雨音の図書室と、勇者様の「等身大」の鼓動
放課後の図書室。窓の外では、予報になかった小雨が静かに降り始めていた。
小鳥遊詩織は、カウンターの奥で静かに息を呑んでいた。
窓際の席で、天城カイトが机に伏せて居眠りをしている。
いつもは「平凡」を装いながら、その裏で世界の命運を背負って戦っている気高き英雄様。その彼が、今は無防備に、あどけない寝顔を晒していた。
(……お疲れなのですね。毎日、私たちの平和のために……)
詩織は、カイトの休息を邪魔されないよう、周囲にそっと「貸出中の本」を山積みにしてバリケードを作った。そこへ、騒がしい足音が近づいてくる。
「あー、天城くんいなーい! ゲーセン行こうと思ったのに!」
「どこ行ったのかなー?」
星野リカたちギャルグループがカイトを探しにやってきた。
詩織はビクッと肩を揺らしたが、すぐにカイトの寝顔を振り返り、両手を広げて入り口に立ちはだかった。
「あ……天城くんは、いま、いらっしゃいませんっ!!」
「えっ、図書委員さん? 珍しく大きな声だねー。おけ、また今度にするわ!」
リカたちが去っていくのを見届け、詩織はへなへなと座り込んだ。
英雄様の眠りを守るためとはいえ、自分でも驚くほどの勇気が出た。
「ん……ハンバーグ……もっと……」
カイトが呑気な寝言を漏らす。
詩織は、思わず小さく吹き出した。神様だと思っていた方の、あまりにも可愛らしい一面。胸の奥が、温かいもので満たされていく。
◆
下校時。雨は勢いを増していた。
カイトは傘を持っておらず、校舎の入り口で困ったように空を見上げていた。
「天城くん……。あ、あの、よろしければ……」
詩織は顔を真っ赤にしながら、自分の小さな折り畳み傘を差し出した。
「え、いいの? 小鳥遊さん。助かるよ!」
こうして始まった、夢のような相合い傘。
けれど、詩織の傘は小さく、並んで歩くとどうしてもカイトの肩がはみ出してしまう。
「天城くん、濡れてしまいます。もっと、こちらへ……」
「いや、俺は大丈夫だから。小鳥遊さんこそ濡れないように……」
「だ、ダメです! 英雄様……じゃなくて、天城くんが風邪を引いてしまったら、大変ですっ!」
詩織は、思い切ってカイトの制服の袖を掴み、自分の方へとグイッと引き寄せた。
その瞬間。
「うおっ!?」
密着。
カイトの広い肩が、詩織の肩と触れ合った。
(あ……)
相合い傘という、小さな閉鎖空間。
詩織の鼻先が、カイトの胸元に当たるほどの至近距離。
そこから漂ってきたのは、古の戦場を思わせる「戦士のオーラ」などではなく。
毎日を懸命に生きている男の子らしい、石鹸の匂いと、微かな汗の匂い。
そして。
トクン、トクン、トクン……。
密着した体から伝わってくる、驚くほど速いカイトの心音。
お伽話の勇者様ではない、生きている人間の「鼓動」。
(……天城くんも、緊張して、おられるの……?)
世界を救い、魔王すら恐れないはずの彼が。
ただの女の子である自分の隣で、こんなに激しく心臓を鳴らしている。
(……あぁ。この方は、本当の……本当の男の子なのですね)
そう気づいた瞬間。
これまで「崇拝」だった詩織の感情は、一気に「現実の恋」へと姿を変えた。
顔が沸騰しそうなほど熱くなり、カイトの鼓動と自分の鼓動が重なって、雨音さえ聞こえなくなる。
◆
そんな時だった。
曲がり角から、クラスの男子たちが通りがかった。
「おい、あれ天城じゃね? ……え、隣、図書委員の小鳥遊さん!? お前ら、なんでそんなに密着して……まさか付き合って……」
カイトが慌てて離れようとする。だが、この状況で「ただのクラスメイトです」と言えば、逆に不自然に疑われ、カイトの「平凡な生活」にヒビが入るかもしれない。
その時。詩織の中で、再び「守るための勇気」が爆発した。
「……そうですっ!!」
詩織はカイトの腕を両手でギュッと抱きしめ、潤んだ瞳で男子たちを睨みつけた。
「天城くんとは、これから……これから一緒に、デ、デートに行くんですっ! だから、お邪魔をしないでくださいっ!!」
「「「デ、デートぉぉぉぉ!?」」」
男子たちが驚愕して去っていく。
静寂が戻った雨の中。我に返った詩織は、自分の口走った言葉に凍りついた。
「あ、天城くん……あ、あの、今の、は……ご、誤魔化すために、その……っ!」
詩織が顔を覆って泣きそうになると。
隣でカイトも、耳まで真っ赤にして、視線を泳がせていた。
「あ、あはは……。そっか、デート……。……傍から見たら、俺たち、恋人同士に見えたんだな」
カイトは照れ臭そうに鼻の頭をかきながら、そっと詩織の肩を雨から守るように、さらに傘を引き寄せた。
「……ありがとう。助かったよ、小鳥遊さん」
「……はい……っ」
勇者様ではない、一人のウブな男の子としての優しさに、詩織の恋心はもう限界だった。
自分の小さな傘が、世界で一番温かくて幸せな場所に思えて。
詩織は、震える手でカイトの腕を離さないよう、そっと力を込めるのだった。




