第24話 天の燃ゆる日
侵攻開始日、午前4時30分。
皇国軍の前線基地は、魔族領との境界から30km後方の草原に展開していた。
まだ暗い空の下、賢は野戦司令部の天幕の中で最終確認をしていた。
地図に、赤と青の印が並んでいた。
赤が魔族の確認済み拠点、青が皇国軍の展開位置。
特殊部隊は既に72時間前から魔族領に浸透しており、各拠点の座標を送り続けていた。
「全航空機、準備完了の報告が入っています」
ハンスが言った。
「砲兵の展開は」
「155ミリ野戦榴弾重砲、60門が射撃位置に就いています。弾薬は1門あたり720発を確保済みです」
「特殊部隊の状況は」
「第一波の浸透チームは全チームが目標周辺に到達しています。通信拠点6か所、補給集積地8か所、全て把握済みです」
賢は時計を確認した。
午前5時0分。日の出まで30分。
「空から始めます」
最初に動いたのは、闇の中だった。
F-22ラプターが4機、約15000mの高高度から魔族領の上空に進入した。
ステルス機体が夜の闇に溶け込み、魔族の哨戒飛行個体には感知されなかった。
魔族領の上空には、翼竜型の魔獣が常時十数体、哨戒飛行をしていた。
翼幅10mを超える巨体で、速い飛行能力と炎の吐息を持つ。
通常の弓矢では届かない高度を飛び、地上の脅威を早期に感知する役割を担っていた。
F-22の一番機がレーダーに複数の目標を捉え、TDCで最も近い目標をロックした。
「Weapons free、距離40km、アムラームで対処します」
AIM-120、アムラーム。
中間航行はINSと指令誘導、終末航行にはARHの誘導方式で動く空対空ミサイル。
最高速度マッハ5、射程は約120km、一発の炸薬量で大型の飛行目標を確実に破壊できる。
「"Fox3"」
発射の瞬間、白い煙が闇の中に線を引いた。
翼竜型魔獣が気づいた時には、ミサイルは既に目前に迫っていた。
高高度から迫るその物体には、大量の運動エネルギーが乗っている。
当然、魔獣は避けられるはずもなかった。
轟音。
翼竜が空中で爆発した。
炎が散り、巨体が四散した。
続いて、二番機が発射した。
三番機が、四番機が。
連続する爆発が夜明け前の闇を照らした。合計16体の翼竜型魔獣が、20分以内に全て撃墜された。
地上では、魔族の監視員が空を見上げた。
炎が、落ちてきた。
何が起きているのか、理解できなかった。
F-22の第二波が、地上の魔力を持った飛行個体を狙った。
魔族の中には自ら飛行できる上位個体がいた。
人型に近い姿で、翼を持ち、高度な魔術を行使できる。
それらが異変を察知して上昇を始めた。
その瞬間、AIM-120が再び空を走った。
上位飛行魔族が異常を感じ、魔法障壁を展開した。
しかし、高高度から放たれたミサイルの運動エネルギーと炸薬量の前に、魔力で形成された障壁は瓦解した。
1時間後、魔族領の上空は静かになった。
皇国軍の航空戦力に対抗できる飛行戦力は、全て失われていた。
制空権が確立した。
夜が白み始めた頃、F-15Eストライクイーグルが飛来した。
8機が一列に並び、魔族領の北部森林地帯に向かった。
魔族は深い森の中に哨戒拠点と補給路を構築していた。
樹冠が厚く、上空からの観測が難しい地域だった。
それを変えるのが、今日の仕事だった。
先頭機が森の上空に差し掛かった瞬間、機体下部からナパーム弾が切り離された。
M4ナパーム弾。
ゲル化した燃料が充填されており、着弾すると広範囲に燃焼物が拡散して激しく燃え続ける。
水をかけても消えない。
魔法障壁の外側から燃え続ける。
最初の一発が樹冠に当たった。
森が燃え上がった。
オレンジ色の炎が瞬時に広がり、巨木が次々と火に包まれた。煙が垂直に立ち上り、黒い柱が朝の空に突き刺さった。
二機目が次の区画に投下した。
三機目が、四機目が。
