第百七十六話「将軍後見編―率兵」
一
葉月九日の朝、江戸城の廊下は、板の冷えが足の裏に伝わるほどになっていた。
文月の終わりまで踏むたびに鈍い温みを返していた板が、十日あまりで別のもののように冷たい。庭から聞こえるのも蝉ではない。草むらの奥で、細い虫の音が途切れず続いている。中庭の隅には、七夕に立てた竹の、枯れ色に変わった切り口の痕が薄く残っていた。
大久保一蔵は、その廊下を御用部屋のほうへ歩いていた。
登城の名目は、国父様より建言を差し上げる件についての内々の伺いである。文を出す前に、受け取る側の都合を確かめておく。江戸へ入って以来、大久保はそれを幾度も繰り返してきた。
来たばかりのころは違った。薩摩の使いは老中の屋敷へ直に押しかけ、返答を渋る相手を睨みつけて座に着かせた。
いまは、そうしない。勅が下り、職が置かれ、式目まで触れ出された。ここまで形が変われば、押しかけるというやり方も、もう古い。
懐に入れてきたのは、二十余ヶ条の目録だけである。
本文は屋敷に置いてきた。
参勤、海防、兵制、異国との掛け合い、諸藩の議、そして都のこと。久光と二人で削っては足し、足しては削りを繰り返してきた。条の順序を組み替えた回数だけでも十を下らない。
差し出す先は老中首座である。日取りさえ決まれば、あとは形を整えるだけだと、大久保は踏んでいた。
*
通されたのは、御用部屋の前の小部屋であった。
応対に出てきたのは老中でも若年寄でもなく、御用部屋付の書き役だった。三十そこそこ、顎の細い、いかにも紙ばかり扱ってきたような男である。
大久保の格では、この日はそこまでしか通らなかった。それでも、応対は驚くほど丁重だった。
薩摩の名を聞いても顔色を変えず、下座へ回って両手をつき、「御足労にござります」と述べる。それから用向きを最後まで遮らずに聞いた。二月前なら、同じ役の者は薩摩と聞いただけで青くなり、口上の途中で言葉を詰まらせていたはずだ。城の内で薩摩の扱いがどれほど変わったかを、大久保はこの一事で知った。
もはや、恐れられてはいない。
「――国父様の御建言、二十余ヶ条にござりもす。参勤のこと、海防のこと、兵器のこと、異国との掛け合いのこと。いずれも、御公儀のためを思うて練りましたもんにござりもす。差し上ぐる日取りを、御相談申し上げたか」
下役はうなずいた。
それから、少し困ったような顔をした。言いにくいことを伝えねばならないらしく、嘲る気配は一分もない。
「……薩摩様。恐れながら申し上げまする。その儀は、既に朝廷より下っております」
大久保の指が、膝の上で止まった。
「何が、でございもすか」
「参勤のことは、御沙汰の覚の第一条にござります。供の員数に上限を定め、江戸屋敷の御用金と手伝普請を減ずべし、と。海防の費目は第二条に、参勤にて軽くなりたる分は海防の備えに充つべしと。異国との掛け合いは第四条に、幕府一手にこれを扱うと。兵器の買い入れは第五条に、値を一つに定むるため定めたる会所を通すべしと」
下役は、そらんじていた。
この男は、毎日この紙に向かっている。意味を測る役ではない。その代わり、文言なら骨まで覚えている。
「諸藩の議のことは、先だって下りました十五条にござります。列座のこと、議長のこと、議題を触れ知らす日数のこと、書付の記し方のこと。……いずれも、こちらで承っておりまする。写しは、薩摩様の御屋敷へもお回しいたしました」
大久保は、ひとつ息を吸ってから、深く頭を下げた。
「――よう分かりもした。御手数をかけもした」
下役は恐縮したように何度も頭を下げ、廊下の途中まで見送りに出てきた。最後まで悪気はない。それどころか、薩摩の名代に丁寧に応対できたことを、今日の帳面のどこかに記しておくつもりらしかった。
廊下へ出ると、大久保は歩き出した。
その頭のなかでは、もう次の頁が開いていた。
(――二十余ヶ条は、捨つる)
悔しいという気は、不思議なほど湧かなかった。一月半かけたものが一言で潰れたところで、古いものを抱えて歩けば足が遅くなるだけである。
惜しむ暇があれば次を打て――久光の口癖であり、大久保自身の骨でもあった。捨てたあとに何が残るかを、大久保は歩きながら数え直した。こちらが言おうとしたことは、ほとんど先に紙へ置かれ、世へ出ている。残っているのは、ただ一つだった。
将軍の御上洛。
勅にも、覚にも、十五条にもない。だからこそ、まだ誰の手にも渡っていない。
(――京へ戻る。戻って、そいを取っど)
絵図は、廊下を三十歩も歩かぬうちに組み上がっていた。
曲がり角で、大久保は一度だけ足を止めた。
悔しさのためではない。勘定の合わぬものが、一つ出てきたからである。
あの下役が並べた条々は、こちらが練ってきた二十余ヶ条と、順序までよく似ていた。同じ国の同じ時勢を見ている者同士なら、内容が重なること自体は不思議ではない。だが、あの紙はどれも、こちらが書き上げるより先に江戸へ届いていた。
(……なして、あん紙は、こげん我らの企てと似ちょっとか)
似ているのではない。
順が、常に一つ先を行っている。
