第二百九話「集まる俊英①―その話は、もう松陰だけのものではなかった」
※本作からは第百三十八話「思想の伝道師―至誠の一喝、刃を溶かす言霊(後編)」直後の時系列にあたります。松陰の思想と影響が広がっていく展開をお楽しみください。
一
刻は、いま一度巻き戻る――
文久元年、師走。
京、室町の糸問屋。年の瀬の払いの算段がようやく片づいて、帳場には墨の匂いだけが残っていた。
手代の与助は、番頭に言いつけられて奥の炭を足しに立った。襖の前で足が止まったのは、中の話し声に「戦」という字が混じったからである。
「……それで、その吉田とかいうお人は、何を申されたのや」
「メリケンの戦の話どす」
客は、先月、東山の講で聞いてきたのだと言った。
「北と南に割れて、今年の春から撃ち合うておる。そこまでは手前も存じておりました。なれど、あの御方が申されたのは、その先で」
「先…て?」
「どちらが勝つかは、もう決まっておる、と」
与助は火箸を握ったまま動かずにいた。
「兵の数やのうて、工場の数で決まるのやそうどす。北には工場が南の十倍ある。鉄も、鉄を走らせる道も、北のほうが多い。せやから四年で北が勝つ、と」
「四年…?」
「四年…と。年数まで言い切られたのは、手前も初めて聞きました」
主人はしばらく黙っていた。それから、湯呑みを置く音がした。
「……工場の数で、戦の勝ち負けが決まるのか」
「さようで」
与助は炭を足し、襖を閉めて下がった。
その晩、長屋へ戻ってから、隣に住む研師にその話をした。工場の数で戦の勝ち負けが決まるのやそうな、と。四年という数は、言い忘れた。
*
大津の旅籠では、伊予から出てきたという浪人が、火桶を抱え込んで動かなかった。
「攘夷は、やめじゃ」
同宿の男が顔を上げた。
「異人を斬るのは攘夷ではないと、京で聞いた。斬れば向こうに口実をくれてやることになる。そうなりゃあ、異国の軍艦が来る。清国と二の舞になるぞ」
「誰がそんなことを」
「長州の学者じゃ。吉田…とか申した」
「お主、じかに聞いたのか」
「話を聞いた者から又聞きしたっ」
浪人は炭を指で突いた。
「去年の暮れに国を出た。異人を斬るつもりでおった。横浜まで行けば斬れると思うておった」
「行かなんだのか」
「京で行き詰まった。そこで、その話を聞いた」
男は火桶から手を離さない。
「斬れば軍艦が来る。来ても、こちらには何一つ返せぬ。分かって斬るのは、犬死にじゃ。斬った者も死ぬ。残された者も、何も守れぬ。……そう言われてみれば、そのとおりでな」
「では、どうする」
「分からぬ」
浪人は、そこで初めて顔を上げた。
「斬らぬと決めた。そこまでは、自分で決めた。その先を、まだ誰にも教わっておらぬ」
この宿には、似たような男があと二人泊まっていた。
*
中山道、追分。継立を待つあいだ、加賀から出てきた荷主が問屋場の帳付けに話し込んでいた。イギリスとフランスが日ノ本で戦をさせるつもりらしい、という話である。異国は戦をせぬ、させるのだ、と荷主は指を二本立てた。幕府に一方が付き、諸藩にもう一方が付く。どちらにも鉄砲を売る。日本人同士が撃ち合って銭を出し尽くしたころに、勝ったほうが借金を背負う。
「誰がそのようなことを申しました」
「江戸へ下る途中の御方から伺うた。もとは長州の学者が申したことだそうな」
「学者が、なぜそんなことを」
荷主は答えず、馬の背に荷が括られるのを見ていた。
「じゃが、筋は通っておる。銃が売れるのは、戦のあるときだけじゃ」
*
江戸、横山町の生糸問屋では、番頭が上方から戻った買継の者に帳面を開いて見せていた。
「値を決めておるのは、どちらです」
「向こうです」
「どこもそうです。それを、どうにかせよと申す御方がおるそうで」
「どうにか」
「商人が一人ずつ出ていくから買い叩かれる。国のほうでまとめて出して、こちらで値を付けろ、と」
番頭は算盤を伏せた。
「まとめる、と申されても」
「手前もそう思いました。なれど、その話を持ち帰った者が申すには、出さぬという手があると」
「どういうことだ?」
「荷を止める。港に異国の船を繋ぎ留めておけば、向こうは日ごとに銭を捨てることになる。そこで初めて値が動くと」
番頭は算盤をもう一度起こした。珠は動かさなかった。
「……その御方は、どこの誰です」
「長州の、吉田松陰という御方だそうで」
*
越後、出雲崎。冬の海は荒れて、船はどれも舫われたままであった。番所の下役が湊の年寄と火鉢を挟んで坐り、日ノ本は島国ゆえイギリスのような国になるがよい、と言った者がいるそうだ、という話をした。大陸へ攻め入れば押さえるのに銭が要る。押さえ続けるあいだ兵を養い続けねばならぬ。それで国が潰れる。大陸は売る相手にしておけ、と。
「では、攻め入らぬので」
「そうだ」
年寄は荒れた海を見ていた。
「わしらは、海で食うてきた者にございます。海で食うのがよい国になるのだと申されるなら、それはありがたい話で」
「そうなるかもしれぬ」
「なれど旦那。海で食うのなら、まず湊にございましょう。この湊は、冬のあいだ船が出ませぬ。出ぬあいだの米は、どこから出ますのでございましょう」
下役は答えなかった。湯呑みを置いた。
「面白い話ではある。じゃが、ここからでは確かめようがない」
*
同じ一人の男の話であった。
皆、その男には会っていない。
二
福井は、朝から雪だった。
三岡八郎は御製造所の脇の小部屋に籠もって、藩の一年の出入りを広げていた。火鉢が一つきりで、紙の端が冷えて反り返る。四半刻に一度、両手を火にかざしてからでないと筆が持てない。
年貢の米、売り払いの値、長崎の蔵屋敷を通した生糸の代、国元の奉書紙、家中への扶持、御借財の利、それから返済の予定。数はすべて合っていた。だから始末が悪い。
足りぬ、というのは、勘定が合わぬという意味ではない。帳尻を合わせるだけなら、手はいくらでもある。人を減らす。扶持を削る。普請を先送りにする。家中に上納を命じる。三岡は、そうして何度も帳尻を合わせてきた。
そのたびに数は合う。だが、翌年にはまた同じところで壁にぶつかる。削るだけでは、何も解決していないのだ。
帳面の中ほどに長崎の一行がある。三岡はそこへ戻った。米は取るもの、扶持は出すもの、普請は消えるもので、この一行だけが、こちらが仕込み、こちらが運び、こちらが売った分だけ増えた。増える行は、ここ一本しかない。
太くしたかった。その手立てで、この半年ほど止まっている。
