第百七十九話「将軍後見編―一橋会談、名乗り(前編)」
一
頭を下げたまま、水無瀬実光は、どれほどの時が過ぎたのかを数えずにいた。
表御殿の書院は、庭に面した障子を半分だけ開けてあった。朝の光は、畳の縁までしか届いていない。
掃き寄せられる落葉の音が絶えず流れ込み、その合間に、乾いた萩の枝を風が擦る細い音が混じる。葉月も末に近づき、この数日で一橋の庭からは花の色がすっかり抜けた。残っているのは、色を落とした枝の束と、朝のうちだけ黒く湿った土ばかりである。
上座の気配は、動かない。
実光は、この座敷へ通されてから一度も顔を上げていなかった。奥から預かった一通を両手で差し出したきり、用件も理由も口にしない。
書き足すなと言われたわけではない。ただ、書き足すべき言葉を渡されなかった。それで、そのまま差し出しただけのことであった。
やがて紙の擦れる音がして、封が切られ、目が落とされ、それからまた、しばらく何も聞こえなくなった。
読むというほどの長さではないことを、実光は承知している。
中身は知らない。だが、姫様が二枚を反故にして書き上げられたことも、書き終えてから封をされるまでの手つきも、傍で見ていた。四行あるかないか。そのくらいだろうと見当をつけている。
その短い一通を前に、この屋敷の主人は、明らかに長く止まっている。
「――水無瀬殿と申されたな」
声がかかったのは、実光が膝の下の畳の目を三度ばかり数え終えたころであった。
「はっ」
「奥へ、返事を持って戻られよ」
実光はそこで初めて顔を上げた。
返事の中身を、実光はまだ何ひとつ聞かされていない。こういう場合は、まず中身を渡され、それから運べと命じられる。それが普通の順である。それが逆になっている。その違和感が、この男の背筋を一度だけ通り過ぎた。
慶喜は、文を膝の上に置いたまま、こちらを見ている。
「――承る、とだけ」
それきりであった。
日取りが付かず、場所も付かず、供の数も、刻限も、こちらへ何を求めるのかも、一言として付かない。実光は型どおりに頭を下げ、後ずさって座敷を出た。
廊下へ出て七つ八つ歩いたところで、足が止まった。
奥から預かった文にも、理由と日取りと場所と差出人の名はなかったはずである。返ってきた答えにも、同じ四つがない。実光は、何も残らぬ自分の掌を一度だけ見下ろした。
それから、そのことを誰にも言わずに歩き出した。
*
奥御殿へ戻って復命すると、姫様は「おおきに」とだけ言われた。
驚いた気配も、待ちかねていた気配もない。承ると返ってきたことについて、この方は感想というものを持っておられないらしかった。湯呑みを両手で包んだまましばらく庭のほうを向いておられ、それから、こちらへ一言だけ向けられた。
「水無瀬殿。名目を、立ててくださいまし」
その一言で、実光の翌日はすっかり埋まった。
将軍後見職が、朝廷より下された使者と奥御殿で会う。
この一事が外へ漏れれば、何を言われるかは明らかである。一橋は朝廷と通じておる――そう言われれば、あの御方が座に着かれた経緯まで汚れる。姫様御自身が、水無月の初めにそう口にしておられた。
したがって、立てるべき名目には三つの条件がある。外へ出しても差し支えないこと。記録に残っても崩れないこと。そして、嘘が一つもないこと。
実光は、二十八日をまるごとこれに使った。
朝のうちに離れで公議式目の写しを広げ、一条目から順に指で追っていく。この作業は、生まれた家で幾百度となく繰り返してきたものだった。先例を探し、格を測り、目の前の座敷に当てはめる。父から受け継いだ仕事の形は、京にいたころと一分も変わっていない。
第一条で、指が止まった。
『この議は、御門の召しによりて開く。ゆえに、議の座は御前に准ずるものとす』
御前に准ずる座の作法は、有職の領分である。そのうえこの式目は、朝廷へ写しが納められていた。ならば――議長を務める者が、朝廷より下った紙の作法について、有職の側へ照会を求める。
筋は、どこにも曲がっていなかった。
照会そのものは、実のところ以前から必要だった。御前に准ずる座で、列座の者がどこに坐り、誰から先に発言し、書役をどう配するのか。城の書き役は誰一人答えを持っておらず、実光はこの半月、その問いを幾度も向けられては、そのたびに保留してきた。
名目のために拵えた理屈ではない。初めからそこにあった仕事を、今日拾い上げただけである。それでいて、明日あの座敷で交わされるものは、この名目のどこにも書かれていない。
筆を置いて、実光はしばらく行灯の芯を見ていた。
京の座敷で大原重徳に向かって申し上げた一句を、こういうときに限って思い出す。探してござらぬものをこしらえることはできませぬ、それは有職ではのうて作り事にござります――たしかに、そう言った。あのときの自分は、まだそう言い切れる場所に立っているつもりでいたのである。
いま手前がしているのは、探してあるものだけを使って、作り事を成立させることであった。
嘘は、ひとつもついていない。
(……手前は、いつからこれを、うまくやるようになりましたのか)
答えは、今日も出てこなかった。
*
夕刻、実光はもう一度奥へ上がり、一つだけ確かめた。
「姫様。今度は、書き付けを残しまする」
「はい。残してくださいまし」
「……名目だけを?」
「そうでございます」
実光は深く頭を下げた。
水無月の末、勅使を寺の書院へお連れした日には、「この方は今日のことを書き付けにお残しくださりますな」と言われた。あの日は紙に置かなかった。今度は、紙に置くべきものを渡されている。
記録を残すということは、この会談を公のものとして扱うということである。表と奥に分かれて数年を過ごした二人が、明日、記録に残る形で顔を合わせる。
実光は、その違いを背中のあたりで受け取っていた。
二
その一通が表へ運ばれるより、いくらか前のことである。
