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幕末に転生したら近衛家の姫でした。まず屋根を直します【累計350万PV/80万UU突破‼ 幕末経済戦記】  作者: 1009


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第百七十七話「将軍後見編―亀裂」

一

 葉月十九日の江戸城は、廊下を歩くだけで秋の深まりが分かる冷気を板から返してきた。中庭の萩はとうに盛りを過ぎており、風が渡るたびに乾いた花が石畳の縁へ寄せられていく。庭の隅では下男が二人がかりで吹き寄せられた葉を掃いていたが、風が吹くたびにまたちらちらと舞い落ちるので、手を止めては空を見上げていた。


 大廊下は、控えの間としては最上格の場所である。


 畳の縁の色から欄間の彫りの深さまで、他の間とは造りがまるで違う。ここへ通されるのは御三家か、それに準ずる家柄の者に限られてきた。二百六十年、その決まりが揺らいだことはない。


 島津久光は、その座に坐っていた。


 この座に坐るのは、四度目である。


 一度目は文月九日、一橋中将と越前中将の沙汰が下った日。二度目と三度目は、式目にかかわる登城だった。いずれも、久光は坐って、待って、退がった。誰かと納得のいくまで語り合ったわけではない。


 なぜ自分がここへ入れられたのか、久光はいまだ正確には知らなかった。


 文月半ば、江戸城の書き役が控えの間の名簿を書き改めた。政事総裁職が大廊下に控えることになり、それまで大広間にいた者たちも同じ場へ移すことになった。山内容堂、伊達宗城、そして久光も、その流れで大廊下へ移された。


 誰も改革とは呼ばなかった。席次の整理として処理され、名簿の字が変わって、それで済んだ。


 久光の耳に届いた説明も、後になってからの「そういう扱いになりましたゆえ」の一言だけだった。


 この日の名目は、帰国の暇乞いであった。


 無位無官の身であるから、将軍への拝謁は無い。老中への挨拶で足りる。


 応対に出たのは板倉勝静であった。堀田正睦は体調を理由に出てこなかったが、その理由がどこまで本当かを、久光は詮索しなかった。


 板倉の応対は、丁重で、短い。


「道中、御無事にて」


「かたじけのう存じもす」


 それだけで、話は終わった。


 二月半前と、まるで違う。


 あのころ薩摩の使いは老中の屋敷へ直に押しかけ、返答を渋る相手を睨みつけて座に着かせていた。板倉の役宅の玄関で大久保が声を張り上げた日のことを、江戸の御用部屋の者はまだ覚えているはずである。


 いま、その板倉が、こちらを恐れていない。


 二月半のあいだに、江戸城は薩摩の扱い方を身につけてしまった。身につけば、あとは手順に乗せられるだけである。門前に千の兵を敷いたところで、同じ手は二度と効かない。


 恐れているわけでも、粗略にしているわけでもない。ただ、作法どおりに迎え、送り出す。そうされてしまえば、こちらには押し込む場所がなくなる。


 板倉が退がったあと、久光は茶を一服だけ含んだ。


 廊下の向こうから、足音が近づいてくる。


 供を二人だけ連れた将軍後見職が、こちらへ向かっていた。足が速い。城の廊下をこれほどの速さで進む者を、久光はほかに見たことがない。


 大廊下の前を通るとき、慶喜は一度だけこちらへ目を向けた。


 久光が頭を下げる。


 慶喜が会釈を返す。


 それだけで、二人はすれ違った。


  *


 久光は、その背中を見送っていた。


 あの男を今の座に据えたのは、自分である。千の兵を率いて京から江戸まで下り、幕府の門を押し開け、渋る老中どもに呑ませた。その一件を、江戸で知らぬ者はいない。


 その男が、いま、会釈一つで通り過ぎていく。


 礼を欠いているわけではない。むしろ作法どおりで、非の打ちどころがなかった。


 久光の腹には、まだ一つ残っていた。


 帰国の日は二日後に決まっている。決まったのは日取りだけで、京へ戻ってから何をするかは、家中でまだ定まっていない。帯刀は朝敵になると言い、一蔵は次を求めればよいと言う。どちらにも理があり、片方を切ることができずにいる。


 迷っているのではない。


 上洛の一条が、なぜ落ちたのか分からない。理由が分からなければ、次に何を求めれば通るのかも組み立てられない。


 この男は、もう二月近く、その行き止まりの壁を探りつづけている。


(――あん御方に、直に伺うてみたか)


 座に据えた当人が、御上洛をどう考えているのか。それが分かれば、京での段取りは半分決まる。


 ただし、その筋が無い。


 無位無官の身が、将軍後見職への面談を願い出る道など、この国のどこにも用意されていなかった。


二

 同じころ、松平春嶽は市中の書き付けの束を供に抱えさせて、大廊下の前を通りかかった。


 政事総裁職の御用として、日ごとの風説、両替商の動き、荷の出入りを一括して回させている。集まってくる紙の量は膝の高さを越え、福井藩邸へ運ぶだけで一日仕事になっていた。


