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世界に轟く『幻影の狐』と、密やかなる英雄の夜

その日、東京の空は、科学と魔力が融合した不気味な光によって支配されていた。


「――我々は、新たな秩序の執行者だ」


世界中にジャックされたテレビ中継。画面に映し出されたのは、東京のランドマークである展望タワーを占拠した、海外の巨大武装組織だった。

 彼らが手にしているのは、従来の火薬を用いた銃器ではない。銃身には不気味な回路が走り、中心部の魔石から青白い光を放つ『魔科学ライフル』、そしてタワーの頂上に設置された、一撃で高層ビルを消し飛ばす巨大な『魔科学カノン』。


魔素の漏洩を嗅ぎつけ、それを軍事利用することに成功した彼らの力は、現代の物理法則を凌駕していた。デモンストレーションとして放たれた魔科学カノンの光軸は、夜空を真っ二つに切り裂き、東京湾の無人島を一瞬で蒸発させてしまった。


『警察も軍隊も無力だ! この魔力の前に跪け!!』


中継カメラが、泣き叫ぶ人質と、冷酷に笑う武装集団を克明に映し出し、世界中がパニックと絶望に陥っていた。


◆


黒田邸のリビング。

 リカ、ナギサ、詩織ちゃんの三人が、テレビの臨時ニュースを見て顔を青ざめさせていた。


画面の中では、テロリストのリーダーが、起爆スイッチのような魔力起動装置を高く掲げていた。

 その直後だった。


『――な、なんだ!? 上空に誰かいるぞ!!』


カメラマンの絶叫と共に、ニュース映像が夜空をズームする。

 雲を裂き、満月を背にして舞い降りたのは――漆黒の和装を翻し、狐の半面をつけた一人の男。

 裏社会の伝説であり、今や世界の希望としてその名が囁かれ始めた存在、『幻影の狐』だった。


リビングのテレビを食い入るように見つめていた三人の少女たちが、「あっ!」と声を揃えて立ち上がる。


画面の中の『狐』は、高度数百メートルからの落下速度をそのまま利用し、タワーの展望フロアを囲む強化ガラスを、指先一つ触れずに『空間粉砕』で突き破って侵入した。


『幻影の……狐……ッ! 構わん、撃て! 灰にしろ!!』


リーダーの号令と共に、十数挺の魔科学ライフルが一斉に火を噴いた。

 現代兵器では防ぎようのない、魔力の熱線。それが何十本も狐に向かって殺到する。

 だが――狐は一歩も動かなかった。


「……粗悪な回路だ。そんなもの、魔法とは呼ばない」


狐が右手を軽く横に振る。

 それだけで、放たれた熱線はすべて、磁石に吸い寄せられる砂鉄のように、狐の手元へと収束していった。彼はその莫大なエネルギーを掌の中で小さな光の球へと凝縮し、パチンと指を鳴らして消滅させてしまった。


「な、バカな……! 最大出力の魔石だぞ!? 吸収したというのか!?」


テロリストたちがパニックに陥り、次々と予備の武器を構えようとする。

 しかし、狐の動きは彼らの認識能力を遥かに超えていた。


『縮地』。

 俺の姿が残像すら残さず、廊下、天井、そしてリーダーの背後へと瞬間移動のように現れる。


ガキンッ、バキッ、と無機質な破壊音が響く。

 狐が通り抜けるだけで、最新鋭の魔科学兵器は飴細工のようにぐにゃりと曲がり、テロリストたちは自分たちが何を受けたのかも理解できないまま、次々と意識を失って崩れ落ちていった。


