第百七十一話「将軍後見編―答えられぬ者」
一
水無月二十一日の麻布は、朝から重たい曇りで、坂を上ってくる風にも湿りが混じっていた。勅使に充てられた寺の境内では、銀杏の葉が昨夜の雨をまだ抱えたままで、そこへ人の足音が近づくたびに、枝先からぽつりと雫が落ちる。
その音を、小松帯刀は次の間の廊下で聞いていた。
島津久光がこの寺へ入るまでに、薩摩の側は三日を要している。無位無官の身が勅使に目通りするというのは、本来なら成り立たない話であり、そのためには形を拵えねばならなかった。護衛の任を負う者が道中の首尾を言上に上がる、という名目を立て、供は小松ひとりに絞り、乗物も麻布の坂下で降りて歩いた。幕府の門を兵で押し開けた男が、こういうところでは指の先まで作法を守るということを、小松はこの数月で幾度も見ている。
通されたのは奥の書院で、大原重徳は上座に据わっていた。
この老公家は、機嫌がよかった。江戸城の大広間で上段に据えられ、幕閣を見下ろして三条を読み上げてから、まだ四日しか経っていない。あの日の余韻は、この人の顔つきにも坐り方にも、そのまま残っている。
「よう参られた。道中のこと、幕府の警固のこと、いろいろと骨を折られたそうじゃな」
久光は深く頭を下げてから、儀礼の言葉を型どおりに述べた。
大原はうなずきながら、幾度か「うむ」と応じて、それから自分のほうから江戸城の話を始めてしまった。上段の高さのこと、幕閣の並びのこと、読み上げのあいだ誰ひとり顔を上げなかったこと。同じ話を、この老人は四日の間に幾度も供の者に語らせ、それだけでは足りずに自らの口でも語った。
久光は、それを最後まで聞いた。
聞き終えるまでのあいだに、この男の膝の上の指は一度も動かなかった。末席には水無瀬実光が控えていたが、その実光の目にも、久光が我慢しているようには見えなかった。この人は、聞くべきものを聞き終えるまで待つということを、身に付けている。
途中で一度だけ、大原はこちらへ話を振った。
「そういえば三郎殿、あの日、そなたの手の者は城の門の外に幾人おったのじゃ」
「二百ばかりにござりもす」
「二百か。……二百おったと聞けば、幕閣もさぞ落ち着かなんだであろうな」
そう言って、大原はまた自分の話へ戻っていった。大広間の畳が新しく替えられていたこと、上様の御座が空けたままにされていたこと、名代に立った水戸中納言が読み上げのあいだ一度も顔を上げなかったこと。
久光は、その一つ一つに相槌を打ちながら、腹の底で数えていた。この御方は、あの日の座敷で起きたことを、細かいところまでよく覚えておられる。誰がどこに坐り、どの句でどよめきが立ち、どの句で座が静まり返ったかまで、順を追って語ることができる。
語れぬのは、紙のほうだけであった。
やがて話が途切れたところで、久光は膝を進めた。
「大原様。本日、お伺いいたしたきことが一つ、ござりもす」
「申されよ」
「勅の第一条のことにござりもす」
久光の声には、詰め寄る調子がまるでなかった。国事の重きものは江戸城において議せ、という一句を、この男は控えのとおりに読み上げてから、こう続けた。
「――皐月に、某が朝廷へ差し上げました建言のうち、最も重き一条は、大樹公の御上洛にござりもした。あの一条が、なにゆえ勅から落ちておりもすか」
大原重徳の口が、そこで止まった。
止まったのは、答えを持ち合わせていなかったからだけではない。この老人の頭のなかには、自分が読み上げた紙の中身について問われるという事態が、生涯で一度も浮かんだことがなかったのである。勅とは受け取るものであり、受け取った者が拝すものであって、なぜそう書かれたかを問う者がこの世にいるとは、考えたことがなかった。
間が長くなりすぎる前に、大原は威儀を正した。
「――朝議にて定まったことじゃ」
「はっ」
「朝議で定まったものを、いまさら何ゆえと問うのは、筋が違おう」
久光は、その言葉を素直に受けて頭を下げた。下げてから、顔を上げずに続けた。
「なれば、いずれの御方が、あの一条を落とすと申されもしたか。それだけでも、お聞かせ願いとう存じもす」
二の矢のほうが、一の矢より重かった。
大原は答えられなかった。この老人は朝議の座にはいたが、条文を練る座にはいなかった。関白の名の下に整えられた紙が回ってきて、それを勅使として携えて下る、というのがこの人に与えられた役であって、殿句が誰の口から出てどう削られたかを、この人は聞いていない。そのことを、いまこの座敷で言うわけにはいかなかった。
実光は末席で、膝の上の扇を見ていた。
いま自分が口を開けば、この場は収まる。有職の理屈を用いれば一息の間に片が付くことを、この男は知っていた。知っていながら、指一本動かさなかった。
三度目に久光が言葉を継ごうとしたところで、大原の眉が動いた。
「――三郎殿」
その呼び方が、この老人の不機嫌の合図であった。
「勅は、下されたものじゃ。それを頂戴した者が、まず致すべきは奉答である。中身の詮議は、その後のことであろう。……いま、そなたが問うべきことか」
久光は、深く頭を下げた。
