第二百十一話「集まる俊英③――国をどう変えるか」
一
師走に入ってから、吉田松陰の話はさらに遠くまで届いていた。
ただし、届いた先で同じ話になっているとはかぎらない。
大坂の干鰯問屋の番頭は、松陰という学者がメリケンの戦を数で語ったと覚えている。数は覚えていない。工場という言葉と、四年という年数だけが残っていた。
備前から上ってきた浪人は、異国と戦う前に日本人同士が戦わぬ手立てを考えよ、と言ったのだと聞いている。浪人は、それを刀を抜くなという意味に取った。そのうえで、抜かずにどうするのかと三日考え、まだ答えを持っていない。
京の寺に寄宿している若い志士は、刀より算盤を持て、と言ったらしいと仲間に話した。仲間は笑った。話した本人は笑わなかった。
尾張の宿場では、継立の馬を待つ飛脚が、異国の戦は兵の数ではなく蔵の中身で決まるそうだと話していた。聞いていた馬子は、蔵の中身という言葉だけを覚えて、その晩、自分の家の米櫃を覗いた。
そして誰かが、海の国になれ、と言っていたと伝えた。
講の座敷で筆を走らせていた者もいたが、書き留めたものが外へ出ることは少なかった。筆を執った者ほど、それを大事にしまい込んだからである。
話が一番速く動いたのは、学者の手紙ではなく、商人の荷であった。上方から下る荷船に乗り、宿場の問屋で継ぎ替えられ、湊の蔵で荷を解く者の耳に入る。荷に乗った話は、荷の行く先まで届いた。
品川の船宿で、二人の客がこの話で言い争いになったことがある。
一人は大坂から下ってきた油の仲買で、松陰は商いの話をしたのだと言った。異国の商人にまとめて当たれ、値はこちらで決めろ、という話だったと。もう一人は、京から戻ってきた御家人の次男で、あれは戦の話だと言い張った。日本人同士が戦えば異国が得をする、だから内輪で争うなという話だったと。
二人とも、自分の聞いた話のほうが本筋だと譲らなかった。船宿の女将が間に入って、どっちも同じ御方が言うたんでしょうと言うと、二人とも黙った。そのあとで、仲買のほうが、それなら御方は両方を言うたのかと首をひねった。御家人の次男は、両方を言う学者がどこにおると笑った。
どの話も、嘘ではない。どれも、松陰が言ったことの一部である。
全部を聞いた者はいなかった。講の座敷にいた者でさえ、帰り道で覚えていたのは、自分の身に引っかかったところだけである。そこから先は、人の口を渡るたびに、渡した者の関心の形に削られていった。
商いをする者は商いの話として持ち帰り、刀を差す者は刀の話として持ち帰った。
その話をさらに自分の手で掘り返しはじめた者もいた。
二
佐賀の冬は、脊振から吹き下ろす風が冷たい。
江藤新平の住まいは、城下の外れにある。手明鑓という低い家格の家で、屋根は低く、壁は薄い。風が強い晩は、障子の紙が内側へふくらんで、行灯の火が横へ流れた。
家は貧しかった。手明鑓の禄では、書物を買う銭が出ない。江藤が読む本の多くは、人から借りたものだった。返す前に要るところを書き写す。そうして溜まった紙が、文机のまわりに積もっている。
江藤は、文机の前から動かずにいた。
机の上には、書付が散らばっている。書き上げたものも、途中で丸めたものも混じり、どれがどれかは本人にしか分からない。その下に、角の擦り切れた古い綴りが一冊、敷かれていた。
六年前、二十三のときに書いたものである。
異国と交わらずに国を保つことはできない。交わるなら、こちらから海へ出て、向こうのやり方を知り、そのうえで富を作らねばならない。当時の江藤は、手元にある書物と噂を寄せ集めて、そう書いた。
書けば、何かが動くと思っていた。しかし、何も動かなかった。
読んだ者はいた。面白いと言った者もいた。だが、誰も動かなかった。
枝吉神陽の集まりでも、この綴りの話をしたことがある。神陽のまわりには、大隈八太郎がいて、大木民平がいて、神陽の弟の副島次郎がいた。皆、頭が回った。江藤の書いたことを、皆が分かった。
そのうえで、皆、翌朝にはそれぞれの勤めに出ていった。
分かる者がいても、それを動かす手立てがない。江藤は、書いたものを読まれるたび、そのことを思い知らされてきた。
今夜、江藤はその綴りを久しぶりに開いていた。開いて、最初から読み直していた。
六年前の自分は、異国のことをよく調べている。船の数、商いの品、清国の負け方。いま読んでも、大筋は外れていない。
ただ、どこを読んでも、誰がそれをやるのかが書いていなかった。
異国と交われ、とある。だが、誰が交わるのか。富を作れ、ともある。誰が作り、誰が預かるのか。六年前の自分は、そこまで書かなかった。書けなかったのではない。そこまで仕組みにしても、この藩では動かせないと、どこかで分かっていたのだ。
*
この日の昼、江藤は藩の役所で一度、声を荒らげている。
下役の手当を調べていて、帳面の付け方が去年から変わっていないことに気づいた。そのせいで、同じ仕事をしている者のあいだに、二割近い差がついている。
江藤は、それを上役に申し出た。
上役は、帳面を見て、うなずいた。
「おぬしの言うことちゃ、分かる」
「なば、直してむらえんですか」
「直すにゃ、組頭の判の要る。組頭の判を押すにゃ、その上の了解の要る。その上は、いま長崎の御用で手がふさがっとらす」
「なば、いつになりますとか」
「年が明けてからじゃろうて」
「年が明けたら、直りますとか」
上役は、少し困った顔をした。
「……それが藩ちゅうもんじゃ」
江藤は、そこで声を荒らげた。
「そいでお国が保つと思うとらすですか!」
上役は、何も言わなかった。そのまま帳面を閉じる。周りにいた者が、江藤の袖を引いた。
引かれた袖を、江藤は振り払わなかった。振り払えば、次はこの者たちが上役に叱られる。自分が正しくても、隣の者が割を食う。それも、江藤はこの数年で覚えた。
江藤は、それ以上は言わずに役所を出た。
*
帰り道で頭が冷えてから、江藤は自分の苛立ちの出どころを考えていた。
