第二百二十二話「糸子のお嫁入り編―儲君の御方(前編)」
一
文久三年の正月も、松の内が明けた。
門松が取り払われると、江戸の町は年始の浮かれた気配をさっさと脱ぎ捨てて、いつもの暮らしに戻っていく。一橋上屋敷の表御殿も年賀の客足が途絶え、昼間の人声は日暮れとともに引いていった。
奥御殿の夜は静かだ。
ここ幾日か、江戸は冬晴れが続いている。雲ひとつない空は昼から高く、日が落ちると冷えがそのまま地面へ降りてくる。
庭の池には薄氷が張り、その上を渡った風が雨戸の隙間で細く鳴った。植え込みの松がときおり乾いた音を立てて枝を揺らす。塀の外で夜回りの拍子木が二つ鳴り、間を置いてまた二つ。それが遠ざかると、もう何も聞こえない。
廊下のところどころに、葵が灯して回った行灯が置かれている。その明かりが障子を淡く染めているほかは闇で、冷えきった板張りには昼の日差しの名残もなかった。
ほのかに暖かいのは、私室の障子の内側だけだ。炭の匂いがこもる部屋に、磨ったばかりの墨の匂いが薄く混じっている。
その夜、糸子は文机の前に座っていた。
火鉢の炭がときおり小さく爆ぜる。机の端には、昼のうちに目を通しきれなかった書状の束が積まれたままだった。
数日前、近藤と沖田が連れ立ってやって来た。報告する沖田の顔には血の色が戻り、目にも力があった。糸子は扇子で口元を隠すのも忘れて笑った。
文机には、まっさらな紙が一枚延べてある。墨は磨ってあり、穂先にも含ませてある。宛先は京の父だ。
それなのに、最初の一字が出てこない。
年が明けてから、幾晩も同じことを繰り返している。夕餉を終えて私室へ戻り、紙を延べて筆を執る。そして一字も書かずに、筆を硯の縁へ戻す。
(そろそろ、父上にお返事を書かなければ……)
分かっているから、毎晩こうして座っている。書けない理由も分かっていた。
何を書くかが決まっていないのだ。お受けいたしますと書くのか、ご辞退申し上げますと書くのか。どちらとも決めずに筆を執ったところで、一字目が出てくるはずがない。
政の文なら、こんなことにはならない。誰に何をさせたいかが先に決まっていて、筆はそれを紙に移すだけだからだ。去年一年で、糸子はそういう文を何通も書いた。四半刻もかけずに書き上げ、封をして葵に託したものもある。
この一通だけが、もう数月近くも書けずにいる。
受け取ったのは皐月の末だった。
それからの半年は、息をつく暇もなかった。公議式目を下す段取りがあり、一橋殿との会談があり、横浜へも人を出した。暮れには英国との談判の席にも出た。昼は人と会い、夜は文を書いて帳面を開いた。
そのあいだも、この書状は文箱の奥に納めたままだった。何度も取り出しては読み、答えを出せずにまた納めた。
年が明けて、ようやく身の回りが少し落ち着いた。
この夜も、穂先の墨が乾きかけたところで糸子は筆を置き、塗りの文箱の蓋を開けた。
奥に一通の書状が納めてある。膝の上で広げると、紙は抵抗もなく開いた。何度も畳んでは開いてきたせいで、折り目がすっかり柔らかくなっている。端には、指の触れた跡がうっすらと残っていた。
京からこれを運んできたのは沖田だった。皐月の末のことだ。あの日の沖田の顔は、先日近藤と並んで来たときの顔とはまるで違っていた。
(……あれから、もう半年以上、か)
書状に目を落とす。
角の立たない、丸みを帯びた字。公卿が書き慣れた、父の手だった。
二
何度目の読み返しになるのか、もう数えていない。今夜も一行目から目で追った。
この春より、御門より直々に御相談を賜っていた。これがそなたにとって、また近衛の家にとって良きことか否か、思い巡らすうちに今日に至った。報せが遅れたこと、許せ。
此度、御門より、そなたを儲君の御方にと、内々の御意を蒙った。
御門は、そなたの心をこそ重んじたいと仰せである。もし辞したとしても、この件は初めから無きものとし、そなたの務めには一切障りを置かぬ、とまで仰せ下された。父もまた、御門と同じ心である。
なれど、これは父一人の胸の内として記す。父は、そなたがこの御意をお受け申すことを願うている。