大久保は、その問いを頭の隅に留めた。この日は、それ以上追わなかった。材料が足りぬうちに騒げば、本当に騒ぐべきときに誰も耳を貸さなくなる。そう腹に決め、何事もなかったように再び歩き出した。
中之門を抜けるころには、日はもう高く昇っていた。
二
同じ日の午後、城の西寄りにある右筆の詰所には、紙と墨と糊の匂いが重く澱んでいた。
この一角は書き役の部屋が並ぶだけで、格も高くなければ普請も古い。障子は開け放たれているが風は通らず、机には清書を待つ紙が幾山も積まれている。廊下には括った書付の束が置かれ、下役が二人がかりで抱え上げ、黙々と運んでいった。
水無瀬実光は、その詰所の隅で、若い右筆と向かい合って坐っていた。
用向きは、式目の写しの体裁についてである。朝廷へ納める分と諸藩へ回す分では、料紙も表書きも改める。その形が先例に適っているかを、有職の側から確かめるのが実光の役目だった。
話は半刻ほどで済んだ。
終わると、若い右筆はようやく肩の力が抜けたような顔で茶を勧めてきた。実光がこの城へ出入りするようになって一月余り、公家の装束を見ただけで身構える者も、そろそろ減ってきている。
雑談のあいだ、右筆は机の上の紙を無意識に指で押さえていた。
押さえたまま、思い出したように言う。
「……薩摩様が、お発ちになるそうにござります」
実光は、茶碗から顔を上げた。
「発たれる…と申されますと」
「御帰国にござります。道中の触れが、こちらへ回って参りましたゆえ」
右筆は、その一枚を少しだけこちらへ向けた。
千人の行列を東海道で動かすとなれば、宿の割り振り、渡し場の段取り、人足の手配まで、決めることは幾らでもある。関わる宿場と代官所の数を考えれば、二十日前には幕府へ書付を回さねば、どうやっても間に合わない。
その書付が、既に来ていた。
「日取りは」
「葉月二十一日と、承ってござります」
*
実光は、それを聞き流しかけた。だが、耳に残った。
薩摩が江戸を発つということは、この夏がひとまず閉じるということでもある。麻布の寺も、いずれ畳まれる。大原様が京へ戻られれば、勅使に随いてきた自分の役目も、そこで一度は終わる。
その先、自分がどこに置かれるのかを、実光はまだ聞かされていなかった。
詰所を出て、実光は長い廊下を戻っていった。
城の内は、この日も静かだった。式目はすでに触れ出され、書き役の詰所では次の議題を諸藩へ知らせる触れの下書きが始まっている。「二十日前までに触れ知らすべし」という条にも、いまのところ律儀に従っていた。
薩摩の兵の刀は、この夏、一度も抜かれなかった。それでも、この城の形は変わっている。
去ったあとに残るのは、薩摩が運んできた紙だけだ。
実光は歩きながら一度だけそう考え、そこで思考を切った。続ければ、必ずその紙を書いた者のところへ行き着く。そして、その先に自分が坐っていることを、この男は誰よりよく知っていた。
三
葉月十日の午後、大名小路の薩摩藩上屋敷は、この夏じゅう保ってきた静けさを、少しずつ手放しはじめていた。
兵は相変わらず門から出ない。町では一銭も使わない。屋敷の内で声を張り上げる者もいない。ただ、蔵のあたりだけが、この数日で明らかに動いていた。荷を括る縄の軋み、木箱を積み上げるときの鈍い音、荷札を書きつける筆の走る音。座敷まで届くほどの騒がしさではないが、耳を澄ませば必ず何かが鳴っている。
庭の芭蕉は、葉の縁のほうから褪せはじめていた。
小松帯刀は、自分の部屋で、死んだ草稿を一人で片づけていた。
二十余ヶ条は、昨日の夕刻に終わっている。城から戻った大久保が、廊下ですれ違いざまに一言告げただけであった。
「出さん。捨つっ」
それきりで、この屋敷では誰も振り返らなかった。惜しむ暇があれば次の手を打て――それがこの家の気風であり、小松自身、そのなかで育っている。
片づけながら、この男は一条ずつ目を通していった。
癖である。捨てる前に一度読むというのは、二十年、藩の文書に向き合ってきた者の指がそうさせるのであって、感傷とは違う。
そして、途中で手が止まった。
小松は、草稿を畳の上へ広げ直し、その脇に三枚を並べた。
勅の写し。覚の写し。そして、先だって回ってきた十五条の写しである。
一条目から、突き合わせていった。
我らが書こうとした条々は、ことごとく先方の紙の上に並んでいた。しかも単に並んでいるのではない。供の員数の上限や手伝普請の軽減、海防への資金還流、会所を通じた兵器格定に至るまで、こちらが一行で済ませようとしていたものが、向こうでは数倍の精度で詰め切られている。
小松が息を詰めたのは、中身が同じであることに対してではなかった。
同じ国の同じ時勢を見ていれば、行き着く先が似ることはある。横井小楠という男が福井で何を書いているかは知らぬが、あの手の頭の持ち主が幾人か同じ結論に届いていたとしても、驚くには当たらない。
驚くべきは、順である。
(――我らの企てが、筆を執る前に置かれちょる)
一度なら、偶然で済ませられる。二度でも、まだ言い訳が立つ。
五つとなれば、別のものであった。
小松は、日を数えてみた。
