第13話 一方的な戦場
夜明け前、皇国軍六個師団は国境に展開した。
モンデブーレ王国との国境線は、緩やかな丘陵地帯だった。
草原と疎林が交互に続き、視界は広い。
王国軍は国境沿いの丘に陣地を構え、皇国軍の侵攻を待ち構えていた。
王国軍の前線兵力は約2万。
騎兵4千、魔導歩兵4千、弓兵6千、槍歩兵6千という編成だ。
後方に予備兵力として7千が控えているという情報を、賢の諜報網が掴んでいた。
皇国軍の第五砲兵支援師団が、夜明け前から射撃準備を終えていた。
野戦砲40門、軽迫撃砲60門が、丘陵上の王国軍陣地に照準を合わせていた。
グスタフが懐中時計を確認した。
「砲撃開始まで、五分」
王国軍の前線陣地で、騎士団長のオーギュスト・ド・モンフォールは夜明けの靄の中を見渡していた。
50年の軍歴を持つ老騎士だ。
かつて皇国との国境紛争でも指揮を執り、幾度も勝利を収めてきた。
しかし今朝は、胸に奇妙な重さがあった。
皇国がアルクハインを二週間で落としたという報告は聞いていた。
しかし詳細は不明だった。
新しい武器を使ったらしいとは聞いていたが、それが何なのかを正確に把握している者は王国内に誰もいなかった。
「閣下、夜明けとともに騎兵を前進させますか」
副官が聞いた。
「予定通りだ」
モンフォールは答えた。
「正面の歩兵を騎兵で蹴散らし、魔導兵が後続を叩く。いつも通りでいい」
その瞬間だった。
遠くから、轟音が連続して響いた。
砲撃は30分間続いた。
40門の野戦砲が、王国軍の陣地に正確に砲弾を送り込んだ。
旧型の砲とは比べ物にならない射程と精度を持つ施条砲の砲弾が、陣地の胸壁を次々と崩した。
軽迫撃砲は放物線を描いて陣地の内側に落下し、盾や胸壁の陰に隠れた兵士たちを容赦なく叩いた。
王国軍の魔導兵が魔法障壁を展開しようとした。
しかし連続して降り注ぐ砲弾の前に、個人規模の障壁では防ぎ切れなかった。
30分後、グスタフが手を上げた。
「砲撃停止。第一、第二師団前進」
王国軍の陣地は、砲撃で大きく乱れていた。
しかしモンフォールは崩れなかった。
老騎士は血を拭い、副官に叫んだ。
「騎兵隊を前進させろ! 歩兵が進んでくる今が好機だ、突撃して混乱させるんだ!」
皇国の砲撃で騎兵の4分の1が壊滅していたが、離脱していた残りの3千はまだ戦闘能力は残っていた。
大地を揺るがす蹄の音が草原に響いた。
先頭に立つ騎士たちが槍を構え、旗を靡かせながら丘を下り始めた。
重装備の騎兵が密集して突撃する光景は、この大陸の戦場で幾度も敵を打ち破ってきた光景だった。
前進する皇国歩兵の後方から、何かが動いた。
機関銃陣地だった。
各中隊に配備された重機関銃が、前進する歩兵の間隙に展開していた。
三脚に据え付けられた銃身が、突撃にままましてくる騎兵の方向に向けられた。
射手が照準を覗いた。
300m。
密集した騎兵の塊が、まっすぐにこちらへ向かってくる。
「撃てーっ!」
重機関銃《12.7×99mm》が咆哮した。
電動ノコギリの様な銃声が草原に響き渡った。
一門の重機関銃が一分間に1500発の12.7×99mmを叩き出す。
それが左右《支援中隊》に並んで18門。
弾幕が草原を薙いだ。
騎兵の先頭が崩れた。
馬が倒れ、騎士が落ちた。
後続が倒れた馬を踏み越えようとして転倒した。
密集した隊形が、次々と弾幕に吸い込まれていった。
騎兵が持つ速度と突進力は、止まって待ち構える機関銃の前では意味を失った。
モンフォールは丘の上から、その光景を見ていた。
騎兵が、崩れていた。
あれほどの速さで、あれほどの数が。
魔法でも大型魔獣でもない。
見たこともない音と閃光が連続して放たれ、馬が倒れ、騎士が倒れた。
「な、なんだ、あれは……!」
副官が震える声で言った。
「後退させろ」
モンフォールは絞り出すように言った。
「騎兵を後退させるんだ!」
