第二百十二話「集まる俊英④――旅立ち後の集結」
※本作は第百四十八話「松陰の旅立ち――彼岸の風、北へ(後編)」直後の時系列にあたるお話です。
一
如月も押し詰まった朝である。
神田お玉が池の門は、いつもの刻限に開いた。下男の吉次が箒を使い、門前に夜のうちに溜まった落ち葉と砂埃を掃き寄せる。門の脇には、旭狼衛の若い隊士が一人、朝の冷えに肩をすくめて立っていた。
門の内側も、いつもと同じように見えた。
違うのは、廊下の突き当たりにある一間の障子が、朝から閉まったままになっていることだった。
吉田松陰が控えの間に使っていた部屋である。松陰がいたころ、この障子は朝から開け放されていた。寒かろうが風が入ろうが、松陰は閉めなかった。閉めると、生徒の声が聞こえなくなるからだと言っていた。
松屋善次郎は、その障子の前で足を止めた。
昨夕、中を片づけたのは善次郎である。片づけたといっても、ほとんど何も動かしていない。文机の上には、使いかけの筆が二本と、紙の束と、巻いたままの世界地図が残っている。地図は、松陰が板に描く前に必ず広げて見ていたものだった。
北の地図は、別に用意してある。こちらは、この部屋を見るための地図だった。
善次郎は、障子に手を掛けかけて、やめた。
開けても、中には誰もいない。
善次郎は、そのまま帳場へ向かった。机には、昨日の出入りを書いた帳面が開いたままになっている。一日の終わりに、誰が来て、誰が帰り、何が入って何が出たかを書く。善次郎はそれを、会所でも語学所でも、欠かしたことがなかった。
昨日の頁の最後には、一行だけ、自分の字でこう書いてあった。
『吉田先生御出立ののち、三日目。講目、平常通り』
その日は、なんらいつもと変わらない、語学所の日常だったからである。
*
松陰がこの門を出たのは、三日前の朝であった。
一行は、松陰を入れて十人であった。土方歳三が先頭に立ち、結城誠一郎が記録と連絡を受け持ち、東海道で松陰の命を狙ったのち弟子になった赤座源吾たち五人が、その前後を固めた。隊列の中ほどには、画帳を抱えた松浦松洞と、道の寸法を測る山県有朋がいた。一行は千住の大橋を渡り、奥州街道を北へ入っていった。
見送りに立ったのは、姫様と勝、近藤と沖田、それに侍女の二人だけだったと、善次郎は後から聞いた。人目を避けるため、生徒たちとは前の晩のうちに別れが済ませてあった。
発つ前の晩、講堂での別れの集まりが果てたあとで、松陰は善次郎を呼んで、一つだけ頼みごとをした。
「わしを訪ねて来る者があったら、代わりに、この所を見せてやってくだされ」
「吉田様。見せてよいものと見せてはならぬものがございますか」
「それは善次郎殿が決めてくだされ。わしが見せたいのは、帳面の中身ではない。ここで人が何をしておるか…ですからな」
松陰はそう言って笑った。
*
朝の教場は、静かだった。
大教場では、村田蔵六の講義がまだ始まっていない。生徒たちは各々の机で、昨日の続きをやっている。
算盤の珠の音がする。筆が紙の上を走る音がする。帳面をめくる音がする。どこかの机で、二人が小声で英語の一文を読み合わせていた。
松陰がいたころ、この刻限の教場には、もう一つ音があった。
廊下の向こうから、松陰の大きな声が響いてくる。朝の講が始まる前から、誰かを捕まえて話し込んでいるらしい。声を聞きつけた者が集まり、そこへまた口を挟む者が加わる。
朝の教場は、たいていそうして始まった。今朝は、それがない。
生徒たちは、いつもの刻限に門をくぐってきた。何人かが、廊下の突き当たりにある障子へ目を向ける。だが、それだけだった。立ち止まる者はいない。一人だけ、若い手代が障子の前で軽く頭を下げ、それから自分の机へ向かった。
四日前の晩、この者たちの多くは、灯り一つの講堂で松陰と別れを済ませている。発つ朝は、人目を避けるため、誰も見送りに出なかった。その翌日から、講目は一つも変わらずに続いた。変わらずに続いたことに、誰も驚かなかった。
吉次は、門前を掃き終えると、いつもの癖で廊下の奥へ耳を向けた。松陰がいたころは、それで今朝の先生の機嫌が分かった。声が大きければ、夜更けまで誰かと話し込んだ翌朝である。今朝は、何も聞こえてこない。吉次は箒を門の柱に立てかけ、茶の支度をしに台所へ回った。
ないぶん、残った音がよく聞こえた。
算盤の音は途切れなかった。筆の音も止まらなかった。前の列の、五つの机だけが空いている。赤座たちの席である。空いた席の隣の生徒は、そちらへ目をやることもなく、自分の帳面に向かっていた。
二
昼前に、大木民平が来た。
あの冬の晩から、大木はこの門を月に幾度かくぐっている。松陰が吉次に、佐賀の大木と土佐の乾は通してよい、と言い置いたからだった。
大木は教場の後ろに立ち、講義を聞き、夜の言い合いを見て、藩邸の長屋へ帰る。帰れば、見たことを佐賀の江藤へ書き送る。
その日も門をくぐった。だが、いつもと何かが違った。
「松屋殿」
廊下の角で行き合った善次郎に、大木は訊いた。
「今日は、吉田先生は」
「東北へ向かわれました。三日前に」
大木は、足を止めた。
「東北…ですか」
「はい。しばらくは、お戻りになりません」
善次郎は、それ以上は言わなかった。どこへ、何をしに、いつまで――と重ねることもできたが、大木は口を挟まなかった。
この所では、尋ねれば返ってくることと、そうでないことがある。このふた月ほどで、大木はその境目をいくらか覚えていた。
「……そうでしたか」
「先生から、訪ねて来られた方には所を見せるようにと言付かっております。大木様は、いつもどおりにどうぞ」
大木は、頭を下げた。
*
大木は、まず大教場の後ろに立って、村田の朝の講義を少しだけ聞いた。
村田は、いつも失敗から話を始める。今朝は、開港のころの金と銀の換え方の話だった。異国の銀貨を持ち込んだ者が、それを日本の金に換え、国の外へ持ち出すと、何倍にもなって帰ってきた。その勘定を、村田は板の上で一行ずつやってみせた。途中で手を止め、前の列の者に続きをやらせる。やらせた者が詰まると、次の者に回す。誰も答えられないと、村田は黙って自分で続きを書いた。
知らなければ、取られる。
村田はそうとは言わない。だが、板の勘定を見ていれば、誰にでもそう分かるようになっていた。
