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鋼鉄の産声と硝煙の改革  作者: 弾幕主義者(装弾数正義派)
シーヴィル連合王国編
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第28話 諸刃の剣

 聖都アウグスティア。


 シーヴィル連合王国の首都にして、正教会本部が置かれる大陸最大級の都市だった。


 白い石造りの大聖堂が丘の上にそびえ、その周囲に枢機卿たちの宮殿が並ぶ。

 街全体が教会の権威を体現するように設計された都市で、数百年以上にわたって大陸の精神的な中心であり続けていた。


 しかし今日、その大聖堂の最深部にある会議室には、精神的な権威とは異なる話し合いが行われていた。


 大司教ゴットフリートが、枢機卿たちを前にして言った。


「皇国は制御できない」


 老大司教の声は低く、しかし明確だった。


「魔族領の植民地化で、皇国は大陸で最も広大な資源地帯を手に入れた。経済力は既に周辺国を圧倒している。軍事力は言うまでもない。このまま放置すれば、皇国はこの大陸の全てを飲み込む」


「しかし」


 枢機卿の一人が言った。


「今、軍を動かすのは正統性がありません。周辺国から見放される可能性も」


「軍事ではない」


 ゴットフリートは言った。


「経済だ」


 会議室に、注意が集まった。


「皇国はまだ、周辺国との貿易に依存している部分がある。特にシーヴィル連合王国が皇国の工業品の主要な輸出先になっている。我々がその貿易を遮断すれば、皇国の経済に打撃を与えられる」


