第百八十五話「横浜暗闘編―二人の名、来ぬ荷」
一
皐月の最後の朝は、雲が低かった。
海のほうから吹いてくる風が、まっすぐ吉田橋の内側まで入り込んできた。通りに積んだ俵の菰を鳴らし、二階の障子をかたかたと揺すっている。
雨を落とすほどではない。かといって、雲が切れる気配もない。決めかねたような空であった。
こういう空模様は糸が湿る。だから蔵番は、いつもより早く起き出して戸を開ける。
善次郎は、その音を階下に聞きながら、志村宗介が清書した勘定書を三度目に読み終えたところであった。
紙は五枚に及んでいる。
村の名が並び、俵数が並び、前渡しの額と、蔵の借り賃と、路銀と、為替の目減りとが、宗介の細い字で几帳面に並んでいた。この男の字は、書き飛ばしたところが一字もない。数を書くときには必ず桁を揃え、揃えた桁の下へ一本ずつ薄い線を引く。読む者が指で追わずに済むように、という理由であった。
「若旦那」
佐野茂兵衛が、階段を上がってきた。
膝の前へ勘定書の写しを置き、その上に自分の印を押した紙を重ねる。地味な茶褐色の羽織は、いつもの通り、肘のあたりが少しくたびれていた。この男は羽織を三年に一度しか誂えず、その代わり、袖の綻びを自分で縫う。
「検めましてございます。二つ、甘いところがございました」
「伺います」
「一つは、信州の路銀にございます。宗介殿の勘定は、江戸からの道で組んでおられました。横浜から入るのであれば、江戸経由の甲州道中ではなく、八王子へ直接抜ける道筋になります。日数が二日ばかり違いますし、二日ぶんの宿賃と人足の手当てが、そのまま浮きます。」
「もう一つは」
「上州の蔵の借り賃を、月で見ておられます。あちらは季で借りるのが習いですので、月割りで話を持ち込めば、それだけで素人と見られます。素人と見られた者に出る値は、必ず高いです」
善次郎は、その二つを勘定書の余白へ書き足した。
筆を置いてから、印の押された紙のほうへ目を移す。
「茂兵衛殿。止めないのですか」
「止めました」
茂兵衛は、算盤を膝の脇へ置いた。珠が一つ、その拍子に鳴った。
「昨日、止めました。若旦那は、それでも出すと仰せになりました。手前の役目は、止めるところまでです。止めて、聞き入れられないんなら、あとは間違いのないように整えるだけでしょう。止めた者が拗ねて仕事を粗くするようでは、番頭は務まりませぬ」
その言い方には、恨みも諦めも混じっていなかった。
善次郎は頷いて、紙を四つに畳んだ。
人を割り振るのに、四半刻もかからなかった。
秩父と武蔵へは、矢本寅次を出す。
この男は武蔵の村の生まれで、二十四になったいまでも、実家の田の畝の数を覚えているという。村の作柄というものを、この男は帳面の数字ではなく、その年の田の色と川の水位で知っている。良い年に良いと言われて信じるのは素人であって、悪い年に悪いと言われて、どれほど悪いかを当てられるのが玄人であった。
上州へは、佐野茂兵衛が自ら行く。
「手前でいいんですか」
「前渡しの話をするのに、手代では格が足りませぬ。番頭の名が要ります」
「では、帳場は」
「志村殿に坐ってもらいます」
「上州には、うちの専属がございましたな」
「三軒です」
茂兵衛は、指を三本立てた。
「上州が三軒、信州が二軒、武蔵が一軒。甲斐と奥州は、それぞれ一軒ずつあります」
「合わせて、八軒」
三年前、姫様が五つの産地の名を挙げられたとき、囲い込んだのは村ではなく、家であった。あの銘の糸を引ける職人のいる家である。上州にも信州にも、その腕を持つ者は十人いるかいないかと言われている。
「その八軒には、まず挨拶に参ります。ただし――」
「並の量は、出ませぬな」
「はい」
茂兵衛は、指を折った。
「あの家々が年に引きますのは、幾らも出ぬ品にございます。桐箱に納めて、蓋に極印を押して、それで一年ぶんが済んでしまう。蔵を埋める話とは、初めから別の話です」
「承知しています」
買う品が違えば、売る相手も違う。極純の八軒に頭を下げたところで、蔵の板は一寸も埋まらない。
埋めるには、村へ行かねばならなかった。
その宗介は、階段の下でもう荷を纏めはじめていた。この男は、決まった話を二度確かめない。眼鏡の縁を押し上げて相手の顔を一度見れば、それで用が済んだと判じる。
信州へは、川口彦治郎を出す。
二十六になるこの手代は、蔵の管理を任されている男である。どこの棚に何俵、いつ入って湿りがどうであったかを、帳を開かずに口で言える。産地の村を五つも六つも回って戻ってきたとき、どの村が何を言ったかを一言一句取り違えないという点で、これ以上の人選はなかった。
「高瀬殿は、居留地に残ってもらいます」
「へえ」
高瀬栄次郎は、階段の上り口に立ったまま、そう返した。羽織の袖には、この日も皺が一つもない。
「捜索は、止めませぬ」
「止めませんよ。もっとも、正直に申し上げますとね、若旦那」
高瀬は、袖の中で腕を組んだ。
「下から六十二軒当たって出てこないってことは、あと三十軒当たっても出てこない見込みのほうが高いです。あの町で名を伏せて商っておる者ってのは、当たり方を変えないと、いつまでも出てきません」
「どう変えますか」
「うちが探しておるという話を、逆に流します。誰かの耳に入って、向こうから寄ってくるのを待つ」
善次郎は、少しのあいだ考えた。
考えて、頷いた。
「――任せます」
「よろしいので」
「はい。ただ、うちが誰を探しておるかは、流さぬようお願いします」
高瀬は、両の眉を上げた。だが、それ以上は訊かなかった。どこまで訊くかだけでなく、どこから先を訊かぬかも、この男は仕事のうちに数えているらしかった。
*
出立の申し渡しは、その日の午後である。
三人を二階へ上げ、勘定書の写しを一枚ずつ渡した。畳の上には、江戸から取り寄せた道中の絵図を広げてある。上州、秩父、信州。糸の出る土地が、そこでは細い線と点の集まりに見えた。
「名は、隠さないように」
善次郎は、そう言った。
「天朝物産会所の名で、正面から入ってください。帳も、求められたら開いて御覧に入れて構いませぬ」
寅次が、首を捻った。日に焼けた首筋が、その拍子に太く見えた。
「そりゃまた、ずいぶん親切ですね。相手にこっちの手の内を見せるようなもんじゃありませんか」
「隠して入れば、必ず怪しまれます」
「はあ」
「銭だけ持った素性の知れぬ者が、村へ入る。村がいちばん警戒するのが、その形です。どこの誰で、何をしておる店で、その銭がどこから出ておるか。そこを先に見せてしまえば、村は少なくとも、こちらの言うことを聞く気にはなりましょう」
寅次は、しばらく口の中で何か言ってから、なるほど、と呟いた。
「聞く気にゃなっても、売る気になるかは別ですぜ」
「その通りです」
善次郎が即座にそう返したので、寅次は少し面食らったらしく、また首を捻った。
彦治郎は、渡された紙をもう畳んで懐へ入れている。この男は、一度読めば十分であった。
二
三人が発ったのは、翌朝の暗いうちであった。
蔵の前に荷を集め、そこで振り分ける。菰と縄と、銭箱と、書付を入れた箱である。磯貝新吉が縄の掛かり具合を一つずつ確かめ、済むたびに無言で親指を立てて見せた。