講義が終わると、大木は大教場の隣、実務の部屋へ移った。
算盤の部屋と生徒たちが呼んでいるところで、机が十ほど並んでいる。今日は七人が坐っていた。三人ずつの組が二つと、一人で帳面を睨んでいる者が一人。
大木は、壁際に立って、一人の組を見た。
手代風の若い男が、帳面の上に指を置いたまま動かない。帳面には、生糸の値と量が書いてある。模擬の商談で、自分が売り手、相手が異国の商館という設えらしい。
隣の組の一人が、首だけこちらへ向けて、小声で言った。
「その値では、向こうが買わぬのでは」
手代風の男は、顔を上げなかった。
「……では、ここを一割下げる」
「それではこちらが損をする」
「ならば、量を変える」
「量を減らせば、向こうは別の売り手へ行く」
「行かせればいい。別の売り手も、同じ値で売れぬなら戻ってくる」
「戻ってこなかったら」
手代風の男は、そこで算盤を弾いた。黙ったまま、帳面に何かを書き込んだ。
答えを教える者は、部屋の中にいなかった。善次郎は廊下の向こうで別の組を見ている。村田は大教場にいる。二人は、自分たちで出した問いを、自分たちで詰めている。
松陰がいたころ、この手の遣り取りは、夜の言い合いの場で大きな声になった。誰かが立ち上がり、誰かが言い返し、最後は松陰が笑って割って入る。
今日の遣り取りは、声が低い。少しも緩まなかった。
手代風の男が、算盤から手を離した。
「戻ってこなかったら、そのときは向こうがこちらより安い売り手を見つけたということだ。なら、その売り手の値を知ればいい」
「どうやって知る」
「向こうの手代に訊く」
「教えるものか」
「教えぬには、訳がある。訳があるなら、そこには値打ちがある」
隣の組の男は、しばらく黙っていたが、やがて自分の帳面の端に何か書きつけた。
「……その筋で、もう一遍、やり直そう」
「そうしよう」
二人は、帳面を最初の頁へ戻した。
大木は、その二人が、どちらも相手を言い負かそうとしていないことに気づいた。勝ち負けを競っているのではない。二人とも、同じ一つの値に、別々の道から近づこうとしている。
しばらくして、一人で帳面を睨んでいた若者が、帳面を抱えて立ち上がった。
廊下へ出て、突き当たりのほうへ歩いていく。大木は、その若者がどこへ行くのか、見るともなく目で追った。
若者は、閉まった障子の前で止まった。
帳面を胸に抱えたまま、しばらくそこに立っていた。障子に手は掛けなかった。やがて踵を返し、算盤の部屋へ戻ってくると、さっき言い合っていた二人の机の横に、黙って自分の帳面を置いた。
「ここが、分からん」
言い合っていた二人が、顔を上げた。大木には、その若者が廊下の奥へ向かった理由が分かった気がした。分からないところを、松陰に訊きに行ったのだろう。
三日前までなら、あの障子は開いていた。中の男も、帳面を持って来た者を見れば、誰彼となく捕まえて話し込んだ。
今日は、障子の向こうには誰もいない。若者は、訊く相手を、机の隣に見つけ直した。
*
隣の少教場からは、英語の読み合わせが聞こえていた。
大木は、戸口から少しだけ中を覗いた。今日は福沢諭吉が来ているらしい。背筋のまっすぐな男が、十人ほどの生徒を前に立っている。
福沢は一文を一人に読ませ、その者が間違えれば、次の生徒に直させる。直された者は黙ってもう一度読み、終えると、今度は自分が次の者の間違いを直した。
ここでも、声を張る者はいなかった。
昼過ぎ、村田蔵六が教場を見て回った。
村田は、どの机の前でも足を止めない。歩きながら横目で帳面を見て、見たら次へ行く。ときどき、一つの机の前でだけ半歩ゆっくりになる。そういう机の生徒は、村田が通り過ぎたあとで、決まって自分の帳面を初めから見直しはじめた。
算盤の部屋の入口で、一人の生徒が村田に声をかけた。
「先生がおられぬと、やはり静かでございますな」
先生、というのが誰のことかは、言わなくても分かった。
村田は、立ち止まりもしなかった。
「静かなほうが、考えはよく聞こえる」
それだけ言って、廊下の奥へ行った。
生徒は、少しのあいだ村田の背を見ていたが、やがて自分の机へ戻って算盤を引き寄せた。
大木は、大教場の前の列に目をやった。五つの机が、朝から空いたままになっている。冬に大木がここへ来たとき、その席には元浪人たちが坐っていた。松陰の講を最前列で聞き、手を挙げて問い、拙い字で最後まで書き留めていた者たちである。
その者たちも、北へ行ったのだと、大木は善次郎から聞いた。
空いた机の上には、何も置かれていない。誰かが片づけたのではなく、はじめから何も残さずに出ていったのだろう。
*
大木は、壁際から動かずにいた。
この二月、大木はこの所へ来るたび、松陰の話を聞いてきた。話のない日にも、その余熱のようなものが教場に残っている。大木は、この所の熱は松陰から生まれているのだと思っていた。
今日、その松陰がいない。
机の前の者たちは、昨日と同じことを昨日と同じようにやっている。講義は時刻どおりに始まり、算盤の部屋では商談の稽古が続き、英語の読み合わせは一文ずつ進んでいる。
松陰がいなくなって減ったのは、声だった。仕事は減っていない。
この所は、先生一人のための場所ではなかった。
大木は、今夜、江藤へ何と書き送るかを考えた。
江藤は冬の書状で、この所を国を作る学校かもしれんと書いてきた。大木は、人を作る学校だと返した。江藤からの次の書状には、松陰という男はどう答えた、と書いてあった。大木は、それにまだ返事をしていない。答えを聞けていなかったからである。
今夜は、書けることがある。先生がいなくても、ここは止まらなかった。
大木は、自分がこれまで見ていたものを、少し見違えていたと思った。人を作る場所だと、冬に大木は思った。それは今も変わらない。ただ、作っているのは松陰一人ではなかった。村田がいて、善次郎がいて、机を並べた者同士がいる。松陰は、その中の一人であった。
三
門の前に、若い男が一人立っていた。
昼を過ぎたころからである。吉次が気づいたときには、もうそこにいた。門の半分開いたところから、中を覗くでもなく、じっと立っている。
線の細い男だった。十八か十九に見える。着ているものは洗いざらしで、袴の裾が擦り切れていた。刀だけは手入れが行き届いている。目が細く、切れ長で、その目で門の内側を、端から端まで順に見ていた。