覚が江戸城で読み上げられたのは水無月十七日であり、京で書かれたのは、どんなに遅く見積もっても皐月のうちである。そのころ薩摩は、まだ京から兵を動かす段取りに追われていた。二十余ヶ条の草稿など一行も書かれておらず、江戸へ入って腰を据え、幕府の出方を見ながら条を練りはじめたのは水無月の末であった。
書かれたほうが、こちらが考えはじめるより早い。
同じ絵を描いている者どうしであれば、先を越されることはあっても、こちらが考えはじめる前に書き終えられるということは起こらなかった。
小松は、帳面を開いた。七行まで書かれている。
筆を執り、八行目を加えた。
『――我らの求めたるもの、悉く先に書かれおり候。順、常に我らに先んず』
墨の乾くのを待ち、頭へ戻って八行を通して読んだ。
六行のころ、この七つの事柄は、それぞれ別の方角を向いているように見えていた。
いま八つ並べてみると、向いている方角のほうではなく、並ぶ順番のほうに形があった。
誰かがいる――それだけでは足りない。我らが動くより先に手を打ち、こちらが何を求めるかさえ、求める前に読んでいる者でなければ、この順は作れない。
輪郭は、この日も結ばなかった。
結ばなかったが、その場所そのものが、以前より一寸だけ小さくなっている。
筆を硯の縁へ置くのに、いつもより時がかかった。
たった一行を書いただけで、腕の付け根のあたりに錘を提げたような重さが残っていた。小松はそれを袖の下で二度ばかり揉んでから、帳面を閉じて文箱へ収めた。
蔵のほうで、木箱を下ろす音が一つ鳴った。
四
葉月十一日の午前、大久保一蔵の部屋には、物がほとんど無かった。
用の済んだ書付はその日のうちに捨てられ、机の上には今日使うものだけが出ている。壁際に文箱が二つ置かれているきりで、掛物も花も無い。同じ屋敷の内でも、紙の山に囲まれて暮らしている小松の部屋とは、まるで別の家のようであった。
その部屋へ、小松が入ってきた。
懐には、昨夜の帳面が入っている。取り出すつもりは無かったが、置いてくることもできなかった。
小松は、順序のことを切り出した。
我らが書こうとしたことは、筆を執る前に、すでに紙になっている。参勤も、海防も、兵器も、異国のことも、諸藩の議も、すべて同じだった――と。
しかも先に出た条のほうが、こちらの草稿より一段深く詰められている――と。
大久保は、それを最後まで黙って聞いた。
聞き終えて、すぐに答えた。
「岩倉様じゃ」
小松が、顔を上げた。
大久保は、外形を並べはじめた。
この男の頭のなかには、皐月六日の京の一日が、そっくり残っている。公家町のはずれの狭い座敷で、床の間の掛物は古く、庭には石が二つ置かれているだけであった。出てきた男は公家らしい線の細さがまるでなく、袖から出た手首は、そのへんの藩士より武張って見えた。
「あん御方はな、こっちが頼みもせんうちに、御自分から条件を出しやった」
「条件、にごわすか」
「勅の文言の草案は、わたくしが作りまする――そげん言われた」
小松の指が、膝の上で止まった。
その一言を、小松は聞いていない。あの日、岩倉の門をくぐったのは大久保ひとりであった。
「朝議で読み上げやったとも、あん御方じゃ。二十年、だれの目んも入らんかったお方が、こん一件っで、朝廷ん顔いなっちょっ。家格は低が。低ちいうこっは、動きやすかちいうこっでもあっ」
大久保は、そこで一度だけ目を伏せた。
「文言など、誰が書いても同じじゃち思うちょった。人選と護衛さえ握れば、あとは形の話じゃち。……そいが、間違いじゃった」
この男は、自分の失点を隠さない。
隠して得になることが一つも無いからである。誤りを抱えたまま歩けば、次の一歩が必ず鈍る。認めてしまえば、その場から次が始まる。
そして大久保は、認めた次の息で、もう先を言った。
「京へ戻ったら、まず岩倉様のとこへ行っ」
「一蔵どん」
「あん御方が紙を握っちょるなら、握っちょる者と話すのが早か。上洛の一条は、まだ誰にも取られちょらん。次の紙に書かせればよか」
大久保は、そこまで言ってから、一つ付け加えた。
「そいに帯刀どん。あん御方は、旗を持ちたがっちょる」
「旗、にごわすか?」
「左府様が、そげん仰せられた。岩倉は旗を持ちたがる男じゃ、と。……旗を持ちたがる者は、持たせてくれる者につきもす。今度は朝廷が持たせた。次は、こっちが持たせればよか」
小松は、その運びの速さに、少しばかり気圧された。
この男は、間違っているかもしれぬものさえ、使える形に組み替えてしまう。土台が崩れたあとも、それはしばらく立ちつづける。厄介なのは、そのあいだに、たいてい何かが本当に動いてしまうことであった。
小松は、すぐには応じなかった。
この男の頭に浮かんでいたのは、帳面の一行目である。
伏見。
四十人が一晩のうちに押さえられたのは、卯月十二日であった。所司代の同心の数は、上洛に先立って薩摩が調べ上げてある。あの人数では、四十は押さえられない。
岩倉様が草案を作ると申し出たのは、皐月六日である。
順序が合わない。
しかも、家格の低い堂上に、伏見で四十人を押さえる手勢があろうはずがなかった。京の下級公家というのは、供の者を数えるにも指が余る暮らしをしている。
