第二十七話「御門様の条件」
一
安政三年の師走が深まっていた。
京都の冬は底冷えがする。御所の方角から吹いてくる風は、日が短くなるにつれて鋭さを増した。
糸子は参内の準備を整えながら、今日伝えることを頭の中で繰り返し確認していた。
御門様への御前は、さとが取り計らってくれた。
前回の御前から二ヶ月近くが経つ。その間に、多くのことが動いた。
堀田正睦との対話。相互主義という原則の発見。法的解釈基準との組み合わせ。村田蔵六との深い議論。善次郎への情報収集の依頼。
これらをすべて御門様にお伝えすることはできない。
御前の時間は限られている。また御門様のお体の状態も、いつも万全ではない。
だから今日は、核心だけを伝える。
核心は一つだ。
御門様に「条件」を持っていただきたい。
単なる拒否ではなく、「この条件なら勅許を与える」という形で、通商条約の交渉に関与していただきたい。
その条件の具体的な内容を、今日御門様と一緒に作る。
それが今日の御前の目的だった。
二
近藤と山南が護衛として同行した。
御所への道は、冬の光の中に静かだった。
朝の御所の空気は冷たく澄んでいて、糸子は歩きながら少し深く息を吸った。
冷たい空気が肺の底まで入った。
頭が澄んだ。
御所の門をくぐる前に、近藤が小声で言った。
「姫様、今日はいかがですか」
「大丈夫です。大事な御前なので、少し緊張しておりまするが」
「緊張すれば良いと思います。緊張のない場面は、大切でない場面です」
「……確かにそうでございますね」
「終わったら、報告を聞かせてください」
「はい」
糸子は御所の中に入った。
三
さとが廊下で待っていた。
「糸子様、御門様は今日はお体の体調が良くございます。少し時間を長くお取りできましょう」
「それはありがたきことにございます」
「今日はどのような話をされましょうや」
「条件について、お話ししたいと思うております」
「条件でございますか?」
「御門様に持っていただきたい条件でございます。通商条約への…」
さとが少し顔を引き締めた。
「……大事な話でございますね」
「はい。緊張しておりまする」
「姫様が緊張されているのは、お珍しいですね」
「御門様と話す時は、いつも少し緊張しおりまする。なれど本日は特に…」
「なぜでありましょう?」
「今日お話しすることが、この国の行く先を決めるかもしれないからでございます」
さとが静かに頷いた。
「では、参りましょう」
四
小部屋に通された。
几帳の前で頭を下げた。
「面を上げよ」
御門様の声は、今日は確かに力があった。さとの言った通り、体調が良い日だ。
「はい。お召しいただき、御礼申し上げます」
「師走の寒さの中、よく来た」
「御門様のご体調はいかがでございましょうか」
「今日は悪くない。そなたと話すつもりで、朝から気を張っておった」
糸子の胸に、何か温かいものが広がった。
「ありがたきお言葉でございます」
「今日は何を話すつもりじゃ」
「はい。二つございます。一つ目は、堀田正睦様との対話の報告でございます。二つ目は——その上で、御門様に持っていただきたい条件についてのお話でございます」
「条件?」
「はい。通商条約の勅許に際して、御門様が提示される具体的な条件でございます。単に拒否されるのではなく、『この条件が満たされれば勅許を与える』という形にしていただければ、交渉の方向性が変わりまする」
御門様がしばらく黙っていた。
「……続けよ」
「はい。まず堀田様との対話についてお話しをさせていただきとうございます」
五
糸子は堀田との対話の概要を報告した。
堀田が通商条約の必要性を認識していること。御門様の勅許を得ることを最重要課題と位置づけていること。御門様のご意向を事前に把握する情報経路として、近衛家——広橋家を通じた経路——を実質的に認めたこと。
「堀田様は、御門様のご意向を単なる障害とは見られておりませぬ。解決すべき課題として正面から向き合っておりまする」
「正面から向き合っている……か」
「はい。だからこそ、御門様が具体的な条件を持っていらっしゃれば、堀田様はその条件を交渉に組み込もうとするはずでございます」
「幕府が朕の意向を交渉に組み込む、ということか」
「条文として明記するところまでは難しいかもしれません。なれど、結果として条約の内容に影響を与えることはできましょう」
御門様が少し間を置いた。
「朕が条件を持つとして——それは幕府の交渉に干渉することにはならぬか」
