十一話「ご挨拶」
放課後の記憶の一部が欠けている。
渡会と二郎系ラーメンを食べに行ったことは覚えている。「にんにく入れますか!!!???!?」という店員さんの質問に対して「お願いします」としっかり返せたことも。ただ、店を出てからの記憶が全くない。
何かショックな出来事でもあったのだろうか……。
幸い、記憶を共有しているはずの友達が同じ教室にいる。
今は1時限目が終わった後の10分休憩。
そばに行って聞いてみよう。
「やあ、渡会」
席を立ち、つまらなさそうに髪をいじっている渡会の席まで歩く。
好反応を期待していたのだけど、ぶすっとした表情は崩れない。
「近寄らないで」
「……ご挨拶だな」
まさか、アニメやドラマでしか聞かない台詞を口にすることになるとは。
朝、席に座っているのを見かけてから、なんとなく今日の機嫌が悪いことは察していたけれど……。
その不機嫌さを取り繕う気は全然ないらしい。
「楠見くん、にんにく臭いわ」
「……それは、自分がにんにく臭いから近寄らないで欲しいという本音を誤魔化した建前か?」
「私は大丈夫」素っ気なく渡会は言う。「私は帰った後、口から胃を出して丸洗いしたから」
「ラクダかよ」
絵面がヤバすぎる。
百年の恋も冷めてしまいそうだ。
「どうして話しかけにくるのよ。私たちは秘密の関係でしょ」
「大変健全な関係性だと思うけど」
「周りから見られたら、どう思われるか分からないわ」
確かに、渡会が誰かと喋っている様子は、他のクラスメイトの目からは珍しく映るだろう。
あの佐藤にも、「渡会さんが喋った……」などと、今考えてみれば結構失礼なことを言われていたし。
周りを見渡す。こちらに視線を送っているクラスメイトが数名いる。
ただ、無闇に干渉してくる人はいない。知らんふりを決めて、様子を窺っているようだ。
「『渡会さん、楠見に詰められてて可哀想……』とでも言いたげな哀れむ視線を向けられているわね」
「僕、そんな悪いキャラでやってないわ」
「でも正直、本当に喋りかけて欲しくない。小粋に楽しく喋れることが知れ渡ると、周りの目が変わってしまう。私にとっては悪い意味で。もう一つの平行世界との差が生まれてしまう」
滔々と説明する渡会。
その一方で、『平行世界』という言葉が飛び出して、聞き耳を立てていたらしいクラスメイトの興味が一気に薄れていくのを感じる。
いきなりそんなSFっぽいことを真面目な顔して語っている人がいたら、関わりたさが一気に小さくなる気持ちも分かる。
「……」
渡会もその雰囲気を感じ取っているようで、少しバツが悪そうな顔をしていた。
とりあえず、これで「渡会は喋りにくい奴だ」というクラスメイトの人物評は、改めて揺るぎないものになっただろう。渡会にとっては幸い、A世界と同じように。
「要件は何かしら」
「切り替えが早い……」
なんて変わり身の早さだ。
まぁ、気兼ねなく喋れるようになったことはいいことだ。
「昨日、ラーメン屋に行ったでしょ」
「……そうね」
渡会の相槌の遅さに違和感を覚える。
そして、また昨日と同じミスをしてしまったことに気づく。
「……あ。ごめん、そうだった」
昨日と同じで。
今僕と喋っている渡会は、昨日別の世界にいた渡会なのだ。詠唱の台詞を雑に教えてくれた渡会じゃない。
ちゃんとその場で反省したはずなのに。
「気にしないわ。100回間違えるのが、当然だと思うから。そこはお互い恨みっこなしでいきましょう」
「う、うん」
今の言葉に、「自分の異能のせいで上手くコミュニケーションできなくても怒らないでよね?」という意味合いも込められている……気がする。
そういう意味での恨みっこなしなのだろうか。
しかし、今回は渡会の優しさに甘えよう。
「全っ然気にしないから」
「あ、結構……」
気にしていそうだ。
以後重々気をつけよう。
「それで?」
「ええと」ともあれ、少し質問の仕方を変えよう。「昨日、君とラーメン屋に行ったんだ。食べて店を出たところまでは覚えてるんだけど、それ以降の記憶がなくて」
「そうなの」
「一体何があったか、昨日の渡会が残したメモとかに書いていないか……?」
「あぁー……まぁ、どうだった、かしら?」渡会は、一際厳しそうな表情を浮かべる。「書いていたような、書いていなかったような……」
「めちゃめちゃ書いていそうだし、すごく言いづらそうだ……」
「楠見くんの名誉のために、これは墓場まで持っていくわ」
「う……。わ、わかった。知らない方がいいこともあるもんね」
「楠見くんのゲロを」
「あぁぁぁ……」
放課後に、友達にリバースしている様子を見られてドン引かれている人、だ~れだ?