上役が怠けているわけではない。組頭も、その上も、それぞれ決められた手順を踏んでいる。誰も悪いことはしていない。それでも、帳面の数字だけが、同じ仕事をする者のあいだに差を残していた。
誰も悪いことをしていないのに、正しいことが止まる。
止めているのは、人ではない。人の並び方である。誰の判を取り、誰の了解を待つのか。その順が、良いことをしようとする者を、端から一人ずつ止めていく。
江藤が腹を立てているのは、そこだった。
*
夕刻、原口市助が顔を出した。
この秋から長崎の警固に出ていて、先月戻ってきた男である。江藤とは、枝吉先生の集まりで幾度か顔を合わせている。
「江藤さん。大隈さんの、江戸へ出らすげなですよ」
「八太郎が」
「蘭学寮の頭取に掛け合うて、春までならち許しが出たげな。いま、寮の割り振りを組み直しておらすです」
「何をしに行くと?」
「吉田松陰ちゅう御方の学び舎ば、見に行くとち」
江藤は、少し黙った。
大隈は、蘭学寮で教える立場にある。教え方を見に行くと言えば、頭取にも判を押す理由がある。理由が立てば、許しも出る。
江藤には、その理由がない。それを羨むより先に、いかにもあの男らしいと思った。大隈は、通る道を先に探してから歩き出す。江藤は、歩き出してから、道がないことに気づく。
江藤は、筆を置いた。
「吉田松陰」
「知っとんさったですか?」
「名んだけは」
長州の学者である。江藤が知っているのは、それだけだった。
「長崎で、その御方の話ば聞いてきました。大隈さんには、そいば伝えたとです。江藤さんにも、と思うて」
原口は、火鉢のそばに坐った。
江藤の家に火鉢は一つしかない。原口は遠慮して端に寄り、江藤は構わず真ん中に手をかざした。そういう間柄である。
話は、長かった。
メリケンの戦のこと。北南の人の数、工場、鉄と鉄の道、四年という見立て。攘夷とは異人を斬ることではない、という話。学問だけでは国は富まぬ……という話。
江藤は、そこまでは黙って聞いていた。そして、少し拍子抜けしていた。
異国を知らずして攘夷を語るな、という話なら、六年前に自分が書いている。工場と鉄の話も、蘭書を読んでいる者なら、いずれ行き当たる。
「それで」
江藤は言った。
「その先は」
「先、ち言いますと……」
「異国ば知る。富ば作る。そこまでは、分かる。分かる者の、この佐賀にも何人もおっ。その御方は、その先に何ば言うたな」
原口は、少し考えた。
「……日本人同士の戦の話ば、しとらしたげなです」
江藤は、火鉢の縁から手を上げなかった。
「幕府と諸藩の揉めて戦になったら、異国は止めに入らんとです。両方に付っ。幕府に一国、諸藩に一国。両方に船と銃ば売っとです。長引けば長引くほど売るっ。勝ったほうにゃ、後ろ盾への借りの残っ。銭の借りと、恩の借りと。清国がそうなった、ち……」
江藤は、火鉢の縁に手を置いた。
置いたまま、しばらく動かなかった。
その話は、昔の自分の綴りには入っていない。
異国と交わるべきだとは書いた。富を作るべきだとも書いた。異国に勝つにはどうするか、ということは、あのころの江藤なりに考えた。
異国に使われる、ということは考えていなかった。
「幕府と諸藩が割れる。双方に異国が付き、そこから銃を買う。銭が足りなければ借りる。借りれば恩ができ、その恩が、やがて向こうの言うことを断れぬ理由になる」
「港をどこに開くか、何をいくらで売るか。そういうことまで、借りた相手の顔色を見て決めるようになる」
銭を借りれば恩ができ、恩がやがて断れぬ理由になる。江藤は、今日の昼の苛立ちと、いま聞いた話が同じ線の上にあると悟った。
「……原口」
「はい」
「その御方は、富ば蓄えろち言うたとな」
「さようです」
「蓄えた富ば、誰の扱うと言われた。異国と約定ば結ぶとき、誰の名で結ぶ。破られたとき、誰が責めば負う。……そこは言われたとな」
「……そこまでは、聞いておりまっせん」
「そうか」
江藤は、原口の顔を見ずに言った。
「その御方は、国ば富ませろち言う。そいは分かる。……ばってん、富ば入れる器の話のなか」
原口は、少しむっとした顔をした。
「松陰先生も、そこまで考えとらすかもしれんですばい。俺の聞いたとは又聞きですけん、抜けとるところもあるでしょう」
「かもしれん」
「なば、器の話のなかちいうとは、言い過ぎじゃなかですか」
「言い過ぎやなか」
江藤の声が、少し強くなった。
「考えとるなら、真っ先に言わんばならんことたい。富ば蓄えろと言うなら、その富ば誰の預かるかまで言わんと、皆、自分の藩の蔵に入れることしか考えん。佐賀は佐賀の蔵に、長州は長州の蔵に入っ。そうなれば、蔵同士がいずれ睨み合うっ。そいは、その御本人の一番嫌うとる話でしょうもん」
原口は、黙った。
江藤は、言い過ぎたとは思わなかった。ただ、声を落とした。
「……会うたこともなか人を責めても仕方なか。聞くほかなかたい」
*
原口は、しばらく言葉を探していた。
それから、思い出したように付け加えた。
「そういえば、その御方は江戸で学び舎ば持っとらすげなです。大隈さんの見に行くちいうとも、そこですばい」
「学び舎ちいうとは……」
「商務語学所ちいう名で。異国の言葉と、算勘と、商いの仕組みば教えるちいう。身分は問わんげなで、言い合いもたいそう活発げなです」
江藤が、顔を上げた。
「言い合う、ちいうとは……」
「議論ですばい。先生にも何ば訊いてもよかとです。訊いた者の、逆に訊き返されるちいうとも」
江藤は、それを聞いて、しばらく黙っていた。
今日の昼、自分は上役に問いを出した。上役は答えず、帳面を閉じた。
原口の言う学び舎では、問いを出せば答えが返るという。それどころか、問い返される。
「江戸へ行からすですか」
原口が訊いた。大隈の話をしたあとだから、その流れで訊いたのであろう。
江藤は、首を振った。
「いま藩を捨てるつもりはなか」
「捨つる、ちいうまでは……」
「八太郎は許しば取った。俺にゃ、取る理由のなか。手明鑓の者の、学び舎ば見に江戸へ出たかち申し出て、誰が判ば押すとか」
