第二百八話「薩摩京入り④―残された旗」
一
長月十一日の朝、岩倉具視はいつもより遅く起きた。
遅いといっても、日が塀の上に届いたばかりである。夜のうちに、門のほうで二度、物音がした。一度目は風だった。二度目は雑色の若い男で、同じ音を聞いて起き出してきたらしい。暗い土間で顔を合わせた二人は、何も言わず、それぞれの部屋へ戻った。
朝餉の粥は雑色が炊いたもので、いくらか固かった。岩倉は黙ってそれを食べた。
膳を下げさせると、昨夜の光景が浮かんできた。
近衛邸の奥の一間。燭台が一つ。文机が一つ。左府の声。
そちは、使いようのある男じゃ。
「……使いよう、か」
口に出してみると、自分の声が思ったより低かった。
岩倉は、一人で苦笑した。
五摂家の当主に夜、私室へ呼ばれ、自分がどれほど役に立つかを言い聞かされた。まだ壊れてもらっては困る――そう言われただけである。
それを嬉しいと思った自分が、朝の光の中では少し可笑しかった。
九日の夜には、薩摩の男が旗を持ってきた。我が藩の先頭で旗を持っていただきたい、と。十日の夜には、左府が、使いようがあると言った。
二晩続けて、自分の値を量りに来た者がいたことになる。
薩摩の男は、自分を値踏みしに来た。提示された値段が気に入らなかったから断った。一方、左府は値を付けなかった。ただ、使いようがあると言った。
長い間、誰も量りに来なかった。
量る者が現れたということは、まだ使い道があるということだ。岩倉はそれだけを胸の内で確かめた。使い道があると分かったところで、明日の暮らしが変わるわけではない。
一昨日まで、自分は旗を持って歩いていた。朝議の真ん中で紙を読み、名を市中へ回され、門に日限を切られても、乗物を使わず御所へ上がった。旗を下ろせば、すべて終わると思っていた。
昨夜、左府は言った。下ろしてもよい、使いようは消えぬ、と。
岩倉は膳を脇へ寄せた。
旗を持つ自分と、下ろした自分。二つを比べてどちらに価値があるかなど、考えたこともなかった。家格のない堂上には、持ち続ける以外の道が見えなかったからである。
いまは、道が一つ増えている。
増えた道の先に何があるのかは、左府も約束しなかった。約束できぬと、はっきり言った。来たときに出られるように生きておけ、とだけ言った。
「ならば」
岩倉は、誰もいない座敷で言った。
「使えるところまで、生きてみるか」
それだけ言って、立ち上がった。
廊へ出ると、開けた戸の向こうに門の柱が見えた。貼り紙を剥がした跡が、朝の光に白く残っている。
昨日までは、あれを見るたび、自分が狙われていることを確かめていた。糊の白さは、次の紙がいつ貼られるかを測る目印だった。
今朝は、見え方が少し違った。
あれだけの手間をかけて紙を貼りに来る者がいたのは、岩倉具視という名に、それだけの重さがあったからである。重さのない名に、日限を切る者はいない。
岩倉は、しばらくその跡を見ていた。削ろうとは、やはり思わなかった。
奥の三畳を覗くと、久助が目を開けていた。額のこぶは、もうほとんど目立たない。
「旦那様。今朝は、門の前を掃いておりませぬ」
「掃かずともよい」
「なれど」
「当分、掃かずともよい」
年寄りは、主の顔をしばらく見ていた。それから、何か得心したように、黙って目を閉じた。
二
その日から二日のあいだ、岩倉は御所へ上がらなかった。
病の届けも出さなかった。届けを出さずに休めば、御所の廊で名を口にする者が出る。何を言われるかは、だいたい分かっている。それを承知で、岩倉は家にいた。
座敷で考えていたのは、どう消えるかだった。
役を退くと願い出れば、旗は下ろせる。だが、下ろし方を誤れば、それで刃が止まるとは限らない。貼り紙を出した者たちが欲しいのは、岩倉の名が朝廷から消えることだけではない。自分たちが、それを消させたと思えることだ。そこまで与えなければ、止まらない。
もう一つの道も、頭の中で一度並べた。
九日の夜、大久保一蔵がこの座敷で差し出したものである。
この家に薩摩の者を置く。道を歩くときは供をつける。京にいるのが危うくなれば、国元へ移ることもできる。
あの申し出を受けていれば、いまごろ門の前には薩摩の者が立っていた。貼り紙を貼りに来る者は減っただろう。四人で道を塞ぐような真似は、二度とできなくなったかもしれない。