この儀は、すぐに答えを出せるものではない。そなたの行く末に関わることゆえ、急がずともよい。誰に急かされることもなく、心ゆくまで思案いたせ。返事は、そなたの腹が決まってからでよい。御門にも、そのように申し上げてある。
御門がそなたを望まれる所以は二つある。
一つは親の御心である。御自らが負うてこられたものを、儲君にまで負わせたくないと仰せであった。そなたの才をいたく高く買うておられ、その才をもって儲君を支えてほしいとの思し召しである。
今一つは、そなたの身を護るためである。今そなたが朝廷の使いとして働けるのは、御門が後ろにあらせられるからにほかならぬ。万一その御後ろ盾が失われれば、そなたは君側の奸として払われかねぬ。御門はそれを案じておいでである。
披露は、儲君が践祚あそばされた折が然るべき時であろう。お受けした暁には、この事を真と知らせるのは、ごく限られた者のみとする。
読み終えて、糸子は書状を膝に置いた。
儲君とは祐宮のことだ。御門のお子のうち、ただお一人ご成長あそばされた皇子で、数えで十二になられた。その御方の后にと、御門は望んでおられる。
何度読んでも、書いてあることは変わらない。一字も増えず、一字も減らない。読み違えようのない、まっすぐな文だった。
それでも読み返すたびに、同じところで目が止まる。
一つは「もし辞したとしても」の一文だ。
断ってもよいと、御門が仰せになった。断ればこの件は初めから無かったことにし、務めにも障りは置かない。御意を断った者が、そのまま御門の使いとして働き続けてよいというのだ。その約束を、御門は自ら口にされた。
もう一つは「父一人の胸の内として記す」の一文だった。
父は自分の願いを書いている。受けてほしい、と。ただし、それを御門の御意とは分けて書いた。混ぜてしまえば、娘は断れなくなるからだ。分けたうえで、自分の願いだと隠さずに書いた。
そしてその後に、急がずともよい、と続けている。
御門にも、そのように申し上げてある、と。
三
糸子はその一行をもう一度読んだ。
御門にも申し上げてある。つまり父は御所で御門の前に出て、娘の返事はしばらくお待ちいただきたいと言上したのだ。御意を受けた左大臣が、返事を待ってほしいと願い出る。それがどれほど言いにくいことか、糸子には分かる。
父はそれをした。娘に考える時を与えるために、御門の前で頭を下げた。
そして御門は、それをお許しになった。
そもそも父自身、この話を娘へ伝えるまでに春から皐月までをかけている。書状の頭にそう書いてあった。そなたにとって、また近衛の家にとって良きことか否か、思い巡らすうちに今日に至った、と。
近衛の家にとって良いことなのは、考えるまでもない。五摂家の筆頭とはいえ、娘が儲君の妃となれば、家の重みはこれまでの比ではなくなる。左大臣の父にそれが分からないはずがない。
それでも父は、すぐには筆を執らなかった。家にとって良いかどうかの前に、娘にとって良いかどうかを、幾月もかけて考えていたのだ。考えた末に、受けてほしいと書いた。そして、急がずともよいと書いた。
糸子は書状の上に両手を置いた。
思い出したのは、去年の初夏に父から届いた文のことだ。伏見で死んだ七人のために、父は紫野に石を建てた。名を刻めない石で、父はその面を念入りに磨かせたと書いてきた。名がないから、参る者は手で触れるしかない。触れたときに掌が痛まぬように、と。
この書状も、同じ手で書かれている。
読む者がどこで痛むかを、先に考えてある。断る道を先に示し、自分の願いはそれと分けて置き、急ぐなと言い、待たせる相手には話を通してある。娘が何も気に病まずに考えられるよう、石を一つずつ取り除いてから書かれた文だった。
御門も同じだ。断ってよいと仰せになったうえで、望む理由を二つ父に語っておられる。御自らが負うてこられたものを我が子に負わせたくないという親の心と、糸子の身を護るためと。
御門が、自分の身を案じておられる。
御門は糸子を天朝外語御用掛に任じ、御名代として江戸へ送り出された。異国の使いとも幕府の重職とも、糸子は御門の名を背負って向き合ってきた。