紀州の出で、名を伊達小次郎という。後に陸奥宗光と名乗ることになる。
子供のころに、父が藩の政争に敗れて失脚した。家は落ち、小次郎は十五で江戸へ出て、人の家に寄食しながら書物を読んできた。藩の後ろ盾はない。頼れるのは、自分の頭だけである。
小次郎がここへ来たのは、吉田松陰という男を見るためだった。
話は、去年の暮れから耳にしている。攘夷の人だった男が、異国を斬るなと言い、商いで国を強くせよと言っている。聞いた者の多くは、そこで感心するか、腹を立てるかのどちらかだった。
小次郎は、どちらもしなかった。
小次郎が気になったのは、言葉の正しさより、それを口にする男のほうだった。正しいことを言いながら、自分の得になる方へ人を連れていく者は、いくらでもいる。父を追い落とした者たちも、そうだった。
だから、話しかける前に、まず見る。
江戸へ出てから、小次郎は人に紹介されて何人かの学者の門を叩いた。どの門でも、最初に会うのは師その人だった。師が弟子を品定めし、弟子が師の言葉を聞く。それで話が決まる。
今日、小次郎は、門を叩く前に門の外で立つことにした。師の言葉を聞く前に、その師の周りに何があるかを見ておきたかった。
*
門の内側を、何人かが出入りした。
帳面を抱えた商家の手代らしい男が、急ぎ足で奥へ入っていった。そのすぐあとに、身なりのよい武家の子が、手ぶらで出てきた。二人は廊下ですれ違いざまに、何か短く言葉を交わした。武家の子のほうが、手代に頭を下げていた。
門の脇の隊士は、出入りする者の顔を一人ずつ見ていた。見るが、止めはしない。顔を覚えている者だけを通しているらしかった。
小次郎がしばらく立っていると、その隊士がこちらを見た。すぐには目を外さなかった。小次郎が門に近づく気配を見せないことを確かめてから、ようやく別のほうへ顔を向けた。
見張られている、と小次郎は思った。
不快ではなかった。見張る者がいるということは、見合う中身があるということである。中身のない塾なら、門番の年寄り一人で足りる。
小次郎は、もう少し待った。
そのあいだに、門の内側から声が一つ漏れてきた。一割下げる、という声だった。それに誰かが、損をする、と返した。声は低く、すぐにまた算盤の音に紛れた。
学問所の声ではない。商家の帳場の声に近い。ただ、商家の帳場で、あれほど若い声が値を言い合うことはない。
小次郎は、そこで門の前へ一歩出た。
箒を持った下男が、手を止めた。
「御用向きは」
「吉田松陰という御仁に、お目にかかりたい」
下男は、少し困った顔をした。
「先生は、三日前にお発ちになりました」
小次郎は、黙った。もう一度、門の内側へ目をやった。
「……そうか」
それだけ言って、踵を返しかけた。
「お待ちを」
下男が呼び止めた。
「先生から、お訪ねの方には所をお見せするようにと言付かっております。帳面と筆はこちらでお預かりしますが、中をご覧になりますか」
小次郎は、振り返った。
松陰という男は、自分がいなくなったあとで訪ねて来る者に、自分ではなく、この所を見せろと言い置いていった。
自分を見せたがる男なら、こうはしない。自分のいないところへ来た者は追い返し、次に来いと言う。次に会えば、自分の口で説けばよいからだ。
松陰は、そうしなかった。自分ではなく、この所に説かせようとしている。
それが何を意味するのか、小次郎にはまだ分からなかった。だから、見る値打ちがある。
「見せてもらおう」
*
大教場の後ろに立たされた。
板の前では村田蔵六が数を書いていた。小次郎は、しばらく村田を見て、それから机の並びへ目を移した。
武家の子がいる。商家の手代がいる。着ているものからして百姓の子らしい者もいる。その三つが、決まった順に並んでいるのではなかった。武家の子の隣に百姓の子がいて、その隣に手代がいる。
藩校なら、こうはならない。紀州の藩校も、小次郎の知るかぎり、上から順に席が決まっていた。
身分を問わない、というだけの話なら、私塾にはいくらもある。町の手習いには、武家の子も町人の子も通っている。
ここは、それとも違うように見えた。
席の並びに、決まりがないわけではない。ただ、その基準は身分ではなかった。小次郎が見ていると、村田が前の列の一人を指した。答えられないと、今度は二つ後ろを指す。百姓の子だったが、すぐに答えた。
しばらくして、今度は若い武家が指された。着物からして、どこかの藩の上士の子である。若い武家は答えたが、途中で数を一つ取り違えた。
「違います」
村田は、それだけ言った。叱りもしない。家名も呼ばない。
「どこが違うか、自分で見つけなされ。見つかるまで、座っておられよ」
若い武家は、顔を赤くして帳面に目を落とした。隣の百姓の子は、何も言わずに自分の帳面を少しずらし、若い武家から見えるところへ置いた。若い武家は、それを見ようとして、やめて、自分の帳面を初めからやり直しはじめた。
ここでは、家の名は何の役にも立たない。
入れる者を、何かで選んでいる。そのうえで、選んだ者同士を混ぜている。
「……この場所は」
小次郎は、声には出さずに考えた。
何を作ろうとしているのか。
*
講義が一区切りしたとき、小次郎のすぐ前の机の生徒が、手元の冊子を閉じた。
厚い冊子だった。表紙に何か書いてあるが、閉じた拍子に生徒の手がその上に乗って、字が隠れた。
「それは」
小次郎は訊いた。
生徒は、振り返って小次郎を見た。見知らぬ顔だと分かると、冊子を机の下へ入れた。
「……教範にございます」
それだけだった。何の教範なのか、誰が書いたのか、何巻あるのか。生徒はそれ以上言わず、前へ向き直った。
小次郎は、それ以上は訊かなかった。
見知らぬ者が冊子のことを訊いた途端に、それが机の下へ消えた。生徒が勝手にそうしたのではなく、そうするよう教えられているのだろう。帳面と筆を門で預けさせたのも、同じ理由である。
ここには、外から簡単には見られぬものがある。
小次郎は、門で下男に言われたことを思い出していた。先生は、所を見せるようにと言付けていた。
見せてよいものは見せる。そうでないものは見せない。その境目が、この所にははっきり引かれている。
