第12話 次の標的
アルクハイン併合から四ヶ月が経った。
執務室の机に、一冊の報告書が置かれていた。
表紙には簡潔に記されていた。
――モンデブーレ王国対皇国 情報総覧。
賢はその報告書を開き、既に何度か読んだ内容を再確認した。
モンデブーレ王国。
皇国の南部に接する中規模の国家で、人口は約300万、軍事力は騎兵と魔導兵を主力とした3万5千の軍を擁している。
長年アルクハイン公国と同盟関係にあり、先の戦争では公国に対して兵糧と予備兵力の一部を秘密裏に供給していたことが、接収した公国の書類から明らかになっていた。
公式には戦争に参加していない。
しかし証拠は存在する。
「開戦事由として十分か」
グスタフが地図を前に聞いた。
「十分です」
賢は答えた。
「むしろ今動かなければ、王国が皇国の動向を見て軍備を整え始める。技術格差がある今のうちに決着をつけるべきです」
「外交的な解決の可能性は」
「提示します。しかし王国が受け入れられる条件ではありません」
「最初から戦争をする気か」
「最初から結論は決まっています」
賢は静かに言った。
「外交交渉は形式です。断られた時点で、国際的な大義名分が完成します」
グスタフが腕を組んだ。
「……相変わらず、冷静だな」
「感情で動く余裕がありません」
外交使節がモンデブーレ王国の首都に送られたのは、それから一週間後だった。
要求内容は三点だった。
アルクハイン公国への物資援助に対する公式謝罪。
賠償金として|金貨五万枚《王国の1年分の国家予算》。
そして国境地帯の一部の割譲。
王国側の回答期限は1ヶ月間。
賢はその1ヶ月を、準備に使った。
グスタフの司令部に、師団長たちが集まった。
6個師団。
総兵力は7万8000名に増えていた。
アルクハイン併合後の四ヶ月で、徴兵制の整備と下士官学校の拡充により、急速に規模が拡大していた。
編成の内訳をグスタフが説明した。
「第一から第三は銃兵師団。
小銃を主力とした歩兵で構成されており、散開戦術と小隊単位の連携を徹底的に訓練している。
第四は機動師団。
近代化した騎兵と機械化魔導兵で構成され、突破口への縦深侵攻を担う。
第五は砲兵支援師団。
野戦砲と軽迫撃砲を集中運用し、歩兵の前進を支援する。
第六は航空師団。
竜騎兵に機関砲と爆弾を装備させており、制空と近接航空支援を担当する」
師団長の一人、第一師団長のエルンスト・フォン・ハルテンベルクが地図を見ながら言った。
「アルクハインの時より装備が充実しています。特に砲の数が倍以上になりました」
「産業革命の成果だ」
グスタフが静かに言った。
「工場の生産能力が上がり、砲と弾薬の補充が追いつくようになった。アルクハインの戦訓を反映した改良型の野戦砲も配備が進んでいる」
賢が地図の前に立った。
「皇国軍の技術水準について、現状を確認します。
小銃は後装式の連発銃に移行しています。
アルクハインの戦争で使った単発式から一世代進んでいます。射撃速度が三倍になり、再装填のために立ち止まる必要がなくなりました。
砲は鋼鉄製の施条砲に更新されています。射程と精度が旧型の二倍以上です。
重機関銃が各中隊に配備されています。一丁で熟練の銃兵十名分の制圧力があります」
師団長たちが静かに聞いていた。
「対するモンデブーレ王国軍は」
賢は地図上の王国領を指した。
「騎兵と魔導兵を主力とした、以前と変わらない水準です。銃火器はありません。弓と槍と魔法と剣。それが王国軍の全てです」
ハルテンベルクが言った。
「……技術差が大きすぎないか。戦争というより、一方的な制圧《殲滅》になるのでは」