「形式上は幕府が交渉致しまする。御門様が直接交渉に参加されるわけではございません。なれど御門様の勅許なしに条約を結ぶことの問題は、幕府も承知しておりましょう。その問題を解決するために、御門様のご意向を尊重するという形を作ることは、幕府にとっても利益がありましょう」
「……利益か」
「勅許なしに結んだ条約は、正統性を持ちませぬ。御門様の勅許があってこそ、条約は国内的な正統性を持ちまする。だから幕府も、勅許を得ることを真剣に考えるのでございます」
「朕の勅許が幕府にとって利益になる、と」
「はい。だからこそ、御門様の条件を幕府が受け入れる余地がありましょう」
六
御門様がしばらく黙っていた。
糸子は待った。
急かすことはできない。これは御門様が自分で考えて、自分で決めることだ。
糸子にできるのは、材料を提示することだけだ。
「糸子よ」
「はい」
「朕は南蛮の国々が嫌いじゃ」
「存じております」
「今も嫌いじゃ。それは変わらぬ」
「はい」
「しかしそなたが言う通り、追い払うことができぬことも、朕は理解しておる」
「御門様……」
「難しいのじゃ」
御門様の声に、珍しいものが混じっていた。
疲れ、とも言えた。あるいは、長い間一人で抱えてきた何かが、少し表に出てきたような感覚だった。
「朕が嫌いだと言っても、南蛮は来る。朕が追い払えと命じても、幕府にはその力がない。朕の言葉は空を切るだけじゃ」
「御門様…」
「それが朕の、この数年の感覚じゃ」
糸子は静かに言った。
「御門様のお言葉は、空を切ってはおりませぬ」
「どういう意味じゃ?」
「御門様が和親条約の勅許を拒否なされたことは、幕府に大きな影響をお与えになりました。幕府は勅許なしに条約を結びましたが、それが幕府の権威を傷つけたのでございます。御門様のご意向に反したことが、幕府への批判につながっておりまする」
「しかし条約は結ばれた」
「はい。しかし御門様の言葉がなければ、この国の人々は幕府の行動を疑問視しなかったかもしれませぬ。御門様のご意向が明確だったからこそ、それに反した行動が批判されたのでございます」
しばらく沈黙があった。
「……朕の言葉には、力があったと」
「あります。今もあります。これからも、あり続けましょう」
七
「では朕に、どのような条件を持てと申すのじゃ」
御門様が言った。
声のトーンが変わった。
考えている声から、決断に向かって動いている声に。
糸子は静かに、しかし明確に答えた。
「三つの条件をお持ちいただきたいと思うておりまする」
「申せ」
「一つ目は、相互主義でございます」
「相互主義?」
「はい。メリケン人が日本でメリケンの法律によって裁かれるなら、日本人もメリケンでメリケンの法律ではなく、日本の規則の下に置かれるべきでございます。これは日露和親条約でも認められた原則にございます。一方だけが特権を持つ条約は、対等な国家間の合意とは言えませぬ」
「日露の条約に、そのような原則があるのか」
「はい。ロシア人はロシア領事が裁き、日本人は日本の役人が裁く、という形になっております。メリケンとの条約でも、同じ原則を求めることは当然のことでございます」
「なるほど」
「二つ目は、関税の自主権でございます」
「自主権とは?」
「この国がどのような品物にどれだけの税をかけるかを、この国自身が決める権利にございます。外国との約束でその数字を固定してしまえば、この国の産業を守ることができなくなりまする」
「外国の安い品物が入ってくれば、この国の職人たちが困るのか?」
「その通りでございます。西陣の機屋も、京焼の職人も、宇治の茶師も、影響を受けまする」
「それは困る」
「はい。ですので関税を自分たちで決める権利を持つことが必要にございます」
「三つ目は?」
「金銀の交換についてでございます」
糸子は続けた。「日本の金と銀の比率は、外国のそれと異なりまする。この差を利用して、外国商人が日本から大量の金を持ち出しておりまする。実際に等しい価値で交換が行われるよう、比率を正しく定める必要がございます」
「金が出ていくとは、どのくらいじゃ」
「開港以来の数年で、膨大な量が流出しております。この国の商売全体に影響を与えているほどにございます」
御門様がまた黙った。
「……三つじゃな」
「はい。相互主義、関税の自主権、金銀の適正な交換。この三つでございます」
「朕がこの三つを条件として勅許に付けると、幕府はどう動くのじゃ」