二十七日の空が白みはじめる前、奥御殿の縁側には、まだ夜の湿りがそのまま残っていた。庭の池は暗く沈んで面の位置さえ分からず、木立の輪郭も闇に溶けたままで、聞こえてくるのは虫の音ばかりである。この数日、蝉の声は一つも上がらなくなっていた。
障子の外に膝をついたのは、近藤勇であった。
この男が夜の明けきらぬうちに上がってくるのは、月に幾度もない。上がってくるときは、たいてい報告が短かった。
「表御殿にございますが…」
近藤の声は、報告のときだけ妙に平たくなる。
「この三日、御用人様が夜半まで書院に上がっておられます」
「……はい」
「それと――」
そこで、一拍あった。
「昨夜、遅うに、一橋様が障子をお開けになりました」
糸子は、湯呑みへ伸ばしかけた指を止めた。
「……何を、なさっておいででした?」
「こちらを、御覧になっておられました」
庭の暗がりで、虫の音が一段濃くなった。
近藤は、それ以上を言わない。見たものを見たとおりに述べ、意味を測ることを自分の役から外している。理不尽に見える命の裏に何が入っているかを、幾度も見てきた者の慎みであった。
「おおきに」
糸子は、それだけを返した。
近藤の足音が廊下の向こうへ消えてから、糸子はしばらく坐ったまま動かずにいた。
葵を呼び、棚の文箱を持ってこさせる。蓋を開けていちばん上の一通を取り出したとき、この侍女がわずかに息を詰めたのが分かった。
葉月六日の夜に封をして、行き先を告げずに納めた文である。あの晩、『葵はいつお出しになります』と訊き、糸子は『その日が参りましたら』と答えた。それきり二十日のあいだ、この一通は箱の中で行き先を持たずにいたことになる。
「葵。水無瀬殿へ」
「……はい」
葵はそれ以上を訊かず、両手で受け取って下がっていった。
文が座敷を出ていったあと、糸子が考えたのは、なぜ出したのかということではない。出す日が来たから出したのであって、そこへ理屈を足す必要はなかった。
考えたのは、支払いのほうである。
表へ出せば、名が残る。名が残れば、そこから逆に辿られる。そうなれば、この夏に幕府の名で世へ出したものが、幕府だけで決めたものではないと分かってしまう。
板倉勝静が二十日をかけて捻り出した文字も、酒井忠績が「我らが拵えたもの」と呼んだ十五条も、手柄が返ってきた途端、自分たちで決めたものではなくなる。
そうなった仕組みは、翌日から動かない。
数年、それを避けてきた。そのために御簾を使い、父の手を借りて文言を京の型へ移し、幕府には名を付ける権だけを渡してきた。名のある結果と、見えない著者。この身のやり方は、京にいたころから一つきりである。
避けきれなかった理由も、また一つきりであった。
空けておいた場所へ、字が返ってきたのだ。
葉月朔日の御用部屋で、あの御方は自分の口から一句を差し出し、こちらが用意しておいた枠へ寸分たがわず収めてしまった。字数まで揃っていた。そこまで来てしまえば、紙だけで足りるはずがない。
(会わずに済ませとうございました)
思ってから、糸子は湯呑みを膝の前へ置いた。
(……無理でございましたね)
悔いる筋のことではなかった。仕入れの読みが外れたときと同じで、外れたと分かった時点で次にどう動くかを決めればよく、損は損として数え、数え終えたら締める。
水無月の初め、実光に一度お会いになろうとは思われませぬかと訊かれたとき、『思いませぬ』と即答した。あのときの条件では、それが正しかった。いまは条件が違う。だから、答えも変わる。それだけのことである。
*
もう一つ、数えておかねばならないものがあった。
この座で、こちらが払うことになるものである。
名乗ることも、三枚を草したと認めることも、証しにはならない。証しにならぬと分かっているからこそ口にできるのであって、そこは持ち出しに数えなくてよかった。
ただ、一つだけある。
(一つだけ、答えられぬことを訊かれます)
あの御方は、必ずそこへ手を伸ばす。そうなると見込んでいるのではない。伸ばさぬはずがないと踏んでいた。空白を見つけて字を書き返してくる人が、いちばん大きな空白の前で立ち止まるとは思えない。
答えそのものはこの身の中にあるけれども、それはこの座敷で口にできるたぐいのものではなかった。
(それは、こちらの持ち出しでございます)
損として計上して、糸子はそこで締めた。
庭では、空が白みはじめていた。
*
二十九日の朝は、よく晴れた。
池の面に幾重にも浮いた落葉が朝の光を弾き、青楓は葉の縁から色が抜けきって、風が渡るたびに乾いた音を立てる。虫の音は昼のうちから途切れることがなく、夏の終わりがいつであったのかを思い出しにくくさせていた。
支度は、いつもの通りにした。
装束も改めなかった。改めれば、それ自体が意味を持ってしまう。今日この座敷で起こることは、こちらが用意した紙の続きであって、儀式ではない。
葵が髪を整え終えたところで、この侍女が一度だけ手を止めた。
「姫様」
「はい」
「……本日は、どなたがお見えになるのでございますか」
糸子は、鏡台のほうを向いたまま答えた。
「この御屋敷の、御主人にございます」
櫛を持った葵の手が、そのまま止まった。
止まったきり、しばらく動かない。糸子はその気配がおかしくなって、思わず声を立てて笑った。
「葵。櫛が、止まっておりますよ」
「……姫様。それは、あの、その…」
「大丈夫でございます。取って食われはいたしませぬ」
葵は何か言いかけ、結局は何も言わずに櫛を動かしはじめた。その手つきが先ほどより幾らか丁寧になっていることには、糸子は気づかぬふりをした。
三
同じ二十八日、表御殿の書院には、朝のうちから式目の写しと、城から取り寄せた綴りとが並べて広げられていた。
この部屋は北向きに庭へ面していて、この時季になると日が回り込んでこない。障子を開け放っても入ってくるのは冷えた風ばかりで、文机の上の紙が端から持ち上がっては、そのたびに文鎮の下で乾いた音を立てる。廊下の向こうでは祝いの品の帳付けがまだ続いており、筆の音と、荷を運ぶ足音とが、遠く途切れ途切れに届いていた。
