想像と現実のズレ、そして氷の秘書の殺意
理数系と文系で立て続けに大惨事(本人は大成功だと思っている)を引き起こした俺だったが、今日の時間割の最後には、誰もが平和に楽しめる科目が用意されていた。
5時間目、美術だ。
「今日の課題は『想像上の生き物』です。皆さんの自由なイマジネーションを膨らませて、キャンバスに描いてみてくださいね」
ふくよかで優しそうな美術教師が、ニコニコと微笑みながらそう告げた。
俺はキャンバスに向かい、パレットに絵の具を出した。
(想像上の生き物……つまり、この現代日本には存在しないファンタジーの魔物ということか。任せろ。俺は異世界で100年間、何万匹という魔物を文字通り『骨の髄まで』解体してきたんだからな!)
俺は迷いなく筆を走らせた。
モチーフに選んだのは、魔大陸の活火山に生息していた『紅蓮の飛竜』だ。
(ドラゴンの巨大な翼を羽ばたかせるためには、胸元の筋肉(大胸筋)はこれくらい異様に発達していなきゃいけない。鱗の並び方はこうだ。刃を通さないために、一枚一枚が複雑に重なり合っている。そして、口の奥から覗く『火炎袋』の構造は……)
俺は100年の実戦経験と、魔物の解体で培った『絶対的な生体構造の理解』をキャンバスに叩きつけた。
およそ高校生が描いたとは思えない、写真のような……いや、図鑑の解剖図のような、圧倒的なリアリティを持ったドラゴンの絵が完成しつつあった。
「……ひっ!?」
背後から、小さな悲鳴が聞こえた。
振り返ると、巡回していた美術教師が、俺のキャンバスを見て顔面を蒼白にしていた。
「あ、先生! どうですか? ドラゴンの骨格と筋肉の付き方、かなり正確に再現できたと思うんですけど!」
「あ、天城くん……。これは、その、なんというか……生々しすぎるというか……」
教師が震える指でキャンバスを指差す。
俺が描いたのは、ただのドラゴンではない。「弱点である首元から剣を突き立てられ、火炎袋が露出しているドラゴンの断面図」のような、完全に『討伐・解体目線』の絵だったのだ。
「え? だって、こういう構造になってないと、あの巨体で空を飛んで火を吐くなんて物理的におかしいじゃないですか」
「い、いや! 先生は『想像』で描いてと言ったんです! ファンタジーなんですから、もっと夢のある、可愛らしい姿でも……」
「想像……? いや、これ現実なんで」
俺が真顔で即答すると、教師は「ヒッ」と後退った。
「こんなグロテスクな生物を、まるで本当に見たことがあるような目つきで……! ダメです! 美術は空想を楽しむものです! この絵は課題のテーマに反していますから、評価できません!」
結果。俺の圧倒的な画力で描かれたドラゴンは、「リアルすぎて怖い」「テーマ違反」「精神状態が心配」という理由で、またしても点数がつかなかった。
(おかしい……。あんなに正確にドラゴンの構造を描ける人間、この日本で俺しかいないのに!)
◆
放課後。
俺はすっかり肩を落として黒田邸の洋館へ向かい、地下のモニター室で凛さんに今日一日の出来事(主に美術の惨劇)を愚痴っていた。
「……っていうことがあってさ。俺、一生懸命描いたのに『想像力が足りない』とか言われて、評価されなかったんだよね」
俺が鞄からその「ドラゴンの絵」を取り出して見せると、凛さんのタイピングする手がピタリと止まった。
彼女はモニターから視線を外し、俺のキャンバスを食い入るように見つめた。
「……素晴らしい、の一言です。鱗の質感、筋肉の躍動、そして生き物の死の匂いすら感じる圧倒的な写実力……カイト様、これはまさしく『芸術』です」
「おお! さすが凛さん、分かってくれる!?」
「ええ。ですが……」
凛さんは、キャンバスの隅に貼られた付箋――美術教師が書いた『想像力が欠如しています。もっと夢のある絵を描きましょう』という赤字のコメントを見た瞬間。
彼女の周りの空気が、氷点下まで凍りついた。
ピシッ、と。凛さんが握りしめたボールペンが、音を立てて砕け散る。
「……凛さん?」
「……一介の、平和ボケした美術教師風情が。……カイト様が100年もの間、血反吐を吐きながら相対し、命を懸けて生き抜いてきた『現実』を……『想像力が足りない』と、否定した……?」
凛さんの声は、地獄の底から響くような、純度の高い『殺意』に満ちていた。
彼女の脳裏には、昨日俺から聞いた『100年間の孤独な戦い』の記憶が鮮明に焼き付いているのだ。カイトの血のにじむような経験を「想像力が足りない」の一言で切り捨てた学校の評価が、彼女にはどうしても許せなかった。
「許しません。カイト様の100年の孤独と尊い経験を、あのような無能な教師に否定させるわけにはいきません……ッ!」
凛さんが、カタッ、と椅子から立ち上がった。
その手には、いつの間にか白鞘の日本刀が握られている。
「……えっ? ちょ、凛さん? どこ行くの?」
「学校へ乗り込みます。あの美術教師の喉元にこの切っ先を突きつけ、『カイト様が描かれたものこそが真実だ』と、骨の髄まで教育し直してまいります」
「ストォォォォォップ!!!」
俺は慌てて凛さんの腰にすがりつき、全力で引き留めた。
「ダメダメ! 俺の一般人計画が崩壊する! 殺傷沙汰はマジでやめて!!」
「離してくださいカイト様! 私は貴方様の名誉を守るためならば、学校を一つ火の海にすることなど造作もありません! 今すぐ黒田組の若い衆を三百人ほど手配して――」
「スケールでかくなってるから! 美術の点数が悪いだけでマフィアの抗争起こさないで!!」
俺は涙目で、暴走する氷の秘書を必死に宥め続けた。
俺が「平和なモブ」を目指せば目指すほど、すれ違いの果てに裏社会のトップをガチギレさせてしまう。
俺の望む『普通の青春』への道のりは、まだまだ遠く険しいようだった。




