第百七十八話「将軍後見編―無事」
一
葉月も二十日となれば、一橋上屋敷の奥御殿の庭は、夏の名残をすっかり手放していた。
池の面には落ちた葉が幾重にも層をなして浮き、鯉が通るたびに岸のほうへ寄せられていく。青楓は縁のあたりから色が抜けはじめ、夏じゅう茂っていた萩は乾いて、風が渡ると細かい音を立てた。虫の声は、昼夜を通して途切れることがない。
縁側の障子は上げてあったが、そこから入ってくる風は、もう肌に冷たかった。
庭先に、二人が控えている。
鳴海次郎と、壬生影明である。
旭狼衛の者が奥へ通されるのは珍しいが、二人が揃って呼ばれるというのは、初めてであった。近藤は来ていない。総隊長は屋敷の警固から離れられぬ立場であり、今日の用向きがそこまでのものではないという判断が、呼び出しの形そのものに現れている。
鳴海は、いつもの通り眠たげな三白眼で庭の飛び石のあたりを見ていた。壬生のほうは膝を揃えたまま、身じろぎ一つしない。
糸子は、二人を座敷へは上げず、縁側からそのまま話しかけた。
「明日、生麦村へ参ってくださいまし」
鳴海が、まず顔を上げた。
生麦という村の名を、この男は知っている。東海道を江戸から上って、六郷の渡しを越え、川崎の宿を過ぎたあたりにある小さな村である。街道沿いに藁屋根が並んでいるだけで、名物も宿場もない。
「――何を、いたしましょう」
「何も起こらぬことを、確かめてきてくださいまし」
二人が、そこで初めて顔を見合わせた。
誰を探せ、どこを見張れ、何を調べよ、いつまでに戻れ。旭狼衛が受けてきた命は、中身が変わっても形は変わらなかった。何も起こらぬことを確かめよ、という言い方を、この男たちは聞いたことがない。
「……何も起こらぬ、とは?」
「言葉そのままの意味でござります」
糸子の答えには、迷いがなかった。
「何も起こらぬのが、いちばんようございますから」
「もし、何かが起こりましたら」
糸子は、そこで声をわずかに落とした。落としたことに、二人とも気づいた。
「異国の方が乗っておられる馬だけを、殺してくださいまし」
壬生の眉が、そのとき初めて動いた。
この男は感情を面に出さぬことで隊内に知られており、近藤に叱咤を受けたときも、土方に無理な配置を命じられたときも、表情の角度が一分も変わらぬと言われている。その眉が動いた。
「……馬を、にござりますか?」
「はい」
「乗っておる者は?」
「決して、触れてはなりませぬ」
迷う気配は、一つもなかった。
「よろしゅうおたの申します」
二人は、それ以上を尋ねなかった。旭狼衛の者は、理由のない命に慣れている。理由を告げられた命のほうが、むしろ少なかった。
鳴海が頭を下げ、壬生が続く。二人はそのまま庭から下がっていった。
表御殿との境の木戸を抜けるまで、二人は一言も口をきかなかった。
抜けてから、鳴海が肩を回した。
この男の頭のなかでは、いま聞いた指図から三つのことが、勝手に組み上がりつつある。
一つ。異人が来るかもしれない。来ぬのなら、あの一句は要らない。
二つ。その異人は、馬に乗っている。
三つ。
鳴海は、そこで足を止めた。
姫様は、人を殺したくないのだ。
三つ目が、いちばん厄介であった。
旭狼衛に「殺すな」という命が下ること自体は珍しくない。たいていは「捕らえよ」か「見逃せ」で済む。代わりに何を斬れとまで指定されることはない。
「馬だけを殺せ」という命は、人を殺さずに済む道を、あらかじめ一つだけ残しておくことだった。
ならば、そうせねばならぬ事態が起こりうると、姫様は見ておられる。
「……なあ」
鳴海が、隣を歩く男へ声をかけた。
「なんだ?」
「明日、何が起こると思うか?」
壬生は、前を向いたまま答えた。
「だから、起こらぬことを、確かめに行くんだろう」
「そりゃ、聞いた」
「なら、それだけだ」
鳴海は、それ以上は言わなかった。
この男の口癖は、そんなに力んで肩は凝りませんか、というものである。今日は、自分の肩が少し凝っていた。
二
葉月二十一日、卯の刻。
大名小路の薩摩藩上屋敷の門が、二月半ぶりに大きく開いた。
この夏じゅう、この門は閉まっていた。中間の一人も外へ出ず、町の者は前を通るときに足を速めるようになっていた。その門が開いて、内側に詰まっていたものが、朝の光のなかへ順に出てくる。
徒士が出て、槍が出て、荷駄が出て、中間が出る。千人が門を抜けるだけで、四半刻を要した。
町の者が、辻の陰から遠巻きに見ていた。誰も、声を上げなかった。
小松帯刀は行列の中ほどに、大久保一蔵は先頭寄りに、それぞれの持ち場へ付いた。
大久保は、門を出る前から声を出しつづけていた。荷駄の順、渡し場での組み替え、宿での割り振り。すべて頭に入っている男が、それでも一つずつ声に出して確かめていく。この男にとって、今日はもう帰りの道ではなく、次の場所へ向かう道であった。
小松は、ほとんど何も言わなかった。朝の支度のあいだ、この男は膳に手をつけていない。若い者が声をかけたが、道中は長うござりますゆえ、と答えただけであった。門を出るとき、屋敷を一度だけ振り返っている。
久光は、家臣が用意した馬に跨り、腰の据わった姿勢のまま、ゆっくりと動き出す。今朝、乗物を選ばなかった理由を、誰も訊かなかった。
