第百八十二話「将軍後見編―白い紙」
一
灯を提げた水無瀬様が先に立ち、殿がそのあとを歩き、平岡円四郎は最後尾についた。
昼にも、平岡はこの道を通っている。あのときは書き役の道具を提げ、これから何が話されるのかも知らされぬまま、ただ殿の三歩後ろを歩いた。いまは同じ道具を提げ、何も書かれていぬ紙を挟んで戻っている。
灯が一つきりなので、見えるのは先を行く二人の足元だけであった。庭は闇に沈み、中庭を越えるあいだ、聞こえてくるのは三人ぶんの足音と、絶え間ない虫の音ばかりである。板の軋む場所は、昼と同じところで鳴った。
中庭を二つ越え、渡り廊下を折れると、そこから先が表になる。
境の板が、灯の輪のなかへ入ってきた。
昼、殿はそこで足を止めなかった。
今度も、止めなかった。
平岡は、その背中を後ろから見つめていた。
この人の歩き方を、平岡は仕えて以来ずっと観察している。城の長廊下でも、屋敷のなかでも、速さが変わらない。角の手前で減速せず、折れる直前に体だけを傾けて、そのまま曲がっていく。供の者はたいてい一度は遅れ、そのことを詫びる。詫びられても、殿は何も仰せられない。
歩き方が、昼と一分も変わっていない。半日であれだけのことが話され、最後にあの一言が出たというのに、この人の歩幅は行きと帰りで同じであった。
(変わらぬのが、この御方じゃ)
そう思ってから、平岡は自分がなぜそれを確かめたのか、うまく言葉にできなかった。
表御殿の玄関脇まで来ると、水無瀬様が短く礼を返して、離れのほうへ去っていった。灯が遠ざかり、廊下の先が急に暗くなる。
慶喜は書院へ向かった。
平岡はその三歩後ろを歩き、書院の前で一礼して、そのまま自室のほうへ折れた。
この夜、殿から用は言いつけられなかった。
書院の障子は開いており、なかで灯が入る気配がした。坐られたのだろうと平岡は思い、いつ声がかかってもよいように、廊下でわずかに足を緩めた。
しかし、声はかからなかった。
いつもであれば、その日の始末について一言二言のやり取りがある。明日の登城のこと、届いた書付の裁き、諸藩からの返しをどこで受けるか。用がなければ、無いという一言がある。
今日は、それも無かった。
自室へ入り、平岡は書き役の道具を文机の脇へ置いた。
置いてから、しばらく開けなかった。
道具そのものは、いつもと同じ重さである。硯と、筆と、紙挟み。半日で書いた分だけ紙は重くなるはずであったが、今日はほとんど変わっていない。持って歩いているあいだ、平岡はそのことを一度も意識しなかった。
行灯に火を入れ、袴の紐を解き、着替えを済ませてもなお、文机の脇のものへは手を伸ばさない。開ければ、中に何が入っているかは分かっている。それでも確かめる気になれなかった。
庭の虫が、障子の向こうで鳴きつづけている。
この数日で、音の厚みが少し落ちた。葉月も末になれば、そういうものであった。江戸へ出てきて二十年余り、この男は季節を暦ではなく音の量で覚える癖がついている。
この屋敷の庭は、表と奥で地続きである。いま自分の耳に入っている音は、半刻前まであの座敷で聞いていた音と、同じ庭から上がってきていた。
平岡は、そこから先を追うのをやめた。
放っておけば、この男の頭は勝手に先まで数える。一を聞けば十まで追う。以前、若い者にそういう癖だと言われたことがある。数えたところで役に立たぬことのほうが、生きてきたかぎりでは多かった。
今日は、その癖が動かない。
昼から夜まで、あの座敷で交わされたことを、この男は一つ残らず聞いている。意味も取れていた。なのに、頭のなかでは一つの形にならず、ばらばらのまま残っている。
やがて、廊下に足音がした。
「あんた」
妻のやすである。
膝をついて障子を開け、盆を持ったまま、部屋のなかを一目見た。
妻は、そこで何も訊かなかった。
「湯、冷めるよ」
「……うむ」
「うむ、じゃないよ。冷めるって言ってんの」
やすは盆を置き、それだけ言って下がっていった。
障子が閉まってから、平岡はしばらくそちらを見ていた。
この妻は、こういうときに理由を訊かない。そういう女だから娶ったのか、娶ってからそう気づいたのか、いまとなっては思い出せなかった。
吉原で名の売れた芸者であった女である。座敷で客の顔色を読むことにかけては玄人であったはずで、いまも読めていないはずがない。そのうえで、訊かない。
平岡は、盆の湯呑みを取った。
まだ、熱かった。
湯呑みを持ったまま、平岡はもう一度、文机の脇の道具を見た。
二
湯を使って戻ってから、平岡はようやく道具を開けた。
平岡の部屋は、書院から廊下二つぶん離れた奥まった一室である。行灯を一つ入れると、四畳半の壁の上のほうが暗く落ちて、文机のあたりだけが浮き上がった。障子を閉てても、庭の虫の音は紙越しに上がってくる。
硯箱を脇へ寄せ、挟んできた紙を出す。
ほとんど、白い。
昼のあいだに書いたものは、日付と、座敷の設えと、水無瀬様が述べた名目の文言くらいであった。日が落ちてからの分となると、数行しかない。
書けたはずのことなら、幾らでもあった。
用人の書き役というのは、その場で交わされた言葉を、後から辿れる形に落とすのが仕事である。誰が何を申し、誰がどう受けたか。順を追って書いておけば、半年後に読み返しても、その日の座がそのまま立ち上がる。
平岡は、二十年それをやってきた。
姫君様が御簾を上げさせて名乗られたこと。この夏に下った三枚を草したのが誰であるか。殿が置かれた財の道が、五つとも順に塞がっていったこと。入れ物と中身の話。
そして、最後の一言。
どれも、書いていない。
書かなかった理由を、平岡は文机の前で一つずつ数えた。
一つ。書けば紙になり、こちらの手を離れて誰の目に入るか選べなくなること。安政の年に水戸の書き付けが牙を剥いたように、紙はのちに謀叛の証拠へ組み上げられる。
二つ。主君である殿自身が、今日の半日を忘れるはずもないため、読み返すための記録が不要であること。
そして三つ。座敷に落ちて消えるはずの言葉を紙に置き、確定した事実として残してしまう恐れがあったこと。声に出された事実より、紙になった言葉のほうがはるかに重い。
そこまで数えて、平岡は別のことを思い出した。
一年前、自分はこの同じ部屋で、白い紙の前に坐っている。
両国橋の上で、軍艦方の男から奥の姫君の名を聞かされた晩であった。
雨が屋根をぱらぱらと叩いていた。梅雨の終わりの、強くなっては止む雨である。行灯は二つ点けていた。部屋の隅には白い百合が一輪だけ活けてあり、紙と墨と油の匂いのなかに、その甘い匂いが混じっていた。