徳川慶喜は、承ると答えるまでに一晩もかけていない。
一年前、両国橋から運ばれてきた伝言に対して、自分の口で返答した。その待ちが終わっただけのことであって、迷うところがどこにもなかった。
ただ一点、この男は自分に確かめている。
あのとき、平岡へ言い添えた一句がある。『余は招かれた側として参るのではない、招く者が余に何をさせたいのか、その日までに余のほうで当てておく』――と。
当てたか。
慶喜はそう思っている。一年前に読んだ建白書と、この夏に下った三枚とを並べてみれば、方角は一つしか出てこなかった。
問題は、そこではなかった。
答えを持って座敷へ入るだけでは、それが正しいという証しにはならない。
「当てた」と言えば、向こうは「そうでございますか」と受けるだろう。そう受けられてしまえば、こちらの答えが正しいかどうかは、いつまでも確かめられない。持っていくべきは、答えではない。こちらが読み解いた仕掛けのほうである。
仕掛けを一つ言い当てる。それが当たっていれば、向こうは否と言えない。否と言えば嘘になる。嘘をつく相手なら、そもそもこの座に来る意味がない。
慶喜は、式目の写しを引き寄せた。
*
この十五条を、慶喜はすでに四度読んでいる。
一度目は自分がどういう職に据えられたのかを確かめるために。
二度目は幕政を預かる者として。
三度目は葉月朔日に一句を書き加えるために。
四度目は前の晩で、あのとき指が止まったのは三条目であった。
今日、五度目に読んでいるのは三条目と四条目である。
『議長は将軍後見職これを務む。議長は議を進むるを務めとし、議題を退くる権はこれなし。ただし、議の場に諮るに堪えざる旨、議長これを申し述ぶることを得。議長は議に加わらず。可否相半ばするときのみ、これを裁す』
『列座三家をもって議は成る。召しに応ぜざる者、また座を退きたる者は、議の趣に異存なきものとす』
この二条を並べて、慶喜は数えはじめた。
来ぬ者は、異存なしと数えられる。ならば否と数えられるのは、その場に坐って否と言った者だけである。賛の側には、来なかった家がそっくり積まれていく。
そこまでは、御用部屋の誰でも読める。
問題は、その先であった。
賛と否が同じ数になったとき、裁くのは議長ひとりである。ではその同数は、どういうときに起こるのか。
慶喜は、紙の端へ数を書き出した。書きながら、この作業を城でやらなかった自分は正しかったと思った。書き役の目の前でやれば、その紙は三通に写される。
列座は、いま八家である。
薩摩、土佐、宇和島、佐賀、対馬、会津、福井、そして長州。
八は、割れる。四と四になり得る。
七であれば割れぬものが、八となれば均衡が崩れる。
慶喜は筆を置いて、しばらく庭の乾いた萩を見ていた。
(――余に、票が回る)
次に慶喜が確かめたのは、その八家がどうやって八になったかである。
文月二十九日の御用部屋で、板倉勝静が並べたのは七家であった。その日の記録は残っている。琉球の船、漂流して帰った者、自前で造った蒸気の船、長崎の警備と反射炉、ロシアの兵に踏まれた島、江戸湾の砲台、そして越前。いずれも一行か二行で片が付き、半日で書き終えられていた。
長州だけが、日が違う。
葉月朔日。しかも、堀田備中守正睦の名で出ている。
慶喜は、その理屈書を書庫から出させて読んだ。
『長州は、下関の海峡において異国船の往来を最も近く見てきた藩である。海峡は西国の要路にして、異国船の通行は年を追って増しており、藩は沿岸に砲台を築いてこれに備えおり候。加えて、この夏、幕府の派したる船に藩士を同乗せしめ、清国の情勢を直に見て帰りおり候。よって、異国に相対し候経験これある藩と認むるに、いささかの不足これなく候――』
読み終えて、慶喜は紙を膝の上へ置いた。
筋が、通っている。
通りすぎている、と言ってもよかった。この文を読んだ者なら、なぜ最初から長州が入っていなかったのかと訝しむであろう。板倉が半日で書き上げた七つの一行と並べれば、この一枚だけが明らかに厚く、明らかに念が入っている。
急いで書かれた文ではない。それでいて、書かれたのは、七家が決まったわずか二日後であった。
(――誰かが、七を八にした)
*
もう一つ、慶喜の指は別の名にも届いている。
福岡である。
黒田の家は佐賀と隔年で長崎の警備を務めてきた。同じ湊で、同じ異国の船に対して番を交代してきた家であって、佐賀が入って福岡が入らぬ理屈は、この城の誰にも立てられない。文月二十九日の御用部屋では、追って詮議いたそうということになったまま、いまだに未決である。
福岡を入れれば、九になる。
九になれば、割れない。そうなれば、こちらへ票は回らない。
そこまで数えて、慶喜は指を止めた。
入れなかったということには、書き付けが残らない。誰がなぜ止めたのかを問うても、追って詮議いたすと申し合わせただけにござる、と返されて終わりである。責める場所がどこにもない。
長州は、入れた。入れるには理屈が要り、理屈は紙になり、紙には筆跡と日付が残る。
(――追うべきは、無いほうではない。有るほうじゃ)
慶喜は福岡の名を頭の隅へ寄せ、そのまま置いた。
*
二十九日の朝、慶喜は平岡円四郎を呼んだ。
この用人は、いつもと同じ速さで書き付けを読み上げていく。今日の登城はなく、諸藩からの返しが三通届いており、次の議題の触れは十日後に出せばよい。無駄がなく、判断を仰ぐ箇所で必ず一拍止まる。その止め方が、慶喜は昔から気に入っていた。
読み上げが終わったところで、慶喜は言った。
「平岡。奥へ、余と参れ」
平岡が顔を上げる。
慶喜は、理由を述べなかった。この人物には、理由を述べるという習慣がそもそもない。
述べぬかわりに、一言だけ足した。
「――そなたが、書き役をいたせ」
平岡は深く頭を下げ、そのまま動かなかった。下げた背が、いつもより固い。