江戸で朝廷の使いとして動けているのは、御門の後ろ盾があるからだ。それは承知していた。けれど、その後ろ盾がいつか無くなったら自分がどうなるのか。この書状を読むまで、糸子はほとんど考えたことがなかった。御門は、それを考えておられた。
自分がどれほど大切にされているのか、改めて思い知らされた。父にも、御門にも。
灯の下で、糸子は書状に向かって深く頭を下げた。
「これほどまでに思し召してくださるとは、もったいなや。嬉しゅうて、胸がいっぱいにござりまする」
声に出たのはそれだけで、ほかの言葉は何も出てこなかった。
四
書状をたたみかけて、糸子は手を止めた。祐宮の名が頭に残っている。
前世で、糸子は幕末経済史を学んでいた。この先の日本がどう進むのかは一通り知っている。祐宮、のちの明治天皇がどういう人物になるのかも。
(史実のとおりに進めば……慶応三年の正月に、践祚)
満で十四。いまから四年先だ。
もっとも、この世の歴史はすでに糸子の手でいくつも書き換わっている。四年先が本当にその通りになるかは分からない。それでも、史実でその年にその御方が帝になられるという事実は、考える土台にはなった。
十四で践祚された帝は、はじめのうち、御所の奥で育った公家の子のままだった。そのお姿が、数年のうちに大きく変わっていく。
明治四年のころから宮中の改革が始まる。西郷隆盛や吉井友実らのもとで、若い帝は近代国家の君主にふさわしい人物へと作り替えられていくのだ。
御所の外へ出られるのも早い。明治元年、江戸は東京と名を改める。帝はその秋に京を発って東へ向かい、その城に入られる。翌年にはふたたび東京へ下られ、それからは京へお住まいを戻されることはない。皇后もその年のうちに東京へ移られる。
いま糸子が座っているこの江戸に、いずれ帝が住まわれるのだ。
(……なんだか、変な感じ)
京の御所の奥で女官たちに囲まれて育つ方が、十代の半ばでこの武家の町へ移ってこられる。そしてここで、それまでとはまるで違うお姿になっていく。
「作り替えられていく」というところで、糸子は考えるのをいったん止めた。
(作り替えるのは、誰?)
帝ご自身ではない。お側にいる者たちだ。何が君主にふさわしいのかを決めたのも、その者たちだった。
改革のあと、帝のお側には公家だけでなく武家出身の者も仕えるようになる。帝は馬に乗り、兵を閲し、やがて軍服をお召しになる。公家の子として育った方が、国の軍を率いる大元帥へと変わっていかれる。
それが帝ご自身の望みだったのかどうか、糸子は知らない。前世で読んだ本には、そこまで書かれていなかった。書かれていたのは、周りの者たちがそう決め、そう進めたということだけだ。
その者たちが帝をどんなお姿に育て、その御名のもとで、この国がそれから何十年かのあいだにどこへ向かったのか。糸子はその先を知っている。
(……これ、周りに任せていたら、碌なことにならない気がする)
糸子の計画は、血を流さずにこの国を新しい形へ移すためのものだ。そのために天朝物産会所を立て、商務語学所を開き、幕府にも朝廷にも幾つもの手を打ってきた。
その行き着く先に立つのが祐宮だ。その方を誰がどう支えるかで、糸子のしてきたことが成るかどうかが決まる。
糸子は膝の上で拳を握った。
(よし。……もしそうなるのなら、わたくしが主導権を握る)
お側に立つ者が、帝を好きなように作り替える。それを黙って見ているつもりはなかった。
(周りの政治家たちに、好き勝手はさせない)
心のなかで、そう誓った。
五
誓ってから、もう一つ思い出したことがあった。
明治六年の三月に、帝は髪を切られる。
それまでの帝は、御所の古いしきたりのなかにおられた。髷を結い、この時代の公家の男子と同じく、歯を黒く染め、眉を落として額の上に墨で描いておられたのだ。
同じ明治六年には、皇太后と皇后がお歯黒と黛をやめることも発表される。
この時代の公家の女は、いずれ歯を黒く染め、眉を落として描く。それが当たり前の世だった。