線を引いたのは、吉田殿であろうか。
小次郎は、そうではないような気がした。
四
三岡八郎が江戸に着いたのは、去年の暮れである。
福井を出るとき、三岡は御用人に二つの用を申し立てた。江戸の金主に藩の御借財の口をいま一度当たることと、吉田松陰に会うことである。御用人が許したのは前のほうで、後のほうは勝手にせよと言われただけだった。
だから三岡は、前のほうから片づけた。
藩の用を済ませぬうちに自分の用へ回るのは、筋が違う。三岡はそう考える男だった。それに、金主との話がまとまらぬまま松陰に会って、値の付け方を問うたところで、自分の問いに身が入らない。
ところが、金主の話は長引いた。
江戸の金主は、書状で遣り取りしていたときよりも慎重だった。顔を合わせてみると、書状では通っていた話が、一つずつ蒸し返された。利息の段取り、返済の期日、担保にする物産の見立て。三岡は、年が明けても金主の店を順に回り、帳面を開いては閉じ、また開いた。
金主の一人は、三岡の帳面を最後まで見たうえで、福井の物産がどれほど売れるかの見込みが甘いと言った。見込みの甘い藩に、これ以上は貸せない、と。三岡は反論しなかった。甘いのは自分でも分かっていた。売れるかどうかは、向こうの値次第である。値を向こうが決めているかぎり、見込みはいつまでも甘くなる。
話がようやく一つにまとまったのは、如月の半ばを過ぎてからだった。まとまった中身を福井へ書き送り、返事の来る前に、三岡は神田へ向かった。
*
赤松小三郎も、似たようなものだった。
赤松が江戸に入ったのは、年が明けて早々である。役目は、和蘭渡りの小銃の品と値を確かめることだった。横浜の商館を回り、江戸の武具商を回り、同じ品の値が店によって二割も違うことを帳面に書き留めた。
同じ和蘭の小銃でも、横浜の商館では銀で値を言い、江戸の武具商では両で言う。銀と両の換え方が、店ごとにまた違う。赤松は、その換え方まで帳面に書いた。そして、分かったのは、安い店ほど換え方で取り返しているということだった。表に出ている値だけを比べていたら、高い買い物をするところだった。
書き留めたものを上田へ送った。藩の評議の返事を待たねばならない。上田の御用所は、急がない。三十日近く経って返事が来た。買うとも買わぬとも書いていなかった。もう少し値の下がる見込みはないか、とだけ書いてあった。
赤松は、その返事を読んで、いったん自分の役目に区切りをつけた。値が下がる見込みはない。それを書き送れば、あとは向こうが決めることである。
済んだら、神田へ回る。
上田を出るとき、そう決めていた。
*
その日の午後、神田お玉が池の門の前で、二人の男が行き合った。
一人は、帳面の写しを懐に入れた越前の男である。もう一人は、巻いた紙を荷の底に入れた信州の男である。二人とも、門の前で足を止め、門の内側から聞こえてくる算盤の音に耳を澄ませた。
三岡のほうが、先に口を開いた。
「吉田松陰殿は、どちらに」
箒を持った下男が、今日二度目の答えを返した。
「先生は、三日前にお発ちになりました」
三岡は、少しのあいだ動かなかった。
後ろで、赤松も同じ答えを聞いていた。
「……そうですか」
三岡は言った。
落胆しなかったといえば嘘になる。雪の中を福井から出てきて、ふた月、金主の店を回り、ようやく自分の用に手が届いたところで、会うはずの男がいない。
ただ、三岡は商いの勘定で動く男だった。会えなかったことを嘆いても、帳面は一行も進まない。ならば、会えぬ者に何ができるかを数えるほうが早い。
松陰はいない。だが、語学所は、ここにある。
「では、この所を見せていただけますかな」
下男は、少しほっとした顔をした。
「先生から、そのように言付かっております。帳面と筆はお預かりいたします」
三岡が懐の帳面を渡すのを、赤松は横で見ていた。
下男は、受け取った帳面と引き換えに、小さな木札を一枚渡した。札には番号が一つ書いてある。帰りにこれと引き換えに返す、ということらしい。帳面を預かるだけなら、札は要らない。誰が何を持ち込み、誰が何を持ち出したかを、ここではいちいち書き留めている。
「失礼ですが」
赤松が言った。
「貴殿も、吉田先生をお訪ねに」
「左様。越前の、三岡八郎と申します」
「信州上田の、赤松小三郎です」
名乗りながら、赤松の目は門の脇の隊士に向いていた。立ち方を見れば、剣の腕はだいたい分かる。重心が低く、門の内と外の両方へすぐ動ける立ち方だった。私塾の門番に、この立ち方をする者を置く者はいない。
二人は、門の前で互いの顔を見た。
「何をお聞きになるおつもりでした」
赤松が訊いた。
「値の付け方を」
三岡は、短く答えた。
「日ノ本の物産をまとめて異国へ売れと、あの御方が申されたと聞きました。まとめたとして、誰が値を付けるのか。それを伺いたかった」
「私は、兵站を」
「兵站とは」
「工場の数で戦が決まると、あの御方が申されたそうで。工場で作った弾を、誰が何疋の馬で何日かけて運ぶのか。そこまで数えて言っておられるのか、伺いたかった」
三岡は、赤松の顔を見直した。
値と、弾である。同じ男の話を聞いて、一人は値を訊きに来て、一人は弾を訊きに来た。
「……会えませんでしたな、二人とも」
「そうですな」
赤松は、門の内側へ目をやった。算盤の音が、途切れずに続いている。
「もう少し早う来ておれば…とお思いか」
三岡が訊いた。
「思わぬこともありません。ですが、藩の用を放って来ておったら、先生にお目にかかっても、自分の問いに身が入らなかったでしょう」
三岡は、少し笑った。
「手前も、同じことを考えておりました」
赤松は、荷を担ぎ直した。
「では、会えなかった者同士、見せてもらいましょう」
*
大教場の前の廊下を通るとき、赤松は、半分開いた戸の隙間から、板に書かれたものを見た。
講義は終わっていて、板の前には誰もいない。消されていない数が、板いっぱいに残っていた。
上に、荷の目方が書いてある。その下に、船一艘に積める目方。そこから、要る船の数が割り出されている。その横に、港ごとの掛かりが並んでいた。入港の費え、荷揚げの人足賃、蔵の借り賃。最後に、それを全部足した額を、荷の値で割った数が大きく書いてあった。
赤松は、足を止めた。
