第二百四十話「糸子のお嫁入り編―御用の間②」
一
暮れの、英国との談判。
姫君がそう言ってから、慶喜はまだ扇を動かしていなかった。返しかけた扇の先が、膝から少し浮いたままになっている。
正面に、姫君がいる。
御簾は巻き上げられ、紐が柱の掛け金に掛かっている。その下に、姫君は膝の上で手を重ねて坐っていた。背は、座に入ってきたときのまま伸びている。御簾の脇の御使者の座には水無瀬が控え、懐に納めた御返事の上に片手を軽く置いて、目を伏せていた。
慶喜は、扇を膝の上へ下ろした。
後ろの三人の顔は見えない。左の後ろに越前殿がおり、右の後ろに備中守、その後ろに周防守がいる。振り返らなければ、どの顔も目に入らない。入口に近い襖の際には平岡が坐っているはずだが、そちらは背中の向こうで、気配もほとんど届かなかった。
この座で慶喜の目に映るのは、姫君と、水無瀬と、巻き上げた御簾だけである。
障子越しの昼の光が、姫君の座の手前の畳に白く落ちていた。御簾の紐の影が、柱から斜めに畳へ伸びている。昼八つから、もうだいぶ経った。影は、座に入ったときより少し長くなっていた。
御簾を立てさせたのは自分で、巻き上げさせたのは姫君である。慶喜の顔も、正面から見られている。
慶喜は、二十日のことを思い出した。
この同じ御用の間で、封を切った御文を二度読んだ。膝の上の指が震え、その震えが肩まで上がってきた。
あれから、すでに三日経つ。
今日、姫君がこの座に着けば、帳面が開かれる。それは二十日の夜から分かっていた。だから、打てる手は打った。
師走の談判で、御公儀は何も出さずに済んだ。
ところが二十日、その「何も出さずに済んだ」という勘定が引っくり返った。御公儀が何かを差し出したのではない。姫君のほうが、先に動いたのである。
今朝、書院に一人で坐って、慶喜は一つだけ決めた。
今度は、謀られぬ。
霜月の夜、算盤の勘定そのものは合っていた。ただ、札の中身を知らぬまま珠を弾いていた。
今日は違う。出てくる札を一枚ずつ自分の目で確かめ、そのうえで珠を弾く。
右の後ろで、浅い息の音がした。
備中守である。吸う息が短く、吐く息が長い。咳を胸の奥へ押し殺しているときの息だった。
慶喜は振り返らなかった。
姫君から目を離すわけにはいかない。備中守のことは、隣にいる周防守に任せておけばよかった。
左後ろからは、何の気配も伝わってこない。越前殿は先ほどまで、こちらの横顔に目を向けていた。
いまも、その視線があるような気がした。
姫君が、膝の上の手を一度だけ組み直した。
それから、口を開いた。
二
「霜月の末のことでございます」
姫君の声は、英国の件を話していたときと同じ高さだった。
「後見職殿より、英国の書記官との談判の座に、同席してはもらえぬかとのお求めがございました」
慶喜は、黙って聞いていた。
そのとおりである。御用部屋で言い出したのは、自分だった。
「お求めの拠りどころとして挙げられましたのは、天朝外語御用掛という、わたくしの肩書でございました」
姫君は、そこで少し言葉を置いた。
「英国の書面は、日本の政府に宛ててございました。御公儀とは、書かれておりませなんだ」
慶喜の膝の上で、指が一本だけ動いた。
「その座に朝廷の使いが列なっておれば、答えたのは御公儀だけではなくなります。幕府のお答えに、朝廷の名が連なります」
姫君は、一度も目を逸らさなかった。
「師走七日、わたくしはその座に着きました。英国のお求めは、追って協議の場を設くる、という一行に収まりました。御公儀は、あの座で何もお出しにならずに済みました」
それで、姫君の話は一度切れた。
誰かを責める言葉はなかった。ただ、日付と求め、その拠りどころと狙いを順に示しただけである。
どれも事実だった。
霜月の夜、平岡と二人で控えの間に残り、同じ理屈で珠を弾いた。控えの間には、自分と平岡しかいなかった。
その算盤を、姫君は外から読み上げている。
勘定だけではない。珠を弾いた順まで、違えずに読まれていた。誰かに聞いたのではあるまい。書記官の書面、霜月末の求め、そして自分の肩書。手元にあるものを並べ、そこからこちらの思惑を読み切ったのだ。
この姫君は、そこまで見ていた。
去年、この屋敷で、姫君は器の話をした。
御公儀という入れ物と、中身とを分けて数えよ、と。
入れ物は外から壊せる、と。
あの夜、慶喜は姫君に勘定の仕方を教わったような気がした。
教わった勘定の仕方で、今度は自分の勘定が数えられている。
慶喜は、扇の要を指で押さえた。
姫君の目が、慶喜の手元へ一度だけ下りて、また顔へ戻った。
「一つだけ、申し添えます」
姫君が言った。
「その座に着きましたとき、わたくしは、皐月より御内意を承っておりました」
右の後ろで、備中守の息が止まった。
短い、吸い込んだまま止まる息だった。
左の後ろで、扇が鳴った。越前殿の扇である。開いたのか閉じたのか、音だけでは分からなかった。
周防守の気配は、動かなかった。備中守のすぐ後ろで、背を伸ばしたままでいるのだろう。
姫君は、続けた。