三十五になるこの蔵番頭は、深川で火消しをやっていた男で、荷を縛るのが誰よりも速い。そのくせ、一度縛ったものが緩んだためしはない。
空はまだ紺で、東の端だけが薄く白んでいる。
波止場のほうからは、もう人足の声が上がりはじめていた。この町は、夜の終わりと朝の始まりのあいだに、区切りというものがない。
「若旦那」
佐野茂兵衛が、荷車の脇で足を止めた。
「昨日の続きですが、一つだけ、申し上げてもよろしいですか」
「なんでしょう」
「この値で入りますと、相場が壊れます」
茂兵衛は、荷車の縄へ手を掛けたまま、そちらを見ずに言った。縄の結び目を親指の腹で押さえ、緩みがないかを確かめている。手は動いていて、口だけが別のことを喋っている恰好であった。
「一割五分の上乗せで、しかも前渡しをその半分。あの額を村へ持ち込めば、その村は今年、去年の倍近い銭を手にすることになりましょう」
「……それを、村が基準にする」
「左様です。来年、こちらが同じ値を出せなんだとき、元の値では安いと申します。安いと思えば売り渋る。売り渋っておるあいだに、糸は蔵で古びる。古びれば値が落ち、落ちた値では出せぬと申して、また抱え込む」
茂兵衛は、そこでようやく顔を向けた。
「壊れた相場は、こちらが引いたあとも、元へは戻りませぬ。壊すのは一年、直すのは五年になる。手前は、その五年を上州で二度見ておりまする」
善次郎は、その言葉を最後まで聞いた。
東の空が、話しているあいだに一段明るくなっている。荷車の車輪の輻が、暗がりの中で少しずつ形を取りはじめていた。
「茂兵衛殿。その二度は、どちらも銭を持ち込んだ商人が起こしたことですか」
「さようです」
「その商人は、悪意を持って壊したのでしょうか」
茂兵衛は、一度、口を閉じた。
「……いいえ。どちらも、翌年に銭が続かなかっただけだと思います」
「では、続けば問題ないですね」
茂兵衛の手が、縄の上で止まった。
「若旦那。続けられますか」
「続けます」
善次郎は、そう言った。そして、もう一言だけ足した。
「壊れて構いませぬ。壊れた相場を拾うのは、こちらです」
茂兵衛は、しばらく善次郎の顔を見ていた。
そして、印を押した勘定書の写しを懐へ収め、荷車の後ろへ回っていった。それ以上は何も言わなかった。言わないという形で、この男は自分の役目を終えたのである。
*
門のところまで、飯田俊徳が見送りに出てきていた。
出てきて、荷車の脇にしゃがみ込んでいる。十五になるこの少年は、人が発つのを見送りに来たというより、車軸の受けを見に来たとしか思えない位置に膝をついていた。暗いので手を近づけ、指の腹で軸の付け根を撫でている。
「飯田殿」
「あ、はい」
「何を御覧になっているのですか」
「これは、江戸の荷車とは受けの造りが違うちょります。銅を巻いてありますろう、ここに」
飯田は、指で軸の付け根を示した。
「巻いてあるほうが、擦り減りが遅いんちゃ。ただ、油を切らすと逆に焼き付きますけえ、こまめに差さんといけません。差す者がおらんと、江戸の造りのほうが結局は持ちますじゃろう」
「……つまり、どちらが良いと」
「差す者がおるんなら、こちらじゃ」
少年は、あっさりそう答えて立ち上がった。
膝についた土を払いながら、ついでのようにこう続けた。
「江戸の造りは、誰が使うても、そこそこ持ちますじゃろう。こちらは、手を掛ける者がおれば、ずっと長う持ちます。掛けんかったら、江戸のより先に駄目になります。器械いうものは、たいていそういう出来をしちょります」
善次郎は、その言葉を聞いていた。
聞いて、返事をしなかった。
その後ろで、三人を乗せた荷車が動き出す。車輪が石を噛み、菰が鳴り、通りの向こうで犬が一匹吠えた。荷車は吉田橋のほうへは向かわず、内陸へ抜ける道を選んで、じきに闇の中へ消えた。
三
弁天通三丁目の亀屋は、まだ木の匂いがしていた。
この春に構えたばかりの店である。畳は青く、縁の糸がまだ毛羽立っていない。柱には鉋の跡がうっすら残り、そこへ朝の光が当たると、削った条が細かく浮いて見える。梁も新しく、天井を見上げれば、木目のあいだに樹脂の艶がまだ残っていた。
新しくないものが、二つだけあった。
一つは表の暖簾で、前の商いのときから使っていたものを、そのまま掛けている。もう一つは帳場に置かれた文箱で、これは角が擦り切れ、蓋の合わせ目に幾筋も傷が入っていた。
原善三郎は、その帳場で朝の書付を捌いていた。
三十五。背は高くない。肩幅と首が太く、顔は日に焼けて、頬から顎にかけての線が締まっている。書付を読む速さが尋常でなく、目が紙の上を三度ばかり往復すると、もうその書付は脇へ振り分けられていた。
振り分けの山は三つある。すぐに返す、あとで返す、返事を出さない。
いちばん高いのが、三つ目だった。
「旦那」
番頭が、廊下から低く声をかけた。
「裏に、陳さんが」
原の手が、書付の途中で止まった。
「通せ」
辮髪の男が、裏の縁から上がってきた。
詰襟の上衣は濃い藍で、袖口だけが擦れている。歳は四十前後というところで、背は原より高い。手には筆と、二つ折りにした紙の束を持っていた。
二番館に雇われている買弁である。名を陳といった。広東の出で、この男が居留地の商館へ入ってから、もう三年になる。
陳は膝を折らず、縁の板の間へ腰を下ろした。原は、それを咎めない。この男が畳へ上がらぬのは遠慮ではなく、長居をしないという意思表示であることを、原は三年前から知っている。
そのあいだに、この男へ回した銭は少なくない。銭を出せば、それに見合う話が返ってきた。今日もそうだろうと、原は思っていた。
「早いだんべ」
原が言うと、陳は懐から紙を出して膝の上で開いた。
筆を執り、書く。
『――天朝物産会所。此十日、洋銀換銀甚多』
原は、その紙を引き寄せた。
会所の名は知っている。吉田橋のすぐ内側に、三階建ての大きな箱を建てて、英語の看板を掲げている店である。二年前には蔵まで建てた。町の者が驚くほど大きな蔵で、しかも、あの蔵が満杯になったところを、この町の誰も見たことがない。
『江戸にある商家が、道楽で建てた見栄の蔵じゃ』
この町では、一部でそう言われていた。原自身もそう言ったことがある。
「額は」
陳が、余白へ数を書いた。
原の目が、その数の上で二度、往復した。
紙を裏返し、光に透かす。そうしたところで何が変わるわけでもない。それでも、思いがけぬものを見たとき、この男の手は決まってそう動いた。
「陳さん。これは、いつからだんべ」
陳が、指を十本立てた。
「十日」
頷きが返る。
「替えとる先は、どこだ。運上所か、それとも商館の帳場か」
陳は、筆を取って書いた。
『――両替商。数軒。分散』
原の眉が、そこで動いた。
一軒だけなら目立つ。数軒に散らせば、一軒ごとの動きは目につかない。だが、散らした先を一つずつ突き合わせれば、総額が出る。
出したのが、この男である。
『――つまり、こちらの目を避ける気があった』
そして避け切れていない。
「よく数えたな」
陳は、返事をしなかった。褒め言葉では、値は上がらぬと知っている男であった。
原は、袖から包みを出して、板の間へ置いた。
陳はそれを一瞥して懐へ入れ、紙を畳んで立ち上がった。来たときと同じ速さで、裏の縁から出ていった。