 その足が、大廊下の前で止まる。


 薩摩の国父が坐っていた。


 春嶽は、この男と一度も会っていない。


 文だけは受け取っている。文月半ば、諸藩へ出した参勤の照会に、薩摩から返ってきた一通があった。読んだときのことは、よく覚えている。だが、いまは思い出さなかった。


 思い出しても、今日の役には立たない。


「――薩摩殿」


 久光が顔を上げる。


「一度、そなたと話してみたかった」


 春嶽の口調には、含みが一分もなかった。政事総裁職としてでも、越前松平家の当主としてでもない。三十半ばの男が、二つ年上の男へ、思いついたことをそのまま口にしている。


 久光は、しばらくその顔を見ていた。


 越前中将という人の名は、京にいたころから幾度も聞いている。安政の年に幕府へ真っ向から逆らい、それでも罰を免れた男。四年のあいだ江戸城から呼ばれず、それでも国元へ引き返さなかった男。


 その男が、何の駆け引きもなく、こちらへ声をかけてきた。


 見てから、膝を進めた。


「――こちらこそ、願うてもなかことにござりもす」


 春嶽は、その返事の速さに少し驚いた。


 この人物について、江戸へ入ってからの噂しか聞いていない。老中を怒鳴りつけた、門前に千の兵を敷いた、無位無官の身で勅使を護って下ってきた――話の中の島津久光は、いつも大声を出すか、腕を組んで睨んでいる。


 だが、目の前にいるのは違った。


 背は高いが痩せている。坐り方に隙がなく、声もむしろ低い。作法の隅々まで気を配る者の姿であって、押し込んできた者のそれではなかった。


 春嶽は、そこで廊下の向こうへ目をやった。


 将軍後見職が、まだ遠くへ行っていない。廊下の折れ際で、供の者に何か言いつけているところであった。


「一橋殿」


 声が届いて、慶喜が振り返る。


「薩摩殿と、少し話しませぬか」


 慶喜は、しばらくそのままの姿勢でいた。


 やがて供の者に何か短く言い、こちらへ歩いてくる。


 断ることもできたはずである。将軍後見職が政事総裁職の誘いを受けねばならぬ理屈は、どこにも無い。まして相手は無位無官の外様であって、公の場ですらない廊下での立ち話から始まった誘いであった。


 足を止めた理由は、この場の誰にも分からなかった。


  *


 三人が入ったのは、政事総裁職の用に充てられている一室であった。


 老中の御用部屋ではない。白書院でもない。もとは何に使われていたのかも判然としない十畳ほどの部屋で、春嶽が登城の折に書き付けを広げるために宛てがわれたものである。


 議の場ではないから、書き役は入らない。


 茶が三つ運ばれてきて、運んできた坊主が退がると、それきり誰も入ってこなかった。


 この日、この部屋で何が話されたかを、書き留めた者は一人もいない。


三

 床の間には、何も掛かっていなかった。


 庭に面した障子は半分だけ開けてある。そこから見えるのは石と苔ばかりの狭い庭で、隅に萩が一株だけ植わっており、盛りを過ぎた花が枝先で乾きかけていた。


 坐り方は、作法どおりであった。上座に慶喜、次に春嶽、下座に久光。誰もそれに不満を持たず、久光自身、下座に坐ることを一分も気にしていない。久光は、己が形を守ることで切り抜けてきた場面を幾つも知っていた。


 最初の四半刻は、当たり障りのない話に費やされた。


 道中のこと。

 国元のこと。

 江戸の暑さのこと。


 春嶽が話を運び、久光がそれに応じ、慶喜は聞き役に回っていた。


 この後見職は、人の話をよく聞く。相槌は少ないが、目が動く。話し手の顔から目を離さず、区切りのところで小さくうなずく。聞かれている側は、それだけで自分の話が届いていると感じる。


 国元の暑さの話をしているあいだ、久光は三度ほど笑った。


 鹿児島の夏は江戸よりよほど堪えるという話から、桜島の灰が井戸に落ちる話になり、そこから水の味の話へ流れた。慶喜は、灰の落ちた水をどうやって使うのかを、細かいところまで訊いてきた。


 訊き方に、外様の暮らしを珍しがる調子は無かった。


 春嶽は、慶喜のそういうところを知っていた。だが、それが同意を意味するとは限らないことも、よく分かっていた。


 茶が二服目に替わったところで、久光が膝を進めた。


「後見職様。恐れながら、一つ伺いたきことがござりもす」


「――何なりと」


 久光の話し方は、静かであった。


 この男には、詰め寄る調子がない。二月半前、幕府の門を千の兵で押し開けたときも、自分の口から脅しの言葉は一度も出していない。脅すのは大久保の役目だった。この人は最後に出てきて、作法どおりに頭を下げるだけである。