あのとき、手が震えていた。
筆を持ったまま、しばらく何も書けずにいた。自分の手をじっと見て、震えが止まるのを待った。
建白書に書いたのは、二字である。
『上様』
書いた瞬間、この男のなかの武士の何かが、ぐっと痛んだ。それでも書きつづけた。主君を守るために幕府を殺すという、その最初の一行を、自分の手で紙に置いた。
一年前、この部屋で、震える手で書いた。
今日は、同じ部屋で、手は震えなかった。それでも、書かなかった。
平岡は、その二つを並べたまま、しばらく動かずにいた。
どちらが正しいのかを、この男は決められない。
あの晩に書いたことは、間違っていなかった。紙は殿の手に渡り、殿は口を閉ざした。そのまま一年が過ぎて、昨日の座敷になった。書かなければ、あの座敷は無かった。
今日、書かなかったことも間違いではない。紙にした瞬間、それは誰かの手へ渡る。
一年で、何が変わったのか。
殿が変わられたわけではない。あの晩に建白へ書いた見立ては、いまも一分も外れていない。幕府はもう保たず、徳川を残すには器を替えるほかない。あのとき自分が震えながら書いた一行の先に、昨日の座敷があった。
変わったのは、書く側と書かぬ側のどちらに自分が立っているか、その一点だけである。
一年前、この身は絵を描く側にいた。勝麟太郎から絵図を渡され、それを自分の言葉に直して主君へ差し出した。差し出したものが効いたことは、この夏の一部始終が証している。
いまは、見ている側にいる。
絵を描いた者が現れて、描かれた側の当人と、同じ座敷で向かい合った。そのあいだ、この身は端に坐って筆を握っていた。それでも、書かなかった。
用人の役目としては、それでよい。
それでよいと分かっていて、腹の底が収まらない。
もう一つ、この夜に数えたことがある。
あの晩、勝麟太郎はこう言った。
『――このお名を口に出すことは、これからの半年は、控えてくれ』
半年である。
一年が、経った。
期限は、とうに切れていた。
切れてから、さらに半年。
この男は、自分の意思で黙りつづけたことになる。
咎めがあるからではない。あの軍艦方が江戸のどこかで自分を見張っているわけでもなければ、口に出したところで誰かに罰せられる筋合いもなかった。
言えば、楽になると分かっていた。
文月に殿が沙汰を受けられた朝も、勅が下って御用部屋が引っくり返った日も、あの一言を出せば、殿はすべての筋を一度に通されたはずである。そのうえでどう動くかは、殿御自身がお決めになる。用人の仕事としては、それが正しい。
だが、言わなかった。
言えば、殿は動かれる。そうなれば、あの絵はもう絵図のままではいられず、そこへ御名が書き込まれてしまう。
『――上様が、この絵をご自分で思いつかれた、と思うていただかにゃならねぇ』
あの男は、そう言った。
平岡は、その一言を一年、守った。守ったというより、それ以外の道を思いつかなかった。
行灯の油が、一度、じじと鳴った。
平岡は白い紙を畳んで、文箱へ納めた。
捨てなかった。
三
一夜明けても、平岡の中では、昨日がまだ終わっていなかった。
葉月三十日の表御殿は、朝から人の出入りが多かった。長月の登城の割り振り、諸藩からの返し、勘定方の伺い。書付の束が膝の前に積まれ、平岡はいつもの速さで裁いていく。手は動いているのに、頭の一部だけが別のところに残っていた。
同じ屋根の下に、数年住んでいた。
奥に朝廷の御使者が入られたことは、表の者なら誰でも知っている。水無瀬様と名乗る公家がおられること、その方が有職の御用でこの屋敷に留まっておられることも、知らぬ者はいない。
その奥から、十四歳の姫が出てきた。
そして、殿と半日、一歩も引かずに話した。
昨日は、不思議に思わなかった。
座敷にいるあいだ、平岡は書き役として筆を動かしつづけていた。筆が動いているうちは、目の前のことを受け取るしかない。疑う暇などなかった。
手が止まってから、昨日のことだけが、あとから追いついてきた。
夜半、床に入ってからも同じであった。目を閉じると、あの座敷の光の加減が浮かぶ。庭に向かって開いた障子、上げられた御簾の紐、灯が入ってからの四人の影。浮かんでくるのは景色ばかりで、そこで何が決まったのかという肝心のところが、どうしても現のこととして立ってこない。
いま考えると、腑に落ちないことばかりである。
なぜ、あの方の言葉が江戸の役所の話として通じたのか。京の姫君であれば、御所の話は分かっても、勘定所の目録の癖など知りようがない。異国の商人が買い手を幾つも持ったときに値をどう吊り上げるかなど、江戸の商人でも知らぬ者のほうが多い。
なぜ、殿の速さについてこられたのか。
平岡は、その問いの前で幾度も止まった。
夢を見ていたのではないか?という言い方が、いちばん近い。
自分の齢の三分の一ほどしかない姫が、御三卿の当主を相手に、この国の行末を半日話した。それだけではない。殿の側が、一つずつ持ち物を減らしていった。
もし昨日、あの座敷にいたのが自分一人だったなら――今朝の自分は、あれをただの夢だったと思い込もうとしていただろう。
証す者がいるといっても、二人である。
その二人と、この件について話すことは、おそらく生涯ない。水無瀬様は奥の御方に仕える身であり、殿には殿のお立場がある。同じ座敷にいた者どうしであっても、このことを口にはしない。
水無瀬様がいた。殿がおられた。
だから、あった。
平岡は、書付を読み直す目を止めた。同じ行を、また二度なぞった。
もっとも、昨日いちばん驚いたのは、姫君の年でも、名乗りでもなかった。
姫君が、殿の申されることを、ただの一度も否まれなかったことである。
昼から夜まで、あの座敷で言い争いは一度も起きなかった。
殿が何かを置かれるたび、姫君はそれを受けた。
『出まする』
『ございます』
『はい』
否まれた覚えが、平岡には一つもない。
受けられるたびに、殿の手にあったものが一つずつ無くなっていった。
城の評定であれば、こうはならない。
誰かが何かを申し立てれば、必ず誰かが否む。そうして家格が出て、前例が出て、半日を潰したところで、たいてい何も決まらずに散会する。
座敷では、争いが起きなかったのに、勝負がついていた。
そういう場を、この男は生涯見たことがない。
昼を過ぎたころ、平岡は筆を置いて、しばらく庭のほうを見ていた。
この男は用人である。