だが、そのとき刃の向かう先は、岩倉具視一人ではなくなる。
薩摩の者が堂上の門を守っている。それを市中が見れば、四奸の一人に薩摩がついたと言う。言われた時点で、岩倉を狙う者は、岩倉ではなく、薩摩と朝廷の結びつきを狙うことになる。
そうなれば、斬りに来る者の数が変わる。薩摩を嫌う者が、みな加わる。
あの夜、申し出を断ったとき、岩倉が考えていたのは、半年後のことだった。薩摩の者が三人もこの家に住みつけば、自分の判断と薩摩の判断との境目が、外からは見えなくなる。そうなる前に断るほうが安い。だから、あのとき断った。
その勘定は、いまも変わっていない。
薩摩の庇護は受けない。
身を引くなら、自分の手で引く。人に隠してもらえば、その者に借りができる。借りを作れば、次に表へ出るとき、その者の旗を持つことになる。
岩倉は、文机に紙を広げた。
御役を退きたいという願いの書付である。文面は短くした。病とも、一身の都合とも書かなかった。長く勤めを果たせずにいること、この上は御役を御免蒙りたいこと。それだけを書いた。
理由を書かなければ、読む者が勝手に理由をつける。四奸と呼ばれ、日限を切られ、ついには刃まで向けられた公家が、恐れて退いた。そう読まれれば、それでよかった。
書き上げた紙を、岩倉は二度読んだ。
貼り紙の文言は『役を退き髪を下ろして、京を出よ』であった。そのうち役を退くことと、京を出ることは、この紙一枚と足二本で済む。
貼り紙を出した者たちは、自分たちの言い分が通ったと思うだろう。そう思わせておけば、次の紙は出ない。刃を抜く理由もなくなる。
左府へは、文を出さなかった。
紙にすれば、近衛家と自分の退き際が結びつく。あの夜、左府が客間ではなく私室へ自分を通したのも、話を家の外へ漏らさぬためだった。その心遣いを、こちらから紙にして返すわけにはいかなかった。
*
書付が出されて三日のうちに、話は市中へ回った。
どこから出たのかは、岩倉にも分からない。御所の内で書付を見た者が誰かに話し、その誰かがまた町へ持ち出したのだろう。四奸の一人が恐れて役を退いたという噂は、尾ひれをつけて広がっていった。
夏に朝議の真ん中で紙を読んだ男の名は、秋のうちに、終わった者の名として語られはじめた。
岩倉は、それを家で聞いた。
伝えに来たのは、同じ堂上の、つきあいの浅い一人である。気の毒そうな顔をして、しばらく世間話をし、帰り際に、御所では「前へ出すぎた男が落ちていった」と囁かれておりますと言い置いていった。
岩倉は丁寧に礼を言い、門まで送った。
座敷へ戻ると、久助が茶を替えていた。
「旦那様」
「何じゃ」
「あの御方、旦那様がお困りの顔をなさるのを見に参られたようにございました」
「そうであろうな」
「お見せにならなんだ」
「見せるほどのものが、なかったゆえな」
岩倉は茶を飲んだ。
市中の者は、名を覚えない。四奸の四人の名を、順に言える者がどれほどいるかも怪しい。一人が退いたという話だけが残り、誰であったかは、ひと月もすれば曖昧になる。
曖昧になってくれるほうが、ありがたかった。
終わったと言われるのは、悪くなかった。終わった者を、わざわざ斬りに来る者はいない。
三
願いは、思っていたより早く聞き届けられた。
長月十五日、岩倉は御役御免の沙汰を受けた。
引き留める者はいなかった。書付を受け取った側も、そのほうが収まりがよいと考えたのであろう。四奸と呼ばれる者を御所に置いておけば、いつまた門前に貼り紙が出るか分からない。刃が御所の近くで抜かれれば、責めは、置いておいた側にも及ぶ。
沙汰を伝えに来た使いは、形どおりの口上を述べ、形どおりに帰っていった。
岩倉は、その背中を見送ってから、家の者を座敷へ呼んだ。
雑色の若い男と、久助と、もう一人の年寄りである。三人とも、主の口から何が出るかを半ば察した顔で坐っていた。
「洛北へ移る」
岩倉は言った。
「岩倉村じゃ。前にもおったところゆえ、道は分かっておろう」
久助が、うなずいた。
岩倉村には、前にも暮らしたことがある。家は貧しく、家格の上がる見込みもなく、才気だけがあって使い道がなかったころである。身分を気にせず話のできる相手は、あの村にいたときのほうが、かえって多かった。