原は、しばらく紙を睨んでいた。
やがて、廊下へ向かって声を張った。
「勘助を呼べ。上州の勘助だ」
上州回りを任せている手代が、廊下に膝をついたのは、それから間もなくである。
「上州から、何か来とるか」
「……いえ、何も」
「今月に入ってからだ。村からでも、買継からでも、蔵からでもいい。妙な話は」
「ございません。先だっての繭の出来の話が最後で、それ以外は。何かございましたか」
「いや」
原は、それ以上訊かなかった。
訊かずに、畳の上の紙へ目を落とした。
この男が上州へ通いはじめて、もう五年になる。凶作の年に並の値で引き取り、翌年の前渡しを期日より早く届け、村の葬式に人をやり、婚礼に酒を届け、そうやって五年かけて、あの土地の耳という耳へ手を伸ばしてきた。あの土地で誰かが咳をすれば、三日でこの帳場へ届くはずであった。
その五年ぶんの耳が、まだ何も捉えていない。
手掛かりを持ってきたのは、居留地の商館に雇われている清国の男である。
「……居留地の唐人のほうが、上州のわしの手より早えのか」
原は、誰にともなくそう言った。
勘助が、意味を測りかねて顔を上げた。原は手を振って、下がれと示した。
勘助が去ったあと、原はもう一度、その一言を頭の中で反芻した。
それから脇へ押しやった。いま考えることではない。
四
原は、算盤を出した。
帳場の板の間へ胡坐をかき、膝の前へ置いて、両手で珠を払う。この男の算盤の弾き方は乱暴で、珠を弾く音が店の奥まで響いた。番頭も手代も、この音が鳴っているあいだは声をかけない。三年前から、それがこの男の決まりであった。
弾いているのは、逆算だった。
十日で替えた洋銀の額が分かっている。前渡しに回せる総額を割り出す。買い入れ額の半分を前渡しに当てているとすれば、押さえている俵数もおおよそ読める。そこから、相場への上乗せ幅まで逆算できる。
珠が三度、大きく動いた。
「――一割五分」
原は、口の中でその数を繰った。
それから、もう一度、頭から弾き直した。二度目も、同じところへ落ちた。
三度目は弾かなかった。同じところへ二度落ちたなら、それで足りる。
弾き終えて、原は珠を戻さなかった。
戻さずに、両手を膝へ置いた。
この額に、亀屋一軒で張り合えるかは、考えるまでもない。張り合えば値は競り上がる。そうなれば、こちらは今年の身代を丸ごと前渡しへ回すことになる。それでも足りぬ公算のほうが高い。
仮に、足りたとする。
仮に、勝ったとする。
勝った翌年に、亀屋という店が残っているか。
「――残らねえ」
原は、そう結論した。
競り上げて手に入れた糸は、そのぶん仕入れ値が高くなる。高値で仕入れた糸は、居留地で同じ値では売れない。売れなければ蔵に積む。積んだまま冬を越せば、糸は湿って値が落ちる。落ちた値で叩き売れば、身代が半分になる。
身代が半分になった商家に、翌年の前渡しを出す力はない。
力がなければ、村は別の商人へ回る。
この三年、意地を通して消えた商人を、原はこの町で幾人も見てきた。値を下げられ、その値では出せぬと譲らず、蔵に品を抱えたまま看板を下ろした。あの連中はみな、自分が正しかったと言いながら消えていった。
正しかろうが、消えれば同じである。
商人にとって、いちばん高くつくのは意地であって、二番目に高くつくのが遅れであった。
原は、二つ目のことを考えた。
なぜ、いまなのか。
春蚕の糸が出るのは、水無月のうちである。この月を逃せば、次に糸が動くのは来年の初夏になる。会所がいま銭を替え、いま人を出しているということは、この半月で決着をつける腹だということであった。
半月しかない相手は、値を出し惜しまない。
――ということは、こっちが張り合えば、値は必ず上がる。
上がれば、こちらが損をする。損だけを抱えたまま、向こうは半月で退く。そのあとに残るのは、値を覚えた村と、高値の在庫を抱えた亀屋である。
原は、そこで初めて、この相手が素人ではないことを認めた。
三つ目を、考えた。
うち一軒では無理である。では、どこと組むか。
この町で、産地を持っている商家は多くない。持っているといえるほど持っているのは、二軒だけであった。
一軒が、亀屋である。
もう一軒の名を思い浮かべたとき、原の口の端が、ほんのわずかに動いた。
三年、削り合ってきた相手である。同じ産地の糸を、同じ商館へ、互いの値を削り合って売ってきた。あの男が新しい村を押さえたと聞けば、こちらは翌月に別の村を押さえた。あの男の船が一日早く出れば、こちらは人足の手当てを倍にして、二日早く出した。
その相手のところへ、こちらから頭を下げに行く。
原は、その考えを一度だけ、頭の中で転がした。
転がして、呑み込んだ。
立ち上がりながら、羽織の袖を通し、帯の位置を直す。動作に溜めがない。この男は、決めてから動くまでの間が、いつも人より短い。
「旦那。どちらへ」
「本町だ」
「……本町、と申しますと」
「四丁目」
番頭が、そこで一瞬、返事に詰まった。
この店で、本町四丁目という言葉が、これほど平らな調子で口にされたことは、これまで一度もなかった。
「駕籠を回しますか」
「要らねえ。歩く」
原は、下駄をつっかけて表へ出た。
供が三人、慌てて後ろについてくる。
陳が帰ってから、まだ半刻も経っていなかった。
五
本町四丁目の野澤屋は、開港の年から同じ場所にある。
看板は一度も塗り替えていない。三年ぶんの潮風と埃で、地の色が沈み、字の輪郭が滲みかけていた。塗り直せばよいと言う者は毎年いるのだが、主人がそのたびに、まだ読めるからよろしいと答えるので、そのままになっている。
店の中も、造りは地味であった。土間が広く取ってあり、板の間には帳場が一つ。飾りらしい飾りは、床の間に置かれた古い秤くらいのものである。その秤は、この男が上州で最初に使ったものだと聞くが、本人は由来を語らない。
人の出入りは、この町のどの店より多い。
多いのは客ではなく、村から出てきた者であった。糸を売りに来た者が、そのまま土間の隅で握り飯を使い、番頭に江戸への使いを頼み、そうやって半日を過ごして帰っていく。野澤屋の土間は、上州の者にとって、横浜における宿のような場所になっていた。
茂木惣兵衛は、その帳場で文を読んでいた。
三十五。丸顔で、目尻が下がっている。坐り方に力が入っておらず、遠目には近所の隠居のようにも見える。ただ、文を読むときだけは、紙を持つ手が動かなかった。
文は上州から来ている。差出人は、五年来つき合っている村の年寄であった。
字は達者ではない。しかし、書きたいことは筋道立って並んでいた。
『――此度は、江戸より参られたる衆が、例年より高き値にて買い付けたき由、申し越され候』
『――村の者ども、皆々喜び居り候。有難きことにござ候』
『――旦那様にも、御礼申し上げたく候』
茂木は、そこまで読んで、紙を膝へ置いた。
礼を言われる筋合いが、この文にはない。
村は、他所の商人が高く買ってくれることを、野澤屋への義理立てのつもりで報せてきている。断るべきかどうかを、暗に訊いてきている。
訊かねば済まぬと思わせているのは、こちらの五年であった。
茂木は、しばらく庭のほうを見ていた。
