第二百四十一話「糸子のお嫁入り編―御用の間③」
一
「観光丸を、お払い下げいただきとうございます」
春嶽は、引きかけた膝を止めた。
もう座は退けるものと思っていた。備中守殿を乗物までお送りするつもりで、腰を浮かせかけたところだった。
春嶽は姫君を見た。
後見職様の左後ろにいる春嶽からは、その表情がよく見える。反対に後見職様は、背と左の頬がわずかに見えるだけだった。
姫君は膝の上に手を重ね、少し顎を引いて、後見職様を見ている。
書付を懐へ戻してから、船の名が出た。その船を「払い下げよ」と言われた。
右手で、備中守殿が一つ咳をした。春嶽はそちらへ目をやったが、二度目の咳はなかった。
後見職様の扇が、膝から少し浮いたまま止まっている。その背中が、わずかに前へ出た。
「ならぬ」
後見職様の声だった。
返事が早い、と春嶽は思った。
英国の件でも、暮れの話でも、後見職様はひとしきり黙ってから口を開いた。五百という数が出た折など、扇の要をしばらく指で弄んでいたほどである。
今度は、扇も動かなかった。
「近衛様。観光丸は、軍船である」
後見職様は、そう続けた。
「蒸気で動き、砲を積んでおる。いまは六門ほどと聞く。商いの船とは、わけが違う」
姫君は、黙って聞いていた。
「先ほど余は、御用掛の身辺に五百の者を置くことを、私兵と申した。その上、砲を積んだ蒸気船まで下されたとなれば、どう見える。諸藩から見れば、朝廷の御用掛が軍船を持ったことになる。京から見れば、御公儀が公家に船を与えたことになる。どちらに転んでも、御公儀は申し開きが立たぬ」
春嶽は、後見職様の肩の張りを見ていた。
声の高さは五百のときと同じだが、言葉の継ぎ方が少し速い。
「それに」
後見職様は、扇を膝の上に下ろした。
「観光丸は、オランダ王から御公儀へ贈られた船である。国から国へ渡されたものゆえ、ただの一艘とはわけが違う。長崎で伝習を受けた者たちは、あれに乗って帆の扱いを覚え、釜を焚くことを学んだ。言うなれば、御公儀の海の備えは、観光丸から始まったようなものである」
後見職様の声が、そこで一度止まった。
「だからこそ……その船は、ならぬ」
静かな声だったが、迷いはなかった。
春嶽にも、言わんとするところは分かる。先ほどの五百とは違い、観光丸にはそれだけの重みがある。御公儀の側から見れば、退けて当たり前の理屈だった。
それでも姫君が、この場であえて名を出した。
春嶽は黙って、その顔を見た。
姫君の表情は変わらない。目も、口元も、さっきのままである。
ただ、膝の上に置いた右の手の指が、下の手の甲を一度だけ強く押さえ、すぐに元の形に戻った。
春嶽は、扇を膝の上で握り直した。
姫君の手が何を押さえ込もうとしたのか。分からぬまま、春嶽は引いていた膝を元に戻した。
春嶽は、御使者の座へ目をやった。
水無瀬は、目を伏せたままだった。懐の御返事の上に置いた片手も、動いていない。観光丸の名が出たときも、後見職様がならぬと言ったときも、その肩は一度も上がらなかった。
御使者の座にいる者は、座の話に顔を動かさない。それが作法である。驚かぬのが作法なのか、驚く中身を初めから知っていたのか。伏せた目からは、どちらとも読めなかった。
座は、まだ終わっていなかった。
二
「お言葉、承りました」
姫君は、そう言ってから、少し間を置いた。
「なれど、一つだけ、申し上げさせてくださいまし」
後見職様は何も言わなかった。
だが、その沈黙は「続けよ」と言っているように、春嶽には思えた。
「わたくしが観光丸をお願いいたしますのは、軍船として使うためではございませぬ。天朝物産会所の荷を運ぶ船を、こちらで持てるようになるまでの、つなぎにいたしとうございまする」
姫君の声は、平らだった。
「荷はいま、異国の船を頼んで運んでおります。頼めば、向こうの都合で日が延びます。値も、向こうの言うなりになりましょう。観光丸があれば、そのあいだの荷を、こちらで動かせまする」
「つなぎ…と申されるか」
後見職様の声に、わずかに問い返す調子が混じった。
「はい。観光丸は外輪の船で、もう古うございます。伝習の役目は、新しい船に移りつつあると聞いております。御公儀にとって、いちばん手放しやすい船かと存じました」
春嶽は、そこで少しだけ眉を動かした。
古いから、手放しやすい。それは、商いの勘定である。値の落ちた品から先に売る。売り手にも損が少なく、買い手にも安い。春嶽にも、その筋は分かった。
ただ、御公儀の船は商いの品ではない。値が落ちたからといって、売り払うようなものでもなかった。
古くなれば、そのままどこかの浦につながれて役目を終える。それでも、御公儀の船であることに変わりはない。
それに、船は持てば終わりではない。
