第32話 鋼鉄の波
海戦の敗北から三日後、アウグスティアで動きがあった。
シーヴィル連合王国の外務卿、ジャン=バティスト・ド・モンテーニュは、停戦交渉を進める急先鋒だった。
海軍の壊滅と地上での損害を前に、これ以上の戦争継続は国家の自殺行為だと議会で訴えていた。
その彼が、自宅で拘束された。
大司教ゴットフリートの指示によるものだった。
「敵に通じる裏切り者」という罪状が、後から発表された。
同じ夜、停戦派の貴族と将校、合わせて17名が拘束された。
穏健派と見られていた者たちが、次々と職を解かれ、一部は投獄された。
代わって、徹底抗戦派の人物たちが要職に就いた。
新たな外務卿に任命されたのは、エルハルト・フォン・ブレンナーだった。
エルハルトは、自分が任命されたことに戸惑いを感じていた。
皇国を訪れ、福神賢という男と直接話したことがある。あの国の実態を、誰よりも正確に知っているはずの人物だった。
しかし大司教庁の会議室で、ゴットフリートはエルハルトに言った。
「お前が皇国を最も知っている。だからこそ、この戦争を戦い抜く立場に立つべきだ」
「大司教」
エルハルトは言った。
「海戦の結果をご存知ですか。1万5千以上の戦死者が出ています。地上でも、二日間で1万2千以上です」
「知っている」
「これ以上続ければ、被害は拡大します。和平交渉に応じるべきです」
「和平とは、敗北のことだ」
ゴットフリートは言った。
「我々が皇国に屈すれば、正教会の権威が地に落ちる。各国が皇国に靡き始める。それを防ぐためには、戦い続けるしかない」
「人が死んでいます」
「聖戦には犠牲が伴う」
ゴットフリートは静かに、しかし揺るがぬ声で言った。
「お前はそれを理解した上で、外務卿として戦争を継続させろ。できなければ、お前も裏切り者として扱われる」
エルハルトは長い間、黙っていた。
それから、頭を下げた。
「……承知しました」
アウグスティアの広場で、処刑が行われた。
拘束された停戦派貴族のうち、三名が「敵への内通」の罪で処刑された。
残りは投獄された。
広場に集まった市民は、沈黙していた。
恐怖が、街を覆っていた。
誰も、停戦という言葉を口にできなくなった。
その様子は、賢の諜報組織によって速やかに把握された。
クラウスが報告を持ってきた。
「シーヴィル連合王国内で、停戦派が粛清されました」
クラウスは言った。
「処刑が3名、投獄が14名。新しい外務卿はエルハルト・フォン・ブレンナーです」
「あのエルハルトですか」
賢は言った。
「彼は皇国の実態を知っている人物です」
「それでも徹底抗戦の立場を取らされています。大司教の意向に逆らえない状況のようです」
賢はしばらく報告書を見ていた。
「これで、和平の見込みはなくなりました」
賢は言った。
オットーが聞いた。
「シーヴィル国内に、まだ停戦を望む声はないのか」
「あります」
クラウスは答えた。
「むしろ多数派かもしれません。しかし粛清を見て、誰も声を上げられない状態です」
「恐怖政治か」
「そうです」
賢は地図を広げた。
「方針を変えます」
賢は言った。
「これまでは、敵地で守りながら時間をかけて疲弊させる戦略でした。海戦で十分な打撃を与えたので、次は陸での全面侵攻に切り替えます」
「全面侵攻」
グスタフが繰り返した。
「占領を目指すということか」
「そうです」
賢は答えた。
「シーヴィル連合王国の指導層が変わらない限り、戦争は終わりません。指導層を変えるには、軍事的な決着が必要です」
「規模は」
「全力で行います。十二師団全てを動員し、特殊部隊も全戦力を投入します」
賢は颯人を呼んだ。
「全面侵攻を決定した」
賢は言った。
「シーヴィル国内で停戦派が粛清された。これ以上、外交での解決を待つ余地がないと判断した」
颯人は黙って聞いていた。
「クラスメイトの参加は、これまで通り任意だ」
賢は続けた。
「ただ、状況を共有したいと思って」
「粛清の詳細を聞かせてくれ」
賢は知っている全てを伝えた。
処刑された三名の名前、投獄された人数、新しい外務卿の経緯。
颯人は最後まで聞いて、長い間黙っていた。
「……向こうの国にも、賢みたいに止めようとした人間がいたんだな」
颯人は静かに言った。
「そうだ」
「それが、潰された」
「ああ。粛清された」
颯人が拳を握った。
「分かった」
颯人は言った。
「今回は、参加する」
「理由を聞いても?」
「向こうの大司教がやってることは、俺が一番嫌いなことだ」
颯人は言った。
「自分の権威のために、人の命と意見を踏み潰す。それを止められるなら、止めたい」
「今回は化学兵器は使わない」
賢は言った。
「今回の全面侵攻は通常戦争のつもりだ」
「分かった。それなら行く」