慶喜はその背をしばらく眺めていたが、そこへ言葉を足すことはしなかった。
(一年前に封をしたものを、余は解かぬ)
(解かぬかわりに、連れてまいる)
解けば、この男が一年黙っていた理由を聞くことになる。聞けば、許すか罰するかを決めねばならない。決めれば、主従のあいだに一つ、跡が残る。
跡は、残さぬほうがよい。
平岡は、頭を下げたまま、「承ってござります」とだけ答えた。
昼が近づくころ、慶喜は書院を出た。
文机の上には、堀田の理屈書と、式目の写しと、数を書き出した紙が並んだままだった。持っていくつもりはない。紙を膝の前へ広げて話す座ではない。そもそも、あの座敷でこちらが出すのは紙ではなく、一言である。
廊下へ出る前に、慶喜は声には出さず、一度だけ持っていく答えを確かめた。
(――幕政の在り方を、変えたいのであろう)
外れておらぬ、と慶喜は思っている。
四
葉月二十九日、昼を少し回ったころ、水無瀬実光は表御殿の玄関脇で二人を待っていた。
一橋の上屋敷は、表と奥のあいだに中庭を二つ挟んでいる。表御殿の裏手を抜け、最初の中庭を回る。渡り廊下を折れ、二つ目の中庭の脇を通って、もう一度折れる。そこから先が奥である。
この道筋を、実光はこの数年、日に幾度も歩いてきた。板の軋む箇所も、角で足を継ぐ位置も、考えずとも身体が覚えている。庭の隅に与えられた離れは、表とも奥ともつかぬ場所に建っていた。
朝廷から遣わされた姫君の側に有職の者を一人置くという名目で通された部屋である。そのおかげで、この男だけが、この屋敷の境を毎日またいで暮らしている。
その廊下を、今日は三人で渡ることになる。
慶喜が出てきて、実光が先に立った。
歩き出してすぐ、実光は自分の歩幅を詰めねばならなくなった。
この御方の足は、速い。
城の長廊下でも屋敷のなかでも速さが変わらないという話は聞いていたが、前を歩いてみて初めて分かることがある。
速いだけではない。迷いがない。
角の手前で減速せず、折れる直前に体だけを傾け、そのまま曲がっていく。先導しているのはこちらなのに、二度、背後まで間合いを詰められた。
最後尾を歩く平岡円四郎は、書き役の道具を提げたまま、一言も発しない。
この用人の足音は、表の廊下でも奥の廊下でも同じ間隔で鳴り、途中で乱れることが一度もなかった。
二つ目の中庭を過ぎ、渡り廊下を折れたところが、境である。
板の色が、そこで変わる。表の廊下は毎日幾人もの足に踏まれて艶が乗り、奥へ入ると人の通りが減るぶん、木の目が乾いて見える。実光は、その境目を一度だけ見た。
数年、この一枚の板の内と外で、二人の人間が一度も顔を合わせずに暮らしてきた。
互いに廊下を使う刻がずれるようになっており、庭も、季節の花の見どころも、いつのまにか分けられていた。
無礼をしていたのでも、されていたのでもない。そういうものとして二百年続いてきた仕組みが、この屋敷でも同じように続いていただけである。
慶喜は、その境で足を止めなかった。
止めずに、越えた。
この屋敷の主人である以上、止まる理由はどこにもない。実光が拾ったのは、止まらなかったという、その一事だけであった。
*
奥御殿の座敷は、庭に面した障子が上げてある。
葉月も末の冷え込んだ風が時折吹き込み、池の面に浮かぶ落葉をゆっくりと揺らしていた。
座敷の奥には、御簾が下りている。
新しく据えたものではない。この方が江戸へ下られてから、ずっとそこに掛かっている葦の御簾である。京の公家の家なら奥向きにいくらでもある、格別に立派なものでもない。
御簾の内には、すでに人がいる。
衣ずれの音を、実光は座敷へ入った瞬間に聞き取った。慶喜が円座に着くより前から、あの方は座しておられる。
運ばせておいて、待たせもしない。
麻布の寺で大原重徳が同じことをされたとき、この男は文句をつける場所を探して一つも見つけられなかった。あのとき実光は勅使の脇に控えていた。今日は反対の側から、同じ形を見ている。
円座は三つ置かれていた。上座に慶喜、その右手に平岡、そして御簾と慶喜のあいだに実光である。
葵が茶を三つ運んできて、置いて、下がっていった。
障子が閉まってからは、この座敷に四人しかいない。
坐りながら、実光は一度だけ、自分の膝の向きを気にした。
膝を向けた先が、仕える先になる。御簾へ向ければ奥の者、上座へ向ければ表の者である。有職の照会という名目で立てられた席だから、どちらへも向かず、双方の中間に坐る。それが正しい。
実光は、正しい場所に坐ったはずだった。
先だって麻布の坂を上りながら、この男は同じ問いを一度だけ立て、そこで打ち切っている。手前は、どちらの側に立っておるのか、と。
あのときは坂の勾配と汗のせいにして、歩いてしまえば紛れて消えた。
今日は、消えなかった。
歩いていないからである。
実光は膝の上で扇の要を一度だけ撫で、それから、そのまま動かずにいた。
五
実光が名目を述べるあいだ、慶喜は一度も口を挟まなかった。
公議式目の第一条に、この議は御門の召しによりて開き、議の座は御前に准ずるものとある。御前に准ずる座の作法には前例を確かめる必要がある。議長を務める者から、有職の側へ照会を願いたい――それだけの話である。
筋は通っていた。
この照会はいずれ誰かがせねばならなかった。城の書き役は、列座の坐り方一つ答えられずにいる。慶喜は先の議で、それを自分の目で見ていた。
(――よう出来ておる)
嘘が一つもないものを、こういう場所へ持ってくる。作り事を通すのに、作り事を使っていない。
名目を述べ終えた実光が退がった気配のあと、御簾の内から声がした。
「一橋殿。この度の御役目、御苦労さまにございます」
慶喜は、その声を測った。
若い。
もっとも、そこは慶喜にとって情報にならない。七つで四書を素読させられ、十を越えるころには父の前で経を論じさせられていた家に生まれている。年の若さで人を測ったことは、この男の生涯に一度もなかった。
