裏社会のドンと氷の秘書、至福のティータイム
週末の午後。
俺は「平凡な休日の暇つぶし」として、いつものように黒田邸の洋館へ遊びに来ていた。
メガモールでのテロや放火事件の事後処理も一段落し、今日の黒田邸には、珍しくゆったりとした平和な時間が流れていた。
「おお、坊っちゃん。よく来てくださった。さぁさぁ、どうぞこちらへ!」
裏社会を牛耳る黒田組の組長、黒田宗一郎。
泣く子も黙る極道の世界のドンが、俺の顔を見るなり、孫を溺愛するお爺ちゃんのような満面の笑みで応接室のふかふかなソファを勧めてくる。
「お邪魔してます、黒田さん。なんか今日、すっごくいい匂い(お香?)がしますね」
「ふふ、よくぞお気づきで。坊っちゃんが来られると聞いて、数百年前に沈んだ南蛮船から引き揚げられた、国宝級の伽羅の香木を焚いておいたのですよ」
「えっ、国宝!? そんなの焚いていいんですか!?」
「坊っちゃんに嗅いでいただけるなら、香木も本望でしょう」
相変わらず黒田さんのスケールがデカすぎてビビる。
俺がソワソワしていると、ガチャリと応接室のドアが開き、エプロン姿の凛さんがワゴンを押して入ってきた。
「カイト様、お待ちしておりました。……本日は、私が『お茶菓子』をご用意させていただきました」
いつもは漆黒のスーツ姿で冷徹にハッキングや裏工作をこなす凛さんが、フリルのついたエプロンを着て、少し頬を赤らめている。
ワゴンの上には、お皿に盛られた手作りのクッキーが並んでいた。
(おお! 凛さんの手作り! 前にオムライスで失敗しちゃってたけど、クッキーなら焼くだけだし安心だな!)
「わぁ、美味しそう! いただきます!」
俺は嬉々としてクッキーを一つ手に取り、ポイッと口に放り込み、勢いよく噛み砕いた。
ガキィィィィンッ!!!!
口の中から、石ころ……いや、鋼鉄を噛み砕いたような凄まじい音が響き渡った。
「カ、カイト様ッ!?」
「坊っちゃん!?」
黒田さんと凛さんが血相を変えて立ち上がる。
俺は「ん?」と首を傾げながら、そのままボリボリとクッキー(らしきもの)を咀嚼し、ゴクンと飲み込んだ。
「美味しいですね! ちょっと歯ごたえがあるけど、甘さ控えめで俺は好きですよ!」
「ほ、本当ですか……!? ああ、よかった……っ」
凛さんが胸をなでおろし、へなへなとその場に座り込みそうになる。
実はこのクッキー。料理の火加減が全く分からない凛さんが、「絶対に生焼けにならないように」と、ミリタリー用の超高火力バーナーで焼き固めた『乾パン(防弾仕様)』レベルの代物だったのだ。
一般人が全力で噛めば、確実に歯が砕け散る硬さである。
(さすがはカイト様……。私の不器用な失敗作すら、強靭な肉体と海よりも深い優しさで受け止めてくださるなんて……!)