「一蔵どん。……伏見は、どげんなっと」
大久保が、一瞬だけ止まった。
止まって、答えた。
「所司代が働いたんじゃろ」
小松は、その答えを受け取り、それ以上は訊かなかった。
聞き出しても材料は増えない。それより、目の前の男が答えを返すまでに置いた間の短さが、妙に耳に残った。
速すぎた。
考えて答える者の間ではない。考えたくない者の間であった。
大久保自身は、そのことに気づいていない。皐月の京で、同じ問いを岩倉へ向けたときのことだ。返事が戻るまでの間を測り、相手もまた同じところで行き止まっていると見抜いたのは、大久保自身だった。
ただ、自分がいま同じ間を置いたことだけは、この男の帳面に載らなかった。
*
小松は、部屋を出てから、帳面を開き直した。
八行目の下に岩倉の名を書き足そうとして、筆を止めた。
名を入れれば、帳面は閉じる。中心が定まれば、あとは肉づけになる。それ以上を調べなくなる。これまでにも、名を得たことで見えなくなったものを、藩の内でいくつも見てきた。
だが今回は、名が分かっても帳面が閉じない。
そのことだけが、この日、小松帯刀に残された唯一の救いであり、これから一人で抱えていく重荷でもあった。
五
葉月十二日の午後、久光の座敷には、庭の音がそのまま入ってきていた。
この屋敷でいちばん庭に近い部屋であり、障子を開けておけば芭蕉の大きな葉が擦れ合う音が絶えず届く。風が渡るたびに葉が撓み、その影が障子の紙の上を横切っていく。蔵のほうで立っている物音は、庭木に遮られて、ここまでは上がってこなかった。
小松帯刀は、家老として報告に上がっていた。
膝の前に置いたのは、覚の写しである。
「国父様。覚の第七条につき、申し上げたきことがござりもす」
久光は、扇を膝に置いたままうなずいた。
脇には大久保が控えている。
『禁裏の警衛は、諸藩の当番をもって之に充つ。率兵の上洛は、朝廷の召しによる場合を除き、これを禁ず』
小松は、その一条をそらんじて読み上げた。
条があること自体は、水無月から分かっている。この男の帳面の四行目に、既に書き込んであった。率兵の上洛を禁ずる一行を、薩摩が自分の手で江戸まで運んできた――と。
今日申し上げるのは、そこではない。
「――朝廷の召しによる場合を除き、という一句にござりもす」
小松は、二つの読みを並べた。
並べる順は、前の晩に幾度も入れ替えて決めてある。
「一つ目にござりもす。朝廷が召されれば、我らはまた兵を率いて上れもす。禁じられておるのは、召しの無きときだけにござりもす。……道は、塞がっておりもはん」
久光の目が、そこで動いた。
大久保が、わずかに身を乗り出した。
この一行が読み上げられたとき、江戸城の御用部屋では酒井雅楽頭が膝を打つに近い動きをして、これで諸藩は同じ手を使えぬと喜んだと聞いている。ところが、そのとき膝を打った者こそ、条を最後まで読んでいなかったことになる。
「もう一つ、読みようがござりもす」
小松は少しだけ声を落とした。
「――誰が兵を京へ入れることを許されるか、それを『召しを出す者』が一手に握った、ということにござりもす」
座が、しばらく静かになった。
芭蕉の葉が一度大きく鳴って、それから止まった。
やがて久光が、深くうなずいた。
「……道は、あるちゅうことじゃな」
うなずいたのは、一つ目のほうであった。
大久保も、同じ側へ回った。この男の頭では、もう話が次へ進んでいる。朝廷の召しが要るなら、その筋をこちらで作ればよい。そこまで、一息に辿っているのだろう。
「国父様。京へ戻れば、そん筋を作りもす」
「うむ」
小松は、二つ目をもう一度は言わなかった。
言えば、報告ではなく意見になる。この日は、まだ報告の日だった。家老が主君の座敷で意見を述べるには、それ相応の形が要る。形を踏まずに口にすれば、本当に言うべきときの重みまで失う。
「――以上にござりもす」
小松は、写しを畳んで一礼した。
廊下へ出てから、この男は一度だけ足を止めた。
二つ並べて申し上げれば、どちらも同じ重さで受け取られると思っていた。だが、そうはならなかった。人は、二つ聞けば、欲しいほうだけを手元に残す。
もう一方は、小松ひとりの胸に残った。
(……召しを出さるる御方とは、どなたか)
御門ではない。あの御方は、差し出された紙をお受けになる立場である。
関白でもない。九条様は幕府の側に寄っておられて、そもそも兵を京へ入れる話に旨みが無い。
残るのは、紙を書く者であった。
そこまで届いて、この男の考えは止まった。
京にいたころ、藩の縁を辿れば、必ずどこかで人の名に行き当たった。この一件だけは、そこにあるはずの名がない。
名のない相手を、小松はこれまで探したことがなかった。
誰が誰を引き上げ、どの家からどの家へ人が出入りし、その者がいまどこに坐っているのか。若いころからそれを書き留めてきたおかげで、この国の縁は網のように頭のなかへ入っている。だが、網は掛かるものがあってこそ網になる。掛からぬものは、その目をすり抜けていく。
