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鋼鉄の産声と硝煙の改革  作者: 弾幕主義者(装弾数正義派)
アルクハイン公国侵攻編
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第11話 金の檻

 アルクハイン公国が皇国に併合されて二週間が経った頃、旧公国の貴族たちの元に一通の書状が届いた。


 差出人は皇国宰相、オットー・フォン・ライネッケ。

 内容は簡潔だった。


 皇国は旧公国の貴族諸侯の身分と財産を保障する。

 ついては皇国の新しい行政制度への協力を求めたい。 

 首都ベルフストにて、新しい役職と生活の場を用意している。

 移住は義務ではないが、協力した者には相応の待遇を約束する。


 丁寧な文面だった。

 しかし旧公国の貴族たちは、その言葉の裏を読んだ。


 断れば、どうなるか。


 そのことを書状は一言も書いていなかった。

 だからこそ、断れなかった。


 旧公国の筆頭貴族の一人、クラウス・フォン・シュタインベルクは書状を三度読み返した。

 52歳。

 アルクハイン公に仕えた重臣で、領地の行政と財務を長年取り仕切ってきた。

 戦争の間、ブルクハルトの強硬派(保守派)とは一線を画し、早期の降伏を主張していた。

 おかげで戦後処理(軍事裁判)で罪を問われることはなかったが、領地の統治権は皇国に移譲した。


 屋敷の窓から、かつての自分の領地を見渡した。

 農村の風景は変わっていない。

 畑が広がり、農民が働いている。

 しかし徴税官は皇国の役人に変わり、領地の決定権は自分の手を離れた。


「どうするおつもりですか」


 側近のヨーゼフが問いかけた。

 四十がらみの実直な男で、クラウスが長年信頼してきた部下だ。


「行く」


 クラウスは窓から離れた。


「断る理由が、ない」


「しかし、ベルフスト(皇国)に行けばもう戻れないかもしれません」


「ここに残っても、もう領地(ここ)の主ではない」


 クラウスは静かに言った。


「どちらにいても同じだ。ならば、処遇の良い方を選ぶ」


 ヨーゼフが黙った。


「家族の安全を最優先にする」


 クラウスは続けた。


「それだけだ」



 一ヶ月後、クラウスを含む旧公国の貴族とその家族、合わせて百名以上が、馬車の列を連ねてベルフストに入った。


 城門をくぐった瞬間、クラウスは言葉を失った。


 窓の外に広がる光景が、自分の知るどんな都市とも違っていた。


 石畳の広い通りに、荷馬車が列を作って行き来している。

 通り沿いには商店と問屋が並び、朝から大きな声で取引が行われていた。

 通りの奥に目をやると、大きな煙突がいくつも空に向かって立っており、白煙を上げていた。


 人が多かった。

 とにかく人が多い。


 農村から流れ込んだ労働者、商人、職人、行商人。

 あらゆる身分の者が混在して、活気のある雑踏を作っていた。


 旧公国の首都アルクハイン城下が可愛らしく見えるほどの規模だった。


「……これが、ベルフスト」


 隣に座った妻のエルザが、窓に顔を近づけながら呟いた。

 48歳の落ち着いた女性で、動揺を表に出すことは少ない。

 その妻が、素直に驚いた顔をしていた。


「噂には聞いていたが」


 クラウスは静かに言った。


「実物は、想像の倍だ」


 馬車が工業地区の前を通り過ぎた時、クラウスは思わず身を乗り出した。


 工場の建物が十数棟、煙突を聳え立てて並んでいる。

 建物の前では荷馬車が停まり、大量の荷物が出し入れされていた。

 建物の窓から、低い機械の唸り声が漏れ聞こえていた。


「あれが工場というものか」


 後ろの馬車から声が上がった。


「魔力機関炉なるものを使っているらしい」


 別の貴族の声だ。


 ヨーゼフが小声で言った。


「あれで布や武器を作っているとか」


「一棟で、どれほどの量が出るのだ」


「聞いた話では、熟練の職人が百人がかりで作る量を、一日で」


 クラウスは窓の外を見つめたまま、黙っていた。