「なれど、この身が果たして御門の御望みにお応えできるものかと、思い定めることができませなんだ。父を通じて、お返事にお時間をいただいておりました。お受けのお返事を申し上げましたのは、年が明けてからでございます」
慶喜は、姫君の顔を見ていた。
声は変わっていない。言葉の継ぎ方も、英国の件のときと同じである。ただ、お返事にお時間を、と言ったところで、膝の上の手がほんのわずかに重なり直した。
二十日の座で、備中守は水無瀬に問うた。「姫君はいつから」と。水無瀬は「仔細は左大臣様に」とだけ答えた。
その答えを、姫君はいま自分の口で出した。
水無瀬は、目を伏せたままだった。この答えを、水無瀬は初めから知っていたのだろう。
皐月である。
慶喜は、頭の中で月を数えた。
皐月、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走。
半年を越えている。
そのあいだ、姫君は御内意を胸に置いたまま、誰にも言わなかった。秘めたまま、この屋敷の奥で文を書き、横浜へ人を出し、この屋敷で慶喜と向き合って器の話をした。そして師走七日、英国の書記官の前に坐った。
二十日に、慶喜は思った。
『余は、儲君の御方を、英国の書記官の前に坐らせたのか』
あのときは、まだ推量だった。姫君がいつから知っていたのかは、御文のどこにも書いていなかった。御門の内定が、師走より後のことであってもおかしくはない。そう思える余地が、わずかに残っていた。
その余地が、いま消えた。
坐らせたのである。御内意を承っている御方を、それと知らずに、英国の書記官の前に。答えを出しかねて、まだ返事もしていない御方を。
二十日の座で、これは始まりにすぎぬと言った備中守が、いま右の後ろで息を止めている。
師走の談判のあと、慶喜はこの姫君に「助かった」と言った。姫君は、頭を下げた。
あのとき、姫君が何を胸に置いて頭を下げたのか。慶喜は、今日まで考えたことがなかった。
背後の襖際には、平岡がいる。
霜月の夜、隣で同じ珠を弾いた男である。今朝、その中身を聞かせたとき、平岡の声は上ずっていた。
いま、その平岡が、自分と同じ勘定を背中越しに聞いている。
慶喜には、その顔を確かめる必要はなかった。
三
座敷の誰も、しばらく口を開かなかった。
右の後ろで、備中守の息がまた動きはじめた。さっきより浅い。周防守の衣擦れが一度だけ聞こえた。備中守のほうへ身を寄せたのかもしれない。
慶喜は、扇の要から指を離した。
負い目は、ある。それは認める。そのうえで、この座を姫君の勘定だけで進めさせるわけにはいかなかった。今朝、決めたことである。
「近衛様」
「はい」
「あの座は、お断りになることもおできになった」
言ってから、慶喜は姫君の顔を見た。
筋は通っている。肩書を挙げて求めたのは自分だが、座に着くと決めたのは姫君である。御内意を胸に置いていたのなら、なおのこと、断る理由はいくらでも立った。病と言ってもよい。御用掛の職分にないと言ってもよい。京の父君に伺いを立てると言えば、それだけで日は過ぎた。
断らなかったのは、姫君のほうである。
姫君は、すぐに答えた。
「はい。お断りいたしませなんだ」
慶喜は、次の言葉を待った。
「御公儀が、お困りでございましたゆえ」
姫君は、それ以上何も足さなかった。
慶喜は、口を開きかけて、閉じた。
断れたはずなのに、断らなかった。その一事が、いまになって胸に残った。
姫君が自分から座に着いたのではない。御公儀が困っていると知り、引き受けたのである。
しかし、幕府が頼ったのは、御内意を胸に置いた姫君だったのだ。
「あのとき、断れたはずだ」と言えば、断らずに座に着いた姫君の勘定が重くなる。
慶喜は、扇を膝の上で握り直した。
左の後ろで、越前殿が小さく咳払いをした。
「後見職様」
越前殿の声は、穏やかだった。
「近衛様が、御公儀の困りごとを見かねて座に着いてくだされた。それで御公儀は、あの談判を何も出さずに収められた。……これは、御公儀が近衛様に借りを作ったと、認めねばなりますまい」
慶喜は、振り返らなかった。
「御公儀の体面から申しましても、借りは借りとして数えておくほうが、のちのち筋が立ちましょう。借りと認めずにおけば、いずれどこかで、御公儀は恩を知らぬと言われ申す」
越前殿は、そこで言葉を止めた。
御公儀の側から、帳面の付け方を言っただけである。霜月の御用部屋で、越前殿が同じような口ぶりで一言述べたとき、慶喜は何も答えなかった。
慶喜は、膝の上の扇に目を落とした。
越前殿の言うことは、正しい。認めずにおけば、その借りはいずれ御公儀の外から問われる。諸藩か、京か、あるいは英国か。外から突きつけられた借りは、こちらで認めたものより、はるかに高くつく。
「……左様じゃな」
今日は、そう答えた。
姫君が、小さく頭を下げた。
「このことを、表立って咎めるつもりはございませぬ」
姫君は、顔を上げて言った。
「御公儀のお困りに、天朝の御用掛が応じた。表には、それだけが残れば十分でございます」
慶喜は、その言葉を聞いていた。
(では、表に残らぬところには、何が残る?)
