第8話 大義名分
アルクハイン公国との小競り合いは、百年以上は続く慢性的な問題だった。
皇国南西部の広大な平地を巡る領有権争いで、両国は定期的に小競り合いを繰り返してきた。
しかしいずれも本格的な戦争には至らず、和平と緊張を繰り返す膠着状態が続いていた。
公国の規模は小さいが、東隣のモンデブーレ王国と同盟関係にあり、皇国も慎重にならざるを得なかった。
賢が目をつけたのは、そこだった。
「公国を攻める理由が必要です」
グスタフとオットーを執務室に呼び、賢は地図を広げて言った。
「軍の準備は整いつつあります。しかし我々から先に攻めれば、周辺国が皇国を侵略者と見なすでしょう。王国が介入する口実を与えることにもなります」
「では、どうする」
オットーが慎重な目を向けた。
「公国に先に動かせます」
沈黙が落ちた。
「具体的には」
とグスタフが言った。
「公国の内部に、皇国に対して強硬な意見を持つ派閥があります」
賢は地図上の公国領を指した。
「アルクハイン公の重臣の一人、ヴォルフガング・フォン・ブルクハルトという人物です。長年の対皇国強硬派で、武力による国境問題の解決を主張している。この人物に、こちらから秘密裏に接触します」
「接触、とは」
「皇国の内部情報を少しだけ漏らします」
賢は静かに言った。
「皇国が急速に近代化していること、軍が増強されていることは、公国も察知し始めているはずです。ブルクハルトのような強硬派にとって、このまま時間が経てば経つほど皇国との力の差が広がっていく。焦りがある」
「焦りを煽る、か」
グスタフが低く言った。
「そうです。今なら勝てると思わせる。方法は単純です。皇国の軍備がまだ整っていないように見せかけた偽の情報を、ブルクハルトの耳に入る形で流す。合わせて、公国内の反皇国派の動きを少しだけ支援する。資金と情報を渡す形で」
オットーが腕を組んだ。
「……それでブルクハルトが動いたとして、何をすると思っている」
「妨害工作です。皇国の工業化を遅らせるために、工場の破壊か主要人物の暗殺を試みるはずです。もしくは、首都に潜伏している諜報員を使って召喚された英雄たちへの攻撃を仕掛けてくるかもしれない」
「英雄たちを囮にするということか」
グスタフの目が鋭くなった。
「囮ではありません。警護を十分につけます。攻撃が来ることを事前に把握した上で、証拠を確保する。
工作が皇国内で発覚した時点で、公国の行為として公式に抗議し、謝罪と賠償を要求します。公国が応じなければ、それが開戦の理由になります。」
执務室に沈黙が落ちた。
グスタフが静かに言った。
「……汚い手だな」
「戦争を始める口実は、いつも汚いものです」
賢は答えた。
「しかしこれで、我々が侵略者と呼ばれる可能性を消せる。周辺国に対しても、正当防衛として説明できる」
グスタフはしばらく地図を見ていた。
歴戦の将軍が、内心で何かを整理しているようだった。
「……分かった。諜報の実働はどうする」
「皇国内に、それに適した人材を探しています。工作員の育成は私が設計します。実際の工作はその者たちに任せる」
「工作員か」
オットーが呟いた。
「それも賢、お前が考えたのか」
「はい」
「17にして、諜報機関を作ろうとしているわけか」
「必要だから、作ります」
オットーはため息をついた。
しかしそれ以上は何も言わなかった。
それから一ヶ月後、賢の仕掛けは動き始めた。
ブルクハルトへの情報漏洩は、複数の経路を使って慎重に行われた。
直接接触はせず、商人と情報屋を何層も挟んで、皇国の軍備が表に見えているより遅れているという嘘の情報を流した。
二週間後、公国側の動きが確認された。
ベルフストに潜伏する公国の諜報員が、活発に動き始めた。
賢の諜報組織が追跡した結果、二つの計画が浮かび上がった。
一つは工業地区の工場への破壊工作。
もう一つは、召喚された英雄たちへの攻撃だった。
賢はその報告を受けた夜、颯人を呼んだ。
「話がある」
「襲撃が来る」
賢は静かに言った。
「明後日の夜、訓練場から宿舎に戻る道で、お前たちを狙う者が動くという情報がある」
颯人が眉をひそめた。
「誰だ」
「アルクハイン公国の工作員だ。証拠は既に大半を押さえてある。あとは現行犯での確保が必要だ」
「つまり、俺たちが囮になるということか」
颯人が静かに言った。
「警護を万全にする。工作員の実力も把握している。お前たちが危険にさらされる可能性は低い。」
颯人はしばらく黙った。
それから、
「分かった」
と言った。
「理由を聞かないのか」
「どうせ敵は俺らのことが気に入らないとかだろ」
颯人は静かに答えた。
「現行犯で捕まえた方が都合がいいんだろ?俺たちの役目は、計画通りに動くことだ」
賢は少し間を置いた。
「……すまない」
「謝るなよ、似合わない」
颯人が薄く笑った。
二日後の夜。
訓練場からの帰り道、颯人たちのグループが路地に差し掛かった時、暗闇から複数の人影が動いた。
しかし工作員たちが攻撃に移る前に、皇国の諜報員たちが四方から現れ、完全に包囲した。
短い混乱の後、工作員7名が確保された。
同じ夜、工業地区でも工場への破壊工作が試みられたが、事前に待機していた衛兵隊が現行犯で工作員3名を捕縛した。
翌朝、賢はオットーに報告書を提出した。
「証拠が揃いました。公国の工作員による皇国要人への暗殺未遂、工業施設への破壊工作。全て現行犯です。自白も取れています」
オットーが書類を一読した。
「……完璧だな」
「外交的な抗議を行います。謝罪と賠償、それから国境問題の最終的な解決を要求する。公国が応じれば解決、応じなければ開戦の理由になります」
「公国は応じるまい」
グスタフが言った。
「ブルクハルトがいる限り、面子から強硬な態度を取るはずだ」
「そう読んでいます」
賢は答えた。
「7日間の回答期限を設けます」
7日後、アルクハイン公国からの回答が届いた。
工作員の存在を否定し、でっち上げだと主張する内容だった。
賢はその書状を読み、机に置いた。
「開戦です。」