庭と呼べるものではなく、塀と井戸のあいだの三坪ばかりの土に、南天が一株植わっているだけである。その葉先が、風もないのに時々揺れた。井戸の釣瓶が軋む音が、店の奥から届いてくる。
――高く買うてくれる者は、有難い。
それは、その通りである。今年の村の暮らしは、それで楽になる。屋根を葺き替える家が出るだろうし、娘を奉公に出さずに済む家も出るだろう。
問題は、来年であった。
この商いを始めて十五年、茂木が本当に恐ろしいと思ってきたのは、値を叩く商人ではない。
叩く商人からは、村は逃げる。それで済む。
恐ろしいのは、一年だけ高く買って、翌年に引く商人であった。
村は、去年の値を基準にする。翌年、元の値に戻されれば、自分が損をしたと思う。そう思えば、繭を抱えて売り渋る。売れぬまま時が過ぎれば糸は古び、古びた糸には誰も手を出さない。
この形で潰れた村を、茂木はかつて二つ見ている。一つは、桑まで抜いて畑に戻した。もう一つは、若い者が半分出ていって、そのまま戻らなかった。
どちらも、潰した商人に悪意はなかった。ただ、翌年に金が続かなかっただけである。
悪意のない者が村を潰す。それが、この十五年でこの男が学んだ、いちばん苦い一つであった。
茂木は、文をもう一度手に取った。
村の年寄が書いてきた「江戸より参られたる衆」が、どこの誰であるかは分からない。
だが、江戸から上州の村へ入り、例年より高い値を持ち込める者が、この三年で何人もいるはずがなかった。江戸の問屋筋なら、まず横浜の売込商へ話を通す。そこを通さず、直に村へ入れるのは、横浜に足場を持つ者だけである。
この町で、それができる新参は一つしかない。
止めなければならない、と茂木は思った。
次にどうやって、という段になって、手が止まった。
野澤屋の名で一通出せば、群馬は動かなくなる。そこまでは、この男の一存でできる。
しかし、上州も秩父も信州も、そこから先までは届かない。届かせるには本店へ諮るしかない。そうなれば、返事を待つだけで半月かかる。
半月かければ、春蚕は終わる。
届かせるには、もう一軒要る。いま、この町で、諮らずに動ける商家が。
茂木は、立ち上がって羽織を取った。
「旦那様。どちらへ」
「弁天通まで」
「駕籠は」
「歩きます」
供は連れない。
この男は、開港の年からずっと、一人で歩いている。
六
夕方の弁天通は、道に水を打った匂いがしていた。
打ってすぐの土は色が濃く、そこを荷車が通るたびに、輪の跡が二本ずつ残っていく。両側の店はもう半分ほど戸を閉めかけていて、閉めた戸の内側から、算盤の音と、番頭が数を読み上げる声が漏れていた。
この刻限の弁天通は、一日でいちばん人の少ない時である。売り込みに出ていた者は帰り着き、夜の荷役はまだ始まっていない。
通りの中ほどで、二人は出会った。
海のほうから来たのが茂木惣兵衛で、堀のほうから来たのが原善三郎である。
原の後ろには供が三人ついていて、茂木の後ろには誰もいなかった。
二人とも、相手を見つけてから足を止めるまでに、五、六歩を要した。
「……原さん」
「茂木さんかい」
しばらく、どちらも次を言わなかった。
荷車が一台、二人の脇を抜けていった。二人は、遠ざかる車輪の音を黙って聞いていた。
先に口を開いたのは、茂木のほうであった。
「……そちらも、でごぜえますか」
原の顔に、笑いが浮かんだ。
この男の笑いは速い。浮かんだと思う間もなく、もう目元まで届いている。
「さすがだんべ。わしの一番の競争相手じゃ」
原が、右手を出した。
茂木はその手を一度見てから、自分の手を出した。
握った手は、二人とも節が太く、掌の同じところに同じ胼胝ができていた。俵を扱う者の手である。
「三年、削り合ってきたな」
「削り合いましてごぜえます」
「わしは、あんたの荷の入りを、毎日数えとったよ」
「手前も、亀屋さんの船の数を、毎日勘定しておりました」
原が、握った手をもう一度、強く締めた。
「その毎日を、しばらく休むかい」
「……休みましょう」
二人の手が離れた。
原が、堀のほうへ顎をしゃくった。
「歩こう。話は、歩きながらだ」
二人は並んで歩き出した。
供の三人が、少し離れて後ろについていく。
打ち水は、通り過ぎたあしもとも、まだ乾いていなかった。
七
川口彦治郎が信州から戻ったのは、水無月に入って十日ほど過ぎた昼である。
二階へ上がってきたこの男は、いつも通り腰の矢立を外して脇へ置き、手帳も開かずに口で報告を始めた。草履は履き潰しており、脛のあたりに引っ掻き傷が幾筋も走っている。
「五つの村を回りました。上田の在で二つ、諏訪で一つ、伊那へ下って二つにございます」
「幾らで話が付きましたか」
「一俵も、買えてございません」
善次郎は、筆を置いた。
「どの村も、既に約定が済んでおりました。前渡しは卯月のうちに受け取っており、繭の出た分は、そのまま渡す先が決まっております」
「一割五分の上乗せは」
「申し上げました。上田の在の一つでは、二割まで出せると申しました」
「返事は」
「銭の話ではごぜえません、と」
彦治郎は、そこで初めて、少し言い澱んだ。
「その先を、詳しゅう申し上げたほうがよろしゅうございますか」
「お願いします」
「上田の在の一軒目で、こう申されました。手前どもは、去年の秋に屋根を直しておりまする。あれは、亀屋さんが期日より早く前渡しを届けてくださったからにございます、と」
「二軒目は」
「何も申されませんでした。ただ、話を聞くだけ聞いて、茶を出して、それきりにございます」
「諏訪は」
「名を訊かれました。天朝物産会所と申し上げましたら、聞いたことがないと」
善次郎は、そこで一度、目を閉じた。
「伊那は」
「伊那の二つは、どちらも同じことを申されました。今年はもう決まっておりますが、来年は分かりませんので、また来てくださいまし、と」
「……来年」
「はい、来年と確かに申されました」
*
矢本寅次が秩父から戻ったのは、その翌日である。
こちらは戻るなり水を一杯飲んで、それから胡坐をかいた。着物の裾に泥がこびりついていて、この男が村道を相当歩いたことが分かる。
「駄目でしたよ、若旦那」
「幾つ回られましたか」
「七つでさ。武蔵で四つ、秩父で三つ」
「一俵も」
「はい。しかもね、断り方が揃ってるんです」
寅次は、膝の上で指を折った。
「まず、済んでますって言われる。次に、値の話にしようとすると、値じゃねえって言われる。で、そのあとが、どこの村でも同じでした」
「同じと言うと?」
「亀屋さんに、一昨年の不作んとき、助けてもろうたんで、って」
寅次は、そこで指を折るのをやめた。
「あっしゃ、あの辺の生まれですから、一昨年がどんな年だったかは知ってます。ありゃあ、ひどい年でした。桑が病んで、繭が半分も採れなかった。あんとき、値を買い叩きに来た商人は幾人もいましたよ。並の値で引き取ったのは、あの人だけでさ」
「そうか…」
「損してます、間違いなく。あの年の相場じゃ、並で買ったら売り値のほうが下でした」
善次郎は、それを聞いて、何も言わなかった。
佐野茂兵衛が上州から戻ったのは、さらに三日後である。
この男は、二階へ上がってくると、まず膝を揃えて坐り、それから頭を下げた。
「相済みませぬ」
「頭を上げてください」
