秘境の霊泉と、甘い罠の祝勝会
体育祭の興奮がまだ冷めやらぬ夕暮れ時。俺たちは学校の屋上から、凛さんが手配した黒田組のプライベートヘリに乗り込み、山奥の深い霧に包まれた「伝説の温泉旅館」へと直行していた。
「カイト様。本日は全館貸し切りですので、どうぞ羽を伸ばしてください」
凛さんは、夕焼けに眼鏡を光らせながら優雅に微笑む。辿り着いたのは、一般の地図には載っていないような、息を呑むほど美しい数寄屋造りの高級旅館だった。
◆
「ねーねー、ここ貸し切りなんだよね? だったら……別に混浴でもいいっしょ! みんなで入った方が楽しいじゃん!」
到着早々、浴衣に着替えたリカがとんでもないことを言い出した。
「は、破廉恥です、星野さん!! 何を考えているの! いくら貸し切りでも、男子と女子が同じ湯船に浸かるなんて……っ!」
ナギサが顔を真っ赤にして叫ぶ。しかし、その視線はどこか泳いでいた。
「あ、わ、わ、混浴……あ、天城くんと、お、お風呂……っ」
詩織ちゃんにいたっては、想像だけでオーバーヒートしたのか、フラフラと千鳥足になり、今にも気絶しそうなほど赤くなっている。
「……? 俺は一人でゆっくり入りたいから、先に行ってるよ」
俺は(一般人の羞恥心として)そそくさと大浴場へと向かった。
だが、俺が脱衣所に入った瞬間、そこにはすでに完璧な所作でバスタオルを準備し、いつでも突撃可能なオーラを放ちながらスタンバイしている凛さんの姿があった。
「……凛さん? 何してるの?」
「……カイト様の背中をお流しするのは、秘書の義務ですので」
眼鏡を曇らせ、いつになく真剣な表情の凛さんに、俺は「結構です!」と叫んで、逃げるように浴室へと飛び込んだ。
◆
(……はぁ。やっぱり、平和な日常の後の風呂は最高だな)
俺は一人、岩造りの巨大な露天風呂に浸かっていた。
ふと、体育祭での無理な魔力操作で、筋肉が少し強張っているのを感じた。俺は無意識に、指先から極微量の『超回復の治癒魔法(聖王の吐息)』をお湯に溶かし込んだ。
すると、透明だったお湯が黄金色に輝き始め、周囲の木々が一斉に花を咲かせ、傷ついた野鳥が集まってきて俺の肩で歌い始めた。
「……お、体が軽いな。よし、のぼせる前に出よう」
脱衣所から聞こえる「やっぱりアタシも入る!」「ダメよ星野さん、待ちなさい!」という騒ぎを背に、俺は別の隠し通路からそっと脱出。
結局、俺と入れ替わりで女子たちが飛び込んできた時には、そこには「神の霊泉」に癒やされて昇天しかけている、幸せそうな彼女たちの声だけが響くことになった。
◆
「さぁカイト様、祝勝会の始まりです!」
宴会場には、黒田組が各地からかき集めた最高級の食材が並んでいた。特にメインの『幻のA5和牛』は、焼ける匂いだけで天国が見えるレベルだ。
「はい! 天城くん、まずは私から! あーん♪」
湯上がりで一段と艶やかになったリカが、完璧な焼き加減の肉を箸でつまみ、俺の口元に突き出してきた。
「ちょっと星野さん! 順番があるでしょう! ……天城くん、私の焼いたお肉の方が、脂身を落としてあるわ。はい、あーん」
「あ、あの、天城くん……。私は、お野菜も一緒に……あーん、ですっ……!」
三方向からの「あーん」攻撃。100年の死線を潜り抜けた俺の動体視力でも、この幸せすぎる飽和攻撃は回避不可能だった。俺はされるがままに、口の中を幸福でいっぱいにした。
「ふふ、皆様楽しそうですね。……さぁ、お口直しにこちらの特製ブドウジュース(※ジュースですアルコールではありません)はいかがですか?」
凛さんが、ラベルの剥がれた怪しいボトルを差し出してきた。
三人は「わーい、美味しい!」とジュース(※ジュースです断じてアルコールではありません)をガブ飲み。
数分後。
「天城くぅ〜ん、アタシもう限界かもぉ〜♪」
「天城くん……貴方、なんでそんなに……キラキラしてるのぉ……?」
「あまぎくぅ……えへへ……だいしゅき……」
完全に気の抜けた三人のヒロイン。凛さんは、とろけるような顔で俺にしなだれかかる彼女たちを見て、「ふふ、本音が出る魔法のジュースですからね」と、眼鏡の奥で勝利の笑みを浮かべていた。
◆
そして、夜。
案内された寝室には、凛さんが特注させたという、部屋を埋め尽くすほどの巨大なキングサイズのお布団が敷かれていた。
「さぁ、誰がカイト様の隣で寝るか。……正々堂々、枕投げで決めましょうか」
凛さんの宣言で、祝勝会は一転して戦場へと化した。
「天城くんの右隣はアタシの指定席っしょぉぉ!!」
「いいえ! 武の真髄は、左隣を制することにあるわ!!」
「わ、私……真ん中がいいですぅ……!!」
ドゴォォォォンッ!! バキィィィィィッ!!
酔った勢いで放たれる、枕とは思えない破壊力の一撃。ナギサが神速の抜刀術(枕)を繰り出し、リカがアクロバティックな回避を見せ、詩織ちゃんがカーテンの影から精密射撃(枕)を仕掛ける。
「みんな、落ち着いて! ほら、布団は広いんだから、みんなで仲良く寝ようよ!」
俺が割って入った瞬間、三人の放った枕が顔面にジャストミートし、俺はそのまま狸寝入りを決め込んだ。
……数十分後。
静かになった部屋で、俺がそっと薄目を開けると、右にはリカ、左にはナギサ、お腹の上には詩織ちゃん、そして足元には凛さんが俺の足首を枕にして、とろけるような微笑みを浮かべて眠っていた。
(……やれやれ。俺、平和な日常を送るために帰ってきたはずなんだけどな)
俺は、この騒がしくて、愛おしい時間が、いつまでも続くように。俺は四人の寝顔を守るようにして、ゆっくりと目を閉じるのだった。