お歯黒は、鉄を酢や酒に浸けて作った汁に五倍子の粉を合わせて歯に塗る。塗りたての歯からは鼻につく匂いがする。それを何日かおきに塗り直して、黒さを保つ。
糸子には、それが無理だった。
前世の感覚が、いまも身体のどこかに残っている。黒く染めた歯で笑う自分の顔を思い浮かべるだけで、どうしても受け入れられない。
帝と皇后がやめれば宮中が倣い、宮中が倣えば公家の家々もいずれ倣う。上が変われば、下は文句を言わずについてくる。
(だから、これは大賛成)
周りの者たちが何を思ってそれを進めたのかはともかく、帝が旧来のお姿をやめ、皇后がそれに続くことだけは、糸子にとって歓迎すべきことだった。
糸子はひとりで頷いた。
六
気を取り直して、糸子はもう一人のことを考えた。史実で祐宮の后となった人物のことだ。
一条美子。一条忠香の娘で、のちに昭憲皇太后と呼ばれる。嘉永二年の生まれだから、糸子より一つ年下になる。
史実の美子は帝の后として長くその座にあった。博愛社、のちの日本赤十字社につながる仕組みを援け、女子の教育を奨め、皇后として公の場で洋装を示された。
糸子はその事績を一つずつ思い出していった。
どれも近代の国を形づくる仕事だ。前世の教科書では数行で済まされていたが、いまの糸子には、その一つ一つにどれほどの手間がかかったのかが分かる。
博愛社を支えるには銭が要る。銭を出してもらうには、出す理由を作らねばならない。女子の教育を広げるにも、学ぶ場所と教える者が要り、娘を通わせることを親に受け入れてもらう必要がある。洋装を示すにも、見せる場と、それを良いものとして受け入れる空気が要る。
皇后が一人で旗を振ったところで、どれも進まない。旗を振ったうえで、その下に人と銭と理屈を集めなければならないのだ。
史実の美子は、それを成し遂げた方だった。
少女のころから頭の回転が早く、物事の芯を見抜く聡明さがあったと伝わる。おっとりして見えて、芯は強い。その聡明さと芯の強さを買われて、帝の妃に推されたのだという。
和歌にも優れ、生涯に数多くの歌を詠んだ。のちに女子の学校へ下された歌は、金剛石もみがかずば玉の光はそはざらむ、と始まる。人は学んで磨いてこそ光るという歌で、前世の糸子もどこかでその一節を目にした覚えがあった。
(……すごい人なんだよね、あの方)
素直にそう思った。
その方が座るはずの場所に、いま、糸子の名が挙がっている。
七
糸子は書状を膝に置いたまま、天井を仰いだ。
(結婚しちゃっていいのかなー?)
頭のなかで、前世の口調がそのまま出た。
(もしかすると……大正天皇とか、昭和天皇とか、平成の天皇とかの血筋が変わってしまうー)
糸子の知る日本の歴史は、その方々の御代を通って、前世の自分が生きていた時代まで続いている。その筋のどこかに、自分が手を突っ込むことになる。
そこまで考えて、息を一つ吐いた。
(……まぁ、歴史はもう改変しまくりだし、いまさらか)
この一年余りで書き換えてきたものは少なくない。死ぬはずの人が死なず、動くはずのない者が動き、起きるはずのことが起きずにいる。血筋ひとつを気にして手を止めるには、もう遅すぎた。
(それより私、元一般人)
前世の糸子は、百貨店で品物を買い付け、取引先と値段を詰めていた女だ。この世では五摂家筆頭の姫として育ったが、それでも宮中は別の世界だった。
(皇室でお勤めとか生活とか、できるのかなー)
毎日の儀式があり、季節ごとの行事があり、古くからの決まりごとがある。そのどれにも后としての役目が付いてくる。それを何十年と続けるのだ。
御所の奥は女官たちの世でもある。典侍、内侍、命婦と位が上から下まで分かれ、それぞれに古くからの持ち場とやり方がある。后といえども、その仕組みの真ん中に座ることになる。
近衛の屋敷で、糸子は姫として育てられた。立ち居振る舞いも言葉づかいも一通りは身につけている。けれどそれは臣下の家の奥での話で、御所の奥にはその上にさらに幾重もの決まりが重なっている。
そして一番の問題が、最後に残った。
(というか、これ……絶対に断れない案件だよね?)