江藤は、そこで少し笑った。
「今日、俺はそいば嫌ちいうほど見てきたたい」
原口は、何も言えなかった。
江藤は、机の上の書付を片側へ寄せ、白い紙を一枚出した。
「ばってん、問うことはできる」
原口が帰ったあと、江藤は筆を取った。
宛先は、江戸にいる大木民平である。枝吉先生の集まりで、いちばん長く議論した相手だった。一昨年から藩の命で江戸に出ている。あの学び舎も、自分の目で見ているはずだ。
弟子入りを乞うつもりはない。教えを請うつもりもない。その男が、国をどう見ているのか。本人の言葉で聞きたかった。国を富ませるというなら、その富を、どんな政の器に入れるのか。
江藤は、その一行を書いた。そこから先を、大木へ向けて書きはじめた。
三
大木民平のもとへ江藤の書状が届いたのは、師走の二十日を過ぎてからであった。
佐賀藩の江戸屋敷の長屋で、大木は行灯の下でそれを開いた。
長屋は、遊学に出された若い者が四人で使っている。隣の者はもう寝ていた。大木は行灯を自分のほうへ寄せ、音を立てぬよう封を切った。
江藤から書状が来るのは、これで三度目だった。一度目は近況を訊くだけ。二度目は、大木が書き送った江戸の様子への注文だった。もっと公儀の内を書け、とあった。大木は、書けるほど知らない、と返した。
今度の紙は、三枚ある。江藤の字は、急いで書くと右へ傾く。三枚とも、右へ傾いていた。
一枚目は、江藤が聞きつけた吉田松陰の言の葉であった。異国が双方を操り日本人同士を戦わせるというくだりの横に、江藤の強い筆致で『――佐賀も同じ』と書き添えられている。
二枚目で、話が変わった。
『江戸に、妙な学び舎のあっげな。商務語学所ちいう。お主は江戸におっ。知っとるか』
大木は、そこで一度、紙から目を上げた。
知っている、というほどではない。名前だけは、この秋から何度か耳にしていた。神田のほうにあるらしい、ということしか大木は知らない。
三枚目には、吉田松陰へ問いたいことが、一続きの文で書いてあった。富を誰が扱うのか。異国と約定を結ぶとき、誰の名で結ぶのか。守られなかったとき、誰が責めを負うのか。
大木は、三枚を重ねて、膝の上に置いた。
*
江藤らしい、と大木は思った。
枝吉先生の集まりでも、江藤はいつもこうだった。話の途中で先へ行ってしまう。皆がまだ前の問いを考えているうちに、次の問いを出す。出された問いが正しいので、誰も止められない。
大木は、その問いにいつも少し遅れてついていった。ついていきながら、別のことを考えていた。
今度も、そうだった。
国の仕組みを変える、と江藤は書いている。判を押す者の並び方を変えれば、正しいことが止まらなくなる。それは、そのとおりだろう。
では、変えた仕組みを、誰が動かすのか。
判を押す者の順を変えたところで、押すのは人である。新しい仕組みを理解する者がいなければ、形だけ変わって、中身は元のままだ。
大木は、佐賀の弘道館を思い出していた。
あの藩校には、出来の良い者がいる。江藤もそうだし、大隈もそうだし、副島もそうだった。枝吉先生のまわりに集まった者は、皆、頭が回った。
頭の回る者は、十人ほどだった。
藩士は、何千人といる。
十人が国の形を変えようと言い出しても、残りの何千人がその意味を分からなければ、十人が何を決めても、下へ降りていくうちに元の形に戻る。
大木は、そこで一度、行灯の芯を切った。
弘道館にいたころ、大木は同じ年に入った者の名を、ほとんど覚えている。二十人ほどいた。そのうち、いま藩の中で何かしら役に立つ働きをしている者は、四人か五人だろう。残りは、入ったときと同じ顔で、同じ勤めをしている。
怠けていたわけではない。素読はした。講義も聞いた。ただ、学んだことを使う場所がなかった。使わないうちに、忘れた。
学んだことが身につくかどうかは、頭の良し悪しだけでは決まらない。学んだものを試す相手がいたかどうかでも変わる。江藤も大隈も副島も、枝吉先生のまわりで毎晩言い合っていた。相手がいたからこそ、知識が頭の中で動きはじめた。
大木は、筆を取った。
*
返書は、短くなった。
「お主の申すことは、よう分かります。仕組みば変えんばならんちいうのは、その通りでしょう」
「ばってん、仕組みば変えても、そいば動かす人がおらんかったら、どうなりましょうか」
大木は、そこで筆を止めた。
江藤がこれを読んで、黙るところが目に浮かんだ。あの男は、正しいことを言われると黙る。黙って、しばらくして、もっと先の問いを出してくる。
大木は、続けた。
「弘道館でも、学んで物になる者の居るとは一人か二人ですばい。一人二人ば作ったっちゃ、国は動かんでしょうもん。学んだ者ば、どがんして増やすか。俺にゃ、そのほうが気になりまっとです」
「商務語学所ちいう名は、聞いております。身分ば問わず入れて、言い合いばさせるのなら、学ぶ者の数そのものば増やそうとしとるのかもしれんですばい」
「俺は、そのほうば見てみたかとです。近いうちに、見てまいりますばい」
書き終えて、大木は江藤の三枚目を、もう一度手に取った。
吉田松陰へ問いたいことが書いてある紙である。これを持って行くべきかどうか、大木は少し考えた。
持って行かないことにした。
江藤の問いは、江藤が自分で出すべきものだった。あの男なら、大木の返書を待たずに、自分で書くだろう。
大木は、三枚を文箱に戻した。
四
大木が江戸へ出てきて、二年目の冬になる。
弘道館から選ばれて出てきた。藩の命であるから、遊んでいるわけにはいかない。書物を読み、人の講義を聞き、見聞きしたことを国元へ書き送る。それが役目だった。
出てきた最初の年に、大木が驚いたのは、学問の中身より、話の入ってくる速さだった。
佐賀にいたころ、公儀が何を決めたかは、決まってからひと月ほどして耳に入った。どこの藩が何をしたかは、もっと遅い。異国の話は、長崎から入ってくるものに限られていた。