品川の宿を抜けるあたりで、久光は一度だけ振り返った。
江戸の甍が、朝日を受けて低く広がっている。二月半、あの屋根の下で押し合ってきた。
(――取ったもんを、かぞえもんそ)
一橋様、将軍後見職。
松平越前守、政事総裁職。
この二つを座に着かせるために、千の兵を京から下し、幕府の門前に並べた。並べただけで抜きはしなかったが、抜かずに済んだということは、抜くまでもなかったということでもある。二百六十年、外様が幕府の人事を動かした例はない。無位無官の身で、それをやった。
馬上で勘定を立て直すのは、この人の癖だった。鶴のように背を伸ばして黙る姿を見れば、供の者も寄ってこない。
六郷川に着いたのは、辰の刻を回ったころである。
この川に橋はない。慶長の年に架けられた橋が洪水で流されて以来、幕府は架け直していない。千人の行列は、すべて舟に分けて運ばれる。荷駄を先に送り、次に徒士を渡し、格に従って順を組み替えながら、舟が何度も川を往復する。
久光は、岸で待っていた。
この渡しを、二月半前に一度通っている。あのときは、渡し場の役人が青くなり、宿場の名主が飛んできた。今日は、誰も慌てていない。二月半のあいだに、この国はこの行列の扱い方を覚えてしまった。
(――取り損ねたもんも、かぞえもんそ)
御上洛の一条は、出なかった。参勤は、緩むどころか、江戸に置くという一点をむしろ固められた。金だけが軽くなり、人はそのまま江戸に残る。そして一昨日、最後の願いは丁重に、非の打ちどころのないやり方で封じられた。
それでも、諸藩は見た。幕府も見た。朝廷も見た。求めたものの半分にも足りぬが、示したものは残る。残ったものは、次に使える。
国元へ戻れば、家中が待っている。江戸で何を取ってきたのかを、必ず問われる。
そのとき、取り損ねたものから数える者を、家中は主君とは呼ばない。まず得たものを数え、そのうえで足りぬところを言う。それが順であり、順を違えれば、それだけで薩摩の腰が折れる。
久光は、その順序を岸で組み立て終えた。
渡り終えて行列がまた動き出したのは、巳の刻の半ばであった。川崎の宿を過ぎ、潮の匂いが風に混じりはじめた。
(――納得にゃ、いかん)
勅が下り、職が置かれ、式目が触れ出された。求めたものの形は通り、中身は別のものになっていた。誰がそれを書いたのかを、この二月半、探し続けて、京の家の名の前で道が塞がったままである。
力でどうにかなる扉なら、二月半前にもう押し開けている。京の家の名の前にある扉は、あれとは別の材で出来ている。
(――どん、こんままじゃ終わらせはせん)
そう腹の内で決め、誰にも、何も言わなかった。
三
同じ日の昼過ぎ、一橋上屋敷の奥御殿では、膳が下げられたばかりであった。
障子は半分だけ開けてあり、そこから庭の音が入ってくる。虫の声と、池の面に葉が落ちる音と、そのほかには何もない。葵は膳を下げてから下がっていて、座敷には糸子ひとりが残っていた。
糸子は、袂から銀の懐中時計を出した。
待っていたのではない。
刻限が来たから、出した。
(――もう、そのころでございます)
異国渡りの、銀の蓋に近衛牡丹の彫られた品である。掌に乗せると、ひやりとした重さが伝わってくる。蓋を起こすと、細い針が三本、それぞれの速さで動いていた。
この国が使う「未の刻」は、葉月ならおおよそ午後一時から三時まで。一刻の長さが季節によって伸び縮みするこの国で、午後二時という一点を指し示せる器物は、掌の上のこれだけであった。
だから今日、これを出した。
秒針が、細かい音を立てて回っていく。屋外の虫の声のほうがよほど大きいのに、その音だけが耳に残る。
(――何も、起こりませぬように)
祈ったところで、紙も人も動かない。書いて、渡して、待つ。それが、これまでこの身が使ってきたやり方だった。
今日は、書くべき紙がなかった。
針が、二時を過ぎた。
過ぎても、何も分からなかった。
(――刻がずれておるかもしれませぬ)
覚えているのは、午後二時ごろ、という一行だけである。何という記述であったかも、誰が書いたかも、その一行の根拠が何であったかも、今はもう思い出せない。
そして、もう一つある。
こちらが、手を入れている。
卯月も末、松屋善次郎に指図を出した。損を呑んででも、横浜のあの商人と縁を結び続けよ。値は先方の言い値でよく、支払いの期日も先方の都合でよい。取り分は要らない。欲しいのは品でも金でもなく、縁が続いているという形そのものである、と。
善次郎は、理由を訊かずに引き受けた。
手を入れた以上、条件は変わった。ならば、時も変わる。
(――わたくしが、史実という目安を消しました)
針が、三時を過ぎた。
これで済んだ、とは言えない。半刻ずれておるのなら、まだこれからである。行列がどこにいるのかも分からぬ以上、あと一刻、二刻と待ったところで、待ち終える線が引けない。
線を引けぬものを待つというのは、この身の最も不得手なことであった。
糸子は、蓋を閉じなかった。
閉じる根拠が、どこにもなかった。
葵が茶を替えに入ってきて、姫様が掌に時計を握っているのを見ても、何も言わずに下がっていった。
四
