第百七十話「将軍後見編―奉答」
一
水無月十八日の朝は、梅雨の合間にしては珍しく雲が薄く、御用部屋の障子には庭の青葉の影が淡く映っていた。
風は南から回り込んできて、廊下の突き当たりの吹き抜けを通るたびに、どこかで簾の縁が板を打つような乾いた音を立てていた。
前日までの湿りがまだ畳の底に残っているせいか、部屋の内はわずかに重たく、それでいて空気そのものは妙に軽かった。
昨日、大広間で三条が読み上げられ、幕府はその一つにも異を唱えなかった。何も差し出さず、何も削られず、ただ黙って聞いて、そして散会した。あの静けさが夜のうちに醸されて、今朝の御用部屋には、名づけようのない安堵が漂っていたのである。
板倉勝静は、昨日あの座で自分が息を吐いてしまったことを、今朝はもう恥じていなかった。周りの誰もが似たような顔をしていたからである。
上座には堀田正睦がいたが、いつもと同じように書付の束を膝の前に置いたまま、ほとんど顔を上げなかった。
最初に口を切ったのは、酒井雅楽頭忠績であった。
「――手続きのことを、申し上げておきたい」
その一言で、緩みかけていた座がわずかに締まった。
誰よりも先にそこへ触れてくるであろうことは、この座の全員が予期していた。昨日の大広間で、酒井は終始頭を下げたまま動かなかったが、あれは屈したのではなく、退ける口実を探しながら聞いていたのだと、板倉は見ていた。
「昨夜、写しを幾度も繰りましてござる」
酒井は、膝の前に置いた勅の写しを、両手で丁寧に開いた。
「あの三条が、真に朝議を経て降りたものであるか。それとも、京の一部の御方が寄り集まって拵えたものを、勅の形に仕立てて下されたものであるか。……そこを確かめずに奉答いたせば、幕府は要らざる紙に縛られることになりまする」
誰も、その言い方を咎めなかった。
それどころか、乗全も板倉も、内心では酒井にそれを言ってもらいたかった。四年前のあの一件が、いまだにこの城の腹の底に沈んでいるからである。
安政の折、水戸へ降りた勅は「密勅」と呼ばれた。文言が過激だったからではない。関白の手を通さずに出されたからである。
手続きを踏んでいない。その一点さえ押さえておけば、幕府はどれほど激しい文言でも、「正式のものではない」と押し返せる。
押し返せる余地がある。それだけで、幕政を支える力になる。
酒井は写しの末尾へ指を進めた。
「――末に、御名が並んでござる」
そして、そこで声が止まった。
止まった間が、思っていたよりも長かった。
「……関白、九条尚忠様」
乗全が身を乗り出した。
「筆頭に、関白様の御名がござるか」
「ござる」
酒井は、それだけ答えた。
答えて、しばらく写しを見下ろしていた。
関白の名が筆頭にある。正式な手続きを踏んだ勅である以上、もはや「密勅」ではない。そうでないものを「正式ではない」と言い立てる道は、幕府には残されていなかった。
しかも、その関白が九条尚忠であった。
この関白が朝廷の内でどういう立ち位置におられるかを、この座の者は皆知っている。この数年、京の内で幕府の側に寄り、条約のことでも幕府をかばい、そのために公家衆から幾度も突き上げを食らってきた御方である。
その名が、筆頭に載っている。
「一部の御方の企てではない、ということにござるな」
乗全が念を押すように言った。
「そう読むほかござらぬ」と酒井が答えた。
板倉勝静は、そのやりとりを黙って聞いていた。
聞きながら、この座で何が起きたのかを考えていた。この勅書を誰より退けたかった人間が、昨夜ひとりで写しを繰り、退ける道を探した。そして、探した末にその道が一本もないことを確かめ、今朝は自分の口でそれを座に報せたのである。
これで幕府は、この三条を正式の勅として受けることになった。
受けると決めたのは朝廷ではない。この部屋であった。
「――ならば」
酒井は写しを膝へ戻し、そこで初めて、いつもの張りのある声に戻った。
「正式の勅であるならば、なおのこと、中身を丁寧に見ねばなりませぬ」
*
そこから先は、ほとんど数え上げの作業になった。
乗全が写しを繰りながら、勘定方らしい淡々とした調子で並べていく。
「金の御下命が、ござらぬ。攘夷を急かす一句も、ござらぬ。人を出せとも、船を出せとも、京へ上れとも、どこにも書かれておりませぬ」
乗全が指で追っていく先を、板倉も同じ紙の上でなぞっていた。
削られたものが、一つもないのである。
この数年、京から江戸へ下る勅書といえば、条約を叱り、人事を難じ、攘夷を急かすものばかりだった。そのたびに幕閣は詫び状の文言を練り、金を積み、ときには誰かの首を差し出して、どうにか場を凌いできた。
ところが、昨日の三条には、詫びるべき箇所も、積むべき金も、差し出すべき首も、どこにもなかった。
「――政事の儀は、旧例の通り、大樹公へ御委任遊ばされ候」