江戸では、朝に起きたことが、夕方には藩邸の長屋まで届く。どこそこの御老中が何を言った。どこそこの藩の留守居が誰と会った。横浜の異人館で、生糸の値がいくらになった。それが、玉石混交のまま毎日流れ込んでくる。
佐賀で考えていたことの半分は、江戸へ来て変わった。知らなかったことが、それだけ多かった。
佐賀の者が怠けていたわけではない。そもそも、知らせの届く道が細かったのである。
*
江藤への返書を出した翌日、大木は遊学仲間の一人を訪ねた。
秋月藩から出てきている男で、名を坂井という。蕃書調所の近くに下宿していて、洋学の噂には大木より詳しかった。
「商務語学所か。知っとるたい」
坂井は、火鉢の灰をいじりながら言った。
「知り合いのおっどが、あすこに入った。二月ばっ前たい」
「どがんところな」
「言葉と算盤と商いを教ゆっ。朝から晩まで詰めて教ゆっ。夜になってからも、生徒同士で言い合いばしよっ」
「吉田松陰という御方の、講義ばしよんさるとか」
「しよっ。午後に、世界の地図ば板に描いて講じるそいどん。……それがな」
坂井は、そこで少し声を落とした。
妙な話のあ。そのおっどの話じゃ、松陰の講ば最前列で聞きよっ衆は、この夏まで東海道で人を斬ろうとしよった浪人どもそいどん」
大木は、顔を上げた。
「人ば斬ろうと」
「松陰ば斬ろうとしたっちゃ。旅の途中で待ち伏せした。それが、斬る前に話ば聞かされて、そのまま付いてきて、いまは生徒になっとるそいどん」
「元々は刺客じゃった者まで…な」
「そがん聞いた」
大木は、しばらく黙っていた。
刀を抜きに来た者を、生徒にした。
どうやったのか。
思想の中身なら、江藤の書状に書いてあった。大木が知りたいのは、その中身を人の頭へ入れるやり方のほうだった。
「坂井さん。それは、見てみたかですね」
「見学か。あそこは紹介のなかと入れん、と聞くぞ」
「行ってみます」
*
神田お玉が池は、藩邸から歩いて半刻ほどだった。
大木は、門の前まで行く前に、一度、塀の外で足を止めた。
旗本屋敷と見分けのつかない塀である。表札はない。門は半分開いていて、門の内側で、年寄りの下男が箒を使っていた。
塀の向こうから、声が聞こえた。
一つは、英語だった。何を言っているのか大木には分からないが、同じ一文を大勢が声を揃えて繰り返している。繰り返すたびに、少しずつ揃っていく。
もう一つは、算盤の珠の音である。一人ではない。十人ほどが一度に弾いている音が、途切れずに続いていた。
それから、男の声がした。誰かに向かって、ゆっくり問いを重ねている声である。答える声がして、また問う声がする。
大木は、塀の外でしばらくそれを聞いていた。
弘道館にも、音はあった。素読の声である。師が読み、弟子が後について読む。それが朝から続く。
ここの音は、それとは違った。声を揃える音と、手を動かす音と、問いと答えの音が、同じ屋根の下で同時に鳴っている。
大木は、門の前へ回った。
*
箒を使っていた下男が、手を止めて大木を見た。
「御用向きは」
「見学ば、させてもらいたかとですが」
下男は、大木の身なりを上から下まで見た。
「入学じゃなかですから」
「まずは、見せてもらいたかとですが」
下男は、困った顔をした。
「このところ、そういうお方が増えまして。紹介のない方はお断りしておりますが」
「佐賀藩の者です。藩邸に照会してもろても構いまん。名は、大木民平と申します」
下男は、少し迷ってから、箒を門の柱に立てかけた。
「中の者に伺ってまいります。少々お待ちを」
待たされたのは、四半刻ほどだった。
戻ってきた下男は、一枚の紙を持っていた。
「今日だけ、見るだけなら…ということでございます。ただし、書き写しはなりません。帳面も筆も、ここでお預かりします」
大木は、懐の矢立と帳面を下男に渡した。
写しを禁じるのは、外へ出したくないものがあるからだろう。それだけ外へ漏らしたくないものを抱えているなら、中身もそれだけ詰まっているはずだ。
*
大木は、教場の後ろの壁際に立った。
塗板の前に立っているのは、痩せた男だった。白筆で数を書く手が速い。前の列から順に指して、答えさせている。
後で聞くと、村田蔵六という人だった。
隣の部屋では、英語を教えていた。先ほど塀の外で聞いた声である。教えているのは、背筋のまっすぐな若い男だった。声を揃えさせたあと、一人ずつ立たせて読む。読めない者がいても、叱らない。読める者に、どこが違うのかを言わせていた。
廊下の奥には、算盤の部屋があった。商家の番頭のような男が、若い者たちに帳面を写させている。写し終えた者には、次の帳面が渡される。その帳面には、わざと一つだけ間違いが仕込んである。
それを見つけるまで帰れないのだと、隣の生徒が小声で教えてくれた。
大木が息をのんだのは、机の並びであった。
身なりの良い武家の子の隣に手代風の男が座り、その隣には百姓の子がいる。同じ帳面を写し、最初に間違いを見つけたのは百姓の子だった。武家の子は悔しがる風もなく、己の帳面を初めから見直し始めた。
身分で部屋を分ける弘道館では、絶対に起こりえぬ光景であった。
同じ部屋にいないから、武家の子は、自分より早い百姓の子を見ることがない。見ることがないから、見直すこともない。
*
午後になって、大教場に人が増えた。
板の前に立ったのは、年の頃三十ほどの、目の光の強い男だった。板に大きく世界の形を描き、左の端に日ノ本、右の奥に大きな塊を二つに割って、北と南と書いた。
吉田松陰である、と大木はすぐに分かった。
松陰の講は、声が大きかった。話は次々に先へ進む。だが、途中で必ず生徒に問いを返す。前の列の者が答えると、その言葉を拾って次の話へ進む。用意してきた筋道を、生徒の答えに合わせてその場で組み替えているように、大木には見えた。
途中で、前から三列目の男が手を挙げた。
年は三十を過ぎているように見えた。月代が伸びかけていて、肩の厚い、浪人ふうの男である。坂井の言っていた、東海道の浪人の一人かもしれない、と大木は思った。
「先生。北が四年で勝つとして、その四年のあいだ、南は何をしておるのですか」
