十話「一つ目」
「やっぱり二郎系、美味しいわね……。身体に悪そうな食べ物ほど美味しいって、かなり心理を突いた言葉よね」
「……ん?」
「ほら、楠見くん、早くスープでも麺でも何でも啜りなさい。このラーメンを前にして、よく仏頂面でいられるわね」
「おい、渡会」
「ラーメンは逃げないよとでも言いたげな目をしているけど、ラーメンが一番美味しいと感じられるゴールデンタイムリミットは、みるみる近づいているのよ。ああほらもう、さっさと――」
「まだ全然食べてないよ!」
やはり、渾身のツッコミを渡会に披露する。
少し前を置いてから、渡会は口を開いた。
「いいわね」
僕のツッコミが、また渡会のお眼鏡に叶ったらしい。
ご満悦そうにうんうんと頷いている渡会に、少しゲンナリする。
ここは変らずラーメン屋の前。初めての渡会とのラーメン屋で、一発目に二郎系をかまされるというハプニングな出来事に思わず立ち尽くしてしまってから数秒後。
「渡会」
「何かしら」
「心の準備ができていない」
「あら、臆病ね。二郎インスパイア系に心の準備は不要。必要なのは食べきる覚悟だけ」
二郎系ラーメンは、言わずと知れた、いわゆるデカ盛り系のラーメンだ。
渡会曰く、とんでもなく量が多くて、とんでもなく美味しいとのことだったから、気になってはいたのだけど。
なんとなく、怖いイメージがある。
店員さんの元気の良さとか。お客さんの、今から狩りにでも出かけるのかとツッコみたくなるほどの殺伐とした雰囲気とか。
それこそ、盛りに盛られたラーメンを食べきれなかったら、店員さんに凄い剣幕で怒られてしまいそうだし。
噂によると、ラーメンが着丼する際に、トッピングを呪文のように店員さんへ唱える儀式が発生するという。
もし、その詠唱に失敗してしまうと、恐らく……。
殺されてしまう。
「殺されないわよ……失礼ね」ジト目で渡会は僕を睨みつける。「そこまで怖がる必要はないわ。麺の量は、ある程度選べるから。小食の人でも、美味しくいただけるから心配しないで」
「本当か……?」
「それに、詠唱は……ええと、楠見くん、にんにくは好き?」
「結構好きだけど……」
「じゃあ、『ニンニクありで』とだけいいなさい」
「わ、わかった」
「いいわね。じゃあ、まずは食券を買ってから並びましょう」
確かに渡会の言う通り、店の前には5、6人ほどの列ができている。
その列に並ぶ前に、食券を購入しましょうと渡会は言っているが。
「並んでから食券じゃないのか? 順番を飛ばしたら、殺されないか?」
「だから、殺されないって。楠見くん、二郎系ラーメンを何だと思っているのよ。そこまで殺伐としていないわよ」
言って、渡会はスタスタと店の中へ入っていってしまった。
並んでいる人をチラと窺う。その中に食券の代わりなのか、色のついたプレートを手に握っている人がいた。これを購入してから並ぶという話は、どうやら本当らしい。
僕も意を決して、中に入る。
「うお……」
そこは、醤油と肉の濃い匂いで充満していた。
食券を購入する機械の前で腕組みをする渡会を横目に、周りを見る。コの字のカウンター席では、皆が一心不乱に麺を啜っている。カウンターの中の厨房では、タオルを頭に巻いたお兄さんたちが、忙しなく動いている。
完食したらしい一人が、丼ぶりを厨房側に置いて席を立つ。
「ごちそうさまでした!!!!!」
「ありがとうござっしたー!!!!!」「「お元気でー!!!!!!」」
すごい……大変元気な会話をした後に、先ほどすれ違ったおじさんと同程度のにんにく臭を放つお兄さんが、颯爽とお店を出て行く。
「いらっしゃぁせぇー! まずは食券のご購入からどうぞぉ!」
出て行ったお客さんを見送るついでに、僕たちを視認した店員さんが、満面の笑顔で僕に挨拶をくれる。
その勢いに圧倒されて言葉が出てこない。渡会はしれっと会釈を交わして対応している。おい、僕を置いていくな。
ついに、僕はその店員さんに挨拶を返せないまま、視線を切られてしまった。ファーストコンタクトに失敗してしまった……。
殺されない? と僕は渡会に目配せすると。
殺されない。と、流石にウンザリしたような様子で僕を一瞥する。
こだまでしょうか……。
僕の番がやってきて、なんとか「小ラーメン」の食券を購入する。