板倉は、その一句を声には出さず、唇の形だけで追った。
この十年で、これほど幕府に都合のよい一句が朝廷から降りてきたことは一度もない。それが、二百六十年の慣例を踏み越えて大広間の上段に据えられた勅使の口から読み上げられたのだから、幕閣が今朝これほど機嫌よくしているのも無理のない話であった。
*
やがて話は、勅とともに下げ渡された覚のほうへ移った。
紙は勅より厚く、条は七つある。
参勤のこと、海防のこと、勘定のこと、異国との交渉のこと、兵器の買い入れのこと、議のこと、そして都のことであった。
乗全が一条目を読み上げたところで、酒井の眉がわずかに動いた。
「参勤は、これまでの通りとある」
「はい。供の員数に上限を定め、江戸屋敷の御用金と手伝普請を減ずべし、と」
「……緩めてはおらぬのだな」
「そうです。緩めては、おられませぬ」
酒井忠績は、そこで初めて、朝から強張っていた肩をわずかに落とした。
諸藩が幾年も前から緩めよと騒いでいたのが、この参勤である。緩めれば統制の根が抜けると、酒井は評定の場で幾度も言ってきた。そのたびに孤立してきた。だからこそ、京から下る紙にそれを命じられれば、もう抗えまいと覚悟していたのである。
覚には、金を軽くすると書いてある。江戸に置くことは変えない、とも書いてある。
「……これは」と酒井は言い、それから言葉を選ぶように少し間を置いてから続けた。
「これは、ずいぶんと物の分かった御方が、書いておられるようにも見えますな」
誰も、そこに反応しなかった。
*
乗全が四条目を読んだ。
「異国との交渉は、幕府一手にこれを扱う。諸藩、異国と直に事を構うべからず。もし事あらば、その始末はその藩の負うところとす」
読み終えても、座は動かなかった。
異国のことは幕府が一手に扱う――至極まっとうな条である。それどころか、幕府が幾年も諸藩に向かって言い続けてきたことがそのまま書かれている。
「……いかにも、その通りにござる」
酒井が短くうなずき、それで話は次へ移った。後段の一句を読み返した者は、この座に一人もいなかった。
六条目には議のことがあり、諸藩の議については別に公議式目をもって定めると書かれていた。
「式目とは、どちらがお作りになるものにござろうか」
「別に定む、とあるだけにござる」
「ならば、追ってまた沙汰がござろう」
それで済んだ。
そして七条目を乗全が読んだとき、この朝の御用部屋で初めて、はっきりとした喜びの声が上がった。
「禁裏の警衛は、諸藩の当番をもって之に充つ。率兵の上洛は、朝廷の召しによる場合を除き、これを禁ず」
「なんと!」
声を出したのは酒井であった。
「率兵の上洛を、禁じておられるのか」
「はっきりと禁じております」
酒井忠績は、そこで膝を打つに近い動きをした。この人にしては珍しいことであった。
「これは、朝廷の御英断にござる。……薩摩が兵を率いて京へ上ったがゆえに、この始末になったのでござろう。あれを二度と許さぬと、朝廷御自身が書かれた。これほど有難いことが、他にござろうか」
「いかにも」と乗全も応じた。
「この一条があれば、諸藩は同じ手を使えませぬな」
板倉勝静は、そこでも黙っていた。
黙っていたのは、疑っていたからではない。頭の中で別の勘定をしていたのである。京の警備のために新たな役を立てる案は、この春にも一度出た。だが、金がないという一事で流れた。この条があるなら、当番の者を上らせるだけで済む。二万両を超える出費が、勅書の一行で消えたことになる。
板倉は、そのことを口に出さなかった。出せば、また金の話が始まるからである。
*
三条目の勘定のくだりに戻ったのは、そのあとであった。
「なるほど、書式は改めずともよいと。勘定所年々の目録の写しをもって足れりとす、と書いてござる」
板倉が読み上げ、それから、まったく淀みなくこう答えた。
「――これならば、出せまする」
答えたことに、板倉自身は何の引っ掛かりも覚えなかった。
新しい様式を作れと言われれば、幕府は必ず渋る。作る手間を口実に、何年でも先延ばしにする。
だが、この条は違う。毎年こしらえているものを、そのまま写して出せと言っているだけだ。断る口実を探す労よりも、言われた通り写しを提出する方がよほど容易かった。
*
そして、この朝の御用部屋を最も明るくした一言が出たのは、覚の束が一巡して酒井忠績の手元へ戻ってきたときである。
「――そもそも、これは覚にござろう」
酒井は、束を軽く指で弾くようにして言った。
「勅ではござらぬ。覚であれば、拘束はござるまい」
座が、ほどけた。
乗全が「いかにも」と受け、板倉も否とは言わなかった。覚とは要するに朝廷の意向を書き添えたものであって、勅そのものではない。そうでないものに縛られる理は、幕府のどの書き付けにも存在しないのである。