松陰は、嬉しそうな顔をした。
「何をしておると思う」
「……負けると分かっておっても、戦を続けておる」
「なぜじゃ」
「引けば、それまでの死人が無駄になるゆえ」
「うむ」
松陰は、板に一本、線を引いた。
「引けぬ戦は、長引く。長引けば、売る者が儲かる。……覚えておけ。いちばん上手な商いは、引けぬ戦を始めさせることじゃ」
男は、帳面に何か書いた。字は拙いが、最後まで自分で書いた。
大木は、その男の手元を見ていた。
刀を抜きに来た者が、いまは筆を持っている。持たされているのではない。自分で訊いて、自分で答えて、答えを書き留めている。
講が終わっても、誰も立たなかった。
松陰が板の前を離れると、生徒たちは机を寄せ直して、いくつかの塊になった。塊ごとに、いま聞いた話をめぐって言い合いを始める。先ほどの百姓の子が、武家の子に向かって、それは違うと言っていた。武家の子は、怒らずに、どこが違うのかと訊き返していた。
大木は、壁際に立ったまま、それを見ていた。
師が教える。弟子が覚える。弘道館では、学問はそうやって一人ずつ下へ渡されていく。
ここでは、生徒が生徒に渡している。
それなら、学ぶ者の数は、師の数では決まらない。
「……こいは」
大木は、声に出していた。
隣にいた生徒が、こちらを見た。
「こいは、学校というより……」
言葉を探した。
「……人ば作る場所ですね」
生徒は、何のことか分からないという顔をした。
大木は、それ以上は言わなかった。
佐賀に同じものを作れ、と言うつもりはない。作ろうと言って作れるものでもない。ここには、ここなりの人と銭と仕組みがある。
ただ、学ぶ者を増やす仕組みなら、佐賀にも作れる。
大木は、壁際から動かずに、もう一度、百姓の子と武家の子の言い合いに目を戻した。
五
土佐藩の江戸屋敷は、鍛冶橋の御門の内にある。
乾退助がここへ着いたのは、十日前のことだった。
十月の末に、江戸留守居役兼軍備御用を仰せつけられた。霜月の二十日過ぎに高知を出て、峠を越え、船に乗り、また陸を歩いて、師走の半ばを過ぎてから鍛冶橋の門をくぐった。乾退助は、このとき、まだ二十五である。
乾は、城下の上士の家に生まれた。家禄は二百二十石である。若いころは血の気が多く、喧嘩沙汰を起こして城下から出され、土佐の神田村という在所でしばらく蟄居させられたことがある。
その蟄居のあいだ、乾は百姓と同じ飯を食った。百姓の子と川で魚を捕り、百姓の年寄りから年貢の話を聞いた。武家の子として育った男が、そこで初めて、刀を差さない者の暮らしを間近に見た。
あのとき見たものが、いまの自分に何を残しているのか、乾は自分でもよく分かっていない。ただ、上から降ってくる理屈を、そのまま鵜呑みにする気にはなれなくなった。
着いた翌日から、机の前に坐らされた。
留守居役の仕事は、藩の外との付き合いである。公儀の役所から何が言ってきたか、諸藩の留守居が何を話しているか、どこの藩がどこの藩と近づいているか。それを聞き集め、整えて、国元へ書き送る。
軍備御用の仕事は、藩の中の備えである。国元でどれだけの鉄砲を揃えるか。江戸でどこの商人から買うか。値はいくらか。どこの藩が幾ら出して何挺買ったか。それも、帳面に落として国元へ送る。
十日のあいだに、乾の机には書付が三山できていた。
乾は、書付を読むのは得意ではない。得意ではないが、読まずに済ませる質でもなかった。一枚ずつ読み、分からない言葉があれば人に聞き、聞いても分からなければ自分で商人のところまで確かめに行った。
一昨日も横浜の商人のところへ行き、ゲベール銃の値を確かめてきた。先月より一割上がっていた。
「買う方が増えましたので」
商人は、値が上がった理由を訊かれて、にこにこしながら答えた。どこの藩が買っているのかと重ねると、「それは申し上げられません」と笑う。それでも最後に、長州様も薩摩様も、と口にした。
口が滑ったのか、わざと聞かせたのか、乾には分からなかった。
分かったのは、自分が買いに来た鉄砲を、同じ店で他の藩も買っているということだけである。
「上がっちゅうのう」
帳面に書き付けながら、乾は言った。
「誰が買いゆうがじゃ、こんなに」
*
夕刻、公文藤蔵が茶を持ってきた。
江戸詰の古参で、留守居の下役を十年勤めている男である。乾より十五ほど年上で、江戸のことなら何でも知っていた。
「乾様。根を詰めすぎですぞ」
「詰めんと、終わらん」
「終わらぬものは、尽きませぬ。留守居の仕事に、果てはございません」
藤蔵は、湯呑みを机の端に置いた。
「そういえば、乾様。近ごろ江戸で妙な男の話が出回っております」
「誰じゃ」
「吉田松陰という学者で」
乾は、帳面から目を上げた。
「松陰か。聞いたことはある。攘夷の人物じゃろう」
「それが、どうも違うようでございまして」
藤蔵は、坐り直した。
「この秋、西国を回って講をしたそうで。異人と戦う前に、日本人同士で戦うな、と言い回っておるそうでございます」
乾の筆が止まった。
「……戦うな?」
「幕府と諸藩が割れて戦えば、異国は双方に銃を売り、引き下がれぬように仕向ける。双方に貸しを作り、最後は内側から呑み込む……そういう見立てでございます」
先刻、横浜の商人が浮かべていた笑みが頭をよぎる。「長州様も薩摩様も」と口にし、買い手が増えて機嫌を良くしていたあの顔だ。
黙ったまま、机の上の帳面を見ていた。
ゲベール銃の値が、先月より一割上がっている。誰が買っているのかと、さっき自分で言ったばかりである。
*
「藤蔵」
「はい」
「その男は、日本人同士が戦うたら、異国が得をすると言うたがか」
「さようで」
「異国の都合で、日本人が同族を撃つと」
「そういうことかと」
乾は、湯呑みを取った。飲まずに、手の中で回した。
昼間の商人の顔が浮かんだ。「長州様も薩摩様も」と口にしたときの顔である。買い手が増えれば、それだけ機嫌がよくなる。 買った藩同士が、いつかその鉄砲を向け合うことになろうと、あの男には知ったことではない。
