放課後、アコースティックギターを片手に駅前まで行って、弾き語りをしている。
全部オリジナル曲ということもあって、誰も目に留めてくれない。
そのもどかしさに、ミュージシャンとしての私を、誰かに発見して欲しいと。
そう考えているのではないだろうか。
……いや、これ、数か月前に読んだライトノベルにいたヒロインと全く同じだな。引っ張られすぎだ。
そんな情報に引っ張られてしまうくらい、僕は佐藤のことを知らなかった。
「ほら、授業始めるぞー」
思い悩んでいると、先生がやってきて、次の授業が始まる。粛々と授業は進んでいく。
佐藤は、真剣な表情で授業を受けている。
十分休憩が始まる。授業に関するそこそこに、誰と誰との関係は上手くいっているかだとか、いつもの人間関係に関する話題にシフトしていく。
「でも、佐々木さんは束縛されるのは嫌なんだよね?」
「流石メグ、ウチのことよくわかってるわー。ウチはね、正直七瀬先輩は――」
適宜、相手が聞いてほしそうなことを的確に質問している佐藤の様子を見て、やっぱりすげー聞き上手なんだなぁと思う。ただ相槌を打つタイミングが上手けりゃ聞き上手になれる訳ではないのだなぁと、そんなことを思う。
その後も、佐藤と二、三度ほど目が合ってしまうくらい観察していたが、何か特別な情報は何も得られなかった。
佐藤の、クラスの中での立ち回りが上手すぎる。
これが、今日一日中佐藤を観察して思ったことだった。
隙がない。隙がないことが不自然に感じてしまうくらい、隙がない。
「楠見くん。今日も行けるかしら」
後ろから声を掛けられる。佐藤が鞄を右肩に下げている。
渡会から、漫才の稽古のお誘いだった。
少しだけ悩んでから、僕は首を下げる。
「ごめん、今日はやめておくよ」
「そう」残念そうなのかどうでもよさそうなのか、どちらか分かりづらい声色で渡会は言う。「ないがしろにされたものね」
「え? あ、ご、ごめん」
「冗談よ」その表情のまま、佐藤は言う。「久しぶりに、別館を覗いてみたくなったの?」
「あ、うん」
どんな冗談だ。ドキッとするじゃないか。
「まぁ、そんなところ」
「気をつけなさい。私、楠見くんが別のコンビを組むのは許してないから」
「そんな引っ張りだこなことってあるのか」
漫才好きキャラでやらしてもらってないんだけど。
「あと、楠見くん」
「何?」
「話をした後、ずっと何か思いつめた様子だったけど……あまり、考えすぎない方がいいわ。ただのいたずらよ」
「うん」僕は頷く。「わかった」
「じゃあね」と言って、渡会は教室から出て行ってしまった。放課後の、久しぶりの一人の時間だった。
渡会と会ってから読めていなかったライトノベルでも読み進めようか。あるいは、渡会が言った通り、別館の踊り場を覗いてみるか。
前者を選ぶ。鞄の中から取り出して、しばらく本の世界に没頭する。
……。
…………。
「楠見くん?」
そうして、緩やかな放課後を謳歌していると。
いつかのように、佐藤が現れた。
「今日もなるかみ?」
この前に佐藤と話をした日の流れを踏襲してみたのだけど、本当にやって来るとは。
鴨葱とまではいかないけど、鴨がやってきたと言える。
「う、うん」緊張を隠しながら、僕は頷く。「近頃、あまりラノベを読めてなかったから」
「そうなんだ。最近、渡会さんと一緒が多いもんね」
「え……知ってるの?」
「うん。今日の休憩中も、二人で喋ってたでしょう? 楠見くんに喋りかけてる元気な渡会さんも、私見てるし」
「あ、そっか」
「あの時はびっくりしたな。えっと……真面目一辺倒だと思ってたのに、意外と愉快な子なんだよね」
「そうだな」
佐藤の言葉を聞いて、説明しづらい人の性格を説明するときの「真面目」って、便利な言葉だなと感じる。
ともあれ。
言われてみれば、僕と渡会が喋っている場面を目撃されたのは、佐藤が初めてだったか。
意外とどころか、愉快すぎる人だけど。
「今日、私とよく目が合ったね」
「そうだね」僕は頷く。「ちょっと気まずかったね」
なんとか平静を装いつつ、とぼけてみる。
いきなりか。でも。
佐藤から、その話題を持ち出されることは当然予想している。
なるべくはぐらかす方向で応対したい。
「何か私に言いたいこと、あった?」
臆さず怯まず、佐藤は僕に追撃をかけてくる。その真っすぐな眼差しに、僕は一瞬たじろぐ。
「佐藤の髪に、スーモくらいの埃が付いていたんだ」
追求された時の言い訳は、念のため考えてあった。あったけど、これはいわゆる万が一の備えというもので、それ以上のことは何も準備していない。
「何回も?」
「うん」僕は二度頷く。「何回も」
「ふーーん、そうなんだ」
言葉では納得したそぶりを示しているが、渡会はじっと僕を見つめたままだ。「全然信じてないけど?」と訴えてくる目。
気まずい。めっちゃ気まずい。目があったときと比べて、遥かに気まずい。
そんな疑いに満ちた目でずっと見られて、手汗が滲んでくる。視線を逸らして、返す言葉を探していると。
「今はスーモ、いないみたいだね」
髪を撫でるように触りながら、佐藤は言う。
「そりゃ、いつも付いてる訳じゃない。不動産を人に紹介している時もある」
「不動産……? あ、スーモだからか」
「うん。因みに、不動産の方が圧倒的に馴染みがあるけど、自動車とか金塊のような財産は、動産って言うらしい」
「……」
「……」
佐藤による無言の追撃が、長くて苦しい。
苦しいけど、「『私ヲ見ツケテ』って紙を書いた人って、佐藤?」なんてそんな爆弾を投下したくはない。
頭の中で言い訳を探し回る。
「ま、漫才! ……を、しようとしててさ。僕と、渡会で」
「……え! そうなんだ。びっくり」
開けた口を、手で塞ぐようにする渡会。
「トリオの漫才もやってみたいなって。そこで、佐藤に白羽の矢が立ったんだ」
「えー? うーん……、お断りします」
「夢が潰えた……」
悔しがるようにこぶしを握り締める姿を見せる。
冗談めかして言ったが、内心ほっとする。アドリブにしては、なかなかそれっぽい言い訳ができたんじゃないか?