仕事の半分は、殿の御用を捌くことであり、残りの半分は、殿に誰を会わせるかを選ぶことであった。
そして――この数年、平岡は殿に人を会わせなくなっていた。
理由は、はっきりしている。
誰も、殿の速さについてこられない。
三つ話せば二つ目でついてこられなくなる。帰るころには、たいてい殿を傲慢だと言っている。老中も、大名も、旗本も、水戸の者も変わらなかった。
会わせるだけ、主君の評判は悪くなった。
だから、会わせなくなった。
この判断を、平岡は正しいと思ってきた。
用人が主君の評判を守るのは、当たり前の勤めである。会わせたことで悪くなるくらいなら、最初から会わせぬほうがよい。人を選ぶとは、結局、誰を遠ざけるかを決めることでもあった。
昨日は公家の姫君が、半日、一度も遅れなかった。
平岡は、その事実の前に坐っている。
会わせなかったのは、正しかったのか。
ついてこられる者などいないと決めていたのは、こちらではなかったか。この国には、まだいるのではないか。殿と対等に話せる者が。
そして――自分は、それを探そうともしなかったのではないか。
平岡は、その問いを持ったまま、その日の勤めに戻った。
しかし、書付を読む目が、幾度も止まった。
四
同じ日の朝、徳川慶喜は城の勘定所へ自ら足を運んだ。
城中の勘定所は、本丸の北寄りにある。表向きの華やかさとは無縁の一画で、廊下は狭く、部屋のなかは天井まで綴じ物の箱が積んである。紙と、埃と、古い墨の匂いが年じゅう抜けない場所であった。
慶喜が求めたのは、御料所の取箇の目録である。
「――去年の分と、今年の分を、並べて置け」
役人の顔に、はっきりと怪訝が出た。
目録は年ごとに綴じられて蔵へ納められる。求められれば一冊を出す。二年ぶんを同じ机の上へ広げよという注文を、この男は受けたことがなかった。
やがて二冊が運ばれてきて、慶喜の前に並べられた。
運んできた下役は、そのまま脇に控えている。後見職が勘定所へ足を運ぶこと自体、この城では前例がなかった。用があれば書付を上げさせるのが筋であり、それで済む話である。
慶喜は、その下役を残した。誰も見ていなければ、後で何をしたのかと勘繰られる。
並べるという発想を、この城の誰も持っていない。
毎年、目録は作られる。上へ回り、蔵へ納まる。それぞれの年の数字は残っていても、今年と去年を比べた記録はどこにもない。誰かが自分で並べないかぎり、その差は表に出てこない。
二百六十年、誰も並べなかった。
並べる理由がなかったからである。
目録を作るのは勘定所、検めるのは上役、蔵へ納めるのは書役。それぞれ、その年の分を扱う仕事である。去年と突き合わせよという定めは、どこにもない。
書かれていないことを、この城の者はしない。
二百六十年、書かれたとおりに動いてきたからこそ、この役所は回ってきた。そのぶんだけ、書かれていないところに穴が空いた。
慶喜は、二冊を交互に見ていった。
米で入るもの。金で出るもの。去年と今年で、どちらへ傾いているか。
半刻もかからなかった。
傾きは、言われたとおりの向きにあった。
入りのほうは、動いていない。豊凶で上下はするが、二年並べたところで、増えていく形にはなっていなかった。
出のほうは、増えていた。しかも、増えたのは金額だけではない。去年には無かった項目が、幾つも立っている。石炭、洋銃、船の修繕、異国への支払い。それ以前の目録には、そもそも存在しなかった費目である。
入りは米で、出は金であった。
それ以上、慶喜は検めなかった。
目録を返させ、礼も言わずに座を立った。役人は、この御方が何を見にきたのかを最後まで掴めぬまま、二冊を蔵へ戻すことになる。
*
その日の夕刻、屋敷へ戻った慶喜は、書院に灯を入れさせた。
庭の虫は、この数日でわずかに薄くなっている。障子を半分だけ開けたまま、慶喜は文机の前に坐り、しばらく何もせずにいた。
やがて筆を取り、紙の端に一つ、名を書いた。
『黒田――福岡藩』
昨日の座敷で、この名は一度も出ていない。
出したのは、その前である。銭の道が四つ塞がれ、五つ目を口にする前に、慶喜は式目の列座を頭のなかで並べ直していた。
あのとき、この名に指が届いた。
長崎の警備を、佐賀と隔年で交代してきた家である。佐賀が入って黒田が入らぬ理屈は、この城の誰にも立てられない。文月二十九日の御用部屋で持ち越されたまま、今日まで誰も手をつけていなかった。
黒田を加えれば九家になる。
九なら割れない。割れなければ、議長へ裁定は回らない。
その仕掛けに気づいたのは、あの座敷であった。八家なら、可否が割れる。割れれば議長が裁す。板倉が並べたのは七家。それを八にした者がいる――そこまで数えて、こちらから突いた。
返ってきたのは、肯定だけであった。
あのとき、慶喜はそこで指を止めている。
『――追うべきは、無いほうではない。有るほうじゃ』
そう判じて、この名を頭の隅へ置いた。
捨てたわけではなかった。
なぜ、いま上がってきたのかを、慶喜は自分でも掴みかねている。
あの座敷で、この名は一度も話題にならなかった。姫君からも、こちらからも触れなかった。触れる必要が、どこにもなかった。
昨日得たものと失ったものを、帰ってから幾度か勘定し直した。そのうち、数に入れていなかったものが一つ、勝手に浮いてきたような心持ちであった。
慶喜は、その紙を裏返した。
その前に、一度だけ、名の脇に指を置いた。
そして、そのまま何も書き足さなかった。
裏返して、その日は寝所へ下がった。
五
長月に入って、江戸の朝が冷えるようになった。
書院の障子を開けると、庭の楓が縁のほうから色を落としはじめている。池に浮いた葉は、葉月のうちより厚く積もっていた。虫の音は昼のあいだ途切れがちになり、朝夕にだけ濃くなる。蝉は、もう一匹も鳴いていない。
慶喜は、その庭を見ながら、三日をかけた。
一日目、この男は加えるべき理屈を並べた。
並べるまでもなく、理屈は揃っている。長崎の任にある家が佐賀と黒田の二つであるのに、片方だけを列座に入れて片方を宙に浮かせたままにしているというのは、どこから見ても収まりが悪い。誰かに問われれば、この城の側に答える言葉がなかった。
加えれば、片が付く。
そうしたところで、誰も損をしない。
黒田の家にしてみれば、外されていたものが入るのであるから、断る理由がない。佐賀にしても、隣の家が同じ座に着いたところで自分の座が減るわけではない。城の側は、宙に浮いていた詮議が一つ片付く。
