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玄関の鉄扉を強打する金属音が、一瞬だけ途切れた。
男が呼吸を整えているのか、それとも次の手立てを思案しているのか、外の気配だけがドア一枚を隔てて生々しく立ち込めている。
無音。
スピーカーフォンの通話が切れたスマートフォンの液晶が、黒く沈んだ。エアコンの送風音すら存在しない十畳のリビングに、ただ、父の喉仏が上下するかすかな摩擦音と、窓の隙間から入り込む真夏の湿った熱気だけが澱んでいた。
父は両腕をだらりと下げ、汗を吸って重くなったジャケットを着たまま、フローリングの板目を凝視している。顎の先端から、一滴の汗が音もなく床へ落ちた。
母は、電話を切ったスマホをテーブルの端へミリ単位の正確さで戻し、指先でスカートの皺をすっと撫で下ろした。
美咲は、制服の胸元で止まっていた息を、微かな吐息に変えて逃す。
誰も怒鳴らない。誰も胸ぐらを掴まない。
この場で「本当のこと」を口にした瞬間、全員が必死に守り抜いてきた虚飾の城が完全に崩壊し、ただの惨めな貧困家庭へと堕ちてしまうことを、骨の髄まで知っているからだ。
ふう、と美咲が唇の端を小さく引き上げた。
その顔には、先ほどまでの血の気の引いた青白さは欠片も残っていない。いつも通りの、無邪気で賢明な娘の仮面が、一瞬の澱みもなく滑り込んでいた。
「すごーい。お父さん、もう会社っていう小さな枠にすら収まらない存在になったんだね。さすがだわ」
鈴を転がすような美声が、重苦しい空気をあっさりと切り裂いた。
父の肩が、ピクリと撥ねるように反応する。
母もまた、何事もなかったかのように口元に柔らかい笑みを湛え、台所の流し台へと滑らかな足取りで戻っていった。昨夜放置されたままのマイセンの皿を、生ぬるい水道水で指先を汚さぬようそっと撫でながら、背中越しに言葉を紡ぐ。
「ええ、本当に。これからは毎日、一日中お父さんのお顔を見て暮らせるのね。こんなに贅沢な家庭環境、他にはないわ。本当にお父さんの決断力には頭が下がるし、助かるわ」
一日中、家にいる。
その言葉の裏にある「もう行く場所のない無職」という絶対的な事実を、極上の賛美でコーティングして父の喉元へ押し込む。
父は、白濁した瞳をゆっくりと上げ、母の背中と美咲の笑顔を交互に見つめた。
その唇は細かく痙攣し、噛み締めた奥歯の隙間から、掠れた空気の音が漏れ出る。
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