生麦村は、東海道が海のほうから少し内へ入り込むあたりにある。
街道の両側に藁屋根が肩を寄せ合って並び、その裏はすぐ田になっていて、麦の刈り跡が乾いた色のまま残っていた。潮の匂いが風に混じって届き、遠くで漁の声がする。宿場ではないから旅籠もなく、茶屋が二軒あるきりの村である。
葉月の陽は、まだ強い。それでも影は既に東へ長く伸びていた。
鳴海次郎と壬生影明は、街道から一町ほど離れた木立の陰に、別々に位置を取っていた。
示し合わせたわけではない。二人並んでいれば、片方が見つかったときに両方が見つかる。そういう歩き方を、この二人は誰にも教えられずに身につけていた。
鳴海は、村はずれの椎の木の根方に腰を下ろしている。眠っているようにしか見えず、通りかかった村の子供も、誰ひとり足を止めなかった。壬生は、そこから二十間ほど離れた竹藪の際に立っている。それでも、誰の目にも留まらない。この男の技は、身を隠すことではない。見た者の意識から、自分の姿を消し去ることである。
二人は、正面から街道を眺めていたわけではない。行列は来ると分かっているが、異人がどこから現れるかは教えられていなかった。
だから鳴海は、街道の反対側と村の奥へ入る細道を見ている。壬生は、海のほうと神奈川から上がってくる道を見ている。二人がそれぞれ首を回すたび、互いの死角が入れ替わり、そのたびに静かな間が空いた。
何もいない。
鳴海は、待つのが嫌いではなかった。苦にしないぶん、余計なことを考える。事が起きたとして、なぜ馬だけを殺せば済むのか。そのあとの始末は、どうするのか。
考えても、答えは出なかった。姫様の指図に答えが出たことは、そもそも一度もない。
未の刻を回ったころ、街道の江戸寄りに埃が立った。
先頭が見えた。
徒士が来る。次に槍が来る。荷駄が来て、中間が来て、また徒士が来る。千人の行列は、先頭から最後尾まで十町以上に伸びていて、一点を通り過ぎるだけで半刻近くを要した。
村の者は、道の脇に土下座している。顔を上げる者は、一人もいない。これだけの数が通れば、村の犬でさえ吠えない。吠えれば斬られると、この国の百姓は身体で覚えている。
鳴海は、その光景を横目の隅で捉えながら、視線は村の奥へ向けていた。
二月半、門の内に押し込められていた千人である。ようやく国へ帰れるというのに、足取りの浮いた者は一人もいない。国へ帰る行列は、たいていもっと気が緩む。そうならないのは、何かを抱えたまま進んでいるからであった。
*
半ばを過ぎたころ、村の奥から馬が一頭、出てきた。
壬生の手が、鞘へかかった。
この男が刀に手をかけるところを、鳴海は隊内でも数えるほどしか見たことがない。手をかけたときには、たいてい事が終わっている。
「……馬だな」
誰に言うでもなく、口の中でそう転がした。
同じころ、椎の木の根方では、鳴海が首だけを回していた。
馬の背に、荷が積んである。
「異人は……乗ってねえな」
言ってから、この男は前へ向き直った。
荷を積んだ駄馬であった。引いているのは村の百姓だった。行列に気づいて顔色を変え、慌てて手綱を引く。そのまま馬ごと藁屋根の裏へ消えていった。荷の縄が緩んでいたらしく、俵が一つ、道端へ転がって止まった。
壬生の手が、鞘から離れた。
離してから、しばらく自分の指を見ていた。
*
行列は、なおも続いている。
供揃えが来て、乗物が続き、その後ろをまた荷駄が追った。中に誰がいるかは、二人とも知っている。それでも顔を上げなかった。
最後尾が村を抜けるまで、二人は動かない。
俵は道端に転がったままだった。日は西へ傾き、影は畦の幅ぶんだけ伸びている。二人には、それしか時を測る手立てがない。刻を告げる鐘は、この村には届かなかった。
街道の反対側からも、村の奥からも、海のほうからも、神奈川から上がってくる道からも、誰一人として来なかった。
行列が去ってしばらくしてから、村の者が一人、また一人と立ち上がりはじめた。俵を拾いに来た百姓が、道端で腰を伸ばしている。茶屋の女が、床几に載せていた覆いを外した。犬が吠えた。
村が、もとの村へ戻っていく。
木立から出てきて、二人は初めて口をきいた。
「何も起こらなかったな」
「これで、お役目はしまいか」
「おそらく、そうだろう」
鳴海が、肩を回した。こきり、と音が鳴る。
「なんとも張り合いがない」
「姫様も、何もなければそれが一番と、仰せられていた」
鳴海が、少し驚いたようにこの男を見た。
壬生影明が、姫様の言葉を引くのを、鳴海は初めて聞いた。この男は、与えられた命をそのまま果たすだけで、そこに意味まで求める性質ではないと思っていた。
壬生は、それきり何も言わずに、道端の俵を拾い上げている百姓のほうを見ていた。
「……帰るか」
鳴海が、先に歩き出した。
江戸まで五里半。日が落ちきる前には着かぬ道であった。
五
行列は、その村を半刻で抜けた。
麦の刈り跡があり、藁屋根が並び、道が少し曲がっている。潮の匂いがして、犬の声が一度だけ遠くで聞こえた。
村の者は道の脇に土下座しており、顔を上げる者はいなかった。
久光は、馬上で目を閉じていた。
村の名を、この人は聞いていない。
聞く理由が、どこにもなかった。街道沿いの村など、江戸から京までのあいだに幾つあるか数えたこともない。