「――重ね重ね、御無礼を仕りました」
この男は、そこで引いた。引き際の速さが、この日この座敷で唯一、鮮やかなものであった。
*
坂を下りながら、久光は一言も口をきかなかった。
小松は半歩下がってついていったが、この主人の背中がいつもより一寸ばかり広く見えるような気がして、それが何によるものか、しばらく分からずにいた。
久光の頭のなかでは、たったいま得たものが一つ、静かに据わっていた。
(……この御方は、書いておられぬ)
書いた者なら、必ず答えられる。なぜその句を入れ、なぜ別の句を落としたのか。それを知るのは、筆を執った本人だけである。それに答えられないということは、本人が書いたのではない。ならば、そうでない者が、勅使として下ってきたことになる。
では、書いた者はどこにいるのか。
坂の途中で、久光は一度だけ足を止めて、江戸の空を見た。曇りはまだ切れておらず、その下に、大名小路の甍が低く広がっている。
「帯刀」
「はっ」
「今日は、これでよか」
それだけ言って、久光はまた歩き出した。
二
その日の夕刻、大原重徳は水無瀬実光を呼んだ。
書院にはもう灯が入っており、庭の躑躅の茂みが暗く沈んで、そのあたりから虫の声が細く上がってきていた。大原は脇息にもたれて、昼間の座敷とはまるで違う顔をしていた。
「水無瀬殿」
「はい」
「あの一条は、なにゆえ無い」
実光は、この老人が恥じていないことに、まず気づいた。答えられなかったという事実を、この人は落ち度として抱えていない。そのかわりに、別の者に訊く。それだけのことであった。
実光は、膝を揃えて答えた。
「――勅と申しますものは、政の筋を命ずるものにござります」
「うむ」
「御上洛は、政ではござりませぬ。あれは儀にござります」
大原の眉が、わずかに上がった。
「行幸も御上洛も、日を選び、道を定め、供の数を数え、御装束を調え、御社への奉幣まで一つずつ手順を踏まねば成り立ちませぬ。それらを勅の一条に収めることは、そもそも文の形として無理がござります。……古き例をご覧じましても、儀を勅の条に混ぜて下された例は、探すに難儀いたしまする」
「……ふむ」
「儀は、別途の御沙汰をもって定めるのが筋にござりまして、勅に書かれておらぬのは、落としたのではなく、書く場所が違うということにござります」
大原重徳は、しばらく黙って灯の芯を見ていた。
この老人は、有職の話に弱い。というより、有職の話にだけは逆らわない。八十八卿を率いて幕府に食い下がった気概の人であっても、先例と作法を持ち出されれば、そこは自分の家職ではないと知っている。
やがて大原は、大きくうなずいた。
「――なるほど。ならば、そう申せばよかったのじゃ」
言ってから、大原は脇息の上で身を起こした。
「……別途の沙汰、と申したな」
「はい」
「その沙汰は、いつ出る」
実光は、わずかに間を置いた。
「出す出さぬを決めますのは、朝廷にござります」
「うむ」
「出さぬと定められた例も、先例には見えます。ただ、明らかにそう仰せられた例となると、探すのに難儀いたしまする。……禁じられたのではなく、まだ出ておらぬ、という形のほうが、はるかに多うござりました」
大原重徳は、そこで深くうなずいた。
この老人は、いま自分が有難い理屈を授かったと思っている。
「まだ出ておらぬ」と言えば、久光に何一つ約束せず、何一つ断らずに済む。しかも、同じ問いが来るたび、その言葉で凌げるからだ。
実光は、その満足げな顔を静かに見ていた。この老人が明日、自分が最初からそう考えていたかのような顔で、久光にこの理屈を返すであろうことが手に取るように分かった。同時に、いま自分が渡した一句が、久光の問いを半年ほど先へ送るであろうことも踏んでいた。
実光は深く一礼した。今日の昼、自分が答えられずに不機嫌で場を閉じたという記憶は、明日の朝までにきれいに削れているに違いない。
*
自室へ下がってから、実光は行灯の前でしばらく坐っていた。
いま自分が並べたものを、この男は一つずつ数え直した。
勅は政の筋を命ずる。これは事実である。上洛は儀を伴う。これも事実である。儀を勅の条に混ぜた例が乏しいことも、調べれば誰にでも確かめられる。嘘は一つも言っていない。
それなのに、久光の問いは、明日には消える。
実光は、その仕組みを自分がすっかり呑み込んでいることに気づいて、扇の要のあたりを指で撫でた。
京の近衛邸で、あの姫君のそばに侍るようになってから、数年が過ぎていた。有職故実というものを、この男は家職として父から受け継いだ。先例を調べ、格を測り、作法を整えることが、水無瀬の家の男の仕事であった。
その先例が、いつのまにか刃になっている。
誰にも教わってはいない。ただ、姫様の行われていることを、そばで見続けていただけであった。事実だけを選び、並べ替える。それだけで人は望んだほうへ歩いていく。
(……手前は、いつからこれを、うまくやるようになりましたのか)
実光は行灯の火を細めて、床に就いた。
寝つくまでのあいだ、昼間の座敷で自分が黙っていた時間の長さが、幾度か頭の隅を通り過ぎた。