書状には、断ってもよいと書いてある。御門ご自身がそう仰せになったとも、父も同じ心だとも書いてある。
それでも、糸子には分かっていた。
御門はお言葉どおりになさるだろう。断れば、この件は初めから無かったことになり、糸子はこれまでどおり御門の使いとして働く。そこに嘘はない。
ただ、糸子のほうがこれまでどおりではいられない。
御門が断ってもよいと言ってくださり、父が急がずともよいと言ってくれた。そこまでしてもらって、お断り申し上げますと書ける自分ではなかった。
(確実に)
糸子は書状を胸に抱えるようにして、深く長く息を吐いた。
「はぁぁぁああぁぁぁーーーーーーーーーーーっ」
八
あの夜のことは、いまでもよく覚えている。
皐月の末の日だった。
その日の昼、伏見から戻った沖田たちを、糸子は庭で迎えた。五人だった。沖田は痩せて顔色が悪く、それでも笑ってみせた。作った笑い方なのは、すぐに分かった。
夕刻、障子の向こうから葵が声をかけた。
「姫様。沖田殿が、お目通りを願うておられます」
「沖田殿が?」
昼に庭で会ったばかりで、まずは休むよう言ってあった。
「お通ししてくださいまし」
ほどなく廊下に足音がした。昼に庭で見たときと同じ、力の入りきらない足取りだった。
沖田は敷居の外で膝をつき、頭を下げた。
「お休みのところ、申し訳ありません。昼は、皆のいる前でしたので」
懐から取り出したのは、油紙に包んだ書状の包みだった。沖田はそれを両手で捧げ持ち、少しだけ前へ進めた。
「左大臣様からのお預かりものです。京を発つ朝に、山南さんから託されました。江戸へ着いたら、姫様へ直接お渡しするようにと」
葵が立って受け取り、糸子の前に置いた。上書きは父の手だった。
「確かに、お預かりいたしました」
「中身は、伺っておりません」
沖田はそれだけ言い添えた。
「沖田殿」
「はい」
「遠いところを、ありがとう存じました。……今日はもう、お休みくださいまし」
沖田はもう一度頭を下げ、来たときと同じ足取りで廊下の向こうへ去っていった。
*
その夜、糸子はひとりで封を切った。
伏見のことは、すでに父からの文で知らされていた。七人が死んだこと。手柄は所司代へ渡したこと。父が紫野に名を刻まぬ石を建てたこと。七つの名は、糸子が自分で紙に書いて文箱の一番下に納めてある。
だから包みの中身にも、おおよその見当はついていた。卯月に京へ送った式目の原案が戻ってきたのだろう。
灯を引き寄せて包みを開き、中のものを文机に並べた。
「あら、二通……」
一つは三枚綴りの厚いもの、もう一つはずっと薄い、一枚きりの書状だった。
糸子は厚いほうを手に取った。
卯月に江戸から送った公議式目の原案が、父の手で朝廷の型に写し直されていた。紙は上等な鳥の子で、条の並びは糸子が書いたものと変わらない。ところどころ言い回しが改められ、糸子の平明な言葉が朝廷の紙に載る形に置き換えられている。
末尾まで来て、目が止まった。
十五条の下に、一行だけ、条ではない文が書き添えられている。
『細目の儀は、幕府において相定めらるべし』
卯月の原案には無かった一行だ。二度読んで、父が何をしたのかが分かった。
こう書いておけば、幕府は自分たちに裁量があると思う。そう思った瞬間から、この式目は幕府自身が手を加えて形にしたものになる。
(……父上ったら)
口元が緩むのを抑えられなかった。
綴りを丁寧に揃えて文箱の脇へ置き、薄いほうの書状を手に取った。
『この春より、御門より直々に御相談を賜っていた……』
二行目、三行目と読み進めて、『儲君の御方に』のところで目が止まった。
もう一度、その行の頭へ戻る。
『此度、御門より、そなたを儲君の御方にと、内々の御意を蒙った。』
「……はっ?」
小さく声が漏れた。
書状を灯のほうへ傾けた。字がかすれているわけではない。父の、はっきりした手だ。
(儲君の、御方……)
儲君は祐宮だ。その御方、ということは。
(……わたくしが、后???)