「いつ、発たれますか」
「支度ができ次第じゃ。荷は少なくてよい」
雑色が、少しためらってから口を開いた。
「……旦那様。御所へは、もう」
「上がらぬ」
若い男は、しばらく膝の上を見ていた。
「町では、岩倉様も、とうとう…と申しております」
言ってしまってから、若い男は口を閉じた。
岩倉は、咎めなかった。
「とうとう」というのは、落ちるべきところへ落ちた、という意味である。市中でも御所でも、いまは同じ言葉が使われている。
だが、岩倉にとっては違った。
自分で退く日を決め、自分で退き方を選んだ。刃に追われて逃げたのであれば、逃げる先まで相手に決められる。そうでない以上、これは負けではない。
ただ、それを家の者に説明するつもりはなかった。
言葉にすれば、外へ漏れる。誰かが「まだ終わっていない」と町で口にすれば、今度は本当に、退いたことの意味が失われる。
「かかれ」
岩倉は言った。
家の者が立ちかけたところで、もう一人の年寄りが、遠慮がちに口を開いた。
「旦那様。村へ移りますと、御役料は」
「入らぬ」
「……左様でございますか」
年寄りは、それ以上は言わずに頭を下げた。
役を退けば、御役料は止まる。村での暮らしが苦しくなることは、火を見るより明らかだった。
だが、岩倉の決意は揺らがなかった。銭は後からでも稼ぎ直せるが、取られた命は買い戻せない。
「支度をせよ」
岩倉は、それだけを静かに命じた。
*
荷は、本当に少なかった。
書物の大半は置いていくことにした。持ち出せば、何のためかと勘ぐる者が出る。着替えと筆墨、わずかな銭、それに家の者の身の回りの物。長持一つに収まった。
荷をまとめているあいだも、門の前を通る者はいた。中を覗く者もいる。
だが、以前のように同じ顔が何度も現れることはなくなっていた。見張る理由がなくなったのだろう。
隣家の者も一度だけ門の外へ出てきた。同じ堂上とはいえ、ここ数年ほとんど行き来のなかった家である。長持に縄を掛ける人足を見て、何も言わずに中へ戻った。門が、静かに閉じた。
閉める音が、少し大きかった。
岩倉は、それを咎める気にはならなかった。刃を向けられた家の隣に住む者が、どういう心持ちでこの半月を過ごしてきたかは、察しがつく。
門の柱の、貼り紙を剥がした跡は、そのままにしておいた。
消せば、まだ気にしていると思われる。
夕方、岩倉は一人で座敷に坐った。
壁際には、持っていかない書物が積んである。その背を眺めながら、岩倉は、あの夜の左府の言葉を一度だけ思い出した。
命があれば、やり直しはいくらでもきく。
その言葉を、岩倉は自分の中で言い直していた。やり直すかどうかは、先のことである。いま決めるべきなのは、その前の一つだけだった。
まず、命を残す。
旗を下ろしたことを、左府には告げていない。だが、あの夜に言われている。持っていてもよい。下ろしてもよい。どちらを選んでも咎めぬ――旗を渡したのは、わたしだから、と。
ならば、下ろした旗の行方を気に病む必要はない。旗は左府の手元へ戻る。次に誰へ渡すかも、左府が決める。
役は失った。表向きの力も、京の真ん中に坐る場所もなくなった。だが、生きていれば、失ったものはまた取りに行ける。
取りに行く日がいつ来るかは、分からない。
岩倉は、壁際の書物のうち一冊だけを抜き出して、長持の底へ入れた。
四
長月十七日の朝、岩倉具視は京を出た。
夜明け前に門を出て、北へ向かった。乗物は使わなかった。長持一つを人足に担がせ、久助ともう一人の年寄りが後ろにつき、雑色が先に立って提灯を持った。
見送る者はいなかった。
公家町を抜けるまで、辻で人に会うことはなかった。鴨川の岸に出たころ、ようやく空が白みはじめた。
洛中を離れると、道の両側から家が減っていく。町家の庇が途切れ、畑が続き、その向こうに低い山が見えてくる。刈り入れの済んだ田の畦に、朝の霧が薄く残っていた。
岩倉は、振り返らなかった。
振り返って京を見れば、その思いは足取りに出る。久助は、それを後ろから見ている年寄りだった。
昼前に、村へ入った。