既に店を出ていた渡会の後を追うように、僕は店を飛び出した。
最後尾には、食券代わりの青いプレートを手で遊ばせている渡会がいる。
「どうしてゲッソリしているのよ……。二郎系ラーメン屋から出てきて、瘦せこけたように見える人を初めて見たわよ」
「それくらい頑張ったんだよ」
「まだ何も頑張ってないじゃない」
「頑張ったんだし、今日はもう帰ってもいいよな」
「1000円払ってプレートもらって何が嬉しいのよ……」
「ねぇ、渡会。急いては事を仕損じるという言葉があるだろ。焦りは禁物なんだ。今日はこれくらいにしといてやった方がいい。にんにくおじさんのそばを通って「うわ、すっげぇにんにく……」とドン引きするどころか、店まで入って食券まで買えたんだ。十分じゃないか」
「誰よ、そのにんにくおじさんって」
もう、調子狂うわね。と渡会。
普段ボケ倒している渡会が、立場が逆転して困惑しているようだ。
調子を戻そう。
「渡会こそ、二郎系ラーメンに行った最初は緊張しなかったのか?」
「共感でもしてあげたら、楠見くんも気が楽になるのだろうけど……。私、あまり緊張しないのよ」
「肝が据わっているんだ。どうして?」
「説明が難しいわね……A世界とB世界がほとんど変わらないから、かしら。楠見くんを除いて、それぞれ同じ人が別の世界にいる。けど、違った人生を過ごしている人は、今まで見たことがない。だから高校受験に緊張しようが、席替えのくじ引きで緊張しようが、関係ないと思ったの」
なんとなく渡会の言いたいことが分かったような気がする。
緊張しようが、不幸な出来事を恐れようが、結果は変らない。だから、緊張して苦しくなることは等しく無駄だと。
渡会は、その異能で日々実感しているらしい。
「だから、そういう訳で、初めにここに来た時も、緊張しなかった。何なら、燃えてさえいたわ。ただ……」
「ただ?」
「戦いを終えて、店を出た時。スタバの飲料を片手に持った妹が、友人を引き連れて私のそばを通ったの」
「妹」
確か、妹がいると渡会は言っていたな。
「『くっさ』って。私は、押し黙りながら、ニヤニヤすることしかできなかったわ」
「……」
な、情けない……。
お姉ちゃんが情けなさすぎて涙が出てくる……。
渡会の自分語りを引き出そうとした結果、大きめの地雷を踏みぬいてしまっていたようだ。
可哀想に。
僕も、店から出てきた人をにんにくおじさんなどと弄ってしまっているから、強くはその妹さんのことを批判できないのももどかしい。
しかし。
その妹に関する話を、広げてもいいものか。以前、渡会と喋ったときは、あまり語りたくなさそうではあった。
少し考えて、やめることにした。僕と渡会の距離感的に、まだほんの少しだけ早い気がする。
気まずくなってしまった空気を変えるために奮闘すること30分。店員さんに呼び出されて、カウンターの席に渡会と隣り合わせで座る。
食券を厨房側に置いて、ラーメンが運ばれてくるまで待つ。
「……」
渡会はスマホを開かずに、厨房で店員さんがせかせかとラーメンを作り上げている様子を観察している。
僕はその様子を観察する。
じっと見ていると、初めて、渡会が端正な顔立ちを持っていることを意識する。
「……」
女子と一緒にご飯を食べに行くなんて、初めての経験だよな……なんか緊張してきた……。
そんな初めての男女2人での放課後に、二郎系ラーメンはいかがなものかという考えに至りそうになったが、すんでのところで踏みとどまる。セーフ。
「はい、では一番右側の男の方ー。にんにく入れますか!?」
「!? に、ニンニクありで……」
「はい、わかりましたー」
なんとか詠唱することに成功する。こんなに突然やって来るんだ。
ややあって、ラーメンを載せた丼ぶりが目の前に置かれる。それを自分の手元のテーブルまで恐る恐る置く。
ずるずる。
渡会とほぼ同時に食べ終わり、店を出る僕たち。
店を出てから、店の臭い、いつしか気にならなくなっていたな……。
「どうだった?」
「正直……めちゃくちゃ美味しかった」
でも、しばらくはいいかな、とそんなことを思う。
「じゃあ、もう一回行くわよ」
「……は?」
耳を疑う僕。
また、あのメモを僕に見せる渡会。
渡会は。
一つ目の『二郎系ラーメンを食べる』という項目に、横線を入れたのだった。