「上州は、六つ回りましてございます。うち四つは、話も聞いてもらえませなんだ」
「聞いてもらえた二つは?」
「値は結構な値でございますな、と申されました。それでそれきりでございます」
茂兵衛は、そこで顔を上げた。
「一つだけ、はっきり物を言うてくださった年寄がおりましてございます。そのまま、お伝えいたします」
「伺います」
茂兵衛は、少し間を置いた。
「あちらさんは、悪い年に来なさった。旦那は、良い年に来なすった」
*
二階に、しばらく音がなかった。
窓の外では、この時季らしく雲が動いている。晴れているようで、日は差したり陰ったりを繰り返し、そのたびに畳の色が変わった。
善次郎は、三人の報告を頭の中で並べた。
信州、秩父、武蔵、上州。四つの土地で、十八の村。断り方が、どれも同じ形をしている。銭で断られたのではない。銭より先に置かれているものがあって、そこへ触れられなかった。
かつて高瀬が口にしていた見立てが、今度は村の口から返ってきていた。
――三年通って、ようやく話を聞いてもらえます。五年で、悪い年にも回してもらえる。
この男は、良い年に、初めて来た。
銭を持って、堂々と、正面から。
「彦治郎殿」
「はい」
「信州で断られた日は、いつでしたか」
彦治郎は、手帳を開かなかった。
「上田の在の一軒目が、水無月の三日にございます。諏訪が五日、伊那が七日と八日にございます」
「寅次殿は」
「秩父へ入ったのが四日で、断られはじめたのが五日からでさ」
「茂兵衛殿は」
「上州へ着きましたのが四日、その日の晩には、もう話が回っておりましてございます」
善次郎は、帳面へその日付を書き入れた。
書き入れて、線で結んだ。
三日、四日、五日、七日、八日。
関東の糸の出るところが、わずか一週間のあいだに、揃って閉じている。
*
「若旦那」
寅次が、遠慮がちに口を挟んだ。
「一つだけ、気になったことがあるんですがね」
「伺います」
「秩父で断られはじめたのが五日なんですが、あっしが村へ着いたのは四日の昼です。四日の昼には、まだ普通に話を聞いてくれてたんですよ。それが、一晩で変わった」
「一晩で?」
「へえ。誰かが、あの晩のうちに村へ入ったってことになります」
善次郎は、帳面へ目を落とした。
水無月の三日に、信州の上田で断られている。四日の昼、秩父ではまだ話が通じていた。四日の晩に、何かが動いた。
――こちらが人を出した日は、皐月の晦日である。
それから、四日目に、相手は動きはじめている。
*
その日の午後、善次郎は一人で居留地へ出た。
高瀬にも留吉にも声をかけず、羽織だけを替えて、吉田橋の木戸門を抜けた。番人に会所の札を見せると、門番はもう顔を覚えていて、何も訊かずに通した。
海岸通りへ出るころには、空が晴れていた。
この時季の午後の日は、埋め立ての土を白く灼く。道の両側に積まれた俵から立ちのぼる熱と、潮の匂いと、馬の匂いとが混じって、息をするたびに喉の奥に残った。
一番館の門前には、この日も列があった。
善次郎は、前と同じ場所――通りの向かい側の、板塀の陰に立った。
列は十四人である。前に数えたときより二人多い。
しばらく見ていると、荷車が三台、通りの奥から続けて入ってきた。菰の掛け方が揃っていて、縄の結び目が、どの俵も同じ形をしている。同じ蔵から同じ手で出された荷であった。
その三台は、列の脇をそのまま通り抜けた。
門の内側から男が出てきて、先頭の車引きに何か言い、そのまま奥へ通した。列に並んでいた者たちは、誰も声を上げなかった。ただ、少しずつ後ろへ詰めた。
菰の隅に、屋号の焼印が押されている。
距離があるので、字までは読めない。だが、この町でその通し方をされる荷が、どこの荷であるかは分かった。
四半刻ほど後に、もう一組が入っていった。
こちらは荷車が二台で、縄の結び目の形が、先ほどのものとは違っていた。ただ、通り方だけは同じである。列の脇を抜け、門の内側から出てきた男に迎えられ、そのまま奥へ入る。
善次郎は、板塀の陰から動かなかった。
このふた月、自分がやってきたことを、頭の中で並べてみる。
勘定を組んだ。人を三人出した。相場より一割五分を積み、前渡しをその半分載せ、蔵の借り賃まで持つと言った。江戸から銭を運び、両替を数軒に散らし、名を隠さず、正面から村へ入った。
その結果として、いま、この門を通っている荷は、一俵もこちらのものではない。
こちらが打った手は、どれも間違っていなかった。正しいまま、一つも効かなかった。
日が傾きはじめたころ、善次郎は板塀の陰を離れた。
離れるとき、門の内側から人が出てきた。
背は高くない。肩幅と首が太く、羽織の仕立てがよい。供を三人連れていて、歩き出す速さが、供のほうがついていけていない。
その少しあとに、もう一人が出てきた。
こちらは供を連れておらず、地味な色の羽織を着ている。門を出たところで一度立ち止まり、内側の誰かへ向かって丁寧に頭を下げてから、通りへ降りた。
二人は、別々の方向へ歩き去った。
善次郎は、その両方を目で追った。
皐月の半ば、初めてこの場所に立ったとき、この男は同じ二人を見ている。あのときは、列に並ばずに通される者が二人いる、というだけのことであった。
いまは、名を知っている。
その二人が何をしたかも分かっている。それなのに、本人たちとはまだ一度も会っていない。
八
水無月の蔵は、湿る。
磯貝新吉は、その時季になると防湿の菰を整えるのを日課にしていた。菰を敷き直し、風の通り道を作り、朝と夕に一度ずつ戸を開ける。開ける刻限は、その日の風向きと空の色で決めるので、暦には従わない。
その日も、新吉は菰を敷き直していた。
動かす荷は、それだけであった。
善次郎が入っていくと、新吉は手を止めて頭を下げ、それからまた菰を持ち上げた。声はかけてこない。この男は、主人が黙って入ってきたときには、そのままにしておくものだと決めている。
蔵の中は、外より二段ほど暗い。
高い位置に切った小窓から光が斜めに落ちて、埃がその筋の中でゆっくり回っていた。匂いは、乾いた藁と、糸と、それから壁の漆喰の匂いが混じっている。
積まれた俵の列は、戸口から数えて七列で終わっていた。
そこから先は、菰も俵もなく、板だけが続いている。板は新しくもなく、古くもない。二年のあいだ、何も載せられずに湿気だけを吸ってきた板の色であった。
建ったのは万延元年である。
この蔵が満ちたところを、この町の誰も見たことがない。
*
二階へ戻って、善次郎は暦を繰った。
春蚕の糸が出るのは、水無月のうちである。
この月を過ぎれば、次に糸が動くのは来年の初夏になる。夏蚕も秋蚕もあるにはあるが、量も質も春の比ではなく、異人が欲しがるのは春の上物であった。
残りは、およそ半月。
善次郎は、その半月を紙の上へ書き出した。そして、そこへ何を置けるかを考えた。
産地へもう一度人を出す。――断られた村へ二度目に行けば、値でごり押ししていると思われる。そうなれば、来年も閉じる。
別の産地を探す。――関東の外へ出れば、奥州か、越後か、あるいは西である。どこも遠い。伝手もない。それに、今年の分はもう動きはじめている。
江戸の問屋筋から回してもらう。――五品江戸廻送令が効いていない以上、江戸へ回る糸そのものが細い。細い上に、値が乗る。