測ったのは、別のところである。
こちらの言葉が終わってから返るまでの間が、短すぎず、長すぎない。息を継ぐ場所が、こちらの息と重なっている。
(――間の置き方が、こちらに合わせてある)
一往復して、慶喜が掴んだのはそれだけであった。
*
御簾を隔てて人と話すこと自体は、慶喜にとって珍しくない。城の奥向きでも、寺の書院でも、幾度も経験している。
ただ、そういう座には必ず、御簾の内と外を取り持つ者が控えていた。取次が言葉を運び、こちらの問いを噛み砕いて向こうへ渡し、返ってきたものを整えてこちらへ戻す。慶喜が測ってきたのは、いつもその取次の顔色のほうである。
今日は、間に誰も立っていない。
名目を述べた公家は御簾の脇へ退がったきり、身じろぎ一つせずにいる。こちらの言葉はそのまま向こうへ届き、向こうの言葉もそのまま返ってくる。竹の格子が一枚あるだけで、それ以外の隔たりが何もない。
隔てられているのは、顔だけであった。
*
挨拶の型を、慶喜は早々に切り上げた。
この男には、本題に入る前の道のりを短くする癖がある。城でもそうであり、久光を相手にしたときだけ例外的に長く回り道をしたが、あれは相手の言い分を最後まで吐き出させる必要があったからである。
今日は、その必要がない。
「――いつまでも待つ、と書いてござったな」
御簾の内から、間を置かずに返った。
「はい」
「幾日、お待ちであったか」
「……お待ち申し上げると書きましたのは、葉月の六日にございます」
慶喜の指が、湯呑みの縁で止まった。
葉月六日に書かれ、二十七日の朝に届いた。二十日あまり、置かれている。
置かれていた文が、こちらが庭を見た翌朝に来た。
(――見ておられたか)
一昨日の夜、書院の障子を開けて庭の向こうを見たことを、慶喜は思い出している。あのとき点いていた灯を、この屋敷に住んで長いというのに、初めて見たと思った。
見たと思ったのはこちらだけで、向こうは初めから見ていたということになる。
慶喜は、確かめる言葉を探して、探すのをやめた。
訊けば、答えるであろう。答えられたところで、それが本当かどうかを検める手立てがこちらにない。訊いて肯定されても、否定されても、どちらでも同じだけ動けなくなる。
慶喜は、そこで本題へ入った。
「姫君。余は、当てて参った」
「はい」
その返しの短さが、慶喜には妙に据わりが悪かった。何を当ててこられましたか、とも、何のことにございましょう、とも来ない。当ててきたと言われれば、当ててきたのであろうと受ける。
「招く者が余に何をさせたいのか、その日までに余のほうで当てておく――余は、そう申しておいた」
この一句を、慶喜は意図して置いた。
あれは一年前、書院で平岡に言い添えたことである。あの場にいたのは主従の二人きりであり、伝えよとは命じていない。
それでも、この座敷には届いているはずであった。届いていなければ、それはそれで一つ分かることがある。
「はい」
三度目の『はい』である。
届いている。
慶喜は、湯呑みを膝の前へ置いた。
置いて、背筋を伸ばした。
「――幕政の在り方を、変えたいのであろう」
言い切ってから、慶喜は自分の勘定を最後にもう一度だけ検めた。
一年前の建白書。この夏の三枚。倒せとはどこにも書かれておらず、倒さぬまま形だけを移していく段取りだけが、一分の隙もなく組んである。
方角は、一つしか出てこない。
(外れておらぬ)
庭のほうで、鯉が跳ねた。水を打つ音が一つ、離れたところから届いて、それきり静かになった。
六
御簾の内で、糸子は一拍だけ置いた。
置いたのは、考えるためではない。当てて参ったと言われた時点で、返す言葉はもう決まっていた。ただ、あまり早く返してしまうと、こちらが待ち構えていたことになる。
「……変えますのは、わたくしではございませぬ」
それだけを置いた。
理由は言わずにおいた。ここで言ってしまえば、この先に用意してあるものが二つとも要らなくなる。
御簾の向こうで、慶喜の気配が動いた。
「では、誰が変える」
その問いに、糸子は答えなかった。
答えるかわりに、脇へ向かって声を出した。
「水無瀬殿」
「はっ」
「御簾を、上げてくださいまし」
実光が、動かない。
この男に何かを命じて、間が空いたことがない。京にいたころから、承知いたしましたという返事はいつも指図の終わりに重なるようにして返ってきた。速いというより、迷うという工程がこの人の内側に組み込まれていないのだと、糸子はそう思っていた。
今日、初めて間が空いた。
それから、実光は立ち上がった。
二十余年、格を測り、作法を整えることだけを家職としてきた男が、その作法を自分の手で外していく。巻き上げる手つきに乱れは一つもなく、紐を掛ける位置も、下から順に折り込む幅も、どこにも急いだ跡がなかった。丁寧すぎるほどに、この男は御簾を上げた。
庭からの光が、そのまま座敷の奥まで入ってきた。
糸子は、両手を膝の前へ置いて、頭を下げた。
「――近衛にございます」
上げてから、正面を見た。
慶喜は、こちらを見ている。
「それは、家の名にござろう」
「はい」
「余が伺うたのは、姫君の名にござる」
「名は、差し上げられませぬ」
「……なにゆえ」
糸子は、そこで初めて言葉を選んだ。選んだといっても、選ぶ幅は初めから一つしかない。
「名を差し上げますと、実が渡りませぬゆえ」
慶喜が、黙った。
その黙り方が、こちらの言った意味を測っている黙り方であることは、間の長さで分かる。糸子は、測り終えるのを待たずに続けた。
「勅の三条、御沙汰の覚の七条、公議式目の十五条」
一つずつ、置いた。
「あの三枚は、わたくしが草しましてございます」
四人しかいない座敷に、その一行が落ちた。
誰も動かなかった。実光は御簾を上げた場所に坐り直したまま、平岡は右手で筆を持ったまま、慶喜は湯呑みに手も伸ばさない。
「わたくしは、名を取らぬ者にございます」
糸子は、続けた。