しかし伝令が駆け出す前に、突撃した騎兵の半数近くが草原に倒れていた。
迫撃砲班の軍曹は冷静に次の指示を出していた。
「第二波が来る。目標、西方向の丘陵、敵騎兵の集結地点。距離800、仰角修正」
装填手が素早く砲弾を投下口に落とした。
重い発射音。
砲弾が放物線を描いて丘陵の向こうへ消えた。
数秒後、丘の稜線の向こうで爆発音が響いた。
「着弾確認、目標から距離50、北方向に着弾。効力射、二発続けて撃て。」
迫撃砲は稜線の向こうに隠れた敵にも有効だった。
弓も魔法も届かない距離から、放物線を描いて陣地の内側に落ちてくる砲弾を、王国軍は防ぐ手段を持っていなかった。
丘の向こうで断続的な爆発音が続いた。
王国軍の魔導兵が動いた。
騎兵の失敗を見たモンフォールは、次の手に出た。
魔導兵2千を前面に展開し、大規模な魔法攻撃で皇国歩兵の前進を止めようとした。
魔導兵たちが魔力を練り始めた。
百人単位で魔力を合算し、巨大な火球と雷撃を形成する大規模術式だった。
通常の戦場なら、これで歩兵の密集隊形を壊滅させることができた。
しかし皇国の歩兵は密集していなかった。
散開戦術。
十数メートル間隔で散開した小隊単位の歩兵は、大規模魔法の一撃に対して著しく損害が少なかった。
火球が落ちても、雷撃が走っても、それが当たるのはその場所にいた数人だけだ。
それでも魔法は効いた。
散発的な損害が積み重なり、前進速度が落ちた。
第一師団長のハルテンベルクが判断した。
「第三大隊、銃剣を装着。魔導兵陣地へ突撃準備」
命令が伝わった。
第三大隊の歩兵たちが、小銃の銃口に銃剣を取り付けた。
刃渡り30センチの鋼鉄の刃が、銃口に固定される。
小銃が槍に変わった。
「前進開始!」
第三大隊の大隊長、ヴォルフは先頭に立って走った。
三十代の元猟師で、下士官学校を経て大隊長に昇進した男だ。
貴族でも騎士でもない。
しかし賢が設計した軍では、能力があれば身分は関係なかった。
「散開を保て! 間隔を縮めるな! 走れ!」
大隊が前進した。
魔導兵の陣地まで、300m。
王国の魔導兵たちが気づいた。
銃剣を構えた歩兵が走ってくる。
魔法を切り替え、近距離用の術式を展開しようとした。
しかしそれより先に、第三大隊の小銃が一斉射撃を行った。
走りながら止まることなく撃てる後装式連発銃の利点が、ここで活きた。
前進しながら撃ち、また前進する。
魔導兵が術式を完成させる前に、銃弾が飛んできた。
術式の集中が乱れ、展開しかけた魔法が霧散した。
陣地まで100m。
魔導兵たちが動揺した。
弓兵のように距離を置いて戦うことを想定していた彼らに、銃剣を構えた歩兵が肉薄してくる展開への備えは薄かった。
残り50m。
「突撃!」
ヴォルフが叫び、大隊が速度を上げた。
魔導兵の陣地に、銃剣の波が突っ込んだ。
近距離での乱戦になった。
魔導兵は魔法の行使に集中力を要する。
目の前で鋼鉄の刃を突きつけられた状態では、術式を組み立てる余裕がない。
一対一の肉弾戦では、訓練された皇国歩兵の方が上回っていた。
ヴォルフは銃剣で眼前の魔導兵を串刺しにし、そのまま次の敵に向かった。
大隊が縦横に動き、魔導兵の陣形を崩していった。
魔導兵の一人が大きく魔力を溜め、広範囲の爆発術式を発動しようとした。
ヴォルフが見た。
術式の光が膨らんでいる。
「全員伏せろ!」
大隊が地面に伏せた瞬間、爆発が起きた。
衝撃波が頭上を走り、数名が吹き飛ばされた。
しかし伏せていたおかげで、直撃を受けた者は僅かだった。
「立て!突撃再開!」
ヴォルフが立ち上がり、大隊が再び動いた。
魔導兵の陣形が崩れ始めていた。
丘の上から戦況を見渡していたモンフォールは、唇を噛んだ。
騎兵は半壊した。
魔導兵の陣地が崩れていた。
弓兵は皇国の野戦砲と迫撃砲の射程外まで後退させてしまっており、前線への支援ができていない。
皇国軍は傷ついていなかった。
