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フェアな真実と、血塗られた100年の孤独(前編)

四つ巴の修羅場となったあの日から、俺の中の時間は止まったままだった。

 星野さんの、照れ隠しを捨てた真っ直ぐな瞳。神宮寺さんの、不器用で必死な叫び。小鳥遊さんの、震えながらも一歩を踏み出した勇気。

 そして、全てを包み込もうとする凛さんの静かな献身。


彼女たちの想いは、あまりにも純粋で、温かく、そして平和だった。

 だからこそ――俺のような人間が、その綺麗な想いに触れてはいけないと、100年の戦闘経験で培われた本能が警鐘を鳴らし続けていた。


黒田邸の地下にある、分厚い防音壁に囲まれた広大なモニター室。

 冷たい革張りのソファに深く沈み込み、俺は両手で顔を覆っていた。


「……どうしよう、凛さん。俺、あんなに真っ直ぐ想いをぶつけられるなんて思ってなくて。このまま適当な嘘をついて誤魔化し続けるのは、あいつらに……すごく不誠実な気がするんだ」


絞り出すようにこぼした俺の言葉に、静かに紅茶を淹れていた凛さんが手を止めた。

 カチャリと、ソーサーをテーブルに置くかすかな音だけが室内に響く。

 彼女は俺の正面に座ると、その知的で冷徹な、しかし今はひどく熱を帯びた瞳で、真っ直ぐにこちらを見つめてきた。


「カイト様。……彼女たちに、貴方様の『真実』をお伝えになってはいかがですか」

「真実って……俺が、異世界から帰ってきたこと? 100年間、向こうで戦い続けていたこと?」

「はい。私は、カイト様のすべてを知り、こうして誰よりも近くでお支えできるこの特権を、何よりも誇りに思っています」


凛さんはそこで一度言葉を切り、ふわりと、大人の女性としての余裕と慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。


「ですが、彼女たちも本気で貴方様にぶつかってきました。同じ女として、そしてカイト様を想う者として……私だけが安全な場所から全てを知っているというのは、あまりにもアンフェアです。それに……カイト様ご自身も、もう嘘をつき続けることに限界を感じておられるのではないですか?」

「……っ」


図星だった。

 俺は、彼女たちの笑顔が好きだ。くだらないことで笑い合い、テストの点数で悩み、放課後にクレープを食べる。そんな『普通の高校生』としての日常が、喉から手が出るほど欲しかった。

 だが、その平和な日常を享受すればするほど、俺の内に巣食う「血塗られた100年」の記憶が、真っ黒な泥のように溢れ出し、彼女たちの綺麗な世界を汚してしまうのではないかという恐怖に苛まれていたのだ。


「……凛さんの言う通りだ。ちゃんと、話すよ。それで嫌われて、遠ざけられたとしても……それが、俺の背負うべき罰だから」

「分かりました。では、ここを使いましょう。誰の邪魔も入らない、この地下シェルターを」



週末。

 凛さんの手配によって、黒田邸の地下シェルターに三人の少女たちが集められた。

 休日に突然、裏社会のトップが住むような厳重な洋館の地下に案内されたのだ。星野リカ、神宮寺ナギサ、小鳥遊詩織の三人は、明らかな緊張と不安で顔を強張らせていた。


「天城くん……今日、大事な話があるって……」

「ここ、なんなの……? 映画の秘密基地みたいなんだけど……」


ナギサがゴクリと喉を鳴らし、リカが落ち着かない様子で周囲を見回す。詩織は不安げに、胸元で両手をぎゅっと握りしめていた。

 少し離れた壁際では、凛さんが腕を組み、静かな眼差しでこの結末を見届けようと待機している。


俺は、重い鉛のように沈む足を引きずり、三人の前へと歩み出た。


「みんな、休日にこんな場所に呼び出してごめん。……今日は、俺の本当の口から、みんなに伝えておかなきゃいけないことがあるんだ」


俺は深く、長く深呼吸をした。

 これから見せるものは、彼女たちの生きる平和な世界とは対極にある、地獄の底だ。

 言葉でどれだけ飾っても、俺の抱える異常性は伝わらない。ならば、直接その目に焼き付けさせるしかない。


「信じられないかもしれないけど……言葉じゃ絶対に伝わらないから、直接見せるよ」


俺は、右手の指先を小さく鳴らした。

 パチン、という乾いた音が鳴り響いた瞬間。

 俺の体から、魔大陸を制圧した莫大な魔力が溢れ出し、地下シェルターの空間そのものを捻じ曲げた。


「えっ……!?」

「な、なにこれ……っ!?」


三人の少女たちが悲鳴を上げる。

 真っ白だった地下室の壁が、床が、天井が、ノイズのように歪み――次の瞬間、世界が一変した。

 発動したのは、第十階位の幻影魔法『記憶の完全投影レコード・オーバーライト』。視覚、聴覚、さらには嗅覚や肌を刺す温度まで、俺の脳内に焼き付いた記憶をそのまま現実に上書きする、究極の幻術だ。