「……実を取る者にございます」
この座敷に入ってから、糸子は一度も右手のほうを見ていない。
書き役の道具を提げて入ってきた四十がらみの男が、上座の右手に坐っている。名も、この人が一年前から何を知っているかも、こちらは承知していた。
それでも、目を向けなかった。
慶喜が何かを言いかけた気配があった。
糸子は、その前に置いた。
「一橋殿。この一月半、お集めになったものは、いかほどでございましたか」
慶喜は、答えない。
答えないであろうと踏んでいたので、糸子はそのまま並べた。
「京の御屋敷へ、文月の七日に書状をお出しになりました。返事は、一通も届いておりませぬ。文月の末に催促をお出しになって、それにも返っておりませぬ」
慶喜の視線が、わずかに揺れた。
「大奥へ、葉月の二十四日に一行の文をお回しになりました。二日、三日とお待ちになって、返っては参りませなんだ。……「存じませぬ」とも「答えかねます」とも、返っておりませぬ」
ここで一度、間を置く。返事の中身に踏み込む必要はない。返らなかったという事実だけが、この座敷で扱ってよいものである。
「それから、この屋敷の奥に、水無瀬と名乗る者がおりまする。勅の末尾には、武家伝奏の家の名が並んでおりました」
糸子は、そこで言葉を止めた。
止めた先を、慶喜はすでに自分で歩いている。歩いた跡を紙の端に書き、指で擦って消したことまでは、こちらは知らない。それでも分かる。この人は、証しにならぬものを三つ並べた。
三つとも同じ方角を指していると数えた。だからこそ、文を受け取った。
「そのいずれも、証しにはなりませぬ」
糸子は、そう言った。
「返らぬ書状は、遅れたのだと申せば済みまする。奥が黙っておられるのは、二百六十年の常にございます。同じ名の者がおりますのは、京では珍しゅうもございませぬ」
慶喜の指先が、膝の上でかすかに強ばった。
「そして――いま、それをこちらから申し上げました」
糸子は、正面を外さなかった。
「申し上げましても、なお証しにはなりませぬ」
*
庭では、虫の音が変わらずに上がってきている。
この座敷で交わされた言葉は、外へ一言も出ない。実光が残す書き付けには、公議式目の作法につき有職の照会これありとだけ記される。それが今日の記録の全部である。
糸子は、湯呑みを両手で包み直した。
包み直しながら、京の唐物屋の店先を一度だけ思い出した。あのとき自分がしたのは、店主を言い負かすことではなく、卸値を先に知っていただけのことである。
この座敷でしていることも、種類としては同じであった。
この人が集めたものを、この人より先に、この人より正確に並べる。そのうえで、その全部が使えないと告げる。
そうすれば、告げられた側は、こちらを疑えなくなる。疑うための材料を、こちらが先にすべて差し出してしまったからである。
差し出しても減らないものだけを差し出す。
それが、名を取らぬということであった。
七
御簾が上がったとき、慶喜が最初に受け取ったのは、予期していたものが一つも無いという感触であった。
この一月半、この男は相手の輪郭をいくつも組んでは崩している。京の堂上のうちの誰か、あるいは坊主か、それとも近衛の家に飼われている学者かと考えた時期もあった。名まで届いてからは、その姫君の背後に控えている家職の者を想像した。組んだものはどれも、この座敷に坐っているものと重ならない。
装束が、改まっていなかった。
打掛の色も、髪の結い方も、この屋敷の奥で日を送っている者のそれである。座敷には花も掛物もなく、あるのは湯呑みが三つと円座と、庭から入ってくる風だけであった。摂家筆頭の娘が将軍後見職を迎える座敷であれば、いくらでも整える手はあったはずである。
そこに、少女が坐っている。
*
慶喜は、口上を最後まで聞いた。
勅の三条
覚の七条
式目の十五条
あの三枚は自分が草したと、この者は名乗った。
名は差し上げられぬ。名を差し上げれば、実が渡らぬ。そう言ったうえで、こちらの一月半を並べ立て、そのすべてが証しにならぬと自分から告げた。
言葉のどこにも、力みがない。誇りもなく、恐れもなく、詫びもなかった。
聞き終えてから、慶喜はようやく訊いた。
「姫君。……そなた幾つになる?」
「十四にございます」
*
慶喜の顔つきは、変わらなかった。
変えぬことを、この男は幼いころに身につけている。
水戸の屋敷で父の前に呼ばれ、答えられぬ問いを立てられても、顔を動かさぬよう躾けられた。安政の年に的にされてからは、それが躾ではなく防具になった。
顔を動かさぬかわりに、この男は数えはじめた。勅が下ったのが、この夏である。文言が京で整えられたのは、遅くとも皐月のうち。ならば、草されたのは卯月か、それ以前になる。
十四。
一年前の建白書のときは十三。
そこで、数が止まった。
十三の者が、幕府の帳面を読んだ。
あの一冊のことを、慶喜は一年のあいだ思い出さぬようにしてきた。思い出せば、必ず自分が口へ封をした晩まで戻ってしまうからである。
書かれていたのは、倒す策ではなかった。倒さずに、形だけを段階を追って移していく段取りである。諸藩をどの順で議の座へ着かせ、幕府のどの役をいつ、どこへ移すか。そのあいだ、幕府をどう立たせておくか。
読み終えたとき、この男は、そこに書かれていることが実現すると分かってしまった。分かってしまったのに、自分がどう巻き込まれていくかだけは、一つも思い描けなかった。
あれを、十三の者が書いたという。
(……合わぬ)
合わぬのは、賢いかそうでないかという話ではない。
賢い子供というものは、いる。この男自身が、そう呼ばれて育った。七つで四書を読み、十で馬に乗った。若いというだけで人を軽んじたことは、生涯一度もない。
合わぬのは、別のところであった。
賢い子供とて、経験のないことまで知ることはできない。知っていることの幅が、生きてきた年月を超えることはないからである。