三
水無月二十二日から二十四日にかけて、大名小路の薩摩藩上屋敷は、外から見れば静かなものであった。
兵は屋敷から一歩も出ず、町では相変わらず一銭も使わない。江戸の者は、この静けさをかえって不気味がっていたが、屋敷の内では、久光の膝の前に同じ二枚の紙が毎日置かれ続けていた。
二枚とは、皐月に京で朝廷へ差し上げた建言の控えと、江戸城で読み上げられた三条の写しである。
久光は、その二枚を条ごとに突き合わせようとはしなかった。二十四に分けたものと、三つに切り詰めたものを数で比べても、何も見えてこない。政は、いくつ通ったかではなく、通ったものがどんな形になったかで見るものだと考えている。
だから久光が見たのは、形のほうであった。
一橋のことは、求めたとおりに返ってきた。越前は、求めた名が消え、名を付ける役だけが幕府へ渡っている。重臣を数名据えて国政を議せしめよとしたところは、家の名がことごとく基準に置き換えられ、その基準に当たらぬ家がいくつも落ちた。
参勤を軽くせよとの願いは、金だけが軽くなり、江戸に置くことは指一本ぶんも動いていない。課役を免ぜよとの願いに至っては、免除ではなく、軽くした分を海の備えへ回せとある。
求めたものが、通っていないのではない。通っている。それなのに、返ってきた紙のどこにも、自分が書いた形のままのものは一つもなかった。
二日のあいだ、久光はそれを眺めていた。
三日目の午後、久光は大久保一蔵と小松帯刀の二人を呼んだ。
最初に口を開いたとき、久光は麻布での首尾を一言も飾らなかった。
「勅使様は、あの一条のことを、御存じなか」
大久保の眉がわずかに動いたが、動いただけで終わった。
「――書かれた御方ではない、ということにござりもすか」
「そうじゃ」
久光は、そこで控えを開いた。
「一蔵。よう聞け。あの紙は、我らが京から運んできたものじゃ。伏見を出るときには、もう出来上がっておった。江戸の者には書けもはん」
言い切ってから、久光は自分の指で第一条をなぞった。
「江戸城において議せ」という文言は、幕府にとってこれ以上ないほど都合がよい。ならば、幕府が書かせたのではないか――その疑いが久光の頭をよぎった。だが、すぐに消えた。
幕府に朝廷の紙を書かせる力があるのなら、この十年、京から下る紙にあれほど振り回されているはずがない。書いたのは、京の誰かである。
「関白様か。議奏の御両所か。あるいは伝奏か」
久光は、名を一つずつ口に出した。出しながら、そのどれにも手応えがないことを、自分で確かめていた。九条尚忠は幕府寄りの人であるから、江戸に有利な条を書く理由はある。しかし、この関白に第一条のような細工ができるとは、久光にはどうしても思えなかった。あの人の書くものは、もっと平たい。
*
大久保一蔵は、その間ずっと、控えのほうを見ていなかった。
「国父様」
「なんじゃ」
「その詮索は、いま要りもすか」
久光の目が、大久保のほうへ動いた。
「一橋様が通り、越前様が通りもした。次は総裁職の名にござりもす。それが決まれば、参勤のこと、そして上洛のこと。……順に取ればよかことにござりもす」
この男の帳面には、もう次の頁が開かれている。
誰が書いたかは、そこでは問題にならない。通ったものは通った。通らなかったものは、また求めればよい。それが、大久保一蔵の物の考え方だった。
久光は、この答えを咎めなかった。
それどころか、正しいと思っている。政というものは、たいていの場合、振り返らぬ者のほうが遠くまで行く。
それでも、この男の腹の底には、一つ落ちきらないものが残っていた。
「……近衛様は、どうじゃ?」
その名を口にしたとき、久光の声はわずかに低くなった。
皐月、京においてのことである。無位無官の身が参内し、建白が容れられた。あれが通るはずのないものであったことを、久光は誰よりもよく知っている。通したのは近衛家であり、あの座敷で自分は確かに、寸分違わぬ長さで置かれる間というものを見た。
大久保は、そこで初めて姿勢を改めた。
「――近衛様が、おっどんがために骨を折ってくだったこつは、間違いのなかこっにございもす。なれど」
「なれど、なんじゃ」
「あの御家が、おっどんの求めた一条を落として、逆の一条を書き入るる。……その利が、どこにございもすか?」
久光は答えられなかった。
近衛家に、そうする理由が見つからない。薩摩に姫を出し、その取りなしまでした家が、薩摩の筆頭の一条を潰す。筋が通らない。
それ以上、久光の疑いは先へ進まなかった。
近衛という家の名まで来れば、その先は見えない。確かめるには、あの家の内側を探るしかないが、江戸にいる薩摩には手立てがなかった。京へ人を戻すことはできる。だが、戻したところで、何を訊けばよいのかすら分からない。
久光は控えを畳んで、静かに膝の脇へ置いた。
苛立ちは、顔にも声にも出さなかった。この男は自分が何を取り、何を取り損ねたかを数えるが、数えたものを人前へこぼすことは生涯なかった。
「……よか。今日はこいまでじゃ」
四
水無月二十五日、小松帯刀は自分の部屋で帳面を開いていた。