今日の泊まりは保土ヶ谷である。明日は戸塚、その次は藤沢。箱根を越え、駿河を抜け、京へ着くまでには半月かかる。
半月もあれば、家中の割れ方もひとまず形が決まる。道中でも、帯刀と一蔵の言い分をもう一度ずつ聞くことになるだろう。それで腹が決まるかどうかは、まだ分からない。
馬が一度、大きく身を傾けた。曲がり角へ入った。それでも久光は、目を瞑っていた。
村を抜けると、道はまた海のほうへ寄った。潮の音が近くなり、行列の足並みが少しだけ乱れて、また揃った。
この人は生涯、自分が何を免れたかを知る由もない。
六
二人が一橋の屋敷へ戻ったのは、日が落ちてしばらくしてからであった。
奥御殿には既に灯が入っており、庭は暗い。池の位置も木立の形も見分けがつかず、虫の声だけが厚く上がってくる。障子は、この時分にはもう半分ほど閉ててあった。
報告は、短かった。
「――行列は、未の刻より申の刻にかけて、生麦村を通り申した」
鳴海が述べ、壬生がそれに続いた。
「異国の者は、参りませんでした」
「何も、起こりませんでした」
糸子は、それを最後まで聞いた。
聞いてから、掌の上の時計の蓋を閉じた。
小さな音が一つ鳴って、庭の虫の声に紛れて消えた。
この半日、この時計は掌から一度も離れていない。膳のあいだも、葵が茶を替えに来たときも、袂へ戻すことなく握っていた。銀の面には、うっすらと掌の跡がついている。
「おおきに。ご苦労さまでございました」
二人が頭を下げ、下がっていく。
廊下を渡る足音が遠ざかって、それも聞こえなくなってから、糸子は縁側のほうへ目をやった。
「……善次郎が、うまくやってくれましたね」
実のところ、確かめる手立てはない。
ただ、善次郎の行動がこの結果を招いたことだけは分かっている。効いたものも、効かなかったものも、そもそも要らなかったものも、最後には同じ「何も起きなかった」に収まってしまう。
それでも、糸子は締めた。
仕入れの読みが外れても、当たっても、その理由まで突き止められることは滅多にない。それでも次の仕入れは来る。
一つの解釈を採り、それで締める。帳面を閉じるのと、同じことであった。
葵が茶を替えに入り、また下がっていった。
糸子は、文机の抽斗から黒い帳面を取り出した。
文月の末に人の名を一つ記した頁がある。葉月の初めに二行を加えた頁もある。どちらも、その後は手を入れていない。この帳面に人名が現れたのは、この夏が初めてだった。それまでは、数と値と日付だけを記してきた。
糸子は頁を繰った。
まだ何もない頁を開き、そこへ一行だけ記した。
書き終えて、帳面を閉じ、抽斗へ戻した。
池の向こうの木立の先に、表御殿の棟が黒く伏せている。灯は、今夜も点いていた。
七
薩摩が去った翌日の江戸城は、拍子抜けするほど静かであった。
二月半、この城は千人の兵を門前に置かれた家として動いてきた。誰も口には出さなかったが、廊下の足音の速さも、坊主の腰の低さも、御用部屋の障子の閉て方に至るまで、すべてその重しを勘定に入れて決まっていた。それが一夜で無くなっている。
庭の萩は乾き、掃かれた白砂の上に、散った花の跡だけが薄く残っていた。
徳川慶喜は、その朝、議長として登城していた。
式目に基づく最初の触れが、既に発せられている。中身は、諸藩の海防の備えについての報告を上げさせるという、ごく地味なものであった。それでも、この城で初めて式目の手順に従って動く一件である。
慶喜は、上座に坐っている。
この座に着いて、そろそろ五十日になる。名も、権も、座る場所も、すべて他人が用意したものだ。だが、用意された場所に座るのは、これが初めてではない。一橋の家に入ったときも、養子という形で他人に決められたのである。
下役が、書付を運んできた。三通ある。原本と、控えと、照らし合わせ用である。式目の第九条に、書付は三通を作り、うち一通を照らし合わせに用うべしとある。
別の下役が、触れの日付を読み上げた。二十日前に諸藩へ触れ知らせたという記録である。第五条に、議題は二十日前までに触れ知らすべしとある。触れた日と、今日の日を引けば、二十日と二日であった。
さらに別の者が、下調べの寄合の記録を持ってきた。第七条にそう定めてあるからである。
誰も、手を抜いていない。
抜けば咎められるからではない。そもそも、それを咎める仕組みがまだなかった。書いてあることを、書いてあるとおりにやる。そのために二百六十年、これだけの役人を養ってきた家である。書いてあることが正しいかどうかは、誰の役目でもない。
慶喜は、ただ坐っていた。
議長は議に加わらない。可否が同数になったときだけ、これを裁す。式目の第三条に、そうある。今日は、その必要もなかった。
坐ったまま、慶喜はその精密さを見ていた。
二百六十年、この城では先例が物事を決めてきた。あれば動く。なければ止まる。
いま、この城は書付を三通揃えて動いている。二月前まで、この城にはそんな仕組みはなかった。しかも、誰の役が減ったわけでもない。誰の禄が動いたわけでもない。増えた仕事に文句を言う者はいたが、仕組みそのものを疑う者は一人もいなかった。
(――誰が、これを作った?)