三つとも、書いた端から線を引いて消した。
高瀬からの報告も、止まっていた。
「若旦那。流してはおりますよ」
高瀬は、その日も時計の蓋を弾きながらそう言った。
「うちが、居留地の小さいところと商いをしたがっておる、という話をね。二番館の丁稚にも、三番館の下働きにも、あと波止場の人足にも入れました。ですが、まだ何も」
「六十二軒から、増えていませぬか」
「六十七になりました。増えた五軒も、外れでございます」
高瀬は、時計を懐へ戻した。
「それとね、若旦那。こっちも一つ、妙な話がありましてね」
「伺います」
「うちの荷を積む船の押さえが、先週から取りにくくなっております。値が上がったんじゃありません。押さえてあったものが、後から取り消される」
「理由は?」
「先方の都合だそうで」
善次郎は、その言葉を帳面に書き留めた。
その下へ、線を一本引いた。
「高瀬殿。取り消してきたのは、どこの船宿ですか」
「三軒です。どこも三年つき合っておるところでして、こういうことは初めてでございます」
「値を上げると言いましたか」
「申しました。上げると言ったら、余計に困った顔をされましてね。銭の話じゃないんです、と」
善次郎は、筆を止めた。
その言い回しを、この十日で四度目に聞いている。信州で、秩父で、上州で、そしていま、この町の船宿で。
「若旦那。もう一つございます」
「なんでしょう?」
「波止場の源蔵が申しておりましたが、うちの荷を担ぐ人足の頭が、先週から替わったそうで。前の頭は、別の口へ回されたと」
「誰に回されたのでしょうか」
「そこまでは。ただ、あの頭は長いこと、うちの荷を担いできた男です」
善次郎は、帳面へ二本目の線を引いた。
産地で断られ、船が取れず、人足の頭が替わる。三つとも別々の場所で起きていて、三つとも、誰も理由を言わない。
――攻められてはおらぬ。
この男は、そこに気づいた。
値を下げられたわけではない。荷を横取りされたわけでもない。ただ、こちらが手を伸ばそうとしたところが、伸ばす直前に、静かに一つずつ閉じていく。
「高瀬殿。亀屋か野澤屋のどちらかから、うちへ何か言ってきたことは」
「一度もございません」
「では、こちらの悪評を流されているという話は」
「それも聞きません。ですから、妙なんです」
高瀬は、そこで初めて、腕を組んだ。
「悪口を言われておるなら、言い返しようがございます。ですが、誰も何も言っておらんのですよ。うちに向かって石を投げてくる者がおらん。それなのにこっちの手足だけが一本ずつ動かなくなっていく」
善次郎は、帳面を閉じた。
それから、しばらく、その表紙を見ていた。
*
一階の隅では、飯田俊徳が紙を広げていた。
蘭書を横に置き、そこに載っている図解を紙へ移している。繰糸の器械であった。
湯を張った鉢が並び、その上に糸を巻き取る枠が据えられている。枠は歯車で繋がり、一本の軸から動く仕組みになっていた。飯田は、その歯車を一つずつ拾いながら写していた。筆が止まり、また動く。そのたびに、歯車の数が一つずつ紙へ移っていった。
「善次郎さん」
通りかかった善次郎に、少年のほうから声をかけてきた。
「これは、一台で八人ぶんじゃ」
「八人?」
「はい。湯の温度が一定であれば、糸の太さが揃いますけえ、選り分けの手間も減ります。日ノ本の座繰りは、人の手加減で太さが変わりますじゃろう。あれが、異人が嫌がるところだと、高瀬さんが言うちょった」
飯田は、筆の先で図の隅を指した。
「ここが、この器械の一等よいところです。湯を火から離してありますけえ、湯気で糸が傷みません。これを考えた者は、よほど糸を見ちょった者じゃろう」
善次郎は、その図を覗き込んだ。
覗き込んでいるあいだ、飯田は説明を止めなかった。歯車の比、軸の受け、湯を替える口の位置、それから、湯が冷めたときに誰がどう気づくか。この少年が、この町へ来てから最も長く喋った時であった。
そして、ひとしきり喋ってから、飯田は何気なくこう言った。
「買うのが太うねぇなら、作ればええっちゃ」
善次郎は、答えなかった。
もう一度、図を見た。それから階段のほうへ歩いていった。
飯田は、主人が去ったことにも気づかぬ様子で、また歯車を数えはじめていた。
吉田稔麿は、その日、三度目の書き直しをしていた。
荷の入りが減れば、蔵の割り振りも、人足の頭数も、船の押さえも、全部が合わなくなる。稔麿は、その全部を紙一枚に組み直す役を、誰に言われるでもなく引き受けていた。
一度目は、入りが二割減った前提で組んだ。
二度目は、四割減で組み直した。
三度目に、この男は筆を置いた。
板の間の隅で、しばらく紙を見ていた。
「稔麿殿」
善次郎が声をかけると、稔麿は顔を上げた。
「組めましたか」
「組めます」
「では」
「組めますがのう」
稔麿は、紙を裏返した。
「段取りの話じゃありまっせん」
「……と、申されますと」
「入りが二割減っても、四割減っても、組み直せば店は回ります。ですが、店を回したところで、荷は増えやせんけえ。手前がやりよるのは、少ない荷を、少ないなりに綺麗に並べる仕事じゃろう」
稔麿は、筆を硯へ戻した。
「並べ方を変えても、荷は入ってきまっせん」
それだけ言って、この男は口を閉じた。
善次郎は、その紙を受け取った。しばらく、裏返しのまま持っていた。
九
江戸へ文を出したのは、水無月の二十日である。
善次郎は、書くのに迷わなかった。
産地の名を四つ、回った村を十八、断られた日付を順に、動かした銭の総額を一行、そして残っている日数を一行。事実だけを並べて、頼み事も、詫びも、見通しも書かなかった。
書き終えて、二度読み返した。二度目に、余計なところが一箇所あるのに気づいた。そこだけ消した。消したのは、「相済みませぬ」という文字であった。
封をしたところへ、神保勘一が上がってきた。
旭狼衛から出されている連絡役である。江戸と横浜のあいだを月に何度も往復しているこの男は、いつも同じ、日に灼けた顔をしていた。
「江戸へ、でございますな」
「善兵衛宛にお願いいたします」
勘一は、封を受け取って懐へ入れた。中身については、何も訊かなかった。
「明後日の朝には、着きます」
「お願いいたします」
返しは、三日で戻ってきた。
勘一が持ってきた包みは、拍子抜けするほど薄い。
善次郎は、それを二階の文机で開いた。
中には、半紙が一枚だけ入っていた。
父の字である。長年、江戸の帳を書いてきた男の字で、太さも傾きも、変わっていない。
書かれていたのは、一行であった。
善次郎は、その一行を二度読んだ。
裏を返した。
何も書かれていない。
産地のことは書かれていない。二人の名も出ていない。値のことも、日数のことも、方法のことも、一字もなかった。
助言はない。
叱責もない。
父は、来なかった。
卯月の末、日本橋小舟町の八畳で、善次郎は理由を言わずに横浜行きを告げ、父は理由を訊かずに送り出した。
あの家では、それで話が通る。
訊かぬことが、互いの信頼の形になっていた。
息子が困っていることは、あの文を読めば分かる。分かったうえで、父は産地のことを一行も書かなかった。