しかも、その勅のほうは、今朝この座で正式のものとして受けると決まった。
正式なものは有難く、正式でないものは縛らない。この朝の御用部屋には、そういう都合のよい形が一つ出来上がって、誰もそれを崩さなかった。
堀田正睦だけが、その間、一度も口を開かなかった。
袖で口を押さえて短く咳をし、それから膝の前の書付へ目を落としたまま、動かなかった。
二
昼に近くなって、話は勅の第三条へ移った。
「越前中納言慶永、政事総べ裁き候職に仰せ付けられ候。職名の儀は、幕府において相定むべき事」
乗全が読み上げ終えると、しばらく誰も何も言わなかった。
名を定めよ、と書かれている以上、この座で決めねばならない。決めねばならないのに、そもそもどういう職なのかが、勅のどこにも書かれていないのである。
「――薩摩の建白では、大老に据えよとあったと聞いてござる」
乗全がそう言ったのは、話を進めるためであった。この人に他意はなく、ただ、要求の元の形を確かめておくのが実務だと考えただけである。
その一言で、酒井忠績の顔色が変わった。
「――大老は、置けぬ」
声が、朝からの調子とはまるで違っていた。
「置いてはならぬ。あれを置いたがゆえに、この幕府が何を失ったか。この座におられる方々は皆、御承知のはずでござろう」
誰も逆らわなかった。
酒井の言い分が、正しかったからである。
大老とは、元来、常には置かぬ職である。政が回らぬときに一人を立て、その一人に一切を委ねる。幕政のすべてを背負わせ、幕政のすべてを背負わせ、すべての恨みを一身に受けさせる。恨みは「職」ではなく、その座についた一人の「名」に突き刺さるのである。
乗全は、口にした自分の言葉を後悔した。
この座で数年余り、誰も口にしていない名がある。百を超える浪士に屋敷を破られ、奥の間で首を落とされた大老の名である。
あの日から、幕府はその名を呼ばないという一事だけを、頑なに守ってきた。裁きの書き付けにも、法要の触れにも、その名は残っている。だが、評定の場では口にしない。
口にすれば、あの日のことを一から数え直すことになる。そうすれば、誰があの人にすべてを背負わせたのかという話に行き着く。
背負わせたのは、この部屋である。
「……勅には、大老とは書かれておりませぬ」
板倉が、静かにそう言った。
酒井が板倉を見た。
「政を総べ裁く職、とあるだけにござる」と板倉は続けた。
「大老の二字は、一字も用いられておりませぬ」
酒井忠績は、そこで長く息を吐いた。
吐いてから、写しへ目を落とし、その箇所を指で確かめた。念のため、もう一度目を通す。
「……ござらぬな」
「ござりませぬ」
酒井は、写しの上へ両手を置いたまま、しばらく動かなかった。
この人が幾月も恐れていたのは、薩摩の兵でも、勅使の傲りでもなかった。京から下る紙に「大老」の文字が書き込まれることだった。そうなれば、幕府はその席を立てねばならない。誰を座らせるかという話が始まり、必ずあの朝の記憶へ戻っていく。
書かれていなかった。
それどころか、名は幕府で定めよという。
「――ならば、大老ではない」
酒井忠績は、そう言った。言った声には、朝からのどの一言よりも力があった。
「そうではない職を、我らが我らの手で拵えるのでござる。それならば、話は別にござる」
板倉勝静は、うなずいた。
うなずきながら、頭の隅にほんの小さな引っ掛かりが残った。
薩摩が大老を求め、朝廷がそれを容れたのなら、「大老」と書けばよかった。そうすれば、幕府は抗えなかったはずである。それをせず、あえて抗いようのある形で下してきたのは、なぜなのか。
考えかけて、板倉はそれをやめた。
朝廷が言葉を選ばれたのであろう、というところで話を止めておけば、この座は先へ進む。進めなければ、また酒井が大老の話に戻ってしまう。
*
そこから半刻ほど、名を探す作業が続いた。
「老中首座に据えるか」と乗全が言った。だが、言い終える前に、本人が首を振っていた。
その席には、いま堀田正睦が座っている。
「執政、というのはいかがか?」
「執政は、御三家の御隠居が私に用いられる呼び名にござる。公の職名には立ちませぬ」
「大政参与」
「参与は、議に加わる意にござろう。総べ裁くとは合いませぬ」
「輔弼」
「それは、上様を輔け弼くる意にござる。……上様の御名において、上様を輔ける職を新たに立てるとなれば」
乗全はそこで口をつぐみ、板倉も目を伏せた。
誰も、その先を言わなかった。上様が御自身では何も裁けぬという事実に、正面から触れる名は、この城では使えない。
語を出しては潰し、また出しては潰しながら、写しの余白は候補の字で埋まっていった。
やがて板倉勝静が、膝の上で組んでいた手をほどいて言った。
「……別の名で、拵えるほかありませぬな」
その一言に、座は素直にうなずいた。