*
十五条は、幕府が自分で定めた細目ということになっている。
定めたのは板倉であり、酒井であり、乗全であった。三人とも、自分たちで拵えたと言っている。文月の末から葉月の初めにかけて、御用部屋に籠って書き上げたと。
あの三人が、二十日でこれを作れるはずがない。
慶喜は、そのことをこの夏じゅう考えぬようにしてきた。考えれば、必ず一年前へ戻ってしまうからである。
この夏に下った三枚の紙を思い出していた。三条の勅、七条の覚、十五条の式目。数が増えるにつれて、書かれた定めは細部まで行き届いていった。細部が定まるほど、この城はよく動いた。
まるで、よく動くように初めから書かれていたかのようだった。
八
その日の夜、一橋上屋敷の書院に灯が二つ入った。
庭の虫は、この数日でさらに濃くなっている。障子を閉てても、紙の向こうから途切れずに上がってくる。文机の脇には、その日の議の書付が置かれていた。
平岡円四郎が、いつものとおり膝行して入り、障子を半分だけ閉めて坐った。
用件は、この日の議の始末である。次の議題を何にするか、触れをいつ出すか、諸藩からの返しをどこで受けるか。半刻ほどで、話は済んだ。
済んだところで、慶喜が別のことを訊いた。
「平岡」
「はっ」
「勅の末尾に名を連ねておったのは、誰であったか」
平岡は、間を置かずに答えた。
「関白・九条尚忠様。議奏・中山忠能様、正親町三条実愛様。武家伝奏・広橋権中納言様にござります」
一つも間違えていない。
この平岡は、そういう男であった。数も、順も、位も、間違えたところを慶喜は見たことがない。曖昧な答えで主君の顔色を窺うことがなく、分からぬことは分からぬと言う。
「奥の御使者は、何と申された」
「水無瀬様と名乗っておられます」
平岡は、そこで話を止めた。
慶喜が次を訊かなかったので、書付を揃え直し、一礼して下がった。
障子を閉める間際、平岡の手が一度だけ止まった。
止まった手が、また動く。障子が閉じた。
慶喜は、それを見て、何も言わなかった。
書院に一人残ると、慶喜はしばらく灯の芯を見ていた。
水無瀬という家は、公家の家名として実在する。歌の家である。ただし、当代の当主なり嫡子なりが江戸へ下ったという話を、この男は一度も聞いていない。
そして、平岡の答え方が引っかかった。
(――名乗っておる、と申したか?)
