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第4話 産業革命の火種

 謁見の翌日から、賢は動き始めた。


 皇帝から与えられたのは、城下の一角にある旧倉庫群だった。

 石造りの大きな建物が三棟、広い中庭を囲むように立っている。


 埃と古い木材の匂いがする場所だったが、賢には十分だった。

 広さがあり、鍛冶場が隣接していて、城からの距離も近い。


 まず人を集めた。

 宰相の手配で呼び寄せられたのは、皇国内で名の知れた職人と魔道具師が十数人だった。


 鉄を打つ鍛冶師、木工の名人、魔力回路の設計ができる魔道具師、石造りに精通した建築士。

 それぞれの分野の第一人者たちが、訝しげな顔をしながら旧倉庫の中庭に集まってきた。


 賢はその全員の前に立ち、一枚の図面を広げた。

 手書きの設計図だった。

 昨夜、ろうそくの明かりの下で書き上げたものだ。


「これが、最初に作るものです」


 賢が最初に目をつけたのは、単純な蒸気機関ではなく、魔力と工業を合わせた技術だった。


 この世界には魔力という概念がある。

 人も動物も植物も、多かれ少なかれ魔力を持ち、それが様々な形で力を発揮する。

 魔道具はその魔力を回路として固定化し、誰でも扱えるようにした道具だ。


 つまりこの世界には、すでに「エネルギーを変換して力を生み出す」という概念が存在していた。


 ――ならば、組み合わせない手はない。


「魔力機関炉です」


と賢は言った。


「魔力と石炭を熱と圧力に変換し、それを動力として使う機械です。原理は蒸気機関と同じですが、補助燃料として魔力を使う。この世界の素材と技術で作れます」


 魔道具師の一人、五十がらみの小柄な男が図面を覗き込んだ。

 名を「ゴドフリー」といい、王都でも指折りの魔道具師だと紹介されていた。


「魔力を熱に変換する魔道具は既存のものがある」


 ゴドフリーは唸りながら言った。


「だがこれは……回路の構造が見たことのない形をしている。この部分は何だ」


「ピストンです。圧力によって往復運動を生み出す機構で、その運動を回転力に変換します。回転力があれば、歯車を組み合わせて様々な機械を動かせる」


「回転力……」


 ゴドフリーが目を細めた。


「魔道具でも回転するものはある。魔力風車などがそうだ。だがこれほど複雑な機構は見たことがない」


「作れますか」


 ゴドフリーは腕を組み、しばらく図面を見つめた。

 隣に立っていた鍛冶師が身を乗り出し、


「この部品の精度はどれほど必要だ」


と聞いた。


「高いほどいい。特にピストンとシリンダーの嵌合精度は、できる限り高めてほしい」


 鍛冶師が顎を撫でた。


「難しくはないが……時間がかかる」


「どのくらい」


「試作なら、一週間もあれば形にはなるだろう」


「お願いします」



 賢は次の図面を広げた。

 魔力機関炉と並行して、賢がもう一つ着手したのは工場の設計だった。


 現在の皇国では、魔道具も布も農具も、職人が一人で最初から最後まで作り上げる。

 熟練の技術が必要で、生産量は職人の数に縛られる。

 賢が提案したのは、工程の分割だった。


「一つの製品を作るのに必要な工程を、細かく分けます」


賢は建築士に向かって言った。


「そして各工程を専門に担当する人を配置する。全員が全工程を覚える必要はない。自分の担当だけを素早く正確にやればいい」


「しかしそれでは、職人の技が育たないのではないか」


 建築士が怪訝な顔をした。


「育てる必要のある技と、そうでない技があります。単純な工程は単純な訓練で習得できる。その分、複雑な設計や改良は熟練の職人に任せる。役割を分ける、ということです」


 ゴドフリーが腕を組んだ。


「魔道具にも応用できるか。今は一人の魔道具師が回路を全部書いているが、単純な部分は別の者に任せられるかもしれん」


「その通りです。回路の設計は貴方がやる。書き込む作業は別の者が担当する。貴方の技術を一番価値のある部分に集中させられる」


 ゴドフリーがゆっくりと頷いた。


「……なるほど、な」



 三日後、旧倉庫の一棟が改装され、作業場が出来上がった。

 長い作業台が並び、それぞれに材料と道具が整然と置かれている。


 鍛冶師の弟子たちが部品を打ち、ゴドフリーの助手たちが魔力回路を刻み込む。

 賢が設計した工程図が壁に貼られ、誰がどの作業を担当するか一目で分かるようになっていた。


 見学に来た宰相が、広い目で作業場を見渡した。


「これが……工場というものか」


「まだ試作段階です」


と賢は言った。


