漏れ出した魔素と、氷の秘書の寄り添う夜
ショッピングモールの喧騒の中、俺の肌をチリチリと刺す不快な感覚は、次第に明確な『殺気』へと変わっていった。
「ごめん、みんな。ちょっとトイレ行ってくる!」
リカたちにそう言い残し、俺は人目を避けてモールの地下駐車場へと向かった。
薄暗い駐車場の最下層。そこでは、黒ずくめの男たちが数人、一台の黒いバンの前で何かを取引している最中だった。
「……見つけた」
俺は『隠密』のスキルで気配を絶ち幻影の狐として、静かに彼らの背後に降り立った。
男たちの手には、先日海洋研究所を襲ったテロリストが持っていたのと同じ、青白く発光するクリスタルが埋め込まれた『魔科学兵器』が握られている。
「おい、この『魔石』の出力、本当に安定してんのか? 暴発しねぇだろうな」
「紅煉のボスからの直輸入だ。この力があれば、黒田組のジジイ共なんて一瞬で消し炭に――」
「へぇ。物騒なこと企んでるんだね」
俺が声をかけた瞬間、男たちは弾かれたように振り返り、一斉に銃口をこちらへ向けた。
「な、誰だテメェ!!」
「撃てッ! 灰にしろ!!」
引き金が引かれる。
青白いクリスタルが異常な光を放ち、銃口から1000度を超える灼熱の火炎弾が放たれた。普通の人間なら回避不能の速度。直撃すれば骨すら残らない。
だが。
「……遅いし、魔力の練り方が雑すぎるよ」
俺は一歩も動かず、右手を軽く前に突き出した。
無詠唱で展開された『絶対零度の氷壁』。火炎弾は氷壁に触れた瞬間、ジュワッという情けない音を立てて、完全に相殺され消滅した。
「なっ……!? 炎が、消えた……!?」
「ただの威嚇のつもりだろうけど、俺の日常を脅かすなら容赦はしないよ」
俺は『縮地』で瞬時に距離を詰め、男たちの鳩尾に次々と正確な手刀を叩き込んだ。
くぐもった悲鳴が数回響いた後、地下駐車場には静寂が戻った。
俺は気を失った男の手から、魔科学兵器を拾い上げた。
銃の機構はどうでもいい。問題は、動力源となっているこの『青白いクリスタル』だ。
「……やっぱりだ。これは、高純度に圧縮された『魔素』の結晶体……」
俺はクリスタルに微弱な探知魔法を流し込み、その魔力波長を解析した。
そして、導き出された結果に、俺は血の気が引くのを感じた。
(嘘だろ……。この魔力の波長、魔大陸のものと完全に一致してる……。いや、それだけじゃない。この波長の『歪み』は……)
俺の脳裏に、数ヶ月前の記憶が蘇る。
魔王を討伐する際、俺は己の全魔力と命を懸けて戦った、その時に次元の壁に影響を与えてしまい、時空の歪みを発生させていたとしたら。
「俺が……地球に帰還した時の、その『亀裂』から……魔素がこの世界に漏れ出している……?」
手の中のクリスタルが、俺の罪を突きつけるように冷たく光っている。
魔素は、周囲の環境を劇的に変異させる。もしこの亀裂が東京湾だけでなく、日本中、あるいは世界中に点在しているとしたら。
いずれこの地球に、魔素を吸って凶暴化した『魔物』が誕生することになる。
「俺の……俺のせいだ……」
ガチャン、と手から銃が滑り落ちた。
平和な日常を望んで、ただ生きて帰りたかっただけなのに。俺のエゴが、この美しい世界に『争いの種』を持ち込んでしまったのだ。
◆
その日の夜。
俺はリカたちを無事に送り届けた後、黒田邸のバルコニーで、一人夜風に当たっていた。
眼下に広がる、キラキラと輝く東京の夜景。俺が愛してやまない、平和な光の海。
(……俺が帰ってこなければ、この街が脅かされることはなかったのに)
両手を強く握りしめ、胸を掻き毟りたくなるような罪悪感に押し潰されそうになっていた、その時。
「……夜風が冷えますよ、カイト様」
背中から、ふわりと温かい布が掛けられた。
振り返ると、凛さんが俺の肩にカシミヤのショールをかけ、そのまま静かに隣に並び立った。
「凛さん……。ごめん、休ませちゃって」
「いえ。カイト様が苦しんでおられるのに、私が安眠できるはずがありません」
凛さんは、俺の顔を下からそっと覗き込んだ。
その瞳は、俺の抱えている絶望をすべて見透かしているように、深く、優しかった。
「……凛さん。俺、とんでもないことをしちゃったかもしれない」
俺は、震える声で地下駐車場での出来事を話し始めた。
自分の帰還が時空を歪ませたこと。そこから漏れ出した魔素が、この世界に魔法という『兵器』を生み出してしまったこと。自分のせいで、平和が壊れようとしていること。
「俺は……疫病神だ。平和になりたいって言いながら、自分でこの世界に争いを持ち込んでる……っ」
顔を覆う俺の手を。
凛さんの、白くて細い、けれど温かい両手が、優しく、力強く包み込んだ。
「カイト様」
凛さんは俺の手をそっと顔から離させると、一歩踏み込み、俺の胸に自分の額をそっと預けてきた。
彼女のシャンプーの香りと、柔らかな体温が伝わってくる。
「もし、貴方様が時空を歪ませたことが原因だとしても。……貴方様が帰ってきてくださらなければ、お祖父様はホテルでのテロで命を落とし、孤児院の子供たちは炎に焼かれ、私は絶望の中で死んでいたでしょう」
凛さんの声は、少しも揺らいでいなかった。
俺の心臓の鼓動を確かめるように、彼女は俺の胸に頬をすり寄せた。
「貴方様は、疫病神などではありません。私たちにとっての、たった一人の救いであり、神様です。……それに、この世界に降りかかる火の粉は、貴方様が一人で背負う必要はないのですよ」
「でも……!」
「カイト様には、この私と、強大な黒田組がついております。魔素が漏れ出したのなら、私たちが情報網を駆使して全て探し出し、カイト様がそれを塞げばいい。……それだけの、簡単なことです」
凛さんが顔を上げ、俺を見つめて微笑んだ。
それは、どんな脅威が迫ろうとも絶対に揺るがない、大人の女性としての、そして俺の全てを肯定する『絶対の理解者』としての微笑みだった。
「貴方様の平和な日常は、何があっても私たちが守り抜きます。……ですからどうか、そんなに悲しい顔をしないでください」
「……凛さん」
俺は、胸の奥で固く結ばれていた暗い感情が、彼女の温もりによって少しずつ解けていくのを感じていた。
自分は一人じゃない。彼女たちがいる。俺が招いた災厄なら、俺の手で、彼女たちと一緒に終わらせればいいんだ。
「……ありがとう、凛さん。俺、ちょっと落ち込みすぎてた」
「ふふ。それが私の役目ですから」
凛さんは、甘えるように俺の腕にギュッと抱き着いた。
「……とはいえ。私がこうして夜のバルコニーでカイト様を独占していると知ったら、あの三人の可愛らしいお嬢さん方が、また修羅場を起こすかもしれませんね」
「うっ……! そ、それは勘弁してほしいかな……」
俺が苦笑すると、凛さんもクスクスと楽しそうに笑った。
魔科学兵器の影は、確実にこの日常を脅かそうとしている。
だが、この温かい体温と、俺を信じてくれる彼女たちがいる限り。俺はもう、二度と立ち止まったりはしない。