二百六十年、この城は誰も損をしない話を選んできた。だからこそ、誰かが損をする話は、決まらぬまま積み残されてきた。
二日目、慶喜は同じ紙をもう一度出して、今度は数を見た。
列座は、いま八家である。
八は偶数であるから、賛と否が四つずつに割れることがある。起これば、裁くのは議長ひとりであった。
黒田を加えれば、九家になる。
九なら可否は割れない。割れなければ、議長の裁きも要らない。
そこまで書いて、慶喜は筆を置いた。
そして、その日は屋敷を出た。登城し、書付を裁き、諸藩の使者に会い、日が暮れてから戻った。それから、また同じ紙を出した。
この男には、決めかねているものを一度懐へ入れて、何日か持ち歩く癖がある。
子どものころ、水戸の父の前でこれをやると叱られた。即答せぬ者は考えておらぬのだ、と言われた。父は、迷いというものを弱さの一種として扱う人であった。
叱られても、この癖は変わらなかった。二十年も続けるうち、いまでは身を守るいちばん確かなやり方になっている。持ち歩いているあいだに形が変わるものは、まだ決める時ではない。変わらぬものだけ、最後に決めればよい。
三日目の夜、慶喜は数え直した。
可否が相半ばしたとき、最後に裁くのは誰か。
議長である。
慶喜は、庭のほうへ目をやった。
その日一日だけ、この身は裁く側に立つ。
裁いた者には、名が残る。名が残れば、的になる。
――井伊掃部頭。
あの男が斬られたのは、勅許を待たずに調印したからではない。判じたことが、一人の名で世に出たからであった。責が一点に集まれば、そこを斬れば終わる。二百六十年、誰もそれを試さなかった。試してみたら、通った。
通ったやり方は、必ず繰り返される。
安政の年、この身が謹慎を申しつけられたのも、同じ理屈であった。担ごうとした者がいた。それだけで、担がれる側が狙われた。そこに立っていたのが悪いとされた。誰がそうしたのか、その名はいまも分からない。
立つ場所を選べるのなら、選ぶ。
二十六年、この男に選べたことはほとんどなかった。生まれる家も、養子に入る先も、担がれることも、謹慎も、後見職も、どれ一つ自分で選んではいない。
いま、選べるものが一つ、目の前にある。
(――余に与えられた唯一の権が、余の唯一の危うさだ)
慶喜は、躊躇なくその権を捨てる決断をした。
九家にすれば、可否は割れない。議長が裁く必要もなくなる。そうなれば、名も残らぬ。
決めてから、この男は不思議なほど何も感じなかった。
文月六日、乗物のなかで得たものと抜かれたものを並べたときも、そうであった。銭の道が五つとも塞がったと分かったときも、腹は立たなかった。数え終えれば、それでよい。
残るのは、手順だけである。
誰を呼び、どこで開き、何と言うか。決まったことを形にするだけなら、この男の手はいくらでも動いた。
そして、もう一つ。
あの姫君は、これを見込んでいない。
福岡を宙に浮かせたのは、こちらへ票を回すためであった。第一の手として、慶喜はそれを座敷で突いている。余に票を回されたな…と。返ってきたのは「その通りにございます」という一言であった。
あの一言に、嘘はなかったはずである。
その票を、こちらから捨てにいく。
餌だと分かったうえで、それを食わずに返す。
慶喜は、紙をもう一度裏返して、灯を消した。
(道は、歩く)
(……歩幅は、余が決める)
六
翌朝、慶喜は式目の写しを開き直した。
開いたのは、第七条である。
『本議に先立ち、下調べの寄合を開くべきこと』
書役の定めが、無い。日限も無い。誰を呼ぶかも、人数も、資格も、何を話してよいかも、一字として書かれていなかった。
開くべしとだけあって、あとは空である。
この一条を、慶喜は文月の末に一度読んでいる。下調べとあるからには、本議の下拵えであろうと思い、それ以上は考えなかった。評定の前に話をつけ、表では形を整えるだけという運びは、この城では珍しくない。慶喜も、それを数え切れぬほど見てきた。
ただ、名がなかっただけである。
名を与えれば、それは式目に列した場になる。
慶喜は、列座の八家を紙の上へ並べた。
薩摩――島津久光は葉月二十一日に江戸を発っている。藩主は国元にあり、江戸に残っているのは屋敷を預かる者だけであった。
長州――参勤が緩んだ途端、江戸屋敷を畳みにかかっている。畳や建具まで国元へ送るという話が、町人のあいだにまで流れていた。
佐賀――鍋島直正は、中央の政に出てこない。呼んでも来ぬ公算のほうが高い。
対馬、会津――在府かどうかを、慶喜は掴んでいなかった。
福井――松平春嶽は在府である。ただしこの人は政事総裁職として幕府の側に坐るのであって、越前の代表として列座に加わる立場ではない。
残ったのは、二人であった。
山内容堂と、伊達宗城。
どちらも隠居である。藩主でない者は、正式の議には出にくい。そのかわり、記録の残らぬ座には出やすかった。
慶喜は、触れを八家すべてに出すことにした。
来るか来ぬかは、向こうが決める。
触れを出さなければ、後で「呼ばれなかった」と言われる。それが後の議の火種になる。声を掛けて来なかったのと、声を掛けなかったのとでは、残るものがまるで違う。
(――呼ぶ。来ぬのは、向こうの都合じゃ)
場所には、城内の小部屋を選んだ。
この種の座敷を、慶喜は一度だけ経験している。
葉月十九日である。松平春嶽が島津久光を誘い、そこへこちらを呼んだ。場所は、御用部屋でも白書院でもなく、春嶽が日ごろ書き物に使っている小部屋であった。
書役は、入っていなかった。
三人で半刻ほど話し、こちらは丁重に応対して座を立った。半刻ののち、あの薩摩の国父は屋敷へ戻り、その晩は誰とも口をきかなかったという。
中身は、どこにも残っていない。
*
あの日、この男は座敷の造りのほうに感心していた。
城には、書役の入る座と入らぬ座がある。書役のいないところで交わされたことは、翌日には公のものではなくなる。だからこそ、そこでは誰もが本当のことを言う。
二百六十年、この城はそういう場所を使って回ってきた。評定の間で決まるように見えても、その前に廊下や控えの間、誰かの私室で話がついている。
春嶽は、それを知っていて使った。
*
あの日と、今日と、違うところが一つある。
それは呼ばれた側であった。誰が呼び、誰を集め、どこで開くか――そのいずれにも、こちらの手は入っていない。行って、話して、帰ってきただけである。
今度は、自分から触れを出す。
しかも、開く根拠が式目の第七条にある。春嶽の小部屋は、あくまで春嶽の私室であった。長月四日に開く座は、朝廷が下した紙に名を与えられた場である。