凛さんはエプロンの裾をギュッと握りしめ、感動で目を潤ませていた。
「いやぁ、凛の手作り菓子を笑顔で食べていただけるのは、世界でも坊っちゃんただ一人でしょうなぁ。……さて、お茶にしましょうか」
黒田さんが苦笑しながら、ワゴンからティーポットを取り出そうとする。
「あ、俺が淹れますよ! いつもご馳走になってるし!」
俺は立ち上がり、ティーポットと茶葉を手にした。
異世界で100年、たった一人でサバイバルしてきた俺にとって、食事や飲み物の準備は完全な自己完結スキルだ。最高のお茶を淹れるための「温度管理」など、造作もない。
(美味しいお茶を淹れるには、お湯の温度が重要だ。沸騰したお湯を、ちょうど85度まで冷ますのがベスト……)
俺はティーポットを両手で包み込むと、無詠唱で『微弱な氷結魔法(冷却)』と『浄化魔法』を同時に発動させた。
ポットの中のお湯が、一瞬にして不純物ゼロの神聖な霊水へと変わり、温度がミリ単位の誤差もなくピタリと85度に調整される。
さらに、茶葉の香りを最大限に引き出すため、指先から微量な『風魔法』を送り込み、ポットの中で茶葉を美しくジャンピング(対流)させた。
「よし、完璧! どうぞ、黒田さん、凛さん!」
俺は二人のティーカップに、黄金色に輝く紅茶を注いだ。
一口飲んだ瞬間。黒田さんと凛さんの動きが、ピタリと止まった。
「…………こ、これは」
「なんという、澄み切った味わい……。一口飲んだだけで、日々の疲労や、心の澱みすらも洗い流されていくようです……」
二人は目を見開き、信じられないものを見るような顔でカップを見つめていた。
それもそのはず。俺が淹れた紅茶は、浄化魔法の作用によって『飲めば寿命が三年延びる』レベルのポーション(霊薬)へと変貌していたのだから。
「あはは、大げさだなぁ。ただお湯の温度に気をつけただけですよ」
俺が照れくさそうに笑いながら自分の紅茶を飲んでいると、黒田さんがポロリと涙をこぼした。
「……坊っちゃん。裏社会の血生臭い世界で生きてきたこの老いぼれが、まさかこんなにも穏やかで、天国のようなお茶をいただける日が来るとは……。生きていて、本当によかった」
「お祖父様……」
凛さんもまた、カップを両手で包み込みながら、俺を熱い、熱い瞳で見つめていた。
(カイト様の手にかかれば、血塗られた私たちの日常すら、こんなにも温かく、優しい時間へと変わってしまう……。ああ……私はやはり、この方をお支えするために生まれてきたのですね……)
氷の秘書の胸の内で、俺への激重な愛と忠誠心が、またしても限界を突破してカンストしていく。
「? どうしたんですか、二人とも。お茶、まだありますよ?」
「いただきます。……カイト様、ずっと、ずっと私たちの傍にいてくださいね」
黒田さんが、黄金色に輝く紅茶(寿命+3年)をもう一口ゆっくりと飲み込み、深く、深く満足げなため息を吐いた。
「いやはや……。このような至福の時間を味わえるとは。……坊っちゃん」
「はい? どうしました、黒田さん」
「本当に、あとは坊っちゃんにこの凛をもらっていただけたら、この老いぼれ、もう人生に思い残すことは何もありませんなぁ」
「……ブッ!!??」
俺は口に含んでいた紅茶を、盛大に宙に向かって吹き出した。
ゲホッ、ゴホッ!とむせ返る俺をよそに、黒田さんはニコニコと穏やかな笑顔で爆弾発言を続ける。
「もちろん、坊っちゃんほどの御方に対して『正妻に』などという図々しいお願いはいたしません。側室の末席にでも、この凛を置いていただければ……黒田組の全財産と権力を結集して、お二人をお支えすることをお誓いいたしますぞ」
「そ、側室ぅぅ!? 黒田さん、今の日本にそんな制度ないですよ! 時代劇のジョークがガチすぎますって!」
俺が涙目でツッコミを入れる中、隣にいた凛さんをふと見ると――。
いつもは氷のように冷徹で、どんな修羅場でも表情一つ変えない彼女が、耳の先から首筋まで、茹でダコのように真っ赤に染め上げていた。
「お、お祖父様ッ!? カ、カイト様に向かってなんて恐れ多いことを……っ! そ、側室だなんて……! 私はそのような……っ!」
「おお、凛や。照れることはない。お前の坊っちゃんを見る目は、とうに隠しきれておらんぞ」
「〜〜〜〜ッ!!」
凛さんは両手で顔を覆い、そのまま「カイト様の側室……」「カイト様のお側にずっと……」と蚊の鳴くような声でブツブツと呟きながら、完全に思考がショートしてしまっていた。
(ちょ、凛さんまで顔真っ赤にして! なんで極道の人たちって、こういう『忠誠の誓い(ジョーク)』に全力なんだろう!? 俺、ただの一般人の高校生なのに!)
俺は「さすが裏社会、冗談のスケールも命懸けだな!」と一人で納得し、必死にむせた喉を落ち着かせようとしていた。
……もちろん、黒田さんが1ミリも冗談で言っていないことにも。凛さんが「側室でも構わない」と本気で覚悟を決めてしまったことにも、俺は全く気づかないまま。
今日も俺の望む(?)平和な休日が、ドタバタと過ぎていくのだった。