以前に住んだ家は、手を入れれば住める程度には残っていた。家の者が戸を開け、埃を払い、長持を下ろす。岩倉は、縁に腰を下ろしてそれを眺めた。
静かだった。
京の家では、夜でも通りを人が通った。足音がすれば、それが誰の足音かを考えた。門の前に同じ顔が二度通れば、三度目を待った。
この村では、聞こえてくるのは鳥の声と、どこかで薪を割る音くらいである。
門前に立つ者はいない。
立つ理由が、もうないからである。
その夜、岩倉は、床に就いてから一度も起きなかった。
京の家では、夜ごと物音がするたびに閂を確かめに出た。この村の家にも閂はある。夜更けに風が戸を鳴らしたのも聞こえていた。それでも、起きなかった。
目を覚ましたとき、外はもう明るかった。
岩倉は、しばらく天井を見ていた。一晩を通して眠ったのがいつ以来なのか、考えてみたが思い出せなかった。
*
村での日は、何も起きないまま過ぎた。
朝に起き、書物を読み、昼に粥を食べ、夕方に村の道を少し歩く。村の者は、都から来た公家を遠巻きに見た。以前にもこの村にいた男であることを覚えている者もいて、軽く頭を下げていく。岩倉も、同じだけ下げ返した。
二日目の夕方、村の道で、子供が三人、畦に坐って何かを数えていた。拾った栗の実であるらしい。一人が数え違えて、ほかの二人に笑われていた。
岩倉は、少し離れたところで足を止め、それを眺めた。子供たちは、都から来た男を気にも留めなかった。
京では、道で足を止めれば、その理由を誰かが考えた。ここでは、誰も考えない。
文は一通も届かなかった。
京にいれば、誰が文を越し、誰が来なかったかを絶えず気に病んでいた。文が来ぬということは、御所で自分の名を呼ぶ者がいなくなった証左である。政の命は、ここで潰えた。
だが、不思議と腹は立たなかった。
「静かになったな」
岩倉は久助から茶を受け取った。
「京におったときは、人の動きばかりを追いかけておった。ここでは、そんなことに頭を使わずに済む」
気にするべき雑音が消え、思考のための余白が戻ってきた。その余白で何をするかは、まだ決めていない。だが、焦る必要もなかった。
その夜、岩倉は、京から持ってきた一冊を長持の底から出した。
灯の下で、頁をめくる。京の家では、同じ書物を開いても、門の外の足音に気を取られて、三行も進まないうちに目が止まった。
今夜は、止まらなかった。
茶は、京の家で飲んでいたものより、いくらか渋かった。
岩倉は、それを最後まで飲んだ。
五
同じころ、薩摩藩邸の奥では、久光がまだ京に留まっていた。
近衛邸から戻った十日の夜、久光は誰も座敷へ呼ばなかった。翌日も、その次の日も、藩士たちの前ではいつもと変わらない顔で過ごした。朝に届く国元からの書状に目を通し、留守居の者から市中の様子を聞き、夕には取締りに出た者たちの報告を受けた。
報告は、どれも静かなものだった。
辻で刀を抜いた者はいない。浪人が集まったという話もない。夜の町には人が出ていて、店も遅くまで開いている。卯月の京とは、まるで違う。
京の静けさに、薩摩は手を貸してきた。
久光は、それを疑っていなかった。それでも、報告を聞き終えるたび、近衛邸の座敷で聞いた言葉が、ふと胸に戻ってきた。
『それは、薩摩が守れるあいだだけの話だ』
久光は、あの言葉を退けられなかった。
退けるための答えを、あの日から幾度も探した。だが、出てくるのはいつも兵の数だった。薩摩の兵は強い。国元にはまだ兵がいる。千で足りなければ、二千を上らせればよい。
数を増やせば、それを見る目も増える。
江戸の御城で、久光はそういう目を見てきた。勅を受けさせたのが薩摩の兵であることを、御用部屋の者は誰も口にしなかった。そのまま、薩摩の行列が江戸を発つ日を数えていた。
薩摩が京を守る。
守れば守るほど、薩摩を恐れる者が増える。恐れる者は、やがて敵になる。
敵が増えれば、京に兵を置く家が増える。国が割れる。割れたところへ、異国が入ってくる。
近衛の殿下は、それを一続きにして見せた。一つ一つは、久光も知っていることだった。順に並べられてみると、どこにも切れ目がなかった。
久光は、文机の前で扇を膝に置いた。
あの日、座敷を辞する前に、殿下はもう一つ言った。上洛の儀は、急がぬがよい。押して動かそうとすれば、その者の名が残る。