あの男は「水無瀬様にござります」とは言わなかった。
嘘ではない。だが、その言い方なら、名乗りと実際が違うという含みが残る。「……様にござります」と答えられていたら、慶喜はそこで考えるのをやめていた。京の公家の一人が奥に住んでいる。それだけの話である。
*
慶喜は、筆を取って、紙の端に一つ書いてみた。
京の公家で、当屋敷の奥へ人を送り込むほどの家柄で、しかも江戸で本名を名乗らぬ理由のある家。
随行に選ばれるということは、その者が勅の中身を知っていて構わぬ立場にあるということでもある。知られて困る紙を、何も知らぬ者に持たせて下すはずがない。
そして、勅の末尾に武家伝奏として名を連ねた家が一つある。
(――広橋か)
慶喜は、筆を置いた。
証しは一つも無い。水無瀬と広橋が、どういう縁で結ばれているのかも知らない。京の公家同士の縁組など、江戸から測れるものではなかった。ただ、家名が一つ、頭に浮かんだだけである。
慶喜は、紙の端に書いた文字を、指の腹で擦って消した。
消しても、頭からは消えない。
その名を一つ残したまま、慶喜はその夜、寝所へ下がった。
九
葉月二十四日、慶喜は大奥へ探りを入れた。
一橋家は御三卿である。将軍家の身内であるから、大奥との筋がまるで無いわけではない。奥女中を介して、天璋院様の耳へ話を入れる道は、細いながらも通っている。
問うたのは、一行だけであった。
当屋敷の奥に、京より下られた御使者がある。何か聞き及びのことはおありか。
二日待った。
三日待った。
返事は、来なかった。
「存じませぬ」でもない。「お答えいたしかねます」でもない。取次の女中が困った顔で戻ってきたわけでもない。問いを届けた先から、何も返ってこなかった。
取次に立った奥女中は、確かに問いを届けたと言った。天璋院様は文机の前におられ、声が届かぬような距離でもなかった。
天璋院様は、薩摩の島津から出て近衛の養女となり、大奥へ入られた御方である。血の上でも、家の上でも、近衛とこれほど近い方はいない。
実父である久光が兵を率いて江戸へ乗り込んできたときも、あの御方は大奥から一言も漏らさなかったと聞く。喜んだとも、迷惑がったとも聞かない。三つの家のどれにも義理があり、どれにも借りがある。その立場で口を閉じてこられた御方が、いま、また閉じている。
(――言わぬということを、言うておられる)
慶喜は、そこで自分を止めた。
大奥が表の問いに答えぬのは、日常である。答えぬことに理由を求めるほうが珍しい。その当たり前に意味を見つけはじめれば、そこから先は妄想になる。
安政の年、この男は、それで潰れていく者を幾人も見た。材料が足りぬとき、人はそうなる。ならば、待つほうがよい。
慶喜は、それを頭の隅へ置いた。
そして四日ほど、そのままにしておいた。
そのあいだ、議の触れは順どおりに動き、諸藩からの返しが幾つか届き、書き役はそれを三通に写した。式目は、書いてあるとおりに回っている。
回っているのを見るたびに、頭の隅へ置いたものが少しずつ重くなった。
十
葉月二十六日の夜、慶喜は書院で平岡に別のことを訊いた。
その日は昼から雨が落ちて、夕方には上がったものの、庭の土からまだ湿った匂いが立っている。障子を閉てていても、その匂いは紙を通って入ってきた。
「平岡。京屋敷へ出した書状の返事は、まだ来ぬか」
平岡は、一度だけ目を伏せた。
この男が目を伏せるのは、答えに困ったときではない。答えが短くなりすぎるときである。
「……まだにござります」
「催促はいたしたか」
「文月の末に、一度」
「それにも、返らぬか」
「返っておりませぬ」
慶喜は、それきり何も言わなかった。
平岡が下がってから、この男は指を折って数えはじめた。
書状を出したのは、文月七日である。今日は葉月二十六日。一月半が、過ぎている。
江戸から京まで、飛脚なら早くて六日、遅くとも十日で着く。往復で二十日。京屋敷が朝議の様子を聞き集めるのに幾日かかかるとしても、返事を書いて出すまでに、半月あれば足りる。文月の末に催促を出したのなら、その返事だけでも来るはずであった。
一橋家の飛脚は、幕府の継飛脚ではない。町の飛脚問屋に金を払って出させるものだから、遅れることはある。だが、消えることはない。もしそうなれば、問屋のほうが商いを失う。京屋敷が怠けたのなら、催促すれば動く。留守居役は父の代からの者で、こういう命を放っておく男ではなかった。
一月半、一通も来ないというのは、止まっているということである。
慶喜が最初に考えたのは、幕府の側であった。
京都所司代か。老中か。堀田か、板倉か。将軍後見職が朝廷の紙のことを嗅ぎ回っていると知れば、止めたくなる者はいるであろう。
だが、なぜ一橋家の書状だけを止めるのか。京屋敷と江戸屋敷のあいだの文を止めれば、幕府が御三卿の家中の文を検めたことになる。露見すれば、それだけで一件になる。それでいて、止めたところで、将軍後見職が何を調べているのかまでは分からない。それを止めるために、そこまでの危うい橋を渡る者はいない。
そもそも、この夏の幕府は、自分の足元で手一杯だった。あの者たちに、京の飛脚筋へ手を伸ばす余裕は無い。
残るのは、京の側である。
一橋家の京屋敷が、どこと文を交わしているか。誰が江戸へ何を送ろうとしているか。それを把握したうえで、飛脚の筋にまで手を伸ばせる家。
