表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

57/60

氷の秘書の休日と、世界で一番甘い休息

深夜の黒田グループ本社ビル、最上階の社長室裏にあるシークレットルーム。

 世界から魔素の脅威が去り、俺(天城カイト)が「普通の災害救助」をこなす日々が始まってからも、凛さんの仕事量は減るどころか激増していた。


「……カイト様、明日の午前3時に南米の森林火災の鎮火をお願いします。その後、午前5時にヨーロッパの金融サミットに『幻影の狐』として1分だけ上空を旋回していただきます。これで黒田グループの株価はさらに3%上昇し――」


カタカタカタカタッ! と、常人の目には見えない速度でキーボードを叩き続ける凛さん。彼女の目の前には、世界中の情勢を映し出すモニターが十数枚も並んでいる。


「凛さん。ちょっとストップ」

「いえ、ストップはできません。現在、狐様の公式グッズ第4弾『狐様等身大抱き枕カバー』の布地の選定という、国家の存亡に関わる重大な決裁が……っ!」


血走った目でモニターを睨みつける凛さんを見て、俺は深く溜息をついた。

 完璧な大人の女性であり、俺のプロデューサーでもある彼女だが、俺のこと(とグッズのこと)になると完全にブレーキが壊れてしまうのだ。


(……仕方ない。少し荒療治で行くか)


俺は凛さんの背後に歩み寄ると、彼女の手からタブレットとスマホをひょいっと奪い取った。


「あっ、カイト様!? なにを……っ!」

「凛さん、今日はもう仕事おしまい。俺と一緒に来て」


俺は抵抗する凛さんの腰を抱き寄せると、そのまま『空間転移テレポート』を発動した。



一瞬の浮遊感の後。

 俺たちが降り立ったのは、東京の夜景の中ではなく――見渡す限りのエメラルドグリーンの海と、真っ白な砂浜が広がる『無人島』だった。


「……えっ? ここは……南太平洋、ですか? カイト様、突然どうして……!」

「ここなら電波も届かないし、黒田グループの部下も追ってこられないだろ? 凛さん、働きすぎだよ。今日はここで、俺と二人で強制的に休んでもらうから」

「きゅ、休むって……そんな! 私が数時間いなくなるだけで、世界の経済が――」


パニックになる凛さんをよそに、俺は砂浜に向かって指を鳴らした。


――ゴゴゴゴッ!


100年のサバイバルで極めた『土魔法』と『植物生成魔法』を全開にする。

 真っ白な砂浜に、一瞬にして最高級の木材でできた水上コテージが組み上がり、美しい南国の花々が周囲を彩る。さらに、海風を心地よい温度に調整する結界を張り、コテージのテラスにはフカフカのソファとテーブルを錬成した。


「ほら、座って。今、最高のお茶を淹れるから」


俺が魔大陸の深層で採取した『精神の疲労を完全に消し去る世界樹の茶葉』を魔法で抽出し、温かいティーカップを差し出すと、凛さんは目を丸くしたまま、フラフラとソファに腰を下ろした。


「……数秒で、最高級リゾートホテルを丸ごと建築するなんて……。カイト様の規格外にも慣れたつもりでしたが、本当に……貴方という人は」


呆れたように笑いながら、凛さんがそのお茶を一口飲む。

 その瞬間、彼女の肩に入っていたガチガチの力みが、嘘のようにスゥッと抜けていくのがわかった。


「……はぁ。なんて……美味しくて、優しい味……」


凛さんは、カップを両手で包み込むように持ちながら、深く息を吐いた。

 そして、彼女はゆっくりと、自分のトレードマークである『冷徹な眼鏡』を外し、テーブルの上に置いたのだ。

 眼鏡の下から現れたのは、仕事中の鋭い氷の秘書の顔ではなく、少しだけ潤んだ瞳を持つ、驚くほど無防備で美しい、一人の女性の素顔だった。


「カイト、様」

「ん?」

「……私、少しだけ焦っていたのかもしれません」


眼鏡を外した凛さんは、波の音を聞きながら、ぽつりと呟いた。


「リカさんたちのように、カイト様と同じ教室で笑い合う青春もなければ、真っ直ぐに想いをぶつける若さもない。……私にあるのは、黒田グループの力と、大人の知恵だけです。だから、誰よりもカイト様を完璧にプロデュースして、世界一の英雄にすることでしか……私が、貴方の隣に立つ理由を証明できなかった」


凛さんの声が、少しだけ震えていた。

 レオンのゲートに俺が飛び込んだ時、彼女が子供のように泣き崩れていた姿を思い出す。いつも完璧に見える彼女も、その内側には、ヒロインたちと同じ……いや、それ以上の重くて深い愛情と、不器用な不安を抱えていたのだ。


「……凛さん」


俺は凛さんの隣に座ると、彼女の肩をそっと引き寄せた。


「俺が世界一の英雄になれたのは、凛さんが裏で全部背負ってくれたからだ。でも、俺が本当に感謝してるのは、俺の『普通の日常』を守るために、凛さんが誰よりも泥を被ってくれていることだよ」


「カイト様……」


「俺にとって凛さんは、プロデューサーでも秘書でもない。……俺の帰る場所を作ってくれる、大切な人だ。だから、理由なんてなくても、隣にいてほしい」


俺がそう言うと、凛さんは堪えきれないように瞳から涙をこぼし、俺の胸に顔を埋めた。


「……ずるいですわ、カイト様。そんな言葉をかけられたら……もう、仕事になど戻りたくなくなってしまいます」

「いいよ。今日は一日、ここでゆっくりしよう」


凛さんは俺の服の胸元をギュッと握りしめ、いつもの「氷の秘書」からは想像もつかないような、甘えた声で囁いた。


「……なら。今日だけは、カイト様の『秘書』ではなく……ただの、貴方に恋い焦がれる一人の女として、甘えさせていただいても……よろしいですか?」


「もちろん」


波の音だけが響く、二人きりの秘密のリゾート。

 世界を操る完璧な大人の女性が、ただの恋する女の子に戻るその瞬間を。俺はどこまでも甘く、優しく受け止めるのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