表立たないことは、こちらにとってもありがたい話だった。
御公儀が未来の后を英国の談判の座へ引き出した。それが表に出れば、責めを負うのは言い出した後見職である。京がどう受け取るか、諸藩がどう言い立てるか。数えはじめれば切りがない。
それを表に出さぬ代わりに、姫君は何かを得る腹づもりでいる。奪おうとするものの目方は、表沙汰にした場合の重みと、果たして釣り合うように量られているのだろうか。
「その代わりに、申し上げたいことがございます」
来た…と慶喜は思った。
緊張が走る。
姫君が、懐に手を入れた。
出てきたのは、畳んだ紙だった。厚くはない。二枚か三枚を重ねて、二つに折ってある。姫君はそれを膝の上で開き、目を落とした。
慶喜の目が、紙の上へ行った。
あの紙に、姫君がこれから出すものが書いてある。順も、数も、書いてあるのだろう。一つずつ口で出されれば、こちらは出された順に受けるしかない。霜月の夜に札の中身を知らずに珠を弾いたのと、同じことになる。
先に、全部を見ておけばよい。全部を並べて見れば、どれが本命で、どれが捨てるための札かは、こちらで量れる。
「近衛様。その書付を、先に――」
そこまで言って、慶喜は言葉を止めた。
姫君が、顔を上げてこちらを見ていた。
膝の上の紙を、隠そうとはしていなかった。見せよと言われれば、見せるつもりでいるのかもしれない。そういう目だった。
慶喜は、さっき姫君が言ったことを思い出していた。
『この身が果たして御門の御望みにお応えできるものかと、思い定めることができませなんだ』
皐月から年が明けるまで、半年を越えても答えを出せずにいた姫である。そのあいだ、御公儀の座に呼ばれ、英国の書記官の前にも坐った。それでも、胸の内は誰にも明かさなかった。
その姫が、今日のために書いてきた紙だった。
何を書くか、何を伏せるか。どこから見せるかまで、自分で決めたのだろう。半年余りの時間をかけて、ようやくここまで辿り着いた。
「先に見せよ」と言えば、姫君は見せるだろう。
だが、それを求めることは、この紙に至るまでの時間まで、御公儀の都合で扱うことになる。慶喜には、それがためらわれた。
慶喜は、言葉の続きを呑み込んだ。
「……いや。よい」
姫君は、少しだけ首を傾けた。
「お続けなされ」
「はい」
姫君は、また紙に目を落とした。
膝の上の紙は、こちらからは裏しか見えない。墨の濃いところが、紙の裏にうっすらと透けている。行の数は、十を越えているように見えた。どの行に何が書いてあるのかは、透けた墨からは読めなかった。
慶喜は、扇を膝の上に置き直した。
見ずに受ける。その代わり、出てきたものを一つずつ量る。出た順に、一枚ずつ。それだけは、こちらで決めておく。
(今度は、決して謀られぬ……)
四
「我が身を守る旭狼衛のことでございます」
姫君は、紙の上の一行を指で押さえた。
「守護する集団、旭狼衛を、組として幕府にお認めいただきとうございます」
慶喜は、黙って頷いた。
(それは予期していた…)
旭狼衛とは、姫君の身辺を守る者たちである。余のところにも聞こえていた。江戸と京で、去年からあちこちに顔を出している。御公儀の帳面のどこにも載っていない組が、朝廷の御用掛の名の下で動いている。
それを「認めよ」という求めが出てくるのは、筋だった。
認めるかどうかは、人数による。いまの数を組として帳面に載せるだけなら、御公儀にとっても損ではない。帳面に載せれば、どこに誰がいるかが分かる。
(分かっている者は、分からない者より扱いやすい…)
「それに合わせて人数は、江戸と京を合わせまして、五百まで認めていただきとうござります」
慶喜は、扇を持つ手を止めた。
(五百じゃと……!?)
いまの旭狼衛は、江戸と京を合わせて百人近いと聞いていた。その五倍である。
「五百、と申されたか」
「はい。さようでございます」
姫君は、紙から目を上げずに答えた。
慶喜は、扇の要を一度だけ回した。
百を五百にする。京には、浪士が集まっている。天誅と称して人を斬る者が、去年から少なからず後を絶たない。そこへ、朝廷の御用掛の名を負った五百が加わる。守るために置く者でも、数が揃えば、外からは兵に見える。
「近衛様。五百は、私兵と申すほかござらぬ」
姫君が、顔を上げた。
「朝廷の御用掛の身辺を守る者が、五百。江戸と京に五百の者が詰めて、それを御公儀が組として認める。そうなれば、諸藩は何と申すか。近衛様に五百が許されるなら、我が藩の京の屋敷にも同じだけ置かせよ、と言い出す藩が、必ず出てまいる」
「そのようになりまするか」
「一つ許せば、十の藩が同じことを申す。御公儀は、それを止める理屈を失いましょう」
姫君は、何も言わずに聞いていた。
右の後ろで、低い声がした。
「数で申し上げてよろしゅうござるか」
周防守である。備中守の後ろから、声だけが届いた。
「申せ」
「五百の者が江戸と京に詰めるとなれば、そのうち幾人かは常に町に出ておりましょう。町を歩く者が増えれば、揉め事も増え申す。所司代の手も、町奉行の手も、近衛様の組の者には届きませぬ。届かぬ者が、江戸と京に五百」
周防守の声は、平らだった。
「いまの百でも、町方からはたびたび伺いが上がっており申す。五倍となれば、伺いも同じ数になりましょう。伺いが五倍になれば、それを捌く者も要る。捌く者の扶持も要り申す」
慶喜は、振り返らずに頷いた。
「周防守の申すとおりじゃ。五百は、呑めませぬ」
姫君は、紙の上の指を動かさなかった。
慶喜は、どう出るかを見ていた。食い下がるか。理屈を足すか。数を下げてくるか。
姫君はしばらく思案していた。
(もし数を下げてくるなら、どこまで下げるか?)
