第27話 引き金を引く者
侵攻から2ヶ月後。
魔族領の制圧は九割方が終わっていた。
しかし一体だけ、行方が掴めない者がいた。
ヴァルドクス。
魔族領北部を統率していた高位魔族で、魔族の中でも最上位に位置する個体だった。
最初の航空支援でその拠点である黒塔が破壊された後、消息を絶っていた。
死亡確認ができていないまま、特殊部隊が追跡を続けていた。
ヴォルクが嗅覚で追っていた。
「匂いが残っている」
ヴォルクは地面を確認しながら言った。
「単独で移動している。北東の方角だ」
「負傷しているか」
ハンスが聞いた。
「血の匂いがある。ただし多くはない」
ヴォルクは立ち上がった。
「速度は落ちていない。まだ動ける」
ハンスは賢への報告を打った。
「ヴァルドクスの痕跡を確認。北東方向に追跡継続します」
賢からの返答が来た。
「了解。私も合流します」
ハンスが止まった。
「賢殿が、ですか」
「そうです。準備してください」
野戦司令部で、賢は自分の装備を確認した。
MPX。
グロック19。
そしてもう一挺。
バレットM82A1対物ライフル。
全長約1.4m、重量約13kg。12.7×99mm弾を使用する対物ライフルで、通常の建材を貫通し、軽装甲車両をも無力化できる。
有効射程は約2km。
しかし今日は、もっと近い距離で使うつもりだった。
高倍率スコープを取り外し、ホロサイトとフォアグリップを取り付けた。
装備を確認しながら、賢は颯人に無線を入れた。
「ヴァルドクスの追跡に合流する。来るか?」
少し間があった。
「……行かない」
颯人の声が来た。
「理由を聞いても?」
「お前が何をするか、だいたい分かる。俺が行っても、あまり意味がない気がする」
「颯人の祝福があれば、高位魔族への対処が確実になるが」
「今のお前には、俺が必要ないだろ」
颯人は静かに言った。
「特殊部隊もいる。航空支援もある。俺が一人増えたところで、変わらない」
賢は少し間を置いた。
「……分かった」
「無事で帰ってこい」
颯人は言った。
「それだけだ」
無線が切れた。
賢は装備を手に取り、天幕を出た。
誠司が外で待っていた。
「俺は行く」
誠司は言った。
賢が少し意外な顔をした。
「ヴァルドクスは高位魔族だ。魔法障壁が強い。俺の《魔眼》があれば、障壁の構造を読める。必要だろ」
「颯人は」
「颯人は颯人だ。俺の判断は俺がする」
誠司は静かに言った。
「ただし、毒ガスみたいなものを使うなら俺も引く」
「今回は使わない」
「なら行く」
追跡チームが北東に向かって進んだ。
賢、ハンス、ヴォルク、エルナ、誠司、そして特殊部隊員12名。合計17名の小部隊だった。
地形が険しくなっていった。
岩盤が露出した丘陵地帯で、洞窟と岩陰が複雑に入り組んでいた。
ヴォルクが先頭で匂いを追った。
「近い」
ヴォルクが言った。
「この先の岩塊の向こう。100m以内にいる」
「動いているか」
「止まっている。待ち構えているかもしれない」
賢は周囲の地形を確認した。
岩塊が円形に並んだ地形で、中央に開けた空間があった。
出入口が二か所。
岩の高さが4~5m。
待ち伏せに適した地形だった。
「知っていて、ここに誘い込んだ」
賢は言った。
「そうかもしれません」
ハンスが言った。
「引き返しますか」
「いいえ」
賢は即座に答えた。
「こちらの数が多い。地形の優位があるとしても、押しつぶす」
「具体的には」
「入口を二か所とも同時に突破する。内側から制圧する前に、上から火力を当てる」
賢は岩塊の縁を見上げた。
「エルナ、上に登れるか」
「登れる」
エルナは短く答えた。
「岩の上から狙撃位置につく。私が合図したら、中の目標を狙え。ただし仲間が射線に入ったら撃つな」
「了解」
「ヴォルク、入口一番を担当しろ。ハンスは、入口二番を。私は入口二番からハンスたちと入る」
「賢殿が突入を」
ハンスが言った。
「私が直接やる」
賢はM82を手に確認した。
「異論は」
「ありません」
ハンスは言った。
エルナが音もなく岩壁を登った。
狼人族の身体能力で、30秒で頂上に達した。
狙撃姿勢を取り、中の空間を覗き込んだ。
無線で賢に報告した。
「目標確認。中央に単体。立っている。こちらに背を向けている」
「動いているか」
「動いていない。待っている」
「ダメージの程度は」
「左腕が動いていない。何かある。しかし魔力の光は強い」
賢は判断した。
「ヴォルク、合図で突入」