蒸気の船は、走らせれば石炭を食う。釜は焚くたびに傷み、外輪の板は波に削られる。乗り手も要る。釜を焚く者、舵を取る者、帆を扱う者。伝習を受けた者でなければ、外輪の船一艘、満足に港から出すこともできない。
払い下げられたその日から、その掛かりはすべて受けた側に回る。会所の帳面が、それを持つというのだろうか。
古い船ほど、手入れの掛かりは嵩む。手放しやすいというのは、御公儀の側から見れば、その掛かりも一緒に手放せるということでもあった。
姫君が、それを知らずに言っているとは、春嶽には思えなかった。
それに、いまの京である。見たところ平静を保っていた。
異国の船を打ち払えと声を上げる者はいる。だが、そればかりではない。ただ異国を憎むのではなく、どうすればこの国を思うままにさせずに済むのか、どうすれば渡り合えるのかを考える者も増えていた。
火の手が上がっているわけではない。
それでも、火種が消えたわけでもなかった。
そんな京へ、オランダ王から贈られた軍船を、御公儀が朝廷の御用掛に下したという話が入れば、どう受け取られるか。
異国の船を公家に押しつけたと見る者もいれば、朝廷がついに軍船を手にしたと見る者もいるだろう。あるいは、なぜ今その船を渡したのかと、御公儀の腹を探る者も出てくる。
静かな京だからこそ、一つの噂がどこへ転ぶかは分からない。
政事総裁職にある春嶽は、そうした京の難しさを少なからず味わってきた。
誰もが御公儀の出方を見ている。こちらにそのつもりがなくとも、一つ手を誤れば、思いもよらぬ意味を持ってしまう。
春嶽は、それを嫌というほど知っていた。
後見職様の背は、動かなかった。
「古くとも、軍船は軍船である」
後見職様は言った。
「砲を下ろしても、船そのものが変わるわけではない。荷を積んで浦々を行けば、いやでも人目につく。あれは御公儀の船ではないか、その船が朝廷の御用掛の荷を運んでおる。そう見られるのは避けられまい」
姫君は、すぐには答えなかった。
春嶽は、姫君の目が、後見職様の顔から少しだけ下へ動くのを見た。後見職様の膝の上の扇のあたりである。それから、また顔へ戻った。
「左様でございますか」
姫君は言った。
声は、変わらない。
「では、いま一度、確かめさせてくださいまし」
姫君は、膝の上で重ねた手を、指一本ぶんだけほどいた。
「旭狼衛の五百は、呑めぬ」
春嶽の右手で、周防守の衣擦れがした。
「武士の任命も、呑めぬ」
姫君は、さっき後見職様が言った言葉を、そのまま繰り返していた。
「御屋敷は、考えおく」
指を一本、折った。
「観光丸は、ならぬ」
もう一本、折った。
姫君は、折った指を膝の上に置いたまま、後見職様を見ていた。
「呑めぬ、考えおく、ならぬ」
姫君は、そこで少しだけ言葉を置いた。
「……先ほど数えていただいた借りは、どちらへ参ったのでございましょう」
座敷が、静かになった。
春嶽は、扇を握ったまま動けなかった。
姫君は、声を高くしてはいない。責める言葉も使っていない。後見職様が言った三つの言葉を、言われた順に並べ直しただけである。
だか、並べ直されると、こう聞こえた。
『童が、手にした菓子を一つも分けずに、あれもいや、これもいや、と首を振っている』と……
もちろん、この座敷で首を振っているのは、御公儀である。
幕府は何一つ認めていないのである。
春嶽は、自分の顔が少し熱くなるのを感じた。
後見職様が、首を振った。それに自分は、取りまとめのとおりでよろしかろう、と申し上げた。周防守は、数を詰めると言った。備中守殿は、何も言わなかった。
四人とも、首を振っている側に坐っていた。
暮れの件で、春嶽は「御公儀が近衛様に借りを作ったことは、認めねばなりますまい」と言った。そして最後には、後見職様のお取りまとめでよろしかろう、と話を収めた。
姫君は、その二つを責めなかった。
ただ、あの座で交わされた言葉を順に置いていった。御公儀が借りを負ったこと。その借りを認めるべきだと春嶽が言ったこと。そして、ほとんど何も返さぬまま話を収めた後見職様に、自分が「よろしかろう」と答えたこと。
そこまで並べられて、春嶽はようやく気づいた。
借りを認めよと言いながら、その始末でよしとしたのは、自分だった。
姫君は、そこまで一言も責めていない。
春嶽は後見職様の背を見た。
その背も、硬くなっていた。
肩衣の肩の線が、さっきより少し上がっている。扇を持つ右の手が、膝の上で止まっている。後見職様は、何かを言おうとして、言葉を選んでいるようだった。選んでいるうちに、背だけが先に硬くなっていた。
姫君は、何も足さなかった。
折った指を、膝の上に置いたままだった。
三
「越前殿は、先ほど」
姫君が、こちらを見た。
春嶽は、思わず扇を持ち直した。
「借りは借りとして数えておくほうが、のちのち筋が立つ、と仰せになりました。借りを借りと認めずにおけば、いずれどこかで、御公儀は恩を知らぬと言われる、とも」
