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深海の魔窟、幻影の狐の蹂躙と『理』の崩壊

深夜の東京湾。黒田グループが所有する、表向きは海洋調査用とされる特注の潜水艇の中で、俺と凛さんは最終的な作戦会議を詰めていた。


「カイト様、海底遺跡への侵入経路を確定しました。敵対組織『紅煉ぐれん』の潜水基地を経由し、最深部の『歪み』へと向かいます」


モニターを見つめる凛さんの指先が、流れるような速さでキーボードを叩く。

 狐の半面を傍らに置き、俺は彼女の横顔をじっと見つめていた。


「潜入後の索敵は俺が魔法でやるよ。凛さんはバックアップと、施設のシステムハッキングをお願い。……あ、あと、紅煉の連中が持ってる魔科学兵器のデータ収集もね」

「心得ております。……カイト様、道中お気をつけください。海底という閉鎖空間、何が起こるか分かりません」

「大丈夫。凛さんの作戦は完璧だからね。あとは俺が暴れるだけだよ」


俺は狐の半面を装着し、漆黒の和装を翻した。



水深500メートル。

 水圧を無視して魔法障壁で包まれた俺は、潜水艇から射出されると、音もなく紅煉の海底基地へと降り立った。


――作戦開始。


「……侵入者だ! 撃てッ!!」


エアロックを強行突破した俺を待ち構えていたのは、数十名の武装兵だった。彼らが構えているのは、以前遭遇したものを遥かに凌ぐ出力を持つ、新型の魔科学ライフルだ。


ドゴォォォォンッ!!


一斉に放たれる蒼白い熱線。鉄をも一瞬で蒸発させる一撃。

 だが、俺はそれを紙一重でかわし、あるいは最小限の魔力で弾き飛ばしながら、『縮地』によって彼らの視界から消えた。


「なっ、どこへ――」

「後ろだよ」


首筋に一撃。鳩尾に一撃。

 人道的な「手加減」を施しながらも、その速度と精度はもはや災害に近い。

 十数秒後、通路には意識を失った兵士たちが転がるだけとなった。


『お見事です、カイト様。基地中央の動力室への隔壁を解除しました。そこからさらに深部へ……』

「了解。どんどん行くよ」


俺は基地の防衛網を文字通り蹂躙しながら、最深部へと突き進んだ。



基地の最奥。そこには紅煉のボスが狂喜の表情で待ち構えていた。

 そして、彼の背後にある巨大な強化ガラスの向こう側――。

 そこには、異世界の魔素が濃密に渦巻く、青白く光る海底遺跡が鎮座していた。


「ヒハハハッ! 幻影の狐か! だが、もう遅い! この遺跡から呼び出した『神の使者』がお前を喰らい尽くすわ!! やれッ!!」


ボスの合図と共に、遺跡の中心にある歪みから、一匹の異様な生物が這い出してきた。

 それは、この地球の進化系統には存在しない、半透明の皮膚と無数の触手を持つ、異世界の『魔獣』だった。


(……魔獣。向こうの世界じゃ『下級の雑魚』だけど……こっちの世界の武器が通用するか、一応試してみるか)


俺は懐から、凛さんが用意してくれた最新鋭の対装甲用グレネードを取り出し、ピンを抜いて魔獣の足元へ放り投げた。


ドゴォォォォンッ!!


凄まじい爆発音と共に、分厚い装甲車すら吹き飛ばす爆炎が魔獣を包み込む――が。


「……やっぱり、効かないか」


爆煙が晴れた後、そこには触手一本、傷一つ負っていない魔獣の姿があった。


『カ、カイト様!? 対装甲の爆発が直撃したのに無傷……!? 物理的な干渉を完全に無効化しています! 現代の科学兵器が一切通用しない生物だなんて――!』


通信機越しに、凛さんの明らかな焦りと動揺の声が響く。

 だが、俺は全く動じることなく、静かに一歩前へ出た。


「凛さん、落ち着いて。……予想通りだよ。あれは魔力のコーティングで物理法則を無視してるだけだから、こっちの現代兵器じゃ傷一つつかないんだ」


魔獣が俺を認識し、不快な咆哮を上げて猛スピードで突っ込んでくる。


「向こうの世界の相手なら……俺が一番慣れてる」


俺は腰に差した(偽装用の)刀ではなく、右手の指先を向けた。

 魔獣が触手を振り下ろすよりも早く。


「――『氷華・裂砕』」


パキパキという音と共に、魔獣の足元から巨大な氷の柱が噴き出し、一瞬でその巨体を凍りつかせた。

 そして、指先を軽く弾いた瞬間、魔獣は音もなく粉々に砕け散り、魔素の霧となって消えていった。


「な……バカな……究極の兵器が……っ!」

「兵器なんかじゃないよ、ただの生き物だ。……それより」


俺は、青白く脈打つ遺跡の中心――『歪み』の震源地を見つめた。

 そこからは今もなお、禍々しい魔素がドクン、ドクンと溢れ出し、周囲の海水を変質させている。


(これを放置しておけば、もっと強い奴が来ちゃうな。……俺が壊した穴なんだから、俺が閉じなきゃ)


俺は遺跡の最深部、時空の亀裂へと手を伸ばした。

 全魔力を集中させ、無理やりその亀裂を「縫い合わせる」ように魔力を流し込む。


「ぐ、あぁぁぁ……ッ!!」


世界が歪み、空間が悲鳴を上げる。

 莫大なエネルギーの反動が腕を焼き、和装の袖がボロボロに弾け飛ぶ。

 だが、俺は手を離さなかった。


キィィィィンッ……!!


高周波の音と共に、青白い光が収束し、ついには一粒の輝きとなって消失した。

 時空の歪みが、俺の力によって強引に閉じられたのだ。



数時間後。

 作戦を終え、潜水艇の個室に戻った俺は、ボロボロになった和装を脱ぎ、椅子に深く腰掛けていた。

 腕にはひどい魔力火傷の跡が残っているが、再生魔法のおかげで少しずつ消えていく。


ガチャリ、とドアが開いた。

 入ってきた凛さんは、俺の腕の傷跡を見るなり、痛ましそうに顔を歪めた。


「カイト様……。そこまで無理をなさらなくても……」

「……いや、いいんだ。俺のせいで起きたことだから」


凛さんは何も言わず、俺の隣に座ると、ガーゼと薬を手に、丁寧に傷の手当てを始めた。


「……カイト様。今回の事件で、紅煉ぐれんは壊滅しました。……ですが、あの遺跡から漏れ出した魔素の余波が、世界各地で観測されています」

「……やっぱりか」

「ええ。特に海外……一部の過激なテロ組織が、この魔素を『資源』と見なし、より大規模な調査を進めているという情報が入っています。……この日本以上の、巨大な歪みを目指して」


凛さんの言葉に、俺は窓の外、深い海の闇を見つめた。

 平和への道は、思っていたよりもずっと険しいらしい。


「いいよ。どこに現れても、俺が全部閉じて回るから」

「……ええ。私も、どこまでもお供いたします」


凛さんは、俺の手当てを終えると、そっとその手を握りしめた。

 海底基地を壊滅させた「幻影の狐」の顔はそこになく、ただ、自分の宿命に立ち向かう一人の青年の顔だけが、そこにあった。

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