「了解」
「ハンス」
「準備完了です」
「突入」
賢が入口に飛び込んだ瞬間、岩塊の内側に魔力の光が満ちた。
ヴァルドクスが振り向いた。
3mを超える巨体。
全身から魔力の光が溢れていた。
左腕は半ば砕けており、そこから魔力が漏れていた。
しかし顔に表情があった。
侮りではなかった。
「来たか、小さい人間」
ヴァルドクスは言った。
「お前が、これを指揮していたのか」
「そうです」
賢は答えながら、岩陰に転がり込んだ。
直後、ヴァルドクスの右腕が振られた。
魔力の波動が空間を走り、賢が隠れた岩陰の一部が砕けた。
岩塊の入口からハンスたちが突入した。
HK416の射撃音が響いた。
しかしヴァルドクスが障壁を展開した。銃弾が弾かれた。
「誠司!」
賢が叫んだ。
誠司が走り込んできた。《大賢者の魔眼》が魔力の流れを視た。
障壁の構造が見えた。
「右側の回路が薄い!」
誠司が叫んだ。
「右に集中!」
ハンスが命令した。
特殊部隊の銃火が右側に集中した。
ヴァルドクスが術式を切り替えようとした。
エルナの狙撃弾が上から降ってきた。
障壁の右側に着弾し、亀裂が入った。
ヴァルドクスが誠司に向かって魔法を放った。
誠司が術式を読み、直前で打ち消した。
しかし衝撃波で吹き飛ばされ、岩壁に叩きつけられた。
「誠司!」
「大丈夫だ!」
誠司が岩壁から声を上げた。
「続けろ!」
ヴァルドクスが移動した。
障壁を前面に集中させながら、賢が隠れている岩陰に向かってくる。
銃弾が前面の障壁に当たり続けているが、突破できない。
賢は岩陰の中でM82の安全装置を外した。
距離は30m。
賢は計算した。
障壁の亀裂は右側にある。
エルナとハンスたちが右から圧力をかけ続けている。
ヴァルドクスが賢に集中している間は、右への意識が薄れる。
タイミングがある。
ヴァルドクスが岩陰の角まで来た。
賢は岩陰の反対側に出た。
ヴァルドクスが振り向く。その瞬間、全ての注意が賢に向いた。
右側の障壁から、一瞬だけ魔力が薄れた。
「今だ! 右!」
ハンスたちの射撃が右に集中した。
エルナの二発目が飛んだ。
障壁が、崩れた。
ヴァルドクスが術式を立て直そうとした。
賢はM82を構えた。
距離、10m。
ヴァルドクスの頭部が、ホロサイトの視界に入った。
巨大な体に対して、頭部は比較的小さかった。
10mという距離は、対物ライフルにとって点射の距離だった。
賢は呼吸を整えた。
一瞬。
静寂。
引き金を引いた。
12.7×99mm弾が、その近距離を飛んだ。
ヴァルドクスの頭部に当たった。
轟音。
巨体が前に倒れた。
頭部にぽっかりと穴が空いていた。
誰も動かなかった。
ハンスが前に出て、倒れたヴァルドクスに近づいた。
魔力計を当てた。
「魔力の消失を確認。死亡しています」
特殊部隊員が次々と周囲を確認した。
賢はM82を下ろした。
肩が少し重かった。
M82の反動は、想定より強かった。
誰かが賢の肩に触れた。
ヴォルクだった。
「無事か」
ヴォルクが言った。
「はい」
「賢が直接撃つとは思わなかった」
「颯人がいない状況で、最も確実な方法を選びました」
ヴォルクがしばらく賢を見た。
「颯人がいれば、賢は撃たなかったのか」
「颯人が上位魔族の障壁を斬れれば、私が前に出る必要はありませんでした」
「そうか」
ヴォルクは言った。
「颯人が来なかったことを、恨んでいるか」
「いいえ」
賢は答えた。
「颯人の判断は、颯人のものです」
誠司が壁から体を剥がして近づいてきた。
肩を押さえていたが、歩けていた。
「終わったか」
誠司が言った。
「ああ」
「賢が撃ったのか」
誠司は倒れたヴァルドクスを見た。
「そうだ」
誠司はしばらく何も言わなかった。
「最後だけ見た」
誠司は静かに言った。
「躊躇いがなかった」
「躊躇う理由がなかった」
「そうか」
誠司は小さく言った。
「俺は、そこが賢と違う。俺なら少し躊躇う。でも賢は、しない」
「悪いことか?」
「分からない」
誠司は言った。
「悪いかどうかじゃなくて、違う、ということだ」
賢はハンスに後処理を任せ、野戦司令部への報告を打った。
「ヴァルドクス、撃破確認。死亡。これにより、魔族領の組織的な指揮系統は完全に崩壊したと判断します」
グスタフから返答が来た。
「確認した。残存勢力の掃討と占領地の安定化に移行する。よくやった」
賢は無線を置いた。
次に、颯人への無線を入れた。