最後まで読んだ。断ってもよいとある。父は受けてほしいと書いている。御門が望まれる理由が二つあり、披露は践祚の折だとある。
『君側の奸』のところで、また目が止まった。
『万一その御後ろ盾が失われれば、そなたは君側の奸として払われかねぬ。』
帝の側にいて、帝の目を曇らせる悪い臣のことだ。その名を着せて相手を除くということが、この国では何度も起きてきた。それは知っている。だが、その名が自分に向けられる日のことなど、この夜まで考えたこともなかった。
『践祚の折』という字も、しばらく見ていた。
史実のとおりなら、祐宮の践祚は慶応三年の正月。この皐月から数えて五年近く先になる。
読み終えて、もう一度頭から読んだ。書いてあることは同じだった。
「………」
書状を文机に置き、思わず両手で口を押さえた。
夜とはいえ、障子の向こうの廊下にはまだ人が通るかもしれない。それに父は、この事を真と知らせるのはごく限られた者のみ、と書いている。
声は出せなかった。
(うえぇぇえぇぇぇーーーーーーーっ!?)
叫びは胸のなかだけで鳴り、鳴りやむまでにだいぶかかった。
その夜、書状を三度、四度と読み返した。
やがてたたんで文箱の一番奥へ納め、蓋を閉めた。
それからしばらく、蓋から手を離せなかった。
この事を真と知らせるのは、ごく限られた者のみ。
父がそう書いている以上、この書状のことは誰にも言えない。障子の向こうに控えている葵にもだ。子供の頃から仕え、何でも察してくれる葵に、何も言わずにおく。それが一番難しいことのように思えた。
九
火鉢の炭が、また一つ爆ぜた。その音で、糸子は皐月の夜から正月の私室へ引き戻された。
膝の上には、あの夜と同じ書状がある。折り目だけが、あの夜よりずっと柔らかくなっていた。
(年まで越して……結局、まだお返事も書けてない)
書状に目を落としたまま、今夜考えてきたことを順に振り返る。
祐宮が践祚なさったら、自分が主導権を握る。周りの政治家たちに、帝を好き勝手に作り替えさせない。お歯黒と眉墨は、帝も皇后もおやめになるのだから大賛成。史実の美子が座るはずだった場所に、自分の名が挙がっている。皇室でお勤めができるのか。
そこで「はっ」とした。
(……ちょっと待って)
どれもこれも、后になった自分がどうするかの話ではないか。帝のお側で何をするか。お歯黒をどうするか。御所の奥でどう暮らすか。
お受けするともお断りするとも、まだ決めていない。父への返事は一字も書いていない。それなのに、頭のなかではすっかり后になる前提で話が進んでいた。
(私、まだ返事もしてないのに、なに考えてんの!?)
しかも考えていたのは、帝の育て方とお歯黒と御所の暮らしのことばかり。祐宮様は数えで十二、満でいえば十になられたばかりの御方だ。その御方の行く末を、まるで自分が預かったような顔で、あれこれ算段していたことになる。
顔が熱くなった。
両手を頬に当て、そのまま身をよじる。右へ、左へ、また右へ。
(いやいやいや、違う違う、そういうのじゃなくて、これは計画の話で、ただの思考実験で……!)
誰に言い訳しているのか、自分でも分からない。言い訳すればするほど、頬は熱くなった。
*
小夜が茶を運んできたのは、ちょうどそのときだった。
夜も更けてきたので、温かいものを一杯お持ちしようと思ったのだ。障子の外で一声かけたが返事がない。お休みになったのかと思い、そっと障子を開けた。
姫様は起きておられた。
文机の前で両手で頬を挟み、身体を右へ左へとくねらせておられる。口のなかで何かもごもごと仰せで、耳を澄ますと、違う違う、と言っておられるようだった。
小夜は敷居の手前で動きを止めた。
(……また、姫様の奇行が始まった)
(やっぱり頭がおかしい御方だわ)
お仕えするようになってから、部屋で独り言を仰せになるのも、意味の分からぬ言葉を叫ばれるのも、腹の底から妙な笑い声を立てられるのも見てきた。どうすればよいかも、最近は心得ている。
小夜は音を立てずに部屋へ入り、いつもなら文机の脇に置く茶碗を、この夜はそれより二尺ばかり手前の畳に置いた。それから、いつもの座よりもう半歩さがって控えた。
「……小夜?」