荷を運ぶのに、荷そのものの値のどれだけが消えるか、という勘定である。
赤松が上田で、百挺の銃の弾と米と馬の飼葉から出した勘定と、形がよく似ていた。赤松のほうは、何疋の馬が要るかで止まった。板の勘定は、要る船の数から、港の掛かりまで数えて、そのうえで、運ぶ値打ちがあるかどうかを出している。
「……兵を運ぶ話ではないのに」
赤松は、ほとんど声にならない声で言った。
「兵站と、同じところへ行き着く」
三岡が、振り返った。
「何か」
「いえ」
赤松は、板から目を離さなかった。
「これは、戦の勘定ではありません。商いの勘定です。ところが、並べ方が、私が兵のために並べたものと同じです」
三岡が、赤松の横に並んで板を見た。
「手前には、商いの勘定にしか見えませんな」
「そうでしょう。私には、兵の勘定にしか見えません」
赤松は、板の一番下の数を指した。
「荷の値のうち、運ぶのに消える割りです。これが大きければ、運ぶ値打ちがない。兵で言えば、遠くへ出した兵が、着くまでに食い潰す米の割りです。これが大きければ、出す値打ちがない」
三岡は、しばらく黙って板を見ていた。
「……運ぶ値打ちのない荷を、無理に運べば」
「商いなら損をする。兵なら負けます」
三岡は、それ以上は言わなかった。だが、懐の帳面を門で預けてきたことを、少しだけ惜しいと思った。
五
善次郎が、訪ねて来た者たちを順に案内した。
案内といっても、廊下を先に立って歩き、ここは何をする部屋かを一言ずつ言うだけである。部屋の中へは入れない。戸口の外か、壁際までである。
伊達小次郎が大教場から出てきて、その列に加わった。少し遅れて、神田孝平が門をくぐってきた。年が明けてから、神田はこの門を幾度かくぐっている。懐の『農商辨』は、まだ誰にも見せていない。
大木民平は、朝からいる。乾退助は、藩邸の用を済ませてから来ると、昨日のうちに吉次に言ってあったらしく、夕刻近くに姿を見せた。
六人は、この日まで互いの顔を知らなかった。
*
算盤の部屋の戸口で、三岡が足を止めた。
昼に大木が見ていた組が、まだ続けていた。生糸の値と量の遣り取りは、朝よりも込み入っている。
「量を増やせば、値が下がる場合がある」
一人が言っていた。
「場合がある、では足りぬ。どういう場合だ」
「買い手が一つしかないとき」
「買い手が三つあれば」
「三つが示し合わせていれば、一つと同じだ」
「示し合わせていると、どうして分かる」
「分からぬ。量を出す前に、まず向こうの蔵に何がどれだけあるかを知らねばならぬ」
三岡は、戸口の柱に手を掛けたまま、しばらく動かなかった。
福井で、三岡はそれを自分の帳面で見ている。在方を回り、前渡しの銭を回して、量を二割増やした年があった。ところが、値は下がった。なぜ下がったのか、そのときは掴めなかった。翌年、三岡は量を減らした。
ここでは、同じところでつまずいた者が、その理由まで掘り下げている。
「……同じところで躓く者がおる」
三岡は、それだけ言った。
善次郎が、何も言わずに次の部屋へ進んだ。三岡は、少し遅れてついていった。
*
赤松は、廊下の途中にある小部屋の前で止まった。
四人の生徒が、机に地図を広げていた。江戸から大坂までの海路である。風と季節と日数が、細かく書き込んである。一人が算盤を弾き、一人が荷の目方を読み上げ、一人がそれを船の数に直し、一人が遅れた場合の損を数えていた。
「冬の遠州灘を越えるなら、五日見ておけ」
「三日で抜けた船もある」
「抜けた船の話をするな。沈んだ船の数を先に数えろ」
赤松は、その声を聞いて、荷の底に入れた和田峠の紙を思い出した。峠は凍れば滑り、崩れれば止まる。そうなれば、後ろがつかえる。
弾を運ぶにも、生糸を運ぶにも、道が要り、日数が要り、途中で止まる恐れがある。兵学の書物には、そこが一行で済まされている。ここでは、そこから勘定が始まっている。
兵学の外に、兵站があるのではない。商いの中にも、兵站がある。
赤松は、そう考えながら、次の戸口へ歩いた。
*
神田孝平は、英語の読み合わせの部屋をしばらく覗いていたが、やがて帳面の部屋のほうへ目を移した。
英語を読む者がいる。その隣の部屋で、読んだものを帳面に落としている者がいる。異国の商館の値付けの書式を訳した者が、その書式で実際に帳面を付け、付けた帳面を別の者が検めている。
蕃書調所の近くで、神田はこの一年、洋書を読む者たちと付き合ってきた。あちらでは、異国の書物を読み、訳す。そして、上へ差し出され、何に使われるかは、その手を離れる。
ここでは違う。
読んだものが、その日のうちに帳面の書式になる。書式になったものが、値の勘定に使われる。
どちらが上ということはない。
「違うんやな」
神田は、隣にいた大木にともなく言った。
「読むところで止まるか、帳面まで落とすか。それだけの違いやけど、それだけで、何を数えるかが変わってくる」
大木が、神田を見た。
「数える、ですか」
「数えんことには、多いか少ないかが言えん。ここは、言えるようにしとる」
神田は、そこで善次郎のほうを向いた。
「松屋さん。ここで使うとる値や量の数は、どこから持ってきとるんや」
善次郎は、少し考えてから答えた。
「会所の帳面からでございます」
「その帳面は、誰でも見られるとか」
「会所で扱った荷の、入りと出と値を、日ごとに付けております。その写しの一部を、ここで稽古に使っております。異国の数は、また別のところから」
「別のところ…とは?」
「それは、申し上げかねます」
神田は、それ以上は訊かなかった。
胸の内で、一つ分かったことがあった。この国には、まとめた数の帳面がどこにもない。神田は去年、小網町の米問屋でそう聞かされた。
ここには、ある。少なくとも、一つの会所が扱った分だけは、日ごとに付けた帳面がある。
神田は、懐の『農商辨』の束に、着物の上からそっと手を当てた。
*
大木は、夕刻に始まった言い合いの輪の端で、一冊の帳を見ていた。
輪から少し離れた机で、生徒の一人が、言い合いの中身を書き留めている。誰が何を言い、誰がどう返したか。結論が出なかったところは、出なかったと書く。
大木は、善次郎に小声で訊いた。
「あれは」
「討論の書き留めでございます。後から入った者が、読めるように」
「後から入った者が」