それで姫君の腹が読める。四百と言うか、三百と言うか。最初の五百がどれほど本気だったかは、そこで分かる。
しかし、姫君は、どれもしなかった。
「では、後ほど改めて……」
姫君は、それだけ言った。
「改めて」と言った。「後でもう一度この話を出す」ということだろう。
数は、下げていない。
姫君の指が、紙の上を一行下へ動いた。
「次は、武士の任命のことでございます」
慶喜は、扇を握り直した。
「近衛の家が召し抱えました者を、御公儀に武士とお認めいただきとうございます」
今度は、慶喜はすぐに答えた。
「それも、呑めませぬ」
姫君は、慶喜を見た。
公家の家にも、侍はいる。諸大夫がいて、青侍がいる。だが、それは公家の家に仕える者で、御公儀が武士として帳面に載せている者ではない。近衛の家が召し抱えた者を幕府が武士と認めるとなれば、その境が消える。
「近衛様。武士の身分を定めるのは、御公儀でござる。大名が家来を抱えるのとは、わけが違う。公家の家が召し抱えた者を、御公儀が武士と認める。それは、公家の家に武士を任じさせるということじゃ」
「そうなりますね」
「京の公家の家々が、それぞれに武士を任じはじめたらどうなるか。御公儀の根が揺らぐ。二百六十年、御公儀が手放さずにきたものを、ここで認めるわけにはいかぬのです」
言いながら、慶喜は自分の声が少し強くなっているのに気づいた。
左の後ろで、越前殿が小さく息を吐いた。慶喜は、声の高さを元に戻した。
「これは、余の一存で申しておるのではありませぬ。御公儀として、呑めぬのです」
姫君は、少しのあいだ黙っていた。
慶喜は、その顔を見ていた。退けられて、悔しそうな色が出るか。目が細くなるか。唇が締まるか。
だが、何も出なかった。英国の件を話していたときと、同じ顔だった。
また、しばらく思案したのちに……
姫君は紙に目を落とした。
「では、こちらも、後ほど改めて……」
同じ言葉だった。
慶喜は、姫君の指先を見ていた。指は、紙の上でまた一行下へ動いた。
(大きな二つは、止めた!)
姫君がこの座に持ってきた求めのうち、重いのはこの二つだろう。人と身分である。屋敷や銭なら、あとで数を詰めればどうにでもなる。人と身分は、一度許せば戻せない。
(本命は、この二つか?)
だとすれば、姫君は本命を二つとも止められたことになる。止められて、それでも顔色を変えずに次の行へ進んでいる。
右の後ろで、備中守の息が少し長くなった。周防守は、膝の上で何かを数えているのか、衣擦れの音もさせなかった。左の後ろの越前殿は、扇を閉じたままでいる。
三人とも、口を挟まなかった。挟む要がない、と見ているのだろう。
*
しかし、右の隅に坐る堀田備中守の胸中は、静まり返っていなかった。
ハリスとの合議や、先のイギリス談判におけるこの姫様の交渉の様子は、事前に詳細な報告で聞いていた。
(あれほど周到に布石を重ね、相手の逃げ道を塞いでいく姫様が、これほどやけにあっさりと大きな要求を引き下げるものだろうか)
後見職様は「二つの本命を退けた」とお考えかもしれぬが……。
背筋に這うような微かな冷たさを覚えながら、備中守は息を潜めて姫君の背を見つめていた。
(姫様は、いったい何を狙っておられるのだ?)
慶喜は、扇を膝の上に置いた。
五
「それから……」
「御屋敷のことでございます」
姫君は、紙の上の一行を指で押さえたまま言った。
「わたくしは、いまこの一橋御屋敷の奥に住まわせていただいております。長らくのお世話、まことにありがたく存じております。なれど、そろそろ、この御屋敷を出とうございます」
慶喜は、扇を持ち上げかけて、止めた。
「天朝外語御用掛の職に付く屋敷を、いただきとうございます。長屋も、蔵も、厩も、門も、ひとまとまりのものを」
「……屋敷を?」
「はい。いまは、会所の者が参るにも、旭狼衛の者が報せを持ってまいるにも、いちいち一橋殿の御門を通っております。御用掛の用で人の出入りが増えるほど、一橋殿の御屋敷にご迷惑をおかけいたしましょう」
姫君は、言葉を区切った。
「近ごろは、国元へ人を引き上げて、江戸の屋敷を持て余しておられる御家もあると聞きます。空いた大名屋敷がございましたら、それを。替地の手配は、御公儀のほうでお願いいたしとうございます」
慶喜は、すぐには答えなかった。
姫君がこの屋敷を出る。
悪い話ではない、と慶喜はまず思った。諸藩の目には、一橋が姫君を抱え込んでいるように見えているだろう。姫君が出ていけば、一橋家の体裁は楽になる。
だが、それとこれとは別である。
「近衛様。公家の御方に、大名屋敷を拝領させた例はござらぬ」
慶喜は言った。
「大名屋敷は、御公儀が大名に下されるものでござる。幕府が、大名屋敷を公家の御方に下されたことは、これまで一度もありませぬ」
「そうなのですか」
「前例のないことは、御公儀としては、たやすくは致しかねる」
姫君は、反論しなかった。
慶喜の言葉を聞き終えると、ただ紙の上の行に目を落とした。次の行へ進むのか、と慶喜は思った。
右の後ろで、咳が一つ出た。
短い咳だった。続けて、掠れた声がした。
「……後見職様」
備中守である。
慶喜は、振り返らなかった。振り返らずに、耳だけをそちらへ向けた。
「伝奏屋敷の例が、ござる」
声は掠れていたが、一語ずつはっきりしていた。
「御公儀は、京から下られる勅使や、武家伝奏の御方々のために、辰ノ口に伝奏屋敷を構えてまいった。朝廷の御使者が江戸で御用を務められるあいだの宿所でござる。御公儀が建て、御公儀が守ってまいった」
慶喜は、黙って聞いていた。
「近衛様は、天朝外語御用掛として、朝廷の御使者として、江戸に下っておられる。その職に付く屋敷であれば、伝奏屋敷の類でござろう。公家の御方に大名屋敷を下されるのとは、話が違い申す」
備中守は、そこで息を継いだ。浅い息が二度、慶喜の右の後ろで聞こえた。
「それに」
声が、少しだけ低くなった。
「のちに后となられる御方が、後見職様の御屋敷の奥に、いつまでも住まわれる。それが、いずれ表に出たとき、御公儀の体裁はどう見えるか。将軍後見職が、未来の后を己の屋敷に置いていた。そう言われれば、御公儀は何とも申し開きのしようがござらぬ」
慶喜は、扇を握った。
「御用掛の職に付く屋敷を、幕府自ら整えた。そう残しておくほうが、御公儀の体面は立ち申す」
言い終えると、備中守はまた浅い息に戻った。
慶喜は、何も言わなかった。
備中守が座で自分から口を開いたのは、英国の件で礼を述べたとき以来である。あのときは、御公儀の立つ瀬を言った。いまは、御公儀の体面を言っている。どちらも、御公儀の側から姫君の求めを通す理屈だった。
前例がない、と言ったのは自分である。その前例を、備中守は御公儀の帳面の中から出してきた。
伝奏屋敷。辰ノ口の、勅使の宿所。
御公儀が朝廷の使いのために建てた屋敷である。御用掛の屋敷がその類だと言われれば、前例がないとは言えなくなる。
それに、未来の后を後見職の屋敷に置いていた、という一言である。
姫君がこの屋敷にいることは、いまは諸藩の目には一橋の抱え込みに見えている。内定が表に出れば、それが別の形で見える。慶喜は、そこまでは数えていなかった。
備中守は、数えていた。病の床で、何をどう出すかを考えてきたのだろう。
前例の盾は、もう使えなかった。
右の後ろから、別の声がした。
「近衛様。屋敷の場所に、お心当たりはござろうか」
周防守だった。
姫君は、紙から顔を上げた。
「浜町に、心当たりがございます」
慶喜の扇が、膝の上で止まった。
(浜町?)