森林地帯の北縁から順番に、ナパームの火が広がっていった。
森の中にいた魔族の哨戒部隊は、突然の炎に包まれた。
魔族にとって火は脅威ではなかった。
通常の炎なら、魔力で消せる。
しかしナパームは違った。
魔力で押さえようとしても、ゲル化した燃料が皮膚に張り付いたまま燃え続けた。
払っても消えない。
障壁を張っても、内側に入り込んだ燃料がそのまま燃え続ける。
哨戒部隊の一員の魔族は炎の中で混乱した。
何百年も戦ってきた。
人間の攻撃など、数で押し返せばいい。
弓矢なら障壁で防げる。
魔法なら打ち消せる。
しかしこれは何だ。
空から降ってくる炎が、消えない。
仲間が燃えていた。
断末魔の声が、燃える森に響いていた。
必死に逃げた。
樹冠が崩れ落ちる中を、魔力で身を守りながら走った。
しかし逃げた先にも、炎が来た。
F-15Eが第二編隊に交代した。
より深い森林地帯に、さらなるナパームが降り注いだ。
一時間後、魔族領北部の森林地帯の三割が炎に包まれていた。
黒煙が地平線まで広がり、夜明けの空を昼間なのに薄暗くした。
太陽が完全に昇った頃、重低音の轟きが空から降ってきた。
B-1Bランサーが2機、高高度から魔族領の中央部に向かっていた。
ここには魔族の主要拠点が集中していた。
岩山を削って作られた要塞群で、石壁の厚さが数mある。
魔力で強化された壁は、通常の砲弾では容易に破壊できなかった。
B-1Bの兵器倉が開いた。
Mk82爆弾が、連続して投下された。
一機あたり最大84発の搭載量を持つ戦略爆撃機が、丘一つを覆うように爆弾を撒いた。
最初の爆発が岩山の頂上部を吹き飛ばした。
続けて、斜面に。
要塞の外壁に。
石造りの塔の基部に。
爆発が連鎖した。
魔力で強化された石壁も、直撃弾の爆圧の前には意味がなかった。
壁が砕け、塔が崩れ、内部に入っていた魔道具が誘爆した。
二機目が別の丘を狙った。
丘が、文字通り吹き飛んだ。
魔族の要塞の内部にいた高位魔族は床の揺れに目を覚ました。
最初は地震かと思った。
しかし揺れが続いた。
連続した爆発音が、石壁の外から聞こえてきた。
魔力で感知しようとした。
上空に、何かがいる。
魔力を持たない、巨大な鉄の塊が高速で飛んでいた。
その腹から、何かが落ちてきた。
「障壁を!」
高位魔族は叫んだ。
部下の魔族たちが一斉に魔力を展開した。
しかし爆弾の投下量と爆圧は、局所的な魔法障壁の想定を遥かに超えていた。
天井が落ちてきた。
同じ頃、低空を飛ぶA-10サンダーボルトが魔族領の南部に現れた。
このA-10の仕事は、野戦だった。
平野部に展開しようとしている魔獣の群れ。
指揮を失って混乱し、密集したまま動き回っている数千の魔獣たちが、格好の標的になっていた。
A-10のノーズに搭載されたGAU-8アヴェンジャー。
30mmガトリング砲が、毎分3900発の速度で発射できる。
一発の弾薬が約1kgの劣化ウラン弾芯を持ち、魔族の魔法障壁すら物理的に貫通できる。
A-10が低空で進入した。
機体が機首を下げた瞬間、
"brrrrrt"
という独特の発射音が響いた。
地面が、削れた。
密集した魔獣の群れに、30mm弾が連続して降り注いだ。
魔力を持つ魔獣の皮膚も、劣化ウラン弾の貫通力と質量の前には防ぎ切れなかった。
10頭が倒れ、20頭が倒れ、弾幕が地面を走るたびに魔獣が散っていった。
A-10が一回通過するたびに、数十頭が沈黙した。
二機、三機が続いた。
魔獣たちが逃げ始めた。
しかし逃げる先に、別のA-10が待っていた。
逃げた群れが密集した場所を、上空から観測機が捉え、A-10に誘導した。
逃げ場を探して走り回る魔獣たちに、繰り返し30mmが降り注いだ。
二時間後、南部平野の魔獣群は壊滅していた。
航空支援が一段落した頃、賢は砲兵司令に命令を出した。