……。
僕だった。
「……渡会は何ともなかったのか?」
「私のことはメモに残されていなかったし、全然なんともなかったみたいね」
「すごいな」
「置き土産として、鼻先に大きなニキビをこさえられているけど」
「しっかりとダメージを食らっている……」
身体に悪い食べ物って、ちゃんと身体に悪いんだな。
渡会の鼻先にできているニキビを確認して、実感する。
だから、今日の機嫌が悪かったのかなと、勝手に腑に落ちる。
「ん……? 渡会、それは何?」
机の隅に、小さく雑に四つ折りされた紙が放置されているのを見つける。
まるで……そう、まるで別館踊り場に置かれてある、願い事が書かれた紙のようだ。
「ああ、これね。これ、前の席から回ってきたのよ」
「前の席から? この紙が?」
「そう」渡会は頷く。「後ろの山本くんに回してって言われたわ」
「ああ」
先生に隠れながら、離れた席の友達に手紙を回してスリルを楽しむやつな。
高校に進学してからは、その遊びの片棒を担がされることはなくなったけど。
まだ生きていたらしい。
山本くんは、渡会の3つ後ろの席だったはずだ……だけど。
「なんでここにあるんだよ」
「なんでって、渡していないからよ」
「早く渡してあげなよ」
「期日は伝えられていないから」
「回し手紙は普通、授業を跨がないと思うけど……」
なんなら、授業の間に2、3ラリーくらいあってもいいくらいである。
そのやり取りを、渡会は断ってしまったしまったらしい。
「私、嫌いなのよね。どうして無関係の私が、何かこれといったリターンもないのにリスクを冒さなくちゃならないのよ。それで渡せなかったら、ノリ悪りぃなとかなんとか言って、私を非難するんでしょう。……もはや、爆弾ね。この紙は爆弾」
「かなりの熱量で怒ってた……」
渡会の中では、ファイブボンバー的なノリだと感じているらしい。
「放置すると爆発する爆弾を渡されて、怒らない方がどうかしてるわ」
渡会的には、色々と思うところがあるらしい。
確かに、しょうもない内輪ノリに強制的に参加させられて、モヤっとすることはあるよな。
「しょうもないことしか書いていなかったし、こんなの、山本くんにとっても渡さない方が得よ」
「そっか……って、おいおい」聞き捨てならない言葉に、僕は突っ込む。「中身、見たのかよ」
「へぇ」待ってましたとばかりに、渡会の口角が上がる。「楠見くんがそんなこと言うんだ」
「ぐ……」僕はうろたえる、「ト、トラップだ」
渡会は、別館の踊り場で、僕が願い事が書かれた紙を拾っていることを弄っているのだろう。
よくそんな自然な流れで罠を仕掛けられたものだ。顔が熱くなっているのを感じながらも、僕は感心する。
「私、ずっと気になっていたんだけど」
「? 何?」
「私が初めて貴方に声をかけたとき。鬼気迫る表情をしていたけれど、あれはどうして?」
「……あぁ」僕は頷く。「渡会が書いた紙を拾う前に、別の紙を拾ってて。そこに書かれた願い事の文面が、結構怖くて」
「何て書いていたの?」
「『私を見つけて』」
渡会の顔が少し引き攣る。
それから、拳を口に当てて、考え込むような表情を見せる。
「それは……。確かに、怖いわね」
「悪いことをしている自覚があったから、なおさらな。誰かに監視されてるんじゃないかと思って、ちょっと怖かった」
「ホラー展開を予想させる、いい導入じゃない」
「うん」僕は頷く。「誰かに肩を叩かれるところまでは、いい感じだったんだけど」
なのに、急にギャグパートが始まった訳だが……。
あの時の場の雰囲気の変わり具合、今思えばすごかったな。風邪を引くか、あるいは整ってしまいそうな温度の差だ。
「あの願い事は何だと思っているの?」
「いたずらかな、としか今は思っていないかな」
「いたずら、ね……確かに、そんな気もするけど。文章がシンプルすぎて、願い事と言われても意味合いが曖昧で分かりづらいわね」
「そうだな」
私を見つけて欲しい、と言われても。
それ以上のことが何も書かれれていないから、誰を見つけて欲しいのか、まるで手がかりがないのだ。
「私の願い事くらい、具体的に書きなさいよね」
「あそこまで具体的なのは珍しいけどな」
『楠見くん 私と漫才のコンビを組みなさい 渡会涼香』だっけ。
あまりにも具体的がすぎる。
「差出人の名前が『ウォーリー』だったら、直ぐにいたずらだって分かるのだけど」
「そうだね」
「もし、いたずらじゃなかったとしたら。どんな、切実な願いなのかしら」
「切実?」
問いかけた瞬間、チャイムが鳴ってしまう。
切実?
「じゃあね」
シッシッと追い払うようなジェスチャーをする渡会に不服を申し立てたくなったが、先生がやってきたので渋々自席に戻る。
少しモヤモヤする。いたずらじゃなかったとしたら、どんな願いなのだろう。
制服のポケットの中をまさぐって、目的の紙を見つける。その紙には、『私ヲ見ツケテ』と書かれてある。
しばらく見つめてみるけど、何も思い浮かばなかったので、その紙をポケットに戻す。
授業が始まって、黒板の文字を追いかけるうちに、そんなモヤモヤとした気持ちは消えていった。
授業が終わって、黒板に書かれたチョークの文字を消しに行く。
この板書はかなりの力作だったので、気持ちちょっと消しづらい。
かなりの文字数を必要とする、数学の証明問題だった。僕を含めたクラスメイトは、先生に当てられたくなかったので視線を逸らすばかりだったけど、遂に当てられた生徒は、涼しい顔で黒板の前に立って、スラスラと証明を行って格の違いを見せつけていた。
「え……?」
その文字を眺めていると、唐突にピンと来た。
咄嗟にポケットからあの紙を出して、黒板に手で貼り付けながら、それらを見比べる。
「佐藤……?」
呟いた声が、クラスメイト達の笑い声にかき消される。