通り抜けたあとに、こちらの求めたものだけが先に書かれている。
庭では、芭蕉がまた鳴りはじめていた。
六
葉月十三日は、朝から風が強かった。
庭の芭蕉は絶えず葉を裏返し、障子を閉て切っても、紙の向こうで何かが擦れつづけている。そこへ、この日は蔵のあたりの気配まで重なった。荷を運ぶ足音、木箱を地面へ下ろす鈍い響き、荷札の束を抱えて走る若い者の草履。座敷の内と外が、この夏になって初めて、同じ気配を分け合っていた。
久光は、その座敷で、帰国後の絵図を語りはじめた。
「京へ戻る」
この男は、扇を膝の前へ置いた。
「戻って、朝廷へ江戸での首尾を御報告申し上ぐる。一橋様が座に着かれ、越前様が座に着かれ、御沙汰の通りに事が運んだこっを、こん目で見て参ったと申し上ぐる」
大久保が、頭を下げた。
「そんうえで、改めて御上洛の御沙汰をいただく」
久光の言い方には、迷いが一分も無かった。
上洛の一条は、削られたのではない。まだ出ていないだけである――麻布の寺で、勅使自身がそう仰せられた。御上洛は政ではなく儀である。だから勅の条に混ぜて下される例は乏しく、儀は別途の御沙汰で定めるのが筋だという。
久光は、それを朝廷の作法として受け取っていた。
作法なら、手順を踏めばよい。そうすれば、いずれ沙汰は下る。
「一蔵。京へ着いてからの段取りを、道中で詰めておけ」
「はっ」
大久保の返事は、速かった。
この男にとって、通ったものはそれで終わり、通らなかったものは次に求めればよい。振り返るという工程が、そもそもこの男の頭には組み込まれていない。
そのとき、小松が膝を進めた。
「――国父様。恐れながら、申し上げたきことがござりもす」
久光の目が、こちらへ向いた。
小松帯刀が主君に正面から否を申し上げるのは、江戸へ下ってから初めてであった。
「此度が通りましたのは、一度きりじゃったからにござりもす」
小松は、そこから始めた。
「無位無官の身での参内が通り、建白が容れられ、勅使様を護って江戸まで下り、幕府に人事を呑ませもした。……そいがなぜ通ったか。前に同じことをやった家が、一つも無かったからにござりもす」
「うむ」
「前例が無かゆえに、誰も止めようがなかった。止める形を、誰も持っちょらんかったからにござりもす」
久光は、否とは言わなかった。
この人は、自分が何を得て、何を取り損ねたかを数える男である。その勘定を人前に見せることは、生涯なかった。だが、胸の内ではいつも済ませている。
「二度目をやれば、形が出来もす」
小松は、そこで一段進めた。
「一度目は快挙にござりもす。二度目は、手口になりもす。……そう見られた瞬間から、薩摩は朝廷を操る家として天下に見られもす」
「操る…とな」
「はい。そうなれば、諸藩は薩摩の後ろに立ちもはん。立てば自分たちまで同じ目で見られるゆえ、一歩下がって遠巻きに眺めもす。今度、我らの後ろに幾つもの家が並んで見えたのは、我らが朝廷を担いだからではのうて、我らが朝廷に担がれたように見えたからにござりもす」
大久保の眉が、そこでわずかに動いた。
小松は、そのまま三段目へ入った。
入る前に、一度だけ息を継いだ。
「そして国父様。……率兵の上洛を禁ずる一条を、江戸まで運んで参ったのは、我らにござりもす」
座の空気が、そこで止まった。
覚の第七条――幕府を安心させたはずのあの一行が、いまや薩摩の首を絞める縄として立ち現れていた。
「我らが……その我らが、朝廷の召しを求めもす。そいが通れば、天下は何と申しもすか」
小松は、そこで顔を上げた。
「――召しを書かせたのも、薩摩じゃ…と。そうなれば、次に立つ言葉は一つしかござりもはん。……朝敵、にござります」
久光は、動かなかった。
大久保が、口をひらいた。
「帯刀どん」
「はい」
「そいは、まだ起きちょらんこっじゃ」
この男の声にも、力みは無かった。
「起きちょらんこっを恐れて手を止めれば、我らは何もできもはん。何もせん者には、最後に何も残りもはん。……動けば、確かに疑われもす。そんかわり、動いた事実は残る。動かんかった者には、それすら残りもはん」
小松は、答えなかった。
答えられなかったのは、この男の言い分もまた正しいからである。
そして大久保は、最も痛いところを突いた。
「帯刀どん。そん理屈でいけば、皐月に京へ上ったこっも、間違いじゃったことになっど」
小松の膝の上で、指が一度だけ動いた。
その通りであった。
あのとき兵を率いて京へ上ることに、この男は最後まで賛成しなかった。それでも供をし、江戸まで来て、実際に事が通るのを目の前で見た。それを見たあともなお同じことを言うのであれば、この男は、結果がどうであろうと考えを変えぬ男だということになる。
「……仰せの通りにござりもす」
小松は、そう答えた。
それでも引かなかった。
「なれど一蔵どん。一度目と二度目は、同じ賭けではごわはん。一度目は、誰も我らを見ちょらんかった。二度目は、天下が見ちょりもす」
久光は、二人のどちらも止めなかった。
この男が坐ったまま考えていたのは、二人の言い分ではない。
『上洛の一条が無いこと』――それだけであった。