急ぐなと言われたのは、上洛の一条だけではないように、久光には思えた。
卯月に京へ入って以来、薩摩は急いできた。伏見を鎮め、勅使を立て、江戸へ下り、二月半で幕府の人事まで動かした。
急いだからこそ、取れたものもある。
だから京へ戻ってからも、同じ速さで上洛まで進めようとした。一蔵を岩倉のもとへやったのも、旦那下の座敷で上洛を持ち出したのも、その延長だった。
薩摩は強い。
だが、それだけでは、この国は守れない。
そこまでは、分かる。
分からないのは、その先だった。薩摩の強さが足りぬのなら、何があれば足りるのか。兵を減らせば済む話でもない。京から手を引けば、せっかく戻った静けさが所司代だけのものになる。
卯月の京へ、また戻る。
大久保は、あの日から何も言ってこなかった。
九日の夜のことは、翌朝に聞いた分で終わっている。それ以上のことを、大久保は足さず、久光も訊かなかった。
小松も何も言ってこない。腹を痛めて部屋に伏せがちだと聞くが、伺いを立ててはこなかった。
二人が黙っているのは、自分がまだ腹をくくっていないからだ。久光には、それが分かっていた。
十四日の朝、留守居の者が一つ話を持ってきた。
「岩倉様が、御役を退く願いを出されたそうにござりもす」
久光は、扇を持つ手を止めた。
「退く、と」
「市中では、そう申しておりもす。貼り紙に屈した、と」
久光は、しばらく何も言わなかった。
九日の夕に刃を向けられた堂上が、五日のうちに役を退く。市中がそれをどう見るかは、聞かずとも分かる。
近衛の殿下は、あの日、岩倉を見れば分かろうと言った。いまの京で名が残ることが、どういうことか。
薩摩の供は、九日の夕に岩倉を刃から救った。救ったあとも、岩倉は門に日限を切られたままであり、市中に四奸と呼ばれたままであった。刃が一度退いても、刃を向けさせたものは何も退いていない。
守ることはできた。だが、守ったものを、その先まで支えることはできなかった。
久光は、留守居を下がらせた。
「帯刀を呼べ」
久光は言った。
六
小松帯刀は、昼を少し過ぎてから座敷へ入ってきた。
腹の具合がよくないらしく、坐るときにわずかに手を膝へついた。久光は気づいたが、何も言わなかった。この男は、腹が痛むときほど仕事の手を止めない。
「お呼びにござりもすか」
「横浜の船の話は、どうなった」
小松の顔が、わずかに動いた。
江戸を発つ前に、国父様の耳にも一度だけ入れてある。横浜へやった者が戻り、そこで沙汰は途切れた。京へ入ってからは、上洛の儀と参内の段取りに追われ、船のことまで手が回らなかった。
「横浜では、もう難しゅうござりもす」
「難しい理由は」
「分かりもはん」
江戸で大久保に言ったのと、同じ答えだった。
「話はまとまりかけておりもした。それが、十日ばかりで先方がこちらを向かなくなりもした」
「イギリス商館は、何ち言うたか」
「何も申しもはん。ほんのこて、事情の分からんとです」
久光は、扇の骨を指でなぞった。
横浜は、公儀が開いた港である。異国の商人がおり、その動きを見る公儀の役人もいる。薩摩が船を買おうとすれば、それを知る者はいる。
十日のあいだに何かが伝わった。
ただ、それが誰の口から出たものかまでは分からない。
「分からぬものを、追うても仕方なか」
「はっ」
「それで、そなたはどうするつもりじゃ」
小松は、膝の上で手を揃えた。
「国元でやりもす」
江戸で大久保に言ったのと、同じ言葉だった。
「長崎から回して、鹿児島まで来てもらいもす。横浜は江戸に近か。何をしても御城の目に入りもすし、他藩の者も居留地の者も見ておりもす」
「長崎も、公儀の地じゃ」
「はい。なれど、長崎で船を買うのではござりもはん」
小松は、そこを分けた。
「長崎では、話をするだけにござりもす。船を見るのは、鹿児島の海にござりもす。自分の領内なら、横から手を出されることもありもはん」
久光は、黙って聞いた。
「鹿児島の湾は深うござりもす。大船でも奥まで入れもす。異国の商人は、売れる相手がおればどこへでも船を回しもす。横浜で難しければ長崎へ、長崎で弾かれれば薩摩へ。利のあるところへ向かうのが、あの者たちの性分にござりもす」
「そなたは、異国の商人を知っちょるか」