姫君の声は、穏やかだった。
「後見職様も、左様じゃな、と」
春嶽は、何も言えなかった。
自分の言った言葉が、そのまま自分の前に置かれていた。
一字も違えていない。春嶽が御公儀の身体面を思って口にした言葉を、姫君は、そのままの形で返してきた。
「わたくしも、そのとおりだと存じます」
姫君は、言った。
「なれど、借りと数えて、何もお返しにならないのでしたら、それは、数えたことになりましょうか」
春嶽は言い返そうとして、呑み込んだ。
返し方は御公儀が選ぶのだと言い張ることもできた。しかしそれを口にすれば、「借りは借りとして数えておく方が筋が立つ」と言った己の言葉を、己で叩き潰すことになる。
数えたと言いながら一つも渡さぬなら、それはただの誤魔化しだ。
──恩を知らぬと言われる。
かつて自分が懸念した通りの姿に、いまの自分たちがなっている。
春嶽は扇を膝の上に置き、顔が熱くなるのを抑えられなかった。
姫君は、春嶽を責める目をしていない。越前殿は先ほど、と言ったときも、仰せになりました、と言ったときも、声の調子は少しも変わらなかった。春嶽が言ったことを、その言ったとおりに、もう一度この座に置いただけである。
姫君は、春嶽から目を外した。それから、後見職様のほうへ向き直った。
「もう一つ、伺ってもよろしゅうございますか」
後見職様は、答えなかった。
「御公儀は、師走のあの座のことを、京へお届けになりましたか」
春嶽は、姫君の顔を見た。
問い方は、静かだった。何かを咎める調子ではない。ただ、知りたいことを訊いている、という顔である。
後見職様は、黙っていた。
背は、硬いままだった。扇を持つ手も、動かなかった。
障子越しの光が、姫君の座の手前で、少しだけ傾いていた。座に入ったときには畳の目に沿っていた光の縁が、いまは斜めにかかっている。春嶽は、それを見るともなく見ていた。
誰も、口を開かなかった。後見職様の答えを、座の皆が待っていた。
答えない…というより、答える言葉がないのだと、春嶽には見えた。
春嶽自身も、知らなかった。師走の談判のあと、外国奉行から御用部屋へ上がった届けは、英国よりの申し入れにつき談判いたし候、という短いものだったと聞いている。それが京へ回されたかどうかを、春嶽は確かめたことがなかった。確かめる要がある話だと、思ったことがなかった。
右手で、掠れた声がした。
「……御用部屋に、その届けの控えはござらぬ」
備中守殿だった。
春嶽は、右へ目を向けた。備中守殿は、顔を上げずに、膝の上の手を見ていた。
「師走の座のことを、京へ申し上げた控えは、御用部屋にはござらぬ。首座として、それがしが知る限りでは」
声は掠れていたが、言葉は途切れなかった。
それきり、備中守殿は口を閉じた。
春嶽は、膝の上の扇に目を落とした。
届けていない。
師走の座には、朝廷の御使者が坐っていた。御使者が座にいたのだから、朝廷も聞いたことになる。御公儀は、そう考えて済ませたのだろう。誰もそうは言わなかったが、誰も届けようとしなかった。
届ければ、どうなったか。
英国との談判の座に、朝廷の御使者を同席させました。御公儀の答えに、朝廷の名を連ねていただきました。そう書くことになる。書けば、御公儀が朝廷の名を借りたことを、御公儀の手で京へ申し上げることになる。
だから、届けなかった。
では、京は、師走の座のことを、どこから聞いたのか。
春嶽は、姫君の顔を見た。
姫君は、京の左大臣家の娘である。御門の御名代として江戸へ下っている。師走の座のことを、父君へ書かなかったとは思えない。書いたとすれば、京は、御公儀からではなく、近衛の家から聞いたことになる。
御公儀が黙っていたあいだに、京は、別の口から聞いていた。
春嶽は、二十日に読んだ御文の、二つ目の条を思い出した。
右の仔細の儀は、左大臣忠房へ相問うべき事。
あの一行を読んだとき、春嶽は、問いの行き先を定めたものとだけ受け取った。御公儀に問いがあれば、京の左大臣へ。それだけのことだと。
いまは、違って読めた。
御公儀が左大臣家へ何かを問えば、左大臣家は、師走の座のことを娘の文で知っている。問いに答える前に、問い返されるだろう。師走のあの座のことを、御公儀はなぜ京へ申されなかったのか、と。
問えと書かれたその先で、こちらの問いより先に、向こうの問いが待っている。
届けなければ、京は、御公儀から何も聞いていないことになる。朝廷の御使者が座にいたのだから聞いたことにされて、その実、何も知らされずにいる。
春嶽は、膝の上で扇を握った。
借りは、師走の座の分だけではなかった。
そのあとの、黙っていた分も、帳面に付いている。
座のあとに何が残るかを案じていなかったと、二十日にも思った。今日、また同じことを思っている。