この数月、江戸へ下ってからも欠かさず書いてきたものだが、そこに並んでいるのは日々の出来事ではなく、閉じられぬ行ばかりであった。
一つ、二つ、三つ、四つ……
五つ、国父様が参勤の緩和をお求めになったのに、覚の一条目には「これまでの通り」と書いてあること。
小松は筆を取り、六行目を書き足した。
『――上洛の一条が無い』
勅使様も、御存じない。
書き終えて、この若い家老はしばらくその六行を眺めていた。
一つずつ見れば、どれも不思議のない話である。よいことが起き、通るものが通り、まっとうな条文が書かれている。
六つ並べても、まだ形にはならない。ただ、輪郭だけが、いつも同じところで浮かびかける。
*
こういう帳面を、大久保一蔵は書かない。
小松は知っていた。あの男の帳面は、すべて目的から逆算されている。人と人との縁も、使えるか使えぬかという物差しでしか測らない。近衛家は取りなしをしてくれた家。それ以上でも以下でもない。
国父様も、そこには記さない。
疑いを人に語らぬことで、あの御方は格を保っておられる。それに、もう一つ触れられぬものがある。奥に入られた姫様に、江戸の男が縋る。その形だけは、あの御方の自尊が許さない。
人と人との繋がりを紙に残すのは、小松帯刀だけである。
誰が誰の縁で、島津家から誰が出て、どこへ入ったか。若い頃からの癖であり、家老になってからも改まらなかった。おかげでこの男の頭には、この国の縁が網のように入っている。
癖の始まりは、はっきりしている。
家老に据えられたとき、小松帯刀には、自分がなぜ選ばれたのか分からなかった。
石高でも年功でもない。家柄を頼みに押し出された覚えもない。座に着いてしばらく経ったころ、ようやく見えてきた。自分を推した者がいて、その者を推した者がいる。そのさらに奥に控える御方まで、細い糸で繋がっていた。
人は力で動くのではなく、縁で動く。動いたあとから、力が付いてくる。
それを知って以来、この男は人の縁を帳面に残すようになった。誰が誰を引き上げ、どの家からどの家へ人が出入りし、その者がいまどこに坐っているのか。記しておけば、何かが起きたとき、その筋が一本の線になって見える。刀も算盤も持たぬこの男にとって、この帳面こそ唯一の武器だった。
その網の上を、この日、指が一つ辿った。
近衛は、薩摩へ姫をお出しになった家である。
その姫は、いま江戸城の奥にいる。
*
夕刻、小松は久光の前に膝を進めた。
「国父様。近衛様のことにござりもすが」
「うむ」
「――奥に、御一人だけ、問える御方がおられもす」
久光の目が、しばらく動かなかった。
この主人が何を思案しているかは、小松にも分かった。篤姫様は島津の家から出て、近衛の養女となって、大奥へお入りになった御方である。血の上でも家の上でも、これほど近い相手はいない。
いないが、その近さのぶんだけ、頼むという形が重くなる。
「……文か」
「はい。お目にかかることは、なりもはん」
「そうじゃな」
久光は、そこで一度、扇を膝に置いた。
「――わしが書っとなれば、天下は何と見る」
「文は、外へ出るもんでございもはん」
「出んと申せるか」
「奥から外へ、政に関わる文が出た例が、この二百六十年で幾通ございもしたか。……手前は、一通も存じ上げ申さん」
久光は、しばらく庭のほうを見ていた。
「……書こう」
それだけ言って、久光は筆を執らせた。
文の中身は、無難なものになった。時候の挨拶と、江戸の暑さの見舞いと、国元の者の消息と、そして最後に一行だけ。
その一行を考えたのは、久光ではなく小松であった。近衛様には此度も一方ならぬ御配慮を賜り、御礼の申し上げようもござりませぬ――そう記しておけば、返事の文面から、あの御家がどこまで関わっているかを探れる。深く関わっていれば、返事のどこかに力が入る。そうでなければ、ただの時候の返事が来る。
久光は、その一行を読んで、うなずいた。
「よか。これでよか」
文が封じられ、使いの者が下がっていくのを、小松は坐ったまま見送った。
見送ってから、下腹を押さえた。この十日ほど、痛みは引いていない。今日も引かなかった。
五
大原重徳の再登城は、水無月二十七日であった。
この日の大広間は、前の登城のときよりも人が多く、そして前のときよりも静かであった。幕府の奉答は三点に絞られている。
勅を謹んで承ること。
一橋刑部卿を将軍後見職に任ずること。
越前中納言の職の名は、追って幕府において相定めること。
読み上げたのは板倉勝静であり、その声には力みがなかった。
大原は満足した。自分が読み上げた紙が、そのままの形で返ってきたからである。この老人にとって、勅使の務めは、勅の文言を正しく伝えることだった。返ってきた以上、それで務めは果たされた。
その日の夕刻、麻布の寺を訪れた薩摩の使いに、大原は昨夜のうちに整えておいた答えを堂々と述べた。上洛は儀である。ゆえに勅の条ではなく、別途の沙汰をもって定めるものだ…と。
久光は、その答えを聞いて、二度うなずいた。