うなずいた者は皆、それを面倒な仕事の始まりだと受け取っていた。名を作るというのは書き役の労であり、先例を漁り、字を選び、格を測って据える、地味で厄介な作業である。
だが誰一人として、名を拵えるという行いそのものを疑わなかった。
朝廷から下された勅書には、「幕府において定めよ」とある。幕府はそれに従い、自分たちの城の職名を自分たちで作る。これほど筋の通った話に、どこから疑いを差し込めばよいのか。そもそも思いつかなかったのである。
拵えた名は、拵えた者のものになる。そのことを、この座の誰も、有難いとも恐ろしいとも思わなかった。
「――もっとも」と板倉は付け加えた。
「越前様が、それを御受けになるかどうかは、また別の話にござりますが」
座の空気が、そこで少しだけ変わった。
松平慶永が江戸城に召されたのは、もう四年も前が最後である。あの騒がしい季節にすべてがひっくり返って以来、幕府から声がかかることはなかった。特別な理由があったわけでもない。ただ、そうしているうちに、それが決まりのようになっていったのである。
「越前様は、いまだ御壮健にござろうな」
「三十五にござる」と乗全が答えた。
「壮健であられぬはずが、ござりませぬ」
「四年、でござるか」
「四年に、なりまする」
そのあいだ一度も声をかけなかった相手に、今度は政を総べ裁いてくれと言いに行くのである。
そのことについて、座の誰も、それ以上何も言わなかった。
三
昼を過ぎてから、話は奉答の手順に移った。
勅は末尾でこう命じている。閣老そのほか三家・三卿・家門・列藩、一同群議評定の上、誠忠の心をもって、早々に奉答いたすべく候――と。
つまり、答えを出す前に、まず座を作らねばならない。
乗全が触れ状の段取りを口にしかけたところで、板倉勝静が第一条を読み返した。
「国事の重きものは、江戸城において、異国に相対し候経験これある藩を召し集められ、群議評定の上、奏聞これあるべき事」
読み上げた声が消えても、しばらく誰も応じなかった。
「――異国に相対し候経験これある藩、とござるな」
「ござります」
「これは、いずれ召せということにござろう」
「そう読めまする」
酒井忠績が、そこで言った。
「いずれ召すとして、まずは奉答が先にござろう。答えを出すための座と、これから作るという座とは、別のものにござる」
これは正しかった。
勅は末尾で群議評定を命じており、その群議評定はこれまで通りの座で行えばよい。第一条の召集は、答えを出したあとに整えていく話である。
「今回の触れは、先例の通りでよろしゅうござろう」と乗全が引き取った。「三家、三卿、家門、そのほか列藩。書き役に、いつもの通りで作らせまする」
こうして第一条は、この日この座で、誰にも咎められずに通り過ぎていった。
乗全が下座を見て、名を呼んだ。
「安西。触れ状の下書き、今日のうちに作れ」
「はっ」
*
安西平助が別室に下がり、机に紙を広げたのは、それから間もなくである。
この役に就いて十数年、触れ状の下書きなど数え切れぬほど作ってきた。順序も、字の高さも、名の並べ方も、手が覚えている。
筆は淀まなかった。
『尾張、紀伊、水戸』と書き、『田安、一橋、清水』と続け、『越前、会津、高松』と下って、それから『溜間、大廊下、帝鑑間』と、席の順に沿って書き並べていく。表書きの文言まで、頭で考えるより先に穂先が動いていた。
その筆が、途中で止まった。
平助は、なぜ止まったのかが分からなかった。
書いている名に間違いはない。順序も先例の通りである。誰かの名を落としたわけでもなく、格を違えたわけでもない。
それでも、いま自分が書いているこの列と、昨日大広間で読み上げられたあの一句とが、頭のなかでほんのわずかに噛み合わない。
だが、どこがどう違うのか、平助には言葉にできなかった。できぬものを上へ差し出すことはできない。
そもそも自分の仕事は、先例どおりに書くことだ。勅の意味を考えることではない。
平助は筆を持ち直し、そのまま最後まで書き上げて、下書きを乗全に渡した。
廊下を戻りながらも、喉のあたりには何かが引っ掛かっているような感じが残っていた。だが、両国の広小路で拾ってきた風説を清書する刻限が迫っていたので、そのまま忘れた。
*
同じ午後、板倉勝静は御用部屋を出て、長い廊下をひとりで歩いていた。
歩きながら、数えていた。
異国に相対した経験のある藩である。
長崎に人を出した家。台場を築いた家。異人と直に談じて文書を交わした家。船を買い、あるいは買おうとして書付を回した家。
薩摩が入る。長州も入る。肥前は当然に入り、土佐も入る。宇和島、福井、それから幾つか。
数え終えて、板倉は廊下の途中で足を止めた。
尾張が入らないのである。紀伊も入らない。水戸も、この基準では入らない。加賀百万石が入らず、仙台も入らない。
