第14話 鉄と帆
宣戦布告の翌日、皇国海軍はテルノッホ港を出ていた。
夜明けの海に、3隻の装甲艦が並んだ。
旗艦の一番艦を先頭に、二番艦、三番艦が続く。
黒い煙突から石炭と魔力機関炉の煙を上げ、スクリューが海面を掻いて白い航跡を引いていった。
風向きに関わらず、一定の速力で進める。
それが蒸気スクリュー推進の強みだった。
後方に砲艦8隻と輸送船12隻が続いた。
海軍大将クリストフは旗艦の艦橋に立ち、双眼鏡で水平線を確認していた。
「天気は持つか」
「今日明日は問題ありません」
航海長が答えた。
「南方から風が上がる予報ですが、装甲艦には影響は出ません」
「王国艦隊の動きは」
「昨日の偵察で、王国の艦隊主力はモンテ港に集結しています。20隻から22隻と見られます。ガレオン船が主力で、数隻のガレー船が混じっているようです」
「魔力帆装か」
「はい。通常の帆船より速いですが、向かい風では速力が落ちます。今日は南風ですので、向かい風になります」
クリストフは双眼鏡を下ろした。
「好都合だな」
モンテ港では、王国海軍の提督、アンリ・ド・ラ・ロシュが艦橋に立っていた。
六十代の老提督で、三十年以上海軍に仕えてきた。
魔力帆装のガレオン船を自在に操ることでは、この大陸でも指折りの指揮官だと自負していた。
しかし今朝は、珍しく落ち着かない気分だった。
皇国の艦隊について、情報が少なすぎた。
帆のない鉄の船、という報告が諜報員から届いていたが、正直なところ意味が掴めなかった。
帆のない船が、どうやって動くのか。
「提督」
副官が近づいた。
「皇国艦隊が北方から接近中との報告です。三隻の黒い船が先頭、後方に多数の小型艦が続いているとのこと」
「距離は」
「およそ八海里。一時間から一時間半で交戦圏内に入ります」
ラ・ロシュは決断した。
「出港する。全艦出港準備。風上を取って迎え撃つ」
モンテ港から、16隻のガレオン船と5隻のガレー船が出港した。
魔力帆装の帆が膨らみ、船体が水面を切り始めた。
南風を受けて、速力が上がった。
ラ・ロシュは少し気持ちが楽になった。風上を取れれば、機動の優位がある。
接近しながら大砲で先手を打てる。
何十年も繰り返してきた戦い方だ。
しかし、双眼鏡を覗いた時、その気持ちが揺らいだ。
北方から来る三隻の黒い船が、南風に逆らって進んでいた。
帆もなく。
魔力帆装の光もなく。
ただ黒い煙を吐きながら、まっすぐに向かってきていた。
「……なんだ、あれは」
両艦隊の距離が縮まった。
クリストフは落ち着いた声で言った。
「距離、15000。砲撃準備」
「砲撃準備開始。」
艦橋の下で、砲術長が復唱した。
主砲の砲手たちが動き始めた。
ベルフスト級の主砲は254mm連装砲。
砲身の内側に螺旋状の溝が刻まれており、砲弾に回転を与えて精度と射程を飛躍的に上げていた。
有効射程は15kmを超える。
王国のガレオン船が搭載する青銅砲の有効射程は、精々800mだった。
「距離、14000」
「まだ早い」
クリストフは言った。
「12000で撃つ」
王国艦隊は風上から接近しながら、一斉射撃の機会を狙っていた。
しかし皇国艦隊は距離を詰めようとしない。
その意味に、ラ・ロシュはまだ気づいていなかった。
「距離、12000」
「撃て」
ベルフストの主砲が火を噴いた。
巨大な砲声が海面を揺るがし、白い煙が艦橋を包んだ。
254mmの砲弾が弧を描いて飛んだ。
王国のガレオン船の先頭艦、船体中央部に直撃した。
木造の船体が裂けた。
砲弾が甲板を貫通し、内部で炸裂した。
帆柱の一本が折れ、燃え上がった帆が海に落ちた。
二番艦と三番艦も続いて主砲を放った。
別々の目標に砲弾が飛んだ。
王国艦隊は、まだ自分たちの射程外にいた。
ラ・ロシュは信じられない光景を見ていた。
先頭の三隻のガレオンが、次々と砲弾を受けていた。
遠い。
あの距離から、あれほどの砲弾が飛んでくるのか。
「距離はどのくらいだ!」
「お、およそ10kmです!」
副官が震える声で答えた。
「10km!?」
ラ・ロシュは叫んだ。
「我が砲の射程の10倍以上じゃないか!」
「は、はい……」
ラ・ロシュは一瞬、思考が止まった。
射程が10倍違う。
それは何を意味するか。
こちらの砲が届く前に、一方的に撃ち続けられる、ということだ。
「全艦、最大速力で突撃! 距離を詰めろ!」
ラ・ロシュは叫んだ。
このまま遠距離で撃たれ続ければ、全滅する。