ようやく、姫様がこちらに気づかれた。両手はまだ頬に当てたままだ。
「お茶を、お持ちいたしました」
「……いつから、そこに?」
小夜は少し考えた。この侍女は、嘘をつくのが苦手である。
「姫様が、こう……お頬を挟んで、右へ三度ほど、お身体をよじられたあたりからでございます」
姫様の手が、頬からゆっくりと離れた。
「…………」
「お茶、冷めぬうちにお召し上がりくださいまし」
「……ありがとう、小夜。下がってよろしい」
「はい」
小夜は一礼して障子を閉め、廊下でひとつ首をかしげた。
姫様のご様子がおかしいのはいつものことだ。それでも今夜のは、帳面を前に不気味に笑っておられるいつものとは、どこか違っていた。何が違うのかは分からなかった。
*
障子の内側で、糸子は二尺先の茶碗を見た。いつもより遠くに置いていかれた茶碗だ。
(……距離、取られた)
膝で這っていって茶碗を取る。一口すすると宇治の茶で、熱さがちょうどよかった。
茶碗を両手で包んだまま、糸子はもう一度、深いため息をついた。
十
翌朝、糸子は葵を離れへやった。
水無瀬実光はこの屋敷の離れに住んでいて、呼べばすぐに来られる。ほどなく廊下に、公家育ちらしい音の立たない足音がした。
「お呼びと承りました」
実光は御簾の前で膝をつき、頭を下げた。
線の細い、品のよい顔立ちの若い公家だ。江戸へ下って月日が経っても、京の御所の空気をそのまま纏ったような佇まいは崩れていない。
「水無瀬殿。朝早くから、お呼び立ていたしました」
「いえ」
実光は顔を上げ、御簾の内の気配をうかがった。
年が明けてから呼ばれるのは初めてだ。式目のことか、英国の件の後始末か、京からの文のことか。心当たりをいくつか頭に並べて、どれが来てもいいように構えていた。
「水無瀬殿に、少しお尋ねしたいことがございます」
「何なりと」
「一条家の姫君について、何かご存じではございませぬか」
実光はすぐには答えられなかった。並べておいた心当たりの、どれにも当たらない問いだった。
「……一条家の、姫君にござりますか」
「はい」
御簾の内の声は、いつもと変わらず落ち着いている。
実光は問いの意味を量ろうとした。一条家は近衛家と同じ五摂家の一つだ。その当主のことでも家の向きのことでもなく、姫君のことを姫様はお尋ねになっている。
頭のなかを探ると、江戸へ下る前、京にいたころに耳にした話がいくつか残っていた。公家の家々の噂は、御所の廊下や、どこそこの家の歌会の帰り道で、聞くつもりがなくても耳に入ってくる。実光はそういう話を聞き流さずに覚えておく質だった。
「手前が京におりましたころに耳にいたしました話ばかりにて、確かなことは申し上げられませぬが」
「構いませぬ」
「一条様には、姫君が幾人かおわします。そのうちのお一方は、たしか、姫様より一つお下にあらせられまする」
御簾の内で、かすかに衣擦れの音がした。
「一つ、下」
「はい。手前の覚えが違うておらねば」
「……そのお方は、どのようなお方と」
「和歌に秀でておられ、漢籍もお読みになるとか。そのように聞いてござります」
実光はそこで言葉を切った。それ以上のことは知らなかった。
一条家の奥の様子まで知る筋は、実光にはない。姫君の名も顔立ちも普段の過ごし方も、外の者に伝わってくることはまずない。知っているのは、外から聞こえてくる評判だけだった。
去年の夏、一橋殿のことを尋ねられたとき、実光は年齢と血筋と武芸とあだ名と好物を並べ、それはみな外から見た形だと姫様に言われた。その御方が何を恐れ、何を厭うておられるのか、どなたかご存じかと問われて、答えられなかった。
今度も、外から見た形しか申し上げていない。同じ問いが来るものと思って待った。
問いは来なかった。
「……そうでござりますか」
返ってきたのはそれだけで、そのあと、ひどく長い息を吐く音が聞こえた。
ため息だ。この姫君のため息は、これまでにも聞いたことがある。今朝のはそのどれよりも深く、長かった。
御簾の向こうを見ても、竹の細い隙間から姫様の輪郭がぼんやり見えるだけだ。その輪郭が、心なしか前へ傾いているように見えた。
「水無瀬殿」
「はい」
「ありがとう存じます。お尋ねしたかったのは、それだけでございます」
