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ヒーローの噂と、図書室の勇者

「だから言ったじゃん!! 銀行強盗のニュース、絶対アタシが昨日見たマトリックス男だってば!!」


朝のホームルーム前、教室は昨日のニュースの話題で持ちきりになっていた。

 クラスの中心でスマホの画面を見せつけながら、星野リカがバンバンと机を叩いて熱弁を振るっている。


「マジで実在するんだって! 昨日は車を追い越して、今回は刀で強盗を吹き飛ばすとか、マジ神じゃん! 映画みたいで超アガる! あー、遭遇してサインとかもらいたいわー!」

「はいはい、リカはほんとAI動画とか都市伝説好きだよねー」

「強盗の方はガチの事件っぽいけど、あの狐面は絶対合成だって。刀の一振りで大人5人が飛ぶわけないっしょ」


クラスメイトたちは相変わらず「またリカが騒いでるよ」と冷ややかな対応だが、リカ本人は一人で目をキラキラさせて大興奮している。

 俺は自分の席に座り、歴史の教科書を広げながら内心でガッツポーズを作っていた。


(よしよし、いいぞ。誰もあれが俺だとは微塵も疑っていない。リカも熱烈なミーハーファンって感じで、俺とあの狐面を全く結びつけていないな)


正体を隠すという凛さんの提案は完璧だった。

 これなら、いざという時の人助け(ヒーロー活動)と、この「普通の一般人としての平和な学園ライフ」を完全に両立させることができる。俺の隠密スキルもついに極まってきたなと、謎の達成感に浸っていた。



昼休み。俺は校舎の静寂を求めて図書室へと足を運んだ。

 異世界で100年過ごしたせいで、俺の現代史や一般常識の知識はかなりスッポ抜けている。テストで赤点を取って目立つわけにはいかないので、真面目に自習をしておこうと思ったのだ。


静かな図書室の奥、書架の並ぶ通路を歩いていると、不意に小さな影が視界に入った。

 図書委員の腕章をつけた、小柄でかわいらしい女子生徒――小鳥遊詩織だ。

 彼女は、蔵書の棚替え作業中なのか、自分の身長の半分はありそうな分厚い図鑑や画集の束を抱え上げようとして、プルプルと震えていた。


(あんな重そうなものを無理して……。ここはサッと手伝ってあげるのが、『普通の優しい男子高校生』のテンプレだよな)


「手伝うよ。危ないから貸して」

「えっ? あ、あの、でもこれ、すっごく重……」


俺は詩織が抱えようとしていた数十冊の分厚い本の束を、ヒョイと片手で持ち上げた。

「え……?」

 詩織が目を丸くする。異世界のドラゴンを素手で投げ飛ばしていた俺の筋力からすれば、本が数十冊あろうと発泡スチロールを持っているのと大差ない。


「どこに運べばいい? あっちの机?」

「あ、えと……は、はい。ありがとうございます……」


詩織が戸惑いながらお辞儀をした、その瞬間だった。

 彼女の背後――棚替えのために一時的に積まれていた『廃棄・移動用の本が詰まった段ボール箱』の山が、限界を迎えてバランスを崩した。


グラッ、と重たい段ボールの塔が傾き、詩織の頭上へと崩れ落ちてくる。

「あっ――」

 詩織が悲鳴を上げる暇もなかった。


(危ない。直撃したら怪我をする。でも、魔法で派手に吹き飛ばしたら本が傷むし、図書室が散らかってしまうな。……よし、一番『平和』に解決しよう)


俺は左手に数十冊の本を持ったまま、右手を一閃させた。

 超速のステップと、空間のブレすら許さない完璧な力加減。100年の戦闘経験が導き出す、最速にして最善の防御行動。


バサバサッ!と落ちてくるはずだった段ボール箱の雨を、俺は空中で全てキャッチし、パズルのように一瞬で元の位置へと積み直した。

 時間にしてわずか0.1秒。一滴の汗もかかず、一冊の本も床に落とすことなく、事態は完全に収拾された。


「あぶなっ。段ボール、結構不安定に積んであったみたいだね。気をつけて」


俺は爽やかに笑いかけた。段ボールが崩れかけたこと自体、彼女の目には一瞬のブレにしか見えなかったはずだ。これで怪我も防げたし、完璧な対応だった。



一方、小鳥遊詩織の頭の中はパニックに陥っていた。


(え……? 今、何が、起きたの……?)


活字中毒で、ファンタジーから歴史小説まで数多の物語を読み漁ってきた詩織の目は、確かに捉えていた。

 自分に降り注ぐはずだった暴力的な質量の段ボールの山。それが、目の前の少年の「見えないほどの速さの動き」によって、一瞬にして空中で制止され、元通りに組み上げられたのを。


(……私の、妄想? 最近、ファンタジー小説を読みすぎで、ついに白昼夢を見るようになっちゃったの……?)


詩織はギュッと目を閉じて、もう一度開く。

 しかし、目の前で涼しい顔をして笑っている少年――天城カイトの左手には、大の大人が両手で抱えても顔を真っ赤にするような数十冊の本の束が、まるで羽毛のように軽々と握られている。

 それは紛れもない現実だった。


(あの重さを片手で……? それに今の、まるで時間を止めたみたいな動き……)


普通なら「なんだこのヤバい奴は」と恐怖するところかもしれない。しかし、物語を愛する詩織の感性は、恐怖よりも先に別の感情を抱いていた。


『――一切の犠牲を出さず、瞬時に強盗団を無力化した幻影の狐。その正体は……』


今朝、教室で見たニュースの映像がフラッシュバックする。

 圧倒的な力を持っていながら、誰も傷つけない不殺の優しさ。そして今、目の前で自分の身を呈して本の崩落から守ってくれた少年の、底知れない気高さ。


(まさか……。ただの妄想かもしれないけど……でも、もしそうだったら……)


図書室の静寂の中、詩織の胸の奥で、トクンと大きな音が鳴った。

 圧倒的な力と、それを隠そうとする不器用な優しさ。それはまるで、彼女がずっと本の中で憧れ続けていた『本物の勇者様』そのものだったからだ。


「あの、天城、くん……?」

「ん? どうしたの? あ、本ここでいいかな? ごめんごめん、すぐ机に置くね」


カイトは全く自分の異常性に気づいていない様子で、ニコッと人懐っこく笑う。

 その無防備な笑顔に、詩織はぽーっと顔を赤らめ、抱えていたバインダーをギュッと胸元で抱きしめた。


「……ううん。助けてくれて、ありがとう、ございます……っ」


尊敬と、ほんの少しの熱情が混じったクソデカ感情の芽生え。

 一方のカイトは、「よし、図書室で静かで真面目そうな友達ができたぞ!」と、至極呑気に喜んでいるのだった。

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