「御上洛の儀にござりもす」


 慶喜の目が、そこで初めて久光の顔から離れて、庭のほうへ一度だけ動いた。


 動いて、また戻った。


「勅は、朝廷より下りもした。朝廷の御意を体するのが、幕府の御務めにござりもす。……三条のうちに、御上洛の一条は入っておりもはん。されど、禁じられてもおりもはん」


 久光は、そこで一度、言葉を切った。


「勅使様御自身が、まだ出ておらぬだけであると仰せられもした。儀は別途の御沙汰をもって定むるが筋であると。……であれば、その御沙汰を頂戴する道は、まだ塞がっておりもはん」


 春嶽の指が、湯呑みの縁で一度止まった。


 その理屈は、麻布の寺から出たものだった。勅使が薩摩へ返した一句が、二月のあいだに薩摩の足場となり、いまこの部屋で使われている。春嶽は、その経緯を知らない。ただ、理屈だけを聞けば、筋が通っていた。


「二百三十年、将軍家は京へ上っておられもはん」


 久光の声には、力みが無かった。


「上らぬまま、朝廷と幕府は互いを遠くから見てこられもした。遠くから見ておりますと、同じ言葉でも、いつのまにか意味が変わりもす。京で申す御国のためと、江戸で申す御国のためが、別のものになっちょる」


 この食い違いを、久光は京で幾度も見てきた。堂上の口から出る「攘夷」と、江戸の役人が口にするそれとは、指しているものが違う。京で異国を追い払えと言うとき、その念頭にあるのは、御門の御膝元へ夷狄を近づけぬこと。それより先の絵はない。


 江戸で同じ言葉を使うときは、条約をどう繰り延べるかという算段を指している。言葉は同じでも、見ているものが違う。


 そのために、双方とも相手の言葉を理解できていなかった。


「将軍家が京へ上られれば、公武の間は一つになりもす。一つになった形を、天下に見せることができもす」


「そして、異国のことにござりもす」


 三段目に入るとき、久光は初めてわずかに身を乗り出した。


「外様の家が、幾つも独自に異国と掛け合いを始めておりもす。船を買い、砲を買い、値も条件もばらばらにござりもす。……このまま参れば、いずれ藩どうしが異国の後ろ盾を求めて競り合いもす」


 春嶽の目が、そこで動いた。


 同じことを、この人は横井小楠から幾度も聞いている。窓口を一つにせねば値が乱れ、条件が乱れ、しまいには国が割れる――そう言い続けてきた男が、いま福井藩邸で書き物をしている。


「異国に対するに、国が二つに割れておっては立ち行きもはん。それを止めうるのは、公武が一つになった形だけにござりもす」


 慶喜は、一度も口を挟まなかった。


(――言い分は、揃うておる)


 この男の頭には、久光が話しはじめた時点ですでに答えができていた。それでも口を開かなかった。話を聞き終える前に答えれば、相手の言葉を聞いていないことになる。それでは、返す言葉の重みまで失われる。


 順序も、根拠も、結論も、一分の隙がない。


 正しいものを、そうでないと言うことはできなかった。


 言えるのは、別のことだけである。


 春嶽は、二人の顔を交互に見ていた。


 この男が申していることは、自分が十年前から唱えてきたことと、根は同じだった。国の大事を幕府の内輪だけで決めるべきではない。諸国の力ある者を政の座へ加えねばならぬ――安政の年、その一事を唱えたために、この人は四年のあいだ江戸城から呼ばれなかった。


 春嶽は、そこで思考を止めた。


 先へ進めば、文月に受け取った一通を思い出す。今日は、そのことを考える必要がなかった。


 久光が、話を結んだ。


「――後見職様。御上洛の儀、後見職として、いかがお考えにござりもすか」


 久光は、そこで両手を膝へ戻した。


 言うべきことは、これで全部である。国元を出てから四月、京で組み、道中で練り、江戸で削ってきたものの、いちばん芯にある一つを、いま座に据えた当人へ直に置いた。


 部屋が、静かになった。


 障子の隙間から、乾きかけた萩の枝先が見えている。庭を掃く音も、廊下を渡る足音も、この部屋までは届いてこなかった。


四

 慶喜は、湯呑みを膝の前へ置いてから口をひらいた。


「――薩摩殿の申されるところ、余は一つも違わぬと存ずる」


 久光の眉が、わずかに動いた。


 同意から入られるとは思っていなかったのである。断られるにせよ受けられるにせよ、まずは何かしらの留保が付くものだと踏んでいた。


 そして慶喜は、久光の申し立てを、そのまま繰り返した。


 勅は朝廷から下ったものであり、朝廷の意を体するのが幕府の務めであること。御上洛の一条は三条には無いが、禁じられてもいないこと。二百三十年の隔たりが同じ言葉を別の意味に変えてきたこと。外様が独自に異国と掛け合いを始めており、放っておけば国が割れること。


 一つも落とさず、しかも久光より短くまとめた。


 久光の膝の上で、指が一度だけ動いた。


 こちらの言い分が、こちらの口から出たときより整って戻ってくる。それがどういうことかを、この男は分かっている。


 国元の評定にも、同じことをする者がいた。反対する前に、まず相手の言い分を相手より上手に述べてみせる。述べられた側は、そこで一度気持ちを緩める。緩んだところへ、次が来る。