「前の者たちが、どこで詰まったか。どこまで行って、どこで止まったか。それを読んでから、討論に入るのでございます」
大木は、帳を書いている生徒の手元を、もう一度見た。
冬に大木は、ここを人を作る場所だと思った。生徒が生徒に学問を渡しているから、学ぶ者の数が、師の数で決まらない。
それだけではなかった。
今日の言い合いは、今日の者だけのものではない。書き留められて、明日の者へ、来年の者へ渡っていく。一人の先生が十人を教えるのではない。十人が互いに学び、その学んだ跡が、次の十人の手に残る。
人を増やすというのは、こういうことかもしれない。
「松屋殿。あの書き留めは、外の者にも読ませるとですか」
「いいえ。生徒だけでございます」
「なぜ、外へは」
「外へ出れば、読んだ者は読んだところだけを持ち帰ります。言い合いに加わっておりませんから、どこで詰まったのかも分からぬ。そのまま使えば、また同じところで詰まります」
大木は頷いた。
そのとき、冬に江藤から受け取った書状を思い出した。原口から聞いた松陰の話を、江藤が書き写したものだった。書かれていたのは、その一部だけだった。途中で削られたところもある。ここでは、削られないように、外へ出さない。
大木は、それ以上は口に出さなかった。
*
乾退助は、案内の列の後ろのほうで、腕を組んで歩いていた。
海路の勘定を見て、乾は少し長く立ち止まった。帳面の書式を見て、また立ち止まった。
商談の稽古をしている部屋の前では、乾はさらに長く足を止めた。
一人が異国の商館の番頭役をし、もう一人が売り手を演じている。番頭役が値を言う。売り手は黙ったまま、その顔を見る。
先に口を開いたのは番頭役だった。少しだけ、値を上げた。
乾は、それを見て眉を上げた。
「黙っただけで、値が上がったがか」
「黙るのも、手のうちでございます」
善次郎が答えた。
「刀を抜かぬ喧嘩のようなもんじゃのう」
「左様かもしれません」
「面白い」
乾は言った。
「面白いが、土佐で本当に使えるかどうかじゃ」
善次郎が振り返った。
「と、申されますと」
「ここの者は、算盤ができる。英語も読める。帳面も付けられる。じゃが、土佐の勘定方はそうはいかん。藩の帳面は、決まった付け方でしか付けん。変えよと言うただけで、それだけで一年は揉める」
乾は、帳面の部屋の机を顎で示した。
「ここで学んだ者が、国へ帰って、この書式で帳面を付けたとする。国の勘定方が、それを読めるか。読めんかったら、どれだけ上手に付けても、ただの反故じゃ」
善次郎は、答えなかった。少しだけ頷いた。
乾は、自分の言葉を取り消すつもりはなかった。
値を調べているのは、藩が買うためである。決めるのは藩だ。
その藩が読めぬ勘定をいくら上手に出しても、実際に増えるものは何もない。
*
伊達小次郎は、授業の中身を、ほとんど見ていなかった。
小次郎が見ていたのは、人である。
板の前に立つ村田は、藩の学者ではない。長州の出だと聞いたが、長州のためだけに教えているようにも見えない。帳面を教える善次郎は商人で、武家の子がその前で頭を下げている。
門の脇には、剣の立ちそうな隊士が立っている。だが、この所を守っているのも藩の者ではない。
身分も出も違う者が、ここでは同じ場所にいる。
生徒は、武家と商家と百姓が混じっている。だが、誰でも入れるわけではない。紹介がなければ門で断られる。入ってからは、帳面を外へ持ち出すことも、冊子を見知らぬ者に見せることもしない。
教える者、学ぶ者、守る者、銭を出す者。
そのどれもが、どこか一つの藩にも、公儀にも収まらない。それぞれが別のところから来ていて、それぞれが、この所の中で、はっきり決まった役を持っている。
小次郎は、門で下男に渡された木札のことを思い出した。預けたものに番号を付けて、誰が何を持ち込み、何を持ち出したかを書き留めている。商家の蔵の出し入れと同じやり方だった。
学問所に、蔵の決まりが入っている。
人を選び、役を割り振り、線を引いた者がいる。
小次郎は、廊下の真ん中で立ち止まった。
「……これを、誰が」
前を歩いていた善次郎が、その声に少しだけ歩みを緩めた。振り返りはしなかった。
六
日が落ちかけたころ、善次郎は六人を帳場の奥の一間へ通した。
茶が出た。火鉢に炭が足された。案内の途中で互いに名乗り合っていた六人は、この部屋で初めて、ひとところに腰を下ろした。
越前の三岡。信州の赤松。美濃の出で、いまは江戸に寓している神田。佐賀の大木。土佐の乾。紀州の伊達。
伊達は、名乗るときに藩の名を言わなかった。紀州の者です、とだけ言った。どこの誰の用で来たのかと三岡が訊くと、誰の用でもありません、と答えた。自分の用です、と。三岡はそれ以上訊かなかった。
出も、年も、身分も、ばらばらだった。赤松と神田と大木が三十を少し越え、三岡がそれより一つ二つ上で、乾は二十代の半ば、伊達がいちばん若い。乾は藩の役を持ち、大木は藩の命で遊学している。三岡と赤松は藩の用で江戸に来て、神田と伊達は、どこの藩の用も背負っていない。
共通しているのは、一つだけだった。
六人とも、吉田松陰に会いに、あるいは松陰の話を確かめに、この門をくぐった。
「松屋殿」
口を開いたのは、三岡だった。
「一つ、伺ってよろしいか」
「何なりと」
「手前は、ここを吉田先生の学び舎だと思って参りました。福井で聞いた話では、そういうことになっておりました」
「はい」
「ところが、先生がおられぬのに、ここは何一つ止まっておらぬ。講義は刻限どおりに始まり、商談の稽古も、帳面の検めも、言い合いも続いておる」
善次郎は、茶碗を置いた。
「先生は、ここの講師のお一人でございます」
「お一人…?」
「はい。ここの頭は、村田先生でございます。講目を組み、教範を編み、講義を受け持っておられます。英語と異国の制度は、福沢先生が教えておられます。帳面と決済は、手前が見ております。所の守りは、旭狼衛の方々にお願いしております」
「では、吉田先生は」
「なぜ学ぶのか…を教えておられました」
善次郎は、言葉を選ぶように少し間を置いた。
「算盤も、英語も、帳面も、それだけでは道具でございます。道具を何のために使うのか。誰と向き合うために使うのか。それを先生は、講でお話しになっておりました」