「大川に面した、さる御家の下屋敷でございます。去年の暮れから詰めの者を国元へ戻されて、いまは留守居が幾人か残っておられるだけと聞いております。荷を舟で入れられますので、会所にも都合がよろしゅうございます」
姫君は、そこで言葉を区切った。
「同じ浜町の内に、一橋殿の下屋敷がございますね」
座敷が、一度静かになった。
左の後ろで、越前殿の扇が小さく鳴った。右の後ろで、周防守の衣擦れがした。備中守の浅い息が、一つだけ乱れた。
「……そこまで、すでに」
越前殿が、小さく言った。言いかけて、あとを続けなかった。
慶喜は、姫君の顔を見た。
姫君は、少しも笑っていなかった。「御近所になりますね」とでも言うような顔だった。
姫君はそれを、隠しもせずに口に出した。言わずにおけば、あとで慶喜のほうが気づき、あれこれ勘ぐっただろう。姫君は、勘ぐる前に言ったのだ。
(この姫君の前では、屋敷一つ、ごまかしようがないらしい)
慶喜は、扇の先で膝を一度だけ軽く叩いた。
「……屋敷は、考えおく」
姫君は、頭を下げた。
「ありがとう存じます」
決めずに、持ち越しただけである。慶喜は、それでよいと思った。
姫君の指が、また紙の上を下へ動いた。
「ここからは、短く申し上げます」
慶喜は、頷いた。
「御用掛の職務を、これまでどおり妨げずにいただくこと」
「それは、もとよりのことでござる」
「ありがとう存じます」
姫君は、次の行へ進んだ。
「異国との談判の座へ、朝廷の使いを同席させますには、御門の御沙汰を要すること」
慶喜の口が、わずかに開いたまま止まった。
(……なに?)
すぐには、言葉が出てこなかった。
師走の座に姫君を出したとき、主上様の御沙汰などを、軽く考えたつもりはなかった。だが……
仮に幕臣や朝廷から無謀な独断だと責められたとしても、外国の重圧を幕府の威信だけで支えるのは難しい。そのために主上様の権威を借りたのだと言えば、御公儀としての立場はいくらでも取り繕える。あのときの慶喜は、そう踏んでいた。
――いや。
いま思えば、それは「そうできる」と思い込んでいただけだったのかもしれない。
この行は、それを二度とさせぬという行だった。
姫君の手が、膝の上の紙から離れて、懐のあたりに一度だけ当てられた。
何かが入っている。慶喜には、それが分かった。だが、姫君はそれを出さなかった。手を当てただけで、また膝の上へ戻した。
出せと言えば、出すのだろうか。それに一体、何が書いてあるのだろうか。
慶喜は、それを問わなかった。
「……続けられよ」
声が、思ったより低く出た。
姫君は、次へ進んだ。
「商務語学所を広げることにござりまする」
この行だけ、姫君の声がわずかに強くなった。
「学徒の中には、仏語を学びたいと申し出る者も、近頃、増えております。いまの場所では、もう手狭でございます」
「人と場所と、掛かりのことか」
「はい。細かいことは、周防守殿と詰めさせていただきとうございます」
右の後ろで、周防守が短く応えた。
「承り申した」
「それから、技師の十里の外の許し。これは先ほど、一橋殿より、外国奉行へ申し付けると承りましたので、その旨を改めて」
慶喜は、黙って頷いた。
さっき自分で言ったことである。言った以上、取り消すわけにはいかない。姫君は「ついては」と言ったときに、この行のことを言っていたのだ。
「残りを、続けて申し上げます」
姫君は、紙の上の行を順に指でたどった。
「洋書調所の書物を、写させていただくこと。長崎製鉄所を、使わせていただくこと。関所を、公用で通る許し。天朝物産会所の商いに、御公儀が口を出されぬこと」
慶喜は、一つずつ聞いていた。
どれも、小さかった。
書物を写す。製鉄所を使う。関所を通る。会所の商いに口を出さぬ。どれも、御公儀の根には手が届かない。手続きの話で、数の話で、あとで周防守が詰めればよい話だった。
「それから、毎年の掛かり。異国との御用の費えを、横浜の運上より」
「額は」
周防守の声だった。
「額は、周防守殿との座で申し上げます」
姫君は、それだけ答えた。
周防守は、それ以上は問わなかった。
慶喜は、扇を膝の上で軽く転がした。
大きな二つは止めた。屋敷は持ち越した。御沙汰の一行には、まだ答えていない。あれは、二度と同じことをせねばよいだけの話である。残りは、どれも小さい。
小さいものをいくつ呑んだところで、幕府の根は揺らがない。
(この座の勝ちは、こちらにある!)