「そのうえで、余は順の話をいたす」


 慶喜は、そこで背筋を伸ばした。


「勅の第一条に、こうある。――国事の重きものは、江戸城において諸藩を召して議せ、と」


「はい」


「将軍家の御上洛は、国事の重きものにござろうか」


 久光は、そこで答えねばならなかった。


「……重きものにござりもす」


「であれば、江戸城において議せねばならぬ」


 慶喜は、そこから淡々と手順を並べた。


 議するとなれば、公議式目に従う。二十日前までに議題を触れ知らせ、下調べの寄合を開く。書付を三通照らし合わせ、そのうえで本議に掛ける。


「順を踏めば、必ず議には掛かり申す」


 慶喜は、そこで一度言葉を置いた。


「――ただし、議に掛かることと、通ることは違い申す」


  *


(――余がこう申せば、余は何も断らずに済む)


 慶喜は、己の論理がどこまでも自分に都合よく出来ていることを熟知していた。ただ順を示して公議に委ねれば、断る悪役にならずに済む。通らなければ列座の判断であり、後見職の責任ではない。


 自分に必要なのは、力ずくで止める腕力ではない。


 そのことを承知したうえで、次に口にする言葉だけは、本心であった。


 慶喜は、そこで湯呑みを手に取った。


 取って、口をつけずに置いた。


「薩摩殿。……あの三条を書かれた御方は、なにゆえ江戸城において議せと書かれたと思われる」


 久光は、答えかねた。


 この問いを、久光は二月のあいだ、屋敷の座敷で幾度も自分に向けてきている。関白ではない。議奏でもない。伝奏でもない。近衛の家の名まで来て、そこから先へ進めなくなった。


 なぜ書かれたのかは、なおのこと分からない。


「……幕府に、政を返されたのであろうと存じもす」


 久光がそう答えたのは、それが最も素直な読みだからであった。


「余は、そうは読まぬ」


 慶喜は、庭のほうを向いていた。


「朝廷が、政の場を江戸に据え置くことを望んでおられるからだ」


  *


 部屋の空気が、そこで変わった。


 制度の話をしていたはずの座に、別の種類のものが持ち込まれたことを、春嶽は先に感じ取った。


 薩摩殿は、条と順と形の話をしている。それに対して、この後見職は人の話を始めた。外様の当主が制度を語り、御三卿が人の生き死にを語る。並びが逆さまであった。


「政が京へ移れば、朝廷は政争の外におられなくなり申す」


 慶喜の声は、少しも大きくならなかった。


「外におられなくなれば、どうなるか。……刃が向きまする。屋敷が焼かれまする。家名が潰れまする。誰かが辞官落飾し、誰かが蟄居し、その次の年には、その者を追い落とした側が同じ目に遭う」


「二百六十年、朝廷はそれを免れてこられた」


 慶喜は、そこで初めて久光のほうへ顔を戻した。


「免れてこられたのは、政に触れずにおられたからにござろう。触れねば、恨まれぬ。恨まれねば、斬られぬ」


「――将軍家が京へ上るということは、政の重みを京へ移すということになる」


 慶喜は、一段だけ声を落とした。


「重みが移れば、その下におられる御方々が潰れまする」


 久光は、返す言葉を持たなかった。


 理屈が、あまりにもよく通っていたからである。


 この男には、それを理解するだけの頭がある。京の堂上がどれほど脆いかを、この二月半、誰より近くで見てきた。無位無官の身でも参内を通せるような場所へ、政の重みまで移せば、支えきれる家がいくつあるか。


 そこで久光は、皐月、公家町のはずれで一蔵が会ってきた男をふと思い出した。二十年、誰の目にも入らずにいた堂上が、この一件を境に急に前へ出てきている。あの男がいま何をしているのか。久光は何も知らなかった。


「あの三条を書かれた御方は」


 慶喜は、そこで結んだ。


「――将軍を京へ上らせぬために、書いておられる」


 その読みは、結論だけを見れば正しかった。


 あの三条を書いた者は、確かに政の重心を江戸へ固定しようとしている。「国事の重きものは江戸城において議せ」という一句も、そのために置かれた。


 ただ、動機だけが違っていた。


 静謐のためではない。幕府自身に議の場を作らせ、年月をかけて、その場を別のものへ変えていくための一行だった。京を守るという発想は、あの座敷には一度もなかった。


 動機を取り違えたままでも、読みは結果として正しく働いた。


 春嶽は、この一言を聞きながら、別のことを考えていた。


 あの三条を書いた者が誰なのか、慶喜には分からない。それでも、その意図をここまで言い切れる者が幕府の内にいるとは思っていなかった。


しかも、言い切ったうえで、それを自分の都合には使っていない。少なくとも、そう見えた。


 久光の頭のなかで、返し方が幾つか浮かんでは消えていった。


 朝廷を担いできた家が、朝廷を守るという理屈に、何と返せばよいのか。京の御方々を政争に巻き込むなと言われて、では巻き込みますと答える道理はない。


 残っているのは、一つだけであった。


(――そいを申されるのなら、なぜ御自分が座に着かれた折には……)