「堀田様は、この条件を交渉に反映させようとするはずでございます。すべてが通るかどうかは分かりません。なれど、御門様が条件を持っていることで、幕府の交渉担当者に根拠が生まれましょう。『御門様のご意向がある』という事実は、交渉を一歩有利に致しましょう」
八
「糸子よ」
「はい」
「その三つは、誰が考えたのじゃ」
「わたくしが考えました。書物と、これまでの対話から」
「そなたの考えか」
「はい。ただし、御門様のご意向として使わせていただきたいと思うておりまする。わたくし個人の意見として交渉の場に持ち込むのと、御門様のご意向として持ち込むのでは、重みが全く異なりましょう」
「朕の名前を使うな、と以前言うたが…」
「はい。御名前は使いません。ただ、御門様のご意向としての条件を、形として持ちたいのでございます」
御門様がしばらく考えていた。
「……難しい問いじゃな」
「はい」
「朕が条件を持つことは、朕がこの国の行く先に責任を持つことでもある」
「その通りでございます」
「朕はこれまで、幕府の外交に直接関与することを避けてきた。しかし関与しなくても、結果は朕に帰ってくる。和親条約の勅許問題がそれじゃった」
「はい」
「ならば——」
御門様が静かに言った。「どうせ責任が来るなら、関与した方が良いということか」
「……御門様の判断に委ねます」
「いや、そなたの意見を聞いておる」
「関与しなければ、何も変えられませぬ。関与すれば、変えられるかもしれなません。変えられなくとも、御門様が何を望んでいたかが、記録として残りましょう」
「記録として残る?」
「後の世の人々が、この国がどうなったかを見る時に、御門様が何を求めておられたかが分かりましょう。それは無意味ではないとお思いまする」
長い沈黙があった。
糸子は動かなかった。
御門様の気配が、何かを決めようとしているのが分かった。
「……糸子よ」
「はい」
「朕は、その三つの条件を持つ」
糸子は深く頭を下げた。
「誠に有り難き幸せに存じます」
「ただし」
「はい」
「朕の名前は使わぬこと。これは変わらぬ」
「はい」
「しかし朕の意向として、その三つを条件とすることは認める。そなたがそれを堀田に伝えることも、認める」
「御礼申し上げまする」
「それから…」
御門様が続けた。「相互主義という言葉を、もう少し朕に説明してほしい。朕が持つ条件じゃ。朕自身が理解しておらなければならぬ」
九
糸子は御門様に、相互主義を説明した。
西洋の難しい言葉は使わず、日本の言葉で。
「一方が他方に礼を尽くすなら、他方もまた礼を尽くさなければなりませぬ。これが対等な関係の基本でございます」
「礼の話じゃな」
「はい。国と国の間でも、礼は双方向でなければなりません。メリケンが日本に対して特権を求めるなら、日本もメリケンに対して同じ特権を持つべきでございます。一方だけが礼を受け、他方は礼をするだけ——それは対等な関係ではありませぬ」
「なるほど」
「日露和親条約では、この双方向の礼が守られていました。ロシアとの間では、お互いに同じ立場で条約が結ばれました。しかしメリケン国との条約では、メリケン側だけが特権を持ち、日本側は持ちませぬ」
「同じ出来事なのに、相手によって扱いが違う、ということじゃな」
「はい。その違いを、通商条約では正すべきだというのが、御門様の条件の一つでございます」
「礼を双方向にせよ、ということじゃ」
「まさにその通りでございます、御門様」
御門様がゆっくりと頷いた。
「……朕には、それが分かる」
「はい」
「礼法というのは、日本でも同じじゃ。相手の格式に応じた礼を尽くす。しかし礼は一方向ではない。相手からも、相応の礼が返ってくることを期待する」
「御門様はすでにその考え方を持っておられます。相互主義とは、それを国家間の条約に適用したものになるのでごさいます」
「そういうことか」
「さようでございます」
「……では朕は、南蛮の者たちに、礼を双方向にするよう求めているということじゃな」
「おっしゃる通りでございます」
「それは、攘夷ではないな」
糸子は少し驚いた。
「……はい。攘夷ではございません」
「外国を追い払えと言っているのではなく、外国と対等に付き合えと言っておる」
「御門様がおっしゃる通りでございます」
「……朕はずっと攘夷だと思っておった。しかしそなたの話を聞くと、朕が本当に求めていたのは——」
「対等な関係だったのかもしれませぬ」
長い沈黙があった。
糸子は何も言わなかった。
この沈黙を破るのは御門様だ。
「……そうかもしれぬな」