板倉勝静はしばらくその場に立って、いま自分の頭のなかに並んだ列を見ていた。
これは異なことであると評定の場で指摘すれば済む話だ。だが、いざ口にしようとすると、板倉は言葉を探しあぐねた。
尾張様や紀伊様が召されぬのは筋が通らぬ、とは言える。だが相手はこう返してくるだろう。なぜ筋が通らぬのか…と。
家格が高いからである…とは言えなかった。第一条は家格の話を一言もしていない。石高にも触れていない。ただ、異国に相対した経験の有る無しだけを書いている。
そして――昨日、大広間の上段で、上様の名代として座しておられたのは、水戸中納言であった。
あの座に座った方に向かって、異国に相対した御経験はござりませぬと、この城の誰が申し上げられるのか。
家格を低いと言われたのなら、怒ることができる。格の高さを並べ立て、先例を持ち出して押し返すこともできる。
だが経験がないと言われては、怒りようがない。怒れば、ないことを認めた上で怒ることになる。
板倉は、口の中で一度何かを言いかけて、やめた。
それから、数えたものを誰にも告げぬまま、廊下の先の角を曲がって、御用部屋のほうへ戻っていった。
四
夕刻の下部屋には、まだ薄い光が残っていた。
庭に面した障子は少し開けてあり、そこから入る風が、机の上の紙の端をときおり持ち上げては落としていく。堀田正睦は近習を下げさせて、勅の写しと覚の写しを並べたまま、もう半刻ほどそこに座っていた。
咳が来て、袖で口を押さえた。
押さえた手を離し、懐から手拭いを出して唇を拭うと、白い布に赤いものが薄く広がった。堀田はそれを見て、格別の顔もせず、慣れた手つきで畳んで元へ戻した。
この半年、同じことを繰り返している。医者は江戸の水が合わぬのだと言い、周りもそう思っている。堀田自身は、そうでないことを知っていた。
紙へ目を戻した。
堀田が幾度も読み返していたのは、条の中身ではない。中身は昼のうちに全部数えた。参勤は残り、大政は委ねられ、金の要求もなく、攘夷の催促もない。条文の勘定ならば昼の御用部屋で済んでいる。幕閣たちは一様に安堵した。堀田が測っていたのは、そうした表面的な要求の数ではない。この紙の書きぶりであった。
堀田が測っていたのは、この紙の書きぶりであった。
責めていない。この十年、京から下る紙には必ず怒りがあった。詔であれ内勅であれ、あるいは公家からの私信であれ、どこかに必ず幕府を難ずる熱があって、その熱の在り処を探すのが江戸側の最初の仕事だった。
この三条には、それがない。
嘆いてもいない。急かしてもいない。攘夷の二字は一度も出てこず、そのかわりに国事の重大なる儀がいずれで決せられているのか朝廷には分からないと、ほとんど困っているような言い方が置かれている。
そして最も奇妙なのは、この紙が何一つ奪おうとしていないことであった。
政は将軍に委ねる。職の名は幕府で定めよ。議は江戸城で行え。読むほどに、すべてを幕府の手に返している。
幕府に委ねた形を取りながら、その中身だけは、もう向こうで決まっている。
誰が召されるのかは、第一条の一句で決まっている。政の場がどこであるかも、同じ一句で決まっている。後見職がどこまでの職であるかは、二つの短い句で切り分けられている。名を付ける権だけを幕府に譲って、名の付く先の形は動かせないようにしてある。
堀田は、紙の端を指で押さえた。
『大原重徳ではない』
あの公家の性根は、堀田も知っている。気概の人であり、正論の人であり、己の正論を一歩も曲げぬ人である。ああいう人が書く文は、必ずもっと熱い。もっと責め、もっと嘆き、もっと急かす。三条のどこにも、あの声はない。
久光でもない。あの薩摩の実力者は、建白を上げて、それが容れられたことを誇っている。そのような者は、誇っている中身を紙の上に書く。第一条のように、自分の望みと逆を向いた一句を、自分の手で運ばせたりはしない。
では、誰が書いたのか。
堀田は目を閉じ、それから、ゆっくりと開いた。
*
思い出したのは、御簾であった。
安政の交渉のときである。朝廷から使者を下して異国との談判に加わらせる話が持ち上がり、幕府はそれを拒めなかった。そこで老中が評議を重ね、三つの条件を定めた。
御簾越しにすること。
談判の主導は幕府が握ること。
そして、使者の発言は御門のご意向に関わる事柄に限ること。
その三つを朝廷へ伝えたのが、堀田正睦であった。この口から出た条件である。
狙いは明快だった。異人と公家を直接対面させず、談判の実務も幕府が握る。使者には御門のご意向を伝えさせ、それ以外のことには口を挟ませない。そうしておけば、交渉の中身は結局、こちらの通詞と役人の手の内に収まるはずだった。
結果は、そうならなかった。
岩瀬たち会談の参加者から聞いた報告を、堀田は頭の中で反芻していた。異国の法を引き、数を挙げ、相手の言葉を先取りして、確かめもできぬものを平然と武器にしたという。