水無月に控えと写しを並べて三度読んで以来、この一点は一寸も動いていない。理由が掴めねば、次に何をすれば通るのかも組み立てられない。
風が一度、強く庭を渡った。
芭蕉の葉が大きく揺れ、そのすぐあとに、蔵のほうで木箱を積み上げる音が続いた。
久光は、扇を取り上げた。
「……よか。今日はこいまでじゃ」
同じ言葉を、この男は水無月にも口にしている。言葉だけが、同じところに残っていた。
*
風が一度、強く庭を渡った。
芭蕉の葉が大きく鳴り、そのすぐあとに、蔵のほうで木箱を積み上げる音が続いた。
久光は、扇を取り上げた。
『今日はこいまでじゃ』
同じ言葉を、この男は水無月にも口にしている。
あのときも、勅の中身を誰が書いたのかというところで話が止まり、そのまま座を閉じた。それから二月近く。職は置かれ、式目は下り、帰国の支度まで始まっている。
言葉だけが、同じところに残っていた。
七
葉月十四日の夜、屋敷はすっかり静まっていたが、蔵のあたりにだけ、まだ灯が入っていた。
昼のうちに括りきれなかった荷を、若い者たちが数人がかりで積み直している。声は出さない。この屋敷では、夜に声を出すことが厳しく戒められていた。
大久保一蔵の部屋には、灯が二つ置かれていた。
机の上には、京への指図の下書きが幾枚か広げてある。
帰国の支度と併せて、この男は京での段取りを先に手配していた。
振り返らないということは、今日のうちに次の頁を開いておくことでもある。江戸を発ってから京へ着くまでに半月かかる。着いてから動き出したのでは、その半月が丸ごと死ぬ。
指図の中身は、三つであった。
一つ。留守居役に、朝廷筋の様子を集めておかせること。誰がどの座に出入りし、どの家がどちらへ寄っているか。
二つ。帰着ののち、まず岩倉具視様へ渡りをつけること。
三つ。そのための取次を、あらかじめ立てておくこと。近衛の御家を通せば確実だが、通せば近衛に借りができる。別の筋を探しておけ、と。
指図には、名が入っていた。
当然のことである。渡りをつける相手の名がなければ、受け取った者は動きようがない。
明朝、これは早飛脚へ渡る。飛脚が先行して京へ走り、留守居役へ届ける。そこから供の者の割り振りへ落とされ、誰がいつ京へ入り、どこへ回るかという表になって屋敷の内を回る。
藩の指図とは、そうして動くものだった。その経路を、大久保は一度も疑ったことがない。
無用心な質ではない。
薩摩の指図は、代々、外へ漏れぬよう作られてきた。国元と江戸と京のあいだで幾重にも人を替え、要のところは紙に残さず口伝とし、写しを取る者には全体を見せない。二百六十年、幕府に見られながら生きてきた藩だからこそ、そうした仕組みが積み上がったのである。
見られることには、慣れている。
だが、見る目が自分たちの側にしかない場合に、それがどう働くのか。大久保はまだ試したことがなかった。
廊下に足音がして、障子の手前で止まった。
「一蔵どん。よかか」
「入いやんせ」
小松帯刀が入ってきた。
この夜、この男は家老としては来ていなかった。
最初に口にしたのは、昨日の詫びである。
「昨日は、申し過ぎもした」
「気にすっこっじゃなか」
大久保は、筆を止めずにそう言った。
この男は、座敷で言い合ったことを外へ持ち出さない。持ち出せば仕事が滞る。滞らせるくらいなら、忘れてしまったほうが早い。
小松は、少しのあいだ黙って坐っていた。
「……横浜へやっちょった者が、今日、戻りもした」
大久保の筆が、一度だけ止まった。
異国の船を買う話は、この夏のあいだ、小松がひとりで動かしてきたものである。紙には何も残していない。値も、日取りも、先方の名も、大久保は一度として訊いていなかった。訊けば覚える。そうなれば、いつか口から出る。
「話は、流れもした」
「断られたわけではごわはん」
小松は、そう続けた。
「値で揉めたわけでも、船に難があったわけでもごわはん。……ただ、こん十日ばかりで、先方がこっちを向かんようになりもした」
「理由は?」
「分かりもはん」
大久保は、それきり訊かなかった。
分からぬものを二人で並べたところで、抱える荷が一つ増えるだけである。
小松は、膝の上で指を組み直した。
「国元でやりもす」
「国元で?」
「長崎から回して、鹿児島まで来てもらいもす。……自分の領内なら、誰にも横から手は出せもはん」
覚の第五条には『兵器の買い入れは定めたる会所を通すべし』と書いてある。その一条を東海道から江戸まで運んできたのは、薩摩の行列であった。
小松は、それを承知している。
国元でやるということは、領内の者たちに直接見られるということでもあった。
その一点を、この夜、二人とも数えなかった。
「一蔵どん。……一つだけ、頼みがごわす」
大久保が、そこで初めて筆を置いた。
『頼み』という言葉を、この男は小松の口から聞いたことがなかった。
「岩倉様の御名を、こん屋敷の外へ出さんでくいやんせ」
役職も、理屈も、その頼みには乗っていなかった。
家老が同輩へ申し渡しているのではない。ただ、一人の男が、もう一人の男に頼んでいる。