赤松が、そこで口を挟んだ。
「先生がおられずとも、道具のほうは回っておる」
「回るように、はじめから組んでございます」
善次郎は、隠さずに言った。
「どなたか一人がおられなくなって止まるような所では、困りますので」
「守りの者は」
乾が訊いた。門の脇の隊士のことである。
「旭狼衛の方々でございます。所の守りと、生徒の体と心の鍛錬をお願いしております」
「体の鍛錬もするがか」
「算盤ばかりでは、人は痩せますので」
乾は、そこで初めて少し笑った。
*
部屋が、少し静かになった。
大木は、昼に自分が考えたことを、善次郎の口から聞き直した気がした。この所は、先生一人のための場所ではなかった。そう思ったのは、大木の見立てだった。いま善次郎は、それをはじめからそう組んだと言った。
組んだ者がいる、ということである。
神田が、湯呑みを両手で包んだまま言った。
「松屋さん。ここは、公儀とはどういう間柄なんや」
善次郎は、神田を見た。
「蕃書調所がすぐそこにある。あっちは公儀の学問所や。こっちは、あっちに似せて、ようある洋学の私塾に見えるようにしとる。門構えを見れば分かる。表札もない」
「はい」
「私塾なら、公儀が睨めば、それで終わりや。これだけ人を集めて、これだけのことを教えとったら、いずれ睨まれる。そのときに、何か後ろ盾があるんか」
乾が、そこで身じろぎをした。留守居役として、乾もそれを考えていたのだろう。長州の学者の塾に、土佐の留守居が出入りする。そのことを、藩邸の古参に咎められたばかりだった。
善次郎は、しばらく黙っていた。
それから、背筋を伸ばした。
「この所は、天朝物産会所の属する学舎でございます」
乾が、身を乗り出した。
「横浜にも店を出して、異国相手に物産を扱うておるという、あの会所か」
「左様にございます」
「その会所の属する……」
「はい。そして会所は、主上様より、直々に綸旨を賜っております」
部屋の空気が、変わった。
三岡は、茶碗を持ち上げかけて、止めた。赤松は、膝の上の手を組み直した。神田は、湯呑みを火鉢の縁に置いた。大木は、善次郎の顔を見たまま動かなかった。
乾だけが、低く息を吐いた。
「……綸旨」
綸旨は、主上の御意を、蔵人が奉じて出す書状である。私塾の看板ではない。藩の許しでもない。
「では、ここは…」
伊達小次郎が、初めて口を開いた。
「公儀の目の前で、朝廷の名を背負って、人を育てておるということですか」
善次郎は、否とも応とも言わなかった。
それが、答えになっていた。
*
赤松が、そこで腕を組んだ。
「会所が綸旨を賜ったのは、商いのためでしょう。物産を扱うための綸旨だ。その会所が、学び舎を持っておる」
「はい」
「商いの会所が、なんで人を育てるんや?」
善次郎は、赤松のほうへ向き直った。
「商いは、人がいたしますので」
それだけだった。
赤松は、しばらく善次郎を見ていたが、やがて小さく頷いた。弾は、人が運ぶ。どれだけ船があっても、船を動かす者がいなければ、荷は港から一歩も出ない。赤松がこのふた月、横浜の商館を回りながら思い知らされたのも、同じことだった。
三岡は、別のところで引っかかっていた。
天朝物産会所の名は、福井にも届いていた。朝廷の名を掲げて諸国の物産を集め、横浜にも店を出して異国の商人と取引をしている会所がある、という話である。三岡は、その話を聞いたとき、誰がそんな仕組みをまとめたのかと思った。しかし、確かめる手立てがなかった。
その会所が、ここにつながっている。
吉田松陰が、全国を回って、日ノ本でまとめて売れと説いた。その同じ方向へ、会所はすでに動いている。そしてその会所が、江戸で人を育てている。
三岡が松陰に訊きに来た、値の付け方の答えの一つが、松陰の留守のあいだに、目の前に置かれていた。
七
「では」
三岡が、湯呑みを置いた。
「この学舎をお作りになったんは、どなたさんでございましょうか?」
善次郎は、すぐには答えなかった。
これは、誰にでも話すことではない。善次郎はそれを承知している。だからこそ、答える前に、目の前の六人の顔を一人ずつ見た。
松陰を訪ねて来た者たちである。松陰は、この者たちに所を見せろと言い置いていった。見せるのは、誰が作った場所かではない。ここで、人が何をしているかである。
「朝廷のお力添えを賜り、成り立っております」
善次郎は、そう答えた。
それで話が終わるはずだった。
「朝廷が、江戸に、このような所を?」
伊達が、言った。
「左様にございます」
「では、朝廷のどなたが」
善次郎は、黙った。
火鉢の炭が、小さく爆ぜた。
伊達は、急かさなかった。ただ善次郎の顔を見て、答えが返るまで待っていた。
善次郎は、やがて言った。
「この所の御用向きを差配しておられるのは、朝廷より江戸へ下られておる、御使者様にございます」
乾が、眉を寄せた。
「朝廷の御使者が、江戸に?」
「はい」
「どなたじゃ」
善次郎は、少しのあいだ、手元の帳面の角を指で揃えていた。
それから、顔を上げた。
「……近衛様でございます」
*
三岡の手が、膝の上で止まった。
赤松が、顔を上げた。
大木は、一瞬、言葉を失ったように黙った。
「……近衛」
乾が、口の中で言った。
「近衛家の……五摂家筆頭の、あの近衛様か」
神田が、確かめるように言った。
善次郎は、頷きもしなかった。首を振りもしなかった。
伊達だけは、何も言わなかった。黙ったまま、善次郎の顔と、部屋の障子と、その向こうの教場のほうとを、順に見ていた。
*
「……聞いたことがある」
しばらくして、乾が言った。
「藩邸の古参が話しよった。ハリスとの談判の席に、朝廷の御方が出られたそうながよ。そうして、談判をまとめられたと」
「談判を?」
三岡が訊き返した。
「異人を相手にか?」
「そう聞いた。噂やき、当てにはならん」
乾は、そこで少し言い淀んだ。
「詳しい話は知らんちや。小耳に挟んだだけながよ」
誰も、口を開かなかった。
今日一日で見てきたものが多すぎた。
松陰は、日ノ本じゅうを回って、同じ話を説いている。
この所では、その話を算盤と帳面と英語と海路の勘定に落として教えている。所の後ろには天朝物産会所がある。綸旨を賜った会所で、横浜では異国の商人と向き合っている。