うなずきながらも、この男の腹の底では、別の一行が動いていた。四日前、この御方は答えを出せなかった。それが、答えを携えている。誰かが、この寺のなかで答えを与えたのだ。
それでも久光は、それ以上を問わなかった。問いを重ねれば、いま保たれている形が崩れることを、この男は知っている。
*
一橋上屋敷の奥御殿に実光が上がったのは、その翌日の午後であった。
糸子はいつものように湯呑みを両手で包みながら、実光の報告を聞いていた。
麻布での首尾。久光が問い、大原が答えられなかったこと。夕刻に自分が呼ばれ、有職の筋を並べて答えたこと。そして、大原がそれを自分の考えとして久光へ返したこと。
「――国父殿の御疑いは、京のほうへ向きましてござります」
「近衛には?」
「御家の名までは、届いておられるかと存じます。その先は、江戸におられるかぎり、進みようがござりませぬ」
糸子は、湯呑みを膝の前へ置いた。
「それは、ようございました」
それだけであった。
なぜ良かったのか、姫君は説明しなかった。説明を要するとは、そもそも思っていない。
実光も、その短いやり取りには慣れている。だが今日は、もう一つだけ申し上げたいことがあった。
「姫様。……手前は、昼の座敷で、口を開きませなんだ」
「はい」
「開けば、あの場は収まりましてござりました。収まったほうが、国父殿の御疑いは早う消えましたでしょう」
「消えては、なりませぬ」
糸子は、そう答えた。
「一度で消えたものは、後でまた立ち上がります。四日かけて、勅使様の御口から消えたのであれば、国父殿はもう、そこへは戻られませぬ」
実光は頭を下げた。自分が昨日の夜に自室で考えていたことの答えを、いま貰ってしまったような心持ちになった。
*
実光が下がったあと、糸子は文机の前に坐り直した。
文月に入れば、後見職の沙汰が下る。それも紙に書いたとおりに動くはずである。
動かない理由が見当たらない。
庭を隔てた向こうの棟に、その沙汰を受ける人がいる。
糸子は、その方角へ一度も目を向けなかった。向ける必要が、まだなかったのである。
六
文月に入ると、江戸の空は梅雨の名残を振り切って、一気に夏になった。
一橋上屋敷の表御殿では、朔日から連日、支度の話が続いていた。登城の日取り、装束の仕立て、供の員数、道筋の届け、そして屋敷の警固。それらを一つずつ運んでくるのが、用人の平岡円四郎であった。
この年で四十になるこの男は、書き付けを読み上げるときの声が速い。無駄がなく、要点だけを置いて、判断を仰ぐ箇所で必ず一拍止める。慶喜は、その止め方が気に入っていた。
「――登城は、六日にて。装束は、御目見の格に整えましてござります」
「うむ」
「供は、常より二十ばかり増やしとう存じます」
慶喜が顔を上げた。
「多いのう」
「……多うござります」
平岡は、そこで珍しく口ごもった。
「この数月、屋敷の周りを歩く顔が、増えましてござります。町方の者ではござりませぬ。国元の訛りが混じっておる者もあれば、どこの者とも知れぬ者もおり――」
「水戸か」
「そこまでは、分かりかねます」
慶喜は、書き付けのほうへ目を戻した。
「好きにいたせ」
平岡は一礼して、次の書き付けへ移った。
この主人が、こういう話を長く聞かないことを、平岡は知っている。屋敷の外で自分の命を狙う者が増えているという報せも、この人は聞き流す。度胸があるからでもある。だが、それ以上に、感情を抱えたまま手を止めることが、この男には生まれつきできない。
「もう一つ、申し上げねばならぬことがござります」
「申せ」
「家中の者どもにござります」
平岡は、そこで言葉を選んだ。選んだうえで、飾らずに述べた。
「外様に担がれて職を得るは御一門の恥辱である、と申す者が、いまだ絶えませぬ。島津殿の使いを三度お断りになりました折には、それでこそと沸きましてござりましたが、こたび御受けになると決しましてからは……」
「静まらぬか」
「はい、静まりませぬ」
慶喜は、筆の先を硯の縁で整えながら聞いていた。
「平岡。あの者どもは、わしが断り続けておれば満足したか」
「……満足は、いたしましたでしょう」
「それで、何が変わった?」
平岡は答えなかった。答えようがなかったのである。
「何も変わらぬ。わしが断り、家中が喜び、幕府はそのまま痩せていく。それを三年続けて、四年目に何が残る。残った屋敷の内で、恥辱を守り通したと申して威張っておればよいか」
慶喜はそこで筆を置いて、初めて平岡のほうを見た。
「言うておけ。恥辱と申す者は、その勘定書きを持って参れと」
平岡は深く頭を下げた。そのとき、この主人の言葉の運びが、この数月で一段速くなっていることに気づいた。以前なら、こういうときには必ず一度、皮肉を挟んだ。いまは、その一手さえない。
*
その夜、慶喜は書院に一人でいた。
文机の上には、水無月十七日に届いた勅の写しが広げてある。あの日に三度読んだ第二条の末尾を、この夜、四度目に読んだ。
『――右は、上様御平癒の日までの儀に候』
読んで、慶喜は指を止めた。
この一句を、これまで自分は期限として読んでいた。『上様が癒えれば終わる職である』と。
癒えるのか?