「そうなります」
賢は答えた。
「だからこそ損害を最小に抑えられる。皇国兵の命を極力消耗しないことが最優先です。技術差を最大限に活用します」
翌日、賢は港湾都市テルノッホに向かった。
ベルフストから鉄道で半日。
皇国唯一の海軍基地が置かれている港だった。
埠頭に並ぶ艦列を見渡し、賢は一年前との変化を確認した。
最初に着手したのは船体の鋼鉄化だった。
従来の木造帆船に魔力推進機構を組み合わせた艦が主力だったが、賢は設計を根本から変えた。
魔力機関炉で動くスクリュー推進の鋼鉄船体。
帆への依存をなくし、風向きに関わらず一定の速力を出せる。
現在の皇国海軍の主力は三隻の装甲艦だった。
旗艦、ベルフスト級装甲艦一番艦、ベルフスト。
全長90m、鋼鉄船体。
主砲として254mmの後装式ライフル連装砲を2基4門搭載し、副砲として100mm単装砲を8門持つ。
魔力機関炉二基による蒸気スクリュー推進で、最大速力は12kn。
二番艦トルメロンブリ、三番艦ツィンバッテが続く。
いずれも同型の装甲艦だ。
他に小型の砲艦が8隻、輸送船が12隻。
海軍大将のクリストフが賢に並んだ。
四十代の精悍な男で、かつては木造帆船の艦長だった。
「建造ペースを上げています」
クリストフが言った。
「次の艦艦の竜骨が来月完成します。今回の戦争には間に合いませんが、半年後には四番艦が加わります」
「モンデブーレの海軍は」
「木造の帆船が十数隻。
魔力帆装で速力は出ますが、鋼鉄の装甲はありません。
砲は青銅製の旧式です。我が艦隊の主砲の射程に入る前に、有効な攻撃はできません」
「海上封鎖は可能か」
「問題ありません。王国の港湾都市は西海岸に三か所あります。全て我が艦隊で塞げます」
賢は海を見た。
灰色の水面に、艦の影が映っていた。
「陸からだけでなく、海からも圧力をかけます。王国軍の輸送と補給を海上で遮断すれば、内陸の戦場での消耗が早まる」
「陸海の挟撃ですね」
クリストフが頷いた。
「陸軍との連携はどう取りますか」
「砲艦を河川に入れます。王国内を流れるモンデ川は外洋からかなり内陸まで航行できるはずです。
河川砲艦が内陸に侵入し、王国の主要都市に砲撃圧力をかけながら、陸軍の進撃を支援する」
クリストフが目を細めた。
「河川砲艦まで考えていましたか」
「戦争は立体的にやる方が効率がいい」
テルノッホから戻った翌日、賢は特殊部隊の訓練場に出た。
2個中隊、240名。
一年前、東門の魔獣を一人で片付けた時から比べると、隔世の感があった。
アルクハイン侵攻時の1個小隊12名から、今では中隊規模に達していた。
実戦を重ねるたびに祝福が強化され、生成できる規模が着実に増えていた。
装備は現代基準だ。
突撃小銃、短機関銃、汎用機関銃、狙撃銃、迫撃砲。
240名が、この世界に存在しないはずの武器で完全武装していた。
しかしこの部隊は、単純な人数で評価すべき戦力ではなかった。
一丁の機関銃が百人の騎兵を止める。
50口径の狙撃銃が1km先の指揮官を倒す。
特殊部隊が戦略的に運用された時の効果は、通常の歩兵師団を遥かに上回る。
分隊長の一人、元猟師のハンスが近づいてきた。
賢が選んだ隊員の一人で、射撃の腕が抜きん出ていた。
「隊長、今日の訓練は?」
「市街地戦の想定だ」
賢は言った。
「王国の首都は城壁都市だ。城壁を突破した後の市街地制圧を練習する」
「了解です」
ハンスが敬礼した。
賢は特殊部隊を見渡した。
今回の作戦でこの部隊に与える任務は三つだ。
王国軍の補給線の遮断。
王国の通信拠点の破壊。