乾は武士である。戦えと言われれば戦う。戦うなと言われれば、それだけで腹が立つ。刀を抜くなと初めて聞いたとき、腹が立ったのも、そのためだった。
ただ、誰と戦うのか、という話になると、少し別だった。
異国が攻めてくるなら、戦う。それは迷わない。
だが、異国の商人が売る鉄砲を、異国の商人の言い値で買って、同じ日本の者を撃つ。撃った分だけ、異国の商人の蔵が膨らむ。その蔵の銭で、異国はまた船を造る。
それでは、戦っている相手が誰なのか分からない。
「……そりゃ、気に入らん」
乾は、ぽつりと言った。
藤蔵は、少し意外そうな顔をした。
「気に入りませぬか」
「気に入らん。人の銭儲けのために、刀を抜かされるのは、気に入らん」
乾は、湯呑みを置いた。
「それで、その男は、代わりにどうせえと言うちゅう」
「商いで国を強うせよ、と」
「それで、鉄砲を防ぐと」
「異国と物を売り買いして、富を蓄えよ。富があれば、異国と対等に話ができる。……そういう話のようで」
乾は、眉を寄せた。
商いで国を強くする、という話は分かる。だから、ゲベール銃の値を確かめに横浜まで行っている。銭がなければ、鉄砲も買えない。
「そりゃ分かる。じゃが――」
乾は、机の上の帳面を指で叩いた。
「富を蓄えるまでに、何年かかる」
「さあ……」
「五年か十年か。その間に明日、異国が攻めて来たらどうする。そのとき現場で刀を持っちゅうがは誰じゃ」
藤蔵は答えに詰まった。
「刀を捨てろと言うなら、代わりに何を持てと言うがぜ。算盤か。それじゃあ異国の船は追い返せんぞね」
乾は、そこで息を吐いた。
言っているうちに、自分が怒っているのではないことに気づいていた。
怒っているなら、その男の話など聞き流して終わりにする。
だが、聞き流せない。
日本人同士が撃ち合えば、異国が得をする。
富がなければ、鉄砲も買えない。
どちらも、間違ってはいない。
足りないのは、その間のことだった。富が溜まるまでの年月を、誰がどうやって持ちこたえるのか。そこだけが、藤蔵の話には入っていなかった。
「藤蔵。その男は、いま江戸におるがか」
「おります。神田のお玉が池に学び舎を持っておるそうで。商務語学所とか申します」
「そこで何を教えゆう」
「異国の言葉と、商いを教えるところだそうで」
乾は、立ち上がった。
「乾様、どちらへ」
藤蔵が腰を浮かせた。
「まさか、その学び舎へ行かれるおつもりではございますまいな」
「そのまさかじゃ」
「乾様は、留守居役でございますぞ。長州の学者の塾に土佐の留守居が出入りしたと知れれば、あらぬ噂が立ちます」
「立てばええ」
「乾様」
「見るだけじゃ。入門するわけやない」
乾は、帳面を閉じた。
「俺は鉄砲の値を調べに横浜まで行く。自分の目で見んことには、分からんからじゃ。その男の話も、同じことじゃ」
「一度、見てみる」
「いまからでございますか。もう日が落ちますぞ」
「落ちる前に着く」
乾は、刀を差した。
「どこへと訊かれたら、商務語学所じゃと言うちょけ」
*
鍛冶橋から神田までは、堀に沿って北へ歩く。
道の両側は、大名屋敷の塀が続いていた。どの塀も同じ高さで、同じ色で、どこの藩の屋敷なのかは門の紋を見なければ分からない。乾は、着いてからの十日で、この塀の並びをようやく見分けられるようになっていた。
土佐では、城下を少し出れば海が見えた。浦戸の湾に異国の船が入ってきたことは、まだない。入ってきたら、土佐の者は刀と古い鉄砲で迎えることになる。そのための鉄砲の値を、いま自分は江戸で調べている。
堀の水は暗く、夕方の風が冷たかった。
神田お玉が池の門の前に立ったとき、日はまだ残っていた。
旗本屋敷と見分けのつかない門だった。半分開いている。門番らしい年寄りの下男が、中へ入っていく誰かの背を見送ったところだった。
乾は、門の前で足を止めた。
門の内は静まり返っていた。竹刀の打突も、稽古の気合いもない。
代わりに聞こえてきたのは、耳慣れぬ異国語の響きと、激しい議論の声であった。乾は息を殺して耳を澄ませた。
剣術の道場なら、この刻限には竹刀の音がする。気合いの声がする。ここには、それが一つもない。
聞こえてくる言い合いの中から、一つの声が、はっきり耳に届いた。
「英国の兵站は、船で運ぶがゆえに――」
乾は、顔を上げた。
声は続いていた。英国がどうやって遠い国へ兵を送り、何を積み、何日で着き、着いた先でどこから米を買うか。若い声が、それを数で並べている。別の声が、その数は違うと言い返している。
また別の声が割り込んだ。
「千の兵を一月、海の向こうに置けば、米だけで百五十石じゃ。それを運ぶ船が要る。船を動かす石炭が要る。石炭は、どこで積む」
「香港で積む」
「香港は、なぜ英国のものになった」
言い合いは、そこで一瞬止まり、また別の方へ転がっていった。
乾は、昼間の帳面を思い出していた。鉄砲一挺の値、弾一発の値。そこまでは、自分でも数えた。数えたつもりでいた。
鉄砲を撃つ兵が、何を食い、どこで寝て、食う米を誰が運ぶのか。そこまでは数えていなかった。
乾は、自分が刀の柄に手を置いていたことに気づいて、手を離した。
「……こっちのほうが、怖いかもしれんな」
誰に言うでもなく、そう言った。
六
同じ日の暮れ方、佐賀では江藤新平が、二通目の書状を書いていた。
一通目は、二十日ほど前に大木へ出した。返事はまだ来ていない。来るとしても、年が明けてからだろう。
江藤は、それを待たないことにした。
大木が学び舎を見てきてくれるなら、それはありがたい。だが、大木が見てくるのは、その目に映った学び舎である。江藤が聞きたいことは、学び舎の様子ではなかった。
宛名は、吉田松陰殿、とした。大木宛ての添え状を一葉添え、江戸の大木の手からこの男へ渡してもらう形をとった。
名乗りを一行書き、どこで話を聞いたかを一行書いた。そのあとは、問いだけにした。
「国を富ませよと申される。それは分かる。分かったうえで伺いたい。蓄えた富を誰が扱うのか。異国と約定を結ぶなら、どの名で結ぶのか。その約定が破られたとき、責めを負うのは藩か、公儀か、それとも別の何かか」