所司代でもなく、町奉行でもない。武家の力で止めたのなら、必ずどこかで音が出る。それが一月半止まっているということは、止めているのが飛脚の筋そのものに顔の利く公家だということになる。
公家というのは、金も兵も持たない。しかし、二百年三百年の縁だけを持っている。縁で止められたものは、どこにも記録が残らない。
(――堂上の、それも相当な家じゃ)
名は、浮かばなかった。京の公家の家格を、この男は江戸から測れない。誰が誰と縁を結び、どの家がどの筋を握っているのか。勘定するための下地がない。
慶喜は、筆を置いた。
庭の土の匂いが、まだ入ってくる。
慶喜は、灯を落とさせなかった。
十一
同じ夜、灯は一つだけ残されていた。
文机の上には何も広げていない。慶喜は脇息にもたれず、背を立てたまま坐っていた。
三つを、頭のなかで並べてみた。
紙には書かない。書けば、誰かに読まれる。この夏、この男は、書いたものが人の手を渡って化けるのを、嫌というほど見てきた。
一つ。家名が一つ、一致している。
二つ。大奥が、何も言わない。
三つ。京で、書状が止まっている。
一つずつ吟味すれば、どれも他の説明がつく。水無瀬と広橋の縁など、京の公家のあいだにはいくらでもある。奥が答えぬのも日常であり、書状が遅れることも珍しくない。三つを別々に持ち込まれたなら、慶喜はどれも気に留めなかっただろう。
それでも、この男は数えるのをやめなかった。証しにならぬものが三つ揃うということ自体が、そう滅多に起こらぬからである。
三つとも、同じ一点を指していた。
*
慶喜は、そこで一年前のことを思い出した。
いや、思い出したというより、この夏じゅう思い出さぬようにしてきたものが、ようやく出てきた。
勝麟太郎が、一冊の建白書を持ち込んできた晩がある。
公議政体の絵図だった。諸藩を議の座に着かせ、幕府の権を段階を追って別の形へ移していく設計図である。書き手の名は、どこにも記されていなかった。
あの晩、読み終えて、この男は平岡の口へ順に封をした。誰にも申すな。勝にも申すな。そして――勝の後ろの、お方にも申すな。
封をしたのは、読みたくなかったからではない。読めば読むほど、先が見えすぎたからである。書かれていたのは、幕府を潰す策ではない。
潰さずに、形だけを変えていく段取りだった。潰せと言われれば、この男はどちらの側に立つかを選べる。だが、潰すなと言われたとき、どこへ立てばよいのかが分からない。
だから封をして、眠った。
そして、この夏の紙がある。勅の三条。御沙汰の覚の七条。公議式目の十五条。
慶喜は、その二つを並べてみた。
並べてみて、しばらく動けなくなった。
名を出さない。
相手に、自分で決めさせる。
決めた者が、それを自分の手柄だと思うように書く。
職の名は、板倉勝静が二十日かけて拵えた。参勤の一条は、酒井忠績が盾に取り、動かすなと書いてあるものを盾にして越前守の三点を止めた。十五条は、幕府が自分で定めた細目ということになっている。いずれも、やったのは自分だと当人が思っている。
誰一人、礼を言う相手を持っていない。
礼を言う相手を持たぬということは、恨む相手も持たぬということである。誰も損をしたとは思わず、誰も借りを作ったとは思わない。
二百六十年、この城で、これほど静かに物が動いたことがあったか。
(――同じ手じゃ)
一年前の紙と、この夏の紙は、同じ一人の手から出ている。
慶喜は、そう断じた。証しが揃うのを待っていれば、盤の上の駒は先へ行ってしまう。葉月朔日、式目の三条目に一句を書き加えたときも、同じやり方をした。
一年前、自分は「勝の後ろのお方」と言った。
あのとき、そこに誰がいるのかは知らなかった。いまも知らない。名も、年も、顔も知らない。
知ったのは、位置だけである。
京から下ってきた朝廷の御使者。武家伝奏の家の者を供につけ、大奥が口を閉ざし、京では書状を止められる家。
この屋敷では、庭を隔てた向こうの棟に住んでいる。
(――近衛の…姫君とか申したか)
慶喜は、立ち上がった。
障子を開けると、雨上がりの夜気がまともに入ってきた。
庭がある。池があり、木立があり、その向こうに奥御殿の棟が黒く伏せている。
灯が一つ、点いていた。
この屋敷に住んで長いが、その灯を見たのは初めてだった。
奥に客人がいて、夜になれば灯が点く。それだけのことに、これまで一度も目が留まらなかった。目が留まらぬように出来ていたのだ、と今なら思う。
慶喜は、しばらくそこに立っていた。
十二
障子を閉てて、慶喜は坐り直した。
坐り直してから、もう一つのことに気づいた。
文月の初め、この男は平岡に命じている。あの三条を誰が書いたか調べよ、と。
平岡は、怠けなかった。右筆の詰所へ行き、勅書がどこで書き写されたかを確かめた。飛脚問屋にも足を運び、京屋敷へ書状を出した。それから毎日、細かなことまで報告してきた。
報告は、いつも丁寧だった。誰に会い、何を訊き、どう答えられたか。要らぬところまで並べてくる。並べられれば、こちらは全部を聞いたつもりになる。
行かなかった先が、三つある。
一つ。勝海舟。