三岡は帳面の束から古い綴りを抜き出して、長崎の行だけを年ごとに並べてみた。これは前にも一度やっている。やった結果を覚えていたから、もう一度確かめたくなった。
よかった年が三度ある。そのうち二度は、向こうの値がひとりでに上がった年だった。こちらは何もしていない。集めた量も、送った船の数も、前の年とほとんど変わらない。
悪かった年もある。そのうち一度は、三岡がもっとも動いた年だった。在方を回り、仲買に前渡しの銭を回し、量を二割増やした。増やした年に、値が下がった。
量を増やせば値が下がる。誰でも知っている話ではある。だが、手が打てなかった。
生糸の値は向こうで決まる。よい年は儲かり、悪い年は損をする。越前一国でいくら掻き集めたところで、向こうから見れば数ある売り手のひとつに過ぎない。売り手の一人が汗をかいても、汗をかいた分だけ値が下がるだけである。
国を富ませるとは、民を富ませることだ。民が富めば、国はあとから富む――横井小楠が福井で言ったことを、三岡は疑っていない。
だから、その先が要る。民に作らせたものを、誰に、いくらで売るのか。
そこまで決めなければ、増えた富は右から左へ流れていく。筆を置いて、火に手をかざした。障子の外で雪を踏む音がした。
「三岡様。ただいま戻りましてございます」
杉田甚五郎が廊下に膝をついていた。この秋から大坂の蔵屋敷に詰めていた若い下役で、肩の雪を払いもせずに来ている。
「早かったの」
「湖の道が、まだ開いておりましたゆえ」
甚五郎が差し出した大坂の売り払いの帳を、三岡はその場で繰った。米の値、掛かり、宿の払い。数は素直だった。
「ご苦労であった」
「……それと、妙な話を聞いてまいりました」
「妙な話?」
「吉田松陰という御方が、鴻池の屋敷で講をなさったそうにございます。手前が着いたときにはもう江戸へ下られたあとで、じかには伺えませんでした」
「学者の講か」
「はい。なれど、聞いた者の話しぶりが、どうも学者の話ではございませんで」
「どう違うんや」
「銭の話ばかりだと」
三岡は帳面から目を上げた。
「続けねま」
甚五郎は懐から書き付けを出した。几帳面な男で、聞いたことを宿で書き留めてくる。
「異国に物を売るなら、商人が一人ずつ出ていってはならぬ、と。一人で出れば必ず買い叩かれる。だから日ノ本の側でまとめて、こちらで値を付けよ、と申されたそうにございます」
三岡は筆を置いた。置いてから、ようやくそのことに気づいた。
面白い、と思った。感心したのではない。半年止まっていた場所に、外から別の手が差し込まれた。その手の形が、途中まで自分と同じで、途中から違う。自分が考えてきたのは越前の生糸をどう高く売るかである。その男が言っているのは、日ノ本の生糸をどう高く売るかだ。
「甚五郎。その男は、商人のことをどこまで分かってんのや」
「は……」
「まとめて売れと言うんの易しいわ。誰がまとめるんや」
甚五郎は口を開いて、閉じた。
「作んのは百姓や。集めるんは在方の仲買、国を跨いで動かすんのは廻船問屋、銭を回すんのは両替商。この四つは利が食い違う。仲買が儲かれば百姓の手取りは減る。廻船が値を吊れば仲買が泣く。まとめるいうんは、その食い違いに誰かが割って入るいうことや。割って入る者には銭と、力と、そうしてよいいう筋目が要る。その男は、誰にそれをさせると申したんや」
「……そこまでは、伺っておりませぬ」
「藩は何をする、とも言わなんだんか」
「申しておりませぬ」
「甚五郎。その男は、値を付けるほうの話は何て申したんや」
「値を付ける、と申しますと」
「まとめただけでは値は付かぬ。向こうが安く買い叩きに来たら、どうするんや」
「それが、手前も腑に落ちませんで」
甚五郎は書き付けを繰った。
「出さぬ、と申されたそうにございます」
「なに?」
「荷を止めると。港に船を遊ばせておけば、向こうは日ごとに銭を捨てることになる。そこで初めて値が動く、と」
三岡は、その場で黙った。
止める、というのは、勘定の上では止めた側も捨てることである。売らねば銭は入らない。そのあいだ、百姓は待てない。仲買も待てない。前渡しの銭を回してしまった者から先に潰れる。
三岡は、一度それをやりかけたことがあった。値の悪い年に、送るのを見合わせようかと考えた。考えて、やめた。見合わせているあいだの銭を、どこからも回せなかったからである。
止められるかどうかは、意地の問題ではない。蔵にどれだけ積んであるかの問題だった。
「甚五郎。その男は、止めているあいだの銭を誰が出すと申したんや」
「……そこは、伺っておりませぬ」
「聞いてこなんだんか」
「申し訳ございませぬ」
三岡は手を振った。責めるつもりはなかった。その場にいた者でも、そこまでは訊くまい。訊くのは、一度止めようとして止められなかった者だけである。
三岡は火鉢の縁に手を置いた。
藩が出すぎれば専売になる。専売にすれば、百姓は隠れて売る。隠れて売れば、藩は取り締まる。取り締まれば、作る気が失せる。三岡は、それを自分の目で見てきた。どこまで藩が手を出し、どこから先を商人に渡すのか。その線を誤った国を、越前は西にも東にも見ている。
そこまでは、まだいい。答えは出せぬにせよ、問いの形は分かっている。
分からぬのは、もう一つのほうだった。
富国とは、藩を富ませることか、日ノ本を富ませることか。
この十年、三岡は前のほうだけを考えてきた。福井の借財を減らし、福井の物産を増やし、福井の蔵に銭を積む。それが役目である。褒められもした。
だが、その男の言い方でいけば、越前一国でいくら積んでも売り手の一人でしかない。売り手が一人であるかぎり、値は向こうが決める。値をこちらで決めるには、日ノ本がまとまっていなければならない。
まとまる、とはどういうことか。
三岡は火に手をかざした。手は温まらなかった。
「甚五郎。その男は、いま江戸か」
「さようにございます。神田に語学所とか申す学び舎があって、そこにおられると聞きました。異国の言葉と、算勘と、商いの仕組みを教えるところだそうにございます」
三岡はその三つを胸の内でなぞった。三つとも、いま自分が要ると思っているものだった。
*
その夜、御用人の役宅へ出向いた。用件は二つあり、大坂の報告のほうは短く済んだ。
「江戸へ、と申すか」
「はい」
「年の瀬じゃぞ」
「年が明ければ国元が動きます。動き出す前でなければ、手前の体は空きません」
「江戸で何をする」
「御借財の融通を、いま一度当たってまいります」