佐賀は長崎を守っている。守っているが、長崎で何を約すかは決められない。そういう藩が日ノ本には幾つもある。富を蓄えたとして、その藩々は、蓄えた富で何を決められるようになるのか。
国を変えると申されるなら、どういう仕組みに変えるのか。
書いているうちに、江藤の字は右へ傾いていった。傾いていくのを、江藤は直さなかった。
書き終えたところで、筆を置いた。
自分は、佐賀を出ない。出る理由を、まだ持っていない。持っていない者が藩を出れば、それはただの出奔になる。
ただ、問いだけは、この紙に乗せて江戸へ送る。
*
江戸では、大木民平が、商務語学所の大教場の壁際で、まだ言い合いを見ていた。
百姓の子と武家の子の言い合いは、いつのまにか、ほかの塊を巻き込んでいた。教場の後ろの隅で、村田蔵六が腕を組んで、それを黙って聞いている。止める様子はなかった。
大木は、今夜のうちに江藤へもう一度書こうと決めていた。
見たものを書く。
人を作る場所だったと書く。
江藤が何と返してくるかは、そのとき考えればいい。
門の外では、乾退助がまだ中へ入らずに立っていた。
入らなかったのは、遠慮したからではない。何を訊くか、まだ決めていなかったからだ。問いを定めぬまま入れば、中の言い合いに流され、自分が何を確かめに来たのかを見失う。
乾は、佐賀の二人とは違う畑から出てきた。弘道館も、枝吉神陽も知らない。知っているのは、土佐の城下と、蟄居させられた神田村の百姓家と、江戸へ来る道中の峠の寒さだった。
乾の頭にあるのは、器でも人でもない。鉄砲の値と、いま門の内側から聞こえてくる、船を動かす石炭の話である。
七
言い合いが一段落したころ、教場の後ろの戸が開いて、吉田松陰が戻ってきた。
松陰は、生徒の塊を一つずつ覗きながら歩いていた。一つの塊の前で足を止めて一言だけ言い、また歩き出す。そのうちに、壁際の大木に気づいた。
「おぬし、見ぬ顔じゃのう」
大木は、頭を下げた。
「佐賀藩の、大木民平と申します」
「見学か」
「はい」
「何を見に来た」
大木は、少し考えた。
講義の中身を見に来た、と言えば嘘ではない。吉田松陰という人を見に来た、と言っても嘘ではない。
「人が学ぶ仕組みば、見に来ました」
松陰の眉が、わずかに上がった。
「……ほう」
それ以上は、何も言わなかった。大木の顔をもう一度見て、軽く頷き、教場の出口のほうへ歩いていった。
大木は、その背を見送りながら、いまの「ほう」が何を意味するのか考えていた。
聞いたことを、どこかにしまった声だった。
*
門のところで、下男が松陰を呼び止めた。
「先生。表に、お武家が一人、立っておられます。入るでもなく、帰るでもなく」
「名は」
「まだ伺っておりません」
松陰は、門の外へ出た。
門の前に、若い武士が一人立っていた。体の締まった男で、刀の差し方が板についている。日はもう落ちかけていて、顔の半分が影になっていた。
「おぬしは」
「土佐藩、乾退助やき」
乾は、頭を下げた。
「何を聞きに来た」
松陰は、大木に訊いたのと同じことを訊いた。
「商いで国を守るっちゅう、その話を聞きにきました」
「ほう」
乾は、そこで一度、口を閉じた。
閉じてから、顔を上げた。
「じゃが――」
一拍、置いた。
「その間、誰が刀を持つがです?」
松陰は、答えなかった。
門の内側から、算盤の音と、まだ続いている言い合いの声が聞こえていた。
松陰は乾の目をじっと見つめた。その瞳の奥に、ふっと熱い火が宿る。
越後長岡の河井継之助という男から届いた書状にも、同じことが書いてあった。富を守る力はどこから得るのか、と。目の前の土佐者は、それを「刀」の言葉で問うている。
教場の奥には、人を育てる仕組みを求めて訪ねてきた佐賀の男がいる。
「……また、問いが来たか」
松陰は深くうなずき、胸中の焔を確かめるように呟いた。
門内からは、身分を越えて議論し合う若者たちの熱い声が、夜気の中に響いている。
乾は刀の柄から手を離したまま、松陰の目をまっすぐに見つめ返していた。
第二百十一話 了
【人物解説】同じ時代を生き、違う道を選んだ三人――板垣退助・大木喬任・江藤新平
幕末から明治初期の人物を調べていると、妙に印象に残る三人がいます。
板垣退助。
大木喬任。
江藤新平。
板垣は土佐、大木と江藤は佐賀の出身です。
三人とも、古い時代のままでは日本は立ち行かないと考えていた。新しい政治と制度が必要だという思いも共有していました。
ところが、維新が終わり、いざ「新しい日本をどう作るのか」という段階になると、三人の進んだ道は見事なまでに分かれていきます。
ここが、この三人を面白いと思う理由です。
■板垣退助――刀を抜いていた男が、言葉で世の中を変えようとした
板垣退助は、最初から「自由民権運動の人」だったわけではありません。
戊辰戦争では土佐藩兵を率いて戦い、甲州勝沼などで新政府軍の指揮を執った、れっきとした武人です。
維新後には参議となり、政府の中枢にも入りました。
ところが、征韓論をめぐる政府内の対立で下野する。
ここから板垣は、別の戦いを始めます。
明治七年(一八七四)、後藤象二郎、江藤新平らとともに「民撰議院設立建白書」を提出し、国民の代表による議会を設けるよう政府に求めました。
つまり、かつて刀で戦っていた男が、今度は演説と政治運動で世の中を動かそうとしたわけです。
この転換は、板垣という人物を考えるうえでかなり重要だと思います。
板垣には「いごっそう」と呼ばれる土佐人気質のイメージがあります。言葉も態度もまっすぐで、相手に遠慮しない。
ただ、実際の人物を「豪快な土佐男」という一言で片づけてしまうと、本質を見落とします。
彼は演説をし、政治結社を作り、新聞を使い、各地に運動を広げた。
刀の代わりに、言葉と組織を武器にした政治家だったのです。
