第6話 支配の設計
産業革命が始まって四ヶ月が経った頃、城下の風景は目に見えて変わっていた。
旧倉庫群から始まった工場地帯は、城下の東側一帯に広がっていた。
工場の煙突が空に向かって並び、白い煙が風に流れている。
工場の中では織機が布を織り、鍛冶の工場では銃の部品が量産され、農具の工場では新型の鋤と播種機が作られていた。
都市に人が流れ込んでいた。
農業の機械化で農村の余剰人員が生まれ、工場の賃金を求めてベルフストに向かってきた。
人口が増えれば消費が増え、消費が増えれば生産が増える。
経済の歯車が噛み合い始めていた。
賢は毎朝、宰相から報告を受けた。
「今月の工業生産高だ。」
宰相のオットー・フォン・ライネッケが羊皮紙を広げた。
「先月比で三割増。布の輸出が近隣諸国に向けて急増していて、金貨の流入が続いている。税収も前年同期比で倍を超えた。」
「工場労働者の賃金水準は」
「農村の平均収入より四割ほど高くなっている。そのせいで農村からの流入がさらに加速しているが……農業の機械化が進んでいるため、人手不足にはなっていない。」
「結構です」
賢は数字を頭に入れながら言った。
「次の段階に移ります」
宰相が眉を上げた。
「次の段階、とは」
「諸侯の問題です」
オットーの顔が僅かに硬くなった。
現在の皇国は、名目上は皇帝の専制君主制だが、実態は違った。
地方の諸侯が広大な領地を持ち、領内の徴税権、裁判権、軍の保有権を持っている。
皇帝に税を納めてはいるが、その額は諸侯が自ら決めた取り分を差し引いた後の残りだ。
皇帝の命令も、諸侯が気に入らなければ様々な理由をつけて遅延させる。
産業革命の恩恵は、今のところ首都とその直轄地に集中していた。
地方の諸侯の領内では、まだ旧来の農業経済が続いている。
これが、賢の目には好都合だった。
「経済格差を利用します」
賢はオットーに向かって言った。
「諸侯の領内はまだ旧来の農業経済です。一方で皇国直轄地は急速に豊かになっている。この差を諸侯に見せつけ、近代化の恩恵を与える代わりに権限の移譲を求める」
「……つまり、金で買うということか」
オットーが慎重な口調で言った。
「正確には、利益を提示して自発的に従わせる。反発を最小限にするためです」
賢は地図を広げ、諸侯の領地を指した。
「まず、皇国内の主要な街道と河川に鉄道と運河を引きます。これで物資の輸送コストが劇的に下がる。
諸侯の領内の農産物や特産品が、今より遥かに有利な条件で首都の市場に出せるようになる」
「それは諸侯にとって利益になる」
「なります。しかし鉄道と運河の建設と管理は皇国が行う。諸侯は自領内に鉄道が通る恩恵を受けるが、その運営権は皇国が握る。
輸送網を皇国が掌握することで、諸侯の経済的な自立度が下がります」
オットーがゆっくりと腕を組んだ。
「……輸送を握れば、物の流れを制御できる。兵站も含めて、か」
「その通りです。次に、工場を地方にも展開します。ただし工場の設立には皇国の認可が必要という法律を先に作る。認可を与える代わりに、諸侯の領内の行政への介入権を少しずつ獲得していく」
「認可制か」
オットーが目を細めた。
「諸侯は反発しないか」
「工場は雇用と税収をもたらします。領民が豊かになれば、諸侯の取り分も増える。拒否する理由が薄い。それに」
賢は言葉を続けた。
「最初は近代化に積極的な諸侯から始めます。彼らを先行して豊かにし、周囲の諸侯に見せる。乗り遅れたくない諸侯が、自分から手を挙げてくるようになります」
オットーがしばらく黙って地図を見ていた。
「飴の部分は分かった」
やがてオットーは言った。
「鞭は?」