「本格的な稼働は魔力機関炉が完成してからになります。機械が動力を担うようになれば、人の手でやっていた作業の多くを機械に任せられます」


「具体的には、何が変わる」


「例えば布の生産です。現在は織り子が手で機を動かしている。

 魔力機関炉で動く織機を作れば、一台で熟練の織り子数人分の速度で布が織れます。

 農業用の耕作機械も作れる。今まで十人でやっていた畑仕事を、二人と機械でできるようになる。

 余った人手が都市の工場に流れ込む。工場の生産力が上がり、物が増え、経済が回る」


 宰相がゆっくりと目を閉じた。


「……それほどの変化が起きるのか」


「起きます。ただし時間はかかります。最初の変化が目に見える形になるまで、三ヶ月は必要でしょう」


 宰相は少し黙ってから言った。


「急ぐ理由があるのか」


「魔王軍がいます」


と賢は静かに言った。


「経済力と軍事力は表裏一体です。工業生産が増えれば兵器の補充も早くなり、食料の安定供給で兵士の士気も上がる。産業革命は内政の話ではなく、戦争の準備でもあります」


 宰相がじっと賢を見た。しばらくして、静かに頷いた。


「……分かった。資金と人材の手配は私が行う。必要なものがあれば遠慮なく言え」



 一週間後、魔力炉の試作品が完成した。

 鍛冶師が鉄を削り出し、ゴドフリーが魔力回路を刻み込んだ。

 直径一メートルほどの円筒形の機械で、外側には無数の魔力回路が光の筋のように走っていた。


 旧倉庫の中庭に据え付け、周囲に職人たちと賢が集まった。


 石炭と水を入れ、ゴドフリーが慎重な手つきで魔力を流し込む。

 最初、何も起きなかった。

 ゴドフリーが眉をひそめ、賢が設計図を確認する。


「圧力弁の位置が……ここか」


賢は機械の側面に手を触れ、小さな弁を調整した。


「もう一度」


 ゴドフリーが再び魔力を流す。


 今度は、機械が小さく唸った。


 内部で何かが動く振動が伝わってきた。


 ピストンが往復し、クランクが回り始めた。


 最初はぎこちなく、しかし徐々に滑らかになっていく。


 歯車が噛み合い、連結された軸が回転し始めた。


 誰も喋らなかった。


 職人たちが固唾を呑んで見守る中、魔力機関炉は静かに、しかし確かに動き続けた。


「……動いた」


鍛冶師が掠れた声で言った。


 ゴドフリーが信じられないという顔で機械を見ていた。


「石炭と水に、魔力を流すだけで、こんな力が……」


「これで織機を動かせます」


賢は言った。


「次は実際に繋いでみましょう」



 その日の夕方、魔力機関炉に繋いだ試作の織機が、魔力なしに布を織り始めた。


 ゴドフリーは長いこと黙ってその様子を見ていた。

 それからゆっくりと賢の方を向いた。


「……若いのに、どこでこんなことを知った」


「本で読みました」


と賢は答えた。


「本で」


ゴドフリーが目を細めた。


「どんな本だ」


「学校の教科書です」


 ゴドフリーはしばらく賢の顔を見て、それから小さく笑った。

 職人一筋の男が初めて見せた、柔らかい表情だった。


「……敵わんな」



 夕暮れ時、賢は作業場の片付けを終えて訓練場の前を通りかかった。

 颯人が一人、訓練場の端で剣を振り続けていた。教官も仲間も引き上げた後に、まだ動いていた。


「まだやっているのか」


 颯人が振り向いた。

 汗だくだったが、目に疲れはない。


「賢こそ、工場の方は」


「今日の分は終わった。魔力機関炉が安定して動くようになった」


「そうか」


 颯人は剣を下ろした。


「……なあ、賢。お前は訓練しないのか」


「俺一人が訓練所で祝福を強化するより、国の技術を育て、軍の改革をしたほうがいい。」


「じゃあ早く実戦に出たいんじゃないか」


「焦っても意味がない」


 賢は言った。


「基盤がなければ戦争に勝っても何も残らない。産業革命が軌道に乗れば、戦争の勝ち方が変わる」


 颯人はしばらく黙った。

 夕焼けが訓練場に長い影を作っていた。


「俺は剣を磨く。お前は国を作る」


颯人が静かに言った。


「で、最終的にどこに向かうんだ」


「魔王軍を潰す」


「それだけか」


「それだけじゃない。この国の文明レベルを底上げする」


 颯人が少し笑った。


「相変わらず、お前は」


 賢は答えなかった。


 夕暮れの空の向こうに、まだ見ぬ戦場があった。

 そこに辿り着くための土台を、今は一つずつ積み上げる。

 それだけだ。

 賢は踵を返し、設計図が積まれた作業場へと戻っていった。

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