そして王都制圧前の事前浸透による防衛機能の無力化。
通常の軍が正面から押す間に、この部隊が敵の神経を潰す。
同じ頃、訓練場の別の区画では颯人たちが動いていた。
召喚から一年以上が経ち、クラスメイトたちの祝福は当初とは比べ物にならない水準に達していた。
颯人の《英雄の剣》は、今では一振りで魔力の衝撃波を飛ばせるほどになっていた。
誠司の《大賢者の魔眼》は、敵の魔法を看破するだけでなく、術式を乗っ取って無効化することもできる。
王国軍の魔導兵に対しては、最も有効な戦力となるはずだった。
涼介の《鉄壁》は、防御範囲が自身の周囲数メートルまで拡張されていた。自分だけでなく、周囲の仲間を守ることができる。
他のクラスメイトたちも同様に成長していた。
訓練への参加は自発的なものだったが、全員が欠かさず続けていた。
あの初陣の夜を境に、誰もが戦う者としての自覚を持っていた。
颯人が訓練を終えて水を飲んでいると、賢が通りかかった。
「準備はどうだ」
「問題ない」
颯人はタオルで汗を拭った。
「一年前より遥かに動ける。今度は正面から戦線に立てると思う」
「そうか。それは良かった」
颯人が少し間を置いた。
「……賢、一個聞いていいか」
「何だ」
「王国の一般兵は、技術も装備も段違いに下だろ。皇国の銃と砲に対して、弓と魔法で戦わなきゃいけない。そいつらが大勢死ぬことになる」
賢は颯人を見た。
「そうなる」
「それは……仕方ないのか」
「降伏すれば死なない」
賢は答えた。
「投降を促す時間は十分に与える。それでも戦うなら、相手が選んだことだ」
颯人はしばらく黙っていた。
「……分かった」
やがて静かに言った。
「俺が今更そんなことを言っても仕方ないのは分かってる。ただ聞きたかっただけだ」
「聞くことは悪くない」
賢は言った。
「ただ、手は止めるな」
颯人が頷いた。
賢は訓練場を後にした。
モンデブーレ王国からの回答が届いたのは、期限の前日だった。
謝罪は拒否。
賠償金の要求は"事実無根の難癖"として退けられた。
領土割譲については論外、と記されていた。
文面の端々に、王国側の怒りと侮りが滲んでいた。
皇国が一年でここまで変わったことを、王国はまだ正確に把握していなかった。
アルクハインが二週間で落ちたことを、小国ゆえの脆さだと解釈していた。
オットーが書状を机に置いた。
「想定通りの回答ですね」
「はい」
賢は言った。
「開戦の準備を最終段階に移しましょう」
「宣戦布告の文面は用意できています」
オットーが続けた。
「周辺国への通告文も。アルクハインへの物資援助という証拠を添付した形で、正当防衛と領土回復の観点から戦争を行う旨を明記しています」
「グスタフ将軍に伝えてください。三日後に動きます」
オットーが一礼して部屋を出た。
賢は地図を広げ、最終確認をした。
六個師団の進撃ルート。
砲兵の展開位置。
海軍の封鎖ライン。
河川砲艦の侵入経路。
特殊部隊の先行浸透ルート。
補給線の設計。
全ての歯車が噛み合っていた。
出撃の前日の夜、賢は一人で執務室の窓から城下を見ていた。
ベルフストの夜に、工場の明かりが灯っていた。
この街の日常が続くために、戦争が必要だった。
メフォ票の残高は増え続けていた。
工場の生産能力は上がり続けていた。
消費する場所が必要だった。
王国を制圧し、新しい市場と資源を取り込まなければ、この街の活況はいつか止まる。
この国を、止めてはいけない。
それだけが、賢を動かしていた。
賢は再び地図に向かい、最後の確認を始めた。
三日後、皇国軍は南へ向かう。