「ヴァルドクスを処理した。これで主要な戦闘は終わる」
少し間があった。
「そうか」
颯人の声が来た。
「お前が撃ったのか」
「そうだ」
「……無事か」
「無事だ」
「そうか」
颯人はもう一度言った。
「お前が前に出たのは、俺が行かなかったからか」
「最も確実な方法を選んだ結果だ」
「……俺のせいだ」
颯人は静かに言った。
「違う」
賢は言った。
「颯人は正しい判断をした。俺も正しい判断をした。結果として今日の形になっただけだ」
「正しい判断、か」
颯人の声が少し苦くなった。
「お前がそう言うなら、そうなんだろう」
「颯人」
「何だ」
「今日、誠司が来てくれた」
「……知ってる。誠司から聞いた」
「誠司の《魔眼》がなければ、もっと時間がかかっていただろう」
「礼を言いたいなら、誠司に言え」
颯人は言った。
「俺には関係ない」
無線が切れた。
その夜、賢は一人で装備の手入れをしていた。
M82の銃身を拭きながら、今日のことを頭の中で整理した。
10mという近距離での射撃は、計算の範囲内だった。
ヴォルクとエルナが障壁を右から崩す。
誠司が障壁の構造を読む。
ハンスたちが火力を集中する。
全員が役割を果たした結果、賢が撃つ機会が生まれた。
しかし颯人がいれば、もっと早く終わっていた。
颯人の《英雄の剣》なら、障壁を一撃で斬れた可能性があった。
上位魔族との戦い方として、より確実だった。
賢はその事実を認識した。
颯人が来なかったことへの感情はなかった。
ただ、颯人が来ない理由を作ったのは自分だという認識があった。
毒ガスの使用を隠したこと。
颯人の一線を踏み越えたこと。
それが今日、自分が前に出る形になった。
損害がなかったのは、結果として幸運だった。
もし誠司が《魔眼》で障壁を読めていなければ、あの状況はもっと危険だった。
賢はM82の手入れを続けた。
今後も颯人が消極的であり続ける可能性があった。
その場合、誰かが代わりを務める必要があった。
あるいは、賢が今日のように前に出る場面が増える。
どちらが良いかの計算をした。
どちらも、望ましい形ではなかった。
誠司が来た。
「肩は」賢が聞いた。
「無事だ」
誠司は椅子に座った。
「賢に聞きたいことがある」
「なんだ?」
「今日、俺が来たことで、状況が変わったと思うか」
「変わった」
賢は答えた。
「誠司がいなければ、俺が射撃できる機会を作るのに、さらに時間と危険が必要だった」
「そうか」
誠司は言った。
「颯人がいれば、もっと変わっていたか」
「ああ」
「それが、正直なところだな」
誠司は言った。
「颯人が来ない理由は分かる。化学兵器の件だ。あれで、颯人の中で何かが変わった」
「そうだと思う」
「賢、一個だけ言う」
誠司は静かに言った。
「俺は今日来た。次も来るかもしれない。しかし全部に来るとは約束できない。颯人と同じで、方法によっては動けない場面がある」
「それは分かっている」
「それでも俺たちを計算に入れるか」
「入れる」
賢は答えた。
「ただし、来ることを前提にはしない。来ない場合の計画も常に持つ」
誠司が賢を見た。
「……お前は、俺たちが離れていくことを、計算の中で処理しているのか」
賢は少し間を置いた。
「処理しようとしている」
賢は静かに言った。
「うまくできているかは、分からない」
「正直だな」
誠司は言った。
「嘘をつく理由がない」
「颯人も、そう言っていた」
誠司は立ち上がった。
「俺たちは、お前のことが嫌いなわけじゃない。ただ、一緒にいられない場面が増えてきた。それだけだ」
「分かっている」
「分かってて、どうする」
「俺は続ける」
賢は答えた。
「お前たちが来られる時には来てもらう。来られない時には、別の方法を取る」
「そうか」
誠司は天幕の出口に向かった。
「お前が壊れないといいな」
「壊れる、というのはどういう意味だ?」
「一人でいると、見えなくなるものがある。それが怖い」
誠司は言った。
「颯人は、それを心配している」
天幕のカーテンが揺れた。
賢は一人になった。
M82の手入れを再開した。
壊れる、という言葉を頭の中で繰り返した。
壊れる、とはどういう状態を指すのか、正確には分からなかった。
ただ、誠司がそれを心配しているということは、何かが変化しているということだと賢は理解した。
それが何なのか。
銃身を拭きながら、賢はしばらくその問いを持ったまま、答えを出さなかった。