 あのとき朝廷は、政に手を入れた。その道を開いたのは自分である。その結果として、いま目の前の男が上座に坐っている。


 それを口にすれば、話は貸し借りになる。


五

 久光の手が、膝の上で一度だけ握られた。


「後見職様。……なれど――」


「――両卿とも、そのあたりで」


 春嶽であった。


 この人は、笑いを含んだ調子で言った。


「帰国を控えられた御方を、長々と引き留めるものではござらぬ。薩摩殿には道中の支度もござろうし、一橋殿とて、この後に御用がおありのはずじゃ」


 誰も、それに逆らわなかった。


 逆らう余地がなかった、と言ったほうが正しい。座を開いたのは春嶽であり、開いた者が畳むと言えば、それで畳まれる。


「そもそも、話してみたいと申したのは某にござる。某が言い出した座で、某が畳ませていただく」


 春嶽は、そこで軽く頭を下げた。


「――御両所とも、今日はこれにて」


 形のうえでは、両方をたしなめている。


 実際に遮られたのは、久光の次の一言だけであった。


 あと一言重ねれば、久光は恩の話を始める。その瞬間から、薩摩の国父は貸しを取り立てに来た男になる。そうなれば、上座の男はこの先、生涯にわたって、久光を対等の相手とは見なくなる。


 春嶽は、それを国事の勘定として止めた。


 親切から出た言葉ではない。この人は、そもそも親切を理由に人を動かす男ではなかった。


 二人が完全に決裂すれば、これから作る仕組みが動かなくなる。個人の思惑など塵芥だが、動かなくなる仕組みはそうではない。


 久光は、遮られたことに気づかなかった。


 ただ、口を閉じた。


 言いかけた一言が何だったのか、自分でも分からない。言葉になる前に止められ、あとには喉の奥に名のつかない重さだけが残った。


 久光は、その重さを、この先も言葉にはしなかった。


 そして、手をついた。


「――よう分かりもした」


 久光は、深く頭を下げた。


 畳に額が触れるほどではないが、それに近い。無位無官の身で禁裏へ参内したときと、同じ深さであった。


 春嶽は、その角度を見ていた。


 この城で人が頭を下げるのは、たいてい格の差を示すためである。下げる深さは相手の位で決まり、位が決まっていれば迷うこともない。


 いま下げられた頭の深さは、位から来たものではなかった。


 この人は、負け方を知っている。


 水無月の末、麻布の寺で大原重徳に三度阻まれたときも、同じように下げて退がった。坂を下りながら一言も口をきかず、途中で一度だけ足を止めて江戸の空を見て、また歩き出した。


 通らなかったものを、この男は引きずらない。


 国元にいたころから、家中の者はそれを恐れていた。この御方は怒鳴らない。その代わり、一度退いたものを、次にどこから出してくるのか誰にも読めない。


引きずらないというのは、諦めることではない。日を置き、形を変え、別の場所からもう一度出す。皐月に京で参内を通したのも、そのやり方だった。


(――話せば分かる御方であった)


 慶喜は、下げられた頭を見ながら、そう受け取った。


 外様で、しかも兵を率いて門を押し開けてきた家である。理を並べても通じず、最後は声を荒げるのではないか――そう身構えていたぶん、この結末は意外だった。


 理を尽くせば、この御方は退く。


(――今日は、よく務まった)


 同意から入り、順を示し、そのうえで筋を通した。相手は納得して頭を下げた。声も荒れず、席も割れず、後に残るものも無い。


 将軍後見職として、正しく務めを果たした。


 この男は、そこで一度も自分を疑わなかった。


 疑う材料が、どこにも無かったからである。


 声は荒れなかった。座は割れなかった。相手は理を解し、礼を尽くして退がった。将軍後見職として振る舞ううえで、これ以上どう務めればよいのかが分からない。


 久光が下げた頭の深さがどこから来たものかを、この男は測ろうとしなかった。測る必要を感じなかったのである。


  *


 三人が立ち上がり、廊下へ出た。


 久光が先に去り、慶喜がそれに続いた。二人は最後まで、廊下で言葉を交わさなかった。


 廊下の折れ際で、久光が一度だけ振り返った。


 その先に、慶喜の姿はもうない。歩くのが速い男である。


 春嶽は、二人の背をしばらく見送った。


 萩の乾いた花が、廊下の縁まで飛んできている。


(――この御二方は、二度と同じ座には着かれぬ)


 その理由までは、考えなかった。


 それを考えるのは、直せると思っている者のやることである。


六

 薩摩藩上屋敷は、出立を二日後に控えて、荷でいっぱいになっていた。


 蔵はほとんど空になり、括られた木箱が庭の縁にまで積み上げられている。長屋の前では若い者が草鞋を編み直し、井戸端では女たちが最後の洗い物を片づけていた。芭蕉の葉はこの数日でさらに褪せ、縁のほうから茶に変わって、風が来るたびに乾いた音を立てる。