「経済制裁、ですか」


 別の枢機卿が言った。


「そうだ。シーヴィル連合王国と我々の影響下にある国々が一斉に皇国との貿易を停止する。工業品の輸入を止め、原材料の輸出も止める。皇国が折れるまで続ける」


「折れた後の条件は」


「技術の共有。軍備の制限。そして、正教会への内政干渉権の回復」


 会議室が静かになった。


 誰もが、その計画が有効かどうかを考えていた。


「……やってみる価値はある」


 一人が言った。


「シーヴィル連合王国の経済規模は、皇国に次ぐ。そこが動けば、効果は出る」


 最終的に、決議が通った。


 経済制裁の実施を、三週間後に開始する。



 制裁の通告が皇国に届いたのは、魔族領侵攻作戦の完了から1ヶ月後だった。


 賢は書状を読んだ。


 内容は三点だった。


 皇国への工業品の輸出停止。

 皇国への原材料の供給停止。

 皇国籍の商船のシーヴィル連合王国港湾への入港禁止。


 実施期日は3週間後。


 賢は書状をオットーに渡した。


「どう読みますか」


 オットーが聞いた。


「遅かったと思います」


 賢は答えた。


「魔族領の植民地化が完了してから動いてきた。もっと早く動けば、多少の効果があったかもしれない」


「今は遅いということか」


「三週間後から効果が出るとして、皇国への影響を試算しました」


 賢は数字を出した。


「シーヴィル連合王国への輸出は、皇国全体の輸出額の18%です。その全てが止まったとして、GDP換算で5%程度の減少になります」


「5%は、無視できない数字では」


「一時的な痛みはあります」


 賢は言った。


「ただし、代替市場があります。魔族領の植民地が経済圏に加わった。他の国との貿易も拡大すれば、5%の穴は、半年で埋まる計算です」


 オットーが数字を確認した。


「シーヴィル側の損害は」


「こちらの方が興味深い」


 賢は別の資料を広げた。



 賢が広げた資料には、シーヴィル連合王国の貿易構造が分析されていた。


「シーヴィル連合王国は、皇国の工業品に相当程度依存しています」


 賢は言った。


「布、農具、医薬品、魔道具。特に医薬品については、皇国製品が市場の三割以上を占めるようになっています」


「それを自分たちで断つということか」


 オットーが言った。


「そうです。彼らは皇国から何を買っているかを、正確に把握していない可能性があります。あるいは把握していても、制裁の効果を過大評価している」


「過大評価の理由は」


「皇国が彼らの輸出に依存していると思っている。実際には、依存度が下がっています。魔族領の資源が入ってきたことで、原材料の輸入量は半年前より大幅に減っています」


「つまり」


 オットーが言った。


「彼らが切るカードの価値が、彼らの認識より低い」


「そうです。そして彼らが失うものの価値は、彼らの認識より高い」



 経済制裁の実施から一週間後、最初の影響が出始めた。


 しかしそれは、シーヴィル連合王国側に、だった。



 シーヴィル連合王国の構成国、ピエル公国の首都ルヴィエ。


 商人組合の会長、ジョルジュ・ド・ラ・ヴィエールは、書類の束を前にして頭を抱えていた。


「なぜこうなる」


 隣の副会長が言った。


「先週から、市場の布の在庫が急速に減っています。皇国製の布が入らなくなったことで、価格が上がり始めています」


「代替品は」


「国内の工房では、生産量が皇国製品の輸入量の半分も出ません。価格は倍以上」


「他の国から輸入は」


「グニース帝国もチエルマ共和国も、品質が皇国製品に及びません。価格は国内品に比べて安いですが、品質の差を理由に商人が嫌がっています」


「農具は」


「農繁期を控えているのに、皇国製の農具が入らなくなりました。国内の鍛冶師では需要に追いつかない」


「医薬品は」


 副会長が少し間を置いた。


「抗生物質が止まっています」


「それは」


 ジョルジュが顔を上げた。


「困る。それは本当に困る」


「感染症の患者が病院に来ています。しかし在庫が限られていて、優先順位を決めて投与するしかない状態に」


 ジョルジュは椅子を後ろに押して立ち上がった。


「教会本部に言え。あの決定が、市民の命に関わっている」


「言いましたが、聞いてもらえませんでした」


「ならば、連合議会に」


「議会も、大司教の意向には逆らいにくい状況です」


 ジョルジュは窓の外を見た。

 ルヴィエの市場が見えた。

 活況だった市場が、一週間で活気を失っていた。


「……馬鹿な決定だ」


 ジョルジュは呟いた。



 一方、皇国の首都ベルフストでは。


 カールは工場の朝番に向かいながら、仲間と話していた。


「シーヴィルとの貿易が止まったらしいぞ」


 マティアスが言った。


「聞いた」


 カールは言った。


「でも工場の仕事は変わらないな」


「そうなんだ。俺も最初は心配したけど、工場長が先週言ってた。国内とモンデブーレ向けの注文が増えてるから、シーヴィルの分は問題ないって」


「魔族領からも原材料が来てるしな」


「ああ」


 マティアスが頷いた。


「あそこの鉱石がすごく質が良くて、今まで高い値段でシーヴィルから買ってた鉄鉱石より安くて品質がいいらしい」


「抗生物質はどうだ」


 カールが聞いた。


「シーヴィルに輸出してたやつが止まるんだろ」


「病院の先生が言ってたが、今は国内向けを優先するから、むしろ皇国内の供給量は増えるかもしれないって」


「それは良いことだな」


 二人は工場の門をくぐった。


 いつも通りの朝が、始まった。




 経済制裁への皇国の公式対応は、賢がオットーと一週間かけて詰めた。


「四つの方向で動きます」


 賢は言った。


「一つ目、代替市場の開拓。シーヴィル向けの輸出品を、他国向けに振り向けます。特にグニース帝国とホフチェル大公国は、皇国製品への需要があります」


「二つ目、魔族領の資源活用を加速します。シーヴィルからの原材料輸入が止まっても、魔族領の鉱山と森林から補えます」


「三つ目、制裁に参加していない中立国への外交を強化します。セルチンス帝国とボゴヴィモス共和国連邦には、皇国製品の輸出拡大の提案をします」


「四つ目」


 賢は少し間を置いた。


「シーヴィル連合王国内の商人と直接の接触を維持します」


「制裁中に、どうやって」


 オットーが聞いた。


「政府間の貿易は止められます。しかし商人同士の動きは、完全には止められません。シーヴィルの商人の中には、制裁に反対している者がいます。彼らに、中立国を経由した取引の方法を示します」