「……は」
頭を下げたまま、少しだけ待った。続きがあるのではないかと思ったのだ。しかし続きはなかった。
「では、これにて」
実光は、来たときと同じ足取りで廊下を戻っていった。
*
御簾の内で、糸子は文机に肘をついた。
(……いるんだ。この世界にも)
一条家の姫君で、糸子より一つ下。和歌に秀で、漢籍を読む。史実の美子と何もかもが重なっていた。
この一年余りで、糸子は多くのものを書き換えてきた。それでも手の届かないところでは、史実はそのまま流れている。一条家の奥では、史実の美子と同じ年に生まれた姫君が、史実の美子と同じように和歌を詠み、漢籍を読んで育っている。
もし糸子がこの御意をお受けすれば、その姫君が座るはずだった場所に、糸子が座ることになる。
(……いや、それはもう、最初から分かってたんだけど)
分かっていたことでも、実光の口から聞かされると重さがまるで違った。噂話の一言一言に、生きている人の手触りがあった。
会ったこともない姫君だ。顔も声も知らない。その人が、いまも京のどこかの屋敷で暮らしている。史実では、その姫が后になり、帝の隣に長く立っていた。
糸子がその場所に座れば、その人の行く道は変わる。どう変わるのかは、糸子にも分からない。
糸子はもう一度、深く息を吐いた。さっきのため息よりも、さらに深かった。
*
離れへ戻る渡り廊下の途中で、実光は足を止めた。
庭の池に張った薄氷が、朝の光をにぶく返している。
いま聞いたことを、頭のなかで並べ直す。一条家の姫君。姫様より一つ下。和歌と漢籍。それを聞いて、姫様はため息をつかれた。
なぜ一条家なのか。なぜ当主ではなく姫君なのか。なぜ、聞いたあとに何もお尋ねにならなかったのか。
姫様がこれまで描いてこられた絵図を、一つずつ思い返してみる。会所、語学所、式目、英国。そのどれにも、一条家の姫君が入り込む隙間は見当たらなかった。
姫様の問いには、いつも先がある。問いの先に、その問いを必要とする絵図がある。後になって知ることのほうが多かったが、問われた時点で輪郭くらいは掴めることもあった。
今朝の問いには、その輪郭がまるで見えない。
実光はもう一度、御殿のほうを振り返った。
訊けば答えは返らない。この数年で、実光はそれを心得た。訊かずにいれば、いずれ姫様のほうから絵図を広げてくださる。それも心得ている。
首を一つかしげて、実光はまた歩き出した。
十一
その夜も、糸子は文机の前に座った。
葵が火鉢の炭を替えていった。新しい炭が赤くなりはじめるのを、しばらく眺めていた。
文机には昨夜と同じく、まっさらな紙が一枚延べてある。その脇に父の書状を広げ、終わりのほうをもう一度読んだ。
返事は、そなたの腹が決まってからでよい。
(……腹、か)
父は、決まってからでよいと書いた。決めろとも、急げとも書いていない。それでも、いつかは決めなければならない。決めるのは糸子自身だ。
筆を執り、穂先に墨を含ませて紙の上へ持っていく。
父上、と書こうとして、筆が止まった。
穂先から墨が一滴、落ちそうになる。あわてて筆を引き、硯の縁で墨を払って、筆を置いた。
紙は白いままだった。
書状をたたんで文箱へ戻しかけ、手を止める。戻さずに、文机の端に置いた。明日の朝も、すぐに手の届くところにあるように。
糸子がその紙に最初の一字を書き入れるのは、それから幾日か後のことになる。
第二百二十二話 了
ようやく、新編「糸子のお嫁入り編」に入ることができました ヽ(゜∀゜)ノ♪
ここまで辿り着くまで、本当に長い道のりでした。調べ、悩み、構想を練り直しながら積み重ねてきた物語の先で、いよいよ糸子の新たな物語が始まります。
ただ……この編が最後にどこへ向かうのか。実は、作者自身もまだすべての答えを決めているわけではありません。
糸子がどんな未来へ進んでいくのか。その答えを探しながら、楽しんで書いていきたいと思います。
作者である自分自身も、これから先に何が待っているのかを楽しみにしています。そして何より、読者の皆様にも糸子の歩む道を一緒に楽しんでいただければ嬉しいです。
それでは――「糸子のお嫁入り編」。
最後まで、どうぞお付き合いください m(_ _)m