老中評議で立てた三条の囲いは、囲いのまま、内側の力を一切減らさなかったのだ。 そして、あの御簾の内に座っていたのが誰であったかを、堀田は知っている。
その夜、江戸城本丸の執務室で窓の外の苔の庭を見ながら、堀田は自分の胸のうちで一つのことを決めた。
『個人的に、この姫君には決して逆らうのはよそう』と。
同時に、もう一つも決めていた。
『この国には必要な御方である』と。
*
勅書へ目を戻して、堀田は自分がこれから何もしないつもりであることを確かめた。
確かめる手順は、四つあった。
一つ、証しがない。
勅の末尾に並んだ名の筆頭は、関白九条尚忠である。この紙は、一部の公家が勝手に作ったものではない。正式な手続きを踏んで降りてきている。
誰かの手が入ったと申し立てるなら、関白を告発することになる。証しもなしに関白を告発した老中が、翌日どうなるかは考えるまでもない。
二つ、この紙は正しい。
参勤は残り、大政は委ねられ、金も人も取られていない。手を入れた者がいるとして、その者が幕府から奪ったものは、いまのところ一つもない。
この十年で初めて幕府に都合のよい紙を、「書いた者が怪しい」というだけで押し返せば、また叱られる紙を待つ日々に戻るだけである。
三つ、時がない。
堀田は懐の手拭いを思った。数え方はいくつもある。だが、どう数えても長くはない。
年をかけて証しを集め、朝廷の内に手を伸ばし、書いた者を突き止める。そんな仕事は、これから先のある者がすることだ。
四つ、四年前に決めている。
逆らわぬと決めた。そのことを、いまさら覆す理由がない。
堀田は、そこで覚の写しを自分の手元へ引き寄せた。
昼の評定で、酒井忠績はこう言った。覚であれば拘束はござるまい、と。
あれは訂正しなかった。そうするには、なぜそう思うのかを説明しなければならない。説明すれば、必ず御簾の話に行き着く。その先で自分が何を言うことになるのかを、堀田は昼のうちに一度想像した。だから、やめた。
筆を取り、覚の写しの表に、一行だけ書き付けた。
書いてから、紙を裏返して、束の下へ入れた。
それから、廊下へ声をかけた。
「――誰か」
「はっ」
近習が膝を進めてくる気配がした。
堀田は、庭のほうを見たまま、静かに問うた。
「……勝は、いま、どこにおる」
五
同じ日の午後、大名小路の薩摩藩上屋敷では、庭の芭蕉の葉がわずかに動くだけの、ひどく静かな刻が流れていた。
昨日、報せを聞いた島津久光が口にしたのは「兄上」の言葉だけであった。それきり奥へ下がり、誰も言葉を差し挟まなかった。
今日、久光は書役を呼んで、控えを持ってこさせた。
皐月に京で朝廷へ差し上げた建言の控えである。二十四に分けて書き上げたもので、写しは幾通りも作らせてあった。
久光はそれを膝の前に置き、それから江戸へ届いた三条の写しを、その横へ並べた。
照合は、条を数えるところから始まらなかった。数だけを見ても意味がないことを久光は知っている。建言は、通ったか否かではなく、どのような形で通ったかを見るものだからである。
一つ目は、一橋のことであった。
将軍後見職に据えよと求めた。三条の二つ目に、そのまま書かれている。文言もほとんど動いていない。
久光の口元が、わずかに緩んだ。
二百六十年、外様の大名が幕府の人事に口を出したことはない。それを、無位無官の身で成した。
二つ目は、越前のことであった。
大老に据えよと求めた。三条の三つ目に、確かに越前の名がある。政を総べ裁く職に任ず…とある。
そこで久光の指が止まった。
大老の文字がない。
名は幕府において定めよ、と書いてある。
(――中身は同じであろう)
そう自分に言い聞かせた直後、久光は己の思考の矛盾に気づいた。
中身が同じなら、なぜ「大老」と書かなかったのか。なぜ名を付ける役だけを幕府に渡したのか。付けた名は、付けた者のものになる。そのくらいのことは、久光にも分かっている。
久光は指を紙から離し、しばらく庭を見た。
それから、三条をもう一度、頭から読んだ。
二度読んだ。
*
将軍の上洛が、書かれていない。
ないことを確かめるために、久光は三度、紙を追った。あるものなら、一度で見つかる。だが、ないものはそうはいかない。同じ紙を何度も舐めるように追わねばならない。人の目は、書かれていない一句の上を、何も感じずに通り過ぎるからである。
三度読んで、久光は控えの筆頭の条へ目を落とした。
『将軍を京へ上らせること』
あの二十四条のなかで、最も重い一条だった。三事策として朝廷へ差し上げたときも、これだけは必ず入れた。
人事の二つは手段にすぎない。将軍が京へ上り、御門の御前で政を語る。その形を一度つくれば、政の重みはおのずと京の側へ寄っていく。兵を率いて京へ上ったのも、勅使を護って江戸まで下ったのも、そのためである。
