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「さあ、お待たせ! 主役の登場だよ。社運を懸けたプロジェクトの成功を祝して、我が家が誇る最高のディナーの始まりだ。やはりエリートの食卓には、これくらいの華がなくてはね」
親父の声はよく響き、誇らしげだった。玄関先で地面に這いつくばって十円玉を数えていた男と、同一人物とは思えないほどの切り替えの早さ。
お袋は、ゆっくりと立ち上がり、親父の手から寿司の袋を受け取った。
その目はやはり、一切の光を反射しない絶対零度の暗闇だったが、口元には極めて美しい、健気な妻の微笑が湛えられていた。
「まあ、素晴らしいわ、お父さん。さっき玄関先で、ずいぶん熱心に『一円単位の緻密な財務管理』をなさっている音が聞こえてきたけれど、さすがはエリートのビジネスマンね。支払いの一瞬に至るまで、一ミリの無駄も出さないその徹底したコスト意識、本当に頭が下がるわ」
親父の肩が、一瞬で石のように硬直した。
お袋の放った「一円単位の財務管理(=小銭を這いつくばって数えていたことへの嫌味)」という刃が、親父のプライドの心臓を完璧に捉えていた。
しかし、美咲がすかさず、信じられないほど甘い笑顔で追撃を仕掛ける。
「本当ね。お父さん、外で配達員の方と、ずいぶんタフな『キャッシュ流動性の交渉』をされていたみたいで、私、頼もしすぎて感動しちゃった。そのプロフェッショナルな決済能力があれば、私の『将来への投資』の五万円も、一瞬でスマートに処理してもらえるって確信したわ。さすがパパね」
美咲の「将来への投資(=万引きの示談金)」という二の矢。
玄関先で一万二千円を払うのすら四苦八苦していた親父に対して、「当然、五万円くらい一瞬よね」と、逃げ道を完璧に塞ぐ。
零二は、暗闇の中でスマホの画面をそっと伏せ、極上のラリーの仕上げにかかった。
「さすが親父。エリートの交渉術は、玄関の先から始まってるんだね。あんなに熱心に小銭のディスカウント交渉を見せられたら、俺の予備校の学費未納なんていう『些細な負債』も、明日の朝にはスマートに一括返済されてるんだろうなって、今からワクワクするよ」
親父の顔から、みるみるうちに血の気が引いていくのが、ろうそくの微かな光の中でもはっきりと分かった。
額から、滝のようなじっとりとした脂汗が流れ落ち、プレスの利いたジャケットの襟元を濡らしていく。昨夜ぶつけた膝の痛みに耐えかねて、親父の脚が微かに震えていた。
「ははは……当然さ。財務の健全性を保つために、キャッシュの管理を徹底するのは一流の基本だからね。君たちの教育や未来への投資を、俺が渋るわけがないだろう。さあ、せっかくの高級寿司、暗闇の美しさを楽しみながら、美味しくいただこうじゃないか」
誰も本当のことは言わない。
玄関先でのあの惨めな「小銭の音」を誰もが知っているのに、それを「一流の財務管理」「タフな交渉」と呼び変えて、親父の喉元にさらに深い借金の刃を押し当てていく。
零二は、寿司のパックを開けるお袋の手元を見つめながら、ゾクゾクとするような快感に身を震いていた。
極限の暗闇のディナーが、いよいよ幕を開ける。
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