 公国が皇国に負けた理由が、この光景を見れば分かった気がした。

 これは単純な戦力の差ではない。

 国の仕組みそのものが、根本から違っていた。



 案内された屋敷は、城の近くの高台にあった。

 石造りの立派な建物で、庭には手入れされた花壇があり、召使いが数人待機していた。


 旧公国の領地に構えていた屋敷より規模は小さいが、建物の作りと内装は遜色なかった。

 むしろ、最新の魔道具や家具が各所に備えられており、旧公国の屋敷より快適な面もあった。


 23名の貴族とその家族は、それぞれに似たような屋敷を与えられた。

 高台の一角に並んでいて、互いの屋敷が目と鼻の先にある。



 翌日、オットーが挨拶に来た。


「遠路はるばる、よくお越しいただいた」


 老宰相は丁寧な口調で言った。


「皆様の新しい役職についての説明を、今日はさせていただきたい」


 クラウスを含む貴族たちが広間に集まった。


「皆様には、皇国の行政府に加わっていただきます」


 オットーが言った。


「旧公国の行政に精通した皆様の知識と経験は、皇国が新しく公国領を経営していく上で非常に有益です。

 旧公国領内の各都市の行政顧問として、皇国の行政官と協力していただく形になります」


「顧問、というのは具体的に何をするのか」


 クラウスが問うた。


「旧公国の慣習、税制の経緯、各地の領主や有力者との関係。

 そういった情報を皇国の行政官に提供し、スムーズな統治移行を助けていただく。

 書類作業と助言が主な仕事です」


「現地には戻れるのか」


 別の貴族が聞いた。


「定期的に。ただし常駐の形での帰還は、今しばらくお待ちいただきたい」


 その言葉の意味を、クラウスは正確に理解した。


 行政顧問という名の情報提供者。

 首都に置いておくことで、旧公国の有力者たちが地元で反乱の核になることを防ぐ。

 丁寧な言い方をされているが、実質は人質だ。


 クラウスは表情を変えなかった。


「待遇については」


 オットーは続けた。


「皇国の上級官僚と同等の給与を保障します。屋敷の維持費と召使いの費用は皇国が負担します。

 お子様の教育については、皇国の最高水準の機関への入学を優先的に保障します」


 広間がわずかにざわめいた。

 条件は悪くなかった。


 いや、領地の統治権を失ったことを考えれば、十分すぎるほどだった。



 ベルフストに来て一週間が経った。


 クラウスは毎朝、屋敷の窓から城下を眺めることを習慣にしていた。


 工場の煙突は夜明け前から煙を上げ始める。

 やがて鐘が鳴り、通りに人が溢れ出す。

 荷馬車が列を作り、商人が声を上げる。


 日が落ちても工場の明かりは消えない。


 活気があった。本物の活気が。



 ある日、クラウスは許可を得て城下に出た。

 ヨーゼフを連れ、目立たない格好で工場地区を歩いた。


 工場の前で、昼休みの労働者たちが食堂の外に立って飯を食っていた。

 若い者が多い。

 皆が活気のある顔をしていた。


「あの者たちは」


 クラウスがヨーゼフに小声で言った。


「農村から来た者たちか」


「ほとんどがそうらしいです」


 ヨーゼフが答えた。


「農業の機械化で村に人手が余り、工場の賃金を求めてベルフストに流れ込んでいると聞きました」


「楽しそうに見える」


「実際に生活は良くなっているのでしょう。賃金も、食事も、住む場所も」


 クラウスはしばらくその光景を見ていた。


 旧公国では、農民は長年同じ土地に縛られていた。

 豊作の年も凶作の年も、税を納めた残りで何とか生き延びる。

 子供を学校に行かせる余裕のある農家は一握りだった。


 それが皇国では、農村の余剰人員が都市に来て、定まった賃金をもらって働いている。子供は無料の学校に通っている。


「……我々は、何をしていたのだろうな」


 クラウスが呟いた。


「閣下?」


「百年、同じことを繰り返してきた」


 クラウスは静かに言った。


「この国は一年で変えた。我々が百年かけても変えられなかったものを」


 ヨーゼフは何も言わなかった。