嘘ではない。江戸の金主とはこの二年、書状だけの遣り取りで済ませている。顔を出して損になる相手ではなかった。
「それだけか」
「もう一つございます。吉田松陰という御方に、会うてまいりたく存じます」
御用人の眉が動いた。
「……あの、騒がれておる男か。京の話はこちらにも来ておる。危ういのではないか。攘夷の親玉のように言う者もおるぞ」
「手前が伺いたいんのは、攘夷の話ではございません」
「では何じゃ」
「値の付け方でございます」
御用人はしばらく三岡の顔を見ていた。この男が銭の話をするときの顔を、この役宅で何度も見ている。
「……勝手にせい。ただし、御家の名は出すな」
*
支度はすぐに済んだ。帳面の写しを二冊と、算盤と、着替え。
土間で草鞋の紐を締めていると、妻のたかが握り飯の包みを持って出てきた。
「雪の中を、また出られますか」
「うむ」
「御遊学にございますか」
三岡は紐を締める手を止めた。江戸へ出て、名のある学者に会い、話を聞いてくる。形だけ見れば、そのとおりではある。
「いや」
「では、何でございます」
「問答や」
たかは少し黙ってから、包みを三岡の懐へ押し込んだ。
「お戻りは」
「分からん」
「では、二つお入れしておきます」
戸を開けると、雪が斜めに降っていた。三岡は足羽の川筋のほうへ歩き出した。南へ向かう街道は、その先で山へ入る。
三
長岡の雪は、十一月のうちに来ていた。師走に入ってからは降り止む日のほうが少ない。城下の道は両側に雪の壁ができて、その底を人が歩く。屋根から落ちた雪を掻き出す音が、朝から晩までどこかでしている。
河井継之助は、その底を歩いていた。供は連れない。蓑を着て、笠をかぶり、足駄で雪を踏んでいく。用もないのにこの男が町を歩き回ることを、城下の者はこの一年で見慣れた。
帰ってきたのは去年の春である。それまでの数年は江戸の塾に入り、西国を回り、備中で山田方谷に教わり、長崎まで足を延ばした。見るべきものはひととおり見たつもりでいる。帰ってきて何をするかが、いまの問題だった。
町外れの油屋の軒下で、店の者が菜種の袋を数えていた。
「今年は、どうであった」
店の者が顔を上げ、慌てて頭を下げた。
「河井様で。……今年は悪うございます」
「値か」
「値も悪うございますが、それより出す先がございませぬ。新潟へ出しておりましたものが、公儀の改めと掛かりが厳しゅうなりましてな」
河井はそれ以上訊かなかった。
新潟は、もう長岡のものではない。天保の末に上知されて公儀の地になった。湊の役得も、湊を通る荷の差配も、長岡の手からは離れている。国の形としてはそれだけのことだが、勘定の上ではそれだけで済まない。湊を失った国が、湊を使って生きてきた仕組みだけを抱えたまま残っている。
城下を出ると、雪の向こうに信濃川の堤が見えた。
この川は毎年溢れる。そのたびに普請をし、借りを重ねる。返しきらぬうちに、また溢れる。帳面の上で十年分を追ってみて、河井は一つ分かった。この国の勘定は、悪くない年でも増えない。増えぬものを削りながら、どうにか回している。
削られるのは、たいてい家中の扶持だった。扶持を削られた者は内職をする。内職をすれば役目に手が回らない。手の回らぬ普請は、翌年の水に持っていかれる。同じところを、十年も回っている。
輪になっている。どこかを切らねばならぬ。切るには誰かが決めねばならぬ。
決める者が、長岡にいない。
この一年、河井はその話を国家老のところへ持ち込んでいる。
十日ほど前にも行った。座敷で半刻ほど話し、川の普請と借財の関わりを順に述べた。御家老は最後まで遮らず、途中で二度、うなずきもした。
「そなたの申すことは、道理じゃ」
そう言われた。
「なれど、いまは時節が悪い。公儀も朝廷も騒がしい。もう少し世の中が静まってから手をつけたほうが、家中も得心しよう」
河井は、落ち着くまで何年かかりますかと訊いた。御家老は笑って、茶を勧めた。
持ち込むたびに、だいたいこうなる。怒鳴られたことは一度もない。悪くない顔で聞かれ、道理だと言われ、そのまま置かれる。悪くない顔をされるだけ、まだましではある。
堤の上で足を止めた。
世間は騒がしい。江戸では御老中がどうしたと言い、京では公家がどうしたと言う。尊王だ、攘夷だ、公武合体だと、皆それぞれに大きな言葉を持っている。
河井はそのどれにも乗る気がしなかった。幕府がどうなろうと朝廷がどうなろうと、長岡の川は毎年溢れる。溢れた分の銭は長岡が出す。足元の一国すら動かせぬ者が、天下の話をして何になる。
*
その晩、花輪儀助が訪ねてきた。江戸屋敷に詰めていた若い藩士で、この師走に暇をもらって帰ってきたばかりである。江戸の話を土産にするのが、この男の役どころになっていた。
「河井さん。江戸で、面白い男の話を聞きました。吉田松陰という――」
「知ってる」
花輪が拍子抜けした顔をした。
「名だけはな。長州の学者だろ。安政に危うく首を刎ねられかけたって聞いたが」
「その御方が、この夏から秋にかけて西国を回って講をして歩いたそうにございます。長州、尾道、大坂、京。どこも人が入りきらぬほどで」
「学者が人を集めるがは、珍しいこっちゃねえ」
「なれど、中身が攘夷ではございませぬ」
河井は盃を取りかけて、やめた。
「なら何だ」
「銭と、地面と、それから日ノ本が割れたらどうなるか、という話で」
「割れたら…?」
「幕府と諸藩が戦をしたら、という話だそうにございます」
幕府と諸藩がいがみ合って戦になったとき、異国は止めには入らん。双方につく。幕府の側にも一国、諸藩の側にも一国。両方へ船を売り、砲を売り、銃を売る。戦が長引けば、それだけ商いが増える。
日本人が日本人を撃つたびに弾が減る。減ればまた買う。買うた銭は、国の外へ出ていく。やがてどちらかが勝つ。だが、勝った側にも後ろ盾への借りが残る。銭の借りも、恩の借りもだ。
新しい政を始めても、その借りはついて回る。条約でも港でも、後ろ盾の顔色を見ねばならなくなる。
「……なるほどな」
花輪が顔を上げた。褒められると思った顔だった。
河井は褒めなかった。いま聞いた筋道が、頭の中で勝手にもう一つ先まで走っている。
長岡は越後の真ん中にある。日ノ本が二つに割れれば、この国はどちらかに付けと言われる。北国街道も三国街道も長岡を通る。通り道にある国は必ず踏まれる。付けば勝ったほうの都合で使われ、付かねば両方から叩かれる。
そのとき長岡はどうするのか。考えたことが、いままで一度もなかった。
「河井さん」
「待て」