「横浜で、少しばかり」
小松は、正直に答えた。
「知っちょると申せるほどではござりもはん。なれど、あの者たちが何を欲しがるかは、見えもした。値を欲しがりもす。それから、次の商いを欲しがりもす。一度きりの客より、長う付き合える客を好みもす」
「長う付き合える客、か」
「はい」
久光は、そこで扇を閉じた。
船を買う話である。
それでも、その一言だけが耳に残った。
「異国の船を鹿児島の湾へ入れれば、国元の者が騒がぬか」
「騒ぐ者は、おりもそ」
小松は、否まなかった。
「なれど、船を見せる相手は選びまする。湾の奥まで入れる必要もござりもはん。見て、値を聞いて、買うかどうかを決める。そこまでなら、国父様の御下知があれば、国元も収まりもす」
「わしの下知か」
「国父様の御下知でなければ、収まりもはん」
久光は、しばらく黙っていた。
「帯刀」
「はっ」
「その話、も少し詰めておけ。国元の誰いに任すか。長崎の誰いに話を通すか。値の見当はどれ程な」
「値は、船を見てからでなければ、申し上げられもはん」
「見当でよか」
「……承知しもした」
小松は頭を下げた。
江戸にいたころ、船の話は脇だった。
いまは、脇に置かれていない。
何が変わったのかを、小松は訊かなかった。
その夜、小松は自分の部屋で帳面を開いた。
江戸で八行を埋め、京へ戻った七日の夜に九行目を書き足した帳面である。「大儀である」と仰せられた。
帳面の末尾に、一行だけ加えた。
『船の儀、国元にて』
しばらく、その字を見ていた。これまで記してきたのは、済んだことばかりだった。
この一行だけが、これから始まることだった。
七
その夜、久光は遅くまで灯を落とさなかった。
文机には何も広げていない。江戸から持ち帰った三通の写しも、文箱に納めたままである。
久光が考えていたのは、異国のことだった。
異国は脅威である。それは一度も揺らいだことがない。
京の浪人たちは「打ち払え」と叫ぶ。伏見に集まった四十人もそうだった。だが、力を持たぬまま抜いた刃が向いたのは、異国ではなく身内の胸元だった。
異国を追い払うには力が要る。船が要る。砲が要る。
その力を得るために、異国から船を買い、異国を利用する。
ねじれた筋に見えるが、これ以外の道はない。
「長う付き合える客を好みもす」
昼に小松が言った言葉が残っていた。
信じる必要も、ひれ伏す必要もない。商人にとって薩摩が「損にならない相手」であればよい。
ただし、商いだけで国は守れない。
話し合うための力と、打ち払うための撃てる力。その二つを同じ家が握り、人目につかぬ鹿児島の海で蓄える。
幕府にも他藩にも見せぬまま力を溜め、必要なときだけ見せる。
久光は灯の芯を切った。
炎が細くなり、座敷の隅が暗くなった。
道が見えた。向かうべき方角だけは、はっきりと見えた。
八
十七日の昼、留守居の者がもう一つ話を持ってきた。
「岩倉様が、今朝、京を出られたそうにござりもす。洛北の岩倉村へ移られたと」
「御役は」
「十五日に、御免の沙汰が下りたと聞いておりもす」
久光は深くうなずいた。
留守居を下がらせてから、江戸で得たものを一度、頭の中に並べた。後見職と総裁職。参勤の軽減と、その分を海防へ回す定め。諸藩を城に召して議する仕組み。
形は変わった。だが、いずれも紙になった。
江戸では、取った。では、京では何が動いたのか。
上洛の一条は、「議に付す」と返された。
近衛の殿下は、難しかろうと言い、急がぬがよいと言った。岩倉も無理だと言ったと、一蔵から聞いている。
その岩倉が、もう京にいない。
七日の参内では、久光も「議に付す」を手順の途中にある言葉として受け取っていた。次の段へ進むための一言だと思っていた。
だが、進める者がいない。殿下は急ぐなと言い、岩倉は退いた。
そして、薩摩はまだ千の兵を京に置いている。
兵を置けば、兵糧も宿も薪も要る。取るものがあるうちは惜しくない。だが、上洛の一条が動かぬままなら、銭だけが出ていく。
それだけなら、まだよい。
江戸で幕府を動かした薩摩が、京へ戻って兵を置き、上洛を求め続けている。