近づいてしまえば、互いに撃ち合える。
それが唯一の活路だった。
王国艦隊が速力を上げた。
魔力帆装が輝き、帆が最大限に膨らんだ。
クリストフは王国艦隊が速力を上げたのを見て、静かに言った。
「前進速力を上げろ。距離を5000以上に保て」
スクリューの回転が上がった。
一番艦が加速した。
王国艦隊が近づこうとする。
皇国装甲艦が後退しながら距離を保つ。
一方的な砲撃が続いた。
ラ・ロシュは艦橋で歯噛みした。
近づけない。
速力を上げても、皇国の鉄の船も速力を上げる。
距離が縮まらない。
その間にも、砲弾が降り続けてくる。
「帆を風に最大限合わせろ! もっと速く!」
しかし南風に向かって進むガレオン船の限界速力は、魔力帆装をもってしても皇国装甲艦の巡航速力と大差なかった。
向かい風での速力低下も重なって、距離は縮まらなかった。
皇国艦隊の砲撃は正確だった。
施条砲の砲弾は回転によって安定し、5km以上の距離でも命中精度を保っていた。
ベルフスト単艦の主砲だけで、一門につき3分に一発の砲撃サイクルで4発を放てた。
三隻合わせれば、3分で12発の主砲弾が飛んでくる。
ガレオン船の木造船体は、254mm砲弾の一撃に耐えられなかった。
命中した艦から次々と火の手が上がった。
砲手の一人、ピエールは装填作業を黙々と続けていた。
24歳、元鉄工所の職人だ。
賢の設計した砲兵育成計画で徴募され、半年の訓練を経て一番艦の主砲の砲手になっていた。
装填、閉鎖、照準確認、発射。
一連の動作を、ピエールは機械的に繰り返した。
砲口から火が噴き、砲声が腹に響く。
遠くで何かが爆発する音が聞こえる。
「命中確認!」
見張りの声が聞こえた。
「目標艦、火災発生!」
隣の砲手が「よし」と呟いた。
ピエールは何も言わなかった。
ただ次の装填に移った。
海戦を想像していた時、もっと違うものを思い描いていた。
しかし実際は、作業だった。
装填して撃つ。
装填して撃つ。
それだけだ。
遠くに見えるガレオン船が燃えていた。
ピエールはそれを確認してから、また装填に戻った。
海上で主力同士の砲撃戦が続く中、砲艦3隻が王国の西岸から離れ、モンデ川の河口に向かっていた。
砲艦隊を率いるのは、30代の艦長ゾフィア・フォン・クラインだった。
皇国海軍初の女性艦長だ。
賢の軍制改革の中で、能力の高い者は女性でも軍に採用するという方針が採られており、ゾフィアはその最初期の将校だった。
魔力による霧の制御と河川の地形読みに優れており、砲艦隊の指揮官に選ばれた。
「河口の守備は」
とゾフィアが副官に問うた。
「魔力砲台が二基確認されています。青銅砲で、射程は800m程度」
「砲台の射程外から先に黙らせる」
ゾフィアは静かに言った。
「砲撃で無力化した後、河口に進入する」
砲艦は小型だが、105mm単装砲を2基搭載していた。
王国の砲台の射程の外から、一方的に砲撃できる。
河口の砲台が気づいた時には、既に射程外から砲弾が飛んでいた。
20分で砲台は沈黙した。
「進入します」
ゾフィアは命令した。
「全艦、河川航行速力に落とせ。船底に注意」
3隻の砲艦がモンデ川に入った。
河川に入ると、風景が変わった。
両岸に草原と森が広がり、遠くに農村の屋根が見えた。
川幅は広く、砲艦が並走できる余裕があった。
川を遡るほどに、王国の内陸へと深く入り込んでいく。
沿岸の村から人々が川岸に出てきて、見たこともない黒い船を見物していた。
驚いた顔と、怯えた顔が混じっていた。
「民間の船や家屋には砲を向けるな」
ゾフィアは命令した。
「軍の施設と輸送船のみが目標だ」
川を遡ること半日、王国の河川輸送の集積地が見えてきた。
物資を積んだ平底船が十数隻、岸に繋がれていた。前線への補給物資だ。
「砲撃します」
「待て」
ゾフィアが言った。
「先に投降を促す。逃げる時間を与えてから撃つ」
副官が怪訝な顔をした。
「しかし時間を与えれば」
「物資さえ潰せれば十分だ。人を必要以上に殺す必要はない」
拡声魔道具で、岸の兵士たちに退避を呼びかけた。
兵士たちが慌てて岸から離れるのを確認してから、ゾフィアは砲撃を命じた。
105mm砲が平底船に砲弾を送り込んだ。
王国軍の前線への補給が、川の上で燃え上がった。
海上では、王国艦隊の壊滅が進んでいた。
出港した21隻のうち、沈没が10隻、行動不能が5隻、撤退を試みているのが3隻。まだ戦闘を続けているのは3隻だけになっていた。