掌を上げて止めた。炭の爆ぜる音だけがしばらく続いた。
「儀助。その男は、戦を避けろって言ってんだな」
「さようで。戦をせずに富を蓄えよ、と」
「蓄えてどうすんだ」
「富があれば、異国と対等に渡り合えると」
河井は囲炉裏の縁を指で叩いた。
「なら、その富を誰が守るんだ。銭は置いておけば、取りに来る奴がいる。追い返すには兵が要る。兵を動かすには銃が要る。その銃を揃える銭は、どこから出すがだ。富を蓄えるだけで国が強くなるとでも思ったがか」
花輪は口を開いて、閉じた。
「……そこまでは伺っておりませぬ」
「であんろな(※『であろうな』の長岡訛り)」
河井は、そこで初めて笑った。途中まではきわめて正しい。正しいから、その先が気になる。
諸藩を商いで結べ、とその男は言うらしい。日ノ本でまとめて売れ、と。
だが、結べばすぐに揉める。越後の米と越前の生糸と薩摩の砂糖を一つの帳面に載せれば、値の付け方で利害がぶつかる。米が高ければ米の国が得をし、生糸が高ければ生糸の国が得をする。損をした藩は、抜けると言い出す。
そのとき、誰が止める。藩はそれぞれ別の家だ。幕府が裁けば諸藩は従わぬ。朝廷が裁けば、今度は幕府が黙っておらぬ。商いで結ぶには、品物より先に、その揉め事を裁く者が要る。
そこまで考えて、河井は自分が前のめりになっているのに気づいた。
「儀助。その男は、いま江戸にいるのか」
「おります。神田に学び舎があって、そこで教えておるとか」
花輪が身を乗り出した。
「河井さん。江戸へ出られませ。行けば会えます」
河井は答えなかった。囲炉裏の火を見ていた。
行けば会える。そのとおりである。三国を越えるのは難儀だが、越えられぬ道ではない。江戸には知った顔もいる。半月もあれば向こうに着く。会って、いま考えたことをそのままぶつければいい。
行きたい、と思った。目を上げた。
「……今は行かねえ」
花輪がきょとんとした。
「なぜでございます」
「俺は去年、帰ってきたばかりだ。藩政を何とかせねばならぬと御家老に幾度も申し上げた。だが、まだ何も動いておらぬ。その最中に江戸へ出て、天下の学者と問答をして戻ってきた。……それは逃げだ」
「逃げ…とは」
「目の前の勘定が動かねえすけ、大きな話をしに行く。長岡の川一本を直せねえ奴が、日ノ本の話をして得心して帰ってくる。そういう男を、俺はこの目で何人も見たがだ」
花輪は何も言えなかった。
河井は盃を取って、一口だけ飲んだ。
「行かねえ」
言い切ってから、しばらく黙っていた。炭が崩れた。
「だが――」
河井は立ち上がった。
「その男には、一つ聞きたいことがある」
*
文机に紙を広げたのは、その夜半である。行灯を引き寄せ、墨を磨る。磨りながら、頭の中で並べ直した。
一つめは、さっき花輪に言ったことだった。戦を避けるために富を蓄えると申される。ならば、その富を守る力はいかにして得るのか。蓄えた富は、それ自体が人を呼ぶ。守る力のない富は、早晩、力のある者のものになる。書いて、二度読んで、一字だけ直した。
二つめ。諸藩を商いによって結ぶと申される。ならば、藩ごとの利害が衝突したとき、誰が裁くのか。これは自分の国のことでもある。長岡が損をすれば、長岡は抜けると言うだろう。言わせぬ者がいるとすれば、それは誰か。
三つめで、筆が止まった。書き直した。海洋国家を唱えられるなら、幕府と朝廷と諸藩の関わりを、いかに整理されるのか。これを飛ばしては、前の二つも答えようがない。
書き終えた紙を二度読んだ。褒め言葉は一つも入れなかった。学びたいとも、教えを乞うとも書かなかった。
署名の前で、また筆が止まった。顔も知らぬ相手に、いきなり三つ突きつける書状である。無礼と取られても仕方がない。
河井はそのまま名を書いた。越後長岡藩士、河井継之助。
翌朝、城下の飛脚問屋へ持っていった。
「江戸のどちらへ」
「神田、お玉が池。商務語学所とかいう学び舎がある。そこの、吉田松陰という御方宛てだ」
店の者が宛名を書き写した。
「お返事は、いつごろに」
「返事が来るかどうかは、向こう次第だ」
問屋場を出たところで、花輪儀助が追いついてきた。昨夜のうちに、河井が書状を書いたことを聞きつけたらしい。
「河井さん。返事は、来ましょうか」
「来ぬかもしれぬ」
「あれだけ人が集まる御方でございます。日に何通も文が来ておりましょう」
「来ておるだろうな」
「では、なぜお出しになりました」
河井は歩きながら答えた。
「来ぬなら、それまでの男だったということだ。こちらは何も損をしておらぬ。紙一枚と、飛脚の駄賃だけじゃ」
花輪は少し黙ってから、笑った。
「河井さんらしゅうございます」
雪の道へ出た。書状を出したところで、何が片づいたわけでもない。長岡の川は来年も溢れる。帳面の輪も切れていない。
河井は、そのまま御用所のほうへ歩いていった。
四
信州上田の冬は、越後ほど降らない。雪は降っても膝まで来ることは少なく、そのかわり晴れた朝ほど冷える。
赤松小三郎は、朝から同じ紙を見ていた。
紙には道が引いてある。上田から和田峠を越えて下諏訪へ抜ける道で、赤松が自分の足で歩いて測った。曲がり角ごとに間数が書き込まれ、峠の手前で数が細かくなる。
名を改めて、まだ二月である。この秋まで清次郎と呼ばれていた。小三郎と名乗るようになったのは十月のことだ。
役目は数学測量の世話。田畑の縄入れを検め、道普請の見積もりを検め、必要があれば自分で出て測る。藩から与えられた役としては地味なものである。ただ、赤松はこの数年、この役目の紙を別の目で見ていた。道の幅と、傾きと、長さ。普請の見積もりの数であると同時に、兵を通す数でもある。
この秋から、赤松は一つの意見書を出していた。和蘭渡りの小銃を百挺買い入れたい、という中身である。値は張る。藩の勘定から簡単に出る額ではない。それでも押しているのは、いま買わねば次に買うときは値が倍になっているという見込みがあるからだった。
意見書には、値のほかにもう一枚を付けてある。百挺の銃をどう使うかを書いた紙で、赤松はいまもそれを膝の横に置いていた。
百挺なら、撃ち手は百人。一人が一日に六十発撃つとして六千発。弾と薬を合わせて一発十匁と見れば六万匁、すなわち六十貫目になる。馬一疋の荷は公儀の定めで四十貫目であるから、一日ぶんの弾薬は馬一疋と半分で運べる。
だが、問題はそこからだった。
戦が三十日続き、そのうち撃ち合うのがわずか三日だとしても一万八千発、百八十貫目。馬にして四疋半を食う。それ以上に重いのが、兵の「食い扶持」だった。