御門様が静かに言った。
「外国が嫌いじゃ、という気持ちは変わらぬ。しかしその気持ちの根底には、この国が軽んじられることへの怒りがある。対等に扱われれば、それで良いのかもしれぬ」
「御門様……」
「難しい話じゃ」
「はい。しかし御門様が今おっしゃったことは、非常に重要なことだとお思いまする」
「なぜじゃ」
「対等に扱われれば良い——その言葉が、御門様の条件の根本にある理由でございます。相互主義も、関税の自主権も、金銀の適正な交換も、すべては『対等に扱われること』を求めているのでございます」
十
御前が終わりに近づく頃、御門様が言った。
「糸子よ、一つ聞く」
「はい」
「その三つの条件は、実現できると思うか」
糸子は正直に答えた。
「すべては難しいと考えまする」
「どれが最も難しいか」
「相互主義が最も通りやすいと思いまする。先例があるからでございます。次に金銀の比率。そして最も難しいのが関税の自主権でございます」
「なぜ関税が最も難しいのじゃ」
「関税の低率は、外国商人にとって最も直接的な利益です。低い関税があれば、外国の品物が安く日本に入ってきましょう。それは外国の商人にとって大きな利益になるのでございます。利益を持っている者はその利益を手放したくない。だから交渉において、最も強く守ろうとなりましょう」
「なるほど。最も難しい条件を持っていることは、無意味ではないか」
「いいえ。最も難しい条件をお持ちになられているからこそ、交渉の余地が生まれまるのでございます。三つすべてを譲れないと言えば、相手はどれかを優先して取ろうとしまする。その中で、こちらが最も守りたいものを守れる可能性が生まれまする」
「交渉の駆け引きじゃな」
「はい。商いの交渉と同じでございます」
「そなたは商いをしておるからな」
「はい。商いで学んだことが、役に立ちまする」
御門様が少し笑った気配があった。
「屋根の修繕から始めた商いが、国の条約に繋がるとは——面白い話じゃ」
「御門様がそのようにおっしゃってくださると、わたくしも少し救われまする」
「救われる?」
「どこまで自分がしていることが正しいのか、時々自信がなくなることがありまする。九歳で始めて、まだ十歳にもなっておりませぬ。三年後に条約の場に座れるかどうか、本当に分からないのでございます」
「それでも動いておる」
「動かなければ、考えた意味がありませぬ」
御門様が静かに言った。
「糸子よ、朕は一つ申したい」
「何でございましょう?」
「朕がそなたに会うことを許しているのは、そなたが動いておるからじゃ。御所の中にいる朕には、外が見えぬ。そなたは外を動いて、朕に見せてくれる。その役割は、朕にとって重要じゃ」
「なんとまぁ、有り難いことでございましょう」
「だから動き続けよ。そなたが疲れた時は、朕も言う。しかし疲れていない間は、動き続けよ」
十一
御前の後、廊下でさとが隣に並んだ。
「今日は長い御前でございましたね」
「はい。御門様がいつもより多くお話しくださいました」
「御門様のお顔が、御前の後、少しお変りになれておりました」
「変わられた?」
「何か決まった人の顔でございます。迷っている顔ではなく…」
糸子は頷いた。
「条件を持っていただけました」
「三つの条件でございますね」
「はい。そしてもう一つ、大切なことがお分かりになりました」
「何ですか?」
「御門様が本当に求めていたものが、攘夷ではなく対等な関係だったかもしれない、ということでございます」
さとが少し目を細めた。
「……それは、大きなことでごさいましょう」
「はい。御門様が攘夷を求めていると幕府は思っておりまする。攘夷派の志士たちも、御門様のご意向として攘夷を信じていましょう。なれど御門様ご自身は——」
「対等に扱われれば良い、とおっしゃった」
「はい。この認識の差は、非常に大きいと思われまする」
さとが静かに言った。
「しかしそれは、今は表に出せないことなのですね」
「はい。御門様のお言葉として公式に伝えることはできませぬ。しかしわたくしは知っております。その知識を、交渉の準備に活かすことはできましょう」
十二
近衛家に戻った後、糸子は父・忠房に今日の御前を報告した。
「御門様が条件を持ってくださいました」
「三つの条件か」
「はい。相互主義、関税の自主権、金銀の適正な交換」
忠房が静かに聞いていた。
「……それは、幕府が容易には飲めない条件じゃないか」
「はい。しかし御門様のご意向として存在することが重要でございます。幕府が交渉の場で使える根拠になりまする」