春嶽は、後見職様の背を見た。
何か言わねばならない、と思った。この座で御公儀の体面を言えるのは、もう自分しかいない。
春嶽は、口を開きかけて、閉じた。
言える言葉は、もう先ほど使ってしまっていた。借りは借りとして数えよ。その言葉は、いま姫君の手の中にある。
後見職様の背が、ゆっくりと動いた。
息を吸ったのだと、春嶽には分かった。
四
堀田は、後見職様の背を見ていた。
右の後ろから見る後見職様は、肩衣の肩と、右の頬の端と、膝の上の扇の先だけである。その肩が、さっき大きく一度上がり、ゆっくりと下りた。
正面には、姫君の顔がある。
姫君は、後見職様の返事を待っていた。膝の上で、指を二本折ったまま、手を重ねている。
届けの控えはない、と言ったのは、自分である。
言わずにおくこともできた。後見職様が黙っておられるあいだ、自分も黙っていれば、座はそのまま次へ流れたかもしれない。
だが、それは首座の帳面にあることだった。御用部屋の控えに何があり、何がないかは、首座がいちばんよく知っている。問われて黙っていれば、首座が帳面を伏せたことになる。
伏せた帳面は、いずれ誰かが開く。開かれたときに、前の首座が伏せていたと言われるよりは、いまここで開いておくほうがよい。
それに、届けなかったのは、自分の御用部屋だった。
師走の座のとき、首座にいたのは自分である。外国奉行の届けを受け、英国よりの申し入れにつき談判いたし候、という一行を読み、それで済ませた。京へ回すかどうかを、誰かに問うた覚えはない。問わずに済ませたのは、首座である。
昨夜、寝所で、勘定を済ませた帳面を周防守に渡す、と決めた。付け残しを挟んでおくわけにはいかない、とも。
届けの控えがないことは、付け残しの一つだった。
後見職様が、口を開いた。
口を開く前に、扇の要が一度だけ回った。この座で、後見職様が言葉の前に扇を回すのは、量り終えたときである。何を量り終えたのかは、右の後ろからは見えなかった。
「近衛様」
「はい」
「借りのことは、越前殿の申されたとおりじゃ」
声は、低かった。
堀田は、後見職様の頬の端を見ていた。動かなかった。
「数えた以上、返さねばならぬ。五百も、任命も、屋敷も、これでしまいとは申さぬ。改めて量る」
姫君は、黙って聞いていた。
「なれど」
後見職様の声が、少しだけ強くなった。
「観光丸だけは、ならぬ」
堀田は、膝の上の手を重ね直した。
後見職様は、追い詰められておられる。借りの理屈で押され、京への届けで押され、首座の口からも控えがないと言われた。押されて、ほかのことは改めて量ると言われた。
言わされた…と言ってもよい。
その代わりに、一つだけ、守れるものを探しておられる。
観光丸は、守れるものだった。
五百も、任命も、御公儀の根の話である。根の話は、借りの理屈で押されれば、少しずつ譲らねばならなくなる。だが、観光丸は国の守りの話である。国の守りの理屈なら、借りの理屈にも負けない。
後見職様は、それを見て、そこに立たれた。
御三卿の当主として、将軍後見職として、後見職様はこの座で、すでにいくつも退いておられる。借りを認め、五百も任命も改めて量ると言い、屋敷を考えおくと言った。退いたぶんだけ、どこか一つで踏みとどまらねば、御公儀の顔が立たない。
堀田は、自分の胸のうちを確かめた。
昨夜、寝所で決めたことがある。御公儀の名で出せるものなら、出せる形を探す。
屋敷は、出せるものだった。だから伝奏屋敷の例を出した。
観光丸は、どうか。
堀田は、正面の姫君の顔を見た。
姫君は、後見職様の「ならぬ」を聞いて、何も言わずにいる。折った指が、膝の上で少しだけ動いた。
観光丸は、御公儀の名では出せない。
胸の奥で、咳がせり上がってきた。堀田は口を閉じ、鼻から息を吐いて、それを押し戻した。押し戻してから、口を開いた。
「……近衛様」
声は、掠れていた。
姫君の目が、こちらへ向いた。
「後見職様の申されることに、それがしも同じでござる」
後見職様の背が、わずかに動いた。右の後ろへ、耳を向けたのだろう。
「観光丸は、オランダの王が、御公儀へ贈られた船でござる。安政の二年、長崎で受け取り申した。王から御公儀へ。国から国への贈り物でござる」
安政二年は、堀田が首座に就いた年でもある。
その年、長崎から上がってくる書付の束には、伝習の伺いがたびたび混じっていた。船の名、乗り込む者の名、要る石炭の量。首座に就いたばかりの堀田は、それを一枚ずつ読み、印を押した。
蒸気船がどう動くのか、まだ実感をもって知る由もない。それでも、長崎から届く伺いを裁き、船を動かしていくのが自分の役目だった。
あれから八年になる。首座として最後の御用の座で、その船の名をもう一度聞くとは思っていなかった。