あの一冊に記されていたのは、勘定所の目録が毎年どう作られるかであった。異国の商人が買い手を幾つも持ったとき、値をどう吊り上げるかも知っている。大老という職に一人を据えれば、その者の身に何が起こるかを知っている。二百六十年の職制のどこに、名の付いていない隙間があるかまで知っている。
どれも、十三や十四の者が触れられる場所にはない。
摂家筆頭の姫であれば、京の政については人並み以上に耳へ入るであろう。だが、江戸の勘定所の帳面の癖までは入らない。入る道筋が、この国のどこを探してもなかった。
慶喜は、そこで一度だけ訊いた。
「――教えた者が、おるのか?」
返事が、来なかった。
慶喜が見たのは、まず指である。
湯呑みへ伸ばしかけたその指が、途中で止まった。持ち上げるでもなく、引くでもなく、畳の上で止まったままになっている。
次に、この者は庭のほうを見た。
見たのは、ごく短いあいだであった。落葉の浮いた池も、色の抜けかけた楓も、目に入れているようには見えない。ただ、そちらへ視線を逃がして、そこで何かを一つ済ませている。
それから、こちらへ視線を戻した。
戻して、何も言わなかった。
慶喜が測ったのは、そこである。
この半刻あまり、この者は一度も間を外していない。問われたことには即座に返し、返す必要のないものには、申し上げましても御役には立ちませぬ、と切ってきた。名を訊かれたときですら、差し上げられませぬとその場で切った。
切ることのできる相手である。
今日、切らなかった。
切りもせず、答えもしなかった。
(――出てこぬのではない)
(持っておって、口にできぬのじゃ)
*
慶喜は、二度は訊かなかった。
訊けば、答えを取りに来た男になる。取りに来た者は、得られなければそれで負けである。訊いて、返らない。その返らないところを見た。この座で得るものとしては、それで足りていた。
それに、この一事では、こちらの手は一本も増えない。
教えた者がおるとして、その者が誰であろうと、勅はもう下っている。式目は触れ出され、議は式目のとおりに回りはじめている。
証しを揃えたところで、戻せるものは一つもない。この一月半で、それは嫌というほど数え終えていた。
「……相分かった」
慶喜は、それだけを言った。
言って、湯呑みを取った。
取って、口をつけた。この座敷へ入ってから、初めてである。
茶は、すっかりぬるくなっていた。
八
水無瀬実光は、御簾を上げた場所から、まだ動いていなかった。
上げた者は、その場に坐る。巻き上げた紐を柱へ掛け、そのまま膝を折った。いま実光が坐っているのは、座敷の脇である。上座からも、御簾のあった側からも半歩ずつ外れた位置で、そこからは二人の横顔が同時に見えた。
葉月の午後の光が、上げた分だけ座敷の奥まで届いている。庭の虫の音は絶えず、池の面では鯉が幾度か身をひるがえしていた。
だが、この半刻あまり、実光の耳には、それらがほとんど入っていない。
数年、この男は姫様のお側にいた。
葉月の初めに二枚の紙を並べて差し上げたとき、実光は、この方の顔から何かを掴もうとして、掴めずに終わっている。
紙を受け取り、目を落とし置く。三つの動作のどこにも、隠し事の跡がない。
京の座敷でそういうものを拾いながら育った男が、この方の前でだけは、いつまで経っても余りを見つけられなかった。驚かれたところは、数えるほどしか見ていない。困っておられるところも、この数年で二度か三度である。
答えられぬところは、一度も見ていなかった。
今日、見た。
実光は、頭の中でひとつずつ確かめていく。
麻布の書院で大原様が座割を問われたときには、その場で答えられた。城から戻ってきた式目の写しについては、こちらが申し上げるより先に字数まで言い当てられた。あの一句を書き加えたのが誰かと伺ったときも、間を置かずに「一橋殿でございます」と返された。
たったいま、年をお尋ねになった一橋殿にも、「十四にございます」と即座に答えられている。
一つだけ、答えられなかった。
実光は、その一つが何であったかを、正確に頭のなかへ写した。
「――教えた者が、おるのか」
この問いが何を指しているのかを、実光は測れない。測るための材料が、この男の手元に一つもなかった。
ただ、坐ったまま、一つだけ分かったことがある。
あの問いは、この座敷で降って湧いたものではない。
姫様は、答えられぬことを承知のうえで、この座に着いておられる。
なぜそう思ったのか、実光は自分でも説明できなかった。指が止まったからでもない。庭へ逃がした視線が短かったからでもない。そのあと、正面へ戻るのがあまりに速かったからかもしれない。
答えを探して止まった者は、戻るまでにもう少し時がかかる。
この方は、探していなかった。
*
やがて上座の男が湯呑みを取り、ぬるくなった茶に口をつけた。
実光は、その一つの動作で、今日この座敷の性質が変わったことを受け取った。
膝の上で、書き付けに残す文言を組み立てる。夕刻までには離れへ戻って清書し、明朝には麻布へ届けねばならない。文言は、もう決まっていた。
『公議式目の作法につき、有職の照会これあり。滞りなく相済み候』
嘘は、一つもない。
九
慶喜は、湯呑みを膝の前へ戻して、背筋を伸ばした。
ここから先が、二日かけて用意してきたものである。
「姫君。式目の三条に、議長は議に加わらず、可否相半ばするときのみこれを裁す、とある」
「はい」
「四条には、召しに応ぜざる者、また座を退きたる者は、議の趣に異存なきものとす、とあるな」
「はい」
「列座は、いま八家である」
「はい」
慶喜は、そこで一度、間を置いた。
「板倉が並べたのは、七家であった」
この一句を置くために、二日を使った。
七のままであれば、賛と否がどう転んでも割れることがない。八であれば、四と四が起こり得る。起これば、裁くのは議長ひとりである。
誰かが、七を八にした。
「――七ならば、割れませぬ。八ならば、割れる」