同じ「記録の残らぬ部屋」でありながら、後ろに付いているものが違った。
触れは、長月一日に入ってすぐ、平岡に書かせたものであった。
『長月四日、城内にて。下調べの寄合を開く。御出座を請う』
議題は、記さなかった。
第七条には、議題を触れよとはない。二十日前までに触れ知らせよという第五条は本議についての定めで、下調べの寄合には掛からない。
出来上がった触れを、慶喜は一枚ずつ確かめた。
字は、いつもどおり乱れがない。平岡は中身を問わずに書き終えている。問わなくても仕事ができる男であり、問わないこともまた、この男の仕事であった。
八枚を揃えさせ、それぞれの屋敷へ回させた。
書き終えたあと、平岡は一度だけ手を止めた。
止めて、何も訊かずに下がっていった。
回した先で、どれだけが座敷まで届くかは分からない。当主が国元にある家では、留守居がまず持ち帰って国許へ伺いを立てる。長月四日までに返しが来る道理はなかった。
慶喜は、それを承知で出している。
誰が受け取り、誰が受け取らなかったか。その事実だけが、こちらに残る。
触れを回させたあと、慶喜は書院に一人で坐っていた。
第七条を使うのは、これが初めてである。
開いてみなければ分からぬことがある。誰が来て、誰が来ないか。来た者が何を語り、何を口にせずに帰るか。書役のいない座で、人がどこまで本当のことを言うか。
この夏、この男が手にした道具のうち、自分で選んで握ったのは、これ一つであった。
七
長月四日、江戸城内の小部屋は、朝のうちに掃き清められていた。
四間ほどの座敷である。障子は閉て切ってあり、火桶はまだ出ていない。長月の朝の冷えが畳から上がってきて、坐っていると膝から順に冷えていく。床の間には何も掛かっておらず、庭に面した側は板塀で塞がれているので、外の音もほとんど入ってこなかった。
書役は、入っていない。
定めの刻限までに座敷へ入ったのは、二人であった。
山内容堂。三十五。隠居して数年になるが、土佐の実権はこの男が握っている。座敷へ入ってくるときから、すでに酒の匂いがしていた。
伊達宗城。四十五。宇和島で蒸気の船を自前で造らせた男である。身なりも所作も静かで、坐ってから、まず座敷の造りを一通り見た。
残る六家からは、誰も来なかった。
来ないこと自体は、慶喜の勘定に入っている。それでも、実際に座敷が三人で埋まってみると、この座の形がよく見えた。
八家の議と称しながら、江戸で顔を揃えられるのは二人しかいない。
慶喜は待たなかった。刻限を四半刻ほど過ぎたところで、控えの者に確かめさせただけである。
薩摩の屋敷からは留守居の使いが来て、当主不在の旨だけを述べて帰った。長州は、屋敷に人がおりませぬ、という返しであった。佐賀と対馬と会津からは、何の返しもない。福井は、政事総裁職として別の座に出ておられるゆえ、と一言だけ添えられていた。
慶喜は、その全部を控えの間で聞いてから座に着いた。
取り次いだのは平岡である。読み上げるあいだ、この用人は一度も顔を上げなかった。
型どおりの挨拶を、慶喜は早々に切り上げた。
前置きは、しなかった。
「――列座に、黒田を加えたい」
言ってから、慶喜は理屈を述べた。
長崎の警備は、佐賀と黒田が隔年で交代してきた任である。異国と相対したる経験という基準に照らせば、片方だけが列座に入って片方が入らぬ理屈が立たない。文月二十九日の御用部屋で追って詮議いたそうということになったまま、今日まで誰も詮議していない。
述べたのは、それだけである。
それ以上のことは、一言も言わなかった。
伊達宗城は、あっさり応じた。
「異存はござらぬ」
膝の上で手を組み直してから、この男は続けた。
「……長崎の任にある家が片方だけというのは、初めから収まりが悪うござった。手前も、あの座割りを聞いたときに一度、そう思うておりました」
宗城は、そこまでで話を終えた。
この男が見ていたのは、収まりの悪さである。それが直るのなら、他に言うことはなかった。
もっとも、宗城は一つだけ付け加えた。
「後見職殿。……黒田の家は、承知いたしましょうか」
「承知いたしましょう」
「なにゆえ、そう申されまする」
「入れておいて、断った家はござらぬ」
宗城は、それで得心したらしく、あとは何も訊かなかった。
山内容堂だけが、盃を置き、しばらく慶喜の顔を見ていた。
この男は酒を絶やさぬので、江戸でも国元でも、話の半分は酔うたうえでのものだと思われている。思われて構わぬと本人が思っているらしいところが、また厄介であった。
「後見職殿」
「何でござる」
「……九になりますな」
座敷が、そこで静かになった。
「なりまする」
「九は、割れませぬぞ」
「割れませぬ」
容堂は、そこで一度、鼻から息を抜いた。
「そうなれば、貴殿の裁きは要りませぬ」
この男は、そこから先を遠慮しなかった。
「式目の三条に、可否相半ばするときのみこれを裁す、とござる。議長に許された権は、それ一つにござろう。……その一つを、御自分で捨てられると申されるか」
*
慶喜は、答えなかった。
答えずに、同じことを繰り返した。
「黒田を加えるは、理に適うており申す」
容堂は、しばらくその顔を見ていた。
権を捨てる者には、たいてい裏がある。別の何かを取りにいくか、捨てたと見せて実は握っているか。容堂はいま、その裏を探している。
何もないという答えは、この座では通らない。
口にすれば、先を訊かれる。答えれば、その瞬間に容堂の勘定へ入る。土佐へ持ち帰られ、誰かの口を経て、いずれ江戸へ戻ってくる。
黙っていれば、何も回らない。
容堂は慶喜を見て、それから盃を取り上げた。取り上げてから、片方の口の端だけを持ち上げた。
「――ふん。よろしゅうござる」
この男も、それ以上は訊かなかった。
三人で、決まった。
来なかった六家は、本議において異存なきものと数えられる。
式目の第四条に「召しに応ぜざる者は、議の趣に異存なきものとす」と定められているためであった。
六家は、自分たちが何に判を押したことになるのかを、まだ知らない。
知ったところで、覆せない。第四条は、幕府が自分の名で天下へ触れ出したものであった。答えぬ者を異存なしと数えるやり方を、この城は数年つづけてきた。
やってきたことを、いま否めない。
この一条が何を招くかを、書いた者は知っていた。慶喜は先日の座敷で、そのことを目の前の相手から聞いている。
二人が去ったあと、慶喜はしばらく一人で座敷に残った。