理由を、小松は短く言った。
「確かなこっは、まだ何もなか。名だけが先に歩けば、あん御方が背負う」
大久保は、あっさりとうなずいた。
「そら、そうじゃ。確かならんうちは、出さん」
嘘ではない。この男は、心底そのつもりでいた。
そして机の上には、名の入った指図が広げたままになっている。
小松は、それを見ていない。
礼を述べて立ち上がろうとした。
しかし、立てなかった。
膝を伸ばしかけたところで、右の腿から腰へ抜けるあたりが、砂を詰めたように動かない。小松は畳へ手をつき、半呼吸ほどそのままでいてから、ゆっくり立ち上がった。
大久保は書き物に目を落としたままで、気づかなかった。
廊下へ出て、小松は壁に手をついた。
この夏、幾度目かである。近ごろは膳が下がるころに食が止まり、夜は二度か三度、勝手に目が覚めるようになっていた。国元にいたころなら医者を呼んだであろうが、江戸へ来てからは呼んでいない。
誰にも、言っていない。
三度意見を述べて三度退けられたこの男が、誰にも知られず静かに耐え抜いているのは、その体の軋みだけであった。
蔵のほうの灯が、一つずつ落ちていった。
八
葉月十五日、薩摩藩上屋敷の蔵と長屋のあいだの空地は、朝から人で埋まっていた。
千人は、二月半のあいだ、この屋敷から一歩も出ていない。町では一銭も使わず、刀を抜いたこともなく、声を上げたこともなかった。江戸の者はその静けさをかえって不気味がり、大名小路の裏を通るときには足を速めるようになっていた。
彼らは、何も知らされていなかった。
何のために国元から連れてこられ、なぜ一度も使われず、何も変わらぬまま帰るのか。その筋道を兵に説明する習わしは、そもそもこの屋敷にはない。
一橋様が座に着かれたことも、越前様が座に着かれたことも、兵たちは知っている。江戸城の門前に千の列を敷いたあの日のことは、若い者が今でも国元への文に書いている。
それでも、自分たちが立っていたから通ったのだ――という気には、どうしてもなれなかった。
立っていた者には、押し返してくる手応えが要る。この夏、誰も押し返してこなかった。
*
葉月に入って、蔵が動きはじめた。
荷を括り、木箱を積み、荷札を書く。京までの道中の割り振りが上から回ってきて、それを写す者が長屋の板の間に膝を並べた。割り振りには、宿ごとの員数と、渡し場の順と、京へ入ってから誰がどこへ回るかまでが記されている。
写す仕事というのは、退屈である。
退屈な手を動かしているあいだ、人の口は勝手に動きはじめる。
その日の夕方、蔵の裏で荷を括っていた者たちが、何かを囁き合っていた。
二月半、この屋敷でそういう声が立ったことはない。翌朝には同じ声が長屋まで届き、その翌日には、割り振りを写す者の手元にまで回っていた。
悪意を抱いた者は、一人もいなかった。
悪意を抱くには、事情を知りすぎていなければならない。彼らには、そのための知識がなかった。
何も知らされず二月半を過ごした者に、名を一つだけ渡せば、その名が空白をすべて埋めてしまう。なぜ使われなかったのか。なぜ何も変わらなかったのか。なぜ手ぶらで帰るのか。問いはいくつもあった。だが、答えは一つで足りた。
日が落ちて、蔵の戸が閉められた。
閂の落ちる音が一つ鳴り、それきりで、屋敷はまた静かになった。
九
葉月十六日の午前、久光の座敷は、この数日でいちばん明るかった。
朝のうちに風が抜けて、庭の芭蕉は葉を立てたまま動かない。日は障子の下半分へ真っ直ぐに当たり、その白さが座敷の畳の目まで浮き上がらせていた。
三日が過ぎていた。
絵図は、決まっていない。
久光は、朝敵論も速攻論も、どちらも退けていない。つまり、まだ決めていなかった。
大久保と小松が呼ばれ、いつもの位置に控えた。
久光が口にしたのは、日取りであった。
「――葉月二十一日に、発つ」
理由は、筋が通っていた。
「京へ戻り、朝廷へ御報告申し上ぐる。江戸で見て参ったこっを、日を置かずにお伝えせねばならん。……道中に半月、京での支度に幾日か。日を数うれば、二十一日が頃合いじゃ」
誰も、反対しなかった。
その理由が、この座敷のどこにも無い。
*
その日付は、既に決まっていた。
道中の書付が江戸城へ回ったのは、文月の末である。宿の割り振りにも渡し場の順にも、「二十一日」という日が起点として記され、幕府の右筆は何の疑いもなく写していた。
それを回したのは、大久保であった。
回さねば間に合わなかった。それ以上の意味はない。国父様が日を決めるまで待っていては、いつ発つにしても支度が追いつかない。だから先に日を置き、上から沙汰が下りたところで合わせる。
江戸へ来てから、この男は何度もそうしてきた。
一橋様の御沙汰の日も、越前様の御沙汰の日も、下りてくる前におおよそ見当をつけている。そうしなければ、当日の供の割り振りも、国元へ立てる早飛脚の支度も間に合わない。政は、決まった瞬間に動き出すものではない。決まる前から動いていて、決まったところでようやく辻褄が合う。
辻褄を合わせるのが、この男の仕事であった。
大久保は、それを口にしなかった。