「砲撃開始」
前線に展開した155mm野戦榴弾重砲60門が、一斉に火を噴いた。
砲声が連続して轟いた。一門、また一門。60門が次々と砲弾を放ち、その轟音が重なり合って大地を揺るがした。
砲弾が弧を描いて飛んだ。
魔族の前線陣地に着弾した。
爆発が連続した。
土が舞い、石が砕け、陣地の構造物が吹き飛んだ。
一門が一分間に最大4発を撃てる。60門が同時に撃てば、一分間に240発の155mm榴弾が着弾する。
それが、止まらなかった。
五分間、十分間、砲撃が続いた。
魔族の前線陣地が、文字通り更地になっていった。
砲術班の指揮官、リッカルドが双眼鏡で着弾を確認した。
「第三目標、壊滅確認。目標を第四に移動」
修正射が素早く行われ、砲が仰角を変えた。
次の砲弾が飛んだ。
リッカルドは画板の地図に印をつけながら、次の目標を計算した。
今日の砲撃目標は30か所。
全てを処理するには、6時間かかる計算だった。
「補給弾薬の確認」
「問題ありません。十分な余裕があります」
「続けます」
魔族の本拠地、黒塔の最上層で、高位魔族の将ヴァルドクが窓の外を見ていた。
北の空が赤かった。
森が燃えていた。
丘が、煙の向こうで爆発していた。
地平線の向こうから、連続した轟音が届いていた。
「報告を」
ヴァルドクは部下に言った。
部下が震えながら答えた。
「北部哨戒、壊滅。空の翼竜、全滅。中央要塞、半壊。南部平野の魔獣群、壊滅。との報告が」
「何が起きている」
ヴァルドクは静かに、しかし内心は違った。
「分かりません。空から何かが降ってくる。炎が消えない。石壁が崩れる。魔力の感知できない方向から攻撃が来る、等の報告が相次いでいます」
ヴァルドクは窓から空を見た。
高高度に、小さな点が見えた。
動かない翼を持つ何かが、翼竜の比ではない速さで飛んでいた。
その腹から、また何かが落ちてきた。
数秒後、10km先の丘が爆発した。
ヴァルドクは数百年生きてきた。人間と幾度も戦ってきた。
人間の武器など、魔力で全て対処できると思っていた。
しかし今日の攻撃は、何一つ理解できなかった。
空から炎が降り、音が轟き、地が揺れ、仲間が次々と倒れた。
魔力による感知が追いつかない速さで、見たこともない形の攻撃が来た。
「指揮官を集めろ」
ヴァルドクは言った。
「対応策を」
「指揮官の多くが、既に」
部下が言葉を止めた。
「既に、何だ」
「連絡が取れません」
ヴァルドクは部下を見た。
部下の顔に、見たことがない表情があった。
恐怖だった。
数百年間、魔族が人間に恐怖を感じたことはなかった。それが今、部下の顔にあった。
「……何が来た」
ヴァルドクは独り言のように呟いた。
「何が、来たんだ」
野戦司令部で、賢はリアルタイムの報告を処理し続けていた。
航空機からの映像フィード。
砲兵の着弾報告。
特殊部隊からの地上情報。
全てが同時に入ってきた。
「北部森林、ナパームによる哨戒網の無力化、完了」
「中央要塞群、B-1Bによる第一次攻撃、完了。二か所の要塞が完全崩壊。三か所が大破」
「南部平野の魔獣密集群、A-10による殲滅、八割以上を確認」
「砲撃、第15目標まで処理完了。予定より20分早い進行です」
ハンスが言った。
「予想より抵抗が少ない。制空権の確立が完璧で、地上部隊が動けずにいる様子です」
「敵は混乱しています」
賢は言った。
「魔族は組織的に動ける前提で防衛計画を作っていた。指揮系統が機能している前提で。今は指揮が崩れている」
「追撃しますか。地上部隊を前進させます」
「まだです」
賢は答えた。
「砲撃で前線を完全に更地にしてから動かします。急いで前進して損害を出す必要はない」
「了解です」
颯人が司令部に来た。
「進んでいるか」
「想定以上だ」
賢は答えた。