堀田は、そこで息を継いだ。
「贈られた品を、受けた者が他へ払い下げれば、贈った側は何と思いましょう。オランダは長崎にて二百年余り、我が国と交わりを重ねてきた国。その国王より贈られた船を、御公儀が他へ払い下げたと知れば、贈り物を軽んじたと受け取られても致し方ござらぬ。さすれば、オランダへの信義にも障り申す」
姫君は、黙って聞いていた。
堀田はそこで言葉を止めた。胸の奥がまたざわついたが、それを押し込めるように、ひと息置いて続けた。
「御公儀の名では、出せませぬ」
そう言って口を閉じると、すぐ後ろから低い声がした。
「付け加えてよろしゅうござるか」
周防守だった。後見職様が小さく頷くのを待ってから、いつもの平らな声で続ける。
「観光丸は、いま御公儀の手元にはござらぬ。万延元年より佐賀に預けてござる。長崎の守りのためでござるゆえ、足掛け四年、佐賀の者が乗り、佐賀の者が手入れをしており申す」
姫君の目が、周防守のほうへ動いた。堀田の肩越しに、周防守を見たのだろう。
「手元にない船は、払い下げようがござらぬ。佐賀から取り上げて払い下げるとなれば、佐賀の面目を潰すことになり申す。長崎の守りの手も、それだけ薄くなり申す」
周防守は、それだけ言って口を閉じた。
堀田は、すぐ後ろの周防守の声を、背中で聞いていた。
年と、事情と、面目。周防守は、それだけを並べた。どれも帳面にあることで、周防守が自分の考えを足したところは一つもない。勘定は、あの男のほうが確かだ。昨夜、そう思った。
万延元年、と周防守は即座に言った。帳面をめくる間もなかった。
十六日の夕刻、役宅の寝所で、周防守は懐から書付を出した。和泉守殿から預かった海防の伺いが三つ。首座の決裁を仰ぐはずのものを、某が見ておきまする、と言って懐へ戻した。
あの中に、佐賀に預けた船のことも入っていたのかもしれない。周防守は、首座を継ぐ前から、もう海防の帳面に手を入れている。
その勘定が、いま、姫君の求めを一つ退けた。
堀田は、後見職様の背を見ていた。
肩衣の肩の線が、少しだけ下がった。
さっきまで硬くなっていた背から、わずかに力が抜けた。扇を持つ手が、膝の上で少し緩んだ。
後見職様は、何も言わなかった。言う要がなくなった、という背だった。
五
姫君は、すぐには何も言わなかった。
堀田は、正面からその顔を見ていた。
姫君の目は、周防守のほうから、ゆっくりと後見職様の顔へ戻った。それから、膝の上へ落ちた。
「佐賀へは、わたくしから――」
姫君が、言いかけた。
そこで、言葉が止まった。
堀田は、姫君の口が閉じるのを見た。言いかけた言葉の続きは、出てこなかった。唇が一度結ばれ、それから、少しだけ緩んだ。
姫君の目が、伏せられた。
膝の上の手が、重ねた形をほどいた。右の手が、左の袖の端をつかんだ。指先に、少しだけ力が入っているのが分かった。
座敷の誰も、口を開かなかった。
後見職様は、黙っておられた。周防守も、黙っていた。後見職様を挟んだ向こうの総裁職様も、扇を膝に置いたまま動かない。
姫君はしばらく目を伏せたままでいたが、やがて顔を上げた。
「……左様でございますか」
声が、わずかに低かった。
英国の件を話したときの声とも、暮れの件を並べたときの声とも、違った。同じ高さで話そうとして、少しだけ下に落ちた声だった。
「観光丸は、諦めまする」
姫君は、そう言った。
袖の端をつかんだ指は、まだ離れていなかった。
障子の外で、風が一度だけ鳴った。庭の葉が擦れる音がして、すぐにやんだ。座敷の中では、誰の息も聞こえなかった。自分の息さえ、堀田はしばらく止めていた。
堀田は、膝の上の手を見下ろした。指の節が、白く尖っている。自分の手である。それを見ているあいだに、胸の中で何かがゆっくりと動いた。
まさか、と思った。
霜月の御用部屋で、堀田は、あの御方が口を開かれれば必ず勝たれる、と言って反対した。
あの言葉は、間違っていなかったと、堀田はずっと思っていた。今日も、首座の口から控えがないと言わせるところまで、押してこられた。
どこまでも、勝っておられた。
霜月の廊下でも、昨夜の寝所でも、堀田はこの御方を恐ろしいと言った。
恐ろしいのは、負けないからである。負けない者の前では、こちらは何を出しても、いずれ取られる。
その姫君が、いま、引き下がった。
姫君は、顔を上げたまま、後見職様の顔を見ていた。見ているが、何かを言おうとしてはいない。唇は結ばれたままで、口元は、さっきよりも締まって見えた。
負けたのである。
周防守の一言で、姫君の求めは一つ片づいた。
姫君は次の言葉を探すように、わずかに間を置いた。
「佐賀へは――」
そこまで口にして、言葉を呑んだ。
いつもなら、求めるところまで迷わず言い切る御方である。そのわずかなためらいと詰まりを、堀田は見逃さなかった。