三人の少女たちは、突如として、俺が100年間を過ごした異世界――『魔大陸』の戦場のど真ん中へと放り込まれた。


「ひっ……!」

「うそ……匂い、これ……っ」


まず彼女たちを襲ったのは、むせ返るような鉄と硫黄の匂いだった。

 見上げれば、太陽の光など届かない、赤黒い灰に覆われた空。

 足元には、見渡す限りの荒野。そこには、数え切れないほどの巨大な魔獣の骸が山のように積み重なり、ドロドロとした黒い血が川のように流れている。

 遠くからは、大地を揺るがすようなドラゴンの咆哮と、悪魔たちの耳障りな金切り声が絶え間なく響き渡っていた。


「これが、俺の生きてきた世界だ」


呆然と立ち尽くす三人の前に、俺の幻影が重なる。

 そこに立っていたのは、いつものへらへらと笑う高校生の俺ではない。

 全身を返り血で真っ赤に染め、瞳孔は極限まで見開き、手にした折れかけの剣を握る指先からは絶えず血が滴り落ちている、狂気に満ちた『戦士』の姿だった。


「……嘘、でしょ……?」

「天城、くん……?」


リカが震える手で口元を覆い、ナギサの膝がガクガクと震え出す。

 幻影の中の俺は、仲間など誰もいなかった。

 背中を預け合うパーティーも、共に夜を明かす仲間もいない。

 たった一人。文字通り、たった一人きりで、押し寄せる何万という魔物の群れに突っ込んでいく。


――ガキィィィィンッ!!

 ――グチャァッ!!


肉を断つ生々しい音。骨が砕ける音。

 幻影の俺は、巨大な魔獣の爪で腹を深くえぐられ、大量の血を撒き散らしながらも、表情一つ変えずに自らの傷口に治癒魔法を叩き込み、再び剣を振るう。

 痛みを感じる機能など、とうの昔に壊れていた。ただ殺す。生き延びるために、目の前の動くものを全て肉塊に変える。

 夜になれば、魔物の死体の山の中で、凍える寒さに耐えながら浅い眠りにつく。話し相手もなく、自分の声すら忘れそうになる孤独の中で、月日だけが残酷に流れていく。


一日、一ヶ月、一年……そして、十年。

 狂気と絶望が入り混じる果てしない孤独。

 三人は、俺が過ごした『100年』という絶望的な時間の重さを、疑似的に、しかし圧倒的なリアリティで叩きつけられていた。


「いや……やめて、もうやめてぇっ!!」


詩織が、耳を塞いで泣き叫んだ。

 その悲痛な声にハッとし、俺は慌てて指を鳴らして幻影魔法を解除した。


スッ……と、血生臭い魔大陸の景色が消え去り、無機質な地下シェルターの壁が戻ってくる。

 しかし、三人の少女たちはその場にへたり込み、荒い息を吐きながら、恐怖と衝撃で青ざめた顔で震えていた。

 これが、現実だ。

 平和な日本で、恋だのテストだのと笑い合っている彼女たちにとって、俺の過去はあまりにもグロテスクで、おぞましいものだった。


「……ごめん。見せたくないものを見せた」


俺は、意図的に声を低くし、冷たく突き放すように言った。

 胸が張り裂けそうだった。彼女たちの怯えた顔を見るのが、何よりも辛かった。でも、これでいい。これで彼女たちは、俺というバケモノから離れ、元の綺麗な日常に戻ることができる。


「これが、俺の真実だ。俺はみんなが思ってるような、優しい普通の男子高校生じゃない。人の心なんてとっくに擦り切れた、100歳超えのバケモノなんだよ」


沈黙が痛い。

 誰も口を開かない。開けるはずがないのだ。


「君たちが生きている平和な世界に、俺の居場所はない。俺は……君たちと釣り合わない」


俺は、血を吐くような思いで、最後の一言を口にした。


「俺のことは……もう、忘れてくれ」


重く、息が詰まるような絶望的な沈黙が、地下シェルターを完全に支配した。

 うつむいた彼女たちの顔は見えない。ただ、すすり泣く声だけが、俺の罪を責め立てるように冷たい床に響いていた。

 あぁ、これで終わったんだ。俺の、夢のような平和な日々は。

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