これで疑念を払拭できそうだ。
「でも、これからはちゃんと言葉で伝えてね。あんなにジロジロ見てたら、佐々木さんに目を付けられちゃう」
「す、すみません。……一応聞きたいんだけど、佐々木に目をつけられたらどうなるんだ?」
「うーん……」少し間を置いてから、佐藤は言う。「翌日、学校の全生徒から呼ばれる楠見くんのニックネームが『視姦野郎』になってるかな」
「もう二度と観ません……」
渡会から鬼ほど弄られるのが目に見えている。
とんでもなく大きい釘を刺されてしまった。ここは素直に頷いておこう。
「よろしい」と満足げな佐藤は、自身の席まで歩いて机の中を覗いている。
忘れ物をしたらしい。ややあって、「よかったー」とつぶやきながら、机の中から取り出した紙を丁寧にクリアファイルに入れる。
「何か忘れてた?」
「うん」佐藤は頷く。「給食で食べきれなかったコッペパン」
「なつかし……」
机の中からカビたパンが出てきて、女子全員からドン引かれていた小学生のクラスメイト、いたよなぁ。
その机から何でも取り出してくるから、周りから『ドラえもん』と呼ばれていた。
あいつはまだ、机の中にあらゆる紙をねじ込んでいるのだろうか。
「うそうそ。明日提出予定の宿題! 持って帰るの忘れちゃってて」
「あぁ、英語の」
僕は頷く。
そのために、佐藤は戻って来たのか。
「うんうん。家に帰った後で気づいちゃって。学校、家から近いから取りに来たんだ」
「そんなにカジュアルに家に戻れるんだ」
その近さを羨ましく思っていると。
前回と前々回、ここで雑談することになった経緯も、大体察しがついてくる。
「案外、佐藤さんって忘れっぽい?」
「……あ、うん! あはは」
バツが悪そうに苦笑を浮かべる佐藤。
つまり、前回も前々回も、忘れ物をして戻ってきていたらしい。
かなりのハイペースだ。家から学校が近いというその安心感が、そうさせているのだろうか。
「実は、ちょっとだけ。皆には秘密ね?」
「わかった」
「じゃあね。楠見くん」
「う、うん」
言って、佐藤は鞄を肩に下げて、教室から出ていこうとしてしまう。
今回も、佐藤と仲良く話せて自分を褒めたい……ところなのだけど。
全然よくない。
せっかくの、佐藤と二人での会話なのだ。これは、佐藤に関する情報を得られるチャンスだ。仲良くなれる機会だ。こんなのほほんとした軽い雑談で終わっていい訳がない。
何か……話題にできることはないだろうか。最近読んだラノベとか、そんな他愛のなさすぎるものでもなく、もっと佐藤の内面に迫れそうな、何か。
手元には無難な話題がない。ないから、少し踏み込んだ質問をしてみよう。
「別館3階の踊り場」
「?」
「……で、願いを書いた紙を置くと、願いが叶う……って言ってたの、佐藤だったよね」
「うん、そうだよ?」
「佐藤だったら……何て書く?」
「そうだなぁ……」考えて、渡会は言う。「私を見つけて欲しい」
「………………え?」
なんとか、言葉を絞り出す。
それって……いや、待て。
今の、少し不自然に思える長い間は。
佐藤に不審がられていないだろうか。
「なんちゃって」
「なんちゃって、って」
「272ページ。この子も新キャラだね」
言って、佐藤は僕が手に持っているライトノベルを指さす。
ハッとして、ページをパラパラとめくると、確かにそのページに、その台詞が載ってある。
「またネタバレする――」
なよ、と顔を上げると、佐藤は既に教室から姿を消していた。
自分の影が暗く長く伸びているなと、空っぽの教室の中で、そんなことを思った。