何の紙も、この部屋から出ていかない。
第七条には、書役の定めがなかった。
『――入れておりませぬ』
『――……入れませんでした』
あの一拍を、慶喜はまだ覚えている。
あの姫君は、置いておいたと認めた。だが、なぜそうしたのかは最後まで明かさなかった。
「道を御覧に入れているだけにございます」そう言って、それきりであった。
慶喜は、それを咎めてはいない。
咎めれば、こちらが答えを欲しがっていることになる。
立ち上がる前に、この男は一度だけ数えた。
あの半日で、将軍という語を最初に口にしたのは、自分であった。
二度目は、言わない。
次にその語が出るときは、幕府の側から出る。望んでいると見られた瞬間に潰される場所で、二十六年生きてきた。その作法だけは、変えるつもりがなかった。
(――余からは、二度と申さぬ)
慶喜は、閉て切った障子のほうを一度だけ見てから、座敷を出た。
八
その夜、平岡円四郎はいつものとおり書院へ上がった。
殿は、いつもより返事が短かった。城で何があったのかを、平岡は訊かない。訊かずに済む形で報告を組むのが、この男の仕事であった。
障子を半分だけ閉めて坐り、その日の始末を読み上げていく。城から戻った刻限、明日の登城の有無、諸藩からの返しが三通、勘定方の伺いが一つ。半刻ほどで、話は済んだ。
済んだところで、殿が別のことを口にされた。
「平岡」
「はっ」
「奥の御使者について、これ以上調べるな」
平岡の背が、そこで止まった。
「調べるな」と言われた。それだけで、殿が何かを知っていることは分かる。
無いものを、調べるなとは言わない。
殿は、知っている。
いつからかは分からない。この一月半のことか、あの座敷でのことか、もっと前からか。訊けば、殿は答えられるだろう。だが、知ったところで、こちらに使い道はない。
それよりも――殿は、知ったうえで口にしないと決めておられる。
訊かれれば、平岡は答えたであろう。
一年前、勝麟太郎から名を聞かされた夜のことから、すべて申し上げれば済む。半年口に出すなと言われ、その後も黙りつづけた理由まで、すべて――。
済んだあと、殿はこの身をどう扱われるか。
咎めるか、赦すか。どちらであっても、主従のあいだに一つ、跡が残る。
平岡は、深く頭を下げた。
頭を下げたまま、一年前の雨を思い出した。
あのとき、この身は黙ることを選んだ。言えば殿が動かれる。動けば、あの絵に御名が書き込まれてしまう。それを避けるために、黙った。
いま、殿が同じことをしておられる。
咎めもせず、褒めもせず、問い質しもせず。開けないまま、扱っておられる。
同じ形の沈黙が、向かい合っていた。
「……承ってござります」
平岡が言えたのは、それだけであった。
声が、わずかに掠れた。掠れたことに気づいたが、言い直せば余計に残る。
殿は、何も仰せられなかった。
「もう一つある」
「はっ」
平岡は、頭を上げた。
「――人を、集めよ」
その一言を、平岡はすぐには受け取れなかった。
意味が分からなかったのではない。用人の本務そのものであり、いつ言われてもおかしくない命であった。
いつ言われてもおかしくない命が、今日まで一度も下っていなかった。
平岡は、そのことに初めて気づいた。
仕えて幾年、殿は人を増やせと仰せられたことがない。必要を感じておられなかったのか、使える者がいないと見ておられたのか、そこまでは分からない。
ただ、この家の人手が足りていないことは、当主も用人も昔から承知していた。
承知していて、二人とも手を打たなかった。
「……いかような者を」
「身分は、問わぬ」
慶喜は、それだけを言った。
理由は述べられなかった。この人には、理由を述べる習慣がそもそもない。
それでも、平岡には分かった。
一橋家には、人がいない。
御三卿は領地を持たず、家臣の多くは幕府からの附人である。当主の意思で動かせる者となると、数えるほどしかいなかった。
この夏、殿が動かれるたび、頼る手はいつも外にあった。
薩摩の兵に担がれ、老中の采配に配され、軍艦方の男に運ばれ、そして奥の姫君に道を敷かれた。
この家から出たものといえば、用人の書いた建白書が一通あるきりであった。
その一通も、元をたどれば他人の絵図である。
調べるな、と、人を集めよ。
平岡は、その二つを膝の上で並べた。
並べてみると、行き着く先は同じだった。
他人の手で動くのをやめる。
やめるには、自分の手が要る。
人が入れば、殿は他人に頼らずに済む。そうなれば、動くか動かぬかを、この家の内側で決められる。
平岡は、そこまで辿ってから、自分の膝の上を見た。
その手を、こしらえるのが自分の役であった。
「――承ってござります」
二度目のその言葉は、掠れなかった。
平岡は一礼して、下がった。
障子を閉める間際、手が一度だけ止まった。
止まった手が、また動く。障子が閉じた。
閉じたあと、殿がこちらを見ておられたことが分かった。
何も、仰せられなかった。
廊下を歩きながら、平岡はその二つの命を頭のなかでもう一度並べた。
『調べるな』
『人を集めよ』
一つ目は、この身の一年を閉じる命であった。二つ目は、この家の明日を開く命であった。
殿は、そういう渡し方をなさる人であった。
九
自室へ戻って、平岡は行灯も入れずに坐った。
しばらく、何も考えられなかった。
頭のなかで順序がつかず、胸のあたりだけが妙に重かった。
庭の虫は、この数日でずいぶん薄くなっている。朝夕に濃くなり、夜半には途切れがちになった。障子の向こうは暗く、鳴き止んだ合間の静けさが、かえって耳につく。
膝の上で、手が震えていた。
一年前と同じ場所だった。あのときは筆を握っていたが、いまは何も持っていない。
平岡は、その手を袴の上へ押さえつけた。
それでも、震えはしばらく止まらなかった。
声は、出さなかった。
やがて、廊下に足音がした。
「あんた。湯、沸かしてあるよ」
障子の向こうで、やすの声がした。妻はそれ以上何も訊かず、足音を遠ざけていった。
*
翌朝から、平岡は動きはじめた。
まず向かったのは、昌平坂である。
この男は、かつてそこの学問所にいた。優秀と言われながら、武術を鍛えるという理屈を立てて二年で辞めた。辞めてから十年のあいだ定職にも就かず、長屋でぶらぶらしていた男である。
二十年ぶりに、その門を用人の身なりで通った。
建物は、ほとんど変わっていない。玄関の踏み石の欠け方まで覚えのあるとおりであった。若い者が幾人か、書物を抱えて廊下を行き来している。かつて自分もあの中の一人で、そして二年で出ていった。