実務が決定に先んじるのは、この屋敷では日常である。分かりきった理屈を述べるのは、時を捨てるに等しかった。
小松ひとりが、そのことに気づいていた。
右筆の詰所へ道中の書付が回った時期なら、おおよその見当はつく。だが、それを口にするつもりはなかった。
(――国父様は、中身を決めきらんまま、日だけをお決めになった)
気づいたところで、申し上げる意味はない。
告げれば、国父様は、自分で決めたと思っていた日が、すでに誰かの手で置かれていたと知る。だが、知ったところで日程は変わらない。余計なことを知るだけで、この御方の腹に残るものが増える。
しかも、その日を置いたのは、国父様自身ではない。
*
座を立つとき、外から音がした。
蔵のあたりである。荷を積む音が、この日はいちだんと大きく、地面へ木箱を下ろすたびに座敷の畳まで細かく震えるようであった。
千人を、いつまでも江戸に置いてはおけない。
置けば米が要る。そうなれば銭が出る。二月半のあいだ町で一銭も使わなかったのは倹約のためでもあるが、使う余裕がなかったからでもある。それでも、居据わった兵は日を追うごとに安くなる。門前に立った最初の日と、二月半を過ごした今日とでは、幕府にとっての重さがまるで違っていた。
薩摩を江戸から動かしたのは、幕府でも朝廷でもなかった。滞留が長引けば、それだけで力は削がれていく。
久光は、しばらく庭のほうを向いていた。
上洛の一条は、まだ出ていない。
麻布の寺で、勅使自身がそう仰せられた。儀は別途の御沙汰をもって定めるのが筋であり、禁じられたのではなく、まだ下っていないのだと。
久光は、その言葉を疑っていない。
疑うには、まずあの紙を書いた者を突き止めねばならない。だが、その道は近衛の家の名の前で塞がっている。
芭蕉の葉は、動かなかった。
十
同じ日の夕刻、一橋上屋敷の奥御殿には、庭からの風がよく通っていた。
葉月も半ばを過ぎて、蝉の声はこの数日ですっかり絶えている。かわりに虫の音が、昼のうちから途切れずに上がってきていた。池の面には落ちた葉が幾枚も浮いて、鯉が通るたびに岸のほうへ寄せられていく。青楓は、葉先の縁から色を変えはじめていた。
縁側の障子は上げてあり、そのぶんだけ夕方の風が座敷の奥まで入ってくる。
水無瀬実光は、麻布から上がってきていた。
この日の報告は、勅使宿舎の畳み方についてである。
薩摩が発てば、大原様も京へお戻りになる。
そのためには、幕府への申し入れ、道中の格、警固の付け方、寺への挨拶など、決めることがいくつもある。来たときと同じ道筋を逆に辿れば済むわけではない。下向の折は勅使だったが、帰るときは務めを終えた者である。
その違いを幕府の書き役に分からせるだけで、実光はこの数日を費やしていた。
糸子は、いつも通り短く受けた。
「おおきに。それでよろしゅうございます」
報告の末に、実光は付け加えた。
「――薩摩の御出立は、葉月二十一日と承ってござります」
糸子が、そこで顔を上げた。
「……二十一日」
「はい。城の右筆より、そう聞いてござります。道中の触れが、既に回っておるとのことにござりました」
糸子は、それだけ確かめた。
そして、それきり何も言わなかった。
実光は、この姫君が日付を訊き返したことに、少しだけ引っかかった。
意味を探ろうとしたが、すぐには掴めない。
薩摩がいつ発とうと、この方の組まれた盤には関わりがないはずである。勅は下り、職は置かれ、式目は触れ出された。参勤の議は諸藩に諮る形へ流れ、越前様の面目も初手から立たなかった。薩摩は求めたものを得た。その形が、自分たちの書いた通りではないことにも気づかぬまま、帰っていく。
そこまでで、この夏の勘定は合っている。
それでも実光は、別の見方を一度だけ試した。
この方は、無駄なことを訊かれない。京にいたころから、口にされたことには、たいてい何かの用があった。ならば、いま確かめられた日付にも、こちらには見えていない用がある。
実光は、その用が何なのかを考えはじめた。
薩摩が発つ日に何が起きるのか考えてみたが、何も浮かばなかった。千人の行列が高輪を抜け、東海道を西へ下る。それだけである。
残るのは、いつ発つかという日付だけだった。政には何の関わりもない日付である。
実光は、それ以上は考えなかった。
この方が意味を言われぬときは、訊いても返らない。京にいたころから幾度も確かめて、いまでは訊く前に分かるようになっている。
一礼して、実光は下がっていった。
廊下を渡る足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
一人になってから、糸子はしばらく縁側に坐っていた。
文机の紙には手を伸ばさなかった。抽斗の帳面も出さなかった。
書くべきことは、既にすべて書き終えていた。
庭では、虫の音が刻を追って濃くなっていく。池の向こうの木立の先には表御殿の棟が黒く伏せており、そこには、いつもの通り灯が一つ点いていた。
第百七十六話 了
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