慶喜は、そう量った。
六
慶喜は、しばらく黙っていた。
姫君の紙の上の行は、ここで尽きたらしい。指が、紙の端で止まっている。
右の後ろで、備中守の息が、さっきより長くなっていた。備中守が座に着いてから、もう長い。座を閉じるなら、いまがよい。
「よろしいか」
慶喜は、扇を膝の上に立てた。
「旭狼衛の五百と、武士の任命は、呑めぬ。御公儀として、呑めませぬ」
姫君は、頭を下げなかった。黙って聞いていた。
「屋敷は、考えおく。浜町のことも含めて、こちらで当たる」
左の後ろで、越前殿が頷く気配がした。
「残りは、周防守と詰めていただく。語学所、写本、製鉄所、関所、会所。それに、掛かりと費え。数の要るものは、すべて周防守のところで」
「承り申した」
周防守の声が、右の後ろから届いた。
「数は、某が詰め申す。座の日取りは、近衛様のよろしいときに」
「はい。よろしくお願い申し上げます」
姫君は、周防守のほうへ頷かれた。慶喜の肩越しに、周防守を見たのだろう。
越前殿が、口を開いた。
「後見職様のお取りまとめのとおりで、よろしかろうと存ずる」
慶喜は、頷いた。
備中守は、何も言わなかった。右の後ろで、浅い息が続いている。咳は出ていない。
これで、座はまとまった。
慶喜は、胸の内で、今日出てきた札を一枚ずつ数え直した。
暮れの件は、借りとして認めた。その代わりに出された札は、どれも自分の目で見てから珠を弾いた。
背後の襖の際で、平岡が聞いている。平岡に下ろすものは、もう頭の中で分けられる。周防守へ回すもの。外国奉行へ申し付けるもの。屋敷のことは、まだ誰にも下ろさない。
霜月の夜のように、あとで札の中身を知って震えることは、今日はない。
(今度は、謀られていない)
姫君が、膝の上の紙を畳んだ。
二つに折り、もう一度折って、懐へ戻した。さっき、姫君が一度だけ手を当てた懐である。紙が懐に収まると、姫君の手はまた膝の上に戻った。
水無瀬が、御使者の座で少しだけ身じろいだ。
座が退ける。慶喜はそう思って、扇を膝から持ち上げた。
左の後ろで、越前殿が膝を少し引く音がした。越前殿も、同じことを思ったのだろう。
「それから」
姫君が言った。
慶喜の扇が、膝から少し浮いたところで止まった。
「もう一つ」
姫君の手は、膝の上で重なったままだった。懐には、もう手を入れていない。
書付を見ずに、何かを言おうとしている。
慶喜は、姫君の顔を見た。
姫君は、少しだけ顎を引いていた。目は、まっすぐ慶喜を見ている。英国の件を話したときとも、暮れの件を並べたときとも、同じ目だった。何かを順に申し上げる、それだけの目である。
ただ、口元が、ほんのわずかに締まっていた。
「観光丸を、お払い下げいただきとうございます」
「はっ?」
慶喜は、すぐには分からなかった。
(観光丸……?)
言葉としては、聞こえていた。「払い下げ」という言い方も、聞こえていた。ただ、その二つが、いまこの座で姫君の口から出てきたものとして、頭の中で一つにならなかった。
屋敷の話でも、銭の話でも、人の話でもなかった。姫君は、書付を畳んで懐へ戻してから、これを出した。出てきた順に量ると決めた札の、その順の外である。
その名が、頭の中で何に結びつくのかを、一度探した。
船である。オランダの王から贈られた、蒸気の軍船である。長崎で伝習に使われ、のちに江戸へ回されて、築地の操練所で――
右の後ろで、咳が一つ出た。
備中守の咳だった。抑えきれずに、一つだけ出たような咳だった。
左の後ろで、越前殿の扇が鳴りかけて、止まった。
背後の襖の際で、平岡が膝を動かしたような、小さな音がした。
姫君は、何も足さなかった。
膝の上で手を重ねたまま、慶喜の答えを待っていた。
慶喜は、膝の上の扇を見た。持ち上げかけたまま、止まっている。
慶喜は、口を開きかけた。
第二百四十話 了
【二枚舌と呼ばれた将軍――徳川慶喜の交渉術】
徳川慶喜という人を調べていると、どうにも掴みにくい。
頭が切れる。弁も立つ。情勢を見る目もある。幕末の政治家のなかでも、これほど複雑な相手を同時にさばいた人物は、そう多くないだろう。
朝廷がいる。幕府がある。薩摩や越前、土佐、宇和島といった有力諸藩がいる。その向こうにはイギリスやフランスをはじめとする外国勢力が控えている。それぞれが違う思惑を持ち、昨日の味方が明日も味方とは限らない。
慶喜は、その真ん中にいた。
そして彼の政治行動を追っていくと、ある特徴が何度も顔を出す。
相手が変われば、使う論理も変わるのである。
昨日までの主張にいつまでも縛られない。朝廷には朝廷の論理で話し、幕府には幕府の事情を説く。有力諸侯には「公議」を重んじる姿勢を見せながら、いざとなれば自分で朝廷を動かし、欲しい結論を取ってしまう。
現代なら、柔軟な現実主義者と評されるかもしれない。
しかし当時、それを何度もやられた側はたまらない。
あの男は言うことが変わる。
裏がある。
話し合っているはずなのに、気がつけばこちらが出し抜かれている。
そうした不信が、少しずつ慶喜の周囲に積み上がっていった。
その片鱗は、文久三年(一八六三)の攘夷問題にも見える。
孝明天皇を中心とする朝廷では攘夷を求める声が強く、幕府はその圧力をまともに受けていた。だが、すでに諸外国と条約を結び、その軍事力も知っている幕府にとって、外国船を片端から砲撃して追い払うような攘夷が現実的でないことは分かっていた。
それでも朝廷は、いつ攘夷を行うのかと迫る。