書けば、それは差配になる。差配を受ければ、その通りに動く。その仕事は、いつまで経っても自分のものにはならない。
長年、あの男はそうやって暖簾を大きくしてきた。
『――江戸の帳は、案ずるに及ばず』
この一行が言っているのは、一つだけである。
後ろは見なくてよい。前だけを見ろ。
善次郎は、半紙を畳んで文箱へ入れた。
しばらくのあいだ、その箱の蓋を見ていた。
十
水無月の晦日、二階の行灯は、夜半を過ぎても灯っていた。
窓は開けてある。この時季の夜は蒸すので、閉めきると墨が乾かない。開けた窓からは、居留地のほうの明るみと、遠い荷役の声とが、途切れ途切れに入ってきていた。
善次郎は、志村宗介が清書した勘定書を、もう一度めくっていた。
村の名が並び、俵数が並び、前渡しの額が並んでいる。この五枚の紙に書かれたことは、一つとして実現しなかった。
この男は、そこへ×を引かなかった。
書き込みも足さず、一枚も破らず、帳面を閉じて文机の脇へ置いた。使えなかったものも、勘定書ではある。来年、同じ土地へ行くときには、この五枚が起点になる。
置いてから、順に考えた。
産地は閉じている。開けるには、年月が要る。三年通い、五年通って、悪い年に立ち会って、そこでようやく口を利いてもらえる。
その年月は、いま無い。作ろうとすれば、来年も再来年も、この町に張り付いていなければならない。
ならば、産地を通らない道を探す。
二人の手を通っている荷は、いまも動いている。止まってはいない。上州の繭は今年も出ている。秩父の糸も、信州の糸も、現に横浜へ運び込まれ、一番館の門前で値を告げられ、船に積まれている。
荷は、産地を出て、二人の手を通り、居留地へ入る。
産地を口説くのではない。その荷を握っている者を握ればよい。
善次郎は、行灯の火を少し細くした。
この手が、商人として褒められたやり方でない。産地へ通い、顔を繋ぎ、年を重ねて荷を取る。それが、この商いの筋であった。茂兵衛が壊れると言ったのも、その筋の先にある話である。
筋を通しても、荷は来ない。
荷が来れば、筋は後から追いついてくる。
姫様は、実利をお求めになる御方だ。
卯月末の座敷で仰ったのは、続けてほしいということであって、正しくやってほしいということではなかった。あの指図に、正道という言葉は一つも入っていない。
ただし、と善次郎は思った。
二人は、悪党ではない。
一昨年の不作に、並の値で引き取った者がいる。村の屋根を葺き替えさせた者がいる。良い年に来た自分に、村が首を振ったのは、そういう五年があったからであった。
その二人から、産地を取り上げる。
――いや、そうではない。
善次郎は、そこで一つ、線を引いた。
潰せば、村が困る。そうなれば、来年の糸が細る。こちらの蔵も細る。二人を潰すことに、実利は一つもなかった。
だから……潰さずに、握る。
*
善次郎は、抽斗から薄いほうの帳面を出した。
表紙の角は、まだ立っている。開くと、皐月二十八日の日付と、その下の一行が目に入った。
『――この町の日本の側を、一つにする』
筆に墨を含ませ、その下へ二行目を書いた。
『――産地を買わず、産地を持つ者を買う』
書いて、乾くのを待ち、閉じた。
それから、新しい半紙を出した。
宛先を書く。
『江戸惣会所総差配役 松屋善兵衛殿』
十日前に出した文の宛先は、日本橋の松屋善兵衛であった。あちらは息子から父への文である。今度のものは、そうではない。
天朝物産会所、差配としての文であり、返しがどう来ようとも、私事は一行も混じらない。
善次郎は、要件を書いた。
そのあいだ、手は一度も止まらなかった。
終えると、封をした。
封の墨が乾かぬうちに、階段を上がってくる足音がした。
矢本寅次である。着物の胸元がだらしなく開いていて、酒の匂いが、この男の周りにうっすら漂っていた。
「若旦那。まだ起きておいでで」
「寅次殿こそ」
「へえ。人足の詰所で、四半刻ばかり付き合ってまいりました」
寅次は、胡坐をかいて、懐から折り畳んだ紙を出した。皺の寄った、ずいぶん薄汚れた紙である。
「頼まれてた分、揃いましたよ。亀屋の荷が、この十日でどこへ何俵行ったか」
善次郎は、その紙を受け取った。
十日ほど前、産地の三人が戻ってきたあとで、この男へ頼んでおいたことである。相手を握ると決めるなら、まず何を持っているかを数えねばならない。数えずに手を出す者は、掴んでから、その中身に驚く。
紙には、寅次の下手な字で、行き先と俵数が並んでいた。
一番館へ、いちばん多い。二番館がその半分ほど。三番館と、それから名の分からぬ商館が三つ四つ。あとは船宿と、江戸へ回る分が少し。
善次郎は、上から順に指で追った。
追って、いちばん下で止まった。
最後の一行だけ、俵数が桁違いに小さい。
他の行が十俵、二十俵と並んでいるなかで、そこだけ二俵と書いてある。
「寅次殿。この一番下は」
「ああ、それですかい」
寅次は膝を崩して身を乗り出すと、紙の端を指で押さえた。爪のあいだに、まだ黒いものが残っている。
「五十八番でさ」
「……五十八番?」
善次郎は、その三文字を口の中で二度繰り返してみたが、二度目でも意味が取れなかった。
「五十八番と申しますのは、店の名ですか」
寅次が、きょとんとした顔をした。
「番地ですよ、若旦那」
当たり前のことを訊かれた者の戸惑いが、そのまま声に出ている。
「居留地ってのは、区画に一つずつ番号が振ってありましてね。あの白い大きな商館は、居留地の一番地に建っておりますんで、英一番館。その隣が英二番館。それだけのこってす」
「では、五十八番と申せば……」
「五十八番地に店を構えとる異人のことでさ」
善次郎は、紙の上の最後の一行から目を離さずに、次を訊いた。
「人足は、そこを何と呼んでおりましたか」
「五十八番、です」
「店の名では」
「言いませんね」
寅次は、後ろ頭を掻いた。掻きながら、自分でおかしそうに笑った。
「っていうか、若旦那。あっしゃこのふた月で七十軒近く当たっておりますが、名で言う奴に一人も会っちゃおりませんや。人足も、丁稚も、うちの留吉も、みんな番で言います。一番、二番、十七番、三十九番。手紙の宛先だって、番と名前だけで届くんですから」
*
善次郎は紙を膝の上へ置き、しばらく動かなかった。
窓の外で荷役の掛け声が上がり、遠ざかって消えるまで、何も言わなかった。行灯の芯が、じり、と小さく爆ぜた。
ふた月かけて、六十七軒を当たった。
名を訊き、扱いを訊き、人の数を訊いて、次へ行く。雨の日も休まず続けた二人の働きに、落ち度などない。
――この町の日本人は、異人を名で呼ばないのだ。
呼ばれることのない名を追い、徒労のふた月を重ねていた
「寅次殿」
「へえ」
「その五十八番は、二俵と書いてあるな」
「そうです。十日で二度、一俵ずつ」
「……十日で、二度」
「量は、そりゃあ知れてますよ。一番館の百分の一にもなりゃしません。ただね、人足が妙なことを言っておりまして」
寅次は、そこで少し声を落とした。
「あすこは、去年の夏からずっと同じ調子だそうで」
「そうか」
「切れたことがねえって話でした。増えもしねえ、減りもしねえ。月に五度か六度、必ず一俵ずつ。荷を担いでおる連中が、あすこだけは頼まれなくても順番を覚えとるって言いますから、まあ、本当でしょう」