会えば話が早いと、あの男は誰よりも知っていた。知っていて、足を向けていない。軍艦方に朝廷の紙のことを問えば、それ自体が話の種になる。そういう理由を、あの男は自分で用意していた。
二つ。麻布の宿舎。
勅使の随行には、京から下ってきた公家がいる。その者に問えば、何かは分かる。だが、御三卿の用人が勅使のもとへ足を運べば、それはもう探索ではなく政事になる。ここにも、理由があった。
三つ。奥御殿。
ここには、理由すら要らない。表の者が奥へ入らぬのは、この屋敷の当たり前だからである。理由を述べれば、述べたこと自体が跡になる。述べずに済むものには、跡すら残らない。
避けた三つが、そのまま答えの在り処であった。
庭の虫が鳴いている。灯の芯が一度、細く跳ねた。
*
一年前、平岡は「知っておって、申せぬ」と言った。
黙る家臣を、この男は責めなかった。責めれば、一年前の自分が嘘になるからである。
だが、黙るのと、届かせぬのとは違う。この一月半、あの男の報告は、いつも一歩手前で止まっていた。訊けば正確に答える。訊かねば言わない。そして――こちらが訊かぬ形に、話を整えてきた。
――どこかで、同じ形を見た。
(――余に、坂を上らせておったか)
慶喜は、平岡を呼ばなかった。
呼んで問い詰めれば、あの男はまた正直に答えるだろう。答えを聞いたところで、こちらが辿り着いたものは変わらない。一度、正面からやり合っている。二度目は要らなかった。
それに、問い詰めれば、あの男は黙っていた理由まで話すだろう。そうなれば、こちらは許すか、罰するかを選ばねばならない。どちらを選んでも、この主従のあいだに一つ、跡が残る。
跡は、残さぬほうがよい。
灯を落とす前に、慶喜はもう一度だけ障子の隙間から庭を見た。
向こうの灯は、まだ点いていた。
十三
葉月二十七日の朝は、この秋いちばんの冷えであった。
表御殿では、廊下の板が朝のうちまだ冷たく、庭では下男が落ち葉を掃いている。萩はもう花を落としきり、枝だけが束になって残っていた。
慶喜は、書院で平岡を呼んだ。
命じるつもりであった。
将軍後見職として、この屋敷の奥に住まわれている朝廷の御使者へ、面談を申し入れる。奥にいるのが誰であれ、屋敷の主が客人へ挨拶を望む。それだけの話にできる。
平岡が入ってきて、膝を揃えた。この男は、いつもと変わらない。昨夜、主君が何を数え終えたかなど、知る由もない。
慶喜が、口を開きかけた。
障子の外から、取次の声がした。
「――奥より、水無瀬様がお見えにござります」
慶喜の口が閉じた。
平岡がわずかに顔を上げる。その目が動いたのを慶喜は視野の端で捉えたが、そちらは見なかった。
入ってきたのは、二十代半ばの公家であった。
装束は略式で、江戸へ下ってきた者らしく、袖のあたりが少し傷んでいる。膝の運び方に隙がない。廊下から座敷へ入るまでの歩数まで、あらかじめ決まっているような動き方であった。
武家伝奏の広橋家に生まれ、有職故実を家職としてきた男――実光の坐り方である。
その実光が、一通を両手で差し出した。
「――奥より、お預かりして参りましてござります」
それだけ言って、頭を下げた。
用件も、理由も、添えなかった。
「預かって参りました」と述べる者は、たいてい中身について一言添える。急ぎであるとか、お返事は追ってでよいとか。この男は、添えなかった。
慶喜は、その場で封を切った。
目を落としたのは、ごく短いあいだであった。文字の数が少ない。読むというほどのものではなかった。
書き癖には、女の手らしい柔らかさがある。柔らかいが、字は崩れていない。急いで書いた跡もない。
慶喜が数えたのは、そこに書かれていないもののほうであった。
理由も、日取りも、場所も、そして差出人の名もない。
政の文に必ずあるべき四つが、ことごとく欠けている。四つとも書いていない文を、慶喜は二種類しか知らなかった。
「――まるで、恋文だな」
ふっ、と息を漏らすように笑った。
笑ってから、慶喜はその一通を膝の上へ置いた。
*
家名に気づいたのが五日前。大奥が何も返さぬと知ったのが三日前。京の書状が止まっていると数えたのが昨日の夕方。三つを並べて位置に届いたのが、昨夜の遅くであった。
落としたばかりの灯の消え際を、まだ覚えている。
今朝、文が来た。
(――見ておられたか)
どこまで見えていたかは、分からない。だが、こちらが手を伸ばしはじめた日と、向こうが文を寄越した日を並べてみれば、遅くも早くもない。ちょうど、こちらが届いた翌朝であった。
実光は、頭を下げたまま動かない。
返事を待っているのでもなく、催促するのでもない。ただ、その姿勢のまま止まっている。
実光の背は、まっすぐであった。
この男が何を知り、何を知らされずに使われているのかを、慶喜には測りようがない。測れぬまま、こちらの返事だけを待っている。
慶喜は、しばらくその男の頭頂を見ていた。
第百七十八話 了
生麦事件は――起こりませんでした!
「えっ、なぜ!?」と思われた方も多いのではないでしょうか?
なぜ生麦事件は起こらなかったのか。
そして、その裏で何が起きていたのか。
その舞台裏については、この編を最後まで描き切った後に、たっぷりとお見せする予定です。
史実では起こったはずの出来事が、なぜ起こらなかったのか。
その「もしも」の答えも、ぜひ楽しみにお待ちくださいヽ(゜∀゜)ノ♪




