勇者の猫命救助は時速200キロ、そして狐面は和装と共に
「今日から俺も、どこにでもいる普通の高校生だ」
春のうららかな陽射しの中、俺は通学路を歩きながら深く深呼吸をした。
凛さんが徹夜で手配してくれた真新しい制服は、一見するとごく普通のブレザーだ。(裏地に特殊な防弾・耐刃繊維が編み込まれているらしいが、見た目が普通なら誤差の範囲だろう)。
昨日は黒田さんたちを驚かせてしまったが、今日からは違う。目立たず、騒がず、平和を愛する一般の学生として、誰にもバレずに青春を謳歌するのだ。
そんな決意を胸に、横断歩道で信号待ちをしていた時のことだった。
「にゃあ」
道路の中央。なぜか一匹の小さな子猫が、アスファルトの上で丸まっていた。
そして不運なことに、その直線を黒いセダンが猛スピードで突っ走ってくるのが見えた。
速度はおよそ時速100キロ。市街地にしては明らかに異常な速度だ。運転席を見ると、男がスマホを片手に下を向いている。完全に前方不注意だった。
「危ない……!」
俺の思考は、100年間の戦闘経験に裏打ちされた超速の演算を開始した。
魔法で車を吹き飛ばす? ダメだ、目立ちすぎるし運転手が死ぬ。
俺が前に立ち塞がって受け止める? ダメだ、俺の頑丈すぎる体にぶつかれば車は大破し、周囲はパニックになる。何より道路が塞がって渋滞が起きれば、通勤・通学中の一般市民に多大な迷惑をかけてしまう。
「よし、一番『平和』に解決しよう」
俺は周囲に人がいないことを一瞬で確認すると、アスファルトを軽く蹴った。
時速100キロで走る車を追い越すため、俺の体は一瞬にして時速200キロへと到達する。
景色が間延びし、世界がスローモーションのように感じられる中、俺は車の真横にピタリと並走した。
そのまま、ひょいっと子猫をふんわり抱き上げる。急激な風圧やG(重力)で子猫の内臓に負担がかからないよう、微弱なサイコキネシスで完璧な保護結界を張ることも忘れない。
「よし、猫は無事に確保。……次は車だな」
俺は時速200キロで走りながら、そのまま車のフロントバンパーに手を添えた。
ここで俺が急ブレーキをかければ、慣性の法則で運転手がフロントガラスを突き破ってしまうか、深刻なむち打ちになってしまう。俺は一般人として、加害者にも被害者にも優しくありたいのだ。
「優しく、徐々に……だ」
足腰の絶妙な踏ん張りと、空間魔法による微細なベクトル制御を組み合わせる。
タイヤを一切スリップさせることなく、摩擦係数を極限までコントロールしながら、およそ5秒かけて、車の速度を時速100キロから時速0キロへとスムーズに減速させた。
キキキ……と、ほとんど音も立てずに黒いセダンが停止する。
運転席の男は、スマホから顔を上げ「えっ? あれ? なんで止まったんだ?」と間抜けな声を漏らしていた。
「ふぅ……。車も壊さず、運転手も傷つけず、誰にもバレずに解決できたぞ。俺、すっかり現代社会に馴染んでるな!」
俺は子猫を安全な歩道に下ろすと、何事もなかったかのように再び歩き出した。
完璧な一般人ムーブだった。我ながら惚れ惚れするような隠密行動だ。
しかし、俺は気づいていなかった。
少し離れた通学路の曲がり角から、同じ高校の制服を着たギャル風の女子生徒――星野リカが、口をポカンと開けてその一部始終を目撃していたことに。
◆
「マジ信じらんない!! 今朝、ヤバい男子見たんだけど!!」
登校してすぐの教室。
明るい茶髪に派手なネイルを施した星野リカが、息を切らして教室に飛び込んでくるなり大声で叫んだ。
「ねえ聞いてよ! 時速100キロ超えの車をさ、マトリックスみたいに走って追い越して、猫助けて、しかも素手で車をピタッて止めた男子がいたの! ほんと一瞬だったけど、マジで神だった!!」
リカが興奮気味に身振り手振りを交えて語るが、クラスメイトたちは冷ややかな視線を送るだけだった。
「リカ、昨日夜更かししすぎじゃない?」
「最近流行りのAI動画の見すぎでしょー。現実と区別ついてないよウケるw」
「だいたい、車より速く走る人間なんているわけないじゃん。夢でも見てたんじゃないの?」
「夢じゃないもん! マジでいたんだってば!!」
誰も信じてくれない状況に、リカは頬を膨らませて地団駄を踏んでいる。
俺は自分の席に座って教科書を開きながら、内心で冷や汗を拭っていた。
(あ、危なかった……。速すぎて顔までは見られなかったみたいだ。誰も信じてないし、リカって子にも夢オチだと思われてる。やっぱり『一般人』としての俺の擬態は完璧だったな!)
俺は安堵の息を吐きながら、平和な学校生活の第一歩を踏み出したのだった。
◆
放課後。
黒田さんの屋敷に戻った俺は、応接室で黒田さんと凛さんに今朝の出来事を報告していた。
「……というわけで、誰にもバレずに済んだんですが、流石に素顔のままで人助けをするのはリスクが高いなって思いまして」
「時速200キロで並走しながら車の運動エネルギーを殺した……? 坊っちゃん、それはもう隠蔽云々の次元を……いや、よそう。考えるだけ胃が痛くなる」
黒田さんが備え付けの高級な胃薬を水で流し込む横で、凛さんがキーボードを叩きながら報告を上げる。
「今朝の現場周辺のドライブレコーダーおよび防犯カメラの映像は、全て私が遠隔で『巨大な鳥が横切ったノイズ』に差し替えておきました。ご安心ください、カイト様。しかし、今後のために正体を隠す装備が必要というご意見には、全面的に賛同いたします」
「でしょ? だから、異世界のアイテムボックスからこれを出してきたんだ」
俺はテーブルの上に、木彫りの『狐の半面』をコトリと置いた。
「昔、向こうのダンジョンで拾った呪いのアイテムなんだけど、解呪したら結構便利な効果が残ってさ。これを被ると『認識阻害』がかかって、口元は見えてるのに、声や顔の細部が他人の記憶にもカメラの記録にも残らなくなるんだ」
「素晴らしいアーティファクトですね。これなら、カイト様がどれほど派手に活躍しようと、世間には『正体不明の怪人』としてしか認識されません」
凛さんが眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、キラリと瞳を光らせた。
「カイト様。この狐面を装備して活動されるのであれば、衣装は絶対に『和装』がエモいです」
「え、エモい?」
「はい。現代の機能性と、日本の伝統的な美しさを融合させた戦闘用の和服。……サイバーパンクな街並みに和装の狐面が佇む姿は、ネットの海で神格化されること間違いありません。私が即座に、最高級の素材で特別な衣装を手配いたします」
凛さんが早口でまくしたて、なぜかものすごい熱量を放っている。
俺が戸惑って黒田さんを見ると、黒田さんも深く頷いていた。
「坊っちゃん、和の心は大事だぞ。極道の……いや、日本の男たるもの、和装の一つも着こなせなくてどうする。凛に任せておけば間違いない」
「えっ、でもそれって逆に目立ちすぎない……?」
「これが現代のヒーローにおける『正装』なのです。ご心配なく」
凛さんの謎の説得力に押し切られ、俺は頷くしかなかった。
こうして、後にネット上で大バズりし、裏社会を震撼させる都市伝説『幻影の狐』のビジュアルは、最強の秘書のオタク的な(?)プロデュースによって爆誕したのだった。