損害がないわけではない。
魔法を受けた部隊、矢に倒れた兵士もいる。
しかしその損害が、皇国軍全体の勢いを止めていなかった。
散開した歩兵は穴が開いてもすぐに埋まり、前進を続けていた。
「信じられん」
モンフォールは呟いた。
「あれほどの魔法攻撃を受けて、なぜ止まらない」
「閣下」
副官が震える声で言った。
「第二線の予備兵力を投入しますか」
モンフォールは黙っていた。
予備の7千を投入したとして、何が変わるか。
あの皇国軍の新兵器の前に騎兵を出せば、また同じことが起きる。
魔導兵を増やしても、散開した歩兵への大規模魔法は効率が悪い。
弓兵は距離があって届かない。
答えが出なかった。
老騎士の五十年の経験が、今日の戦場では機能しなかった。
「……後退させろ」
モンフォールはやがて言った。
「第二防衛線まで全軍撤退。態勢を整え直す」
「閣下、それは」
副官が食い下がった。
「ここで退けば、前線の士気が」
「下がらなければ全滅する!」
モンフォールが珍しく声を荒げた。
副官が黙った。
「生き残らなければ、戦い続けることもできない。戦略的撤退だ」
前線から後方の指揮所に、戦況報告が次々と上がってきた。
賢は地図と向き合い、報告書を処理しながら次の命令を出し続けていた。
「第四機動師団、王国軍の後退に合わせて右翼から迂回。退路を塞ぐ形で展開せよ。
砲兵は射撃目標を第二防衛線に変更。
第六航空師団は近接航空支援《CAS》で後退する騎兵の再集結を阻止せよ」
伝令が命令を持って走り出す。
副官が地図を確認しながら言った。
「右翼の迂回が完了するまで、半日ほどかかります。その間に王国軍が第二防衛線を整備してしまうかもしれません」
「それより先に、特殊部隊を動かします」
賢は卓上の地図に指を走らせた。
「王国軍の第二防衛線への後退路上に、補給の集積地があります。そこを先に叩けば、後退した王国軍は弾薬と食料が届かなくなる」
「特殊部隊で補給地点を叩く、ですか」
「夜間に行います。昼間の戦闘で王国軍の注意が前線に向いている間に、後方に浸透する」
賢が立ち上がり、愛用の汎用機関銃を手元に生成した。
「私が直接動きます。ハンスを呼んでください」
日が落ちた頃、賢は特殊部隊を率いて前線を抜けた。
草原の夜は暗かった。
月が雲に隠れており、視界が極端に落ちていた。
しかしそれは、皇国軍も王国軍も同条件だ。
違うのは、賢の特殊部隊が夜間行動の訓練を積み、暗視装置を着けていたことだった。
小隊ごとに散開し、音を殺して草原を進んだ。
王国軍の斥候が数組出ていたが、賢の諜報網が事前にルートを把握しており、全て避けて通った。
目標の補給集積地まで、四時間の行軍だった。
到着した時、集積地には松明が灯っていた。
後退してくる部隊への物資配給の準備をしていたようで、守備兵が慌ただしく動いていた。兵の数は200ほど。
賢は1個中隊を四方に展開させ、もう1個中隊を予備として後方警戒に置いた。
「火は使うな」
賢はハンスに言った。
「物資に引火したら制御できなくなる。守備兵を排除した後、物資を移動不能にする」
「了解です」
賢が無線を放った。
「第一中隊、weapon free。当該敵を始末せよ。」
暗闇の中から、多数のSR-25が静かに火を噴いた。
松明の光の下で動く守備兵の指揮官が倒れた。
続いて副指揮官が倒れた。
指揮系統の上位を素早く排除する。
残った守備兵が混乱した隙に、四方から銃声が上がった。
戦闘は10分で終わった。
補給物資の馬車の車輪を全て破壊し、食料の袋を切り裂き、矢を折り、魔法触媒の素材を散乱させた。
持ち出せる分は没収した。
「完了しました」
ハンスが戻ってきた。
「撤退します」
賢は言った。
「夜明け前に前線まで戻る」
夜が明けた。
王国軍の第二防衛線では、モンフォールが状況把握に奔走していた。
後退した部隊が次々と報告を上げてきた。