そこまで考えて、慶喜は初めて、この句の形が変わって見えた。
あの御方の御不例は六年に及んでいる。奥医師も、幕閣も、そして京の者も、快癒は望めないと見ている。それなのに、この紙には「癒えるまで」とある。治らぬと知りながらそう記せば、期限のない職を置いたことになる。
永遠に、後見のままである。
しかも同じ条の末に、宗家の相続には関わらぬと明記されている。
無期限の後見であり、そして永久に将軍ではない。二つの句は、片方が期限を消し、もう片方が出口を塞いでいる。
慶喜は、背筋のあたりを冷たいものが伝うのを感じた。
*
安政の年のことが、そこで戻ってきた。
あのとき、この身は継嗣の的にされた。望んだ覚えはない。水戸から一橋へ入った男を推す者たちが勝手に旗を立て、その渦に巻き込まれて、父も自分も潰されかけた。あの騒ぎのなかで、慶喜は幾度も同じことを言っている。
『――受けぬ』
言って、それでも的から外れることはできなかった。的にするかどうかを決めるのは、常に他人であったからである。
『その的から……今日、外された』
外したのは幕府ではない。朝廷である。しかも外すと同時に、別の座に無期限で据えた。
慶喜は写しを手に取って、灯へ近づけた。
この一条を書いた者は、こちらが継嗣の座を厭うていたことを知っている。その座から外してやれば、この身が動きやすくなる。それだけなら、恩と呼んでもよい。
だが同時に、将軍位へ手を伸ばす道も正面から塞いでいる。そこへ進もうとするなら、まずこの紙を否まねばならない。
水戸に生まれた男が、朝廷の紙を否めぬことまで、書いた者は勘定に入れている。
逃げ道を書かれたのか。檻を書かれたのか。
どちらとも読める。そう読めるように書いてある。
(――余のために書いた者が、余を測っておる)
慶喜は写しを畳んで、脇へ置いた。
置いた手が、いつもより遅かった。
七
文月六日の江戸は、明け方から風が死んでいた。
濠の水は一日じゅう動かず、大手門の櫓と、その向こうの白い塀を油絵のように映している。石垣の裾の苔は先月までの雨をまだ含んでいるが、日が高くなるにつれて石は焼け、坂を上る者の足裏まで熱を伝えた。堀端の柳は葉先を垂らし、そこに取りついた蝉の声だけが、朝からひとかたまりになって城内へ押し寄せていた。
この日、城中はいつもの登城日より人が多い。
明日は七夕である。五節句の一つに数えられる式日で、諸大名が総登城して祝賀を述べる。その前日の本丸では、朝から下役たちが廊下を行き来していた。
中庭の隅には青竹が何本も運び込まれ、壁に立てかけられている。青い節からはまだ水が滲み、白洲の砂に濃い跡を残していた。梶の葉を載せた三方や、色糸を巻いた台も、次の間の隅にいくつも寄せられている。
その支度のあいだを縫って、一橋家の行列が入ってきた。
御三卿の格である以上、慶喜の乗物は下乗の橋を越えてなお進むことを許されていた。中之門をくぐり、坂を上がりきったところで、ようやく地に降ろされた。
玄関先には、すでに登城していた家々の供の者が控えの場所を取り合うように詰めている。そこへ一橋の紋を付けた挟箱が加わると、供の列の端で、わずかにざわめきが消えた。
理由は、誰の目にも明らかだった。この屋敷の主が、今日この城で何を受けるのか。江戸中の者が、すでに知っている。
*
白書院は、大広間に次ぐ格の座敷である。
上段と下段に分かれ、上段の奥は帳台構えの襖で閉じられ、その前に将軍の座がある。板戸にも襖にも狩野の筆が入り、金地に描かれた松の幹が、座敷に残るわずかな光を拾って鈍く光っていた。障子はすべて閉められている。
この時季にそうするのは、暑さを避けるためではない。外の音も、人の目も遮るためである。
その座敷には、朝のうちから人が入っていた。
坐って半刻もしないうちに、誰の背にも汗が滲みはじめる。それでも扇を使う者はいない。上段に近い列から、老中、若年寄、高家の面々が、揃って膝に手を置いたまま動かなかった。
畳の上には、青竹の匂いがかすかに流れ込んでいた。廊下の向こうで七夕の支度が続いているからである。二百六十年、この城が毎年欠かさず繰り返してきた祝いの仕度と、今日ここで一度きり行われる沙汰とが、同じ一枚の畳の上で隣り合っていた。
やがて、襖が引かれた。
沙汰が下される。読み上げられた文言は短かった。
『一橋刑部卿慶喜、将軍後見職仰せ付けらる』
――幕府の沙汰書はそれだけで、勅にあった「上様御平癒の日まで」の一句も、宗家の相続には関わらぬという一句も、どこにも写されていない。
慶喜は、その省き方に気づいた。
そのうえで、何も言わなかった。二句が写しにないのは、幕府の都合にすぎない。
勅であることに変わりはない。
むしろ、そこから落とされたという事実こそが、この城の者たちがあの二句をどう受け取ったかを、はっきり物語っていた。
触れたくないのだ。上様の御病にも、跡目のことにも。
慶喜は型どおりに謹んで承る旨を述べて、頭を下げた。聞き終えたあとに動く者は、一人もいなかった。
二十六である。この二百六十年、将軍に次ぐこの座に、二十代の者が就いた例はない。
それでも、この日、白書院にざわめきは起きなかった。既に定まっていたことが下達されたにすぎない。その流れを誰も止められなかったという記憶のほうが、まだ新しかったからである。
酒井忠績は、深く頭を下げていた。
下げる前に、手元の書き付けを二度確かめた。後見職とだけあり、大老の文字はどこにもない。念を押すように目を走らせ、そこに井伊の名がないことを確かめてから、ようやく頭を下げた。
井伊という名を呼ばずに済む日が、今日も一日、続いた。