「航空支援が完璧に機能した。制空権を確立した時点で、地上の主力戦闘は半分終わっている」
「すごいな」
颯人は地図を見た。
「俺たちが出る番は」
「地上部隊が前進した後、残存する上位魔族の拠点への突入戦だ。建物の内部や地下では航空支援が使えない。そこは颯人たちと特殊部隊の仕事だ」
「分かった」
颯人は静かに言った。
「外から潰せるものは全部潰してくれ。俺たちが入る時には、できるだけ整理されている状態にしておいてほしい」
「そのために今日がある」
颯人が地図の赤い領域を見た。
「賢」
颯人が静かに言った。
「向こうにいる魔族は、今どんな気持ちだと思う」
賢は少し間を置いた。
「恐怖していると思う。理解できない攻撃を受けている。これはかつて人類が魔族に支配された時、人間が感じていたことと同じかもしれないな」
「だからといって、止める理由にはならないが」
「そうだ」
「でも」
颯人は続けた。
「覚えておく。あの煙の向こうに、恐怖している者たちがいることを」
「そうしてくれ」
賢は静かに言った。
6時間後、砲撃が止んだ。
魔族領の前線は、静かになっていた。
煙が立ち込め、炎が各所で燃え続けていた。
黒塔の一つが傾き、要塞の外壁が崩れた場所に残骸が散らばっていた。
鳥の声が、しなかった。
風だけが、煙を運んでいた。
「前線の状況確認」
賢は言った。
「組織的な抵抗の兆候は」
「現時点ではありません」
偵察機からの報告が入った。
「動いている魔族の個体が散発的に確認されていますが、集結の動きはない」
「砲撃の効果は」
「前線陣地の7割が機能停止。確認できる魔獣の密集地帯は全て無力化。中央要塞群は4割が完全崩壊、残りも大幅に弱体化しています」
賢は地図を見た。
「地上部隊の前進を命じます」
賢は言った。
「第一波、第一師団と第二師団が前線を越える。特殊部隊は残存拠点への突入準備。颯人さんに伝えてください、出番です」
皇国軍第一師団が前線を越えた。
煙の中を、散開した歩兵が進んだ。
小隊単位で間隔を取り、互いを支援しながら前進する。
最初の集落跡に入った時、動くものはいなかった。
瓦礫が積み重なり、焦げた木材が煙を上げていた。
魔族の痕跡が、到るところにあった。
しかし生きている者は見えなかった。
斥候が報告した。
「地下への入り口を発見。坑道のようです」
「封鎖してください」
大隊長が命じた。
「突入は特殊部隊が来てから」
別の斥候が別の方向から戻ってきた。
「こちらは人間の集落跡です。建物が残っています。中に人が」
大隊長が駆けつけた。
石造りの小屋の中に、人間が十数人いた。老人と女性と子供。
怯えた目で兵士たちを見ていた。
「私たちはゲールアライヒ皇国軍です」
大隊長は言った。
「攻撃はしません」
老人の一人が震える声で言った。
「……ゲールアライヒの、兵士?」
「そうです。もう安全です」
老人が崩れるように泣いた。
隣の女性が、泣いている老人を抱きかかえた。
その女性も、肩が震えていた。
大隊長は一瞬、その光景を見た。
それから「医療班を呼べ」と命じた。
野戦司令部に、その報告が届いた。
賢は聞いて、次の命令を出し続けた。
処理すべきことが山積していた。
前進する部隊の管理、航空支援の再割り当て、補給線の確保。
颯人だけが、その報告の一点で止まった。
「人間が生き延びていた」
「そうです」
ハンスが言った。
「複数の集落で確認されています」
「保護してください」
颯人は言った。
「勿論です」
颯人は一度だけ、燃える魔族領の方向を見た。
煙が空まで届いていた。
その下で、自分たちが行った攻撃の結果が広がっていた。
それは必要なことだった。
颯人はそう思っていた。
しかし必要なことと、良いことは、必ずしも同じではない。
颯人は剣の柄に手をかけた。
「行こう」
颯人は仲間に言った。
「次は俺たちの番だ」