航空作戦の準備が進んだ。
賢の特殊部隊航空隊は、限定的な機数だった。
F-22が6機、F/A-18が8機。
これらは制空権の確立と、最重要目標への精密攻撃に使われる。
それを支えるのが、皇国空軍の本体だった。
1930年代水準の単葉戦闘機が200機、複葉の支援機が120機。爆撃機相当の機体も50機が配備されていた。
航空隊司令官のフリードリヒが、両者の運用計画を説明した。
「特殊航空隊が制空権を確保し、敵の航空戦力――今回はほぼ皇国空軍に対抗できる戦力を持っていませんが――と、強固な防空陣地を排除します」
フリードリヒは言った。
「その後、皇国空軍が地上支援に専念します。単葉機が近接航空支援、複葉機が偵察と連絡、爆撃機が後方の集結地点への打撃を担当します」
「皇国空軍だけで足りるか」
グスタフが聞いた。
「シーヴィル側の防空能力はほぼ存在しません」
フリードリヒは言った。
「先の制空戦でシーヴィル側の航空戦力はほぼ壊滅状態です。魔法による対空攻撃が限定的にありますが、高度3000m以上を飛ぶ航空機には届きません」
地上では、機甲部隊の編成が進められていた。
特殊部隊機甲科は、M1エイブラムス8両、CV90歩兵戦闘車16両という小規模な編成だった。
しかしこれが、電撃戦の先鋒となる。
通常の皇国軍機甲師団は、1930年代水準の戦車を主力としていた。
皇国製の中戦車が200両以上、軽戦車が100両以上配備されていた。
機甲師団長のオスカーが、賢に作戦の確認を求めた。
「特殊部隊の戦車と、通常師団の戦車をどう連携させますか」
「特殊部隊の戦車を先頭に立てます」
賢は言った。
「M1エイブラムスは、現存するどの兵器にも撃破されません。先頭が突破口を開き、後続の皇国軍機甲師団が突破口を拡大して縦深に侵攻する」
「速度の差は」
「M1エイブラムスは時速70km近く出ます。皇国軍の戦車はせいぜい時速40km前後です。先頭が速すぎると、連携が崩れます」
「調整します」
賢は言った。
「先頭部隊は速度を抑え、常に後続が追いつける距離を保ちます」
全面侵攻の開始日。
夜明け前、皇国空軍の本体が国境を越えた。
まず複葉機による偵察が行われ、シーヴィル連合王国軍の展開状況が確認された。続いて爆撃機が後方の集結地点に向かった。
爆弾が降り注いだ。
シーヴィル軍の補給拠点と予備兵力の集結地が、次々と打撃を受けた。
同時刻、特殊航空隊のF/A-18が高高度から進入した。
シーヴィル側に対空戦力がほぼ存在しないことを確認しながら、最重要拠点への精密攻撃を行った。
司令部、補給線の要衝、橋梁。
重要な機能を持つ目標が、次々と排除された。
地上では、機甲部隊が動いた。
M1エイブラムスが先頭に立ち、CV90が随伴した。
その後ろに、皇国軍の中戦車部隊が続いた。
国境を越えた機甲部隊が、シーヴィル軍の前線陣地に向かって進撃した。
シーヴィル軍は皇国軍の見様見真似で塹壕と防御陣地を構築しようとしていたが、粗末で隙が目立っていた。
剣と魔法と弓で、鋼鉄の戦車に対抗しようとした。
無謀だった。
オスカーが先頭の戦車から戦況を確認した。
「前方、敵の陣地。方位25、距離1000。」
「主砲、撃て」
M1エイブラムスの120mm砲が火を噴いた。
陣地の一部が吹き飛んだ。
続いて皇国軍の中戦車部隊が、それぞれの主砲で射撃を開始した。
シーヴィル軍の防御陣地が、瞬く間に崩壊した。
「前進。突破口を確保」
戦車部隊が陣地を突破し、後方への道を開いた。
突破口が開いた後、機甲部隊は止まらなかった。
通常の戦争であれば、突破した後に歩兵が来て占領を固める。
しかし賢が設計した電撃戦は、止まらず前進することが核心だった。
占領は後で行う。
まず突破し、さらに突破し、敵の後方深くまで進撃する。
指揮系統と補給線を分断し、混乱を作り出す。
「敵の次の防衛線、まだ整っていません」
偵察報告が来た。
「突破された敵部隊が混乱しています」
「そのまま進撃を続けます」
賢は無線で命令した。
「敵が態勢を整える前に、もう一段深く侵攻します」
機甲部隊が前進を続けた。
後方から歩兵師団が続き、占領した地域を確保していった。
シーヴィル軍の野戦司令部は、混乱に陥っていた。
オーレン・ド・シーヴィル総司令官が、報告を聞いていた。
「南部の防衛線が突破されました。鋼鉄の車が、止まらずに進撃しています」
「予備兵力は」
「集結地点が空襲で破壊されました。再編成に時間がかかります」
「通信は」
「主要な通信拠点が攻撃を受けています。各部隊との連絡が部分的に途絶しています」
オーレンは地図を見た。
皇国軍の進撃線が、想定を遥かに超える速度で南下していた。