百人が一日五合食えば一日に五斗。三十日で十五石。米一石は約四十貫目ゆえ、六百貫目――馬にして十五疋分になる。
赤松はそこに筆で丸を付けていた。
弾より、飯のほうが遥かに重いのだ。
最初にこれを数で出したとき、赤松はしばらく紙を見ていた。兵書には書いていない。兵書に書いてあるのは隊の組み方と、撃ち方と、進み方で、何を食わせるかはたいてい一行で済まされている。
丸は、そこで終わらなかった。米と弾を運ぶ十九疋半の馬自身も食う。馬二十疋が一日二貫目食うとすれば、三十日で千二百貫目。その飼葉を運ぶために、さらに三十疋の馬が要る。
赤松は、そこで数えるのをやめた。追えば追うほど途算がなくなり、破綻する。必要なのは、道中で調達できる仕組みだった。途中に蔵があり、米がある。買う銭があり、売る者がいる。それが揃っていれば、運ぶ馬は減らせる。なければ、兵は一里進むごとに自滅していく。
軍を遠くへ出せるかどうかは、道と、蔵と、銭で決まるのだ。
赤松は意見書の末尾に、一行だけ足していた。銃があっても、弾が届かねば撃てぬ。
その一行が御用所でどう読まれたかは、いまのところ分からない。
渋られている理由のほうは、分かっている。
百挺の値は、家中の下のほうの者の扶持に直せば、何十人分にもなる。その銭を、いま撃つあてのない銃に変える。御用所がためらうのは、当たり前だった。
『赤松。いま戦があるか』
『ない』と答えた。
『ないものの支度に、それだけの銭を出せと申すか』
『支度は、戦がはじまってからでは間に合いませぬ』
『間に合わぬと、なぜ分かる』
そこで赤松は、和田峠の紙を出そうとして、やめた。
出せば、間数と貫目の話になる。細かな数字を並べれば、相手には数のことしか考えぬ男と思われる。それでは、本当に言いたいことが届かない。
だから、値の話だけをした。いま買わねば、次は倍になりまする、と。
通ったのは、その一言のほうであった。
*
昼過ぎに、笠原屋仁兵衛が訪ねてきた。城下の蚕種商である。上田の蚕種はこの数年、値が上がり続けていた。異人が生糸を欲しがるので糸を取る者が増え、糸を取る者が増えれば種が要る。仁兵衛はその波に乗って、横浜まで足を延ばすようになった男だった。
「赤松様。横浜から戻りましてございます」
「ご苦労であった。値は」
「上がっております。上がりすぎて、そろそろ恐ろしゅうございます」
仁兵衛は火鉢の前に坐り、懐から紙を出した。
「それで、一つお耳に入れておきたい話が。異人の戦のことでございます」
「メリケンか」
「ご存じでしたか」
「今年の春から割れておるって聞いたでな」
「その戦のことを、江戸で人に聞きました。北のほうに人が二千二百万、南は九百万。しかもそのうち四百万は黒い肌の者で、鉄砲を持たせられぬそうにございます」
赤松はその数を目で追った。
「実の頭数じゃ、四倍近い差か」
「そうなりましょう。なれど、その御方が申されたのは頭数のことではございませんで。工場の数が、北は南の十倍を超えると。鉄を作る量も、鉄の道の長さも、北が押しておる、と。それで、勝ち負けは武士の気概では決まらぬ、工場の裏と蔵に積んである物で決まる、四年で北が勝つ、と年数まで」
火鉢の炭が鳴った。
赤松は、膝の横の紙に手を置いた。馬の数と、その飼葉を追い、途中で筆を止めた紙である。測量の役目の片手間に、間数と貫目から組み立てた話だった。兵書にも載っていない。誰に話しても、算勘の細かい男だと思われて終わる。
だが、同じところへ別の道から来ている者がいる。
自分は道と重さから考えた。その男は、工場と鉄から考えた。出発点は違う。辿り着いた先は、同じだった。
「そのお人は、どこの誰だ」
「長州の、吉田松陰と申されるそうにございます」
赤松はその名を知っていた。危ういところで助かったとも、赦されたとも聞いた。世間では過激な攘夷の親玉ということになっている。
攘夷の親玉が、工場の数を数えている。
赤松は、まずそこを疑った。
洋学をかじった者が、異国の大きな数字を並べて人を驚かせる。そういう手合いを、江戸でも長崎でも見てきた。数字は、大きければそれだけで重く見える。だが、出所が分からぬ数字は、勘定には入れられない。
二千二百万という数を、この男はどこから取ったのか。メリケンの人別を数えた紙が、日ノ本のどこにある。工場が十倍というのも同じだ。十倍と出すには、元の数も、比べた数も、誰かが確かめていなければならない。
その根拠を、この国で誰が見たのか。そこまで考えて、赤松はふと引っかかった。
怪しい数を並べる者は、たいてい大きな数だけを言う。何万、何十万と言い、聞き手が驚いたところで話を切り上げる。
この男は、数字を切り上げていない。九百万のうち、四百万は武器を持たせられぬと言っている。そこまで差し引けば、実際に戦える数の差は、かえって四倍を超える。話を大きく見せたい者は、こんな引き算をしない。引けば、自分の話まで小さくなるからだ。
小さくなってもよいから正しい数にしておこう、という者の口ぶりだった。
「仁兵衛。その話、どこで聞いた」
「江戸の生糸問屋の番頭からでございます。番頭は、上方から戻った者から聞いたと申しておりました」
「なら、じかに聞いた者じゃねえんだな」
「さようで」
赤松は頷いた。
伝え聞きである以上、途中で数字が変わることはある。二千二百万も、十倍も、四年も、どこかで誰かが丸めているかもしれない。
それでも、気になった。
仁兵衛が帰ったあとも、赤松は紙を片づけなかった。
仮に、その男の言うとおりだとする。戦の勝ち負けが工場と鉄と道で決まるとする。ならば日ノ本はどうなるのか。
工場はない。鉄はたたらで作る。作る量は知れている。鉄の道など一里もない。軍艦は数えるほどで、そのほとんどは買ったものである。その理屈をそのまま当てはめれば、日ノ本は負ける側に並ぶ。
では、どうせよと言うのか。工場を建てよと言うのは易い。建てるには銭が要る。銭は商いで稼ぐしかない。
商いを強くするのと、軍を強くするのと、どちらが先か。
両方だ、と答えるならそれは答えではない。両方やる銭がないから順を決めるのである。順を決めるのが、いちばん難しい。
「その男は、そこまで定めておるんか。定めたんなら、何を根拠にしたんだ」
*
三日後、赤松は御用所へ呼ばれた。例の意見書の件である。
「値の当たりを、江戸で確かめてまいれ。買うと決まったわけではない。品と値を見てくるだけだ。その上で、あらためて評議にかける」