善次郎の指が、その行の上で止まったままになった。
「その五十八番の主は」
「異人です。ただ――」
寅次は、そこで言葉を切った。
「ただ?」
「旦那が、二人おりますんで」
善次郎は、顔を上げた。
「二人?」
「へえ。組んで店を出しとるそうです。片方は、やたら背の高い男だと。もう片方は、そうでもねえと。人足に訊いても、そこまでしか出てきませんでした」
「名は」
寅次は、また後ろ頭を掻いた。
「そこがね、若旦那。あの連中の言うことですから、あてになりゃしません。あっしが聞いたのは――」
寅次は、一度、口の中で転がすようにしてから言った。
「マアシャル、とか、そんな風に聞こえました」
「……マアシャル!」
「へえ。ただ、もう一人の旦那の名も、頭が同じような音だったそうで。どっちがどっちだか、人足も分かっちゃおりません」
善次郎は、その先を考えた。
去年の夏から、一年、切れずに続いている。
増えも減りもせず、月に四度か五度、一俵ずつ。人足には、番でしか覚えられていない。
――そういう縁を、続けよと仰せになった。
卯月の末、あの座敷で、姫様はこう言った。
あの指図が求めていたものが、既にそこにある。
こちらの手の中にはない。
善次郎は、立ち上がりかけた。
だが、途中で思い直し、そのまま坐り直した。
いま、堀の奥のその家を訪ねれば、どうなるか。
産地の三方から締め出され、船の押さえを取り消され、人足の頭を替えられている江戸の若旦那が、その最中に、看板も出していない小さな家へ足を運ぶ。
目につかぬはずがない。
それを見た者は、なぜあの店へと考える。考えた者は、亀屋へ伝える。
――その方に、こちらが手を回していると気取られてはなりませぬか。
そう訊いたのは、自分である。
「なりませぬ」と答えられた。ならば話は易い――そう思った。
善次郎は、紙の最後の一行を指の腹でなぞった。
二俵。
これが、姫様の御用の全部である。毎月これを運んでいるのは、亀屋だった。
――潰せませぬな。
善次郎は、そう思った。
思って、初めて、口の端がわずかに動いた。
半刻前に、潰さずに握ると決めたばかりである。あれは、村が困るから、来年の糸が細るから、実利がないから、という勘定であった。
いま、それとは別の理由が一つ、後ろから追いついてきた。
あの男を潰せば、この一本も一緒に切れる。
善次郎は、寅次のほうへ顔を向けた。
「寅次殿。この一番下の家に、留吉殿を回してください」
「見張りですか」
「そうではありません。日に一度、前を通っていただくだけで結構です。中へは入らず、声もかけず、誰かに訊くこともしないように」
「それだけで」
「はい、お願いします」
寅次は、少し変な顔をした。しかし、何も訊かずに立ち上がった。
「明日から回します」
足音が階段を降りていき、下の戸が閉まる音がして、それきり静かになった。
*
善次郎は、厚いほうの帳面を引き寄せた。
開けば、皐月三日からの日付が、頁の左端に一日も飛ばずに並んでいる。二十六日目のところで一度、墨が濃くなっていた。あの晩、筆を持ったまま長く考えていたからである。
筆を執り、その続きに書いた。
『――五十八日目』
書いて、その脇へ、小さくもう一行を添えた。
『亀屋の荷、堀寄りへ月に四度。二年、切れず』
行灯を吹き消した。
暗くなった二階に、居留地のほうの明るみだけが残っている。夜のうちに動く荷は、今夜も動いていた。あの荷のどこかに、上州の糸があり、秩父の糸があり、信州の糸がある。
どれ一つとして、この店の蔵には入ってこない。
名は、まだ確かめていない。
確かめるには、あの家へ人を出さねばならない。人を出せば、必ず誰かが見る。
ふた月かけて探していたものが、いまになって、いちばん見られてはならないところで見つかった。
水無月が、そこで終わった。
第百八十五話 了
【原善三郎と茂木惣兵衛―横浜を支えた二人の豪商】
幕末から明治にかけて、横浜は開港によって日本を代表する国際貿易港へと成長していきました。その発展を支えたのが、港に集まる生糸を扱った日本人商人たちです。
なかでも「亀屋」の原善三郎と、「野沢屋」の茂木惣兵衛は、横浜を代表する生糸売込商として知られた二人でした。
原善三郎は、武蔵国渡瀬村(現在の埼玉県)出身の豪農の家に生まれ、1862年(文久2)に横浜で「亀屋」を開業。生糸売込業を急速に拡大し、やがて横浜第一級の生糸商へと成長しました。明治6年には横浜生糸改会社の社長、第二国立銀行の初代頭取となり、さらに横浜商法会議所の会頭、横浜市会初代議長、衆議院議員などを歴任。商売だけでなく、金融や政治の面からも横浜の発展に大きな影響を与えた人物です。
一方の茂木惣兵衛は、上野国高崎(現在の群馬県高崎市)出身。横浜開港期に生糸売込商・野沢庄三郎のもとで働いた経験を足がかりに、1864年(元治元)に「野沢屋茂木商店」を開きました。やがて原善三郎の「亀屋」と並ぶ有力な生糸売込商へと成長し、横浜財界を代表する商人となります。
二人は商売上のライバルであると同時に、横浜の日本人商人の地位を高めるうえでも重要な役割を果たしました。
当時の横浜貿易では、外国商館が生糸の検査や計量を握り、日本人商人が不利な条件を強いられることもありました。原善三郎や茂木惣兵衛ら有力な生糸売込商は、1881年(明治14)に生糸荷預所を設立し、取引の改善を目指します。外国商館との対立によって最終的には解散することになりますが、この動きは、日本人商人が横浜の貿易における主導権を強めていく過程の一つとなりました。
二人が残したものは、莫大な財産だけではありません。
原善三郎の死後、その家業を継いだ婿養子の原富太郎――後の原三溪――は、生糸事業をさらに発展させる一方、善三郎が取得していた本牧の土地を受け継ぎ、三溪園を築きました。三溪園は1906年(明治39)に一般公開され、現在では横浜を代表する文化財・名勝となっています。つまり、今日の三溪園の基礎には、原善三郎が築いた財産と土地がありました。
茂木惣兵衛も、商売だけに終始した人物ではありません。1882年(明治15)に開校した横浜商法学校――現在の横浜市立横浜商業高等学校、通称「Y校」――の創立委員の一人として、横浜の商業教育にも関わりました。これは茂木一人による学校創立ではなく、横浜貿易商組合の有力商人たちが共同して進めた事業でした。
また、明治期の野毛山には、原善三郎や茂木惣兵衛をはじめとする横浜の豪商たちが邸宅を構えていました。関東大震災後、この地域は復興事業の中で公園として整備され、現在の野毛山公園へとつながっていきます。
原善三郎と茂木惣兵衛。
一人は豪農を背景に横浜へ進出し、金融・商業・政治へと活動を広げた実業家。
もう一人は商人としての経験から身を起こし、生糸貿易を基盤に商業・金融・教育へと事業を広げた実業家。
二人は互いに競い合いながら、開港によって生まれた新しい都市・横浜の経済を担いました。
今日の横浜に残る銀行、学校、庭園、公園などをたどっていくと、その繁栄の背景には、幕末から明治にかけて港町・横浜で生糸を武器に巨富を築いた、こうした商人たちの姿を見ることができます。