言いかけて言葉を呑むこの御方の姿を、堀田は今日、初めて見た。
「佐賀へは、わたくしから」……その続きは、おそらく「話を通す」だったのだろう。佐賀の御家へ、朝廷の御用掛から直に。
それを言いかけて、やめた。言えば、幕府の預けた船を、御公儀の頭越しに佐賀から引き取る話になる。
英国の窓口の話を、御公儀の頭越しに異国と約すことはせぬと言って断った御方である。同じ座で、同じ口から、それは言えなかったのだろう。
その負けに手を貸したのは、自分だった。
オランダへの信義と言い、御公儀の名では出せぬと言った。そのあとに周防守が佐賀の話をした。自分が先に口を開かなければ、周防守は付け加えなかったかもしれない。
出せぬものなら、なぜ出せぬかを、御公儀の体面の言葉で申し上げる。
昨夜決めたとおりのことを、した。
したことに、悔いはない。あの船を御公儀の手から離さぬのは、首座の役目である。
座の初めに自分の身体を案じてくださった御方の求めを、自分は首座の口で叩き落とした。出せぬものは出せぬ。そう自他に言い聞かせながらも、袖をつかむ姫君の指先が、首座として勤め上げた堀田の胸に重く残った。
六
座敷は、静かだった。
後見職様の肩が、下がっていた。
さっきまで硬かった背が、いまは肩衣の中で少し丸くなっている。扇は膝の上に置かれ、指はもうそれを握っていない。背中に、安堵が出ていた。後見職様ご自身は、それに気づいておられないのだろう。
後見職様の向こうで、総裁職様が長く息を吐いた。扇を膝の上で一度だけ開き、静かに閉じる。
すぐ後ろでは、周防守の指が膝の上でぴたりと止まっていた。何かを勘定するように動いていた指である。そのまま、しばらく動かなかった。
背後の襖の際で、平岡殿が身じろぐ音がした。
水無瀬は、御使者の座で目を伏せたまま、何も言わなかった。今日、この男は、御返事を受けたときのほかは、一度も口を開いていない。姫君が負けたいまも、顔つきは座に入ってきたときと同じだった。
御使者の座にいる者は、口を挟まない。水無瀬は、それを最後まで守っていた。
姫君は、唇を結んだまま、目を伏せていた。
右の手が、左の袖の端から離れた。その手は、膝の上で、もう一方の手の上に重ねられた。重ね方が、座に入ってきたときより、少しだけ浅かった。
堀田は、その手を見ていた。
姫君の口が、小さく動いた。
「……くやしゅうございます」
ほとんど、声にはなっていなかった。
堀田の座まで届いたのは、そこに坐っていたからである。総裁職様には聞こえただろうか。周防守には、聞こえただろう。
後見職様には、聞こえたはずだった。
堀田は、後見職様の頬の端を見た。
後見職様は、顔をわずかに右へ傾けて、姫君を見ておられた。右の後ろから見える頬の端が、少しだけ持ち上がっていた。
笑っておられるのではない。だが、口の端に、緩んだものがあった。目は、正面の姫君から離れなかった。膝の上の扇を、指先で一度だけ撫でた。
──満足しておられる。
堀田にはそう見えた。
二十日の座で「謀ったな」と震えておられた御方が、いまや敗者の悔しさを聞き届けて、顔を綻ばせている。奪われたものを取り返したと、そう思っておられるのだ。
総裁職様の顔は半分しか見えないが、その表情は重く曇っていた。借りを認めよと説いたものの、その唯一の逃げ道を自ら塞いでしまった苦さが残っているのだろう。
堀田は目を正面へ戻した。
負けを知らぬと思われたこの御方も、敗れることがある。
胸の奥からせり上がってきた咳を、堀田はもう押し戻さなかった。袖で口元を覆い、静かに一つ、咳を吐き出した。
姫君は、顔を上げなかった。
初めて見せるその敗北の姿を、座敷の誰もがただ、息を殺して見つめていた。
第二百四十一話 了
【幕末日本が初めて手にした蒸気軍艦――観光丸という船】
ペリーの黒船を見た日本人は、何に驚いたのだろう。
巨大な船体だったのか。
ずらりと並んだ大砲だったのか。
それとも、黒い煙を吐きながら、風もない海を動いていく船そのものだったのか。
おそらく、そのすべてだったと思う。
だが幕府にとって本当に恐ろしかったのは、浦賀沖に現れた四隻の軍艦そのものではなかった。
あれを造れる国がある。
あれを動かせる人間がいる。
大洋を越えて艦隊を送り込み、何か月も異国の海で行動させる仕組みまで持っている。
そして日本には、それがない。
嘉永六年(一八五三)のペリー来航によって幕府が突きつけられたのは、軍艦の大小以上に、その背後にある技術と組織の差だった。
ここから幕府は動き始める。
長く大型船の建造を制限してきた大船建造禁止令を解き、洋式軍艦の建造や購入に乗り出した。浦賀では鳳凰丸が建造され、薩摩や佐賀などの諸藩も洋式船を造り始める。
しかし、船を一隻造ったからといって海軍ができるわけではない。