昨日の戦闘での損害。
死者、負傷者、行方不明者。
合計すると、前線兵力の約半数が失われていた。
そして追い打ちをかけるように、補給集積地が夜間に襲撃されたという報告が届いた。
「補給が……」
モンフォールは絶句した。
「後方が、やられたのか」
「はい」
伝令が頭を下げた。
「物資の大半が使用不能にされています。代替の補給が届くまで、五日ほどかかると」
その五日後、皇国軍の砲撃が第二防衛線に始まった。
補給のない軍は、砲弾の雨に耐える術を持たなかった。
同じ頃、第一師団の最前線では颯人が動いていた。
第二防衛線への突破を前に、王国軍の魔導兵が最後の抵抗を試みていた。
大人数で魔力を合算した超大規模術式。
空に渦を作り、雷撃と炎を一点に集中させる。
通常なら、その一撃で歩兵の一個中隊を消し飛ばせる威力だった。
しかし、術式の完成前に颯人が動いた。
《英雄の剣》を手に、最短距離で魔導兵の陣地に飛び込んだ。
誠司が《大賢者の魔眼》で術式の核を看破し、颯人に場所を知らせていた。
術式を束ねている中核の魔導士が、颯人の目に映った。
一閃。
魔力の刃が空気を裂いた。
術式の核が断ち切られ、積み上げた魔力が霧散した。
制御を失った魔力が爆発し、周囲の魔導兵を吹き飛ばした。
颯人は爆風の中に立っていた。
《英雄の剣》の魔力防護が爆風を受け止めていた。外套の裾が焦げたが、怪我はない。
周囲の皇国歩兵が前進を再開した。
大隊長が颯人の隣に馬を寄せた。
「助かった。あの術式が完成していたら、中隊が消し飛んでいた」
「誠司がいなければ位置が分からなかった」
颯人は静かに言った。
「礼を言うなら誠司に」
背後で誠司が
「私は見ていただけです」
と言った。
大きく前線が動いていた。
第二防衛線が崩れたのは、戦闘開始から二週間後だった。
王国軍も皇国軍への対策はしていたが、皇国軍の圧倒的な火力と王国軍の補給不足で、それはほとんど効果を成していなかった。
補給が途絶え、砲撃が続き、夜間の浸透作戦で後方を引っ掻き回された王国軍は、組織的な抵抗力を失っていた。
各地で部隊単位の投降が始まった。
モンフォールが白旗を掲げたのは、第二防衛線が崩れてから三日後のことだった。
老騎士は馬を降り、皇国軍の前に立った。
賢が歩み出た。
二人は黙って向き合った。
モンフォールが口を開いた。
「……勝者に問う。我が兵の命は保証されるか」
「投降した者は全員保護します」
賢は答えた。
「捕虜の扱いについては人道的な基準に従います」
「王都への進軍は」
「行います。ただし無用な破壊はしません。市民への危害も加えない。これは約束できます」
モンフォールが深く息を吐いた。
「……これが、新しい戦争か」
老騎士は静かに言った。
「私の知る戦争とは、全く違う」
「時代が変わりました」
賢は言った。
「ああ」
モンフォールは呟いた。
「変わったな。私が学んだことの全てが、今日の戦場では通じなかった」
老騎士は剣を鞘ごと外し、賢の前に差し出した。
この大陸の、伝統的な降伏の方法だ。
賢はそれを受け取り、副官に渡した。
「戦闘はここで終わりです」
賢は言った。
「王都へご同行ください。降伏文書の調印が必要です」
モンフォールが頷いた。
草原に、静寂が戻った。
遠くで砲声が止み、戦場の煙が風に流れていった。
夕暮れの草原を歩きながら、颯人が賢の隣に並んだ。
「終わったな」
「まだ王都の処理がある」
「大筋は終わりだろ」
颯人が空を見た。
「……思ったより、早かった」
「技術差があれば、こうなる」
「あの老騎士」
颯人が言った。
「モンフォールだったか。かっこよかったな、最後」
「そうか」
「全部通じなかったって分かってても、最後まで戦い続けた。それは本物だと思う」
賢は何も言わなかった。
夕暮れの草原に、倒れた馬と兵士《死体》が散らばっていた。
赤い光が、それを静かに照らしていた。