一八八二年、岐阜で刺客に襲われた際の「吾死スルトモ自由ハ死セン」という言葉も有名です。後世に広まった「板垣死すとも自由は死せず」という形とは少し違いますが、少なくとも板垣が襲撃直後に自由について語ったことは記録に残っています。
歴史上の名言というのは、こうやって少しずつ形を変えながら残っていく。
そこも面白いところです。
■大木喬任――目立たない男が、国家の骨組みを作った
大木喬任は、板垣とはずいぶん印象が違います。
佐賀藩士として弘道館に学び、維新後は新政府に入りました。
東京府知事を務め、明治四年(一八七一)には初代文部卿となる。
そして、彼の名前を語るうえで外せないのが、明治五年の学制です。
新しい日本を作るなら、まず人を育てなければならない。
身分に関係なく、全国の子どもたちが教育を受けられる仕組みを作る。
その近代教育制度の立ち上げに、大木は中心人物として関わりました。
後には司法卿、元老院議長、枢密院議長なども務めています。
華々しい英雄というタイプではありません。
むしろ、制度を一つずつ整えていく側の人間です。
だからこそ、明治政府にはこういう人間が必要だったのでしょう。
そして大木を語るとき、どうしても避けて通れないのが江藤新平です。
二人は同じ佐賀藩の出身で、若い頃から行動をともにした同志でした。
ところが、明治七年。
江藤は佐賀へ戻り、反乱を起こす。
大木は政府側に残る。
昨日まで同じ方向を向いていた人間が、今度は完全に別の側に立つことになった。
維新というのは、古い敵と新しい味方が入れ替わるだけの話ではありません。
かつての仲間と、どこまで一緒に行くのか。
それを一人一人が決めなければならない時代でもありました。
■江藤新平――近代司法を作った男が、最後にはその法に裁かれた
江藤新平は、三人の中でも特に強烈な人物です。
佐賀藩の出身で、維新後は新政府に入り、司法卿として近代的な司法制度の整備に取り組みました。
法制度を整え、司法機構を作り、近代国家としての「法の仕組み」を形にしていく。
頭の回転が速く、仕事も速い。
その反面、妥協を好まないところがあり、政界では敵も多かった人物です。
征韓論をめぐって下野したところまでは、板垣と同じでした。
しかも、二人は「民撰議院設立建白書」にともに名を連ねています。
ところが、その後の道は分かれます。
板垣は言論と政治運動へ向かった。
江藤は佐賀へ戻った。
そして佐賀の乱が起こります。
敗れた江藤は逃亡しますが、最終的に高知県の甲浦で捕らえられ、佐賀へ送られました。
そして、明治七年(一八七四)四月、処刑されます。
江藤の最期が歴史上とりわけ印象的なのは、彼自身が近代司法制度の整備に携わった人物だったことです。
司法卿として犯罪捜査の近代化にも取り組み、人相書による捜索制度の整備にも関わっていた。
その制度によって、今度は自分自身が追われる側になった。
これほど皮肉な話はありません。
ただし、江藤の処刑を単純に「法を無視した私刑」とだけ説明するのも適切ではありません。
佐賀の乱は実際の武力衝突であり、江藤はその首謀者として裁かれています。
そのうえで、裁判のあり方や処刑の妥当性については、当時から現在までさまざまな議論がある。
だからこそ、江藤の最期は「悲劇の英雄」という一言では片づけられないのだと思います。
●三人を分けたもの
この三人を並べてみると、実に不思議です。
板垣と江藤は、同じ征韓論派として政府を去った。
その後、「民撰議院設立建白書」にもともに名を連ねた。
ところが、その先で二人は別れた。
板垣は、武力ではなく言論によって政治を変えようとした。
江藤は佐賀へ戻り、最後には武力による抵抗を選んだ。
そして大木は、政府に残った。
かつての同志だった江藤とは、完全に違う側へ進むことになった。
ここに、明治初期という時代の難しさがあります。
みんな、日本を良くしようとしていた。
みんな、新しい時代が必要だと思っていた。
それでも、
「では、どうやって日本を変えるのか」
という問いに対する答えが違った。
板垣は言葉を選んだ。
大木は制度を選んだ。
江藤は、最後に武力へ向かった。
その違いが、三人の人生を決定的に分けていきます。
●土佐弁と佐賀弁、その向こう側
板垣を描くとき、「ぜよ」。
江藤や大木を描くとき、「ばい」「ばってん」。
小説では、こうした方言が人物を立たせる便利な道具になります。
ただ、実際の彼らがどんな場面でどんな方言を使ったのかを、史料から細部まで再現できるわけではありません。
だから私は、方言そのものよりも、その言葉の向こう側にあるものを大切にしたいと思っています。
土佐から来た板垣。
佐賀から来た大木と江藤。
まだ「日本人」という一つの政治的な意識が現在ほど当たり前ではなかった時代に、それぞれが故郷の文化や人間関係を背負ったまま、東京の政治の中心へ入っていった。
そこで仲間になり、ぶつかり、そして別れていく。
明治維新というと、どうしても「新しい日本が誕生した」という一言でまとめたくなります。
でも、実際にその国を作っていた人間たちは、そんなに綺麗ではありません。
昨日までの同志が、明日には政敵になる。
同じ理想を持っていても、手段が違えば決裂する。
そして、その決断には取り返しのつかない結果が待っていることもある。
板垣はその後も自由民権運動を続け、大木は政府の中で制度を作り続けた。
江藤は、その二人とは違う道を選び、三十九歳でその人生を終えた。
同じ時代を生き、同じように日本の未来を考えた三人なのに、残ったものはまるで違います。
板垣は「自由」を求め、大木は「制度」を築き、江藤は「法」を作ろうとして、その法に裁かれる側へ回った。
私は、この三人を見るたびに、明治という時代の本当の怖さは、古いものが壊れたことではなく、壊れたあとに何を作るのかを、一人一人が自分で決めなければならなかったことなのだと思います。
その選択に正解が用意されていたわけではない。
だからこそ、彼らの人生は今読んでも面白いのです。