岩倉のように、その話を受けた者が刃を向けられて京を去った。これだけ揃えば、薩摩が朝廷を握ろうとしていると見る者が出る。そうなれば、京を守るために置いた兵そのものが、薩摩を恐れる者を増やす。
ここに留まっても、上洛は進まない。進まぬものを押せば、残るのは薩摩の名だけである。
久光は、そこまで考えて、江戸で得た紙を思った。
後見職も総裁職も、薩摩が京にいるかどうかとは関わりなく動く。江戸で取ったものは、もう京へ置いておく必要がない。
京で取れなかったのは、上洛の一条だけだった。ならば、ここで兵を消耗させるより、国元へ戻ったほうがよい。
船は鹿児島の海で見る。台場は薩摩の湾に築く。
異国の商人とも、京より国元のほうが長く付き合える。
ここ数日考えてきた次の手は、京の中にはなかった。
「……帰る」
久光は、声に出した。
座敷には誰もいない。
庭で、植え込みの葉が一枚だけ落ちた。
逃げて帰るのではない。
伏見から京へ入り、京から江戸へ下ったときと同じように、薩摩は必要なものを取りに行く。
今度は、国元で作る。行く先が変わっただけである。
九
夕刻、大久保と小松が座敷に呼ばれた。
二人が坐ると、久光は前置きなしに言った。
「帰国の支度をせよ」
小松が、わずかに目を上げた。
大久保は、目を上げなかった。
「承知しもした」
それだけ答えて、頭を下げた。
久光は、大久保のその答え方を見ていた。驚かない男である。驚かないのは、この数日、国父様が何を考えているかを、この男なりに数えていたからだろう。
「日取りは」
「二十日の朝ではいかがにござりもすか。朝廷への暇乞いは、明日のうちに伝奏を通して届けもす。近衛の旦那下へは、明後日、国父様が御自身で」
「それでよか」
久光は、そこで一度言葉を切った。
「旦那下には、わしから申し上げる。上洛の儀は急がぬ、とだけ申し上げておく」
「それがよろしゅうござりもす」
大久保は、それ以上の言葉を添えなかった。急がぬと申し上げれば、旦那下は、薩摩が座敷での言葉を受け取ったと読むだろう。受け取ったと読ませておけば、それで足りる。
「一蔵」
「はっ」
「岩倉様は、京を出られたそうじゃな」
「はい。今朝、洛北へ移られたと聞いておりもす」
「九日の夜のことは、あれきりか」
「はい。岩倉様からは、今回は難しいとの御返答にござりもした。それ以上のことは、ござりもはん」
久光は、それ以上を訊かなかった。
大久保も、足さなかった。
九日の夜、あの狭い座敷で何が話されたかを、大久保はすべて覚えている。申し出が断られた理由も、断られた言葉の運びも、帰り際に聞いた一言も。
それを国父様に申し上げるつもりは、いまもなかった。申し上げれば、薩摩が何を欲していたかまで、この座敷の外へ出る日が来る。
大久保の文箱には、『御上洛』と書いた紙が入っている。その下に岩倉の名があり、その下に一行が足してある。
今回は、と申された。
あの一行は、まだ消していない。
国父様が帰ると決めたことを、大久保は正しいと見ていた。
京でこれ以上押しても、局面は動かない。押せば押しただけ、押した者の悪名だけが残る。九日の夕に塀と塀のあいだの道で見たのは、名の残った者がどうなるかであった。薩摩の名を、同じ道に立たせる理由はない。
押さずに退けば、薩摩の名は、江戸で幕府を動かした家として残る。京で何かを取りそこねた家としては、まだ残らない。
「京の取締りは、どうなりもすか」
大久保が訊いた。
「留守居に残す者で、できるだけのことをさせる。あとは所司代じゃ」
「承知しもした」
「帯刀」
「はっ」
「船の話は」
小松は、膝の上で手を揃えた。
「昨日、国元と長崎へ書状を出しもした。国元へ戻りもせば、すぐにでも詰められもす」
「京におっては、進まぬか」
「進みもはん。京から長崎へ書状を出して、返事を待って、また出して。そのあいだに、ひと月が経ちもす。鹿児島からなら、長崎との遣り取りは京よりずっと早うござりもす」
小松は、そこで少しだけ顔を和らげた。
「帰れば、船の話も進められもす」
久光は、うなずいた。
帰国は、国元で始める話である。
「支度にかかれ」
「はっ」
廊へ出たところで、小松が大久保の袖を軽く引いた。
「一蔵どん。国父様は、この三日ばかり、何を考えておられたとじゃろか」
「分からん」
