17
月曜日の夕方。
エアコンの死んだ山崎家は、外の熱気をたっぷりと吸い込み、逃げ場のない蒸し風呂と化していた。
台所の冷蔵庫からは、かすかに酸っぱい、何かが発酵して腐り始めたような生ぬるい臭いが漂い始めている。
二階の薄暗い廊下で、美咲は親父の部屋の前に立ち尽くしていた。
その手には、親父がいつもリビングに無造作に置いている、使い古されたブランド物の革財布が握られている。
美咲は、汗ばんだ指先で財布のチャックを開けた。
(嘘……でしょ……)
中身を覗き込んだ美咲の顔が、微かに引きつる。
蛇腹になったポケットには、一万円札どころか五千円札すら入っていなかった。
しわくちゃになった千円札がたったの一枚。それと、数十円の小銭。
あとは、期限切れのゴールドカードと、得体の知れない「オフィスサービス」というロゴが入った、利用停止済みのキャッシングカードだけだった。
我が家の大黒柱、一流メーカーのエリート社員であるはずの達也の財布は、完全に「死んで」いた。
カチャリ、と背後でドアの開く音がした。
美咲はびくりと肩を揺らしたが、すぐにいつもの涼しげな表情を作り、財布を背中に隠した。
自室から出てきた零二が、首元に伸びたTシャツをパタパタとあおぎながら、冷めた目で妹を見下ろしている。
「へえ、お父さんのコレクションチェック? 妹ながら、ファミリーの資産管理に対する意識が高くて感心するよ」
「当然じゃない。お兄ちゃんみたいに、予備校の自習室の席を無駄に温めるだけの無菌室生活はしてないから。お父さんの『有能な財布』の厚みを、ちょっと確認しておこうと思っただけ」
美咲は無理やり作った笑顔を浮かべ、親父の財布をポケットにねじ込んだ。
だが、その指先は目に見えて震えている。ロフトの件で追い詰められ、示談金か買い取りのために今すぐ五万円が必要なのに、最後の命綱だと思っていた「有能な父親の財布」には千円しか入っていなかったのだ。
零二は、階段の手すりに寄りかかりながら、ふっと鼻で笑った。
「なるほど、スマートなリスク管理だね。でも、その『有能な大黒柱』の引き出し、美咲の『ロフト特別監査プロジェクト』の予算をカバーするには、ちょっとスリムすぎたんじゃない?」
美咲の身体が、氷水を浴びせられたように硬直した。
大きく見開かれた瞳が、暗い廊下で零二を射抜く。
「……なんのこと?」
「蓮から聞いたよ。あそこのアルバイトのグループLINE、今すごく活発らしい。美咲の『独自の調達システム』を、防犯カメラの映像付きで大絶賛してるってさ。店長さんも、ぜひ警察と親御さんを招いて、お祝いの通報セレモニーを開きたいって息巻いてるらしい。現行犯で捕まる前に、盗んだ分を買い取るか、示談金にするか……五万という予算は、高校生の裏ビジネスとしては実に妥当な見積もりだね」
零二の声は、どこまでも平坦で、どこか楽しげだった。
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