『その一条がない』
久光は三条の一つ目へ目を移した。
昨日、報せを聞いたときは、政は将軍に委ねるとあることを喜んだ。それは久光自身の望みでもあった。
だから、その先を読まなかった。
「国事の重きものは、江戸城において」
その文字のところで、久光の指が止まった。
『江戸城において』
将軍を京へ上らせるはずだった。ところが返ってきた紙は、国の重き事を江戸城で議せと言っている。
削られたのではない。
逆を向いて、書き直されている。
久光は控えを閉じ、その上に手を置いたまま、しばらく動かなかった。庭のほうで芭蕉の葉が一度大きく揺れ、それから、また止まった。
やがて、廊下へ声を投げた。
「――一蔵を、呼べ」
六
呼ばれてきた大久保一蔵は、久光の膝の前に並んだ二枚の紙を、ほとんど見なかった。
「上洛の一条が、なか」
久光がそう言うと、大久保は少し首を傾げるようにして、あっさりと答えた。
「じゃ。ございもはん」
「気づいちょったか」
「昨日のうちに、気づいちょりました」
久光の目が、わずかに動いた。
「して、何も申さんかったか」
「申すほどのこっでは、ございもはん」
大久保の口調には、ごまかす色が一分もなかった。
「一橋様が通り、越前様が通りました。天下が、それを見ちょります。無位無官の身が、幕府の人事を動かしたと。……そいが動いた以上、次も動きもす。上洛の儀は、次に求めればよかことにござります」
久光は、腕を組んだまま黙っていた。
大久保一蔵という男の頭は、そういうふうにできている。成った以上は次であり、その先である。昨日、この男の帳面の最後の行には「成」の一字だけが書かれていた。その一字を書いた翌朝から、次の頁は総裁職と参勤のことで埋まりはじめている。
振り返るという発想が、そもそも存在しない。それはこの男の欠けているところではなく、この男の資質であった。
「……そうか」
久光はそれだけ言った。
納得はしていなかった。だが、そのことを口には出さなかった。
*
同じ屋敷の別の棟の縁側に、小松帯刀がいた。
膝の上には昨日と同じ二枚の紙が乗っている。兵の配置図と、覚の写しである。
小松には帳面があった。江戸へ下ってからも、この数月、欠かさず書きつけてきた。
そこに並んでいるのは、答えの出ない幾つかの事実である。
一つ。
伏見に集まった四十人が、押さえられぬはずの人数で押さえられた。誰が成したのかは、いまも分からない。
二つ。
無位無官の身での参内が通った。通るはずのないものが、通った。
三つ。
その取りなしをしてくださった御方が、京におられる。名は聞いている。だが、現実に起きた事の大きさと、その御方の存在が、小松の頭のなかではまだ釣り合っていない。
四つ。
覚の七条目。率兵の上洛を禁ずるという一行を、薩摩が自分の手で江戸まで運んできた。
小松は筆を取り、五つ目を書いた。
国父様は、参勤の緩和をお求めになった。覚の一条目には、これまでの通りと書いてある。
書き終えて、小松はしばらくその五行を眺めていた。
一つずつ見れば、どれも不思議のない話である。よいことが起き、通るものが通り、まっとうな条文が書かれている。
だが五つ並べると、そこに一つの形が浮かびかける。
そして、いつも同じところで、輪郭が結ばない。
小松は筆を置き、下腹を押さえた。
この十日ほど、痛みは引いていない。今日も引かなかった。
七
一橋上屋敷の奥御殿では、夕方の風がようやく涼しくなりはじめていた。
御簾の内で、糸子は水無瀬実光から報告を聞いていた。実光は有職故実の立場から、江戸城へ登城していた。
報告は昨日の首尾についてである。
大広間が思いのほか暗かったこと。畳が替えられていたこと。薬の匂いがかすかに漂っていたこと。そして、三条が読み上げられ、幕府が一言も異を唱えなかったこと。
「上様は?」
「御出座、ござりませなんだ」
実光の声は淡々としていた。
「御不例につき御出座かなわず、御名代として水戸中納言様が座に着かれると。前夜のうちに使いが参りましたそうで」
「上様の御座は」
「空けてござりました。畳も茵も、今朝方に替えられたばかりで」
糸子は黙っていた。
いくつか言葉は浮かんだが、どれも口にする意味がない。
「それから、姫様」
実光の声に、ほんのわずか、含み笑いのようなものが混じった。
「覚のことにござります。幕閣の御一人が、こう申されたそうにござります。――覚であれば、拘束はござるまいと」
御簾の内で、糸子は湯呑みを置いた。
置いてから、少しだけ笑った。
「そう申していただけましたら、しめたものでございます」
「……手前が、先だってそのままの言葉を申し上げましたな」
「はい。水無瀬殿の仰せられた通りでございました」
実光は一礼したが、その顔は喜んでいるようには見えなかった。