 昼を過ぎたころ、久光の駕籠が門を入ってきた。


 小松帯刀と大久保一蔵が、玄関先で迎えた。


 久光は、駕籠を降りてから、一言だけ告げた。


「後見職様と、話した」


 それきりであった。


 大久保が身を乗り出した。首尾はいかがにござりもしたか、と訊こうとしたのである。


 久光は、その問いを待たずに歩き出し、そのまま奥へ入っていった。


 大久保が、小松のほうを見た。


 訊かぬのか、という顔である。


 小松は、訊かなかった。


 この夏、小松は三度口にして、三度とも通らなかった。


 覚の第七条を報告し、朝敵の一条を諫言し、岩倉の名を出すなと懇願した。一度目は片方だけを持ち帰られ、二度目は決着せず、三度目は同意されたうえで、たぶんもう漏れている。


 四度目に使う言葉は、もうない。


 それでも困らなかった。


 言葉は、聞く用意のある相手にしか届かない。用意のない相手に、どれほど正しいことを申し上げても、通ったためしがなかった。


 国父様は、乗物を降りるまでに一度も外を見なかった。


 迎えに出た者にも目をくれず、大久保の問いを待たずに歩き出した。


 水無月の末、麻布の坂を下ったときは違った。あのとき、この御方は坂の途中で足を止め、曇り空の下に広がる江戸の甍を眺めていた。しばらくして歩き出したときには、何かを腹に据えた顔をしていた。


 今日は、その足が止まらなかった。


 通ったのなら、こうはならない。


 断られただけでもない。断られれば、この御方は必ず次の手を口にする。二月半、そうして幾度も戻ってこられた。


(――何か、別のこっが起きちょる)


 小松は、玄関先に立ったまま、しばらく奥の廊下のほうを見ていた。


 大久保は、もう別のことに取りかかっている。荷の割り振りを持ってきた者を捕まえて、京での宿の順を確かめはじめていた。首尾を訊きそこねたことなど、この男の頭にはもう残っていない。


 訊けなかったのなら、訊かずに進める。それだけのことであった。


 小松は、その背中をしばらく見てから、自分の部屋へ戻った。庭には木箱が積み上がったままで、そのあいだを人が絶えず行き来している。二月半、音を立てぬことを守り抜いた屋敷が、この数日でずいぶん賑やかになっていた。


  *


 その夜、小松は自分の部屋で帳面を開いた。


 八行まで埋まっている。伏見のこと、参内のこと、取りなしの御方、覚の第七条、参勤、上洛の一条が無いこと、天璋院様の御返事、そして順のこと。


 九行目に何を置くべきか、しばらく考えた。


 筆を執らないまま、帳面を閉じた。国父様が乗物を降り、奥へ入るまでの十歩ほどを、どう記せばよいのか分からなかった。


 帳面を文箱へ戻し、立ち上がろうとして、小松はまた畳に手をついた。


 この夜も、そのまま半呼吸ほど動かずにいた。


 外では、若い者がまだ荷を括っている音がしていた。


七

 秋の日は傾くのが早い。


 一橋上屋敷の奥御殿では、夕七つを回るころにはもう池の面に暮れの色が兆しており、水面に浮いた葉の影が長く伸びていく。庭の虫は昼のうちから鳴きつづけていて、この数日、蝉の声は一つも聞こえない。縁側の障子は上げてあるが、そこから入ってくる風はもう冷たく、葵は膝掛けを一枚出そうかどうか迷っている。


 水無瀬実光が麻布から上がってきたのは、その時分であった。


 この日の用件は、勅使宿舎の畳み方の続きである。


 大原様の御帰洛の日取り、道中の格、警固の付け方、寺への挨拶の順。下るときは勅使であったが、戻るときは務めを終えた者になる。その差を幕府の書き役に分からせるだけで、実光はこの数日を費やしてきた。


 糸子は、いつも通り短く受けた。


「おおきに。それでよろしゅうございます」


 報告を終えて、実光は少しだけ間を置いた。


「――薩摩の御屋敷から、妙な話が回っておるようにござります」


「妙な話でござりますか?」


「本日、大原様のもとへ薩摩の留守居役が挨拶に参りましてございます。その折に、供の者が漏らしておりました」


 実光は、そこで一度、言葉を選んだ。


「国父殿が、本日、御登城なされましたそうにござります。そこで一橋殿と、何かお話をなされたと。……それきり、ひどく口数がお減りになったと」


「中身は?」


「分かりませぬ」


 実光は、素直にそう答えた。


「留守居役の者も知らぬ様子にござりました。国父殿は、お戻りになってから、どなたにも何も仰せられておらぬとか」


 糸子は、それについて何も言わなかった。


 湯呑みを両手で包んだまま、庭のほうを向いている。


 実光は、いつもより長くその姿勢が続くことに気づいたが、理由を測ろうとはしなかった。この方が黙っておられるときは、たいてい何かを数えておられる。数え終わるまで、こちらの出る幕はない。