そして、その一連の働きを、江戸の公儀の目の前で、朝廷から下った御使者が差配している。
その御使者は、五摂家筆頭の近衛家の者であり、ハリスとの談判にも出ている。
六人のそれぞれが、それぞれの持っていた点を、一本の線につなぎ直していた。
「それほどの御方が、なぜ江戸に」
大木が、ぽつりと言った。
答える者はいなかった。善次郎も答えなかった。
伊達が、そこで初めて、少しだけ口元を緩めた。
「松陰先生を見に来たはずが――」
一拍、置いた。
「その背後に、もっと妙な御方がおったわけですか」
善次郎は、何も言わなかった。
伊達は、それ以上の評はしなかった。会ったこともない御方を、噂だけで量るつもりはなかった。もし量るなら、会ってからである。
*
六人が門を出たのは、日がすっかり暮れてからだった。
善次郎は、見送ったあとで大教場を覗いた。
講義はとうに終わっている。板には、昼の荷の勘定がまだ消されずに残っていた。机には算盤が置かれたままで、居残った生徒が三人、灯を一つだけ点して、黙って帳面に向かっている。前の列の、五つの机は空いたままだった。
松陰の声は、ない。
善次郎は、帳場へ戻って帳面を開いた。
今日の出入りを書く頁の余白に、六つの名を書いた。三岡八郎、赤松小三郎、神田孝平、大木民平、乾退助、伊達小次郎。それぞれの名の下に、国と、訪ねてきた用向きを一行ずつ添えた。
書き終えて、少し考えた。
それから、その頁の端に、小さく書き足した。
『姫様へ』
第二百十二話 了
【人物解説】カミソリと呼ばれた男――陸奥宗光
幕末から明治にかけての人物を調べていると、ときどき「この人の人生は、少し出来すぎているな」と思う人物に出会います。
陸奥宗光は、まさにそんな男です。
一八四四年、紀州藩士・伊達宗広の子として生まれました。
ところが、父の失脚で家は没落。若くして故郷を離れ、江戸へ出ます。
そこで学問を身につけ、勝海舟の周辺に出入りするようになり、やがて坂本龍馬と出会う。
龍馬のもとで亀山社中、そして海援隊に加わった陸奥は、単なる「龍馬の弟分」ではありませんでした。
商売ができる。
交渉もできる。
何より頭が切れる。
龍馬の書簡にも、商取引を陸奥に任せていることが分かる記述が残っています。
この時期の陸奥を見ると、後年の「外交の天才」という肩書きが、突然現れたものではないことが分かります。
そして龍馬が暗殺される。
陸奥は紀州藩士・三浦休太郎を龍馬暗殺への関与を疑って襲撃しました。いわゆる天満屋事件です。
冷静な外交官という後年の姿からは想像しにくいかもしれません。
しかし、若き陸奥は、仲間を殺されれば怒り、行動に出る男でもあった。
この熱さを持った男が、やがて日本外交の最前線に立つことになります。
維新後、陸奥は新政府に入り、兵庫県知事、神奈川県令、大蔵省租税頭などを務めました。
ところが、ここでも順風満帆とはいきません。
一八七八年、政府転覆計画への関与を問われ、禁獄五年の刑を受けます。
政治家としては、完全な失敗です。
普通なら、ここで終わってもおかしくない。
ところが陸奥は、牢獄で終わらなかった。
五年間、法律や政治、経済を学び続けました。
出獄後には欧米へ渡り、実際の政治や外交を自分の目で見ています。
失った五年間を取り戻そうとした、というより、その五年間を使って自分自身を作り直したと考えたほうが、この人には似合っている気がします。
帰国後は外交の道へ進み、駐米公使、農商務大臣などを経て、第二次伊藤博文内閣の外務大臣となりました。
ここから、陸奥宗光の名前は日本外交の歴史に刻まれていきます。
まず、条約改正。
幕末以来、日本には外国人に対する領事裁判権が認められ、関税にも大きな制約がありました。
一八九四年、陸奥が外務大臣を務めていたとき、日英通商航海条約が調印されます。
領事裁判権の撤廃。
関税自主権の一部回復。
相手はイギリスです。
幕末以来、日本が背負ってきた不平等な条約関係を、大きく動かした外交でした。
そして、その年には日清戦争が始まります。
陸奥は外務大臣として外交を指揮し、講和交渉にも深く関わりました。
一八九五年の下関条約では、日本に有利な条件を引き出す。
ところが、そこで終わらない。
ロシア、フランス、ドイツによる三国干渉です。
遼東半島の返還を迫られ、日本政府は最終的に勧告を受け入れました。
戦争には勝った。
それなのに、勝ち取ったものを手放さなければならない。
国内から「弱腰外交」と批判されることも当然でした。
けれど、当時の日本に三大列強と正面から戦う力があったわけではない。
ここで必要だったのは、世間に格好よく見える判断ではなく、その先まで日本を残すための判断でした。
陸奥が後に残した『蹇蹇録』を読むと、その外交が決して華やかなものではなかったことが分かります。
そこにあるのは、勝った、負けたという単純な話ではない。
何を取るのか。
何を捨てるのか。
どこまでなら譲れるのか。
その一つ一つを計算しながら、国家の進路を決めていく仕事です。
だから「カミソリ大臣」と呼ばれたのでしょう。
頭の回転が速い。
相手の利害を読む。
必要なものと、そうでないものを切り分ける。
そして、感情だけでは決められないところで決断する。
ただ、陸奥を「冷徹な天才外交官」とだけ考えると、少し違う気がします。
若い頃には龍馬を慕い、仲間の死に激昂した。
政治に敗れれば牢獄に入り、それでもそこで学び続けた。
出獄後には海外へ出て、自分の目で世界を見た。
そして最後には、日本の外交を背負うところまで登りつめた。
一八九七年、五十三歳で死去。
決して長い人生ではありません。
それでも、その五十三年の中に、幕末の志士、政治犯、囚人、官僚、外交官、そして外務大臣という、いくつもの人生が詰まっています。
陸奥宗光という男の凄さは、最初からすべてを見通していたことではないのでしょう。
失敗すれば学び直す。
失ったものがあれば、別の武器を身につける。
そして、最後に残された選択肢の中から、国にとって必要なものを選ぶ。
「カミソリ」という呼び名の奥にいたのは、冷たい男ではない。何度転んでも、次の一手を考えることをやめなかった男だった。
そこに私は、陸奥宗光という人物の本当の凄みを感じます。