 クラウスの妻エルザは、ベルフストでの生活に驚くほど早く馴染んでいた。


 最初の一週間は、慣れない環境への戸惑いが大きかった。

 しかし近隣の屋敷に住む他の貴族の妻たちと交流が始まり、次第に日常が形になっていった。


 ある日、エルザは近所に住むフリーダという女性から、城下の市場に誘われた。

 フリーダは旧公国の子爵夫人で、エルザより十歳ほど年下だった。


「市場に行きましょう」


 フリーダが言った。


「ベルフストの市場は、アルクハインの比ではないのよ」


 連れ立って高台を下りた。


 市場は目抜き通りの広場に広がっていた。

 色とりどりの屋台が並び、野菜、肉、魚、布、魔道具、菓子。

 旧公国では見たことのないものも並んでいた。


「これは何かしら」


 エルザが見慣れない食材を指した。


「南部から鉄道で運ばれてきたんですって」


 屋台の主人が言った。


「最近できた路線でね、今まで二週間かかってたのが三日で届くようになったんですよ」


「鉄道で食材が変わるのね」


 フリーダが感心したように言った。


 エルザは市場を歩きながら、ゆっくりと理解していた。

 この都市は、ただ大きいだけではない。

 仕組みが違う。

 物の流れが違う。

 人の動き方が違う。

 旧公国の首都は、いわば大きな村だった。

 ベルフストは、別の何かだった。


 帰り道、フリーダが言った。


「ねえ、エルザ。あなたはこの生活、悪くないと思わない?」


 エルザは少し間を置いた。


「……屋敷は快適よ。市場は豊かだし、治安もいい」


「私もそう思うの」


 フリーダは少し声を落とした。


「夫は認めたくないみたいだけど、私はこっちの方が……。ほら、アルクハインにいた頃って、正直不便だったじゃない」


 エルザは何も言わなかった。

 フリーダの言葉は正直だった。

 そしてその正直さが、少し怖かった。



 ある夜、クラウスとエルザは屋敷の居間で向き合っていた。


 子供たちは皆、皇国の学校に通い始めていた。

 最初は渋っていた長男も、今では毎朝早起きして通っている。学校の図書室が気に入ったらしかった。


「不思議なものね」


 エルザが静かに言った。


「怒る気持ちが、だんだん薄くなっていく」


「そうか」


「最初は悔しかった。領地を取られて、ベルフストに連れてこられて。でも今は……子供たちの顔を見ると」


「ここでの生活が、悪くないと思い始めている」


 クラウスが続けた。


「そう」


 エルザが頷いた。


「そのことが、また怖い」


 クラウスは窓の外を見た。

 夜の高台から、城下の工場の明かりが点々と見えた。


「私もだ」


 クラウスは静かに言った。


「この一週間で、この街が何をしているかを少しだけ理解した。

 皇国は単純に公国を征服したのではない。公国を飲み込んで、消化して、自分の一部にしようとしている」


「それが、私たちにも起きているということ?」


「起きている」


 クラウスは答えた。


「快適な屋敷、十分な給与、子供の教育。全部本物だ。嘘ではない。だからこそ、抗う理由が見つからない」


 エルザが静かに問うた。


「クラウス、あなたは今、何を感じているの」


 クラウスはしばらく考えた。


「……悔しさと、安堵が、同じくらいある」


「安堵?」


「公国にいた頃、私は毎年怯えていた。魔獣の被害、凶作、周辺国との緊張。

 どれが来ても、守り切れるか自信がなかった。皇国に来て、その怯えが消えた。あの凶暴な銃を持った軍が、今は我々の側にある」


 エルザが長い間、黙っていた。


「それは……幸せなことなのかしら」


「分からない」


 クラウスは正直に言った。


「しかし、不幸ではない。それだけは確かだ」



 その頃、ヨーゼフは一人で屋敷の外に出ていた。


 夜の労働者街を歩きながら、考えていた。

 クラウスのことを思った。

 あの方は聡明だ。

 状況を正確に理解した上で、最善の選択をしている。

 しかしその聡明さが、逆に正確にこの状況の本質を見せてしまっているのではないか。


 "金の檻"


