第7話「名前のない涙」
夜。
空気が、張り詰めていた。
誰も眠れていない。
でも、誰も話さない。
セラは一人、少し離れた場所に座っていた。
焚き火の光が届かない場所。
静かで、暗い場所。
胸が苦しい。
理由は分からない。
でも、はっきりと分かる。
(何か、大事なものを失っている)
手を胸に当てる。
鼓動が速い。
「……どうして」
小さく呟く。
どうしてこんなに苦しいのか。
どうして涙が出そうなのか。
分からない。
でも――
「……会いたい」
その言葉が、自然に出た。
誰に?
分からない。
でも確かに“いる”。
セラは目を閉じる。
すると、浮かぶ。
光景。
誰かが笑っている。
優しい声。
でも、顔が見えない。
(だめ……思い出せない)
頭が痛む。
それでも、必死に手を伸ばす。
(あと少しで……)
その瞬間。
“何かに弾かれる”。
「っ……!」
セラは目を開ける。
息が乱れる。
(今の……なに?)
明らかにおかしい。
“思い出そうとした瞬間に、止められた”。
震える手を見つめる。
(誰かが……)
その時。
「セラ」
声がした。
振り返る。
ノアが立っていた。
静かに、こちらを見ている。
セラの心臓が強く鳴る。
(この人だ)
理由は分からない。
でも、分かる。
「……あなた、ですよね」
ノアは答えない。
セラは立ち上がる。
一歩、近づく。
「私たちの記憶……」
声が震える。
「何かしましたよね」
沈黙。
ノアは否定しない。
それだけで、十分だった。
セラの目に涙が溜まる。
「どうしてですか」
問い。
責めるような声じゃない。
ただ――
“分かりたい”だけ。
ノアは少しだけ目を伏せる。
そして、静かに言う。
「……忘れた方がいい」
その一言で。
何かが、完全に壊れる。
「嫌です」
即答だった。
ノアの目がわずかに揺れる。
セラは続ける。
「忘れたくないです」
涙がこぼれる。
「誰かを、大事に思ってたのに」
「その人のことを忘れるなんて……」
声が詰まる。
「そんなの、優しくない」
その言葉に、ノアは何も返せない。
沈黙。
セラは震えながら言う。
「怖いんです」
「思い出せないのに……」
「こんなに悲しいのが」
その一言が、すべてだった。
理由のない涙。
記憶のない喪失。
それが、どれだけ残酷か。
ノアは目を閉じる。
何も言えない。
セラは一歩下がる。
「……教えてください」
最後の願い。
「その人の名前」
静寂。
長い沈黙。
ノアの唇が、わずかに動く。
「……」
だが――
言わない。
言えない。
セラの涙が落ちる。
「……どうして」
答えは来ない。
ただ一つだけ、分かる。
この人は――
“全部知ってるのに、言わない”
それが一番、残酷だった。
セラはその場に崩れ落ちる。
声を押し殺して泣く。
名前も知らない誰かのために。
ノアは動けない。
ただ立っている。
何もできない。
それが、自分の選んだ結果だから。
夜は静かに続く。
誰も救われないまま。
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