「承知つかまつりました」
決まらなかったというより、半歩だけ前に出たということである。この藩では、それが速いほうだった。
「発つのは、いつでもよい」
「年内に出ます」
「年内か」
「江戸で年を越しまする。年が明ければ異人も商人も動きまする。動き出してからでは、値を聞くのに順番待ちになりまする」
用人は少し呆れた顔をした。
「そなたは、いつも急ぐな」
「遅れると、値が上がりまする。それだけにございます」
*
支度をしながら、赤松はもう一つのことを考えていた。
江戸へ出て、銃の値を見る。それが役目だった。その役目とは別に、会いたい男がいた。仁兵衛から、神田に学び舎があると聞いている。異国の言葉と算勘を教えるところで、吉田松陰もそこにいるという。
弟子入りするつもりはない。思想の話を聞きたいわけでもない。訊きたいのは一つだけである。
「あの男は、兵站をどこまで分かって言ってんだ」
工場の数で戦が決まると言い切るのは、大きな話だ。そんな話なら、誰にでもできる。では、その工場で作った弾を、誰が、何疋の馬で、何日かけて、どこまで運ぶのか。そこまで数えた上で言っているなら、その男の話は信じるに足る。数えていないなら、講釈である。
赤松は測量の紙を巻いて、荷の底へ入れた。和田峠の間数が書いてある紙だった。江戸では要らない。
要らないと思いながら、入れた。
五
中山道、追分。
三岡八郎がこの宿場を通ったのは、師走の二十日過ぎである。福井を出て今庄から峠を越え、木ノ本へ下り、そこから東へ入った。雪の重い場所さえ抜けてしまえば、あとは歩ける。
宿に入ると、まず行灯を引き寄せて荷から帳面を出した。
道中、同じことを考えていた。日ノ本でまとめて売る、という話である。まとめるには、誰かが仕切らねばならぬ。買い手が値を渋れば、荷を抱えたままになる。そのあいだの銭を、誰かが立て替えねばならない。百姓にも、仲買にも、その余裕はない。荷と銭を抱えていられるのは、蔵を持つ者だけである。
そこまでは分かる。
白い紙に線を一本引いた。左に作る者、中に集める者、右に売る者。線の上へ銭の流れを書き込んでいくと、どこにも収まらないものが一つ出た。
帳面である。
誰がこの帳面を付けるのか。誰が付けるかで、まとめた富が誰のものになるかが決まる。藩が付ければ藩のものになり、商人が付ければ商人のものになる。国ごとに別々の帳面を付けるのなら、そもそもまとまらない。
越前の勘定なら、十年、自分が付けてきた。だから、どこにどれだけあるか分かる。分かるから動かせる。
日ノ本の勘定を、誰が付けるのか。
三岡は筆を置いて、行灯の火を細くした。
その男がそこまで考えているのなら、学者ではない。
*
長岡では、河井継之助が御用所の一間に藩の勘定帳を積み上げていた。
書状を出して五日になる。返事が来るとしても、早くて年明けであろう。三国は雪である。
待つあいだにやることは決めてあった。川の普請の分だけを十年ぶん並べ直す。出た額と、借りた額と、返した額を、年ごとに一枚の紙に載せる。載せれば輪が見える。輪が見えれば、どこを切ればよいかが誰の目にも分かる。分かるようにしてから、もう一度、御家老のところへ行く。
いままでは言葉で言った。言葉で言うと、悪くない顔で聞かれてそのまま置かれた。次は紙で出す。
河井は筆を取った。
江戸へ行かずとも、問うことはできる。ただし、問いを出しておいて、返事が来るまで何もせずに待っている男の問いに、答える値打ちはない。
*
赤松小三郎が碓氷の峠を越えたのは、それから五日のちである。
峠は凍っていた。荷を負った馬が二度、脚を滑らせ、馬子が舌打ちをして括り直した。赤松はそれを最後まで見ていた。
坂本の宿に入ってから、巻いてきた紙を広げた。和田峠の間数を書いた紙である。その脇に、今日越えてきた碓氷の道を、覚えているかぎり書き足したもう一枚を並べた。
どちらの峠も、馬が荷を負って越えられる。ただし天気による。凍れば滑り、崩れれば止まる。止まれば、後ろがつかえる。
赤松は宿の主人を呼んだ。
「この宿には、馬は何疋おる」
「定めでは、二十五疋にございます」
「人足は」
「同じく、二十五人で」
礼を言って帰した。
馬二十五疋。一疋四十貫として千貫目。一日にこの宿を通せる荷は、それが上限である。それ以上を通そうとすれば近在の村から助けを出させることになり、出させれば村の仕事が止まる。
兵を江戸から西へ出すとする。千人なら米だけで一日五石、三十日で百五十石、六千貫目。この宿の一日ぶんの六倍だ。千の兵を三十日養うだけで、この宿は六日のあいだ、他の荷をいっさい通せなくなる。
道が、そのまま兵站である。この国に鉄の道はない。あるのは、この幅の道と、この数の馬だけだ。
赤松は筆を置いた。
あの男は、工場の数で戦が決まると言ったという。工場は、作るところである。作ったものは、この道で運ぶ。
「そこまで数えているのか。数えていないなら、訊けばよい。答えられなければ、それで分かる」
三岡八郎と赤松小三郎は、同じ追分の宿場を四日ちがいで通っている。
河井継之助は、長岡を出ていない。
三人とも、同じ一人の男の話を人づてに聞いた。三岡は帳面の限界に突き当たり、赤松は馬の頭数で行き詰まり、河井は裁き手の不在に直面した。誰も、まだ答えを持っていない。
六
江戸、神田お玉が池。
商務語学所の大教場は、日が落ちても灯が消えなかった。
この日、大きな塗板の前に立っているのは吉田松陰である。塗板には白粉の筆で、いびつな世界の形が描いてあった。左に日ノ本、その西に清国、さらに西の端にイギリス。海を挟んだ右側に、大きな塊が一つ。
松陰は、その右側の塊を白い筋で二つに割った。
「北と南じゃ」
机には十数人が坐っている。半分は、この夏まで東海道で刀を抜いていた男たちであった。
「さて源吾。北が二千二百万、南が九百万。そのうち四百万は武器を持たせられぬ者じゃ。ここまではよいか」
「はい」
赤座源吾が答えた。膝の上に帳面がある。去年まで文字の書けなかった男が、いまは松陰が板に書くより早く書き取る。
「なら、この戦は何で決まる」
「……工場の数にございます」
「そう習うたからか」
松陰が笑った。赤座は少し考えた。
「いえ。人の数では四倍の差でございます。四倍ならば気概で埋まると申す者がおりましょう。なれど、工場が十倍となりますと」
「となると」
「弾が、十倍出ます。十倍出れば、撃ち負けませぬ」
「うむ」
松陰は白墨を置いた。