「応じない諸侯には、税制で締め付けます。皇国全体で新しい税法を制定し、諸侯の徴税権に上限を設ける。
同時に皇国直轄の徴税官を各地に派遣し、正確な税収の把握を始める。諸侯がこれまで誤魔化していた分が表に出てきます」
「それは諸侯が黙っていまい」
「黙らせる力が、今の皇国にはあります」
賢は静かに言った。
「新しい軍の訓練が進んでいます。旧来の諸侯の騎士団より、銃を持った皇国軍の方が戦力で上回るようになるのは時間の問題です。諸侯も、それを理解しているはずです」
オットーは賢を見た。その目に複雑な色があった。
「……冷静に、人を動かすな」
「感情で動かすより、利益と力で動かす方が安定します」
「そうかもしれん」
オットーは静かに言った。
「しかし、それだけでは人の心は掴めない場合もある」
賢は少し黙った。
「その点は、陛下にお願いする部分です。私は設計をする。陛下には人心を掌握していただく。それが役割分担です」
オットーがかすかに笑った。
「皇帝陛下のお役目を、随分と明確に定義するものだな」
「結果を出すために必要なことです」
翌週、皇帝が主要諸侯を首都に招集した。
謁見の間に、全国から十数名の諸侯が集まった。
辺境伯、公爵、侯爵。
それぞれが領地を持ち、長年この国の実権の一端を担ってきた者たちだ。
その多くが、召喚された高校生が国政に深く関わっていることへの不満を、顔に滲ませていた。
賢は謁見の間の端に立ち、皇帝の傍らで発言する形を取った。
前に出すぎない。
しかし聞こえる場所にいる。
それが今日の立ち位置だった。
皇帝が口を開いた。
「今日はそなたたちに、皇国の新しい方針を伝えるために集まってもらった」
諸侯たちが静かに聞いていた。
「まず、成果を見てもらいたい」
賢が合図をすると、係の者が数枚の羊皮紙を各諸侯の前に配った。
直近四ヶ月の皇国の経済統計だった。
工業生産高、税収、輸出額、人口動態。
数字が整然と並んでいる。
諸侯たちが数字を見た。
沈黙が落ちた。
一人が顔を上げた。
東部の辺境伯、ヴィルヘルム・フォン・オステルンという壮年の男だ。この国で最大の領地を持ち、諸侯の中でも発言力が強い。
「……この数字は本当か。四ヶ月で税収が倍になったと?」
「本当です」
と賢は言った。
「直轄地の話です。辺境伯の領地の現在の税収と比べてみてください」
オステルンが口を引き結んだ。
「鉄道を引きます」
賢は続けた。
「皇国の主要都市を結ぶ輸送網です。完成すれば、辺境伯の領地から首都まで、今の三分の一の時間と費用で物資を運べるようになります。領内の農産物と鉱産物が、今より遥かに有利な条件で売れる」
「それは……魅力的だな」
と別の諸侯が呟いた。
「ただし」
賢は間を置いた。
「鉄道の恩恵を受けるには、条件があります。皇国の新しい税法と行政制度に従っていただく必要があります」
場の空気が変わった。
オステルンが腕を組んだ。
「行政制度とは、具体的には何だ」
「皇国の徴税官を各領地に常駐させます。税の公正な徴収と、正確な統計の把握が目的です。加えて、領内の司法については皇国の法典を基準とします。諸侯の裁量権を完全に奪うものではありませんが、基準を統一します」
「それは我々の権限を削ることではないか」
強面の侯爵が声を上げた。
「徴税権と裁判権は、先祖代々我々の手にあるものだ」
「削るのではなく、整理します」
賢は答えた。
「現状、諸侯ごとに税率も法律も違う。商人が領地をまたいで商売をしようとすると、その都度違う法律に従わなければならない。これが経済の発展を妨げています。統一することで、商業が活発になり、諸侯の取り分も増える」
侯爵が黙った。
「工場の設立認可も出します」
賢は続けた。