慶喜は、相手の目を見たまま言った。
「余に、票を回されたな」
返ってきたのは、一つだけであった。
「その通りにございます」
慶喜の背が、そこでわずかに止まった。
この男が身構えていたのは、そこではない。
言い抜けが来ると踏んでいた。
「異国に相対したる経験」という一句を持ち出し、基準に合致したのは八家であって、数を作ったわけではない。そう返されるものと思っていた。
返されたときにどう畳みかけるかまで、昨夜のうちに組んである。
肯定だけが、返ってきた。組んできたものが、まるごと不要になった。
「……それで」
声が、続いた。
「その八家を、どなたが作られたとお思いでござりまするか?」
慶喜は、遡った。
長州を加えたのは、堀田備中守正睦である。理屈を書いたのも堀田だった。その紙は城の書庫に、老中首座の筆跡で、日付入りで残っている。
受けて決めたのは御用部屋の四人。諸藩へ触れ出したのも幕府である。
どこまで戻っても、幕府の筆跡しか出てこない。
「――そなたは、何をいたした」
「文を一通だけ」
「……それだけか」
「はい」
慶喜が問うより先に、言われるまでもない名が頭に浮かんでいた。一年前の雨の夜に橋の上で名を口にし、この夏には老中首座の役宅へ二度も上がり、『姫様にゃあオイラから伝えておきます』と言ってのける男が、一人しかいない。
「その文は、いまどこにある」
「はて? 勝殿がお持ちか、焼かれたか。……わたくしは存じませぬ」
慶喜は、そこで最後の道を数えた。
仮にその一通を手に入れたとする。
頼み事の文である。近衛の姫が軍艦方の一人へ何かを頼んだ――その紙から出てくるのは、それだけである。
頼まれた者が動いたか。その先で何を言ったか。そこまでは、紙には書かれていない。
では、堀田の理屈書はどうか。
あれは、物として在る。
筆跡があり、日付があり、老中首座の名がある。
誰かが誰かの意を受けて書いたのだと申し立てるなら、突くべきはそこしかない。
慶喜が口をひらきかけたとき、先に置かれた。
「あの御方は、式目を、御自分の名でお出しになりました」
それきり、この者は何も言わなかった。
その先を、慶喜は自分で歩いた。
後日これを咎める者が出れば、真っ先に立たされるのは、その名である。
あの老職は、それを承知のうえで自分の名を添えた。ただ呑むだけなら、他にもいたであろう。呑んだうえで、身代りの位置まで進み出て坐った。
その男を、余が引きずり出すのか。
そうしたところで、返ってくる答えは分かりきっている。
越前を加えるにあたり、長州も加えるべしと自ら判じた――そう述べられれば、それ以上は進めない。
崩すには、あの男が誰の頼みで動いたかを証さねばならない。
だが、その証しは、この座敷にいる者の口以外には存在しない。
(――使えぬ)
そこまで数え終えたところで、慶喜は一つ、別のことに気づいた。
この者は、こちらの用人を一度も見ていない。
座敷へ入ってから、半刻あまりになる。平岡は上座の右手に坐り、書き役の道具を膝の前へ置いたまま、一言も発していない。
初めて通される座敷なら、供の顔には一度くらい目が行く。誰が何を書き留めているのかを確かめるのも、この座の作法である。
だが、見ない。
名乗るときも、三枚を草したと言うときも、こちらの一月半を並べるときも、視線は正面から一度も外れなかった。
見なくてよいものを、人は見ない。
慶喜は、それを口にしなかった。
口にすれば、跡が残る。一年前に自ら伏せた問いを、こちらから蒸し返すことになる。
平岡もまた、顔を上げなかった。
十
しばらく、誰も口をきかなかった。
座敷の光は入ってきたときより一段低くなり、畳の目に落ちる障子の桟の影が、細く長く伸びていた。申の刻に入ろうとしている。
やがて上座の男が、坐り直した。
膝の位置を直し、肩の力を抜き、それまで正面へ向けていた重心を、わずかに前へ移す。糸子は、その動きを見ていた。
探すという構えを、この人はここで降ろした。
「――では、銭の話をいたそう」
糸子は、それを一行だけで受け取った。
(……ここまで、参りました)
喜びはしない。当てるのは仕事であって、当たったからといって身が軽くなるようなものではなかった。仕入れの読みが合ったところで、次の仕入れは翌日に来る。
ただ、一つだけ数えた。
名乗りは、渡した。三枚を草したことも、認めた。集められたものを並べ、そのすべてが使えぬと告げた。証しにならぬものは、いくら差し出しても減らない。
払ったものは、一つである。
(こちらの持ち出しは、一つで済みました)
二十七日の朝に見積もった額と、変わらなかった。
糸子は、そこで締めた。
*
葵が呼ばれ、茶を替えて下がっていく。
その手が湯呑みを引くのを待って、慶喜が思い出したように言った。
「……同じ屋根の下におりながら、と書いてござったな」
「はい」
「幾年になる」
「……幾年になりましょう」
糸子は、数を言わなかった。
「長うござったな」
慶喜が、庭のほうへ目をやった。
池があり、木立があり、その向こうに表御殿の棟が低く伏せている。瓦の照り返しが、傾きはじめた日を受けて鈍く光っていた。
糸子は、その横顔を見ていた。
この人が、この方角から自分の棟を見るのは、生涯で初めてのはずである。毎晩あの棟の書院で灯を点し、庭を隔てた向こうにこちらの灯があることに、一昨日まで一度も目を留めなかった人であった。
見て、視線が戻ってくる。
新しい茶が湯気を立てていた。慶喜はそれに手を伸ばさず、膝の上で指を組み直してから、口をひらいた。
「――姫君」
「はい」
「そなたから見て、幕府の帳面は、あと何年もつ?」
庭では、虫の音が変わらずに上がってきている。
日は、まだ落ちきっていなかった。
第百七十九話 了
最後まで読んでいただきありがとうございましたm(_ _)m
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