「気概は、撃ち尽くせば終わる。工場は、翌朝もまた作り続ける。それだけのことじゃ」
教場の後ろで、誰かが小さく唸った。
「先生。鉄の道と申しますのは」
訊いたのは、後ろの列の男である。去年の秋まで、東海道で赤座の後ろに立っていた一人だった。
「鉄で拵えた二本の筋を地面に敷いて、その上を車が走る。牛も馬も曳かぬ。湯を沸かして、その力で動く」
「馬なしで、荷が動くのでございますか」
「動く。しかも、一度に馬五百疋ぶんを、一日で運ぶ」
男は、しばらく黙っていた。
「……では、その筋が引いてある国と、引いてない国とでは」
「勝負にならぬ」
松陰は、あっさり言った。
「よう気づいた。鉄の道は、戦の道具として数えられておらぬ。数えられておらぬものが、勝ち負けを決めておる。そこが怖いところじゃ」
男は帳面に何か書きつけた。字はまだ拙い。それでも、最後まで自分の手で書いた。
そのとき廊下から足音がして、若い小者が入ってきた。
「吉田先生。書状が届いております」
「ここへ置いてくれ」
松陰は振り返りもせずに言った。講義の最中である。
小者は机の端に文箱を置いた。
「飛脚問屋の者が、越後からだと申しておりました」
松陰の手が止まった。
「越後…?」
「長岡と」
松陰は白墨の粉のついた手を袖で拭って、文箱を取った。
長岡に知り合いはいない。長州にも、江戸にも、京にも、大坂にも顔はできたが、越後へは行っていない。
封を切った。読みはじめて、すぐに眉が動いた。
挨拶が短い。名乗りと、どこで話を聞いたかが二行あって、そこから先はすべて問いであった。
「……富を守る力」
松陰は声に出して読んだ。
教場が静かになった。赤座たちが顔を上げている。
松陰はその視線に気づかぬまま、次へ目を移した。
「……藩ごとの利害が衝突したとき、誰が裁くのか」
紙を持つ手が、わずかに下がった。
三つめを読むのに、少し時がかかった。
「……朝廷と、幕府と、諸藩の関わりを、いかに整理するか」
松陰はそこで紙を下ろした。
しばらく、何も言わなかった。
教場では誰も動かない。松陰が黙るのを、この者たちは見慣れていない。
やがて、松陰の肩が揺れた。笑っていた。
「せ、先生?」
赤座が恐る恐る声をかけた。
「面白い」
松陰は言った。
「面白い。……この男、面白いぞ」
「どなたからの書状にございますか」
「越後長岡、河井継之助」
松陰は名を二度読んだ。
「知らぬ名じゃ。会うたこともない。わしの講を聞いてもおらぬ。人づてに聞いた話を、さらに人づてに聞いてきた男じゃ」
「では、なぜ」
「よいか源吾」
松陰は書状を持ち上げた。
「これまでわしの話を聞いた者は、たいてい二つに分かれた。怒るか、喜ぶかじゃ。怒った者は刀を抜きに来た。喜んだ者は、わしの話をそのまま抱えて国へ帰った」
「はい」
「この男は、どちらでもない」
松陰は紙を軽く振った。
「わしの話を聞いて喜んだのではない。わしの話を材料にして、わしを問い返してきおった。しかも、いちばん薄いところを三つ、正確に突いてきた」
赤座は黙っていた。
松陰は机に書状を置き、その上へ手を乗せた。
「一つめは、まだよい。富を守る力をどこから出すか。これは答えられる。富が要るのは、力を買うためでもあるからじゃ。銭がなければ船も砲も買えぬ。順が逆なのだと言えば、この男は得心はせぬまでも、話は続く」
「二つめは」
「二つめが、痛い」
松陰はそう言った。
「諸藩をまとめて売れと、わしは各地で申した。だが、揉めたときに誰が裁くかは、申しておらぬ」
「先生」
赤座が、遮るように言った。
「何じゃ」
「揉めたときに裁く者は、まとめる前から決めておかねばならぬのではございませぬか」
松陰が赤座のほうを見た。
「なぜ、そう思う」
「……手前どもは、去年まで、寄り合いのような集まりにおりました」
赤座は帳面を閉じた。
「頭はおりませぬ。皆、志は同じだと申しておりました。なれど、銭が絡むと必ず利害が割れました。そこから裁く者を決めようとしても、もう遅いのでございます。誰が裁くかを決めること自体が、次の争いの種になりますゆえ」
松陰はしばらく赤座を見ていた。
「……源吾。お主、いまのを長岡の男に言われる前に思いついたか」
「いえ。書状を伺うて、そう思いました」
「正直でよい」
松陰は笑い、それから笑いを収めた。
「じゃが、お主の言うとおりじゃ。わしはまとめよとだけ言うて、まとめたあとに起きることを言わなんだ」
教場は静まっている。松陰は三つめの行へ目を戻した。
「朝廷と幕府と諸藩を、どう並べるか。……わし一人が、この場で答えてよい問いではない」
言ってから、松陰はふと口を閉じた。
答えを持っていそうな御方が、一人いる。
だが、あの御方はこの月に入ってから奥に籠もったきりであった。侍女の話では、床から出てこられぬ日もあるという。世を憂うがゆえの沈黙か。
松陰は静かに首を振った。他人に頼る思考を、己の中から振り払うように。
「……いや」
書状の上に置いた手に、少し力が入った。
「まず、わしが考える」
赤座が顔を上げた。
「先生。その御方に、お返事をお出しになりますか」
「出す」
松陰は即答した。
「ただし、いますぐではない。半端な答えを書いて出せば、この男は二度と書いてこぬ」
松陰は書状を丁寧に畳み、文箱へ戻した。戻してから板のほうへ向き直り、白墨を取って、二つに割った塊の脇に小さく数を書き足す。
「さて源吾。いまの話で一つ分かったことがある」
「は」
「わしの話には、穴が三つある」
松陰は振り返って笑った。
「穴があると教えてくれる者は、褒めてくれる者より値打ちがある。覚えておけ」
七
年は押し詰まっていた。
中山道の宿で、三岡八郎が草鞋を履き替えている。江戸まであと二日。懐には矢立で線を一本引いただけの紙が入っていて、誰が帳面を付けるのか、という一行だけが空白のまま残っている。
坂本の宿では、赤松小三郎が測量の紙を巻き直していた。和田峠と碓氷峠の間数が並べて書いてある。江戸で銃の値を見て、それが済んだら神田へ回る。順は、もう決めていた。
長岡では、河井継之助が筆を置いたところだった。十年分の普請の勘定を並べ直した紙が、机の上で乾きかけている。返事が来るかどうかは向こう次第である。来なければ、来ないで構わない。それまでに、こちらはこちらの輪を切る。
江戸、神田お玉が池では、吉田松陰が教場の灯を落としていた。文箱の中に、越後から来た紙が一通入っている。
四つの場所で、四人の男が、それぞれ別の紙を前にしていた。