最後に残った巨大な魔科学カノン。狐はその砲身に優しく手を触れた。


「……人の悪意を増幅させる道具は、この世界にはまだ早すぎる」


その言葉と共に、狐の掌から純白の魔力が流れ込む。

 数億円もの開発費を投じたであろう魔科学の結晶は、一瞬にして美しい氷の彫刻へと変わり、そのまま音もなく砂のように崩れ去った。


中継を見守っていた全世界が、その圧倒的で、あまりにも静謐な勝利に息を呑んだ。

 テロリストたちの野望は、わずか数分で、たった一人の『英雄』によって塵に帰したのだ。


狐はカメラを一度だけ見据え、狐面の奥で薄く微笑んだように見えた。

 そして、マントを翻すと、再び夜の闇へと溶けるように消えていった。


◆


黒田邸のリビングには、静寂だけが降りていた。

 テレビの中では、アナウンサーが興奮で声を枯らしながら、SNSで爆発的に拡散されている『Phantom Fox』のハッシュタグについて叫んでいる。


俺は「トイレから戻ってきた一般人」の顔をして、少し乱れた髪を整えながらソファに座った。


カチャリ、とリビングの扉が開いた。

 入ってきた凛さんは、分厚いタブレットで世界中の反応を確認しながら、なぜかその頬をほんのりと赤く染めていた。


「凛さん……。本当にごめん。カメラがあるのはわかってたんだけど、人質の安全を優先したら、あんなにカッコいい……じゃなくて、派手な演出になっちゃって……」


俺が項垂れながら謝ると、凛さんはゆっくりと顔を上げた。

 そして、リカ、ナギサ、詩織ちゃんの三人も、ゆっくりと俺の方へと向き直る。

 その瞳には、落胆の色など微塵もなかった。


「……ねぇ、天城くん。っていうか、狐さま」

「……はい」

「今のテレビ、マジでヤバすぎっしょ!! 何あの指先で熱線を消すやつ! 宇宙一カッコよかったんだけど!!」


リカがクッションを全力で抱きしめながら、興奮を抑えきれない様子で叫んだ。


「ええ……。あのカノンを氷に変えた瞬間の横顔、言葉を失ったわ。天城くん、貴方の戦う姿、本当に……神々しくて、怖いくらいに美しかった」


ナギサも、武道家としての憧憬と、一人の女の子としての熱い吐息を漏らしている。


「わ、私……録画、ボタン連打しちゃいました……。天城くんの、あのマントの翻し方……一生忘れません……っ」


詩織ちゃんは、尊さのあまり、拝むように手を合わせている。


「……あの、凛さん。これ、情報統制どうしますか? 今すぐハッキングして動画消します?」


俺の問いに、凛さんは眼鏡をクイッと押し上げ、慈愛に満ちた(そして少し独占欲の混じった)微笑みを浮かべた。


「いいえ。もはや不可能ですし、その必要もありません。お祖父様とも話し合いましたが……『天城カイト』と『幻影の狐』が同一人物であるという証拠さえ、この黒田組の力で完全に隠滅し続ければ、狐の存在そのものは、もはや隠す必要はないとの結論に至りました」

「えっ、いいの!? 怪物だとかバケモノだとか、怖がられないかな?」

「はい。むしろ、あの強大で美しいヒーローが『自分たちの愛する人』であるという事実だけで……私たちは、白飯が三杯はいけます」

「白飯!?」


凛さんは俺の隣に座り、そっと俺の手を自分の両手で包み込んだ。


「あんなに美しく、気高く人々を救う姿を見て、誰がバケモノなどと思うでしょうか。……カイト様、世界中は今、貴方に恋をしています。ですが、そのヒーローの素顔が、今ここで私の手を握っている、この優しくて少し抜けている男の子だということを……私たちだけが知っている」


凛さんの瞳が、妖艶な熱を帯びる。


「その特権、その優越感。……ふふっ。隠すなんてもったいないわ。世界中が貴方を崇め、それでも貴方が帰ってくる場所は私たちの隣。……これ以上の幸福があるでしょうか?」

「そうよ! 泥被って天城くんの結界隠すのも青春だけど、こうやってテレビで世界中が熱狂してるヒーローが、今私の隣で『お腹痛い』とか言って誤魔化してると思うと……優越感ヤバすぎっしょ!」

「私も賛成だわ。貴方の誇り高い戦いを、私たちは一番近くで、堂々と誇りに思いたい。……もちろん、正体を暴こうとする不届き者は、私がこの剣で斬り捨ててあげるから」

「わ、私……狐さんの、秘密のファンクラブ第1号になりたいですっ」


ヒロインたちは、恐怖するどころか、カイトの圧倒的な力に完全に「惚れ直して」いた。

 正体は秘密、けれどその活躍は世界の希望。

 「バレなきゃOK」という、開き直りにも似た彼女たちの全肯定によって、カイトの肩の荷はふっと軽くなった。


「……まあ、みんながそう言ってくれるなら、いいのかな」


俺は、ようやく安堵して、冷めたお茶を飲み干した。

 世界を救う狐の仮面と、彼女たちの前でだけ見せる素顔。

 二つの顔を使い分ける日々は、これからも続いていく。けれど、そのどちらも彼女たちが愛してくれるのなら、100年の孤独を経て手に入れたこの日常を、俺は死んでも守り抜こうと、改めて心に誓うのだった。

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