出ていったときは、ここへ戻ることなど考えもしなかった。
昌平坂のあと、平岡は幾つかの剣術道場を回り、江戸の学塾を訪ねた。
見ているのは、頭の速さである。
三つ話して二つ目で置いていかれる者は、外す。四つ目をこちらが言う前に自分で言う者は、名を書き留める。身分は、実際に問わなかった。旗本の三男坊もいれば、浪人も、商家の倅もいた。
問わずに済むというのは、平岡にとって思いのほか身軽であった。
これまで人を見るときは、まず出を確かめ、それに応じた役を当てていた。収まらぬ者は、初めから候補に入れない。上げたところで通らないからである。
今度は、出を問わなくてよい。
見ればよいのは、一つだけになった。頭が回るか、回らぬか。それだけである。
絞ってみて、平岡は妙なことに気づいた。
その物差しで測ると、これまで外していた者のなかに、残る者が幾人もいた。
二日目、見込みのありそうな若い者に声をかけると、幾人かが同じことを言った。
「……手前は、神田の語学所に通うております」
平岡は、その名を初めて聞いた。
「語学所と申すと」
「異国の言葉と、それから、商いの数の付け方を教えていただいております」
商いの数の付け方というのが何のことか、平岡には分からなかった。
訊けば答えたであろうが、その日はそれ以上訊かなかった。
人を探しに出た男が、二日で三度、同じ塾の名を聞いた。
多少は引っかかった。
それでも、いまのこの身に、そこまで手を伸ばす暇はなかった。
名だけを、頭の隅へ置いた。
三日目の夕刻、平岡は神田を通った。
深川からの帰りに、そう道を選んだだけである。表通りに紙問屋があり、その二階から灯が漏れていた。人の声はしない。声はしないが、幾人かがいる気配だけがある。
平岡は、そこで足を止めなかった。
そうする理由が、無かったからである。
神田には塾も寺子屋も幾らでもある。若い者が夜に集まって書物を読むというだけなら、江戸中どこにでもある話であった。
*
その夜、平岡は文机に向かった。
文箱を開ける。
葉月二十九日の白い紙が、畳んだままそこに入っていた。
平岡は、それを取り出さなかった。
新しい紙を出して、筆を執った。
書いたのは、人の名を並べた一枚である。
名、歳、出、どこで会ったか、何ができるか。会うべき順に並べ、会わせるとすればどの座がよいかまで書き添えた。三十に近い名が並んだ。
書き終えるまで、この男の手は一度も止まらなかった。
三十のうち、殿に会わせてよいと思えたのは、四人か五人であった。
残りは、会わせるまでにあと一年か二年はかかる。そのあいだに伸びる者もあれば、途中で消える者もある。平岡は、自分なりの見立てを名の脇へ小さく書き添えていった。
書きながら、この男は自分の手つきが変わったことに気づいている。
筆が速い。速いというより、迷いがない。
これまでは、会わせぬための理由を先に書いた。今日は、会わせるための道筋を書いている。
書き上げた紙を、平岡はしばらく見つめた。
そこに並んだ名はいずれも、かつてなら捨て去っていたような者たちばかりである。
だが今の平岡の手に、迷いはなかった。
十
神無月初旬の午後、一橋上屋敷の奥御殿には、低い日が差し込んでいた。畳の奥まで光は届いている。けれど、温もりは薄い。
障子は昼のうちだけ開けてある。庭の楓は芯まで赤くなり、北から風が渡るたび、葉が幾片も散った。池の水面にも落葉が浮かび、鯉は底に沈んだまま動かない。虫の音は、もう久しく聞こえなかった。聞こえるのは、風に葉の擦れる乾いた音ばかりである。
朝に降りた霜は、日陰にまだ白く残っていた。昨夜の時雨も、庭石の窪みに溜まっている。奥の間には、この冬初めて火桶が据えられていた。熾したばかりの炭から、灰の匂いがかすかに立っていた。
糸子は、文机に向かっている。
筆が、動いていた。
膝の脇には書きかけの紙が幾枚か重ねてあり、文机の端には、目を通し終えたらしい書付が伏せて置かれている。硯にはまだ墨がたっぷり残っており、朝から同じ手つきが続いていることが知れた。
葵が静かに茶を置き、廊下の隅へ下がっていく。糸子は「おおきに」とだけ応え、視線を紙から外さなかった。
書きかけの行を読み直し、一字だけ直して先へ進む。迷いのない手つきであった。
書いているものが何であるかは、この座敷にいる者には分からない。葵は分からぬまま茶を淹れ、分からぬまま下がっていく。数年、そうやってきた。
この数日、奥御殿にはこれといった出来事がない。城から届く書付を読み、返しを書き、水無瀬殿の照会に答える。長月に入ってからの日は、静かに過ぎていた。
衣ずれの音が遠ざかって、やがて聞こえなくなった。
糸子は、書きかけの一行を読み直した。
読み直して、筆が止まった。
止まってしまうと、そこから先へ進まない。この数日、幾度か同じことが起きている。庭のほうで乾いた風の音がして、それを聞いているうちに、いま自分が何を書こうとしていたのかが分からなくなった。
糸子は筆を硯の縁へ置き、両手を膝の上へ揃えた。
揃えてから、天井のあたりを見上げた。
誰もいない。
「……ほんっとうに、一橋慶喜……面倒な人物だった」
声が、出ていた。
口に出してみると思ったより胸のあたりが軽くなったので、糸子はそのまま先を続けた。
「余は、当てて参った…って」
あのときの言い方を、糸子はいまでもそのまま思い出せる。背筋を伸ばし、湯呑みを膝の前へ置いて、それから、いかにも自信ありげに置いた一句であった。
「よくもまあ、あんな顔で言えたなあ、あの人」
「……当たってたのだって、半分だけなんですけど」
方角は、確かに合っていた。そこは認める。ただ、変えるのが誰であるかというところが、まるきり違っていた。あれを当てたと言い張られては、こちらの立つ瀬がない。
「しかもね。外れてましたよって教えてあげても、たぶん『そうか』で終わる」
これには確信があった。あの人は、間違いを指摘されても謝らない。かわりに黙って直して、直したことも言わない。
「性格が悪いっていうか、なんていうか」
「あとね」
糸子は、指を一本立てた。
「差し出したもの、絶対に裏返して見るの。絶対に」
これがいちばん疲れた。
『壊せぬ器がございます』と言えば『壊せぬということは降りられぬということにござろう』と返ってくる。よい話を持っていくほど、裏に何が付いているかを先に探す。
「一回くらい、ありがとうで済ませてくれないかなー」
済ませないのである。