 ただ、一つだけ引っかかったことがある。


 国父殿と一橋殿が同じ座敷で話をなされたと申し上げても、この方は驚かれなかった。いつ、どこで、という問いすら返ってこない。


 実光は、その静けさの意味を測りかねたまま、湯呑みへ手を伸ばした。


  *


 日が落ちてしばらくして、勝麟太郎が縁側から顔を出した。


 この男は、いつも通り案内より先に来る。


「姫様。今日、城で妙なことがあったそうで」


 同じ言葉が、この日二度目であった。


 勝は、腰を下ろすなり話しはじめた。


「越前様が、薩摩の国父様を誘われたそうでしてね。そこへ後見職様も呼んで、三人でしばらく話をなされた。……場所が妙でさ。御用部屋でも白書院でもねえ、越前様が書き物に使ってなさる小部屋だそうで」


「書き役は?」


「入っておりません。記録も無えそうです」


 勝は、そこで肩をすくめた。


「ですから、中身は誰も知らねえ。おいらが聞いたのは、一橋の御屋敷の者からでしてね。後見職様は、ことのほか丁重に応対なされたそうで」


「丁重に?」


「はい。えらくご機嫌がよろしかったとか。お戻りになってから、供の者にまでいつもより言葉が多かったそうでさ」


 勝は、そこで首を傾げてみせた。


「妙な話でございましょう。片方はご機嫌で、片方は口をきかねえ。……喧嘩をなさったんなら、両方とも荒れてるはずでさ」


 糸子は、二枚の紙を出さなかった。


 いつもなら、こういうときは文机の前へ行く。報告を並べ、脇に控えを置き、順に突き合わせる。京にいたころからの癖であり、この夏じゅう、そうやって幾人もの人間を測ってきた。


 この日は、坐ったまま動かなかった。


 丁重に応対した側と、口数が減った側。


 この二つが並んだ時点で、答えは出ている。


 丁重にされて口数が減るというのは、断られたということである。しかも、断り方に非の打ちどころが無かったということであった。非があれば、人は怒る。怒れば、口数は減らない。むしろ増える。


 そこまでは、勘定で届いた。


 その先で、足が止まった。


 断られたのなら、何を退けられたのかが要る。こちらから断ったのなら、その理由が要る。そこが分からぬ限り、次の手は組めない。


 記録の残らぬ部屋を選んだのは、越前であろう。あの御方は、話が形になる前に、形を与えぬことの効き目を知っている。


 勝が、湯呑みを置いてから言った。


「あの御二方は、たぶん、合いませんぜ」


 糸子は、それに答えなかった。


 答えないまま、この男が帰り支度を始めるのを見ていた。


 この人が「たぶん」と言うときは、たいてい当たっている。当たっていることを、当たっていると言い切らないだけである。


 勝は、いつもの通り縁側から庭へ降り、木戸のほうへ歩いていった。その背中が暗がりに紛れるまで、糸子は目で追っていた。


八

 勝が帰り、葵が灯を入れて下がったあと、座敷には虫の音だけが残った。


 庭は完全に暗くなっている。池の位置も木立の輪郭も、灯の届かぬところでは輪郭を失って、ただ黒い塊として沈んでいた。土と水の匂いが、風が通るたびに上がってくる。


 糸子は、文机の前へは行かなかった。


 縁側に近いところに坐ったまま、膝の上で手を組んでいる。


『この二人が対立することを、この身は知っていた』


 前世で読んだ本に書いてあった。


 文久の改革において、薩摩と一橋は方針を異にした。両者の対立は翌年の京でさらに深まり、共に坐った会議を崩壊させた――おおよそ、そういう趣旨である。


 覚えているのは、そこに何が書いてあったかのほうであった。


 方針の相違。

 利害の衝突。

 情勢の推移。


 読んだときは、それで足りていた。むしろ、よく整理されていると思ったくらいである。原因があり、経過があり、結果がある。歴史の本とは、そういう順序で並べるものだからだ。


 そこには、『馬が合わなかった』とは書いていなかった。


 糸子は、そのことに、この夜はじめて気づいた。


 書けなかったのである。


 書物というものは、結果を知っている者が、そこへ至る理由を後から並べたものだ。だから、並べられる理由しか残らない。


 二人の男が同じ座敷に坐り、どちらも正しいことを言った。それでも話が噛み合わなかった――そんな一日を、書物はうまく扱えない。


「なぜ対立したのか」と問われて、「虫が好かなかったからだ」と答える者はいない。そんな理由では、本にならない。だから書かれない。


 そして書かれなかったものは、後から読む者にとって、初めから存在しなかったことになる。


 なぜ、勘定に入れていなかったのか。


 方針の違いなら、扱える。


 それならば、紙に書けるからである。


 紙の上の条件ならば、いくらでも手を入れられる。条文を工夫し、順序を組み替え、双方の顔が立つ形を作る。譲れる線を先に見つけ、その線で整えた紙を、それぞれの名で出させる。