松平乗全は、供の員数と道筋の届けを考えていた。
板倉勝静は、この日も職名を繰っていた。政を総べ裁く職である。『総裁、総宰、執政、大政総理』――どれも据わりが悪い。決まらぬまま、頭のなかで字だけが幾度も並べ替えられていた。
堀田正睦は、上座にいた。
この老中首座は、一言も発しなかった。袖で口を押さえて短く咳をし、それから膝元の書き付けへ目を落としたまま、動かなかった。
沙汰が済んで座を立ったとき、慶喜はしばらく廊下に立っていた。
白書院を出て北へ折れれば、大廊下の上之部屋がある。御三家と御三卿だけが控える一室である。今日から慶喜は、将軍後見職としてここに入る。
だが、部屋は十日前と一寸も変わっていない。畳も襖も、坐る場所さえ同じである。変わったのは、ここに坐る男の呼び名だけだった。
廊下の突き当たりでは、下役の者が二人がかりで青竹を運んでいた。慶喜に気づくと、竹を抱えたまま壁際へ寄り、深く頭を下げる。切り口から水が垂れ、磨き込まれた板の上に小さな輪をいくつも残していた。
慶喜は、その輪を一つ跨いで歩いた。
*
話が江戸中へ回るのに、半日もかからなかった。
日本橋の魚河岸では、その日の初荷がまだ台の上で跳ねているうちから、桶を洗う手を止めた男たちが声を張り合っていた。
「おい、聞いたか。一橋様よ」
「聞いたも何も、今朝から三度聞いたぜ。将軍様の後見だってな」
「後見ってのは、ありゃ何だ。将軍様の代わりってこったろ」
「代わりじゃねえ、後ろで見てるんだ。だから後見ってんだ」
「後ろで見てるだけで、あの御大層な御役目かい。おれも見てるだけなら、いくらでもやるがね」
どっと笑いが起きて、その笑いのなかで氷を割る音が鳴った。
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同じころ、長屋の井戸端では、おきんが盥のふちに手を掛けたまま、隣の女房の顔を覗き込んでいた。
「ねえ、あんた。薩摩のお殿様が連れてきたんだってさ」
「連れてきたって、何をだい」
「その、お役目をさ。千人だか二千人だかのお侍さん引き連れて、お城の門をこじ開けて、一橋様を後見にしろって言い張ったんだと」
「まあ、恐ろしい」
「けど、それが通っちまったんだから、大したもんだよ。……そういえばあんた、四年前のこと覚えてるかい。彦根の大老様のさ」
おきんは、そこで一度、声を落とした。
「あの噂も、みんな本当になったろ。あたしゃね、こういう話は先に聞いた者が得をするって、あのとき覚えたんだよ」
「先に聞いて、何をどう得するんだい」
「そりゃあ……何だろうね」
二人は顔を見合わせて、それから同じ調子で笑った。
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神田の小料理屋では、日の暮れ方から、少し込み入った話になっていた。
銚子を挟んで坐っていた浪人の一人が、盃を置いて言った。
「――しかし、腑に落ちんな」
「何がだ」
「勝ったのは薩摩か、一橋か」
もう一人が、鼻で笑った。
「そりゃ一橋よ。座に着いたのはあちらだ」
「座に着かせたのは、薩摩だ」
「着かせた者と、着いた者と、どちらが上だ」
「……そこが、腑に落ちんと言うておる」
三人目が、そこで箸を置いた。この男だけが、少し年嵩であった。
「わしはな、どちらでもないと思うておる」
「では、誰が勝った」
「勅を書いた御方よ」
座がわずかに静まった。
「兵を出したのは薩摩じゃ。座に着いたのは一橋じゃ。しかし、あの三条を書いた者は、兵も出さねば座にも着かぬ。書いただけで、両方を動かした」
「……朝廷であろう」
「朝廷の、誰じゃ」
誰も答えなかった。答えられる者が、この座敷にいるはずもなかった。
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深川の作事場では、熊吉が鉋の手を止めずに聞いていた。
「二十六だってよ、熊さん」
「二百六十年に一度の出世だって?」
熊吉は、削り屑を吹き飛ばしてから、鉋を裏返して刃を覗いた。
「そんなら、徳川始まって以来の貧乏くじかもしれねえぜ」
「なんでだい?」
「若ぇうちに高ぇとこへ上がった奴が、そのまま無事に降りてきたのを、おれは見たことがねえ」
言ってから、熊吉はまた木に鉋を当てた。
薄く長い削り屑が、板の上を滑って落ちていった。
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こうして江戸中で語られた言葉は、河岸でも井戸端でも作事場でも、結局のところ一つの形に収まっていった。
『一橋が、勝った』
外様の、しかも藩主でもない男に担がれて職を得たと嗤う者があり、二十六でその座に着いたことを世に稀な出世と羨む者があった。慶喜が何を得たかについては、口ぶりの違いこそあれ、誰の見立ても同じ方角を向いていた。
何を渡したかを言い当てた者は、神田の座敷でただ一人、書いた者の名を問うたきり、その先へ進めずに終わっていた。
*
玄関を出ると、白い光が正面から来た。
石段の下では、供の者たちがすでに列を組み直していた。その頭上を、蝉の声が変わらぬ厚みで覆っている。
中雀門をくぐり、坂を下って中之門を抜けるあいだ、慶喜は簾の隙間から外を見ていた。三の丸の白洲は日を照り返し、目に痛いほど明るい。敷かれた玉砂利の一つ一つまで、影を持たぬほどの光にさらされていた。
大手門を出ると、道の空気が変わった。