紙の中身は、どれも似ていない。片方に銭の流れが引いてあり、片方に峠の間数が書いてあり、片方に十年分の普請の額が並び、残りの一通には問いが三つ書いてある。
互いの名を知らない。互いが何を考えているかも知らない。この冬に四人が顔を合わせることもない。
この冬、吉田松陰が風に乗せたひとことが、遠く離れた男たちの思考に火を点けた。
その火を抱いた男たちが、やがて同じ一つの門を叩くことになるのを、まだ誰も知らない。
第二百九話 了
【人物解説】幕末を駆け抜けた三人の異才――三岡八郎・河井継之助・赤松小三郎
幕末史を調べていると、ときどき「こんな人がいたのか」と思わされる人物に出会います。
今回紹介したいのは、そんな三人です。
越前福井藩の三岡八郎、長岡藩の河井継之助、そして上田藩の赤松小三郎。
三人とも、それぞれの藩ではかなりの異才でした。
ただ、面白いのは能力の高さだけではありません。
この三人、見ているものが普通の藩士とは少し違う。
藩の財政をどう立て直すか。
西洋の軍事力にどう対抗するか。
これからの日本を、どんな政治の仕組みにするのか。
それぞれ違う場所から、藩という枠を越えて「日本そのもの」を考えていたのです。
そして、三人の運命は大きく分かれました。
■三岡八郎――金の流れを変えた男
三岡八郎、のちの由利公正は、一八二九年生まれの福井藩士です。
彼が力を発揮したのは、まず藩の財政改革でした。
当時の福井藩も財政は苦しく、単純な倹約だけではどうにもならない。
そこで三岡が目を向けたのが、「どうやって収入そのものを増やすか」という問題でした。
産業を育て、商品を売り、資金を回す。
藩札の発行や生糸生産者への融資、長崎を通じた販路の開拓など、彼の発想はかなり実務的です。財政再建を、ただの節約ではなく「経済を動かす仕事」として考えていたわけです。
このあたりが、由利公正という人物の面白いところだと思います。
そして維新後、その能力は新政府でも使われることになります。
新政府の紙幣である太政官札の発行に関わり、さらに「議事之体大意」を起草。これが後の五箇条の御誓文につながっていきます。
その後は東京府知事などを務め、明治四十二年(一九〇九)まで生きました。
幕末を生きた三人の中で、由利だけは新しい明治政府の中に入り、その後の日本まで見届けたわけです。
■河井継之助――戦わないために、戦える藩を作った男
河井継之助は、一八二七年生まれの長岡藩士です。
こちらは、由利公正とはまったく違う方向から時代に挑みました。
軍事です。
継之助は西洋の兵学や武器に強い関心を持ち、長岡藩の軍備を近代化していきます。
その象徴が、ガトリング砲でした。
戊辰戦争が始まったとき、継之助が目指したのは単純な佐幕でも倒幕でもありません。
長岡藩を戦争に巻き込まないため、まず自分たちが簡単には攻め込まれないだけの力を持つ。
強い軍備を背景に中立を維持する。
ところが、交渉は決裂しました。
長岡藩は新政府軍と戦うことになり、継之助自身が軍を率いて北越戦争を戦います。
長岡城は一度落ち、それでも継之助は反撃して城を奪い返した。
しかし戦局は次第に厳しくなり、継之助も足に銃弾を受けます。
長岡を離れ、会津方面へ向かう途中で傷は悪化。
慶応四年(一八六八)八月十六日、四十二歳で亡くなりました。
長岡藩も大きな被害を受けます。
継之助の評価には今もさまざまな見方がありますが、少なくとも彼が最後まで目指していたものは、「戦うこと」そのものではありませんでした。
戦わずに済ませるために、戦えるだけの力を持とうとした。
ところが、時代はそれを許してくれなかった。
そこに河井継之助という人物の悲劇があります。
■赤松小三郎――維新の先にある政治まで考えていた男
三人の中で、私が特に面白いと思うのが赤松小三郎です。
一八三一年生まれ。信濃上田藩の藩士で、数学や測量、砲術、航海術などを学び、さらに英国式の軍事学を身につけました。
京都では私塾を開き、薩摩藩士らに洋式兵学を教えています。英国式歩兵教練を日本語に訳して紹介するなど、近代的な軍事教育にも力を入れました。
しかし、赤松の本当の面白さは、その先にあります。
彼は「強い軍隊を作れば日本は大丈夫」と考えていたわけではありません。
軍隊をどうするかだけでなく、その軍隊を持つ日本を、誰が、どのような仕組みで治めるのかまで考えていた。
慶応三年(一八六七)には、松平春嶽や島津久光らに「建白七策」を提出します。
そこでは、朝廷と幕府、諸藩が協力して政治を行い、議論によって国政を決めていく仕組みが構想されていました。
幕府を倒すか、守るか。
その二択だけで考えていた人たちとは、少し違うところを見ていたわけです。
「その先、日本をどういう国にするのか」
そこまで考えていた。
ところが、赤松自身がその新しい時代を見ることはありませんでした。
慶応三年九月三日、京都で薩摩藩士の桐野利秋らに襲撃され、三十七歳で命を落とします。
暗殺の理由についてはさまざまな説がありますが、「議会政治を唱えたから殺された」と一つに決めてしまうのは慎重であるべきでしょう。
ただ、維新の直前まで政治制度について具体的な提案を行っていた人物が、その制度が形になる前に倒れた。
これは何とも皮肉な話です。
三人が見ていた「その先」
三岡八郎は経済から。
河井継之助は軍事から。
赤松小三郎は政治制度から。
入り口はまったく違います。
けれど、三人に共通しているのは、目の前の藩政だけを見ていなかったことです。
日本はこのままでいいのか。
外国の圧力に、どう対抗するのか。
これからの国を、どんな仕組みにするのか。
幕末というと、どうしても薩摩、長州、幕府、坂本龍馬といった大きな名前に目が行きます。
しかし実際には、全国の藩で、それぞれの立場から「これからの日本」を考えていた人間がいました。
そして、その答えも一つではなかった。
経済を立て直す者。
軍備を整える者。
政治の仕組みを考える者。
由利公正は明治まで生き残り、河井継之助は戦場で倒れ、赤松小三郎は維新の直前に暗殺された。
三人とも才能があり、時代の先を見ていた。
それでも、歴史は彼ら全員に同じ未来を与えなかった。
だからこそ、この三人を並べてみると幕末という時代の面白さがよく分かります。
維新を動かしたのは、後世に大きく名前を残した人物だけではない。
名も知られぬ場所で、それぞれの方法で「次の日本」を考えていた人間が、確かにいたのです。