幕府はついに、五月十日を攘夷の期日として奉答した。
問題は、その「攘夷」の意味だった。
慶喜が考えていた攘夷は、外国とただちに戦争を始めることではない。少なくとも慶喜は、五月十日を条約破棄、あるいは鎖港に向けた外交交渉を始める期日として捉えていたとされる。
同じ「攘夷」という言葉を使いながら、中身が違うのである。
幕府が諸藩に出した布達も、外国船が襲来した場合の防御を命じるもので、手当たり次第に外国船を攻撃せよというものではなかった。
ところが長州藩は五月十日、下関海峡を通る外国船への砲撃を始める。
京都と江戸と長州で、「攘夷」という同じ二文字が、まるで別の意味で動き出してしまった。
これをもって、慶喜が朝廷を騙した、と言い切るのは簡単である。
けれども、それでは少し雑だと思う。
朝廷の要求を正面から拒絶すれば、幕府と朝廷の関係そのものが危うくなる。かといって本当に外国と全面戦争を始めれば、日本がどうなるか分からない。その二つの間で、慶喜は「攘夷」という言葉の意味を現実に実行できるところまでずらした。
詭弁と言えば、詭弁である。
政治的な翻訳と言えば、そうとも言える。
ただ、こういうことを重ねれば、相手からどう見られるかは別の話だった。
翌元治元年(一八六四)、その危うさはもっと露骨な形で現れる。
参預会議である。
島津久光、松平春嶽、伊達宗城、山内容堂ら有力諸侯を国政に参加させ、朝廷、幕府、雄藩が協力して政治を動かそうとした。
構想そのものは大きい。
しかし、横浜鎖港などをめぐって慶喜と久光らの意見は衝突した。
そして二月十六日、中川宮邸での酒席で、とうとう事件が起こる。
酒に酔った慶喜は、久光、春嶽、宗城らを「天下の大愚物」「天下の大奸物」とまで罵ったと伝えられている。
将軍後見職にある人物が、薩摩、越前、宇和島の実力者を前にして言う言葉ではない。
ただし、後世からこの場面を見るときには注意がいる。
慶喜が最初から参預会議を壊すつもりで、計算ずくで酔ったふりをした、とまで断定できるわけではない。
結果ははっきりしている。
慶喜と有力諸侯の溝は深まり、参預会議はほどなく瓦解した。
そして三年後、彼らはもう一度向き合うことになる。
慶応三年(一八六七)の四侯会議である。
島津久光、松平春嶽、山内容堂、伊達宗城が京都に集まり、すでに将軍となっていた慶喜と国政を協議した。
大きな問題は二つあった。
長州をどうするのか。
そして、兵庫を開港するのか。
ここは、単純な「開国派の慶喜」と「攘夷派の薩摩」の争いではない。
久光らも、兵庫開港そのものを何が何でも拒んでいたわけではなかった。
問題は、何を先に決めるのか。そして、誰が決めるのか、である。
薩摩側は長州問題を先に処理し、長州を政治の場へ復帰させようとした。一方、慶喜は諸外国との約束が迫っている兵庫開港を優先する。
一見すると政策の順番をめぐる争いだが、その奥にあったものはもっと大きい。
これからの日本を、誰が動かすのか。
従来どおり幕府が主導するのか。それとも朝廷と有力諸侯による「公議」に政治の重心を移していくのか。
慶喜は譲らなかった。
五月二十三日から翌朝にかけて開かれた朝議で、兵庫開港の勅許を求めて粘り抜いた。長州問題も同時に議論されたが、結果として慶喜は兵庫開港の勅許を手にする。
薩摩側にとっては痛い敗北だった。
四侯を集め、公議によって幕府政治を変えようとしたはずだった。それなのに、実際に慶喜と渡り合ってみると、最後には慶喜が朝廷を動かし、自分の欲しい結論を取っていった。
この頃、西郷隆盛はすでに慶喜を強く警戒している。
慶応三年五月の建言書で、西郷は慶喜を「諸詐権謀之御方」と記した。
現代の言葉にそのまま置き換えるのは難しいが、さまざまな策略、権謀を用いる人物だ、と見ていたことは伝わってくる。
私は、この言葉がとても気になる。
西郷が恐れていたのは、慶喜が愚かな将軍だったからではない。
むしろ逆だったのではないか。
話し合いの席に着けば、こちらの理屈も聞く。理解もする。ところが最後には、こちらの理屈まで材料にして、自分の望むところへ話を持っていく。
そんな相手だったからこそ、厄介だった。
四侯会議の挫折は、薩摩がそれまでの公議路線から、より強硬な倒幕路線へ傾いていく重要な契機の一つになった。
そして、そのわずか数か月後。
慶喜はさらに大きな手を打つ。
大政奉還である。
慶応三年十月十四日、慶喜は朝廷に政権の返上を申し出た。翌十五日、朝廷はこれを受け入れる。
この大政奉還も、後世から見ると実に誤解されやすい。
政権を返した。
だから幕府はその日に消滅した。
そう思われがちだが、実際には違う。
大政奉還は、将軍が朝廷から委任されてきた政治上の権限を返上したもので、その瞬間に将軍職までなくなったわけではない。幕府を廃し、新政府の成立へと大きく踏み込むのは、十二月九日の王政復古である。
では、慶喜はなぜ自分から政権を返したのか。
直接のきっかけは土佐藩から出された大政奉還の建白だった。
しかし、この案は慶喜にとっても悪い話ではなかった。
政権を朝廷へ返してしまえば、「幕府を倒す」という討幕派の大義は弱くなる。
その一方で、徳川家そのものがなくなるわけではない。
当時は、朝廷を中心に据えながら有力諸侯が参加する新たな政治体制――いわゆる公議政体の構想が存在していた。徳川家は依然として巨大な領地と軍事力、行政機構を持っている。その新体制に加われば、なお大きな政治力を持ち続けることは十分に可能だった。