大久保は、足を止めずに答えた。
「なれど、帰ると決められた。それで足りる」
小松は、それ以上を言わなかった。二人は、別々の部屋へ分かれていった。
二人が退がったあと、久光は文箱から三通の写しを出して、膝の前に並べた。
勅の三条。御沙汰の覚の七条。公議式目の十五条。
京で、これに足すものはなかった。
久光は、写しを文箱へ戻し、蓋を閉めた。
十
長月二十日の朝、薩摩の行列は京を発った。
前の日のうちに、長持は蔵から出され、荷札が付け直されていた。江戸から運んできたものに、京で増えたものはほとんどない。文箱の中の三通の写しも、江戸を発ったときと同じ枚数だった。
門の内では、京に残る留守居の者たちが、並んで行列を見送った。市中の取締りは、この者たちの手に残る。数は少ない。少ないことを承知で、久光は残す者を選んだ。
行列は藩邸の門を出て、南へ向かった。伏見を経て大坂へ下り、そこから国元へ向かう道筋である。
半月前、同じ行列は粟田口を越えて京へ入った。三条の橋の袂に人が立ち、罵声も歓声もないまま、黙って薩摩を見ていた。卯月には、通りの両側から声が飛んだ。
今朝は、見ている者も少なかった。
店先へ出てきた丁稚が一人、庇の下から首を伸ばし、すぐに引っ込んだ。荷車を停めた人足が、列の尻尾を見送っている。子供が二人、走っていったが、半月前のように、どこかへ知らせに行く走り方ではなかった。
薩摩が京を去ることは、昨日のうちに町へ伝わっていた。そのうえで、町はそれを大きな話としては扱わなかった。
大久保一蔵は、列の中ほどを歩いていた。
半月前と同じ位置である。斜め前を小松帯刀が歩いている。小松は今朝も駕籠を使わなかった。腹の具合は、京へ入ったころより少しよいらしい。
列の後ろには、荷馬が続いている。背に負った荷は、入京のときとほとんど変わらない。文箱の中の三通も同じである。その文箱の脇に、小松は白紙の帳面を一冊入れさせていた。国元で書きはじめるための帳面だった。
大久保は、沿道の顔を数えなかった。
数えるほどの顔がなかった。それに、この町で数えるべきものは、もう数え終えている。
町家が途切れるあたりまで下ったとき、大久保は一度だけ振り返った。
京の町が、朝の靄の向こうに低く広がっていた。御所の屋根は、ここからは見えない。その北の、さらに向こうの山裾に、岩倉村がある。それも見えない。
九日の夜、あの座敷で聞いた言葉を、大久保は覚えている。
『今回は、断らせてもらおう』
「今回は」と言った。永く断る者の言い方ではなかった。こちらが言葉尻を捉えたことを、あの御方は否まなかった。
その御方が、役を退き、京を出た。
市中は、貼り紙に屈したと言っている。朝廷の内でも、終わった者として語られていると聞く。
大久保は、そうは見ていなかった。
屈した者なら、九日の夜に、薩摩の申し出を受けていた。そうなれば、門の前に薩摩の者が立ち、刃は遠のいた。あの御方は、それを断って、自分の足で京を出た。
消えたのではない。次へ残ったのである。
大久保は、それを誰にも言わなかった。国父様にも、小松にも言わない。言えば、あの夜の座敷で何が話されたかを、どこかで話すことになる。
九日の夜に断られたことを、大久保は負けとは数えていなかった。値の付け方を誤っただけである。誤った値は、付け直せる。その相手が生きているかぎりは。
大久保は、前へ向き直った。
行列は、伏見へ向かう道を下っていった。
十一
薩摩が去ったあとの京は、静かだった。
辻で刀を抜く者は消え、市中の噂は、行列が伏見を過ぎるころには別のことへ移っていた。
語る者の多くは「薩摩は逃げ帰り、岩倉は落ちぶれた」と話を締めくくった。表舞台から二つの名が消えたことだけを見て、満足した。
南へ下る行列の中ほどで、大久保一蔵は文箱の底にある紙を思っていた。
『今回は、と申された』
消さずに残した一行を、胸の内でなぞっていた。
洛北の岩倉村では、岩倉具視が縁に坐り、渋い茶を飲み干していた。
京からの文は、今日も一通も届かない。
数える手が空いた座敷で、岩倉は静かに次の頁をめくった。
第二百八話 了
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