帆を張る者がいる。
舵を取る者がいる。
海図を読み、天測をし、自分たちが海のどこにいるのかを知る者がいる。
蒸気機関を動かす者がいる。石炭を焚く者がいる。壊れれば直さなければならない。大砲を撃つにも、ただ火をつければよいわけではない。何十人、何百人という人間を一つの艦内で働かせる規律もいる。
必要だったのは船ではない。
海軍そのものだった。
安政二年(一八五五)、幕府はオランダの協力を得て長崎海軍伝習所を開く。
その年、長崎に一隻の蒸気船が入ってきた。
スームビング号。
のちの観光丸である。
オランダ国王ウィレム三世から幕府へ贈られたこの船は、木造船体に蒸気機関を積み、船体の左右にある大きな外輪を回して進む蒸気軍艦だった。
もちろん帆もある。
風が使えるときは帆で走り、必要になれば石炭を焚いて蒸気機関を動かす。
全長はおよそ五十二メートル。幅は約九メートル。蒸気機関は約百五十馬力。大砲については六門とする記録がある。
排水量などの数字は資料によって違いがあり、約四百英トンとするものもあれば、七百八十トン前後とするものもある。この時代の船は測り方の違いもあるので、細かな数字については幅を持って見たほうがいい。
いずれにせよ、幕府が初めて所有した蒸気軍艦として知られる船である。
そして、名前がいい。
観光丸。
現在の私たちは「観光」と聞けば旅行を思い浮かべるが、もとの言葉は『易経』にある「観国之光」、国の光を観る、という一節に由来する。
まだ自分たちでは十分に造ることも、動かすこともできない西洋式の蒸気軍艦に、「国の光を観る」という名を付けた。
私は、この名前がとても好きだ。
そこには幕末の日本人が西洋技術に抱いた驚きも、悔しさも、そして「いつか自分たちも」という気持ちも、全部入っているように思える。
ただし、観光丸について一つ誤解してはいけないことがある。
この船は、日本にとっては驚くべき軍艦だった。
しかし、一八五五年の世界で最先端の軍艦だったわけではない。
むしろ、そこが面白い。
観光丸は外輪船である。
船体の左右に大きな水車のような外輪を取り付け、それを蒸気機関で回して進む。
蒸気船の初期には広く使われた方式だが、軍艦として見ると困ったところがある。
外輪と、それを覆う外輪箱が船体の左右に大きく張り出すため、砲を並べる場所を邪魔する。しかも戦闘でそこを破壊されれば、せっかくの蒸気推進力を失いかねない。
そこで欧米海軍では、船尾の水中にプロペラを置くスクリュー推進への移行が始まっていた。
観光丸が日本へ来る三年前の一八五二年、イギリスでは九十門級の蒸気戦列艦アガメムノンが進水している。
全長約七十メートル。
多数の重砲を積み、スクリューで走る。
のちにクリミア戦争にも参加した、本格的な大型軍艦だった。
つまり、一八五五年の日本人が観光丸を見上げて「これが西洋の蒸気軍艦か」と息を呑んでいた頃、ヨーロッパではもう、その先の船が海を走っていたのである。
しかも進歩はそこで止まらない。
外輪からスクリューへ。
木造から鉄へ。
さらに装甲艦へ。
軍艦の世界は、数年単位で姿を変えていた。
ここに、幕末日本の近代化の厳しさがある。
ようやく手に入れた。
ようやく動かせるようになった。
ところが、顔を上げると相手はもう次へ行っている。
追いついたと思った場所が、すでに昨日の技術になりかけている。
観光丸は、そんな世界へ日本が足を踏み入れた最初の一隻だった。
だから、この船の価値を大砲の数や速力だけで考えると、本当の姿が見えなくなる。
観光丸は、戦うための軍艦である以上に、日本人が近代海軍というものを実物から学ぶための教室だった。
長崎海軍伝習所では、オランダ海軍から派遣されたペルス・ライケンらが教官となり、日本人に航海術、運用術、砲術、測量、数学などを教えた。
その実習に使われたのが観光丸である。
教科書を読んで終わりではない。
本物の蒸気機関に火を入れる。
本物の船を動かす。
海へ出る。
失敗する。
直す。
もう一度やる。
ここで勝海舟らが西洋式の海軍術を学んでいく。
なお、観光丸の話になると榎本武揚の名も一緒に挙げられることがあるが、そこは少し分けて考えたほうがよい。榎本が長崎で学んだのは主として第二次海軍伝習の時期で、オランダから幕府が発注したヤパン号、のちの咸臨丸が到着した後の世代にあたる。
だから、
「観光丸で勝海舟や榎本武揚が学んだ」
と一括りにするより、
「観光丸から始まった長崎海軍伝習が、のちの幕府海軍を担う人間を次々と育てた」
と考えたほうが実態に近い。
観光丸の仕事は長崎だけでは終わらなかった。
安政四年(一八五七)には江戸へ回航され、築地の軍艦教育に使われる。その後は佐賀藩にも貸与され、さらに元治元年(一八六四)、勝海舟が神戸に海軍操練所を開くと、黒龍丸とともに練習船として配置された。