 買い付けとは、まさにそういう仕事だった。取引先が二つあり、どちらも譲らない。それでも品は動かさねばならない。糸子は、そうした場を何百回もくぐってきた。


 だが、今度のは違った。


 慶喜は、己を座に据えた久光の願いを、一分の非も無く綺麗に断ってみせた。恩を返さなかったのではない。


 恩人という立場そのものを最初から使わせず、糸子が敷いた「順」を使い、糸子が拵えた「座」の上で、久光を美しく退けたのだ。恩という一本の糸を、痛みのないよう丁寧に外して。


 紙の上では決して測れぬ毒が、あの御方にはある。


 糸子は、そこで感慨を持たなかった。


 持ったのは、勘定である。


 仕入れの読みが外れたとき、商人はまず損を数える。勉強になったと言うのは、損を数え終えて、なお余裕のある者だけであった。


(……わたくしの持っております材料には、これが載っておりませんでした)


 材料にないものが盤の上で動いたということは、この先も同じことが起こりうるということだった。どこで起きるかは分からない。見えていないものは、探しようがない。


 この三年、先へ回れたのは、どこに何があるかを知っていたからである。だが、知っていたのは道の形だけだった。その道を誰が歩き、誰と並び、どこで足を止めたかまでは知らない。


 地図を持っているつもりでいた。


 地図にあるのは道だけだ。その上ですれ違った二人が、どちらから先に目を逸らしたかまでは、どこにも書かれていない。


  *


 前世にも、こういう組み合わせがあった。


 どちらも有能で、どちらも正しい。しかも、互いを見下している。同じ場に入れれば、必ず話が止まった。そのあとも、どちらにも非がないから、直しようがない。


 明確な非がある者がいるなら、まだ楽だった。詫びさせればいい。外せばいい。だが、誰も悪くない場をどう直すかは、最後まで分からなかった。


 だから予定を組むときは、二人を同じ場に入れない。日を分け、場を分け、どうしても同席が必要なら、間に三人目を置く。それが一番早く、一番安かった。


 直そうとした者もいた。「話せば分かる」と二人を同じ卓に着かせ、結果は毎度同じで一日が潰れた。


(……そういう人、いましたね)


  *


 同じ座敷へ入れたのは、この身である。


 大廊下に薩摩の座を作ったのは、式目だった。政事総裁職が大廊下に控える以上、同じ議に加わる者を大広間に留めておく理屈が立たない――そう転がるように書いたのは、自分だった。


 席次の整理として処理され、書き役が名簿を書き改めただけの一件が、今日、二人を同じ屋根の下へ立たせた。


 この配置がなければ、二人は最後まで顔を合わせなかったかもしれない。


 そうなれば、翌年の京も、少し違うものになっていたのだろうか。


 そこまで考えて、糸子はやめた。


 起こらなかったことを数える術は、この身にもない。


 人は、起きたことだけを拾い、あとから順序をつける。そうして出来上がったものを、後の者が読む。そこに書かれたものが、すべてだったと思う。


 この身も、かつてはそうしていた。


 糸子は、そこで溜息をついた。


 江戸へ来てから、二度目であった。


 吉田松陰以来である。


 恐れでも、怒りでもない。


『面倒くさい』と正直にそう思った。


九

 灯は一つきりで、その明かりは畳の半分ほどまでしか届いていない。


 庭からは、水と土の匂いが上がってくる。池の向こうの木立の先に、表御殿の棟が黒く伏せており、そこには、いつもの通り灯が一つ点いていた。


 糸子は、庭のほうを向いたまま坐っている。


 紙で足りぬ相手なら、いずれ直に会うしかないのだから。


 壁際の棚には文箱が置かれている。葉月六日の夜に納めた一通が、まだそのまま入っていた。糸子はそちらへ目を向けなかった。開くことも、書き直すこともしない。出す日は、変わらない。


 障子を閉てる前に、糸子はもう一度だけ庭の向こうを見た。灯がわずかに揺れた。誰かが部屋を横切ったのであろう。


 盤の上で動いた駒は、もうこちらを見ていない。


 虫の音が、いちだんと濃くなった。


 糸子は障子を閉て、灯を落とした。


 それきり、闇のなかへ沈んでいった。


 第百七十七話 了

最近、政治パートばかり書いているせいか…内容が全くライトノベルではないような気がする……


そう感じるのは私だけでしょうか? ε-(;-ω-`A)


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― 新着の感想 ―
混ぜるな危険…
十分ライトノベルかと思います。 銀英伝や幼女戦記が、ライトノベル扱いなので、このお話しもライトノベル(軽く読めて面白い小説ジャンル)と言えますね。 政治や経済が絡む話となると、拓銀令嬢を思い出します…
毎話楽しみにしております。 本作品が好きです。 特に人を読むのが面白いですね。 類似した作風は他で拝見したことがないように思います。
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