 ヨーゼフは心の中でそう呼んでいた。

 頑丈な鉄の鎖で縛るより、快適で豊かな場所に置いておく方が、逃げ出す者はいない。

 抵抗の気力すら、だんだんと失われていく。


 旧公国の貴族23名。

 その家族を合わせれば百名を超える。


 全員が高台の屋敷に集められ、行政顧問という名目を与えられ、不自由のない生活を保証されている。

 出入りに制限はない。


 しかし随行の護衛という名の監視がついている。

 定期的に報告書の提出を求められる。

 旧公国領への帰還は"調整中"のまま、一向に許可が下りない。


 何もかもが丁寧で、礼儀正しく、暴力とは無縁だった。


 だからこそ、ヨーゼフには怖かった。


 酒場の前を通り過ぎた時、中から笑い声と歌声が漏れてきた。

 凱旋の祝いがまだ続いているようだった。

 皇国の市民たちは本当に喜んでいた。


 征服した国の民が喜んでいる隣で、征服された国の貴族が安堵している。


 この街には、悪意が見えなかった。


 それが最も、タチが悪いとヨーゼフは思った。



 ベルフストに来て二週間が経った頃、クラウスは賢と面会する機会を得た。


 皇国の行政府の一室で、二人は向き合った。


 賢は予想より若かった。

 17か18か。

 クラウスの息子より年下だった。


 しかし部屋に入ってきた時の目に、年齢に不釣り合いな静けさがあった。


「シュタインベルク卿、よくお越しいただきました」


 賢が言った。


「ここでの暮らしは慣れましたか」


「不便は感じていません」


 クラウスは答えた。


「用意していただいたものは、全て十分です」


「それは良かったです」


 賢は書類を一枚手に取った。


「卿には、旧公国南部三都市の行政移行を担当していただきたい。現地の有力者との関係を卿がよくご存じのはずですので、皇国の行政官との橋渡しをお願いしたい」


「承知しました」


 しばらく事務的な話が続いた。


 やがてクラウスは、一つ聞いてみることにした。


「一つ、伺っても構いませんか」


「どうぞ」


「我々は……いつまでベルフストに留まることになりますか」


 賢はクラウスを見た。


 その目に、感情の色はなかった。


「旧公国領の統治が安定し、皇国への統合が完了した時点で、帰還の選択肢をお渡しします。早ければ半年、遅くとも一年以内には」


「正直な答えをありがとう」


 クラウスは静かに言った。


「もう一つ聞いていいですか」


「どうぞ」


「貴方は、我々がここで何に気づくことを期待していますか」


 賢がわずかに目を細めた。


「期待はしていません」


 賢は静かに答えた。


「ただ、見ていただければ十分です。

 皇国がどのように動いているか。工場で働く者たちがどのように暮らしているか。

 それを見た上で、卿が何を感じるかは卿の自由です」


「見せることで、抵抗の意欲を削ぐということですか」


「削ぐのではありません」


 賢は言った。


「この国がどんな国かを知った上で、それでも反抗したいなら止めません。ただ、知らないまま反抗するより、知った上で選んでほしい」


 クラウスは賢を見つめた。


「……随分と自信があるのですね」


「結果に自信があります。見ていただければ分かります」


 面会はそこで終わった。



 廊下に出て、ヨーゼフが小声で聞いた。


「いかがでしたか」


 クラウスはしばらく黙っていた。


「……怖い人物だな」


「怒っていたり、威圧したりするわけでもなく?」


「だから怖い」


 クラウスは静かに言った。


「あの男は本当に、力で従わせようとしていない。ただ、見せることで納得させようとしている。そして恐ろしいことに、実際に納得しかけている自分がいる」


 ヨーゼフが黙った。

 二人は廊下を歩いた。


 窓の外に、ベルフストの街が広がっていた。

 煙突から上がる煙が、青い空に溶けていた。



 ベルフストに来て一ヶ月が過ぎた。


 クラウスは毎朝の日課になった窓からの観察を続けていた。


 工場の煙が上がる。

 鐘が鳴る。

 人が溢れ出す。

 荷馬車が行き来する。


 変わらない朝の光景が、しかし少しずつクラウスの目に違う色で映り始めていた。


 最初は征服者の街として見ていた。

 今は、そこに自分たちの屋敷が溶け込んでいる。


 長男が学校から帰ってきて、今日習ったことを興奮気味に話してくれた。

 蒸気機関の原理について教わったらしい。

 目を輝かせていた。


 エルザがフリーダと連れ立って市場に出かけた。

 帰りに珍しい香辛料を買ってきて、夕飯が一段と豊かになった。


 ヨーゼフは旧公国の行政資料の整理を手伝い、皇国の行政官から感謝の言葉をかけられて、戸惑ったような顔で帰ってきた。


 怒りは消えていなかった。

 しかし日々の生活の中で、少しずつ薄まっていった。


 クラウスは窓の外の煙突を見ながら、静かに思った。


 これが、あの男の設計なのだろう。


 力でねじ伏せる必要はない。

 豊かな場所に置いて、毎日を暮らさせる。

 子供が笑い、妻が安堵し、食事が美味い。


 そうした日々が積み重なれば、憎しみは形を失っていく。


 檻の中にいることは分かっていた。


 しかし、分かっていても出ていけなかった。


 出ていく理由が、どこにも見当たらなかった。


 それが、最も完璧な支配なのかもしれない。


 クラウスはそう思いながら、それでも窓の外の街を眺め続けた。

 工場の煙が、青い空に白く溶けていった。

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