「希望する諸侯の領内に工場を建て、雇用と税収をもたらす。領民が豊かになれば、諸侯の領地の価値も上がります」
諸侯たちの間で、ざわめきが起きた。
反発の声と、興味を示す声が入り混じっていた。
オステルンが静かに手を上げ、ざわめきを制した。
「一つ聞く」
辺境伯は賢を真っ直ぐに見た。
「従わない場合は?」
賢は一秒だけ間を置いた。
「鉄道は通りません。工場の認可も出ません。周辺の協力した領地が豊かになっていく中で、取り残されることになります」
「それだけか」
「それだけです」
オステルンはしばらく賢を見ていた。
その目は鋭く、単純に丸め込まれるような人物でないことが分かった。
「……武力で強制するとは言わないのだな」
「今は言いません」
賢は静かに答えた。
「経済的な損得で判断していただくのが最初です。それで動かない場合の話は、その時にします」
謁見の間に静寂が落ちた。
オステルンが皇帝に向かって頭を下げた。
「……陛下。少し時間をいただけますか。領地に持ち帰って検討したい」
皇帝が頷いた。
「一ヶ月の猶予を与えよう」
他の諸侯たちも、それに倣って頭を下げた。
全員が賛成したわけではない。
しかし、正面切っての反発もなかった。
謁見の後、廊下でオットーが賢に並んだ。
「上出来だ」
と宰相は静かに言った。
「オステルンが反発しなかったのは予想外だった」
「あの人は頭がいい」
賢は言った。
「損得の計算が速い。鉄道と工場の価値をすぐに理解したはずです」
「残りの諸侯は?」
「七割程は一ヶ月以内に従うでしょう。利益が目に見えている以上、拒否する理由がない」
「残りの三割は」
「時間をかけます。周囲が豊かになれば、孤立することへの恐怖が勝る。それでも動かない者には、別の手を使います」
「別の手、とは」
「徴税官の派遣は、協力した諸侯の領地から順番に始めます。
正確な統計が取れれば、これまで誤魔化されていた税収の全貌が見えてくる。横領の証拠が出れば、法的に対処できます」
オットーが目を細めた。
「……罪を暴いて排除するか」
「排除はしません。証拠を押さえた上で、交渉材料にします。従うなら問わない、従わないなら表に出す。それだけです」
オットーはしばらく黙った。
「お前は、本当に17か」
「17歳です」
「……そうか」
オットーは静かに言い、それ以上は何も聞かなかった。
一ヶ月後、諸侯の回答が出揃った。
24名中、20名が条件付きで新制度への参加を表明した。
条件の多くは細かな税率の調整や移行期間の延長で、賢は全て受け入れた。大局さえ取れれば、細部は譲れる。
残る4名のうち、3名は沈黙を続けた。
1名は明確に反発した。
北部の侯爵領を持つ、エーベルハルト・フォン・ノルトベルクという老人だった。領地は広くないが、正教会《宗教》との結びつきが強く、周辺の小諸侯への影響力がある。
「国の手先を領内に入れることは認めん」
ノルトベルクの使者が持ってきた返答書にはそう書かれていた。
「先祖より受け継いだ権利を、金で売るような真似はできぬ」
賢はその返答書を一読し、机に置いた。
「予想通りです」
とオットーに言った。
「どうする」
「鉄道の路線を確定します。ノルトベルク侯爵領は迂回します」
「迂回? あの領地を通る方が距離が短いが」
「距離より効果が大事です。侯爵領を避けた鉄道が完成し、周辺の参加した領地が栄え始めれば、侯爵領だけが取り残される。
領民が侯爵に不満を持ち始める。そうなれば、侯爵が折れます」
「時間がかかる」
「半年もあれば十分です」
賢は答えた。
「急いで力で排除すれば、他の諸侯が不安を持ちます。自然に追い詰める方が後腐れがない」
オットーは静かに頷いた。