「堀田殿に伝えるのか」
「はい。実光様を通じて、広橋権中納言様から堀田様に。年明けに動こうと思打ておりまする」
「急いでおるのか?」
「堀田様との対話で、交渉が早まる可能性があると感じました。来年中に始まるかもしれなませね」
忠房がしばらく考えた後、言った。
「……糸子」
「はい」
「これは近衛家の商いの話ではなくなっているな」
「そうかもしれませぬ」
「しかし始めたのは商いだった。屋根の修繕から始めた。それは今でも変わらない」
「変わっておりませぬ」
「商いを通じて、より大きなことに関わっている。しかし根っこは、この近衛家を守るということじゃな」
「おっしゃる通りです、父上」
「ならば良い。わたしは引き続き、お前の判断を信じる」
糸子は頭を下げた。
「忝のうございます、父上」
十三
その夜、近藤が縁側に来た。
「姫様、今日の御前はいかがでしたか」
「良い御前でした。御門様が条件を持ってくださいました」
「条件を?」
「はい。通商条約への条件でございます。これでわたくしが持つ論理の三本目の柱ができました」
「三本の柱」
「一つ目が相互主義。二つ目が法的解釈基準。三つ目が御門様のご意向という権威。この三つが揃いました」
近藤が静かに聞いていた。
「姫様、一つ聞いてもよろしいですか」
「なんでしょう」
「御門様は、今日の話の中で何を一番大切にしておられましたか」
糸子は少し考えた。
「対等であること、でございます」
「対等であること?」
「外国を嫌っていらっしゃいます。それは本物でございます。しかしその根底には、この国が軽んじられることへの怒りがあるのでございます。対等に扱われれば——礼を双方向に尽くせば——それで良いのかもしれない、とおっしゃっておりました」
「……それは」
近藤が少し間を置いた後、言った。「俺たちと同じです」
「同じ?」
「農家の出が武士に頭を下げてもらったことは、嬉しいものです。軽んじられていた者が、対等に扱われた。その感覚が、御門様がおっしゃることと重なります」
糸子は近藤を見た。
「……そうでございましたか」
「俺が姫様についていくのも、姫様が俺たちを対等に扱ってくれるからかもしれません。身分でも、出自でも、見てくれでもなく——俺たちが何をできるかを見てくれる。それが嬉しい」
「近藤殿……」
「御門様が外国に求めているのも、同じことじゃないかと思います。日本を身分で見るのではなく、日本が何をできるかを見てほしい」
糸子は静かに頷いた。
「その通りだと思いまする」
「だから俺たちは、姫様が戦う理由が分かります。対等であることを求めている。それは俺たちも求めているものでもあるのです」
十四
師走の夜は深く冷えた。
糸子は帳面を開いた。
今日の御前の記録を書いた。そして最後に、一つの認識を書き留めた。
「御門様が本当に求めていたもの:対等な関係。攘夷という言葉に隠れていたが、その根本は軽んじられることへの拒否だった。」
「この認識は、交渉の場で使える。日本は通商を拒否したいのではない。対等な通商を求めている。その違いを明確にすることで、交渉の前提が変わる。」
「対等でない条約を押しつけようとする相手に対して、この国は対等を求めていると明確に言える。その主張の根拠として、御門様のご意向がある。」
「三つの条件——相互主義、関税の自主権、金銀の適正な交換——はすべて『対等であること』の具体的な形だ。」
「これが、交渉の核心になる。」
帳面を閉じた。
縁側の外では、近藤が夜番についていた。
試衛館の道場からは、誰かが一人で稽古している音が遠く聞こえた。
斎藤だろうか。
糸子は冷たい空気の中で、今年一年を振り返った。
安政二年の秋から、安政三年の師走まで。
御門様との関係が深まった。近藤たちが来た。旭狼衛が生まれた。村田蔵六が来た。堀田正睦と対話した。島津斉彬と対話した。ポンペと話した。
そして今日、御門様の条件が生まれた。
これで三つの柱が揃った。
来年——安政四年——に何が来るか、糸子は知っている。
老中首座、阿部正弘が亡くなる。
それが幕府の開明派の力を削ぐ。
その後、交渉が加速する。
残り時間は、決して多くない。
しかし今この瞬間、糸子の手の中には揃っていなかったものが揃い始めている。
論理の骨格。人の繋がり。そして御門様の意向という権威。
あとは——使うだけだ。
近衛糸子は帳面を脇に置いて、来年の準備を考え始めた。
第二十七話 了