式目の三条に穴を見つけたときですら、あの人物は喜ぶより先に、こちらの顔を見た。
『なにゆえ余に渡す。余をどこへ連れて行くつもりじゃ』と言い出す始末。
「だから、連れて行かないって言ったでしょうが」
「そのうえ最後の最後で、『書き付けは取らぬのか』ですよ」
糸子は二本目の指を立てた。
「取りませんって答えたら、そこでやっと納得した顔してたし」
あれだけの話を半日かけて重ねても、最後には罠の有無を確かめにくる。
納得してから、あの人の肩がほんの少し下がった。本人は気づいていない。
「『……ならば、余のほうが手元は厚い』ですって」
糸子は、その一句を声に出した。
二度目に口にしたところで、思わず吹き出した。
「自分から言うんだからなー、あの人。手元が厚いって」
勝負ごとで、持ち札の多さを先に申告する者がどこにいるだろうか。前の世でも、そういう相手には一度も当たったことがない。
「そこだけ素直なのよねー、なぜか」
素直というより——
「……ていうか、子どもか」
言ってから、糸子は自分でも少し可笑しくなった。二十六の男に十四の娘が言うことではない。ないが、事実そうであった。
「あー。……めんどくさっ」
声に出してから、糸子は自分で少し驚いた。
口元を袖で隠しかけて、手を止めた。誰も見ていない。そう気づいて、下ろした。
「……いえ。面倒な御方でございました、と申し上げております」
誰にともなく言い直して、糸子は湯呑みを取った。
冷めていた。
「だいたい、なんで冷めてるまで気づかないのよ」
湯呑みを置いて、糸子はまた天井を見た。
「っていうかさ。この時代の人たち、なんで揃いも揃って癖が強すぎるわけ?」
思い出せば、初めからそうであった。
高杉と久坂は、初めて謁見した日に、失礼極まりないことばかり訊いてきた。
総帥は、初めのうちは…面倒くさいことこの上無い、おっさんだった。
坂本は、とにかく声が大きかった。
「で、今度は超めんどくさい、ハイスペックなへそ曲がりの慶喜……」
癖の質がそれぞれ違うのが、また厄介であった。逃げる人、詰めてくる人、燃え上がる人、うるさい人。そこへ、何を差し出しても裏返して見る人が加わった。
「誰か一人くらい、素直な人いないの。ほんとにー」
糸子は、そこで少し黙った。
黙って、指を折りはじめた。
高杉と久坂と総帥と坂本で、三月余かかっている。慶喜は、下ごしらえに一年半、そのうえで半日を使った。
一人あたり、それだけかかる。
薩摩がある。会津がある。名も知らぬところで刀を抜こうとしている者が、この国に何千人といる。
その頭数に、いまの手間をかける。
そこまで考えて、糸子の指が止まった。
「……わたくし」
声が、少し低くなった。
「ほんとに、内戦なしで、血も流さずに、この国を近代化なんて……できるのかなー」
「……なんか自信なくなってきた」
言ってしまってから、庭のほうを見た。
楓が風に鳴っている。池の面では鯉が一度だけ身をひるがえした。答えるものは、どこにもない。
「姫様」
廊下から、声がした。
糸子は、顔を上げた。
「はい」
「善次郎殿が、例の件でお会いしたいと、お見えになっております」
糸子は、筆を硯の上へ置いた。
書きかけの紙を伏せ、膝の上の袖を整え、背筋を伸ばす。天井を見上げていた顔は、そこにはもう無かった。
「分かりました。通してくださいまし」
「はい……」
廊下の隅で、葵は一度、深く息を吐いた。
姫様は、いま気づいておられない。
この侍女が茶を置いてから下がった先は、廊下の隅の、いつもの場所である。柱の陰に膝を折って、呼ばれるまで動かずにいるのが、ここしばらくの役目であった。
気配は消してある。姫様が書き物をなさっているときは、こちらの衣ずれ一つで筆が止まる。邪魔をせぬよう、息の仕方まで覚えた。
その結果、姫様はときどき、葵がそこにいることを忘れる。
だから、聞こえていた。
廊下の隅までまともに届くのは、声を張られたところだけである。一橋様の御名は幾度か出た。高杉殿と久坂殿と総帥殿の御名も出た。手元が厚い、裏返して見る……何のことかは分からないが、お一人で難解な言葉を反芻しておられるようだった。
それに——お一人のときの姫様は、時たま言葉が違う。
初めて聞いたのは、京にいたころであった。誰もいないと思っておられる座敷で、姫様が何やら早口に呟いておられる。耳を澄ませても、意味が半分も取れない。上方の言葉でもなければ、江戸の言葉でもない。この国の訛りでもなかった。
葵は、そのとき本気で、姫様はどうかされたのか?と考えた。
けれども…今では、すっかり慣れてしまった。
あれは、姫様が人前では決して出されぬお言葉なのだろう。誰にも聞かれていないと思ったときだけ、ふと出てくる。
意味は、いまだに半分も分からない。
それでも、一つだけ確かなことがある。
えらく、お疲れである。
今日が初めてではない。
長州の御方々を送り出された年にも、同じことがあった。あのときはフフフ…と妙な含み笑いを続けておられて、葵はやはり少し心配した。そして、誰にも言わなかった。
誰にも話していない。
言えば、姫様は次から声を出されなくなる。
葵が案じていたのは、むしろこの数日のほうであった。
葉月の末に一橋様が奥へお見えになってから、姫様はずいぶん静かであった。書き物の手が途中で止まり、そのまま庭を見ておられる日が幾日か続いた。訊いてはならぬことだと、葵にも分かっている。だから、いつもより丁寧に茶を淹れた。
今日は、声が出ていた。
『めんどくさっ』と仰せられた。
意味は分からない。けれども、その一言だけは、なぜか少しおかしかった。
葵は、そのときだけ袖で口を押さえた。そして、胸のあたりが温かくなった。
「善次郎殿を、こちらへ」
葵は立ち上がり、廊下を歩き出した。
二歩ほど行ってから、一度だけ振り返る。
障子の向こうで、姫様は背筋を伸ばして坐っておられた。先ほどまで天井を見上げていた御方と、同じ人には見えない。
葵は、また前を向いて歩き出した。
庭では、風が渡って、楓が乾いた音を立てた。
池の水面の落葉が、また少し岸のほうへ寄っていく。
第百八十二話 了
これで「将軍後見編」は終了です。最後までお読みいただき、ありがとうございました!
次回からは新章がスタートします。将軍後見編の舞台裏で一体何が起きていたのか?——裏側に潜むドラマをお楽しみに!
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