実際、大政奉還後の十一月には、西周によって徳川家を中心に据えた新たな政体構想もまとめられている。
だから、
慶喜はすべてを捨て、潔く政治の舞台から去ろうとした。
という見方だけでは足りない。
しかし逆に、
幕府を捨てるふりをして、自分が新政府の頂点に座ろうと日本中を騙した。
そこまで言い切るのも行き過ぎる。
おそらく慶喜にとって重要だったのは、「幕府」という形を守ることではなかった。
徳川家が政治の中心に残れるかどうか。
幕府という器がそれを邪魔するのであれば、器のほうを捨てる。
そう考えると、大政奉還という一手が少し違って見えてくる。
しかも、この頃の慶喜はフランスとの関係も深めていた。
幕府はフランス式軍制を取り入れ、軍事顧問団を招き、横須賀製鉄所の建設を進めていた。慶応三年二月には、将軍となった慶喜が大坂城でフランス公使ロッシュと会談している。
ロッシュは、幕府を近代的な中央政府へと作り替えていくことに期待していた。
幕府軍を近代化する。
行政組織を改革する。
幕府を、日本を代表する強力な政府にする。
慶喜自身も、その方向で幕政改革を進めていた。
ところが、その年の十月には大政奉還である。
フランス側から見れば、驚いたに違いない。
だが、ここでも慶喜は同じことをしている。
フランスとの協力そのものが目的なのではない。
幕府という制度を守ることさえ、最終目的ではない。
使えるものを使い、その方法で立ち行かなくなれば、別の手を選ぶ。
昨日まで大切だった手段を、今日になって捨てることを恐れない。
そこに、慶喜という政治家の強さがあった。
同時に、怖さもあった。
彼を単なる「嘘つき」としてしまうと、この人物の面白いところを取り逃がす。
慶喜は、おそらく嘘をつくことそのものを目的にしていたわけではない。
朝廷には朝廷の力がある。
幕府には幕府の利害がある。
薩摩には薩摩の思惑がある。
外国には外国の要求がある。
どれか一つだけを見て政治をすれば、別の一つに潰される。
だから相手によって論理を変える。妥協もする。言葉の意味も変える。昨日までの方針が使えなくなれば、それさえ捨てる。
そして慶喜を考えるうえで、もう一つ外せないものがある。
朝廷である。
水戸徳川家に生まれ、父・斉昭のもとで育った慶喜にとって、朝廷の権威は決して軽いものではなかった。
ただ、「水戸学の影響を受けていたから、何があっても朝敵にだけはならないと決めていた」と一本の線で説明するのも危うい。
慶喜は朝廷に従うだけの人間ではない。
必要なら公卿たちと激しく争う。朝議にも乗り込み、自分の要求を通そうとする。
朝廷の言うことなら何でも聞く、という人物ではまったくなかった。
朝廷の権威そのものとは争わない。
しかし、その朝廷を誰が動かすのかについては、一歩も引かない。
そう見ると、慶喜の行動はかなり分かりやすくなる。
そして私は、ここに慶喜の強さと限界が一緒にあったのではないかと思っている。
慶喜は、目の前の政治戦に強い。
相手が何を欲しがっているかを読み、どこまでなら譲れるかを考え、その隙を突く。状況が変われば、自分の立場を変えることもためらわない。
参預会議でも、四侯会議でも、兵庫開港問題でも、その能力は存分に発揮された。
ただ、政治というものは、目の前の一勝だけでは終わらない。
今日の相手と、明日も交渉しなければならない。
ここに慶喜の難しさがある。
交渉に勝つ。
相手を押し切る。
窮地を切り抜ける。
そのたびに慶喜は政治的な成果を手にしたが、相手の胸には別のものが残った。
――次は何をしてくるか分からない。
とりわけ薩摩側にとって、その不信は次第に無視できないものになっていった。
西郷が慶喜を「諸詐権謀之御方」とまで警戒したのは、その象徴だろう。
話し合えば、また押し切られるかもしれない。
妥協すれば、その妥協さえ次の一手に使われるかもしれない。
言葉で勝ち続けた政治家に対して、相手が最後に選ぶものは何か。
言葉ではない。
そう考えると、慶喜の「二枚舌」と呼ばれてきたものも、少し違って見える。
あれは単なる嘘だったのだろうか。
私は、そうは思わない。
朝廷、幕府、諸侯、外国。それぞれ違う論理で動く四つの世界の間を渡り歩くために、慶喜が身につけた政治の技術だったのではないか。
ただし、その技術には大きな代償があった。
言葉で危機を切り抜けるたびに、その言葉を信じる人間が減っていく。
そしてついには、
「慶喜が何を言っているか」
ではなく、
「慶喜が言っている以上、その裏に何かあるのではないか」
と考えられるようになる。
政治家にとって、これは恐ろしい。
正しいことを言っても疑われるからだ。
慶喜は、愚かだったから敗れたのではない。
むしろ、頭が切れたからこそ何度も危機を切り抜けた。
相手の先を読めたからこそ、勝つことができた。
そして勝つことができすぎたからこそ、恐れられた。
目の前の交渉に勝つことと、十年後まで相手に信用されることは、同じではない。
幕末の徳川慶喜を追っていると、そんな当たり前で、しかし政治においてはひどく難しいことを考えさせられる。
「二枚舌」とは、たしかに悪い言葉である。
けれど慶喜の場合、その一言だけで切って捨てるには、あまりにも惜しい。
それは彼が生き残るための武器だった。
徳川家を守るための武器でもあった。
そして最後には、その鋭すぎる武器そのものが、彼を孤立させていったのかもしれない。