自分の読みが当たったということは、この座敷の内で組んだ絵が、江戸城の内でそのまま形になったということである。有職故実というものは前例の積み重ねであって、これから起きることを当てる術ではない。それを当ててしまったという居心地の悪さが、実光の背中のあたりに残っていた。
「もう一つ、申し上げるべきかどうか、迷いましたことがござります」
「なんでございましょう」
「堀田備中守どのにござります。……読み上げのあいだ、あの御方だけが、一度も頭を下げられなんだ由で」
「頭を…下げられなかった?」
「はい。ただ、勅使様の御顔だけを、まっすぐに見ておられたと」
糸子は、少し考えるような間を置いてから、答えた。
「……左様でございますか」
それ以上、糸子は何も言わなかった。
病が重いと聞いている老中が、読み上げのあいだ顔を上げていたという話に、どう意味を付ければよいのかが分からなかったのである。分からないものを無理に読むのは、彼女の流儀ではなかった。
*
実光が下がり、葵が灯を運んできた頃には、庭はもう暗くなりはじめていた。
糸子は縁側の障子を少しだけ開けて、庭の向こうを見た。
この屋敷は広い。奥御殿から庭を隔てて、いくつも棟が並んでいる。そのどこかに、昨日、将軍後見職に任じられた人が住んでいる。
糸子は、その人に会ったことがない。
同じ屋敷に幾月も暮らしていて、一度も顔を合わせたことがなく、合わせるつもりもなかった。向こうも、そのつもりであるらしいことは、暮らしのなかで自然と分かっていた。廊下も庭も、互いに使う刻がずれるようになっている。
昨日、江戸城の大広間で読み上げられた紙のうちの一条が、庭を隔てた向こうの人の残りの生涯を決めた。
その事実を、糸子は一度だけ、はっきりと頭の中に置いた。
置いて、それから、障子を閉めた。
八
麻布の寺内にある書院では、水無月十九日から二十日にかけて、大原重徳がひどく機嫌よく過ごしていた。
庭に面した座敷に据わり、京から連れてきた供の者に幾度も同じ話をさせている。あの座の高さのこと、幕閣の並び方のこと、読み上げのあいだの静けさのこと。
数年前、列参して押し戻され、門の外で待たされた身が、いま二百六十年の慣例を踏み越えて上段から幕閣を見下ろした。この老公家にとって、それは単なる役目の達成ではなく、生涯の勘定が一度に合ったに等しい出来事であった。
その満足のなかで、大原は次のことを言い出した。
「――して、奉答はいつじゃ」
実光が答えかねているうちに、大原は自分で続けた。
「勅には、早々に奉答いたすべく候と書いてある。早々じゃぞ。三日じゃ。三日で参って、返答を聞いてまいる」
「大原様」
実光は、丁重に、しかし引かずに言った。
「群議評定を命じておられますゆえ、まずは座を作らねばなりませぬ。三家、三卿、家門、列藩と触れを回し、日を合わせて、それから議に入りまする。……三日では、触れが届き終わりませぬ」
「届かぬのは、幕府の不手際であろう」
「幕府の不手際には違いありませぬが、こちらがそれを承知の上で急かしたとなれば、後々まで非難の種を残すことになりまする」
大原は不服そうに鼻を鳴らしたが、有職の話になると押し返しようがない。そのことを、この人物は自分でも承知していた。
押し問答を幾度か重ねたのち、大原は日取りを口にした。
「……よし。ならば、その日に参ろう。それより先へは延ばさぬ。よろしゅうございますな」
「承りました」
実光は頭を下げたが、下げた顔の内で、別のことを考えていた。
急かせば、幕府は焦る。焦った幕府は、いつもより速く物を決める。速く決めた幕府がどう動くかは、この二十年、誰にも読めたことがない。
*
その夕方、薩摩から使いが来た。
取次の口上は短かった。国父様が、御登城の前に、勅使様へ一言お伺いしたきことがある――それだけであった。
大原は、鷹揚にうなずいた。
「よいとも。伺いたきことがあれば、いつでも参られよと申せ」
使いが下がっていく足音を聞きながら、大原は膝の上で扇を弄んでいた。
何を訊かれるのか、この人はまるで気にしていなかった。
実光だけが、庭のほうを見ていた。
庭では、宵の風が植え込みの葉をひとしきり鳴らして、それから止んだ。国父殿が勅使に伺いたきこと…というのが何であるのか、実光には測りようがなかった。
政のことであれば大久保が来るであろうし、儀のことであれば小松が来る。国父殿御自身が問うと言ってきたということは、その二人のいずれにも答えられぬ何かがあるということである。
*
大原重徳は、明日訊かれることを何一つ心配していなかった。
あの三条は、自分が江戸城の大広間で、二百六十年の慣例を踏み越えて読み上げた紙である。
読み上げた者が、その中身について答えられぬということが、この老公家の頭には、生涯で一度も浮かんだことがなかった。
第百七十話 了