「それは制裁の迂回ではないか」


「そうです。商人が自発的に行うことです。皇国政府は関与しません」


 オットーがしばらく考えた。


「……抜け道を教えるということか」


「需要があるところに、供給は流れます。それだけのことです」



 ゴドフリーは工場の会議に出席していた。


 経済制裁への対応について、工業省の官僚が説明をしていた。


「シーヴィル向けの輸出ラインの一部を、他の市場に振り向けます。ご協力をお願いします」


 工場長たちが頷いていた。

 驚きの少ない反応だった。


 会議が終わった後、ゴドフリーは一人の官僚に話しかけた。


「事前に準備していたように見えますが」


「はい」


 官僚は率直に答えた。

「代替市場の開拓は、半年前から進めていました」


「経済制裁を予期していたのですか」


「上の方は、そう判断していたようです」


 ゴドフリーは会議室を出た。


 廊下を歩きながら、頭の中で計算した。


 半年前から準備していたということは、魔族領の植民地化を決めた時点で、制裁が来ることを想定していた。

 その上で植民地化を進め、資源を確保し、代替市場を開拓した。


 制裁が来ることを計算に入れて、植民地化を進めた。


 ゴドフリーは外に出た。


 ベルフストの工場の煙突が、今日も煙を上げていた。


「……あの男は、本当に遠くまで考えている」


 独り言が、煙の中に消えた。



 制裁から三週間が経つと、シーヴィル連合王国の内部で不満の声が上がり始めた。


 最初に声を上げたのは、商人たちだった。


 ルヴィエの商人組合が連合議会に陳情書を提出した。

 制裁による経済的損害の試算が添付されていた。数字は赤一色だった。


 続いて構成国のデシャント王国の農具商組合が声明を出した。

 農繁期に農具が足りない。

 国内の鍛冶師では需要に追いつかない。

 このままでは今年の収穫に影響が出る。


 構成国のグリランジュ大公国では、病院の医師会が抗議した。

 抗生物質の在庫が底をついてきた。

 感染症による死者が増えている。

 制裁の継続は、患者の命を政治の道具にしていると。


 アウグスティアの大司教庁に、各国から書状が届いた。


 ゴットフリートはそれらを読んだ。


 老大司教の顔に、初めて動揺の色が滲んだ。



 シーヴィル連合王国の会議が開かれた。


 構成国の代表が集まった会議で、ピエル公国の代表が言った。


「制裁の見直しを求めます。経済的な損害が想定を超えています」


「大司教庁の方針です」


 シーヴィル側の代表が言った。


「我々だけで決める権限は」


「権限があるかどうかの問題ではありません」


 ピエル公国の代表が言った。


「医師会からの報告では、感染症による死者が増えています。制裁を続ける理由として、それを正当化できますか」


 会議室が静かになった。


「皇国との交渉再開を求めます」


 ロンテール公国の代表が言った。


「部分的な制裁緩和でも、医薬品だけでも」


「皇国が応じると思いますか」


「そこは外交の問題です」


 ロンテール公国の代表は言った。


「試みる価値はあります」



 ルヴィエの商人ジョルジュは、あることを決めた。


 公式の貿易は止まっていた。

 しかし中立国を経由した取引は、完全には止まっていなかった。

 セルチンス帝国の商人を通じて、皇国製品を入手する経路が、噂として流れていた。


 ジョルジュはその噂を辿った。


 一週間かけて、接触相手を見つけた。

 セルチンス帝国の商人が、皇国の商人との仲介をすることが分かった。


「価格は」


 ジョルジュが聞いた。


「正規の三割増しです」


 セルチンス商人が答えた。


「仲介手数料を含めて」


「高いが」


 ジョルジュは考えた。


「ないよりはいい」


 取引が成立した。


 一週間後、ルヴィエの倉庫に皇国製の医薬品と農具が届いた。

 公式には、セルチンス帝国からの輸入品として処理されていた。


 病院に医薬品が届いた時、担当の医師が倉庫の前で深く息をついた。


「……これで、とりあえず」



 皇国の統計局が、制裁から一ヶ月後の数字をまとめた。


 オットーが報告を受けた。


「皇国の工業生産高への影響は、制裁前比で-2%です」官僚が言った。「想定の-4%を上回りました。代替市場への切り替えが予定より速く進みました」


「税収への影響は」


「ほぼゼロです。輸出先が変わっただけで、量は変わっていません」


「シーヴィル側は」


「中立国経由の取引が増えています。実質的に制裁が迂回されており、完全な貿易停止にはなっていません。シーヴィル国内の物価は、制裁前比で布が28%上昇、農具が22%上昇、医薬品は在庫切れが発生している地域があります」


 オットーは数字を見た。


「……自分たちが受けた打撃の方が大きい」


「そうです」


 官僚は答えた。


 オットーは窓の外を見た。


「賢は何と」


「計算通りと言っていました」



 アウグスティアの大司教庁で、エルハルトがゴットフリートに報告していた。


「制裁の効果は、想定を大きく下回っています」


 エルハルトは言った。


「皇国への打撃は軽微で、むしろ自国の方が苦しんでいます」


「なぜだ」


 ゴットフリートは言った。


「皇国は我々の市場に依存しているはずだ」


「依存度が、我々の認識より下がっていました」


 エルハルトは答えた。


「魔族領の資源と、代替市場で、かなりの部分が補えていたようです」


「それを把握していなかったのか」


「情報が不足していました」


 ゴットフリートが老いた手で机を打った。


「制裁を継続するのか、それとも」


「構成国から緩和の要望が来ています」


 エルハルトは言った。


「特に医薬品については、人道的な観点から緩和を求める声が強い」


「人道的な観点」


 ゴットフリートが繰り返した。


「我々は人道のために行動している。皇国の膨張を止めることが、長期的に人道に叶う」


「短期的には、我々の判断で人が死んでいます」


 エルハルトは静かに言った。


 大司教庁が沈黙した。


「……エルハルト、お前はどう思う」


 ゴットフリートが初めて、直接意見を求めた。


「制裁は効果がありません」


 エルハルトは言った。


「むしろ、皇国への経済的な依存を露わにするだけです。続けるほど、我々の立場が弱くなります」


「では、撤回するか」


「撤回すれば、負けを認めることになります」


 エルハルトは言った。


「しかし条件を付けて緩和することはできます。医薬品の取引再開を先行させ、交渉のきっかけにします」


 ゴットフリートが長い間、沈黙した。


「……検討する」



 その夜、エルハルトは一人で礼拝堂に残った。


 大司教の判断を待ちながら、自分の中の何かを整理しようとしていた。


 ベルフストで見たものを思い出した。


 工場の煙突。

 活況の市場。

 学校に通う子供たち。

 ファビアン司祭と握手した獣人。


 あれが皇国だった。


 それを止めることが、本当に正しいのか。


 エルハルトには、もう確信がなかった。


 しかし確信がなくても、立場がある。

 組織がある。

 大司教の意向がある。


 礼拝堂の蝋燭が、静かに燃えていた。

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