神戸には、幕臣だけが集まったのではない。
坂本龍馬をはじめ、幕府という枠には到底収まりきらない人間たちが勝のもとへ集まった。
幕府が所有する軍艦があり、幕臣の勝海舟がいて、その周りにはやがて幕府とは別の道を歩く者たちがいる。
幕末らしい光景だと思う。
幕府は、自分たちの海軍を造るために人を育てた。
しかし、知識には藩境も身分もない。
一度覚えた航海術は、幕府が倒れたからといって消えるわけではない。
機関の扱い方も、測量の知識も、外国語も、人間の頭の中に残る。
そして、その人間が次の人間に教える。
結果として幕府が育てた海軍技術は、幕府だけのものでは終わらなかった。
やがて新しい日本へ、そのまま流れ込んでいく。
観光丸自身は、その間にどんどん古くなった。
それも当然だった。
日本へ来たときには誰もが驚いた蒸気軍艦も、十年ほど経てば新鋭艦とは呼べなくなる。
幕府自身が咸臨丸をはじめとするスクリュー蒸気船を持つようになり、さらにオランダへ開陽丸のような本格的な軍艦を発注するまでになる。
かつて先生だった観光丸が、教え子たちに追い越されていく。
私は、この変化が好きだ。
なぜなら、それこそ観光丸が役目を果たした証拠だからである。
考えてみれば、時間は驚くほど短い。
観光丸が長崎へ来たのは安政二年。
幕府が倒れるのは慶応四年。
十三年しかない。
たった十三年である。
外国から蒸気軍艦を一隻もらい、「まず動かし方を教えてください」というところから始めた人々が、その十三年の間に、自分たちで蒸気軍艦を操り、太平洋を渡り、外国へ軍艦を発注し、造船施設を整え、複数の軍艦を運用する組織を持つところまで進んだ。
この速度は、もっと知られていいと思う。
江戸幕府というと、どうしても「古い体制」という印象がつきまとう。
それは間違いではない。
二百年以上続いた制度には限界があり、国内政治では行き詰まり、最後には倒れた。
けれども幕末の幕府が何をしていたかを一つずつ拾っていくと、「古いから何もできなかった政府」という姿とは、かなり違うものが見えてくる。
海軍伝習所を作る。
外国人を教師として招く。
軍艦を買う。
造船施設を整える。
外国語を学ばせる。
航海術を学ばせる。
必要なら人を海外へ送る。
知らないことを認め、知っている相手から学ぶ。
作れないものは、まず買う。
買ったものを分解し、動かし、仕組みを覚える。
そして覚えた人間に、次の人間を育てさせる。
幕府が観光丸から始めたのは、そういうことだった。
明治になると、観光丸は新政府へ引き継がれた。
しかし、その頃には船体も老朽化し、海軍技術そのものが観光丸の時代から大きく先へ進んでいた。
やがて石川島に繋留され、明治九年(一八七六)にはその役目を終え、解体されたとされる。
軍艦の最期としては、地味である。
大海戦で敵艦と撃ち合ったわけでもない。
砲弾を浴びて沈んだわけでもない。
歴史に残る大勝利を挙げたわけでもない。
古くなった。
使われなくなった。
そして解体された。
それだけである。
だが、観光丸はそれでいいのだと思う。
この船が日本に残したものは、戦果ではない。
人だった。
蒸気機関を動かせる人間。
船を操れる人間。
海図を読める人間。
測量のできる人間。
大砲を扱える人間。
西洋の海軍というものを、自分の目で見て、自分の手で触った人間。
そして何より、
「自分たちにもできる」
と知った人間だった。
黒船来航からわずか二年後、日本人はまだ西洋海軍を追いかけ始めたばかりだった。
観光丸そのものは、世界最強の軍艦ではない。
ヨーロッパから見れば、すでに次の世代へ移り始めた技術を載せた船だった。
しかし、それでいい。
むしろ、そこにこの船の意味がある。
日本人がようやく手にした一隻の向こうで、世界はもう先へ進んでいる。
ならば、追うしかない。
一つ覚える。
次を学ぶ。
追いつけば、その先を見る。
観光丸から咸臨丸へ。
そして開陽丸へ。
船は変わっていった。
人も育っていった。
やがて幕府そのものはなくなる。
それでも、そこで学ばれた技術まで一緒になくなったわけではない。
幕府が外国から受け取った一隻の蒸気軍艦は、人を育て、その人間たちは次の時代へ渡っていった。
船体は解体され、残らなかった。
けれども、観光丸の上で始まったものは残った。
そう考えると、「観光」という名は、やはりよくできている。
国の光を観る。
安政二年の日本人がその船の上から見たものは、まだ自分たちのものではない、西洋の技術だったのだろう。
だが十年余りのうちに、それを動かす手は日本人の手になった。
観光丸は、日本が近代の海へ漕ぎ出す、その最初の一歩を載せた船だった。