濠端には、いつもより人が多い。今日この城で何が行われたかを、町の者はもう知っている。一橋の紋に気づいて足を止める者もいた。声を上げる者はいない。ただ、目だけが乗物を追ってくる。
帰りの乗物のなかで、慶喜は数えていた。
今日、与えられたもの。将軍に次ぐ座。幕政に加わる資格。諸藩を城へ召す議の主宰。
今日、抜かれたもの。宗家の相続。将軍位への道。そして――『終わりのある職である』という一事。
(――余は、勝ってはおらぬ)
乗物は大手門を出て、堀端の道をゆっくりと進んでいく。外の光は白く、蝉の声が幾重にも重なって聞こえていた。
(渡したのだ)
数え終え、抜かれたもののほうが多いと分かったとき、慶喜は不思議と腹が立たなかった。むしろ、そのことが気になった。
この取引を組んだ者は、こちらが承知することを初めから見込んでいる。それだけ深く、こちらのことを読んでいる。
いや、理解っている。
その読み手が、どこにいるのか分からない。
八
一橋上屋敷の表御殿には、その夜も人の気配が絶えなかった。
昼のうちに届いた祝いの品が玄関脇に山と積まれ、それを帳面に書き付ける筆の音が、廊下の奥まで細く届いている。門外では警固の者が半刻ごとに交代し、砂利を踏む足音のたび、庭の虫の声が一度だけ途切れた。
書院は、その騒がしさから廊下二つぶん離れている。
障子は開け放たれていた。昼の熱を吸った畳はまだぬるい。池のほうから風が渡ってくると、畳の熱と水の冷えが座敷のなかほどで入れ替わるように動いた。
池の縁では蛙が鳴きはじめ、その向こうに奥御殿の棟が黒く伏せていた。
文机の上には、灯が一つだけ置かれている。
廊下に足音がして、障子の手前で止まった。
「――平岡にござります」
「入れ」
平岡円四郎は、膝行して入ってから、障子を半分だけ閉めて坐った。慶喜は書きかけの一行を書き終えるまで筆を置かず、平岡もそのあいだ頭を下げたまま待った。この待つ時間の長さで、今夜の用向きが軽いものでないことを、この用人はもう見当をつけている。
やがて筆が硯の縁に置かれ、その音が思いのほか大きく響いた。
「平岡」
「ははっ」
「あの三条を、誰が書いたか、調べよ」
平岡の背が、わずかに固くなった。
「――勅にござりますれば、朝廷が」
「朝廷の、誰じゃ?」
平岡は答えなかった。
慶喜は、それ以上の説明をしなかった。理由を述べるという習慣が、この人にはない。
述べぬかわりに、この男は自分に向けて理由を並べていた。恩を返すためでもない。恐れているわけでもない。自分の手を読み切る者が、この世のどこかにいる。その者の居場所も分からぬまま座に着くのは危うい。
人を動かすために座を作った者なら、いずれまた手を伸ばしてくる。その手がどこから来るのか分からぬままでは困る。
「急がずともよい。ただ、確かなものだけを持て」
「……ははっ」
平岡は、深く頭を下げた。
*
平岡円四郎は、答えを知っている。
一年前の雨の夜、両国橋の上で勝海舟が口にした名。橋板を叩く雨の音、下を流れる濁流の重たい響き、勝が懐から出した二枚の表、そこに並んでいた数字の並び。
そして最後に、川風にまぎれるほど低く落とされたその名を、平岡はいまでも順に思い出せる。
『近衛家の、若い姫君であると』
半年は口に出すなと言われ、その半年はとうに過ぎている。
のみならず、この男は、その姫君がいまどこにいるかも知っていた。
朝廷の使者として、この屋敷の奥御殿に住まわれている。廊下を隔てた向こうに、答えがいる。あのとき背を走ったものが、恐れだったのか安堵だったのか。平岡はいまだに決めかねている。
徳川という船が沈むという見立てを、自分はあの夜に呑んだ。その先に用意された岸の絵を描いたのが、まだ髪も結い上げぬ年頃の姫君だった。
その一事だけが、あれから一年、腹の底に沈んだまま溶けずにいる。
それでも、言わなかった。
言わぬ理由は、三つあった。
一つ。あの夜、建白書を読み終えた慶喜は、この口へ封をした。勝にも申すな、勝の後ろのお方にも申すなと。あの命は、いまも生きている。主君の新しい命が、それを上書きしたとは平岡には読めなかった。
二つ。勝の警告である。賢いお方は、誘導されたと気づいた瞬間に逆張りする。あの絵図を、この主人は自分で見つけたものとして受け取った。いまここで名を出せば、その受け取り方ごと崩れる。
三つ。これが最も重かった。
公議政体の絵図と、江戸城で読まれた三条とが、同じ一人の手から出たという確証を、平岡は持っていない。近衛の姫君が絵図を描いたことは知っている。だが、朝廷の勅の文言まであの御方が書いたという証しはない。
もし名を出して、それが違っていたら、この主人は間違った方角へ全力で歩き出す。
三つを並べ終えて、平岡は自嘲した。
そこまで重い理由を積まねばならないということは、すなわち、最初から口にしないと決めているからであった。
*
廊下へ下がり、障子を閉めてから、平岡は一度足を止めた。
風が通っていく。夜の庭は暗く、池の面に月が細く割れて映っており、その向こうに、奥御殿の棟の屋根が黒く伏せていた。
灯が、一つ点いている。
この屋敷に来てから、平岡はあの灯を数えきれぬほど見てきた。夜更けまで点いていることもあれば、宵のうちに消えることもある。ただの客人の灯であり、それ以上の意味を持ったことはなかった。
いま、主君は「誰が書いたかを調べよ」と命じた。
命じられた平岡は廊下に立ち、庭の向こうの灯を見ていた。
平岡円四郎は、その灯をしばらく見ていた。見てから、見なかったことにして、自分の部屋へ戻った。
第百七十一話 了
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