「……これが、未来の戦争か」
オーレンは呟いた。
ルーカスは今回、機械化歩兵として戦っていた。
戦車に随伴し、占領した地域を確保する役割だった。
突破した戦車部隊の後を追いながら、ルーカスは想像していたものと違う戦争を経験していた。
以前のモンデブーレやアルクハインの戦争は、塹壕や陣地での持久戦の場面が多かった。
今回は違った。
常に動いていた。
「進撃が速い」
隣の兵士が言った。
「ついていくのがやっとだ」
「向こうの抵抗が組織化できていない」
ルーカスは言った。
「だから止まる必要がない」
ある町に入った時、シーヴィル軍の小部隊が抵抗を試みた。
ルーカスたちは即座に展開し、銃撃戦を行った。
短い戦闘で抵抗は終わった。
占領した町には、市民が残っていた。
怯えた目で兵士たちを見ていた。
ルーカスは指揮官の指示で、市民への危害を加えないことを徹底した。
「俺たちは占領するが、市民を傷つけない」
ルーカスは町の人々に言った。
「協力してくれれば、安全は保障する」
市民の一人が震える声で聞いた。
「……処刑された外務卿の話は、本当ですか」
「聞いています」
ルーカスは答えた。
「私たちは、戦争を望んでいませんでした」
市民は言った。
「でも、声を上げられなかった」
ルーカスは何も言えなかった。
颯人は今回、別の役割を担っていた。
機甲部隊の側面を守る護衛として、《英雄の剣》の力を使っていた。
シーヴィル軍の魔導兵が機甲部隊に魔法攻撃を仕掛けてくる場面で、颯人が先行して対処した。
ある時、機甲部隊の進撃路に、強力な魔導兵の集団が待ち構えていた。
「賢」
颯人が無線を入れた。
「魔導兵の集団がいる。先に処理する」
「了解。誠司さんと合流できますか」
「向かわせてくれ」
誠司が合流し、《大賢者の魔眼》で魔導兵の術式を読んだ。
「あいつらは大規模な障壁を準備している」
誠司は言った。
「機甲部隊が射程に入れば、一斉に発動する」
「先に潰す」
颯人は剣を構えた。
「誠司、援護を頼む」
颯人が単独で魔導兵の集団に突入した。
魔力の波動を放ちながら、密集した魔導兵を切り崩していった。
誠司が術式の発動を予測し、颯人に伝えた。
数分の戦闘で、魔導兵の集団は崩壊した。
「突破した」
颯人は無線で言った。
「機甲部隊は進撃できるぞ」
戦闘の後、颯人は誠司と並んで歩いた。
「今回の戦争、参加すると言ったが」
颯人は言った。
「正直、複雑な気持ちはある」
「電撃戦の速さは」
誠司が言った。
「速い。速すぎる気もする」
颯人は言った。
「でも、止まれば敵の組織的な抵抗が固まる。そうなれば、もっと長く戦争が続く。早く終わらせる方が、結局は犠牲が少ない」
「それは賢の理屈だな」
「賢の理屈だが」
颯人は言った。
「今回は、俺もそれに納得している」
侵攻開始から一週間後、賢は前線の状況をまとめた統計を確認した。
占領地域は、シーヴィル連合王国の北部三分の一に達していた。シーヴィル軍の組織的な抵抗は、複数の地域で崩壊していた。
「進撃速度は予想を上回っています」
ハンスが報告した。
「向こうの指揮系統が機能していない地域が増えています」
「損害は」
「皇国軍、戦死者377名。負傷者700名前後です」
「シーヴィル側は」
「推定で、戦死者2万を超えていると見られます。捕虜は3万以上」
賢は数字を確認しながら、地図を見た。
「占領した地域の行政体制を整えます」
賢は言った。
「同時に、シーヴィル国内の指導層に対して、最終的な交渉の打診を再度行います」
「向こうが応じるか」
「応じなければ、進撃を続けます」
賢は言った。
「アウグスティアまで」
その夜、エルハルトが内密の使者を送ってきた。
大司教の方針に従わず、自らの判断で接触を試みていた。
使者がもたらした言葉は、短かった。
「外務卿は、停戦の意志があります。しかし大司教の許可を得ていません。これは個人的な打診です」
賢はそれを読み、オットーに渡した。
「どう対応しますか」
オットーが聞いた。
「進撃を続けながら、エルハルトとの個別の対話を維持します」
賢は言った。
「大司教が交渉に応じなくても、内部から状況が変わる可能性があります」
「賭けですね」
「全てが賭けです」
賢は静かに言った。
「ただ、今のところ、賭けに負けていません」
オットーが少し笑った。
「お前らしい答えだ」
窓の外に、占領した地域の夜が広がっていた。
遠くで、まだ進撃する機甲部隊の音が聞こえた気がした。
賢は地図を見ながら、次の段階の計算を始めた。
アウグスティアまでの距離。
そこに辿り着くまでの日数。
その間に起こりうる変化。
戦争は、終わりに向かって進んでいた。
しかし終わり方が、まだ見えていなかった。