ラ・ロシュの旗艦も、既に二発の砲弾を受けていた。
帆柱の一本が折れ、甲板に火が出ていた。消火に当たっている水兵の傍らで、ラ・ロシュは艦橋に立ち続けていた。
「提督、撤退を」
副官が叫んだ。
「このままでは」
「撤退してどこへ行く」
ラ・ロシュは静かに言った。
「港に逃げ込んでも、あの砲の射程の前では港ごと潰される」
また砲弾が飛んできた。
今度は艦首に直撃した。
船体が大きく揺れ、木材が砕け散った。
甲板の水兵が何人か吹き飛んだ。
ラ・ロシュは手摺りを掴んで踏ん張った。
双眼鏡で皇国の旗艦を見た。
黒い鉄の船体に白い煙が漂い、砲門からまた火が噴いた。
遠い。
まだ遠い。
どれだけ頑張っても、届かない距離だった。
「……時代が、変わったな」
ラ・ロシュは静かに呟いた。
三十年間、自分は最高の海軍指揮官だと信じて戦ってきた。
風を読み、潮を読み、相手の動きを先読みして勝ち続けた。
しかし今日の海では、その全てが意味を持たなかった。
風向きに関係なく動く鉄の船。
届かない距離から正確に砲弾を撃ち込んでくる大砲。
これに帆船と青銅砲で対抗する方法が、三十年の経験の中にどこにもなかった。
また砲弾が来た。
今度は艦橋の真下に当たった。
爆発が足元を揺るがし、ラ・ロシュは甲板に倒れた。
脇腹に、熱い感触があった。
副官が駆け寄ってきた。
「提督!」
「白旗を」
ラ・ロシュは言った。
「白旗を上げろ。残った艦を道連れにするな」
「し、しかし」
「命令だ」
副官が頷き、走っていった。
ラ・ロシュは甲板に横たわったまま、空を見た。
青い空だった。
雲が流れていた。
南風が頬を撫でた。
帆船の時代が終わった、と老提督は思った。
自分の時代が、終わった。
白旗が上がったのを、クリストフは艦橋から双眼鏡で確認した。
「砲撃停止」
クリストフは命令した。
「残存艦に投降勧告を送れ。降伏した艦には近づくな、まず安全を確認してから」
「旗艦以外の残存艦も、次々と白旗を掲げています」
見張りが報告した。
「結果を出せ」
クリストフは航海長に言った。
「撃沈11隻、撃破5隻、拿捕4隻、逃走1隻です。我が方の損害は、砲弾の破片による軽傷者が13名。艦艇の損害は軽微です」
クリストフは少し間を置いた。
「……戦死者はいないか」
「はい、おりません」
クリストフは双眼鏡を下ろした。
燃えるガレオン船が、海面に煙を上げていた。
木材と帆布が燃える匂いが、海風に乗って流れてきた。
「救助隊を出せ」
クリストフは言った。
「王国の乗員も含めて、海に落ちた者を救助する」
「王国の乗員もですか」
「溺れている人間を見殺しにする理由がない」
救助隊の小型艇が下ろされ、燃えるガレオン船の周囲に向かっていった。
海戦終結の報告が賢の指揮所に届いたのは、第二防衛線を突破しているだった。
報告書を読んだ賢はオットーに言った。
「海上封鎖を完成させます。河川砲艦は内陸を続行させてください」
「海軍の損害は」
「皇国側、戦死者ゼロ。負傷者13名。王国艦隊はほぼ壊滅です」
オットーが静かに言った。
「……戦死者がいないのか」
「技術差があれば、そうなります」
賢は淡々と答えた。
「王国の乗員の死者は」
「救助活動中ですが、溺死者が200名以上と見られます。艦内で砲弾を受けた者はその倍以上かと」
オットーが窓の外を見た。
「……海でも同じだったか」
「同じです」
賢は言った。
「技術が違えば、結果は変わりません」
老宰相はしばらく黙っていた。
「河川砲艦の指揮官は誰だったか」
「クライン艦長です」
「女性だったな」
「はい。補給船の撃破と、退避の時間を与えてからの砲撃を徹底させたと報告が上がっています」
オットーが少し目を細めた。
「それは……賢いな。民間への被害を抑えた」
「統治する側の配慮です。王国の民を将来的に皇国に統合することを考えれば、不必要な被害は避けるべきです」
「お前が指示したのか」
「クライン艦長が自分で判断しました」
オットーは少し意外そうな顔をした。
「……優秀な人材が育っているな」
「育てた成果です」
賢は静かに答えた。
「あとは陸の処理が終われば、王都への進軍ができます」
オットーが地図を見た。
「これで、モンデブーレも終わりか」
「終わりです」
老宰相はため息をついた。
窓の外に、ベルフストの工場の煙が見えた。
経済の歯車は今日も回り続けていた。
そのために必要な戦争が、また一つ終わろうとしていた。




